虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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第二章 女帝に捧ぐ勝利のワイン
交わらない色の世界


 

 久々に夢を見た。

 見た、というよりは、今まさに見ている、と言うべきなのだろうけど。

 

 私は地べたに寝そべっており、空を見上げているらしい。

 灰色で、暗雲渦巻く、まさに不吉と呼ぶに相応しい空模様である。

 

 少し視線を下へやれば、瓦礫と土砂に崩れた町らしきものが広がっている。

 

 何も映さない信号。

 斜めに地面にもたげる標識。

 夢の景色は、どうしようもないほどに荒れている。

 

 荒廃した世界で、傷だらけの私が起き上がった。

 普通なら生きてはいないはずの重傷と、手にはほぼ完全に黒ずんだソウルジェムが昏く輝いている。

 

 視界を砂嵐が阻み、場面が飛ぶ。

 何の執念か、立ち上がった私は、目的を持った風に歩き始める。

 

 霞んでぼやけきった視界。

 ふらふらと歩みより、……手元の拳銃を構えた。

 世界はぼやけて何も見えないが、私はそれでもバレルの先で探るように、標的を定める。

 

 バレルの先が硬い石を捉えた時、引きつったような嗚咽が聞こえた。

 

 そして私は数秒の間をあけて、引き金を引いたのだ。

 

 

 

「……」

 

 まぶたを開くと、そこは私の部屋だった。

 先日の帰りに変なアウトレットで一目惚れして購入した振り子ギロチン風掛け時計(中古税抜き19800円)は、朝も正常に天井から吊り下げられ、ブンブン空気を割くように稼働している最中だ。

 しかし買った後の祭りではあるが、あの凶器そのものでしかない振り子ギロチンが知らぬ間にこちらへ落ちてきたらと思うと、気が気でなくなってきた。

 

 ……ふむ。早く起きよう。そして時計は取り外そう。

 

「いただきます」

 

 今日の朝食は中学生らしく、肌の健康を気遣って魚介豚骨を食べる。

 “かやく”の袋にはネギなどの健康に良い野菜も入っている。炭水化物と脂質のバランスの良い、実に理想的な食事と言えるだろう。それがお湯を注ぐだけで完成するのだから、科学の進歩とは偉大なものである。

 だが通なら4分表示を3分で、3分表示なら2分で仕上げて食べるべきだろう。

 麺に残った芯の歯ごたえは、それだけで満腹感を与えてくれるのだから。

 単純に、時間の節約にもなるしね。

 

「ふう、ごちそうさま」

 

 さて。昨日は多くのイベントが起きて、多くの情報に触れることができた。

 今日はどのような出来事が待っているだろう。

 

「楽しみだね、暁美ほむら」

 

 鏡の中の私に微笑みかけ、黒のカチューシャをセットする。

 制服良し。髪よし。グリーフシードも忘れてない。

 うん、いい感じだ。

 

「いってきます」

 

 分解して壊れきった掛け時計に挨拶をして、私はアパートを出た。

 

 

 

 特に覚えるまでもない簡単な授業時間は、自然と思考が逸れてゆく。

 なので私は、今朝見たばかりの夢について考えていた。

 あの暗い夢は、一体何だったのだろうかと。

 

「ではこの年号に起きた戦を……じゃあ暁美、答えなさい」

「ん」

 

 瓦礫の中。私は銃を握り、魔法少女のソウルジェムを撃ち抜いた。それは間違いない。

 あの瓦礫の山が意味するものは一体なんだったのか……。

 

「えーではこの式、途中までで良いので暁美さん、前にきてどうぞ」

「……ああ、はい」

 

 散らばる瓦礫。荒廃の街。

 街を巻き込むほどの現実感のない死闘の末に、私は……おそらくソウルジェムのようなものを破壊した。

 

「ここの一番の四字熟語を……暁美」

「暗中模索、七転八起、天涯孤独」

「おお、正解だ。素晴らしいね」

 

 あれは、以前の私が実際にやっていた事なのだろうか。

 それともただの抽象的な夢でしかないのか。

 

