虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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ほとんど煤になったもの

「ほむらにっ……手を出すなぁっ!」

 

 杏子がそこにいた。

 私を守るように、背を向けて。

 おかしなことを、全身全霊で叫びながら。

 

「佐倉、さん……!?」

「え!?」

 

 大きく咆えた杏子が、無茶苦茶に槍を振るってマミ達を遠ざける。

 まるで私を庇うかのように。

 

「杏子……!」

「ううううっ……ほむら、ほむらだよなっ!?」

「……ああ、私だよ、ほむらだよ」

「杏子だよ? わかるよな!? あたしのこと、殺したいわけじゃないんだよな!?」

 

 ……やめてくれよ、杏子。

 私だってね、必死に……自分の思いを押し殺して、決意を固めてたんだぞ。

 

「当たり前だ……! 友達を、殺すわけないだろ!」

 

 なのに……そんなこと言われたら。

 死ぬ決意が、揺らぐじゃないか。

 

「良かった……!」

 

 大粒の涙を流して、杏子は私を抱きしめた。

 

「ほむらぁ……」

「杏子……」

 

 普段の気丈な姿を繕うこともせず、小さな子供のように泣きじゃくる彼女。

 珍しい杏子の一面を見ることができた。

 

 ……けれど。

 

「杏子……駄目だ、離してくれ」

 

 後ろ髪を引かれているわけにはいかないのだ。

 

「……!」

 

 杏子は私を抱きしめたまま、頭をぶんぶんと振って抗議する。

 ポニーテールが顔に当たって痛い。

 

「……杏子……ほむらは……」

「杏子ちゃん……」

「今日はずっと隠れているって言ったのに……」

「うるせぇ……だって……あんなの聞かされて、黙って見てられるかよぉっ!」

「離してくれよ、杏子……私は、本当に時間がなくて……」

「知ってる! 全部知ってるよ! 聞いてたって言ったろ!」

「なら、頼むよ。“暁美ほむら”を野放しにはできないんだ。私のソウルジェムは、早急に砕かなくてはならないんだよ」

「馬鹿野郎! 諦めるんじゃねえよ!」

 

 濡れた吊り目が私を睨む。

 

「……マミ達からみんな聞いたよ、ほむらのことや、魔法少女のことも、みんな。……まどかを契約させちゃいけないってのは、そういうことなんだろ?」

「……そうだよ」

「なら、もう一人の方のほむらがあたしに殺意を抱いたのも頷ける気がするんだ」

「え?」

 

 何を頷けるというのか。

 

「ほむらじゃない方のあんたは、あたしだけに殺意を抱いていた。マミやさやかには手を出さなかったし、まどかにだって」

「……それは」

「つまり、あたしだけを殺したい理由が、ほむらにはあったんだ。……なら、説得できるかもしれないだろ……!」

「無茶だ! 暁美ほむらは危険で……」

「最悪の場合でも、まだ正義を持ってる理性のあるやつならさ……殺されるのは私だけで済む。だろ?」

「杏子、離せ! 本当に危険だぞ!」

「……嫌だ!」

 

 私の背に腕を回し、杏子は頑なに離そうとはしない。

 逃れられない。これでは、時を止めても無意味だ。

 周りの、力を借りるしか……。

 

「マミ、さやか、杏子を……!」

「……佐倉さん!」

 

 一番危険さを理解しているであろうマミが動いた。

 しかし。

 

「みんな助かるかもしれないんだぞ!?」

「!」

 

 その言葉で、止められる。

 

「ほむら一人だけを死なせるなんて、そんなの絶対に許さない!」

「!」

 

 頭痛がよぎる。

 意識が掠れてゆく。

 既視感が思考を塗りつぶしてゆく

 

 

 ――ひとりぼっちは――

 

 

「ぁ……あぁあっ……!」

 

 

 私の自意識が、肩を掴まれ、後ろへと追いやられる。

 そして、黒い靄のようなもう一人の私が前に出て……――。

 

 

 

「――……」

 

 

 

 

