全ての財が流された……と改めて表現すると、頭の重い結果だ。
しかしバベルが打ち砕かれて、建て直す事がゆるされたと考えれば、……いや、そうもいかないか。屁理屈を捏ねたところで、多くが失われた。それは誤魔化しようもない。
ある程度の時間があったとはいえ、私は全知ではない。極力病院や養護施設の人々もどうにか地下へ避難させたものの、その避難率は100%に至ってはいないだろう。
身体の不自由すぎる孤独な人。
運悪く睡眠時間の長すぎた鈍い人。
理由あって、施設を出ることができなかった人。
私はそれらを関知していないが、少なからず居たはずだ。動きたくない人だっているだろう。
犠牲はある。
人を全て助けられるはずはない。
あえてまどかには言わなかったが、そこが現実の問題だった。
「……ふう」
嵐の止んだ地上に踏み入った私は、ワルプルギスの夜の後ろ姿を遠くに見送る。
いつか夢にも見た瓦礫の山の上で、いつかのように缶コーヒーを飲みながら、そのパレードが向かう先を見送る。
あの魔女はまたいつか、どこかの見知らぬ地で、大規模な絶望をまき散らすのだろう。
そこまでは手に負えない。
仕方がない。
私にも出来ることと、出来ないことがあるのだから。
「……うう。まだ、風強いね」
「危ないぞ」
まどかも避難所を抜け出して、地上へやってきた。
まだ避難の警告は解除されていない。地下の人々はまだ、この凄惨な光景を知らない。
私とまどかだけが、まだ悲鳴も嗚咽も無いこの惨状を目の当たりにしていたのだった。
「……何も……無くなっちゃったんだ」
目を凝らしても、思い起こそうとしても、瓦礫の荒野はかつての面影を思い出させてはくれない。
まどかはどうしようもなく、ぼんやりと眺めるばかりだった。
『さやか、マミ、杏子、聞こえる?』
テレパシーを送る。
反応はすぐにやってきた。
『ほむら!?無事!?』
『怪我は無い!?』
『ワルプルギスの夜は!』
おうおう。魔法少女たちの回線は混雑しているようだ。
いや、彼女たちからしてみれば私はまだ闘っている最中だろうから、それも仕方ないか。のんきにしている私が悪かった。
『全ては終わったよ、みんな』
小高い瓦礫の山を、尚も登る。
足場の悪いコンクリの破片を踏みしめ、モルタルのタラップを掴み、鉄骨の頂上へ躍り出る。
『地上へ出てきてくれ』
瓦礫の小山から見下ろす光景は、いっそ清々しいものだった。
透き通るような青空。
どこまでも見通せる景色。
『……認めたくなくとも、やらなくてはならないことがある』
これが私の望んだ未来。
暁美ほむらが頷ける、素晴らしい世界。
大きく両腕を広げ、天を仰ぐ。
ワルプルギスの夜が去っても、空はまだ昼のままだった。
「……何も、残ってない」
さやかは呆然と、辺りを見回している。
「そんな……」
「嘘だろ……?」
マミや杏子も似たようなものだ。
この光景が信じられないのだろう。期待していたものとは、まるきり違っていたのだから。
「……あ、ほむら」
「ほむらぁー!」
遠くの方で、魔法少女姿の三人が私を見つけて走ってくる。
周囲の惨状を見まわしながら。その訳を、私に聞こうというのだろう。
「はぁ、はっ……ほむら! 街が……!」
「街は壊滅した」
瓦礫の山の上から私は言った。言わなくてもわかることだろうけども。
「何も、残ってないわ……」
「ワルプルギスの夜に勝つことはできなかった」
表情を変えず、私は淡々と告げる。
「……勝てるって言ったのに」
「……」
でも、杏子にそう言われると……やっぱり苦しいな。
それだけで私は、何も言えなかった。
……嘘だよ。なんて。
そう軽く言えるものではない。言えると思っていたけれど。
いつものようにおちゃらけることはできなかった。
冗談をかますには、みんなの表情があまりにも重すぎたから。
全てが無くなった見滝原を見回す三人の反応が、私は怖かったのだ。
「……全然服が汚れてない所を見ると、ワルプルギスの夜とは戦ってない?」
ああ、マミは目ざといね。
「その通り。直接は一度も手を出していない」
「……意味もなく、そんなことはしないよね、ほむらは」
さやかは優しいね。けど、そうじゃないんだ。
深い理由があるかも? フフ、そんなもの……ネタ切れだよ。
