疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。難度は百くらい?
カイ:助平おやぢ。難度は高いが不明。
ムーレアナ:帝都アーウィンタールで武器屋を営む女剣闘士。難度は六十くらい。




第13話「疾風走破、救出する」

◇◆◇

 

「ママぁ!」

 

 娘――マヤが長椅子に座る母親、ムーレアナの膝にしがみついた。

 

「……どうしたのマヤ。大きな声を出して?」

「あのね。外の、外のお店、行っていい?」

 

 ムーレアナはバハルス帝国の帝都アーウィンタールにある小さな店の女店主であり、大闘技場で今日行われる試合に出場する戦士だ。

 試合の時間はまだ先だが、規則によるムーレアナが外出できる時間は過ぎている。

 

 ムーレアナはかつて夫と共にミスリルの(クラス)の冒険者をやっていた。

 出産を機に夫とともに冒険者を引退し、かねてからの夢であった武器の商売を帝都の北市場で始めた。

 店の主な取扱商品は冒険者やワーカー向けの武器とポーション。

 元ミスリル級冒険者が薦める武器や防具、マジックアイテムは冒険者やワーカーに好評で、それに加えてムーレアナの美貌が多くの固定客を掴み店を構えるまでになった。

 愛する夫と娘と共に帝都に開いた店の売上は順調。

 そんなムーレアナの幸せは数年続いた。

 

 昨年の春、かつての仲間に請われて夫が冒険に赴いたときムーレアナの幸せに陰りが生じる。

 数日で終わるはずの依頼が、ひと月経っても夫は戻らず冒険者組合に聞いても状況は不明。

 いつ戻るとも分からない夫を待って、ムーレアナは娘のマヤと店をひとり懸命に支えていた。

 

 そんな折、ムーレアナの噂を聞きつけた興行主(プロモーター)が闘技試合への出場を打診してきた。

 幼い娘がいることもあって初めは出場を固辞したムーレアナだったが、興行主(プロモーター)は彼女を諦めず鍛冶と魔術師の組合を通して説得を試みる。

 取扱商品の仕入先からの頼みとなると武器屋の女主人としては断り難い。

 何度かの話し合いの末、連続した大会には出場せず限られた試合数であればという条件で引き受けることになった。

 最終的に引き受けたのは、行方の分からぬ夫への心配を、戦いの中で一瞬でも忘れたかったのかもしれない。

 

 大柄なムーレアナが使う武器は大人の身長ほどの長さのグレートソードだ。

 それを力任せに振り回して対峙する人や獣をなぎ倒した。

 美貌の女戦士が黒い髪をなびかせ戦う様に大闘技場の観衆は熱狂した。

 美しい彼女が力強く勝利することを願い、そして血にまみれて敗北することを願って。

 そんな熱狂も今日の試合で終わる。

 

「もう試合が終わるまでママはお外に出られないの。終わったらママと一緒に行きましょう」

「んーと……あのね。ジェストさんがね。行くって。一緒にー」

 

 マヤが扉の横に立つ小柄な男――ジェスト・デセオをちらちらと見た。

 娘とジェストの間で話がついていることをムーレアナは察した。

 

 ジェストはムーレアナの試合報酬を管理している人物だ。

 興行主(プロモーター)の紹介で仕事を任せてから半年ほどの付き合いになる。

 性格は温厚で真面目。

 ある貴族の財産管理の仕事をしているそうで、人当たりが良いだけでなく報酬交渉では言うべきことも言ってくれる。

 ムーレアナが試合をしているときにはマヤを預かってくれたりもしていた。

 そんなジェストの誠実さはマヤも感じていて、近頃は知らない内緒の話もしているらしい。

 この話もそのひとつだろうが、仕事以外でそこまで甘える訳にはいかないと思うのは、ムーレアナの商売人としての信条だ。

 

「ジェストさんにもお仕事があるんですよ。我侭を言わないの」

 

