「……ったく、いつ来ても騒がしいところだな」
「この時間ならそうでもない方じゃないかな。夜の繁華街だって、同じようなものだと思うけど」
「アタシにとっては、ここでも随分だよ」
杏子が辿り着いたのは、見滝原でも最大規模のショッピングモールであった。
建物の外は道幅も広くなっているが、それでも歩くのに気を遣う程度には混み合っている。
「まあいいや。まどかはここにいるんだろ?」
「そうだね。彼女の強い魔力の跡があるから、まず間違いないよ」
「よし、じゃあ行くか」
キュゥべえに案内されるままに、彼女は踏み込んでゆく。
「……? あれ、佐倉さん?」
その後ろ姿を、かつての戦友である巴マミに見られながら。
「えー、グリーンソースフィレオないんですか?」
「申し訳ございません。かなりお時間の方取らせてしまう形となってしまいまして……」
ハンバーガーのレジ前で、さやかは予期せぬ小さな不運に見舞われていた。
(さやかちゃん遅いなぁー……)
対するまどかは、携帯の充電を気遣って暇を持て余していたのだが。
「お、見つけた」
「え?」
不意に現れた杏子によって、退屈する必要はなくなった。
「やあ、まどか」
「この前の……杏子ちゃん、だっけ……? それにキュゥべえも」
「ここ座るよ」
「あ、その……」
向かい側はさやかの座っていた場所だったが、押しの強い杏子にまどかははっきりと言うことができなかった。
「アタシ、大事な話があって来たんだよ。突然で悪いけど聞いてほしいんだ」
「……えっと。私、に?」
「ああ」
杏子は冷めたポテトを一本摘んでから、まどかの手に指輪がないことを確認した。
「アンタ、ワルプルギスの夜、って知ってる?」
「わ……ぷ? ……ごめんなさい、ちょっと知らないかな……」
「まあ仕方ないよね、まだ魔法少女じゃないんだし。平たく言えば、ワルプルギスの夜ってのは最強の魔女だ」
「最強の……」
「現れただけでひとつの都市が消滅するって話だよ。アタシは見たことないけどさ」
「!」
「こいつが言うには、そんな魔女があと二週間かそこらのうちに見滝原に現れるんだと」
「そ、そんな!」
つまりは、魔女によって見滝原が消滅するということだ。
ここで暮らしているまどかにとって、それは看過できないことだろう。
「そいつとは複数の魔法少女で戦っても勝つ見込みは無い、って話でね。……だよな? キュゥべえ」
「僕の見解はそうだね」
「ま、マミさんや……ほむらちゃんが戦っても?」
「暁美ほむらの戦力は把握しきれていないけど、無理なんじゃないかな」
「未だかつてワルプルギスの夜を倒した魔法少女はいない。そう言われちゃ、アタシだって尻込みするのが本音だよ」
内心ではやってみないことにはわからないと思っているが、今はそれを外に出す必要はない。
「……けど、こいつから倒す見込みのある魔法少女候補がいるっつー話を聞いてね」
「! それって……もしかして」
「まどか。君が魔法少女になってくれれば、襲来するワルプルギスの夜を倒すことができる」
「私が……」
「ワルプルギスが来たら街はただじゃ済まないからな。奴を倒すか……街の全員を避難させるしかない。まぁ、もちろんそんなに上手くいくはずはないだろうね」
「一体何人の人が信じるかわからないしね。一般人に魔女の姿が見えない以上、対策は困難を極めるだろう」
だから、倒すしかない。杏子はそう訴えたかったのだ。
「そ、そんな……いきなり言われたって、私よくわからないよ」
「まぁ確かに、いきなりのことだし混乱はするだろうけどさ……」
それでも、目の前の少女が解決の鍵であるならば。
杏子はその少女を、どうしたって鍵に仕立てたかった。
「誰? この子」
「あ?」
もっと押せばいけるだろう。そんなタイミングで、さやかは戻ってきた。
「さやかちゃん」
「ああ、友達がいたか。悪いね」
「まどかの知り合い?」
「うん、そんなところかな……」
実際はそれほど親しい間柄でもないのだが、まどかは当人を目の前にして強く否定することはできなかった。
「彼女は美樹さやかだよ。まどかの友人で、魔法少女の素質があるんだ」
「へえ、じゃあ一緒に話せるじゃん。隠し事せずに済んで良かったよ」
「彼女は佐倉杏子、隣町の魔法少女だよ」
「へー、そうなんだ……よろしく」