「私は……住民を避難させ、君達を戦わせないようにするだけで精いっぱいだった」
静かにこちらを見つめる三人の目は、まるで尋問のようだ。
息が詰まりそうになる。
「……私には、奴を倒せる“奇跡”なんて無かった。私は皆を騙していたんだ」
「暁美さん。それを、最初からわかっていて……?」
「ああ。私の独善で、私が救うもの、見放すものを取捨選択したんだ。……私だけの意志で」
でも、この行いに後悔は無い。
私は自らの信じる最善を行ったと確信している。
この素晴らしい結果を、粗末なものだとは思わない。
けど、裏切りは裏切りだ。
「……すまない、みんな」
私は瓦礫から下りて、ハットを手に持ち、深く頭を下げた。
この結果は覆すことはできない。だから私は、ただ頭を下げるしかなかった。
承知の上で皆を裏切った。その罪がどれほどのものか、私はわかっているつもりだから。
「……ほむらちゃんは、悪くないよ」
私のすぐ後ろで、まどかの優し気な声が聞こえる。
「だって、街の人を沢山救ってくれたんでしょ?」
その優しさも……私が、事前に説明したからこそ……そう仕向けたようなものかもしれない。
いいや。そんなつもりはない。やめよう。気分が落ち込みすぎて、変な考え方になっている……。
「ほむらちゃんがワルプルギスの夜に勝てないのなら……仕方ないんだよ」
「鹿目さん……」
「……ずるいのは、やっぱり私の方」
「! オイオイ」
「私、こんな見滝原を見てもね、まだ願い事を叶えたいって……踏ん切りがつかないんだ」
……ちょっとまどか、待ってくれ。それは怖いぞ。
今更契約なんてしないよね? 頼むよ?
「私なら叶えることができるのに、ズルいよね……」
「ちょ、ちょっとやめてよ二人とも!」
「そうだよ! まるでアタシらが責めてるみたいじゃんか!」
私とまどかのしょぼくれ具合に、みんなからストップがかけられた。
……うん。少し落ち着こう。
「ワルプルギスの夜とは戦わないって……それをずっと隠し通されてたってのはムッと来る所はまぁ、私もちょっとはあるけどさ……冷静に聞いてみると、ほむらのやったこと、間違いではないとは思うよ」
「!」
一通りの話を聞いたさやかは、意外にも前向きに答えてくれた。
「だってそうじゃん。ほむらでも勝てないんでしょ? だったらまどかにしか勝てない相手ってことじゃん」
「で、まどかに戦わすなんてもっての他だからな……そうくりゃ、ほむらのやったように最優先でとにかく人だけを救うってのは、一番正しいように、アタシも思う」
「……さやか……杏子」
二人に言われ、私はかなり救われた気がした。
心のどこかで責められるのではないかという思いがあったから。この時に全てを清算しようという考えがあったから。
……まさか、受け入れてくれるだなんて。
「……」
それだけに、三人の中で沈黙を守っていたマミの難しそうな顔が怖い。
じっと口を結び、目線を動かさず、ただどこでもない瓦礫の山の尾根を見つめている。
……何年も見滝原を一人で守り続けてきた魔法少女、巴マミ。
彼女がこの街に抱く思いは……それはもう、計り知れないものがあるはずだった。
「……あ、あの、マミさん……ほむらちゃんは悪くなくて」
「わかっているわよ、鹿目さん」
口調だけ優しくマミは言った。
「私たちにずっと嘘をついてたこと、少しショックだっただけ」
「……本当に、ごめん」
「でもそれは暁美さんの、とても優しい嘘なんでしょ?」
先ほどまでの強張った無表情は嘘のように、彼女は微笑んだ。
「……なら、それだけ。私も暁美さんのやったことは正しいって思えるわ」
「マミ……」
彼女はやっぱり大らかで、どこまでも先輩で、優しい人だった。
「……でもさあ、これからどうすればいいの? 私たち」
「どうってなんだよ、さやか」
「見滝原、もう無くなっちゃったしさ……家も学校も、病院も……みんな壊されてさ」
今の今まで、私はその言葉を待っていたのかもしれない。
ハットを被り直し、私は笑みを取り戻した。
「どうすればいいか。当然決まっているだろう、さやか」
「え?」
多数の人命が助かったとはいえ、被害はあまりにも大きすぎた。
その被害の大きさは、後々の命にも関わるはずだ。