 むくれるマヤにジェストがいつもの笑顔で助け船を出す。

 

「良いですよ。マヤちゃんの買い物にお付き合いしましょう」

「そこまで甘えるわけには……」

 

 それでなくても試合中のマヤのお守りをしてもらっているのだ。

 これ以上、彼の手を煩わせたくはない。

 

「私の仕事は試合の後ですから、それまでは大丈夫ですよ。それにムーレアナ。今日が最後なのでしょう。勝って終われるように準備しておいてください」

「……すみません」

 

 ムーレアナは控え室備え付けの宝箱から銅貨3枚を取り出した。

 しゃがみ込んでマヤに銅貨を手渡すと、その小さな手を握り締める。

 

「ジェストさんに無理を言わないのよ。それと買い物が終わったらすぐに戻ってらっしゃい。いいわね?」

「うん!」

 

 マヤが笑顔で頷いた。

 夫が行方不明になってから不安と気疲れは常に付きまとっている。

 それでも娘の、マヤのこの笑顔があるからムーレアナは前に進めるのだ。

 

◇◆◇

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)の裾を握り締める少女にクレマンティーヌはため息をついた。

 少女の後を3人の男達が追ってきたこともクレマンティーヌの気分を滅入らせる。

 男達がマントに隠れている少女を見つけた。

 

「――よし。鬼ごっこはここまでだな」

「ママに串焼きを持って行くんだろ」

「ママが待ってるからねぇ。早く戻りまちょうねぇ……ん? なんだぁ?」

 

 男達はようやく目の前にクレマンティーヌが居ることに()()()()()

 外套(マント)は少なくとも男達には正しく機能していたようだ。

 

「なんだぁ? 邪魔をするってのか、あぁ?」

「なんなら姉ちゃんも一緒に来るかぁ? 串焼きよりも旨い物をその口に――ひぃっ!」

 

 小柄な男の言葉が男自身の短い悲鳴で遮られた。

 クレマンティーヌは何もしていない。

 ただ顔を顰めただけだ。

 

 どう出るべきかを迷う男達を無視してクレマンティーヌは少女を見る。

 少女は怯えた顔でクレマンティーヌと男達を交互に見ていた。

 その小さな手がマントの裾をしっかり掴んでいる。

 

 怯えた表情はクレマンティーヌの大好物だが、今はそれを堪能する気分ではない。

 

「……あ……あの……」

 

 消え入りそうな少女の声。

 年の頃は六つか七つくらいか。

 この周辺では珍しい黒い髪を後ろでふたつに結っている。

 幼くも整った顔立ちは、いずれ多くの男を虜にするようになるだろう。

 無事に生き続けることができたら、だが。

 

 クレマンティーヌは表情を少しだけ緩めた。

 

「私はねー。あんたのママじゃないよ」

 

 クレマンティーヌはそう言い放つと、すがりつくような目の少女をひょいと両腕で持ち上げ男達の前に立たせる。

 少女が抱えていた串焼きが地面に散らばった。

 

「……あっ!」

 

 少女が小さく声を上げる。

 構わずクレマンティーヌは振り返り、そのまま男達とは反対方向へと歩き出した。

 男達の気持ち悪い猫なで声と少女のか細い抵抗の声が遠ざかり、やがて消える。

 ゆっくりと振り返ると少女と男達の姿はない。

 

「……ふん」

 

 散らばった串焼きがちくりとクレマンティーヌの心に刺さった。

 

 

 クレマンティーヌは闘技場の周辺をあてもなくうろついている。

 やったこととと言えば賭けに夢中になってる親父の懐から革袋をすったり、屋台の串焼きや菓子を摘んだり、巡回中の警備騎士の足を引っ掛けたりしたくらいだ。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)は存分に役目を果たしていた。

 あの少女にすがりつかれた事を除いては。

 

