「ずっと前から……私、上条恭介君の事、お慕いしてましたの」
「……」
さやかは目の前が真っ白になった。
無理もないことである。仲の良い友人である仁美に誘われて店に来てみれば、極々真面目な顔でそう言われたのだから。
心の準備などできていなかった。“大事な話がある”とは前もって言われていたが、内容そのものは不意打ちでしかなかったから。
「あはは、まさか仁美がねえ……恭介の奴、隅に置けないなあ?」
だからついつい、いつもの態度で応じてしまった。
仁美は本気だ。そうとわかっていても、心がどうにも切り替えられない。
「さやかさんは、上条君とは幼馴染でしたわね」
「……まあ、腐れ縁っていうかね、うん……そう、幼馴染み」
「本当にそれだけ?」
それだけ。
と言ってやれたら、どれだけ気持ちが楽になるだろうか。
いや、きっと楽にはなれないのだろう。
「私、決めたんですの……もう自分に嘘はつかないって」
もう、後戻りなどできない。
少なくとも仁美はその覚悟で、ここでこうして口火を切ったに違いない。
「さやかさんは? さやかさん……あなた自身の本当の気持ちと向き合えますか?」
「……私自身の、本当の気持ち」
自分の本当の気持ち。
悩むまでもなく、それはわかりきっている。
「あなたは私の大切なお友達ですわ。だから、抜け駆けも横取りするようなこともしたくないんですの」
「……仁美」
「上条君のことを見つめていた時間は、私よりさやかさんの方が上ですわ」
そう言って目を閉じ、一言分の覚悟を吸い込んだ。
「だから、あなたには私の先を越す権利があるべきです」
凛とした、美しい顔だった。
いつものお嬢様然とした、のほほんとした雰囲気は微塵も感じられない。
仮に今彼女の姿を一時間近く注意深く観察したとして、そこから欠点らしい欠点を見つける自信がないほどに。
「私、明日の放課後に上条君に告白します」
(……私の気持ち)
気持ちなど決まっている。嘘などつく必要もないことも。
そして目の前に座るこの気高く心の清らかな少女は、誰にだって自慢できるような友達だと、さやかは知っている。
「丸一日だけお待ちしますわ……さやかさんは後悔なさらないよう決めてください。上条君に気持ちを伝えるべきか――」
「……ふう。伝えないよ、私は」
仁美の言葉を最後まで聞かず、さやかは手を振った。
「……どういうことですか?」
「一日も待つ必要なんてないよ。私は、良いや」
答えはそれだった。
覚悟は前から出来ていたし、嘘でもなかった。
「き……! 気付いていますわ! さやかさん! 貴女は上条君の事を……!」
「あはは、だからこそなんだよ。仁美」
仁美は怒りかけたが、さやかの目を見た瞬間、それ以上の言葉を継げなかった。
冗談めかすわけでも、強がるわけでもない。それは仁美が今まで見たこともないような、真剣で、落ち着き払ったさやかの目だった。
「うん、私は恭介の事、好きだよ……自分の命を賭けてもいいくらい好き」
微笑みながら語るさやかは、携帯のバイブレーションに気づいて鞄を開ける。
「……だからこそ、ちょっと嬉しいな。仁美があいつのこと、そんなに好きでいてくれるなんて」
“いつもの通りで、ほむらちゃんのマジックを見ながら待ってるから! fromまどか”
「あはは……だから、仁美。お願いするよ、恭介の事」
「さやかさん!」
「んーごめん! 用事が出来ちゃった、行かなくちゃ! ほんとごめんね! それと、ありがとう!」
さやかは手早く荷物をまとめると、そのまま急ぎ足で店を出ていった。
「……さやかさん」
そのまま彼女は走り続ける。
わずかな向かい風があれば、どうにか目の潤みを抑えられそうだったから。
「仁美、そっか、好きだったんだ……」
心の動揺が今もまだ残っている。しかし、迷いはない。
(……仕方ない!仁美じゃどうせ敵わないし! 私の魔法少女としての体じゃ、いつか恭介と別れることになるだろうし……!)
全ては決めていた覚悟だ。
魔法少女になると決めたのも、人間を捨てるという覚悟があったからこそできたもの。
その上で、人間をやめた上で上条恭介を捨てることこそが、さやかの望みだったのだから。
(……うん、これで良いの! 良い区切りと思っちゃえばいいんだ!)
いつかは必ず別れがやってくる。
それは円満なものではなく、孤独なものだとわかりきっていた。
(最近は恭介もそっけないし……うん、良いんだ、これで)
それでも、まさかここまで早く訪れようとは思わなかっただけ。
「……ぐすっ、……うう、くそぅ……でも、やっぱ、ちょっぴりだけどっ、堪えるなぁっ!」
覚悟はできていた。しかし悲しいものは悲しいし、悔しいものは悔しい。
それは嘘ではない。仁美の前では出さない気持ちだったが、やはり自分に嘘はつけない。涙は堪えようもなく溢れてきてしまった。
「良いもん。仁美と付き合う恭介も、全部私が守ってやるんだから……!」
だが絶望ではない。最高に悲しいが、それでもどん底に落ちたというほどではない。
自分にとっての一番の願いは、それではないのだから。
(恭介の手を治して、恭介と付き合うのが私の願いじゃない。この世界に少しでも救いの手を差し伸べること! それが私の祈り!)
