「……」
目を醒ますと、そこは暗闇の中だった。
とても窮屈で、とても温かい中だった。
まるで、何かで柔らかく拘束されているかのような……。
「んんっ……なんだ、ここは……」
身体に纏わるものを退けるように、身を捩って這い出る。
「……え?」
「にゃぁ……」
すると、目の前にワトソンがいた。
ここは私の部屋の中だったのだ。
「ええ?」
そして、私は身体に毛布を巻き付けていた。
自室の床の上で。なんとも奇妙な格好で眠っていたのである。
「……」
昨日も、寝た覚えは無い。
最後の記憶は、ええと、確か魔女を狩ろうとして、それで……。
「……痛っ」
保留のできない思考は、しかしそれよりも衝撃ある腕の痛みによって阻害された。
毛布のまとわりつく左腕が、鋭い痛みを訴えていたのだ。
「……何だ、これは……」
見やると、私の左腕には無数の裂傷が刻まれていた。
多くの傷は意味ありげに交わり、連なり、言葉を形成している。
私の見間違えでなければ、それはこう読めるのだ。
“杏子をころせ マ女をころせ コドクになれ”
「――」
血液が逆流する。
身体中の血の気が引くという意味が、理解できた瞬間だった
「~~!」
文字を理解すると共に、言い知れぬ恐怖に駆られた私は反射的に腕へ治癒魔法をかけた。
皮膚の表面だけを掻きむしった浅い傷は瞬時に治ったが、頭に焼きついた文字が消えることはない。
「……」
無傷に戻った左腕を見て、安堵か落胆かのため息をひとつ。
そして、顔に手を当て、項垂れた。
「ついに、この時が来てしまったのか」
これは、心の隅で予感していた未来の一つ。
来てほしくはなかった、悪い未来の一つだった。
「“私の前の人格が戻り……私は暁美ほむらに乗っ取られる”。……そういうパターンというわけか」
私としての自我が消え失せ、奥底に眠っていた暁美ほむらの記憶が私の体を再ジャックする。
同化するでも、段々と昔の性格が戻るわけでもない。完全な別人格による、乗っ取りだ。
気付け無いはずもない。予兆やヒントは、それこそ目を背けたくなるくらい沢山配置されていた。
私の記憶は、二日前から曖昧になっていたし、曖昧になる間隔も次第に広がっていた。
私が私として活動しない時間が消え、空白の時間が伸びてゆく。
そしてこの、腕に刻まれていた文字だ。もはや知らんぷりできるラインを大きく逸していた。
……私は、いずれどうなってしまうのだろう。
「私は、消えてしまうのか……?」
既に半分ほど濁ったソウルジェムを、震える手で握り締める。
「消えたくはない……」
傍らのワトソンには目もくれず、私はテーブルの上を漁る。
邪魔な小物を退け、アイデアを描き殴ったばらのルーズリーフを押しやり、そして一か所に固められたグリーフシードを手に取った。
「……」
数は減っていない。
だがこのうちの二個がほぼ九割近くまで穢れをためており、使えない状態になっていた。
……私自身が使った記憶は、ない。
……“暁美ほむら”が使ったのだ。
半日で、二つも。
どんな魔力の使い方をすれば二個も減るのか……という疑問は、すぐに“何に魔力を使ったのか”という疑問に変わった。
“杏子をころせ”。
「……何があったんだ」
私に託された、“杏子を殺せ”というメッセージ。
魔女を殺せ。それだけはわかる。だが何故杏子を殺さなければならないのだ。
孤独になれとはどういうことだ?
暁美ほむらは私を恨んでいるのか? 憎んでいるのか?
それともやはり、暁美ほむら、君はそういう人間だというのか。
かつてのように魔法少女を殺し、街を破壊し尽くす幽鬼だというのか。
「この私に、そうなれとでも言うのか。君は」
私よ。そんな暁美ほむらを受け入れろというのか。
不明瞭な謎に、悪寒が走る。
残された杏子を殺せというメッセージ。
減りに減った魔力。
これが示すものは何だ。
魔法少女を狩る暁美ほむらの、血みどろの戦い。
メッセージを見るに杏子はまだ死んでいないのだろう。
だが、私が狙うのは杏子だけか?
私の殺人は杏子だけに留まるのか?
――この毒牙は、マミやさやかにも向けられるのではないか。
「~~ワトソンッ! 留守を頼む!」
「に」
返事を待たずに、私は部屋を飛び出した。
制服姿のままで、路地を駆ける。
鞄など持たない。だが、手ぶらででも、学校に行かなくてはならなかった。
昨日、私の意識は長い時間失われていた。つまり、もうひとりの私……暁美ほむらが、身体を乗っ取っていたということだ。
消耗したソウルジェム。腕に刻まれた言葉……。
何をしていたのかを覚えては居ない。だが、ロクなことではなかったのは間違いないだろう。
私が昨日何をしていようとも、マミとさやかの安否を確認しなくてはならない。
彼女らに邪険にされようとも、撃たれようとも、二人の無事を見届けなくては。
――そして、私は今更に、告げなくてはならないのだ。
私が、記憶を失った人間であるという事を。
何故私は今まで告白しなかったのか。
変に格好つけて、挙句こうして状況を悪くさせた。
なんとも馬鹿けた話だ。
「格好悪い……クソ、ああもうっ!」
格好悪い。マヌケめ。
私は焦燥感と苛立ちに駆られ、魔法少女の姿となって学校へ急いだ。