 あれは生まれながらの異能(タレント)だろうか。

 そうだとすれば魔法の効果を打ち消すものか、あるいは人の居場所を察知するものか。

 スレイン法国であれば子供の出生時に調べ上げ、国レベルで管理する能力だろう。

 だがバハルス帝国の国民管理はそこまで徹底はしていないようだ。

 これは生まれながらの異能(タレント)持ちが、その辺りにいるかも知れないということを意味する。

 

 食べ終わった串を投げ捨てクレマンティーヌは周囲の様子を窺う。

 だが彼女に注意を払っている者の気配はなく、誰もクレマンティーヌに気を留めていない。

 少しだけ安心したクレマンティーヌの頭の中に突然、声が聞こえてきた。

 

『――おい、クレマン』

「――!? ……なんだ、カイちゃんか?」

『ああ。愛しい愛しいカイ様だぜぇ、くっくっく』

「……カイちゃん、<伝言(メッセージ)>まで使えんだ」

 

 クレマンティーヌが<伝言(メッセージ)>を受けるのは初めてではない。

 ただカイが<伝言(メッセージ)>を使えるということを知らなかっただけだ。

 クレマンティーヌは素早く人の居ない場所へと移動する。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を被っているとはいえ、人通りの多い場所でひとりブツブツと話すのは格好が悪い。

 

「なに? 女を探して迷子にでもなったー?」

『そんなヘマするかよ。俺様は鼻が利くんだ。どんな分厚い壁向こうの肉壺の臭いだってすぐに嗅ぎ分けて……って、下らねえコト言ってんじゃねえ。急用だ。こっちに来い』

 

 下らない事を言ってるのはそっちだろ、と言いたい気持ちをクレマンティーヌは飲み込む。

 

「……こっちってどこー?」

『戦士控え室に決まってるだろうが。ムーレアナちゃんのなぁ』

「……誰ちゃん? それじゃ分かんないって」

「ったく……察しの悪い肉壺だぜ――」

 

 カイから控え室の場所を聞いたクレマンティーヌはマントを被り直すと、最寄りの入口から大闘技場の中に入った。

 

◇◆◇

 

 カイに教えられた控え室にクレマンティーヌが入る。

 それほど広い部屋ではないが、戦士ひとりに対してひとつの部屋を与えているのは豪勢だ。

 この大闘技場でそれだけ大きな金が動くということなのだろう。

 長椅子に座ってうなだれている女がクレマンティーヌの目に入る。

 その前で片膝をつき、だらしない顔で慰めているのはカイだ。

 

 女の背丈はおそらくクレマンティーヌより高い。

 カイと同じくらいだろうか。

 身体もクレマンティーヌよりひとまわりほど大きい。

 派手な試合用装備は紫色で、隙間から見える肌は鍛えられた者のそれだ。

 それでいてリ・エスティーゼ王国の王都で見た蒼の薔薇のガガーランのようにゴツゴツした四角い印象はなく、女性らしいなだらかな丸みを帯びている。

 男なら誰しもが組み伏せ己の欲望を吐き出したくなるだろう。

 そしてクレマンティーヌが腰の細剣(レイピア)で切り刻みたくなる身体だ。

 

 うなだれていた女が顔を上げる。

 この周辺では珍しい黒髪が乱れ血の気が引いた顔は美しくも酷く憔悴していた。

 潤んだ目と憂いを帯びた仕草が男の保護欲をそそるであろう雰囲気を漂わせ、それがクレマンティーヌをイラつかせる。

 

「でー? こちらの女戦士さんは?」

 

 カイに聞いたつもりだが、答えたのは女だ。

 

「……ムーレアナです」

 

 女――ムーレアナの声は力なく掠れている。

 

「私はクレマン。よろしくねー」

 

 場にそぐわない明るい自己紹介を聞きムーレアナは再びうなだれた。

 クレマンティーヌが部屋を見回すと入口の横には棚があり、そこにはムーレアナの物らしき装備だけが置いてある。

 

