虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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繰り返す悪夢の終点

 

 

 ――――――

 

 

 

「あ……」

 

 自分でも驚くくらい情けない声をあげながら、私は目を醒ました。

 見上げる天井は、飽きるほどに繰り返した敗北の証。

 いつもの、陰鬱な病院のベッドの上だ。

 

 私はまた、過去へ。この時間に戻ったのだ。

 ……まどかとの出会いをやり直すために。

 

「あ、ぐぁ、あ……ああ……まどか……」

 

 手で顔を覆う。かつてない後悔と自責の念が胸を焼く。

 

 このまま、愚かな自分の手を噛み砕いてしまいたい。

 ……私はなんてことをしてしまったのだろう。

 

 私は今まで、まどかのためにとやってきた。

 同じ時間を繰り返し、巻き戻し。

 彼女を守るためと自分に言い張って、何度でも、何度でも。

 

 けれど、私の行為は正当化できるものなのだろうか。

 やっていることは結局、何度も何度も時間を巻き戻して、一人の少女の願いを否定し続けているだけなのに。

 失敗しては、彼女を殺し続けているだけなのに。

 

「ごめんね……ごめんね、まどか……ごめんね……!」

 

 最後の時。インキュベーターの言っていたことは、まさにその通りだ。

 

 あの時のまどかは。

 あの、まどかは……紛れもなく、この私が殺したようなものだ。

 

「……!」

 

 そこまで自責の念を渦巻かせて、気がついた。

 自分のソウルジェムが既に濁って、限界に近い事に。

 

「ぁああ! い、急がないとっ!」

 

 私は部屋を窓から抜け出し、ここから最も近い魔女のもとへと向かった。

 

 悔やむ暇すらない。

 グリーフシードを手に入れなくちゃ。

 

 

 

 それから、地獄の日々が始まった。

 

 やること自体は変わらない。

 まどかを契約させないこと。ワルプルギスを撃破するために準備を整えること。それこそが、この一ヶ月以内にクリアしなければならない最重要タスクであり、私の本懐だ。

 

 けれど、今回は違う。

 淡々と日々のノルマをこなそうとしても、毎晩の夢に、あの日のまどかが出てくるのだ。

 

 まどかの、死に際の虚ろな瞳が私に語りかけてくる。

 

 “どうして私を殺したの?”と。

 

 私はそのたびに、明け方前に汗だくで起き上がる。

 計画を無駄なく遂行するために設定していた目覚ましは三日も経たずに必要なくなった。

 どうせ、ろくに眠れやしないから。

 

 けれど。

 けれどまどかに会えば、きっと大丈夫。

 

 私はまた、まどかを守れる。

 今度こそ、きっとまどかを守ってみせる。

 もうあの時のような失敗はしない。まどかを殺したりなんかしない。

 貴女と出会い、貴女を守る。

 そこからまた、私の闘いが始まると信じて。

 

 ……そんな私のささやかな希望が辛うじて形を保っていたのは、学校での自己紹介の時までだった。

 

 

 

「じゃ、暁美さん、いらっしゃい」

 

 飽くほど繰り返した転校初日と、自己紹介。

 今回もまたいつものように、強い自分を演じれば良い。

 

 意識的に凛と歩き、教壇の前に立つ。

 

「うお、すげー美人!」

(え……? 嘘……まさか)

 

 変わることのないクラスメイトの顔ぶれ。

 こちらを見て少しだけ戸惑っているような、不安げなまどかの表情。

 

 生きている。まどかがちゃんと、そこにいて、生きている。

 

 ああ、まどか。

 

 まどか……。

 

「はい、それじゃあ自己紹介いってみよう」

 

 ……けれど、これは初対面。

 まずはあの子に、私の名前を知ってもらわなければ始まらない。

 

 さあ、始めましょう、まどか。

 私と貴女の、最初の出会いを。

 

「……暁美、ほむらです」

 

 あれ。おかしい。あれ……言葉の、歯切れが悪い。

 ちゃんと、ここではちゃんと、しっかりと、言わなくてはいけないのに。なのに。

 

「よろしく、お願……ッ!」

 

