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「ほむらちゃん、ごめんね。私、魔法少女になる」
瓦礫が吹き荒ぶ空を背にして、最愛の彼女はそう告げた。
「まどか……そんな……」
鹿目まどか。私の、たった一人だけの、大切な友達。
「私、やっとわかったの……叶えたい願いごと見つけたの。だからそのために、この命を使うね」
「やめて!」
私は叫ぶ。
確かに、絶望的な状況だ。どうしようもない。そんなのわかりきっている。
ワルプルギスの夜は見滝原を壊し尽くしてしまったし、他の魔法少女だってみんな死んでしまった。
私自身も、今や時間停止も使えず、装備の殆どを失い、コンクリートの塊に足を囚われている。
詰みだ。何もかも。
けど、それでも、いけないのよ。
まどか、貴女が契約したのでは、何もかも……。
「それじゃあ……それじゃあ私は、何のために……」
何のために、今までやってきたというの。
私はただ、貴女だけを救いたかったのに。
「ごめん。ホントにごめん」
謝らないで。
どうして貴女は、私の差し伸べる手を弾いてしまうの。
「……これまでずっと、ずっとずっと、ほむらちゃんに守られて、望まれてきたから、今の私があるんだと思う」
お願いよ、まどか。
「ホントにごめん」
謝らないで。私に守らせて。
「そんな私が、やっと見つけ出した答えなの。信じて」
契約しては駄目。
貴女が……貴女がそう、私に懇願したの。
あの時のまどかだって、本物の貴女だったのよ?
「絶対に、今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」
「まどか……」
いけない。
無駄になる。
まどかはまた、魔女になる。
私はまた、まどかを守れずに終わってしまう。
「数多の世界の運命を束ね、因果の特異点となった君なら、どんな途方もない望みだろうと、叶えられるだろう」
嫌だ。
「本当だね?」
そんなの嫌だ。
「さあ、鹿目まどか――その魂を代価にして、君は何を願う?」
そんな未来、絶対に許さない。
「私……」
そんなの私の望む未来じゃない。
「はぁ……ふぅ……」
まどかの望んだ結末じゃない。
「全ての――」
それは、まどかの望んだ未来じゃない!
「うあああああああッ!」
左手のすぐそばに転がっていた石片を、思い切り投げる。
一番近くにあった、一番殺傷力のありそうな石。鈍器。ただそれだけのもの。
「きゅブっ」
「きゃっ!?」
でも、魔法少女の力ならそれだけでも十分。
まどかに契約を持ちかけようと目論むインキュベーターの顔面は、風船のように弾け散った。
「あ……ほ、ほむらちゃん?」
「はーっ……はーっ……!」
……させない。
この腕が一本だけしか動かなくなったとしても。
絶対に、まどかに契約はさせない。
「今は大事な時なんだ、邪魔しないでほしいな」
それでも、インキュベーターはしつこく現れる。
殺しても意味はない。連中は無限だ。
わかっている。
それでも私は、立ち止まるわけにはいかないのだ。
「さあ、まど――」
「ぁああぁああっ!」
再びの投擲。
石はインキュベーターに命中し、胴体を喰い破った。
「ほむらちゃん……」
「駄目よ……絶対に駄目……! まどか! どうしてわかってくれないの!?」
「わからないのはこっちの方だよ、暁美ほむら。契約するかしないかを決めるのは、当人次第だというのに」
「うるさい! 絶対にさせない! 絶対に!」
まどかに契約させてしまったら、終わるのだ。
それだけは阻止しなければならない。
どんな手段を用いてでも……!