 ……いや、あんなに酷い破壊行為を行ってしまえば、それはニュースになるだろう。

 町一つ分が荒野になるほどの乱闘など聞いたことがないし、私にそれほどの力があるとも思えない。

 特別今朝から調べているわけでもないが、あの景色は幻と考えるのが普通だな。

 

 まあ、どちらにせよ、私の深層心理には危険な何かが潜んでいそうでは、あるのだが……。

 

 

 

『暁美さん、聞こえる?』

「ん?」

 

 ふと、頭の中に声が聞こえてきた。

 巴マミの声だ。

 

『……私のテレパシー、通じてない?』

 

 おっと。私の反応は声に出ていたか。

 

『ああ、テレパシー、そんなものもあったね』

『テレパシーを忘れるって……まぁいいわ』

 

 すっかり失念していた。これは記憶喪失とは別だ。本当に存在をうっかり忘れていただけである。

 だって、今まで使い道なんて無かったのだから。

 

『……良ければお昼休みに、一緒に屋上でご飯を食べない?』

『昼食か、わかった』

『え、良いの?』

 

 自分から誘っておいて、マミは私が快諾したのが意外そうだった。

 

『まだ屋上で食べたことがないから、興味があるんだよ。それに、学校の屋上ってなんだかロマンチックだしね』

『……ふふ、待ってるわ』

 

 中学校に入って新たに出来た、少しだけ年上の友達。

 そして、私と同じ魔法少女。

 積極的に親睦を深めるのも悪くはないだろう。

 それが屋上でのランチともなれば、尚更だ。

 

「楽しみだな」

 

 私はマミにも、周りの誰にも聞こえないくらいの小さな声で、口の中だけで呟いた。

 

 

 

 際限なく広がる蒼天には、私の長い髪をなびかせるだけの風が吹いている。

 この心地よい風に紙幣を靡かせたら、空に食われて二度と取り戻すことはできないだろう。

 

「こんにちは、暁美さん」

「やあ、マミ」

 

 先にベンチに座っていたマミに小さく手を振ると、彼女もにこやかに応えてくれた。

 彼女からは刺々しい印象を受けないので、私のことはもう後輩として見てくれているのだろうか。

 そうであれば、嬉しいものだ。

 

「隣良いかな」

「ふふ、どうぞ」

 

 二人で並び、ベンチに腰掛ける。

 マミは膝の上に自作であろう彩り豊かな可愛らしい弁当箱を広げた。

 そして私は、ポケットからスニッカーズを取り出した。

 

「……」

「うん、開放的な場所で食べるのも悪くないな」

 

 噛みごたえ十分。粘りつくような甘さ。

 チョコレートに複雑な風味が絡み合い、商品名でしか形容できないような、独特の味に仕上がっている。

 食べている最中にも身体に吸収されそうな、とても良質なカロリーだ。

 

 教室で食べるのも悪くはないだろう。

 けれど、より明るく、開放感のある場所で食べるご飯は格別だった。

 

「……えっと、あなたって、魔法少女なのよね」

「ん? ああ、そうだよ」

 

 私が上機嫌に食事を摂っていると、マミは控えめに訊ねてきた。

 

「キュゥべぇと契約したの?」

「さて。そうだと思うんだけど、思い出せないな」

「曖昧ね」

「曖昧さ、ミルクチョコだって曖昧なのだから」

 

 先ほどから私が話す度にマミの食指が止まる。

 気を遣わせてしまっているのだろうか。だとしたら申し訳ない。

 

 いや? ここは私が会話をつなぐ場面だろうか。

 話の最中、常に受け手に回っていては格好悪いだろうから……うん、こちらからも話さないと。

 

「マミは、キュゥべぇと契約を?」

「……ええ、何年か前にね」

「何年も付き合ってるってことか……マミはあの猫と仲良しなんだな」

「お友達だもの」

「友達は大事だな」

 

 友達は尊いものだ。私は猫だからと言って、それを否定しない。

 私の相棒だって黒猫なのだ。むしろ魔法少女としては、至極真っ当な友人関係を築いていると言えるだろう。

 

 ……ふむ、魔法少女か。

 そういえば、昨日はあまりマミとそのことについて話せなかったっけ。

 

 良い機会だ。訊いてしまおう。

 