 ポーションの瓶が二本。

 綺麗に手入れされたクレマンティーヌの背丈ほどのグレートソード。

 グレートソードを見て嫌な事を思い出したクレマンティーヌは思わず顔を顰める。

 

 カイが立ち上がると小声でクレマンティーヌを部屋の隅へと呼んだ。

 

「……なに?」

「これを見ろ」

 

 カイが差し出したざらついた紙にはムーレアナへの伝言が殴り書きされていた。

 なるほど、金が絡む場所ではよくあることだとクレマンティーヌは納得する。

 

「なんて書いてあんだ?」

 

 何も事情が分からずに殊勝な顔で女を慰めていたのかとクレマンティーヌは呆れた。

 子供と連れを返して欲しければ勝負に負けろ、と書いてあることをカイに説明する。

 

「こんなとこでも八百屋のチョウベエさんとはなぁ。金が絡むと碌なことがねえ」

 

 よく分からないことを呟きながら、カイは例の銀色の板を取り出し指でなぞり始めた。

 その様子をクレマンティーヌは黙って見る。

 

「……出た出た。なるほどぉ。あの雌に似てけっこうな玉じゃねえか。十年後が楽しみだぜぇ」

 

 カイの手元にある板をクレマンティーヌが覗き込んだ。

 そこには魔法の力で、この部屋でムーレアナと幼い少女、そして小柄な男が談笑している様子が映し出されている。

 クレマンティーヌはその少女の顔に見覚えがあった。

 そして小柄な男にも。

 

 銀の板を懐に仕舞い込んだカイにクレマンティーヌは聞く。

 

「……で、どうすんの?」

「乗りかかった肉壺だぁ。さくっと娘を助けて恩を売るに決まってるだろぉ。それまでクレマン(お前ぇ)はここでムーレアナちゃんと女子トークでもやって場をもたせとけ」

 

 クレマンティーヌは少し考えカイに提案する。

 

「あのさ。どうせだったら私が行くってのはどう?」

「……なんだぁ? 殺しのクレマンさんが人助けとは、どういう風の吹き回しだぁ?」

「ふん。こんなとこで留守番なんかしてたら気が滅入りそうだしね。それに――」

「それに?」

 

 クレマンティーヌはカイの耳元に顔を近づけた。

 

「私が居なくなればまた二人っきりだよー。あの女をもっと追い込めるんじゃない?」

 

 クレマンティーヌは黒い笑顔を浮かべる。

 それを聞いたカイの顔が情欲に綻んだ。

 

「……なるほどなぁ。そこまで言われちゃ仕方がねえ。娘の方は任せてやる。終わったら寄り道せずに戻って来い。買い食いなんかすんなよ。いいな」

 

◇◆◇

 

 ジェスト・デセオは寝台で何度も何度も腰を振った。

 身体の下には武器屋の女主人、ムーレアナの娘――マヤの幼い肉体がある。

 着ていた服は引き裂かれ、首や肩の周りに辛うじて布が張り付いているだけだ。

 母親譲りの白い肌はあらゆる場所が血と体液に塗れていた。

 

 ここは大闘技場に近いジェストの(あるじ)が所有する屋敷の二階。

 たまに泊まるとき以外は倉庫として使っている場所である。

 小さいとはいえ貴族の屋敷であり部外者が入ってくることはない。

 

 部屋の中にはジェストとマヤの他に3人の男達がいた。

 男達は酒を飲み笑いながらジェストの行いを見ている。

 今日の仕事のためにジェストが雇った請負人(ワーカー)だ。

 

 部屋に連れ込み、最初にマヤを犯したのは最も身体の大きな男だ。

 女であれば赤ん坊でも犯しそうな野卑な男だった。

 次にひょろりと背の高い男がマヤに覆いかぶさって精を吐き出し、ジェストは三番目だ。

 