魔女を倒す。魔女によって理不尽に失われる命を助け出す。
恭介はあくまでおまけ、その覚悟で魔法少女になった。
それを心の中で再確認することで、さやかはどうにか自分の気持を立て直すことができた。
(ああもう! でもなんか、すんげーモヤモヤする! 後で何かスイーツ食べよっ!)
それでもやはり、心に来るものはある。
さやかはほとんどやけっぱちな速さで、まどか達が待つ大通りへと駆け出した。
「御静観、ありがとうございました」
ハットを掲げて、挨拶をひとつ。
ほどなくして、盛大な歓声が響き渡る。
ソウルジェムに回復効果があるならば、きっと今頃は淀みひとつない綺麗な状態になっていることだろう。
今日の公演もまた、満足のゆくものだった。
「今日こそ、今日こそ握手をー!」
「写真撮らせてくださーい!」
「ていうか撮る!」
やれやれ、終わっても冷めないこの熱気。
嫌いではないが、私はこれからやることがあるのだ。今日はファンサービスは控えめにしておかないとね。
「ほっ」
大きな白い布を取り出して、体全てを包みこむ。
カーテンサイズの布だ。私の身体は靴から頭まで、綺麗にすっぽりと覆い隠された。
「あれ? まだ続きがあるのかな?」
「おっ、またせぇー!」
「さやかちゃん!」
「あら美樹さん、用事は済んだ?」
「はい! かなり!」
「かなり、って何だよ……」
「あ、杏子も来たんだ。……ってあら? ほむらのマジックショーは終わっちゃった感じ……?」
「うん、それなんだけどね……」
*tick*
台の上で繭となった布が、重力に従ってはらりと下に崩れ落ちる。
そこにはもう、私の姿は無い。
*tack*
そして消える。正統派な瞬間移動と言えるだろう。
「わ、イリュージョンだ!」
「またー!? どうして最後は消えて居なくなっちゃうのー!?」
それはもちろん、ファンの人垣から抜け出すためさ。
探しているのかな? だとしたら、いつもすまないね。
「わっ、ほむらちゃん消えちゃった!」
「本当……いつ見ても不思議だわ、暁美さんの瞬間移動」
「どんな魔法なんだって話だよなぁ、見当もつかないよ」
「でも今日、ほむらの魔法が見れるんだよね?」
「そのはずなんだけど……うーん、どこに行ったのかしら……」
どこに行ったか、ね。
実は既に、君たちの後ろにいるんだけどな。
「あの、みなさん。待たせてごめんなさい」
「ん? 誰?」
さやかが振り向き、首を傾げている。
……そんなに気が付かないものだろうか。
「私ですよ、私」
皆の後ろから小さく手を上げて、声をかける。
魔法少女ではなく、見滝原の制服姿で。
そして、かつての暁美ほむらとしての姿だった、三つ編みと眼鏡の姿で。
「……」
「……」
まどかとマミは無言で固まっている。
「……え?」
「うそっ」
さやかと杏子からようやく出た言葉も、そのくらいでしかなかった。
一様に並ぶキョトンとした顔は、きっと先程までやっていたマジックショーでも見せていなかったと思う。
びっくりさせられたのは嬉しいけど、それはそれでちょっと複雑だ。
「三つ編みに眼鏡を加えただけですけど、そんなに変ですか? これ」
「……えー!」
以前の暁美ほむらの元々の姿に変装しただけだというのに、彼女らが私だと認識するまでには随分と時間がかかった。
いやしかし、うん。
そこまで驚くか、普通。
私のマジックを見に来た人だかりの中を、こんな陳腐な変装だけで悠々と切り抜け、私達五人は歩き始めた。
しばらく歩いてほとぼりも冷めた後には、鬱陶しかったので眼鏡を外し、三つ編みも解いた。
暁美ほむらの姿といえど、今の私からしてみれば格好良くない姿だからである。
「……いやー、びっくりした。別人だったな」
「ええ、なんていうか…本当に」
「これからもあの舞台から抜け出す際は、変装のお世話になりそうだよ」
「あはは」
ソウルジェムを片手に歩く放課後の道。
もう小一時間もすれば日が暮れ始めるだろうか。
皆のためにも、手早く魔女を見つける必要があるだろう。
(まあ、今日の魔女の位置はわかっているんだけどね……)
過去の暁美ほむらの記憶を辿れば、魔女と出会うのは簡単だ。
当然、倒す事だって造作もない。
「ところで、さやかちゃんの用事って何だったの?」
「!」
私は事情をわかっているだけに、知らぬ存ぜぬ興味示さぬの態度を維持するのは難しかった。
今日のさやかは……人生において、大きな転換点に触れていたはずだったから。
「あー、まぁちょっとヤボ用ってやつ? ははは」
そんな軽いものではないはずだ。
「緊張感の無いやつだなぁ。どんな用事があったらこんな集まりに遅れるんだっての」
「まあ、まあ」
「……お、魔女の反応が強くなった。こっちかな」
仁美と会って、さやかはどんな話をしたのだろうか。
……くだらない話ではないだろう。少なくとも、過去の例を考えるなら……一日の猶予を与えられたはず。
上条恭介への告白まであと一日。
ワルプルギスの夜。
これが被るとなると……。
(……とんでもない重圧だろうな)
それでも私、暁美ほむらは、時間遡行者などではない。
過去と未来を知り尽くしている人間ではない……あくまでもそのつもりでいなくてはならない。
だから今、さやかの相談や話の聞き役になってやれないことが、少しだけもどかしかった。