さやかとまどかは病院に。マミは杏子の様子を見に。私は隣町へ柴刈りに。
各々に個人の目的はあるし、役割がある。
私達がチームとして、仲間として、そして友人としてできることは、互いのために貢献することと、何よりお互いを尊重することだ。
そのためにも、私はグリーフシードを集めなければならない。
心の余裕を解決してくれるのは、いつだって現金な代物なのである。
「やあ、ほむら」
「やあ」
ソウルジェムを手の中で転がしながら歩いていると、無表情な白猫がちょっかいを出してきた。
白猫は隣の石柵の上を器用に歩き、私の歩きに合わせてついてくる。
「杏子の様子がおかしいんだけど、君がやったんじゃないだろうね」
「いきなり酷い事を言うな君は」
そして初っ端からこれである。
最近マミから嫌われているのも納得な失礼さだ。
「今朝、杏子に会った時に君の名前を呟いていたからね」
「私は何もしていないつもりなんだが……」
「本当に?」
「随分疑うな……昨日はそもそも杏子に会わなかったし、本当に心当たりがないんだよ」
私以外の皆は会ったらしいけどさ。
「それに、昨日までの事も、杏子を豹変させるほどではないだろうし……」
「君にもわからないみたいだね」
「生憎とね」
私が心の機微に聡くないがために、また変なすれ違いを起こしていた……なんてことも考えられるけれども。
しかしそんなことを疑っていたのでは、キリがないしな。
「む」
悩んでいる最中に、手元のソウルジェムが煌めいた。
わずかだったが、確かな紫の鼓動だ。見逃す手はないだろう。
私の質の悪い索敵能力が反応したということは、近くに魔女がいるということなのだから。
「さて、どうやら魔女がいたらしい。狩ってくるよ」
「頑張ってね、ほむら」
「ふふ、君も私を応援してくれるの?」
「もちろんさ。魔法少女をサポートするのは僕の役目だしね」
「はは、どこまでが本当なのやら」
正直嘘っぽいと思う。嘘ではないにしても、胡散臭いが先にくるのが、このキュゥべえなのだ。
赤い目の奥には何も見えない。彼の考えていることは、私にはわからない。
そう。
彼は、私たちとは……。
私、とは――。
――……。
「―――――……」
「? どうしたのほむら? 立ち止まって」
「――ふふ。なんでもないわよ、キュゥべえ」
*tick*
*tack*
「! 暁美ほむらが消えた。……どういうことだろう」
「――ふう」
この演奏は、上条恭介が怪我から復帰してから、人前では初めてのものだった。
演奏会というほどの規模ではない。たった二人の少女の前で聞かせる、ちょっとしたお披露目のようなものである。
それでも、上条恭介はその演奏に満足していたし、数少ない二人の観客も、大げさなくらいに感動してくれている様子であった。
特に、これまで幾度となく彼の見舞いに訪れていた美樹さやかなどは、涙をこぼしそうなくらいに。
「おめでとう、恭介。……やっぱ、良かったよ、うんっ」
「おめでとう。うん、とっても綺麗な演奏だった……良かったね上条くん」
「! ……ありがとう、みんな」
屋上で音を控えめにした、全力を出し切ったとはいえない演奏だった。
それでも後を引く余韻は、昔の楽しく音楽に打ち込んでいた時期を思い出すようであった。
「なあに、恭介が諦めなかったから、天も味方してくれたんだよ」
「……はは、そう、なのかな」
「きっとそうだよ、てぃひひ……」
恭介は曖昧そうに笑う。
実際のところ、彼の怪我が完治した理由は、全く明らかになっていない。