 突如、唐突な吐き気が私を襲った。

 堪らずに、私はその場にしゃがみ込む。

 

「暁美さん!?」

「っ……!!」

 

 先生の声が響く。目眩がする。吐きそう。気持ち悪い。苦しい……。

 

「だ、大丈夫……です」

 

 突然にせり上がってきた吐き気。軽い眩暈。反響するような頭痛。

 いえ、それだけではない。とにかく全身が痛い。全身が苦しい……。

 

「か、鹿目さん保健委員だったわよね? ごめんなさい、暁美さんを……」

 

 

 ああ、そうか。

 

 私の心はもう、あの目を見た時から。

 

 厄介な砂時計を抱えていたのだ。

 

 

 

 

 まどかの顔を直視できなかった。

 少しでも目を向けるだけで、あの時の、まどかの最期の顔を思い出してしまうのだ。

 

 あの、悔しそうな、無念そうな……私が作った、あの顔を。

 

「……」

「あ、暁美さん、大丈夫?」

 

 だから、保健室に向かう途中が一番の苦痛だった。

 

 体重の半分をまどかに預けつつも、私は目を開けることができない。

 もし手が空いていたならば、耳さえも塞ぎたいくらいだった。

 

「ごめん、なさい……」

「いいよ、私、保健委員だから……」

「本当に、ごめんなさい……」

「気にしなくていいって……」

 

 

 

 私はいつもと違う日々を過ごすことになる。

 

 インキュベーターを追いかけ回し、けれどまどかを極端に避けるという、矛盾した日々を。

 

 巴マミはインキュベーターの事もあって、私を敵視した。

 それに追従するように、巴マミを慕う美樹さやかも私に敵対的になった。

 当然の流れだ。二人の身近な人物が下す真っ当な評価は覆されるはずもない。

 

 まどかも、私を警戒するようになった。

 初日の保健室までの会話だけが、彼女が私にくれた唯一の親切心だった。

 

 

 

「……」

 

 三つの遺体を見下ろす。

 

 これも、いつかと似たようなものだった。

 

 巴マミを、相性の悪い魔女から裏で助けることはできた。

 しかし美樹さやかは魔女となり、それを知った巴マミは錯乱してまどかを撃った後、すぐに自決したらしい。

 

 寂れた橋の下では、三人の抜け殻が横たわっている。

 私が発見したのは、彼女たちの反応を見失ってから、二時間後のことだ。

 

 後手も後手。

 無能もいいところ。

 

 ……私はまた、まどかを守れなかった。

 今はまだ、ワルプルギスの夜が来るずっと前だというのに。

 

 

 

「……」

 

 いや。守れなかったのではない。

 私の遠まわしで、どっちつかずな行動が、結果としてまどかを死に導いたのだ。

 

 私がまどかを殺した。

 今回のまどかも。私が。

 

「……魔女、倒さないと」

 

 ワルプルギスの夜を迎えるまで、私は魔女を狩り、グリーフシードを集め続けた。

 次の過去に渡る前に、少しでもソウルジェムの品質を改善するために。

 

 火器を集める気にも、一人ワルプルギスの夜と相対することになるであろう杏子を助ける気にも、到底なれなかった。

 

 

 

 それから。

 私は、様々な世界を歩き続けた。

 かつてと同じように、まどかを守るために、世界を繰り返していった。

 

 けれど、どこかがおかしい。

 “打倒ワルプルギスの夜”を抱いていた自分を、遠くに感じてしまう。

 

 何度繰り返しても。何度時を遡っても。

 ワルプルギスの夜が来る前に、まどかが死んでしまうのだ。

 

 ある時は巴マミ、美樹さやからと一緒に魔女に殺されたり。

 ある時は魔女となった美樹さやかにより殺されたり。

 魔女が引き起こした集団自決に巻き込まれたり。

 ……勢い余った杏子に殺されたこともあった。

 

 時を歩くたびに、たくさんのまどかが死んだ。

 

 私が殺したのだ。

 

 私があまりにも、愚かで、無能で、弱かったから。

 

 あの時のまどかの空虚な目に怯え、心揺さぶられて。

 ……まどかの“呪い”を受けた私は、かつてのように十全に動けなくなってしまったのだ。

 

