疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:冒険者モモンに討伐されたズーラーノーンの高弟の一人。
男:エ・ランテルの死体安置所に現れた謎の男。


クレマンティーヌ復活編
第1話「疾風走破、蘇る」


 肉体を捕らえる白骨の縛め。

 髑髏の眼窩に赤い灯火。

 視界を染める真紅。

 真紅を蝕む闇。

 

 薄汚い布が垂れ下がっている。

 闇から逃れるために懸命に手を伸ばし――

 クレマンティーヌはそれを掴んだ。

 

 そこは薄暗い部屋だ。

 入口付近にある小さな灯火が落ち着きなく揺れていた。

 部屋には馴染みのある臭いが充満している。

 死臭だ。

 

 薄暗闇に目が慣れクレマンティーヌはゆっくりと身体を起こす。

 固い台の上にいる自分と、入口近くの壁に寄りかかっている人影に気がついた。

 

「ようやくお目覚めかぁ。気分はどうだ、ん?」

「……あんた、誰?」

「赤の他人の鬼畜モンだぜ。通りすがりのな……くっくっく」

 

 その男の装いは奇妙だ。

 服には装飾の類がほとんどなく紐やボタンもない。

 前開きの上着はズボンと同じ青みがかった灰色で、その奥には白かったであろう薄汚れた肌着が見える。

 くすんだ黄色い布を首に掛けているのはファッションか、あるいは何かの魔法的な守護アイテムだろうか。

 特異な風体で粋がっている木っ端冒険者かと思ったが、冒険者プレートらしきものは見当たらない。

 

 白髪交じりの髪は乱雑に切られただけなのかぼさぼさで、内臓を病んでいるような濁った肌には無精ひげがぽつぽつと生えている。

 垂れ下がった眼の奥にある瞳は黒く澱み、厚い唇はニヤニヤと底意地が悪そうに歪んでいた。

 おおよそ善人とは言いがたい風体だ。

 貧民街で見かけたチンピラたちの薄汚れた顔を思い出す。

 

 こいつ――ぶっ殺す。

 瞬間的に沸き上がる感情をクレマンティーヌは抑えつけた。

 自分が置かれている状況を把握しなければならない。

 

「ここは……どこ?」

「死体安置所だぜぇ。くっくっく」

「死体……安置……?」

「さすがに分かんねえか。ねぇちゃんはここでおっ()んでたんだよ」

「死んでた……? この私が……?」

 

 霧にぼやけた記憶の中に影が現れ、輪郭が次第にはっきりとしてくる。

 

 同僚の死霊術使い(ネクロマンサー)。 

 冒険者の屍と拷問の愉悦。

 金髪の少年。

 アンデッドの群れ。

 漆黒の鎧と二本のグレートソード。

 そして――。

 

 思わずクレマンティーヌは自分の身体を確かめた。

 ほの暗い灯火の下で見る己の腹は滑らかで骨折や裂傷の跡はない。

 そして身に付けているものは何もない。

 

「……私に何をした?」

「くっくっく。すげえ有様だったぜ、ねぇちゃん。口からモツ出してよぉ。まあ、身体がぺちゃんこになりゃああなるわな」

 

 からかうような男の口調にクレマンティーヌは顔を歪めた。

 小悪党の顔にニヤニヤ笑いを浮かべたまま男が言う。

 

(おべべ)は誰かが持っていっちまったみてえだな。今のねぇちゃんは生まれたままのすっぽんぽんだぁ」

「なるほどねー……」

 

 身体が少し重いが内臓や骨に痛みはない。

 人ひとり殺すに足る膂力は十二分にあるはずだ。

 この力に対応できるのは英雄級の人間だけ。

 

 くるりと身を翻して安置台から降りると次の瞬間、クレマンティーヌは素足で床を蹴った。

 

 <疾風走破><超回避><能力向上>。

 