病院側も、唐突に感覚を取り戻したこの症例には強い興味を惹かれながらも、一切要因を突き止めるに至らなかったのだ。
さじを投げた医者は、期待と困惑の入り交じる恭介の前でさえ、そう言うしかなかった。“まるで魔法だ”と。
「……じゃ、私はそろそろ行かないと」
「さやかちゃん、もう良いの?」
「こんくらいが丁度良いんだよ」
明るさを取り戻しつつある上条恭介からは、それまでの荒れた様子は見られない。
きっと居心地は良いだろう。
だが、ここだけがさやかの居場所ではない。
さやかの固めた覚悟は、彼の隣に居続けることとは、また別のものでもあるのだから。
「……これ以上ここにいたら、離れたくなくなっちゃうしね」
「……」
魔女と戦う。町の人々を魔女の手から守る。
そのためには、息抜きばかりしてもいられないのだ。
「暗い顔すんなって! うりうりー」
「あう、痛いよう」
「さやか、帰るのかい?」
「うん、脚の方はまだみたいだけど……お大事にね」
「……うん。ありがとう、さやか」
「へへ」
二人は病室を出て、エレベーターに乗り込んだ。
これから、もう何度もここを訪れることもないのだろう。
ガラス張りの向こうには、見滝原の近代的な町並みが遠くまで広がっている。
「これで、私には何の悔いもない」
「悔い?」
「ううん、悔いとかそういうのじゃないか。これからの私が、悔いのない生き方をしていかなきゃいけないんだ」
後には引けない。覚悟は決めた。
恭介の腕は治った。ならば後は……正義のために生きるだけ。
「……杏子の様子、見に行こっか」
「うんっ」
外の景色を眺めるさやかの後ろ姿は、まどかにとってどこか力強さを感じさせるものだった。
「えっと……あった、ここね。このマンションが美樹さんの……間違いないわ」
巴マミは、さやかから聞いた住所を元に、現地を訪れていた。
美樹さやかとその家族が暮らすマンションである。
「つまり、ここでテレパシーを使えば……きっと」
マミは目を閉じ、軽く思念を放出してみた。
『……佐倉さん、聞こえる?』
『!!』
軽く語りかけると、言葉は無いにせよ、反応はあった。
その僅かなリアクションは、探知に優れたマミだからこそ聞き取れたものだったのかもしれない。
(……言葉ではないけど、思念の反応があったわね)
少なくともマミは、昔は一緒に戦っていた彼女の魔力を、今でもしっかりと覚えている。
『居るのね? 佐倉さん』
『……ま、マミ?』
高い位置から、おずおずとした声が返ってきた。
『そう。私よ、佐倉さん』
『……マミは、さやかの仲間か?』
『どういうこと?』
『美樹さやかっていう奴の、仲間なのかって聞いてるんだ』
『え、ええそうだけど……どうして』
『……304号室。誰もいないけど、開け方知らないから……窓から入ってくれ』
『……わかったわ』
それを最後に、テレパシーは途絶える。
マミは以前とは違う弱々しい杏子の様子に違和感を覚えたが、部屋の目と鼻の先で考えるのは時間の無駄だろうと判断し、建物を見上げた。
(……あの身覚えのあるパーカーが掛かっている部屋ね。じゃあ早速変身して……っと)
黄色い輝きに包まれ、マミの魔法少女姿が顕になる。
マミとしてはあまり気は進まなかったが、ベランダや窓から侵入するのだ。
さやかも両親に内緒で匿っているということだし、本人不在の部屋に理由なく堂々と上がれるはずもない。
(あそこなら一蹴りでいけるはず……っとう!)