 マヤの母親――ムーレアナの強さをジェストは知らない。

 報酬管理の仕事を始めてから、ムーレアナの試合があるたびに彼女が死ぬかも知れないと考えていた。

 あの豊満な肉体が自らの血に塗れて倒れ伏す光景を妄想し、(たぎ)る分身を自分の手や商売女で慰めてきた。

 そして今日、マヤを手中にしたジェストは、その母親の顔と肉体を思い描きながら、幼い身体に何度も腰を打ち付ける。

 

 ジェストがムーレアナの報酬管理人になったのは(あるじ)である貴族が紹介したからだ。

 大元を辿れば興行主(プロモーター)からの依頼であり、ムーレアナを大闘技場の試合に集中させる手段だった。

 自分よりも背が高く大柄な美しい武器屋の女主人にジェストは心を奪われた。

 ムーレアナの気を惹くため報酬管理の仕事を真面目にこなし、贈り物を贈ったりもした。

 だが夫への愛情からか、それとも小男の報酬管理人に魅力を感じなかったのか、ムーレアナはジェストに感謝こそすれなびく素振りは見せなかった。

 

 やがてムーレアナが最後と決めた試合で、ある貴族の子飼いの戦士との対戦が決まった。

 その貴族は子飼いの戦士の勝利のために一計を案じた。

 それが娘のマヤを人質に取ってムーレアナを敗北させることだった。

 貴族は友人であるジェストの(あるじ)に協力を仰ぎ、(あるじ)はその話を引き受けた。

 ジェストはムーレアナ親子に情を感じてはいたものの、(あるじ)の命に逆らう気はなかった。

 (あるじ)から預かった支度金で名も知らぬ請負人(ワーカー)を雇い、そして今日、控え室から言葉巧みにマヤを連れ出した。

 ムーレアナに試合での敗北を要求する殴り書きを残して。

 

 締め切った部屋には生臭い臭いが充満している。

 なにもかも終わったら掃除と換気をしなくてはならないとジェストは思う。

 ふと、身体の下にある小さな肉体から動きが消え、死んでしまったのかと思ってジェストはマヤを見た。

 少女の顔は痣だらけで大きく腫れ上がっている。

 薄く開いた目と小さな鼻、そして血が溢れている口の中の歯は何本か折れていた。

 連れてくるときと、そして連れてきたこの部屋とで男達とジェストが殴りつけたからだ。

 マヤの口と鼻が呼吸のために僅かに動いたのを確認して胸を撫で下ろす。

 母親の試合が終わっても、この少女にはまだ使い道があるのだ。

 

 その時、部屋の扉が開いた。

 

「こんちわー」

 

 緊張感のない挨拶と共に開かれた扉の向こうに若い女が立っていた。

 肩にかかる金髪に猫耳の飾りをつけ、まるで下着のような革鎧(バンデッド・アーマー)を着ている。

 その童顔の美女にジェストは見覚えがあった。

 連れ出す途中で逃げたマヤがすがっていた女だ。

 若い女なら嫌悪するだろう獣欲に満ちた部屋をまるで気にしていない。

 突然のことに呆然としている男達の間をすたすたと歩き、その女はジェストの傍に立った。

 

「――邪魔」

 

 いきなり女に突き飛ばされジェストは局部を丸出しにしたまま寝台の裏に転がり落ちた。

 

「……死んでないみたいだね。良かった良かったー」

 

 それほど心配していたと思えないような女の声に、ようやく請負人(ワーカー)の男達が我に返った。

 

「な、なんだ手前ぇっ!」

「あ、あの武器屋の仲間かっ!?」

 

 男達の怒りと殺意が大きく膨らむ。

 だが猫耳女は気にも留めていない。

 

「んじゃ、連れてくよ。いーよね?」

 