「おう……ん? 良いもの持ってるな、アップルパイかあ」
「半分あげよっか?」
「サンキュー」
印象としては、お互いにさほど悪い出会いではなかった。
佐倉杏子と美樹さやか。二人の出会い方が違っていれば、もっと殺伐とした未来があったのかもしれないのだが。
この時の出会いが穏やかであったことは、幸運という他ないだろう。
「んぐ……んぐ……んー! 懐かし! この味やっぱ良いなあ」
「……杏子も魔法少女なんだよね。この近くの魔法少女なの?」
「ああ……まあ、ね」
「杏子はマ……」
言おうとするや、杏子はアップルパイの欠片をキュゥべえの口に無理やり押し込んだ。
「うっせえ、余計な事喋るな」
「やれやれ」
「あー……話、ちょっと聞いてたんだけどさ。ワル? ホトトギス? なんなの、それ」
「ワルプルギス。ワルプルギスの夜と呼ばれる、最強の魔女がやってくるという話だよ」
「最強の魔女……」
さやかはまどかの隣の席に座り、聞く姿勢を整えた。
立ったまま談笑できるような話ではないことを察したのだろう。
「現れたが最後、半端な魔法少女じゃ返り討ちで街ごとオジャンっていう規模らしい」
「うん。かなり低頻度で出現する魔女でね。謎の大災害の原因はワルプルギスの夜が原因である場合が多いとも言われている。魔法少女の間では有名な話だけど、まだ二人には伝えていなかったね」
「……そいつが現れるっていうの?」
「およそ二週間後だと思う。僕もはっきりしたことはわからないから、ある程度前後はするかもしれないけど」
二週間後、街を滅ぼすような魔女が現れる。
楽観的なさやかからしてみても、それは穏やかな話ではない。
「……そんな魔女、放っておけないよ、どこに現れるの?」
「見滝原」
「……ええっ!? なにそれ!」
「まあそうなるのも無理はねえ。だからこそ、アタシも見滝原までやってきたんだ」
長いポテトをまどかに差し向けて、杏子は不敵に微笑んだ。
「ワルプルギスの夜を倒すには、ただの魔法少女じゃない……遥かに強い力を持ったやつがいるんだ。そのために必要なのが、この子ってわけ」
「……」
「……ちょっと待ってよ」
「ん?」
「アンタ、まどかが強い因果を持ってるって分かってて言ってんの?」
「はあ? 因果って何さ?」
「魔法少女としての素質のこと」
因果。それは杏子にとってあまり聞きなれない尺度であった。
「ああ……もちろん、強い魔力を持ってるんだろ? 知ってるよ。その、まどかが強い魔法少女になれるってことはね」
「っ……! まどかを魔法少女にさせるために、ここに来たってわけ?」
「見滝原が壊滅するのを黙って見過ごすのは不本意だろう? 僕は選択肢を提案するだけのつもりなんだけど」
さやかの鋭い目が、同時にキュゥべえにも向けられる。
魔法少女を司る白猫は普段通りの語り口だったが、今この時の彼からは、まどかに対する悪意のようなものが見えていたのだ。
「まあ、突然の話だしさ。混乱するのもわかるよ。時間はあるし、すぐ決めろってことじゃあない」
「ッ……杏子、だっけ。……魔法少女になるっていうことが、どういうことかわかって言ってるの?」
「……そりゃ、わかってるさ」
「まどかが魔法少女になるっていうことがどういうことか……!」
白熱しかけた三人の場に、一人の少女が歩み寄る。
その少女は杏子の後ろからやってきて、テーブルにそっと手をついた。
「話は聞かせてもらったわ」
「!」
「マミさん!」
現れたのは、杏子の後をつけてきたマミ。
普段は縄張りを意識して風見野から出ない杏子が、どうして見滝原にやってきたのか。それを疑問に思いつけてみた末に、こうして穏やかでない会話が交わされている。
それは見滝原を守る魔法少女として、見逃すことのできないトラブルだった。
「……ぁ」
「久しぶりね、佐倉さん?」
「マミ……」
「……」
「その、……」
杏子は突然目の前に現れたマミを見て、押し黙る。
再会のために言葉を温めていたわけでもない。不意打ちな出会いは、昔の後味の悪い別れを思い出すばかりだった。
「……知り合い、以上って感じだね」
「うん……」
気まずそうな顔の杏子に、それを毅然と見返すマミ。
二人の間柄が赤他人でないことは、まどかとさやかにも漠然とではあるが、伝わった。