「なあ、マミは魔法少女についてどう思っている?」

「どうって?」

「魔女を倒すことについて、とか。マミなりの魔法少女へのこだわりとか、聞きたいな」

「魔女を倒すのは私達の責務ね」

「まあ、それを前提としてだよ。腹が減ったら食うのは当然じゃないか」

 

 グリーフシードありきの人種が私達だ。

 それはあくまでも大前提。

 

「……町の人々を魔女から守る、それは当然のことじゃない。こだわり、と呼べるものではないと思うわ。魔法少女は希望を振りまく存在でしょ? 魔女は世界の天敵。だから倒すの。それは当然のことだわ」

「ふむ」

「あなたは違うのかしら」

「さあ、どうだろう。わからない」

 

 当然かどうかと言われると、答えに窮するところだ。

 私はそこまで、道義心を全面に押し出して魔女を狩っているわけでもないから。

 

「……」

「でも、グリーフシードは欲しい」

 

 それは間違いない。

 だって、魔女にはなりたくないからね。

 

「……暁美さん、喩え話で悪いのだけど」

「ん?」

「もし目の前に、もうすぐ魔女になりそうな使い魔がいたとしたら……あなただったら、どうする?」

 

 マミの問いかけは、やや漠然としたものだった。

 魔女になりかけの使い魔。

 つまり、もう少し人間を喰らえば魔女へと進化しうる使い魔、ってことか。

 

 ふむ……これは、正直……。

 

「悩むな」

「……」

「その時のソウルジェムの状態や、グリーフシードの持ち合わせにもよるからね。一概には言えないよ」

「……そう」

「あまりにソウルジェムの状態が緊迫していたら、見逃すかも。魔女がグリーフシードを落としてくれれば、濁り切る前にソウルジェムを浄化できるかもしれないしね」

「……使い魔が、一般人を食べるのよ?」

「んー、ソウルジェムが濁りきるよりはマシだと受け入れる覚悟も必要さ。ケースバイケースじゃないかな」

 

 ソウルジェムが完全に濁りそうという状況は、最大限避けるべきものである。

 魔法少女が魔女になったのでは、街を守るという点で考えても、あまりに割に合わないことだからだ。

 

 まあ、滅多なことでは起こらないケースだろうとは思うが……もしそこまで追いつめられたのならば、人の一人や二人は……悪い言い方をするが、私だったら生贄に捧げるかもしれないな。

 

 それに、私は暁美ほむらのためにも、不用意に死にたくはない。

 私の身体は、私だけのものではないだろうから。

 

「……ふう。私はやっぱり、あなたのことわからないや」

 

 マミは弁当をまとめて、ベンチから立ち上がった。

 

「もう良いのか?おかずがまだ残っていただろう」

 

 蓋を閉じる間際、最後まで取っておいたらしい甘そうな卵焼きがあったのを、私は見逃さなかった。

 自分で作っておいて、苦手ということもあるまいよ。

 

「良いのよ。ごめんね、私から誘ったのに」

「待ってくれよ」

 

 どうしたんだ突然。

 私は急ぐように立ち上がったマミの肩を掴み、引き止めた。

 

「離して」

「……マミ?」

 

 だが、彼女の目は私を拒絶していた。

 僅かに細められたそれは、“友人”を見るための表情ではなかった。

 

「私とあなたは同じ魔法少女だけど、考え方が違っているから」

「一体、何が違うんだ」

「目の前で誰かが困っていたら、私はその人のこと、絶対に助けたいのよ。でもあなたは違う。……きっと、あなたも私とは、相容れないんだわ」

 

 私も? ……どうしてだ。

 別に私は、マミのことが嫌いなわけではないのに。

 

「争いになる前に、不干渉を結びましょうか。きっとそれが一番穏便に済むはずよ」

「マミ、そんないきなり」

「あのね、暁美さん。私達の違いは……」

 

 彼女が言いかけたその時、世界が歪んだ。

 

「なっ……」

 

 視界が突如として、パステルカラーに染まる。

 

 すぐそこにあった屋上の入り口は不気味な張り紙によって完全封鎖され、高く青い空は、毒々しい赤と黄色のマーブル模様に塗り替えられてゆく。

 

 これは……うんざりするほど見ている。

 間違いない。

 

「魔女の結界だ」

 

 

 


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