マミは文字通りひとっ飛びで窓まで跳んだ。
魔法少女にとっては、特別難しい技術でもない。
『佐倉さん、ガラス戸を開けてもらえる?』
『鍵は掛かってない』
『……ええ、わかったわ』
軽い音を立てて、窓が開く。
すると、中には既に杏子が立っており。
彼女はあろうことか、その手に槍を構えていた。
「! ちょ、ちょっと佐倉さん、槍なんて構えて、どういうつもり!?」
「……巴、マミだな」
「そ、そうよ? どうしたの……部屋の隅で、そんな……それじゃまるで」
何かに怯えているような。
野生動物のような刺々しい杏子の気配に、いよいよマミも異常を覚え始める。
「……ほむらは、居ない?」
「暁美さん……? 暁美さんなら今日は、魔女退治に……」
「……?」
杏子の目は、マミの背後の窓を探るように動いている。
「と、とりあえずその槍を下ろしてもらえると嬉しいのだけど……」
「……わかった」
特に目の前のマミに脅威は無いと判断したのだろう。
杏子は素直に武器を下ろし、ベッドの上に座り込んだ。
「……変身は解かないの?」
「……このままでいい」
「そう……」
「……」
沈黙が訪れる。杏子は何を語るでもなく視線を部屋の隅に落としているし、マミとしては今の彼女に、どういった切り口から声をかけていいのか解らなかった。
「なあ、マミ」
「え?」
先に会話を切り出したのは意外にも杏子からであった。
「アタシって……酷い奴なのかな」
「……それは、魔法少女として?」
「……いや、全部かな」
「全部、難しいわね」
マミは杏子の隣に腰を下ろし、しばらく天井を見上げて唸る。
「……そうね、私も佐倉さんの事、詳しく知っているわけではないけど……魔法少女としては、理想ではないかもしれないわね」
「……そうか。だろうな」
「でも勘違いしないでね、佐倉さん。……私は、貴女のことを嫌いになった事なんて一度もないのよ」
「え。……本当?」
「ええ、もちろん」
それは確かにマミの偽らざる本心であった。
「あれから長い月日が流れて……私の考え方は変わったのかしらね。魔法少女としての信念を、理想を盲信して、がむしゃらに戦っていた時期もあったけど……けど、まだまだ私は何も知らなくて……現実の壁にぶつかって、私の中の正義がいかに脆い土の上に建っていたのかを知った、のかしら」
魔女との戦闘経験では、そこらの魔法少女に負ける気はしない。
それでも、無知であったとは思う。今にしてみれば、という但し書きはつくのだが。
「佐倉さんの事も……多少は受け入れられるかもしれないわね? 私には私なりの、やっぱり、堅い正義があるのだけど、ふふ」
「……! マミ、変わったな」
「ふふ、変えてくれた人がいたから、かしらね?」
「変えてくれた、人……」
「ええ……彼女がいなければ、私はずっと浮ついた正義の上で戦ってたと思う」
マミは微笑みながら、確かに優しく言った。
「暁美さんのおかげよ」
だが、杏子はその言葉を起爆剤に、再び心を揺さぶられた。
「あ、あいつ……ほむら!」
「ん?」
「マミ……ああ、そうだ、ほむらだ……」
「……一体どうしたの、佐倉さん。美樹さんから聞いた話では、暁美さんの事を気にしているらしいけど……」
「な、なあマミ、どうしてほむらはあんなに怒ってるんだよ?」
杏子がマミの肩を掴み、縋るような表情で問いかける。
マミはその豹変ぶりと不可解さに戸惑うばかりだった。
「暁美さんが、怒ってる?」
「アタシ、生まれて初めてだよ、あんな激しい怒りを買った事なんて……! アタシって、そんなに悪い人間なのか!?」
「ちょ、ちょっと落ちついて、何があったの……」
「あいつは、ほむらは……!」
『――巴マミ、もう着いているのかしら』
二人の脳裏に、冷涼な声のテレパシーが届いた。
「……~!! ぁ、ぅああぁ……!」
テレパシーが届くのだ。
距離はそう遠くはないだろう。
「あら、暁美さんのテレパシーね……その話も含めて、彼女を中に入れましょうか」
「だ、駄目! 絶対に駄目だ!」
「何よ、確かに彼女はちょっと変わってはいるけど……」
「次に会ったら……今度こそ殺される!」
「……え」
涙混じりに訴えかける杏子の声には、確かな感情が込められていて。
『――……巴マミ、居ないの? じゃあ、佐倉杏子、あなたは居るのかしら』
テレパシーで響くほむらの声は、いつもよりもずっと無感情に聞こえた。
「……暁美、さん?」
「うぁあ……! に、逃げないと、とにかくあいつから逃げないと……!」
「……なんだか、様子がおかしいわ」
杏子だけではない。
自分をフルネームで呼びかけ、何より異なる雰囲気を纏ったその声は、マミを警戒させるに十分なものだった。
『――返事がないなら、強引にでも入らせてもらうわよ』