 そのかわりに、ただの魔女と戦う時間は増えた。

 グリーフシードの消費量は、時間を遡るごとに増えていった。

 私のソウルジェムが、何もせずともすぐに黒く濁ってしまうから。

 “まどかを守る”。そんな身の程知らずな決心を固める度に、私の魂はそんな驕った自分を嘲笑い、拒絶しているのかもしれない。

 

 そして私は、そんな私の魂を保つためだけに魔女を倒し、グリーフシードを集め続けるのだ。

 

 まどかを守ることもできないというのに。

 

 その思いもまた負の連鎖として組みこまれ、私を蝕んでゆく。

 

 

 

 繰り返して。

 繰り返して繰り返して繰り返して。

 

 放棄した世界を数えることも忘れた私は、ふと気がつくと、嵐吹きすさぶ見滝原の瓦礫の山に座り込んでいた。

 

 足元には、遺体。

 血みどろになったまどかの遺体が、すぐそこで眠りについている。

 

 ……気がつけば、まどかの遺体の脇に立ちつくす自分がいる。

 少し気を逸らしていた。それだけで、無為の一ヶ月を跨ぐ自分が存在している。

 

 私はいつからか、自らのソウルジェムを濁らせないための行動のみを選択するようになっていた。

 

 キュゥべえを殺す。魔女を殺す。

 失恋してまどかを突き放した美樹さやかには躊躇なく引導を渡した。

 まどかに契約するよう持ちかける佐倉杏子には殺意が芽生えたが、彼女はすぐに逃げてしまう。逃げられるとどうしようもなくソウルジェムが濁り、しばらくは何も手につかなくなってしまう。

 

 かつて、巴マミに言われた言葉を思い出す。

 

 “いじめられっ子の発想ね”。

 

 彼女の言う通りかもしれない。

 

 私は決して敵わないワルプルギスの夜ではなく、他の対象を攻撃するようになってしまったのかもしれない。

 

「……」

 

 私の右手には一挺のハンドガンが握られていた。

 弾はまだ撃っていない。

 もう全てが崩壊した後だというのに、ワルプルギスの夜とはまだ戦っていなかったから。

 

 何もせず。何も出来ず。

 自分の魂を息継ぎさせることで精一杯で、第一の目的には手を伸ばせもしない。

 

「……愚かよね、私って」

 

 私の魂のような色をした暗雲を見上げ、そこへつぶやくように語りかける。

 

「まどかを守る……そのためだけに生きると、決めていたはずなのに」

 

 風が生ぬるい。

 

「今の私には、まどかを守れる力は欠片も無い」

 

 目眩がする。吐き気が消えない。息が苦しい。

 

「それでも私は、触れも見れもしないまどかとの出会いをやり直すために、また砂時計を置き返すのよ」

 

 それはまるで、彼女を殺すためであるかのように。

 

「本当に愚かだわ」

 

 ハンドガンを自分の右こめかみに押し当てる。

 冷たい鉄の感触が、生ぬるい空気の中で心地良い。

 

「……まどかを守れないのなら、まどかを守らない私でありたい。彼女は関わりのない、全く別の……もうこれ以上、まどかを守らない私になりたい……まどかを、殺さない私になりたい」

 

 ハンドガンに魔力を注ぎ込む。

 

「ねえまどか……私も、格好良い自分になれるよね?」

 

 それは、遅すぎる私のためだけの祈り。

 

 私の身勝手な願い。

 

 私が、もう私がまどかを守れないのであれば、そんな私を捨てて、新たな私になってしまいたい。

 

「さよなら、まどか」

 

 私はハンドガンの引き金を引いた。

 

 何度も。何度も。何度も。

 

 

 全ての弾を撃ち尽くすまで。

 

 銃弾が私の頭部を半分以上、壊し尽くすまで。

 

「……ッ……ッ……」

 

 それでもなお、わずかに宿した魔力仕掛けの脳は、私の身体をゾンビのように動かす。

 

 醜い仕草で盾を掴み、砂時計を無理矢理に反転させる。

 

 

 怨霊が、新たな自分に生まれかわるために。

 

 

 

 

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