 暑い。

 佐倉杏子の体温が、早い鼓動が、小さな震えが、全身から私に伝わってくる。

 

 小さい身体。不意に強く抱きしめれば、そのまま折れてしまいそう。

 

「……ほむら?」

「……」

 

 あたたかい。

 人肌が心地良い。

 

 けれど、人は死ねば一日と経たずに常温に染まるのよ。

 

「……佐倉杏子」

「!」

 

 私の呼びかけに、マミは身構え、杏子は身体を大きく震わせて反応した。

 私の異変を感じ取ったのだろう。

 

 私が“暁美ほむら”に成り変わったことを。

 

「……ねえ佐倉杏子。私を説得すると、確かにそう言ったわね」

「……!」

 

 腕を杏子の背中から、うなじへと回す。

 すると、小刻みな震えは更に大きくなった。

 

「ほむら……!?」

「私は佐倉杏子に聞いているのよ、美樹さやか」

「! ほ、ほむらちゃん……」

 

 二人もようやく私の豹変ぶりに気付いた。

 

 

 ふふ。

 誰もが私を恐れている。

 

 それも、当然のことだけれど。

 

「ねえ、杏子。これ、私のソウルジェム……わかるわよね?」

「……」

 

 彼女からは見えないだろうけど、拾い上げた紫のソウルジェムをちらつかせて見せた。

 

「変身すれば、貴女を殺すことなんて訳ないわ。たとえ、この状態からでもね」

 

 もうひとりの私は無抵抗だったけれど、やりようはいくらでもある。

 

「……そうかい」

「へえ、貴女はそれでも良いと?」

「……ああ。いいよ」

「!」

 

 両肩を掴み、彼女の身体を無理やりに引き剥がす。

 

 私は、杏子の目を見なければならなかった。

 目を見て、杏子の心の真贋を見抜かなくてはならなかった。

 

「なぜ……そんなことを言うの?」

「……あたしは、ほむらからそうされるだけのことをしてきたし、もしかしたら、これからやっちまいそうにもなった」

「……!」

「それがいけなかったんだろ? ほむらにとっては……話聞いた後は、なんていうか……ちょっと、わかるんだよ」

 

 嘘をついていない目。

 純真で濁りの無い目。

 打算も何もない、佐倉杏子にあるまじき目をしている。

 

「だから、あたしを殺して、それで“ほむら”の気が済むなら……」

「ぁ……」

 

 やめて。

 

 そんな目で見ないで。

 

 私は、誰からも許されることなんてしていない。

 本当は、許される人間じゃないのは私の方なのに。

 

「いいよ。あたしを殺して」

「や、やめてぇええ!」

 

 堪え切れず、杏子の胸を突き飛ばした。

 

 勢いよく押された杏子は、静かに床に打ちつけられる。

 

「っ、たぁ……」

「……あ」

 

 痛そうな表情。

 でもなぜだろう。その表情がとても、静かで。

 まるで罰を受け入れているかのような、そんな。

 

「ぁ、な、なんでよ、なんで今、そん、そんなこと言うの」

 

 自分のソウルジェムを血が滲みそうなほど握り締める。

 

 二歩も、三歩も後ろに退く。

 

 距離を取りたかった。一刻も早く、杏子から離れたかった。

 

 でも杏子の穏やかな目線は、決して私を逃がさない。

 

「……殺さないのか? ほむら……」

「む、無理よ……いや……そんな」

 

 この杏子はもう、だめだ。

 私はもう、この杏子に手を上げることなんてできない。

 

 そんなことをしてしまえば、私の心は……!

 

「ぁあ……!」

 

 そして代わる代わるにやってくる、後悔の波。

 杏子への暴力。殺意への大きな後悔が、反動として襲ってくる。

 

 もう駄目だ。

 とても私は、彼女を見ることなどできない。

 

 この時間で、心を保つことなんて……――。

 

 

「――うわぁぁああぁあッ!」

 

 

 *tick*

 

 

 逃げないと。

 

 グリーフシードを集めないと。

 

 

 考えては駄目。

 

 考えては駄目……。

 

 


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