 男達の意思などまるでお構いなしの軽い調子で確認する。

 ジェストは慌ててズボンを穿き、寝台の裏から立ち上がった。

 

「――なんだ、手前ぇ! こ、ころ、殺されてぇのか!!」

 

 ジェストの怒りの言葉は女に届いていない。

 ただ残念そうな表情を、その童顔に浮かべただけだ。

 

「んー。あんまし時間かけらんないんだよねー」

 

 そう呟くと顔を歪め獣の笑みを浮かべた猫耳の女が消える。

 次の瞬間、ジェストは腹部に熱いものを感じた。

 

「ちっ!……ひっ……がっ……がはぁっ!」

 

 耳まで裂けたような笑い顔がジェストの眼前に現れた。

 女の手には細剣(レイピア)が握られ、その刃がジェストの腹から背へと貫いている。

 そのままゆっくりとジェストの身体が持ち上げられた。

 喉の奥から大量の血が溢れてくるのが分かる。

 

(きったな)いなー。ちょっと離れてもらえる?」

 

 流れる血と体液を避けるように女が腕を振り、ジェストは血を撒き散らせながら部屋の隅まで転がった。

 

「……ご、ごぼっ!」

 

 ジェストは大量の血を吐き出すが、何度吐いても血が止まらない。

 なんとか顔を上げ部屋の様子を窺うが請負人(ワーカー)の男達が動いた様子はなかった。

 ジェストを痛めつけた猫耳女は、寝台の上のムーレアナの娘――マヤを見ている。

 

 請負人(ワーカー)は逃げてしまったのだろうか。

 雇い主を見捨てて逃げる奴らには、後で(あるじ)から報復してもらおう。

 そのためにはここから逃げなくてはならない。

 こんな暴力は許されない。

 許される訳がない。

 屋敷に戻り(あるじ)にこのことを伝えよう。

 そうすれば自分を見捨てた請負人(ワーカー)には勿論、この女にも武器屋のムーレアナにも、しかるべき罰が下されるだろう。

 

 ジェストは痛みに堪えながら這いずるように扉に向かって進む。

 手が何かに触れた。

 妙に硬いその何かがくるりと回りジェストを()()()()()

 それは最も大柄で最も野蛮な請負人(ワーカー)の生首だ。

 生首の虚ろな視線にジェストは血と叫び声を吐き出す。

 

「ひ、ひいいいいぃぃぃぃっ!!」

 

 そして目の前にマヤを片手で抱きかかえた猫耳の女が立つ。

 紫の瞳が冷たくジェストを見下ろしていた。

 

「お、俺は……がはっ! ……こいつらに脅されて……しか、仕方なかったんだ!」

「ふーん」

 

 女の声には怒りも悲しみもジェストの言葉に対する興味さえ感じられなかった。

 無表情のまま女は細剣(レイピア)をくるりと回すと、流れるような動きでジェストの背に突き刺した。

 

「い、ぎゃああああぁぁぁっ!!!」

 

 細剣(レイピア)はジェストの背から腹に抜け、床にまで刺さる。

 更なる激痛にジェストが暴れようとするが、床に刺し止められているため、その場から動くことができない。

 

「あはははっ! こりゃ面白いねー。虫けらみたい」

 

 それまで表情がなかった女が大きな口を開けて無邪気に笑う。

 

「……ん? ……あーはいはい。確保したよー。ぼろっぼろだけどね。……分かったって、すぐ戻るよ」

 

 猫耳の女は()()()()()()()()が、それを気にする余裕は今のジェストにない。

 他の請負人(ワーカー)二人の頭が女の足元に転がっているのに気がついたからだ。

 もはや自らの(あるじ)の地位にすがるしかジェストが生き残る道はない。

 

「が、あ……は、早く、俺を助けないと、め、面倒なことになるぞ。お、俺はフェメール伯爵家で働いてるんだ。何かあれば伯爵が黙って――」

 

