告白しよう。私が私であるうちに。
そう長くないうちに語り終えているだろう。
暁美ほむらという名の私の、短い短い人生譚は。
「私が、私の名を暁美ほむらであると知ったのはつい数週間前……見滝原中学に転校する以前、病院でのことだった」
「……?」
「?」
「えっ……と?」
出だしから、三人共不可解そうな顔をしているね。
まぁ、今はそれでも構わない。
なにせ私自身だって、最初は何もわからなかったのだから。
「私が目を醒ましたその日は晴れだった。カーテンが揺れ、窓の外も中も、全て静かだった」
白い部屋。白い頭。
寝起きはあまり良くなかったが、見渡した辺りは清々しい環境だったのを覚えている。
「まず最初に認識できたことは、私が魔法少女であるという事実だった」
ソウルジェムの正体。そして私達の原理。
「魔女を倒すのが魔法少女。いずれ魔女になるのが、魔法少女……」
私は最初から、それだけは知っていた。
が……。
「まずは、それだけ」
他には何もない。
「目覚めた私は、自分の名前すら知らなかったのさ」
「え……?」
「まるで物語の主人公のようだろう。記憶喪失だよ」
「記憶喪失?」
怪訝そうなさやかに、私は頷いた。
「私が私を“暁美ほむら”という名前だと知ったのは、病室を出て扉の横のプレートを見てからだ。面白いだろう。私は自分の名前も覚えていなかったんだ」
「どういうこと……?」
マミも、ちょっとついていけてないか。
私としては出だしがこうだっただけに、他に言いようもないのだけど。
「……私は、自分が魔法少女であるということ以外、全てを忘れていた。自分でも戸惑ったよ……起きたらベッドの上で治療を受ける身で、そして記憶喪失だったのだから」
霧のように立ち込める不安。
一年前の昼食の献立を思い出そうとする無謀にも似た、記憶を深追いすることへの強い徒労感。
親はいない。友達もいない。わからない。なにもない……。
「……私は、最初はただ、唯一覚えている“魔法少女”のシステムに従い……魔女を倒す者として動くしかなかったんだよ」
この不安に共感してくれとは言わない。共有してほしいとも思わない。
今はいいのだ。ただ、私がそうしたという事実を、信じてくれるだけで構わない。
「魔女を倒し、グリーフシードに余裕が生まれるにつれて、私は自分の記憶を取り戻す努力を考えるようになった」
魔女狩りは幸いにして難しいものではなかった。
時間停止魔法は非常に強力であったし、闘いの勘とでも言うべきか、そういったものも備わっていたから。
もし私が戦闘の感覚まで忘れ去っていたとしたら、きっと一週間も経たずにのたれ死んでいたに違いない。
だが幸いにして力はあったのだ。
グリーフシードは有り余るほどに自給できたし、おかげで私は文明的な余暇を手に入れたわけである。
時間があれば、自分探しができる。
生存はできても、自分の来歴が一切不明というのはあまりにも不安だ。そういった行動に流れるのはごく当然のことであろう。
「さて、以前の私は何者であったか……顔つきや髪型から、陰湿で根暗な女であろうとはなんとなく予想はついていた」
「根暗って……」
「根暗さ。目覚めた時の私は酷い顔だったとも。地味で、それゆえ気の弱い、どうしようもなさそうなタイプの女だ」
「そんな、暁美さん」
「ま、今はそれは良いさ。事実だもの」
手をひらひらと振り、無用な擁護を払う。
卑下する私をフォローしようとしてくれる皆の好意は嬉しいが、それは私ではない。
「……まあ、以前の暁美ほむらが何者であろうとね。何の信念も無かった私はとにかく、以前は……きっと、何かしらの志があったはずだからさ。だから私は、魔法少女である私の祈りの為に、そのために生きることにしたんだ」
知らない自分。とはいえ、それは他人ではない。あくまでも自分自身だ。
感覚としてはまるきり他人事ではあるけれど、安易に切り捨てるには後が怖い。
私の願いを成就させること。守ること。それは私にとって切り離せないものだった。
そのために、私の願望を突き止めることこそが急務だったのは言うまでもないだろう。
「だが私の祈りとはなんだろう? 私の願いは? 目的は? 幸せとは……」
人には必ず願望がある。願いがある。
だがそれは大抵の場合、人の内に秘められているものである。
自分の夢や目標を手帳に書き留める者は皆無ではないとはいえ、そう多くもない。
語らぬ私の願い。それは、推理する他に突き止めようもなかった。
ゆえに。
「変身した姿から、私は予測を立てることにしたわけだ。そして、思い当たった私の願いとは……」
「……暁美さんの……」
「願い……」
「……それで、ほむら。願いって……?」
三人が息を呑む。
「――それが、マジシャンだった」
(……?)
(え?)
(……ん?)