 過剰と思えるほどの武技を同時展開して男に突進する。

 クレマンティーヌの裸身が薄暗い死体安置所で白い軌跡を描いた。

 

 細くしなやかな腕を伸ばして男の目を突く。

 どれだけ肉体が強靭であっても眼球は人間種の大きな弱点だ。

 眼球を潰せなくとも視力を奪えれば、身にまとう装備くらいはこの男から奪えるだろう。

 しかし――。

 

 指は眼窩に入らず、その手は強い力で大きく弾かれた。

 クレマンティーヌは驚愕し、素早く男から距離を取る。

 

「なんで! ……まさか!?」

 

 脳裏に白い髑髏の笑みが浮かぶ。

 

「雌の裸は大好物だぜぇ。だがなあ。恥じらいってもんがなきゃ俺様の摩羅は反応しねえ」

 

 男が洩らした言葉の意味をクレマンティーヌは理解できなかったが、この男が強者であるということは理解した。

 それも英雄級の力を持つ自分以上の。

 

 強者を前にして生き残る手段は恭順するか逃走するかのふたつにひとつ。

 だが今のクレマンティーヌにはその判断がつかなかった。

 薄暗い室内に武器になりそうなものは見当たらず、となりの台に焼け焦げた死体があるだけだ。

 

「ねえちゃん。アンタ強いんだろうなぁ……くっくっく」

 

 次の行動を決めかねているクレマンティーヌに男が話しかけた。

 攻撃されたことは理解しているようだが、その口調からは怒りも驚きも感じない。

 この男もまたクレマンティーヌの攻撃を一切無視できる存在なのだろうか。

 あの不死者(アンデッド)のように。

 

 男は首にかけていた薄汚れた布で顔をごしごしと拭った。

 

「レベル差ってヤツさぁ……。俺とねえちゃんとじゃ攻撃が通らねえくらいの差があるんだよ」

 

 クレマンティーヌの頭の中を納得と恐怖が支配した。

 

「……あんたの目的は?」

 

 男は目を閉じて考える仕草をした。

 

「ねえちゃんみてえな雌に、ぴったりの仕事があるんだよ、くっくっく」

 

 男の目的が取り引きと知り、クレマンティーヌは落ち着きを取り戻した。

 裏切ったとはいっても元スレイン法国の特殊部隊漆黒聖典の一員だ。

 交渉して情報を引き出す任務もこなしたことはある。

 拷問による自白の強要がその大半であったが。

 

「それって私への依頼かなー? これでも私、おっきな組織の幹部なんだよねー。だから、おじさんの依頼は受けられないかなーって」

 

 そう言いながらクレマンティーヌはその裸身を半身に構える。

 羞恥のためではない。

 交渉が決裂したときに、すぐに逃走するためだ。

 男は動かず、ただ呆れ哀れむような顔をクレマンティーヌに向けた。

 

「……ふん。帰る場所(ヤサ)があるんならさっさと帰んな。死者再生(レイズデッド)を使っちまったが別に頼まれたことでもねえしな」

 

 ――死者再生(レイズデッド)

 

 ズーラーノーンでは勿論のこと、かつて属していたスレイン法国でも莫大な金と触媒を要し一部の術者しか使うことのできない蘇りの第五位階魔法をこの小汚い男は使ったのか。

 それも見返りがなくても気にならないほどの気安さで。

 

 クレマンティーヌがスレイン法国を離れたときに、ズーラーノーンに身を置いたのは法国の追っ手を撒くための手段だ。

 より大きな力と庇護を得られるなら立場を変えることに抵抗はなかった。

 禿頭の同僚の顔を思い出したが今の自分の利にはなりそうもない。

 

「おじさん、そんなすごい魔法を使えちゃうんだ? 誰に教わったのー? それともアイテムかなー?」

「……さあな」

「冷ったいなー。私、おじさんの話に乗ってもいいかなーって思い始めているんだけどー。それにこんな格好じゃ私、風邪ひいちゃうしさ。女の子には優しくしないとだよー?」

 