 ジェストが全てを言い切る前に猫耳の女の顔が近づく。

 金髪がふわりと揺れ、蒼白になったジェストの頬に触れた。

 女の目がすっと細くなる。

 

「あんたら、うるせーんだよ。毎度毎度、伯爵だの侯爵だの」

 

 猫耳女の顔が遠ざかり、獣の顔は無邪気な笑顔に戻った。

 

「……ま、そんなみじめな格好(ザマ)晒して強がんのは褒めてあげるよ。笑えるからねー」

 

 そう言って女は細剣(レイピア)をゆっくりと引き抜く。

 

「い、いや、やめ、ころ、殺さないで――」

「だから、ごめんねー。すぐ戻れって言われてるんだって」

 

 じゅっと肉を焼くような音がして、ジェストは自分の頭と胴体が離れてしまったことを理解する。

 

「――串焼きのお詫びだよー」

 

 ()()に聞こえたその女の言葉は、ジェストに向けられた物ではなかった。

 

◇◆◇

 

 娘を連れて帰ったときの母親――ムーレアナは涙を流し取り乱した。

 何度もクレマンティーヌに容態を確認し、娘の命の無事を知るとようやく安堵した。

 クレマンティーヌが、これほどの愛情に溢れる親の姿を見たのは初めてだった。

 急いで自分のポーションを使おうとするムーレアナをカイが止める。

 カイが自分の懐からポーションを取り出し娘に降りかけると、傷だらけで白蝋のような肌は生命の赤みを取り戻した。

 ムーレアナは娘を抱きしめ、幾度となくクレマンティーヌとカイに感謝の言葉を告げた。

 

 カイが魔法で娘を眠らせムーレアナが落ち着いたところで、クレマンティーヌは助け出したときの状況を説明する。

 話を聞いたムーレアナは一瞬だけ怒りの表情を見せたが、すぐに目を伏せうなだれた。

 娘を(さら)った者への怒りと、それを行ったのが貴族の関係者だったという諦観だろう。

 このバハルス帝国においても貴族の立場は、平民にとって比較にならないほど高い。

 貴族や貴族に連なる人間に逆らった親子の立場は間違いなく苦しい。

 場合によっては命を奪われることになるかも知れない。

 だが義理のないクレマンティーヌとしては、それはどうでも良いことだ。

 横のカイが顰め面をしているが、どうせ豊満な母親をどうやって追い込むか考えているだけだ。

 

 しばらく沈黙が続いたところでクレマンティーヌがあることを思い出す。

 

「そーいえばさー。この娘、なんか生まれながらの異能(タレント)持ってない?」

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を被っていながら、この少女にしがみつかれたことがクレマンティーヌには引っかかっていた。

 ムーレアナは静かに頷き、そして娘の頭を優しく撫でる。

 

「はい。マヤ――娘は何というか……直感で人や動物の強さが判る、みたいです。まだ難度は教えていないのですが……」

 

 それを聞いてクレマンティーヌはひとり納得する。

 少女は男達から逃れるための強者――おそらく母親――を探していたのだろう。

 やがて強者を見つけ(すが)ったのが外套(マント)を被ったクレマンティーヌだったのだ。

 生まれながらの異能(タレント)は、多くの場合、宝の持ち腐れで終わる。

 その能力を十全に活用しようとするのであれば、スレイン法国のように国民全体を管理登録するしかない。

 充分に管理されているとはいえない帝国において、武器屋の娘は生まれながらの異能(タレント)で生き長らえた。

 これはクレマンティーヌが感心するほど幸運なことだ。

 

 難しそうな顔をしていたカイが口を開いた。

 

「とりあえず娘は無事だったんだ。あんたは試合の方をしっかりヤるんだな」

「ですが……」

 

 武器屋の女主人からは貴族に逆らう事への不安は拭えない。

 カイが悪意に満ちた笑顔を見せた。

 

