虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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生ゴミへの手向け

 

 爆風で吹き飛ばしてやった杏子は、死にかけ。

 良くて満身創痍。

 だというのに、それでもまだ杏子は動いていた。それも、意外なほど機敏に。

 

 思い起こして見れば、いつだって彼女の逃げ足はこういった土壇場でこそ発揮されていた気もする。

 特に隠れることに関しては随一だ。時間停止を駆使しても、上手く隠れられてしまえば探しようがなくなってしまう。

 

 何度、その手で煮え湯を……。

 

 ……まあ、どうだっていいわ。

 

 その復讐は、今日この世界で果たされるのだから。

 

 

 

 杏子は工場群に逃げ込んだ。

 爆風で吹き飛ばされた先がそこだったので、やむなくといったところだろう。

 

 だけど逃げたところで、彼女の紅い装束はボロ雑巾のように煤けて汚れていたし、少なくない火傷も負っている。

 既に処置をしなければ命に関わる痛手を与えたのだ。隠れているだけでは、彼女は遠からず死ぬ運命だろう。

 

 ……寂れた工場街の片隅で息を引き取る杏子。

 ふふ。この世界の彼女には、お似合いの姿ね。

 

 もちろん、それだけで済ませるつもりは無いけれど……。

 

「……そう考えると、火器が少なすぎるわね」

 

 左腕の盾に感覚を澄ませ、中身を探る。

 火器が少なく、しかし燃料はある。あまり戦闘向きとは言えない、偏った手持ちだった。

 

 けれど、燃料だけでも不足はない。

 いいえ? むしろ中途半端な燃料で痛めつけた方が、都合が良いのかしら。

 

 ……杏子。貴女は許さない。ただ殺すだけでは済まさない。

 

「徹底的に苦しませてやる」

 

 盾の中に唯一入っていた猟銃を出して担ぎ、彼女が吹き飛ばされていった路地裏へと入る。

 そこらに転げていると思ったけれど、すぐに場所を変えていたらしい。

 なかなか逃げ足の速い獲物だ。

 

 まあ、限度はあるだろう。私は、それでも構わない

 

「……もう、こんなに」

 

 自分の左手のソウルジェムを見ると、黒色がじんわりと広がっていた。

 もうかなり穢れている。……思っていたより消耗が早い。

 

「杏子を殺さないと」

 

 私は闇へと歩きだす。

 この世界の彼女を、処刑するために。

 

 

 

 

 

「はっ……は……!」

 

 杏子は物陰に潜み、荒い息を抑えていた。

 本来ならばうめき声をあげていたくなるほどの傷を負っているが、それも唇を噛んででも、全力で堪えなければならなかった。

 

(……! 来る……!)

 

 “あいつ”が現れるから。

 

「……」

 

 ほむらは路地裏に入り、不潔な地面を意に介すことなく進んでゆく。

 硬質な足音と、時々空き缶が蹴られて転がるわずかな物音だけが、暗がりの中で響いていた。

 

(頼む、気付くな……こっちだって恥も何もかも忍んでゴミ溜めに隠れてんだ……)

 

 杏子が隠れ潜んでいるのは、不法投棄されたゴミの山の中。

 壁に凭れるようにして積まれたそこは臭いこそ強烈ではあったが、暗闇の下では掻き分けたくもなければ、少しでも触れたくないような場所だった。

 

 足音が近づいてくる。

 杏子が生唾を飲み込もうとして、その音にさえ怯えて止める。

 

 探そうと思うような場所ではない。

 触れたくなるような場所ではない。

 杏子は自身に言い聞かせるように念じて、足音が過ぎ去るのを待った。

 

(……行ったか)

 

 かくして、その足音は目の前を横切っていったようだった。

 気を緩めるには早い。少なくとも、大きく息はつけない。

 

(……なんだよ)

 

 それでも杏子は、物音立てずに弛緩せざるを得なかった。

 

(何なんだよ……何なの、あいつ……)

 

 それと同時に、また別の恐怖と困惑が蘇ってくる。

 

(ほむら……突然変身して、戦って……そうしたら何か、目の前が……爆発して)

 

 突如殺意を露わにしたほむら。

 そしてその戦い方は、熾烈なものであった。

 

(どうにか戦おうとしたけど、まるでダメだった……近づけば隙があるとか、そんなもんじゃない。ほむらがアタシを吹き飛ばして、ほむらが近づいて、またアタシを吹き飛ばす……ダメだ。何やってるのか意味分からないけど、勝てる気がしない)

 

 不条理なまでに唐突な爆発。そして近接戦闘能力の高さ。

 杏子は自分をかなり強い魔法少女だと認識していたしその自負もあったが、それでも一切の勝ち目を見失う程度には、ほむらに対する圧倒的な力の差を感じていた。

 

 そして、何よりも。

 

(……何だよ、アタシが一体何をしたってんだよ……! あの目、アタシをマジで殺しにきてる目じゃねえかよ……!)

