虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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Are We Cool Yet?

 

「え……?」

 

 まどかは呆気に取られたように、目をわずかに見開いた。

 まだ、状況が呑み込めていないかな。……だろうな。私もいざこんな場面に出くわしたら、そう思ってしまうだろう。

 

 けど、君には教えなきゃいけない。

 どれだけ心が受け付けなくても、理解しなくちゃいけないんだ。君だけは。 

 

「全て嘘っぱちなんだよ、まどか」

 

 私はソファーから立ち上がり、優雅そうな仕草で部屋を歩く。

 そのまままどかに背を向けて、大きな壁に向かって袖に忍ばせたリモコンスイッチを押す。

 

「こっちが真実だ」

 

 壁一面をスクリーンとした巨大モニターに、ワルプルギスの夜が映し出される。

 巨大歯車の本体と、ドレスを着飾った魔女。

 今現在も見滝原の上空に浮かび、高層ビルを砕いて回っている……最強の魔女そのものだ。

 

 当然、健在である。私はまだあの魔女に、指一本も触れていないからね。

 

「え……!?」

「これこそが最強の魔女、ワルプルギスの夜だ」

「ま、待ってよほむらちゃん、前に勝てるって言ってたのに!」

「こいつにか?」

 

 モニターに映されたワルプルギスの夜は、ゆっくりと宙を進んでいる。

 攻撃を受けず、平穏なるままに動くワルプルギスの夜は、特に凶暴性を見せる事もなく、強い嵐を発生させているだけだった。

 とはいえ、見滝原の街はおもちゃのように吹き飛ばされ、大変なことになっているのだが……これはまだ“マシ”な方だ。本気を出されるともっと酷いことを私は知っている。

 

 怒るかい、まどか。

 いや、君は疑問に思う。困惑するのだろう。君はとても、優しいから。

 

「こいつに勝つメリットなどはないよ、まどか」

「そんな、どうして……!」

「戦っている最中に街は破壊され、砕かれ……跡形もなく瓦礫となって……それだけだ。誰かが勝ったとしてもそれは、全てを失った後だろうよ」

 

 この大規模攻撃を繰り返す魔女に対して、街を守りながら?

 無茶な、いや、無理な話だ。そんなことできるはずもない。

 魔法少女が台風の被害を全て食い止められるとでも? 思いあがってはいけない。

 

 これは災害だ。

 不可能なのだ。たかが、奇術師風情にはね。

 

「ならば私は、街を捨てる」

 

 それが私の答え。

 

「そして人だけを守る」

 

 それが私にできる精一杯の妥協。

 

「ほむらちゃん……この、避難所って……」

「ああ……見滝原には私が急ごしらえした避難所がいくつもある。地下の頑丈なシェルターは大多数の人命を救うだろう。今は圏外でどこも繋がらないだろうけど、それは後々、数字としてはじき出されるはずさ。メディアは奇跡と呼ぶかもしれないね」

 

 この避難所もそうだ。態勢は万全だし、地上がいくら荒れようとも生き延びるだけの堅牢さを備えている。

 ワルプルギスの夜とて、地下の避難所までは襲いきれないだろう。あの魔女の攻撃は血の気が引くほどに凄まじいが、地下に対しては僅かに弱い部分がある。

 

 ビルごと風で煽って基礎を引っこ抜くことはできるだろう。だが芋ずる式にやられそうな場所と岩盤を避けて地下整備を進めれば、いくらワルプルギスの夜であろうとも手出しは難しくなる。

 集中的に地下を壊す前に、飽きて自ずと去ってゆくのだ。

 

 つまり。

 街に執着しなければ、ワルプルギスの夜を倒す必要などはない。

 

「そんな……でも、街が……うううぅ……」

「そうだね。けどね、まどか。君は街を救う事ができる」

「……わ、たし?」

「そうともまどか。君には力がある」

 

 モニターに映るワルプルギスの威容を背に、私はまどかに向き直る。

 

「君だけが唯一、その権利を手にしているんだよ。まどか」

 

 これは悪魔のささやきになるのかな。

 

「インキュベーターと契約し、君が“街を直したい”と願えば……きっとそれはすぐに果たされるだろう。このモニターに映る惨状も、きっと以前のままに戻ってくれるはずさ」

 