 女であることで得をしたことの少ないクレマンティーヌだが女を武器にする手段は知っている。

 男の無精ひげまみれの口元に不愉快な笑みが浮かぶ。

 

「挨拶代わりに眼ぇ突いてくる雌に優しくする必要があるかどうかはしらねえが――」

 

 男はゆっくりと死体安置所を見回した。

 

「まあ、こんな辛気臭い場所でお喋りを続ける義理はねえな」

 

 男は後ろを向いた。

 

「話を聞きたきゃ付いてきな」

 

 男が話に乗ってきたことにクレマンティーヌは満足する。

 だが、差し迫った問題がもうひとつ。

 

「それはいいんだけどさー。私、裸なんですけどー?」

「なにか不都合でもあんのか? くっくっく」

 

 男の含み笑いに殺意を覚えたが作り笑顔でなんとか覆い隠す。

 

「んー。私は別にいいけどね。あんまし目立つとおじさんもヤバいんじゃないかなー?」

 

 その言葉に納得したのか、男はいつの間にか手にしていた灰色のマントをクレマンティーヌに向かって放り投げてきた。

 受け取ったマントを素早く裸身に巻き付ける。

 

「裸の女の子にマント一枚って酷くなーい?」

 

 その文句には男は取り合わず、無言で扉に向かって歩き出した。

 クレマンティーヌは舌打ちをしながら、どうやってこの男を嬲り殺してやろうかと考える。

 今すぐ実行できなくても、その時が来てから考える無駄は避けたい。

 クレマンティーヌはマントをわずかに引き上げて口元の笑みを隠す。

 

 男が使っていたものではないのか、マントからは人の匂いや使用感というものが感じられなかった。

 そしてそれとは別に、元漆黒聖典第九席次として覚えのある雰囲気が漂っていることを感じる。

 

「このマントってさー。もしかしてマジックアイテムかなー?」

「……まあな。道端の石ころくらいにはなれるぜぇ」

「ふーん」

 

 男の雑な説明にクレマンティーヌはとりあえず頷いて見せた。

 死体安置所の扉や衛兵詰所の門の横には多数の衛兵が立っていたが、その誰もが男にもクレマンティーヌにも注意を払わない。

 衛兵の顔の前でひらひらと手を振っても反応しないどころか同僚との世間話を続けている。

 かつて漆黒聖典時代にカモフラージュの魔法を帯びて任務にあたったことがあるが、このマントはその魔法以上の効果だ。

 なるほどこれがマントが持つ魔法の力なのだろうと理解する。

 そして、これほどのマジックアイテムはどれだけの価値があるだろうか。

 クレマンティーヌは歩を早めて男の横についた。

 

「すごいねーこのマント。ぶん殴ってもあいつら気づかないんじゃない?」

「調子に乗ってんじゃねえ。バレたくなきゃ大人しくしてろ」

「はいはーい。大人しくしまーす。……でさー。おじさんの名前を聞いてもいいかなー?」

「名前を聞くときゃあ、自分から名乗るって親に習わなかったか?」

「おじさんって、そういうの気にするタイプ? 頭固いねー」

 

 軽口で返したもののクレマンティーヌは自分の名を明かすことを躊躇っていた。

 いざというときに、この男の口を封じる自信がないからだ。

 しかし今のクレマンティーヌの助けになる存在はこの男の他にない。

 今、所属している組織と禿頭の死霊術使い(ネクロマンサー)を頼るつもりは既にない。

 

「私はクレマンティーヌ。クレマンって呼んでいいよ」

「クレマンちゃんか……くっくっく」

「……嫌な笑い方ー。で? おじさんの名前は?」

「俺か?」

 

 男はしばらく無言になり、やがてぼそりと言った。

 

「カイだ」


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