虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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覚醒めた心は走りだした

 

 茜空に、ちぎれた雲が流れてゆく。

 建設途中のビル群の影は都会らしい野暮ったさもあるが、遠くから眺める分には、存外悪くないシルエットを映してくれる。

 

 見滝原の夕焼けは、今日も美しい。

 

「ふぁぐ」

 

 そしてロビンスのトリプルアイスは、いつだって美味しい。

 思わず二つも買ってしまった程である。

 

「……ふーむ」

 

 アイスを食べつつ、河川を見渡せる場所までやってきた。

 大きな橋の上である。

 川面は夕日に照らされ、ノスタルジックな色調で煌めいていた。けれど私にノスタルジックという感覚はないので、きっと先入観に感化されているだけなのだろう。

 それは正直に言ってしまえば、ただただ綺麗な水面というだけだった。

 

 しかし、何故だろうか。

 こうして水面を眺めていると、無性に心がざわめくのだ。

 

 動悸が激しくなる……のだろうか。

 それは本当だとしても微妙な心の変化だったので、私にもよくわからない。

 

「……海が私を呼んでいるのだろうか」

 

 ここは川である。当然ながら、船を接岸するためのロープをくくるアレなど無いので、私の片足は何に乗ることもなかった。

 ポーズだけでも格好つけてみたかったのだが、無い物ねだりしても仕方がない。私を見る人もいないのだし、ここに居ても仕方がないか。

 

「ふむ……」

 

 と、思っていたのだが。ほんの少しだけ歩いていると、私以外にも人がいるようだった。

 

「……」

 

 どこかで見たことのあるOLの女性だった。もちろん、最期を看取ったあの人ではない。いつの日か泥酔状態だったのを家まで送り届けた、あの時のOLである。

 彼女は橋の入り口で、柵に凭れるようにしてたそがれていた。

 

 携帯をいじっているわけでもない。誰かを待っているような様子でもない。

 彼女はきっと、本当にただ無目的にぼーっとしているのだろう。

 

 だが、川面で乱反射する夕明りに目を細めるその姿は、なんというか、私から見てとても格好良い姿のように思えた。

 私があと十数年もすれば、彼女のような大人になれるのだろうか。

 

 仮に私が未だ彼女のようになれていないとして、何が足りていないのだろう。

 

「……」

 

 その答えを求めてみたくて、私もなんとなく、そのOLの隣で立ち止まり、夕日に向かってたそがれてみた。

 オトナとコドモの、夕時のガールミーツガールであろうか。

 こういうイケナイ感じも、なんとなく良いものだ。

 

「……美味しそうなもん食べてるね」

「でしょう」

 

 彼女は私に話しかけてきた。

 しかし、心底アイスを食べたいわけではないらしい。唐突に近づいてきた私に、親切にも適当な話題を振ってくれたのだろう。

 そして彼女は、以前介抱した私のことなどは忘れているようだった。それはまぁ、雰囲気を壊すこともないので、どうでもいいのだが。

 

「食うかい」

 

 隣り合った縁というものもあるだろう。私は手元にあるアイスの、食べかけの方を差し出した。

 ベリー・ベリー・ベリー・ベリー・ベリー・ベリー・ストロベリーだ。

 

「良いのかい? こんなにたくさん残ってるじゃないか」

「二つ目なんだけど、食べ続けていると思いの外、頭が痛くてね。溶けてももったいないし」

「はは、二つ目かあ……食い意地あるねえ」

 

 “細そうなのに”と笑って、彼女はそう遠慮することもなくアイスにむしゃぶりついた。

 食べている途中で“悪い意味じゃないよ”と気遣ってくれた。その笑顔は、男勝りな姉御肌といった感じで、男性だけでなく女性でさえも惹きつけるような魅力に満ちていた。

 

 ……どうやら、彼女は死ぬ気ではないらしい。

 川をぼんやりと眺めていたからもしやと思ったのだが、杞憂だったか。いや、私の勘違いで良かった。

 どうも黄昏時とOLという組み合わせは、あの日の惨劇を思い出してしまうのだ。

 

「……最近、ちょっと悩み事があってねえ。ここで立ち止まって、考え事をしてたんだよ」

「考え事」

「あたしの娘がさー……あ、君と同じで見滝原中学なんだけどね」

「はあ、それは奇遇な」

「最近になって、様子がおかしいというか……思い詰めてるような感じなんだよねえ」

 

 ふむ。女子中学生が思いつめる……。

 ……もしや。

 

「勉強かな」

「てわけじゃあなさそうなんだけど」

 

 ふむ、さっぱりわからん。

 

「前は普通に、私になんでも相談してくれる子だったんだけどね。……はあ、やっぱり難しい年頃だよなあ」

「……そういうものですか」

 

 同じ難しい年頃の私としては、もはやアイスを舐めるしかない。

 親御さんと同じ目線に立って意見するのは、きっと違うのだろうから。

 

「はは。まあ、あんたも思い詰めるようなことがあったら、ちゃんと親に相談するようにしなよ? 親としちゃ、子供の悩みがわからないっつーのが、一番困るもんだからさ」

「……そういうものかな」

「そういうもんさー……、それじゃあ、ばいばーい、アイスありがとー」

 

 腕時計を見た彼女はそうして別れを告げると、さっさと歩き始めてしまった。

 去り際に“また会えたら何か甘いの奢るよー”と言い残す当たり、彼女からは最後の最後までモテる女性のオーラに溢れていた。

 

「ふん」

 

 私も残りのアイスを口の中に放り投げる。

 

「親への相談ね。まぁ、そんなケースこそが、過半数なのだろうけど」

 

 大人目線でしか見えない世界もあるのだろう。

 しかし、魔法少女にしか見えない世界だって存在するのだ。

 

 そしてある意味、そういった他人に理解されないであろう悩みというものは、魔法少女に限らず、世の中に溢れているのかもしれない。

 

 ……とはいえ、やはり魔法少女は格別に孤独な役目であろう。

 それは間違いなく、恋の悩みや勉強の悩みの比ではない。

 

 私はこれから、さやかとマミと共に戦っていくべく、グリーフシードをどう工面するか考えなければならないのだ。これは命に直結した深刻な問題でもある。

 本来ならば、私たち程度の年齢の子は悩み事を親に相談するものだろうが、魔法少女はそうもいかない。

 

 あらゆる問題を、ガキの小さな頭で全てを受け入れなくてはならないのだ。

 その上私の場合、そもそも自分の親がどこにいるのかすらもわからない。重荷を背負った上でハシゴが外されたような状況であると言えるだろう。

 

 ……親、か。

 電話番号の控え、携帯にあったっけ……まぁ、以前の私との関係性がわからないし、話すことなどないのだが……。

 それに親とはいえ、やっぱり頼ることなんて……。

 

「誰にも頼れない、か……」

 

 そう、誰にも頼れない。

 

 

 黄昏空を見上げる。

 

 

 焼けた空が美しい。

 

 

 焼けた空……。

 

 

 

 頼れない。焼けた空。水面。望郷。

 

 

 

「……」

 

 

 

 焼けた――。

 

 

 

 ――燃え上がれーって感じ――

 

 

 

 もう、誰にも――。

 

 

 

 ――そう。

 

 

 

 ――もう、誰にも、頼らない。

 

 

 

「……鹿目、まどか。佐倉、杏子……」

 

 

 ――……。

 

 

「……佐倉杏子。消さないと。あの子はもう、危険だわ」

 

 

 ――……。

 

 


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