 ゆらりと手を広げ、壁のスクリーンをなぞる様に仰ぐ。

 

「見滝原を元の状態に……いいや、もっと途方もないことだって出来るかもしれないね。未来都市にすることも、ついでに私のための劇場を設置することだってできるんじゃないかな。その時は是非ともお願いしたいところだが……」

 

 そう言って、私は真正面からまどかに向き直った。

 

「……君は魔法少女の素質を持つ者として、祈り、願う権利がある」

 

 戸惑う彼女に優しく微笑みかける。

 そして、まどかの入ってきた扉には、いつの間にか白猫の姿があった。

 

 インキュベーター。キュゥべえ。

 私たちの因果を仕組んだ、全ての元凶。あるいはささやきかける悪魔そのもの。

 

「暁美ほむら。それはつまり、全てはまどかの意志に任せるということだね?」

「まあ、ね。私にそれを阻む権利はない」

 

 そう。必要なのは向き合うことだ。

 まどかの契約は彼女の意志の下に行われる。そしてキュゥべえはどこからでも、いつでも湧いてくる。それを止める手立ては私にはない。これはワルプルギスの夜を倒すことや、見滝原を無傷で防衛することと同じかそれ以上に難しい。

 

 だから、この選択ばかりは委ねるしかないのだ。

 揺れ動く不安定な心をもった、彼女に全てを任せるほかに、できることはない……。

 

「……」

 

 彼女は俯く。重責が頭の上にしな垂れかかっているかのように。

 

「怖いかい? まどか」

 

 何か言葉を発したい。しかし混乱する思考が発生を妨げているようだ。

 まどかは酷く葛藤しているのだろう。

 

 でも、そんなの当然だ。

 

「怖くて当然だよ、まどか」

「ほむら、ちゃん……」

「ただの街など、自分の魂を賭けるに値しないものな」

「……!」

 

 彼女の肩に手をやる。

 

 そう、葛藤には違いない。だけどそれは、自責の念からくるものだ。

 街を元に戻す。それは確かに大きな願い事かもしれない。

 でも、こうして避難所で人々の安全が保障され、一安心してしまったなら……難しいよね?

 

「罪を感じる事は無いよ、まどか」

「うっ……ぁう……」

 

 まどかは静かに涙を流した。

 

「ご、ごめんなさい……私、本当に嫌な子だよねっ……本当は、みんな助けて、街だって守りたいのに……」

 

 絹のハンカチで、涙を拭ってやる。

 それでも、後から後から溢れてくる。

 

「不公平だって、釣り合わないって思っちゃってるの……!」

「うん、うん」

 

 慰める傍ら、私は内心でほっとしていた。

 まどかならば、自分の命を引き換えにしても、街だけですら守りたいと言うかもしれないとも、思っていたから。

 

「私の方こそすまない、まどか……こうでも嘘をつかなければ、私は皆を守れなかったんだ」

 

 さやかやマミは、知っていればきっと戦っていただろう。

 心を入れ替えた杏子だって、無謀でも戦いを挑んでいたかもしれない。

 皆で力を合わせれば勝てると、そう信じているから。そう信じていたいから。

 

 でもそれは無意味だ。彼女らを無駄死にさせてしまう。

 

 私は突出した実力があるように思わせて、彼女たちを戦線から無理やり引きはがした。

 皆に役割を与え、外を見通せない地下の避難所に押し込めた。

 私なんかで、勝てるはずもないのにね。所詮は、嘘っぱちさ。

 

「でもね。君にだけは教えておかなければならないと思ったんだ、まどか」

「私……?」

「後から街の壊滅を知ると、君は何をするかわからないからね……趣味の悪い話だが、間近で君の後悔を受け止めたかったから」

「……」

 

 モニターを見る。

 ワルプルギスの夜が踊りを始めた。

 

 さらに強い烈風が吹き荒れる。

 砂のように舞い上がるそれは、家屋か車か。いずれにせよ、あの小さな粒でさえ魔法少女を容易く死に至らしめるものに違いはあるまい。

 それこそが、圧倒的なワルプルギスの夜の力だった。

 

「半日で、見滝原は荒野と化すだろう」

 