「変身した自分の姿を見て常々思っていた……そう、私の姿はマジシャンに似ているとね」
少し観察してみれば理解できることであった。
服だってちょっと燕尾服っぽいし、全体的にマジシャンという感じがするのだからね。
それに加えて時間停止魔法である。まさにマジシャンをやるために備わった能力ではないか。
「ハットとステッキを独自に購入してセットにしてみると、どうだ。すぐさま私の勘は正しかったのだと証明されたようだったよ。疑いようもなかったね。その姿はまさにマジシャン」
「あ、あのちょっと、暁美さん」
「……何だい」
「……いつもつけている帽子と、ステッキって、魔法で作ったものではないの?」
「違うよ、見た目で選んで買ったやつだ」
「……そう」
マミたちが何かものすごく言いたそうな顔をしているが、特に質問がないなら続けよう。
「私はマジシャンだった。そうに違いない……そう思った私は、その日からマジックを始めた」
「……そ、そうなんだね……」
「マジックなど最初から覚えてはいなかったが、それでも新たに練習して覚えたよ。やっているうちに、私の記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないからね」
「そ、それで……?」
「うん。私はマジックを始めた。そして……学校に通いはじめ、皆と出会い、色々な事を経験して……」
たくさんのクラスメイト。
友人との遊び。帰り道。何気ない会話……。
「……ふふ。すごく楽しかった」
「……!」
まどか、驚くところじゃないよ。
「いや、本当に。毎日が楽しくてね……マジックはいまいち、私の記憶に関わるようなものではなかったみたいでさ……ちっとも成果はなかったけどさ。それも、やっていくうちに楽しくなって……ひとつの趣味として続けるようになったよ」
一時期は記憶が刺激されたこともあったのだが、ピンとくるほどではなかった。
それでも、私にとっては趣味の一つとして定着した。“かつての私とは関係ない”と捨てるには、あまりにも惜しいものだったから。
「学校の友達も、面白い人が多くて……」
みんな優しい。みんな良くしてくれる。
私がそこにいる。それは、記憶がないのだから当然とはいえ、初めての体験だった。
「……でもその頃だったんだ。私が、不可思議な夢を見るようになったのは」
「夢……?」
「……嫌な夢さ。無駄にリアルで、暗いイメージの夢」
思わず表情も歪んでしまう。
自分で思い出したくもない、陰惨な夢だ。
「いつかの時には、魔法少女のソウルジェムを銃で撃ち抜き。暗いどこかで、何者かに引導を渡そうと手を伸ばし。路地裏に追い詰めた誰かを虐殺し続け……」
「……私と鹿目さんが見たのって、もしかして……」
「そう、きっとそれは、私の夢で見たものと同様の記憶だよ」
本当、あの夢にはうんざりさせられる。
起きる度に見なかったことにしていたが……それにも限界はやってきた。
ままならないものだ。あれさえなければ……いや、今はいい。
「……陰惨で意味ありげな夢を毎晩のように見る度に、私は暁美ほむらというものに疑念を抱くようになった」
当然のことだ。明らかに自分が人殺しをしているような現場を夢に見るのだ。
夢分析を信じていない常人だって、自身の正気や深層心理を疑うだろうさ。
「……以前の私は一体何をしていたのか?」
きっとろくなものではない。
「……私は、次第に暁美ほむらの事を忘れ去ろうと考えるようになっていった」
過去を思い出そうと努力するのはやめよう。
これからは、未来のことだけを考えて生きていこう。
あるいは、何かしらのトラブルでふと昔の記憶が蘇ったとしても、自分に誇れるような自分になろう。
そういった考えにシフトしたのは自然なことだったし、文句をつけられるものではない。
「だから私は、暁美ほむらのためならばと考えてね。なるべく正義に寄り添い、いつ記憶が戻っても大丈夫なように、純然たる普通の女子中学生として過ごしてきたわけだよ。それが今の私さ」
「……」
「……」
「……」
何故みんな複雑そうな顔をする?
「ああ……その頃には杏子とも、夜のゲーセンで会うようになってね。……彼女とはよく夜通し、ゲームをしたものだよ」
「佐倉さんと?」
「じゃあ杏子のことは、結構前から……?」
「ああ、杏子とは……そうだ、杏子は無事か?」
「……うん」
まどかは少し悲しそうな顔で、それでも頷いてくれた。
「……そっか」
心の底から安堵する。杏子に関しては腕の傷のこともあって不安だったが、良かった。
誰も死んではいない。ならば間に合ったということだろう。
本当に良かった。
「“暁美ほむら”は忘れ去り、私は暁美ほむらとして、私自身で新たな人生を生きることに決めた」
まどかや仁美たち、学校の友達と過ごして。
マミと、さやかと共に、魔法少女として生きて。
「杏子とも、……そりゃあ考え方の違いだってあったし、衝突もしたけど、彼女ともいつかは仲直りしたかったし……それで、また遊ぶようになればと……私は……そんな日々が、ずっと続くと思っていたのになぁ」
やるせないことだ。
ソウルジェムが濁りそうになる話だ。
順風満帆といえた。
日々を生きている実感があった。
素晴らしい人達とも巡り会えた。
「でも」
だというのに。
「もう、私は駄目みたいなんだ」