「……ごめんね」
「!」
「ごめんね、ほむらちゃん……それでも私は……」
「やめて…!」
「さあ鹿目まどか、君の願いを……」
「やめて!」
盾を開き、ショットガンを取り出す。
先台を片手で、勢いだけでスライドさせて、白い悪魔へ合わせ、放つ。
「ひっ!」
大きな音と大きな反動と共に、インキュベーターは跡形もない肉片となって飛び散った。
「はぁ……!」
深い息と共に銃を降ろす。
……諦めない。絶対に。
私は何度だって、この銃であいつを撃ち抜いて見せる。
銃がなければ石で。石がなければ、地面を砕いて礫を作ってでも。
「まどか……お願い」
まどかを守れればいいの。
たったそれだけ。
私は、それだけが……まどかさえ無事であれば、良いのに。
優しすぎる彼女は、いつだってそれを受け入れてくれないのだ。
「……ほむらちゃん」
まどかは悲壮な顔をしている。
……いいえ、それよりかは、困ったような表情だった。
駄々をこねる私という子供を相手にして、困っているような、そんな。
「お願いよ、まどか……私に、守らせてよ……」
でも、子供でも……聞き分けがなくても……貴女の目にわがままに映っても、それでも良いの。
「……ほむらちゃん、」
貴女が生きてくれるなら――
「私の叶えたい願いはね、」
そこまで言って。
まどかは、私の視界から消えた。
「―――え」
そのかわりに視界に飛びこんできたのは、巨大な鉄骨をむき出しにした、鉄筋ビルの破片。
少し遅れてやってきた喧しい音は、がりがりと壁面を削りながら私の後方へと流れ去ってゆく。
「あ、あ……」
先程まで、まどかの立っていた場所には、大きな破壊の爪跡と。
――血だまり。
「ぁあぁああああぁああぁッ!」
まどかがいない。
まどかはどこにいった。
なんで? どうして、だってさっきまで、そこに。
私は手榴弾で脚を破砕し、彼女を探した。
「まどか……まどかぁっ……」
脚から血が流れ出る。そんなことはどうだっていい。脚なんてなくても生きていける。
まどか。まどかはどこ?
さっきまであっちに立っていたはずなのに。
「まどか! 急いで願い事を! まどか!」
「!」
性懲りもないインキュベーターの声が近くで響く。
感情が無いはずの奴の声は、ひどく切迫しているように聞こえた。
あっちにまどかがいるんだ。まどか。
「まどか! 何でも良い、願い事を! 自分の命でも、君ならなんだって叶えられるんだ!」
「……!」
いた。
奴に言い寄られる、血まみれの彼女が。
凄惨な姿だった。
灰色の破片はまどかの下半身をすり潰しており、腕は削がれ……。
さっきまで活き活きとしていたはずのまどかの顔には、半分皮膚が無かった。
「まどか……!」
酷い状態。それでも尚、自分たちのために勧誘を続けるインキュベーターの姿は、まさに悪魔と言う他ない。
「あ、ぁああ、まどか! まどかぁ! 起きて、起きてよ……!」
助けなければ。
まどかのもとに擦り寄って、彼女の肩を掴み、声をかける。治癒魔法もかける。
でも、彼女は反応を示さない。
口元がわずかに、開いたり、閉じたりするだけ。
けど。
「……、……」
「……っ!」
涙を湛える彼女の虚ろな目は、私には“無念”を示していているように見えた。
「……やれやれ、なんてことだ」
それが、最後だった。
まどかは、それきり動かなくなった。
「まど、か……」
強い意志をもっていた先程までの彼女の双眸が、光を宿していない。
汚らしい色をした血で汚れ、煤け、まどかは一瞬のうちに、死んでしまった。
「君の時間稼ぎも無駄ではなかったみたいだね、暁美ほむら……完敗だよ」
「っ!?」
思いもよらぬ言葉と、赤い目が私を刺す。
「まさか、あんな時間稼ぎで僕の契約を阻止するなんてね。……まさか、これも計画のうちだったというのかい?」
「ち、ちが、私は……」
「契約する前の鹿目まどかはただの少女……その時点で殺してしまえば、彼女は契約なんてできなくなる……さすがの僕も、魂を持たない死者とは契約はできないからね」
「私は殺してない、違う……! 違うの……そんなつもりじゃなかったの!」
嘘だ。私じゃない。ワルプルギスの流れ弾が。
「結果として鹿目まどかは死んだ。時間稼ぎをした君に殺されたようなものじゃないか」
「ぐぁ……あ……あぁ……」
違う。嘘よ。そんなの。
「やれやれ、せっかくワルプルギスの力を利用できると思ったのにな。まどかのような素質の魔法少女はもう居ないし」
「まどかぁあああぁああっ!」
もう。私は、もう立ち止まれない。
このまま死ぬことなんてできない。
魔女になんかなれない。
因果がなんだというの。関係ない。
もう止まれない。
まどかを。まどかを助けないと。
早くまどかを助けないと……!
砂時計が、反転する。