 

 親しみを感じていたはずの相手から発せられる脈絡のない敵意こそが、杏子にとって最も恐ろしいものだった。

 

 

 

「――少し歩き過ぎてわかったけど」

 

 

 ゴミ山のすぐそばで、凛とした声が響く。

 

 

「そこだけ、腐臭が掘り返されたような匂いがするのよね」

 

 杏子が失態を悟り、本能的に身を竦めたその瞬間。

 

 再び赤い爆風が闇夜に炸裂し、ゴミ山を蹴散らした。

 

 

 

 

 

「よく飛んだわ」

 

 爆風を操りながら、工場の外までやってきた。

 もちろん、杏子を吹き飛ばしながら。

 

 彼女はまだ生きているのかしらね。それとも既に死んでいるのかしら。

 まぁどちらでもいいんだけど。

 

 ……それにしても、ガソリンの爆発と時間停止の組み合わせ、ね。

 面倒なものだけど、悪くはない。これはこれで、便利なものだと実感できた。

 

 とても有意義な時間だったわ。

 敵を嬲りながら新たな発見をするなんて、なんて建設的なのかしら。

 

「あがッ……はぁ……はっ……」

 

 あら、まだ生きていたの。

 

「惨めな姿ね、佐倉杏子」

 

 結局、工場脇の薄汚い水辺の近くまでやって来てしまった。

 ここまで爆風で煽られても生きているのだから、魔法少女というのは本当に頑丈な生き物なのね。

 

 ……川は、そうね。いい感じに汚れている。

 それに。今の季節はまだ気温は暖かい方だけど、水の中はさぞ冷たいのでしょうね。

 

「なん、で……? ほむら……」

 

 杏子が捨てられた子犬のような目で私を見上げ、媚びるような声を上げた。

 

「気安く呼ばないで頂戴」

 

 何様のつもりなのかしらね。

 

 

 *tick*

 

 

 薄汚い害虫め。

 

 

 *tack*

 

 

 空気が瞬間のうちに燃焼し、爆発する。

 

「ッぐぁ……!」

 

 それはごくごく小さな爆発ではあったが、杏子を川に突き落とすには十分な威力だった。

 彼女はさほど深くもないであろう濁った川に沈んで、見えなくなった。

 

「……」

 

 静かに波紋を広げる薄汚い色の水面には、杏子の姿は見えない。

 どうやらもう、這い上がる力も残されてはいなかったようだ。

 

「……ふっ。しぶとい野良犬も、これで死んだわね」

 

 愚か者の死を想い、小さく嘲り笑う。

 

 

 

 ……なんて。

 私は、そんな中途半端に終わらせる女じゃない。

 

「川に逃げ込んだ野良犬ほど、いつか這い上がって噛みつくものよね?」

 

 口元が歪む。

 私がこのくらいで終わらせるはずがない。

 

 そう、やるならとことんやる。

 溺死なんて甘すぎる。

 それだけで終わりなんてありえない。

 この私が、自身の手で葬ってあげるわ。

 

「さあ、杏子! 終わりにしてあげ……!」

 

 盾の中から手榴弾を取り出す。

 

「……」

 

 しかし、それは手榴弾ではなかった。

 ただの安っぽい缶コーヒーだった。

 

 ……そうだった。この私は、いつもなら絶対に取っておくはずの物を回収していないのだった。

 手榴弾が一個も無いだなんて。

 

 

「……水の中で爆死。……良いと思ったのだけれど」

 

 缶コーヒーでは爆発などしない。……盾の中に無駄なものが多すぎる。

 

「いっそ、ガソリンを撒いて殺そうかしら……」

 

 着火すれば可能だろう。

 しかし、多めに使うにはもったいないか。

 けれどここで派手にやっておかないと、私の気が済まない……。

 

 ああ、なんとかして手早く、気前よくやってしまわなければならないのに。

 血祭りにあげて、処刑して……いいえ、でも……。

 

 

「……ふん。ま……時間の無駄ね、どうせ死んでいるわ」

 

 既に左手のソウルジェムも限界に近い。これ以上は私の身が危険だ。

 

「寝ましょう……杏子はもう居ない。これで、安心して休めるわ。ふふ」

 

 私はせめてもの手向けに、川へ缶コーヒーを投げ込んでやった。

 彼女の安っぽい嗜好ならば、これくらいがお似合いだろう。

 

「……」

 

 私は自分のアパートへ歩き始めた。

 早くグリーフシードを使って、ジェムを浄化しないといけない。

 

 

 

 

 

(身体中が、痛い。これ、全部……火傷なのか)

 

 水流に押されるがままに、杏子は揺蕩っていた。

 

(顔もとんでもなく……痛い。……息が苦しいのが、気にならねえ)

 

 泳ぐだけの力は無い。

 

(……水が、染みる。……胸糞悪い感覚が、傷口からも入って来る)

 

 気力もない。

 

(ああ、町の水って……こんなに、汚れてるんだな。そりゃあ、みんなの心が荒んでるわけだよな……)

 

 残ったのは、言い表すことのできない困惑と、悲しみだった。

 

(ほむら……アタシ、そんなつもりはないのに)

 

 頭はうまく回転しない。

 それでもなんとなく、この惨劇は、鹿目まどかへの勧誘に関わっているらしいことは、杏子も感じ取れていた。

 

(……ねえ、アタシのやってきたことって、そんなに悪い事だったの……? 教えてよ……マミ……ほむ、ら……)

 

 少しでも仲良くしたかった。

 奇跡的に結ばれた縁を、か細く出来上がってしまったつながりを、失いたくなかった。

 

 そのためにやってきたことが、こんな結果を生んでしまったのか。

 杏子にはわからなかったし、やがて水の中で、思考する力も失われていった。

 

 

 

 

「……ん? え?えっ!?」

 

 川の中に流れる、一見すると大きなゴミのような異物。

 それを見つけ、正確に把握したのは、美樹さやかだった。

 

「ちょっと、嘘でしょ……!」

 

 焼け焦げ、深く傷ついたその人物には見覚えがある。

 良い印象はない。むしろ悪い印象しか持てないような相手だった。

 

「……く、……いや、それでも助けなきゃ!」

 

 それでも、さやかは正義感の強い女の子だったのである。

 

 

 


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