少しだけ保健室で休むというアクシデントが起きたものの、数十分ほどベッドでごろごろしてから、すぐに教室へと復帰した。
病弱という最強の盾こそあるが、私は好き好んで薄幸の美女になろうとは思わないのだ。
目指すのであれば、至って普通の才色兼備の文武両道女子であろう。
私のそんな心意気を察したのか、午前中の授業では、各科目の教師達がこぞって私の学力を試しにきた。
やれこの公式を解け。この年号を答えよ。この訳は何か。
私は出題される度に不安を感じたのだが、幸いにして、どの問題にも即座に対応できた。
さすがは眼鏡である。暁美ほむらは長い入院生活をしてもなお、頭の方は優秀だったらしい。
あと、意外だったのが……。
「……それなりに達筆だな」
「うん? どうした暁美」
「いえ」
字も上手いということだ。まぁ、そんなのはどうでもよろしいことかもしれないが。
綺麗で格好良く文字を書けるに越したことはないだろう。
……ふーむ……優秀すぎて少々不安になるくらいだが……。
さすがに魔法少女の願いを学力に使った、なんてことはないだろう。だとすればこれは、暁美ほむらの独力ということか。
……私は大した努力家だったらしい。あるいは、いいところ出のお嬢様だったのか。
当然のことだったが、私の実力は体育でも発揮される。
今日は走り高跳びの計測だ。
背中すれすれに飛んでやる義理など、魔法少女にはない。やろうと思えばいくらでも飛べるだろう。
だが、中学生としてのなけなしの日常を崩すのは、暁美ほむらに申し訳ないとも思ってしまう。
なので私は体育においてはそこそこ、いっぱいいっぱいな感じで飛ぶことにしたのだ。
「ふっ」
華麗な弧を描き、バーを越える。そしてぼすっとクッションに着地。
「……県内記録じゃない? これ……」
「えっ」
しまった、前提からやりすぎだったか。
いや、これは私のせいじゃないぞ。最初からハードルを高く設定していた先生が悪いのだ。私のせいではない。
「暁美さんって、入院してたんじゃ……」
「すごいね……」
視線は心地良い。
……まぁ、これはこれで構わないか。
クラスメイトと肩を並べての授業。
他愛もないことを話して笑う休み時間。
今日は、記憶を失うまでの暁美ほむらの力に身を委ね、この一日を過ごしたつもりだ。
体が覚えている全てを出し尽くしたつもりだった。
それでも、私は何も思い出せない。
必ず行ったことがあるであろう学校に通えば、何かしら掴めると思ったのだが……。
「ねえ、暁美さん、このあと……」
「悪いね、先約がいるんだ」
「先約……」
「あの子に用があってさ」
私は鹿目まどかの方に目を向け、指輪を撫でた。
彼女の隣には友達だろうか。確か自己紹介で美樹さやかと名乗った少女が一緒にいる。もう一人は……仁美、だったかな。
「……? 私指差してる……」
「え? なんでまどかを?」
鹿目まどか。私は、彼女との会話で記憶を取り戻しかけた気がする。
ひょっとしたら過去の私には、彼女のような友人がいたのかもしれない。
そんな可能性に賭けてみるのも、悪くはないだろう。
私はなるべく自然な風を装って、三人の集まる席に近づいた。
「やあ、まどか……でよかったね」
「うん……」
「そちらは? 確か、さやかだったかな」
「おっ、一度の自己紹介で覚えてもらえるなんて嬉しいね! そうだよ、私は美樹さやか。よろしく!」
「ああ、よろしく、さやか」
内向的に見えるまどかとは違って、さやかはとても溌剌としているというか、活発そうな印象のある子だった。
背も高いし、スタイルも良い。なかなか格好いい女子生徒である。
「そちらは仁美かな? うろ覚えでごめん」
「はい、その通りです!