この一面瓦礫の世界はつまり、いつかの自殺しそうになっていた工場長が大量に現れたようなものである。
また、実際に自殺してしまった夕時のOLが無数に増殖する前兆でもあるはずだ。
「これからは現状に絶望して、魔女の口づけに抵抗を持たない人々が多く増える程だろう」
「……そうね、増えるわね……間違いないわ」
「そうなれば必然的に魔女も増える」
魔女は人の弱みに付け込む存在だ。
家をなくし、仕事をなくし、そんな人々を取り殺すのはきっと容易いことだろう。
「ワルプルギスの夜をやり過ごした我々に出来ることは、これからさ」
青い空を見上げる。
風の止んだそこには、白い鳥が高く飛んでいた。
「見滝原を建て直すために頑張る人々を裏で支え、助け……全ては、これから始まるんだ」
「ほむらちゃん……」
それは、暁美ほむらが辿り着けなかった未来。
私が提示する一つの可能性。
「ワルプルギスの夜は倒せなくとも、私達に出来る事はたくさんあるはずだよ。さやか」
「……そう、かな」
「ああ。まだこの瓦礫の惨状の中にだって、逃げそびれてしまって……しかし、その中で生き残っている人はいるかもしれないしね」
「!」
私の言葉に、さやかとマミは鋭く反応した。
「そ、そうね! 避難できなかった人も当然、いるかもしれないのよね……!」
「なら、早く助けにいかないと!」
「……ならアタシも行く!」
「え、杏子も!?」
「ったりめえだ! アタシだって回復魔法くらい出来る!」
さやかとマミは素早く変身すると、血相を変えて走り出した。
正義に燃える彼女達は、きっと日が暮れても捜索を続けるだろう。
それに杏子も立候補したのは、ちょっとだけ意外だったけど。
「アタシもいかないと……」
「じゃあ杏子、行くなら二人にこれを分けてあげてほしいな」
「え……?」
私は左手を差し出した。
ただし五本指の上全てに、未使用のグリーフシードが器用に直立して乗せられている状態である。
これらは全て、みんなから貰ったグリーフシードだった。
さすがの杏子も、唐突に渡された大量のグリーフシードに戸惑っているようだった。
「……これって」
「君達の努力はここで発揮される。……そしてどうか、頼む、私のかわりに、助けられる人々を探して欲しい」
「え? ……まあ入り用かもしれないから貰ってはおくけどさ……ほむらは一緒に探さないのか?」
「ああ、私にはもうその力はないからね」
私は左腕の時計を愛おしく撫で擦り、笑った。
「私の奇跡は、最後の一粒まで使い果たしたんだ。魔法はもう、使えない。今の私が行った所で、燃費の悪いブルドーザーのような働きしかできないだろう」
「魔法が、使えない……?」
「え?」
「ああ、私はもう、基礎的な魔法しか使えない最弱の魔法少女となってしまった」
「!」
すぐ後ろにいるまどかからも、驚愕の気配が伝わってくる。
しかし事実だ。砂時計の砂は全て落ち切っている。それをせき止める術は、もうないのだから。
できる事があるとすれば、それはもう、ひっくり返すことだけ。
「これからは魔法を使わずに、工夫で魔女を倒す算段を立てなくてはならないだろうね。はは」
「そんな!」
それはどうしようもない事だ。
ワルプルギスの夜と一戦を交えなくとも、私の力はここで消える運命だったのだから。
揺らぎようの無い因果というものだ。こればかりは本当に、ワルプルギス以上にどうしようもないと言える。
「でもね杏子、それでも私は良いのさ」
「……なんでだよ?」
「全てを失っても、一からやっていくのも悪くない」
さやか達が走っていった方向に背を向けて、私はひとり歩き出す。
一旦、避難所へ戻らなくてはならない。
私にしかできないことは、そこにたくさんある。
「見滝原も、私の奇跡の力も、……なぁに、また記憶を失ったようなものだと思えばさ?」
杏子とまどかに向き返って笑いかける。
「これまでの日々のように、様々な事件や困難も待っているだろうけど……それはそれで、面白い出来事が待っているかもしれないだろう?」
記憶を失っても、それこそ奇跡のようにみんなと出会うことができた。
そんな素敵な出来事が、見滝原の何もない荒野の上で花開くかもしれない。
この先にある希望に、私は期待するばかりだ。