「ええと。……佐倉さん」
「な、何さ」
「鹿目さんを魔法少女にさせたいの?」
「あぁ……ああ、ワルプルギスを倒すにはそれしかないからな」
それは杏子が持ち出せる正論だった。
ワルプルギスの夜を倒すため。見滝原に足を運ぶため。そのための理由が、鹿目まどかだったから。
「……あまり賛同できる事ではないんだけど……変わってくれたのね」
「は……」
「人のために……」
「! 私はッ、……そんなんじゃねえ」
どこか生暖かいマミの目線に堪えられず、杏子は頭を振った。
「変わるもんか、自分のためだよ……自分のために魔法を使う……それは、変わるわけがない。ワルプルギスの夜を倒さないと……見滝原だけじゃない、私のいる風見野だって……」
――何言ってんだ、アタシ
自分の意志を貫いている。そのはずだった。
杏子自身、そのつもりで生きてきたし、ここへ足を運んだのもそのつもりだった。
しかし言葉にすればするほど、並べ立てた建前は脆く、急ごしらえの頼りないものであるかのように思えてしまう。
かといって今更そんなひねくれた自分を認めることなど、杏子自身にできるはずもない。
「理由なんて、良いわ。あなたが街を、人を守るためにって……その気持ちを無くしていなかったと知れて、私は凄く嬉しい」
「……やめろよ、そんなんじゃねえ。アタシの考えは、前から変わってないんだ。アタシは使い魔を見つけても見逃すし……」
「……」
「え?」
「!」
耳を疑ったのは、傍で聞いていたさやかとまどかだった。
事情を知っているマミは、ただ悲しそうな顔をするばかりで。
「使い魔が人を食べれば、そいつは元々の魔女になる……そうすりゃ、グリーフシードが手に入るかもしれないだろ」
「あんた、グリーフシードの為に使い魔を見逃すっての?」
「風見野でのやり方はアタシの勝手だ」
「……そう」
実際、杏子の実力をもってすれば、多少魔女が増えた程度でどうにかなることはない。
グリーフシードのために“養殖”を行うのは、世界的に見れば珍しいことではなかった。
「……けど! ワルプルギスの夜だけは別だ! 使い魔がどうこうとか、そんな些細な問題じゃないだろ!? マミや……ほむらのやり方とは反するかもしれないけど、街が壊滅するってなったら、共闘でもなんでもするしかないだろ?」
「勝手な奴!」
「勝手で結構、アタシはそういう信念で動いてる」
さやかの目には道義心の火が、杏子の目には強い我の炎が灯っている。
出会いこそはそこそこソフトではあったが、やはり二人の考え方の違いというものは大きかったのかもしれない。
お互いに頑固な性格であるせいか、どちらかが譲ろうとする気配も見られなかった。
「……でもね、佐倉さん」
「あ?」
「……仮にワルプルギスの夜が来たとしても……鹿目さんを、魔法少女にするわけにはいかないわ」
「は?」
マミは重々しくそう言う他なかった。
同じく、さやかも怒りの感情を鎮め、それよりもずっと深刻そうな表情で机の上に肘をついている。
「……まどか以外の魔法少女で、やるしかない」
「なんでさ」
「それは……うーん……」
マミは言いよどむ。そこから先は、心を揺さぶられる魔法少女の真実であったから。
目の前にいる佐倉杏子は、どうもそれを知っているようにも思えない。
「このまどかってのは、魔法少女の素質があるんだろ? な?」
「その通り。まどかなら、一撃でワルプルギスの夜を倒すことも可能だろうね」
「それで、アタシ達が束になったって、ワルプルギスの夜は倒せない。そうだろ?」
「成し遂げた事は、この長い歴史の中でも未だかつて一度もないね」
「ならまどかが魔法少女になるしかッ……!」
説得しなければならない。まどかを魔法少女にするしかない。
「魔法少女だって」
「なんだろ」
「コスプレでもするんじゃない?」
熱の入った言葉は、いつのまにか彼女たちのいるテーブルの外にも漏れ出ていた。
「……なるしか、ないだろ」
「……混んできたわ、場所を変えましょう」
「チッ……」
魔法少女の因果。才能。そして、それらが反転した時の代償。
彼女たちはその後も店を変えて話し合った。
しかし、魔法少女の真実を安易に打ち明けるわけにもいかない。
結局、杏子は煮え切らない気持ちを抱えたまま、説得を一時諦めるしかなかった。