「良かった、合っていたか。よろしく、仁美」
仁美。緩やかにカールした長い髪。上品な喋り方も相まって、まるでどこかのお嬢様のようである。
いや、あるいは実際にそうなのかもしれない。この学校は、育ちの良い生徒が多そうだ。
……ふむ、三人か。三人までなら、まぁ。
「私、見滝原にあまり馴染みがなくてね。できたらでいいんだけど、良ければ放課後に、まどか。私と一緒に遊んでくれないかな、って思ってさ」
「私と?」
「駄目かな」
「おおっ、丁度いいねぇ。ならほむらも交えて、四人で出かけようか!」
「うふふ、転入祝いですわね」
遊ぶ約束を取り付けたし、クラスにも溶け込めた。よしよし。
幸い彼女たちは良い子みたいだし、これからも上手く付き合っていけるだろう。
暁美ほむらよ。君の学校生活のスタートは、なかなか幸先良いものだと思うぞ。
ショッピングモールをぶらつきながら、他愛もない会話を交わす。
私は適当に相槌を打ち、奥ゆかしく笑う。
同い年の子と話すのは楽しいものだ。
これから彼女達と日々を過ごしてゆけるのであれば、それはとても平穏で、素晴らしい日常なのだろう。
だが私は魔法少女であり、それは叶わない。私の人生には、常に魔女との闘いが付き纏うからだ。
しかし、尊い彼女らの暮らしや、友達を守る。それは、他ならぬ魔法少女にしかできないことでもある。
であれば悲しくはないし、寂しくもない。
むしろ私の魔法少女としての責務にも、より一層の熱が入るというものだ。
「悪いね、付き合わせちゃって」
「ううん」
仁美は稽古事があるらしく(やっぱり本物のお嬢様だった)、彼女は途中で帰るようだが……二人はまだ、何かやりたいことがあるらしい。
やってきたのは楽曲関係のコーナーだった。
「CD?」
「うん、さやかちゃんの幼馴染みが入院しててね、その人がクラシックが好きで……」
「あははは……」
「そうか、音楽か……」
私の好きな音楽は何だったのだろう。
……ふむ。興味がある。
もしかしたら、芸術面で私の記憶を揺さぶることができるかもしれない。
「さやか、私もついていっても良いかな」
「いやいやそんな、私に付き合わせるみたいになっちゃうけど」
「お供するよ」
「ほんと? ありがとう、ほむら」
半分以上は自分のためだから、気にしなくて大丈夫だよ。
私は今、さやか達とCDショップにいる。
しかし、思いの外退屈な場所で、愕然としている私がいた。
しばらくはさやかの隣でクラシックを堪能していたのだが、落ち着くばかりでどうにも記憶がざわめかない。
私は堅苦しい音楽に飽きて、まどかの居る棚へ移動しようと考えたのだ。
だが彼女は演歌のコーナーで、体をゆらりゆらりと、荒波に揉まれる小舟のように揺らしていたのである。
何故に演歌。どうしてその歳で。祖父や祖母の影響なのだろうか……。
……あれに近づいて、まどかにオススメの曲でも差し出されてみた暁には、居眠りでもしてしまいそうだ。
遠巻きに見守って、私は私で、適当な曲を聞きかじっていることにしよう。
「まどかの趣味がわからん……」
さやかもあの性格でクラシックとは。かなり意外ではあるけども。
テクノを聞きながら、そんな事を考えている時のことだった。
──助けて
「……」
無言でヘッドセットを外し、首を傾げる。
なるほど、独特なノイズだ。
──助けて、まどか
なるほど、ノイズではなかったらしい。
素早くヘッドホンを台に掛け直し、まどかの居たコーナーに目をやる。
「…? ……?」
まどかは辺りを見回している。どうやらまどかも、少年のような不可思議な声を聞き取ったらしい。
そしてすぐに、ふらふらと、声がしたであろう方向に導かれていた。
彼女は探るような足取りのまま、CDショップを抜け出し、階段の方へ歩いてゆく。
「……ん?」
その姿はさやかも認めていたようだ。
別のフロアへと立ち去るまどかを、どこか怪訝そうな目で見送っている。
「ふむ」
追うか追うまいか、そう考えているのかもしれない。私はそんなさやかの後ろから、声をかけた。
「まどか、行ってしまったね」
「うん、トイレとは逆方向なんだけど」
「……さやかは声を聞いていないのか」
「えっ?」
「心配だ、ついていこう」
まどかと私の耳に入って、さやかには入っていない。
幾つかの程度の差はある。だがこの奇妙な現象には、どうしても一つの現象が付き纏う。
すなわち、魔法少女関連だ。