 私は震えるまどかの肩を抱きながら言った。

 

「地下にいる人々は、全てが過ぎ去るまでその惨状を知る事はない」

 

 シェルターは外を覗くことはできない。しかし地響きと幾重の地盤を隔てた地下にさえ轟く風音は、ちょっと開けようと思う心さえも摘み取るだろう。

 

「けど、私たちだけは特別だ、まどか。“どうにかすることができたかもしれない”私達にとっては……この破壊の様を見届けることこそ、罰であると言えるのかもしれないね」

「……辛いね」

「辛いかい? まどか」

「……うん」

 

 涙を湛える彼女は、本当に辛そうだった。

 

 そうか、辛いか。わかるよ。辛いよね。

 

 ……そんなこともあろうかと!

 

「よし! ならばせめて、気分良く見滝原の最期を見送ろうじゃないか!」

「へっ?」

 

 私は大きく手を広げ、スクリーンを引っ掴む。

 

「せっかくの百年に一度級の大災害だ! ただ黙って見ているのも価値はあるが、ここで楽しまなくては人生の損というものだろう!?」

「え? え? どういうこと……? きゃっ!?」

 

 そのままスクリーンを引きずり落とし、壁を露にする。

 

 ――そこにあるのは全面多重強化ガラス張りの壁だ。

 

 透明な壁面の向こう側には、遠くではあるが、実物のワルプルギスの夜が舞い踊っているのが見える。

 

 ここは半地上。厳重に要塞化させた、私とまどかのためだけの特等席。

 

「執念を裏切り、願いに決別をつけるならば! せめて明るく振る舞っておかなくてはね!」

 

 紫に輝くソウルジェムを手に、変身する。

 ハットを被り、ステッキを右の手首にひっかけ、盾の中から黒いリモコンを取り出す。

 

「魔女のお祭りなど知ったことか! 魔法少女だって似たようなものだ、乱入して一緒に楽しんでやろう!」

 

 黄色いスイッチを押すと、窓の向こう側で変化が現れた。

 

 ワルプルギスの夜を囲むようにして、巨大で豪勢な花火が打ち上がる。

 巨大な花火たちはぱっと一瞬だけ大きく開いた後、ワルプルギスの夜が巻き起こす嵐に巻かれてすぐに流され、消えてしまった。

 

「ワルプルギスの夜など関係ない! 戦うつもりなどない! 戦う気も無いのであれば、勝っても負けてもいないのだよ! 私達は!」

「ほむらちゃん……?」

 

 踊りながら、赤いスイッチを押す。

 

 ワルプルギスの夜のすぐ脇を、特注のジェットエンジンを積んだ簡素なロケットが通過し、爆発して巨大な花火を咲かせる。

 無重力によって地面から引きはがされたビル群が大爆発を起こし、破片が大空を舞う。

 改修された電車のレールから、魔改造を施されたウイング付きの電車が猛スピードで脱線し、ワルプルギスの夜に衝突する。

 

 それはまるで、ワルプルギスの夜を主役にした大きな演劇のようだった。

 町全体が舞台装置のようにギミックを唸らせ、私たちしか見えない場所でおどけては、すぐに消え去ってゆく。

 

「はははは! 自分の心のために自分でピエロを演ずる! 医者もパリアッチも全て私だ! これほど面白い事があろうものか!」

 

 曲がったソファーに身体を投げ出し、私は仰向けになって蛍光灯を見上げた。

 

 ちかりちかりと瞬く蛍光灯。まぶしく、寂しい明滅だった。

 

「……魔法少女でも、型にはまりきった正義の味方をやることはない」

 

 まどかに対してでもなく、私は自分にだけ聞こえるくらいの声で呟く。

 

「正義の味方になれないからといって、気に病む事も、戦い続ける事もしなくていいんだよ。私も、まどかも」

 

 

 ――それでも、私は魔法少女だから。

 

 

 そう言って戦いに身を乗り出していったまどかの姿が脳裏に映る。

 

「……ふふっ」

 

 大丈夫。誰も責めないよ。暁美ほむら。

 

「……そう、だね」

 

 自信無さげではあるが、何よりも彼女がそれを認めてくれたのだから。

 

 ここが妥協点で、構わないだろう?

 

 

 


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