「心配すんな。貴族のほうには俺がナシつけといてやる。どうせあんたが試合をバっくれたところで、その――フェラ伯爵とやらが見逃す保証はねえ。だったら、こっちから手ぇ回したほうが安心安全ってもんだぁ」

 

 自信満々に語るカイをクレマンティーヌは冷めた目で見る。

 ムーレアナの肉体を目当てに安請け合いしていることに間違いない。

 それでもこの中年男の持っている力は、安請け合いを許すだけのものがある。

 

 そんなカイの言葉を信じ、武器屋の女主人はカイと共に試合へと向かった。

 ごねるクレマンティーヌに娘を預け、留守番を任せたのはカイだ。

 こんこんと眠る少女の横でクレマンティーヌは不貞腐れながら待機させられた。

 やがて大きな歓声が上がり、しばらくたってカイと無傷のムーレアナが戻ってくる。

 ムーレアナの対戦相手はグレートソードで叩き潰されたらしい。

 かけた支援魔法(バフ)が強すぎたとはカイの話だ。

 

 それからムーレアナの控え室に痩せぎすの興行主(プロモーター)が訪れ、カイとムーレアナに平身低頭して詫びた。

 カイはいつもの慇懃無礼な態度で相手の不備を責め、今後ムーレアナへの不干渉を約束させていた。

 後に聞いた話では誘拐の件をオスクという別の興行主(プロモーター)にカイが伝えたらしい。

 

「そんなもんで、あの親子が見逃されんのー?」

「ここは鉄火場だぜ。鉄火場には鉄火場のルールってもんがあるんだよ」

 

 勝敗に金をかける場所で勝敗の操作が行われたとあっては、確かに大きな問題になるだろう。

 だが伯爵という地位があれば母娘(おやこ)の口を封じた方が早いのではないか。

 

「オスクってのは帝都(ここ)の大商人で一番の興行主(プロモーター)だとよ。大闘技場で何度も興行を打ってるだけあって皇帝陛下の覚えめでたいって話だぜ、くっくっく」

 

 そこまで聞いてクレマンティーヌは納得する。

 ここバハルス帝国では皇帝ジルクニフ(鮮血帝)が絶対の権力を持っていた。

 それは多くの貴族を粛清することで作り上げた権力であり粛清は今なお続いている。

 ほんの些細な貴族の醜聞が鮮血帝による粛清の引き金になるだろう。

 

「ムーレアナちゃんの対戦相手のパトロンも貴族みてえだったからな。もしこれから先、あの母娘(おやこ)に何かあれば真っ先に疑われるだろうぜ。貴族でい続けたいなら母娘(おやこ)身辺警護(ボディガード)をしなくちゃならねえかもなぁ、くっくっく」

 

◇◆◇

 

 武器屋の娘を救ってから数日間、クレマンティーヌは殺しをしていない。

 帝都の道路は整備されていて、要所に配置された永続灯(コンティニュアル・ライト)が夜も明るく照らしている。

 王国のように浮浪者で溢れる貧民街がなく、誰にも気づかれずに殺しを楽しむ場所があまりに少ない。

 何かと帝都で動き回っているカイから殺しをするなと、釘を刺されたことも理由のひとつだ。

 殺人が趣味のクレマンティーヌとしては不満はあるものの今のところ我慢できている。

 その理由はカイがズーラーノーンの隠れ家を――性行為はさておくとして――快適な空間(もの)にしていることが大きい。

 まだ残暑の残るこの季節に隠れ家全体が魔法の箱によって冷気で満ちていることは何にも増して有難い。

 北市場でカイが買った扉つきの棚には、冷えた飲み水と果物が入れてあり喉の渇きを癒してくれる。

 空腹になれば中央市場をぶらついて適当な屋台でつまみ食いをし、暑くなれば隠れ家に戻って休む。

 食と命と汗をかく心配がない快適さは、それまで血と闇の中で生きてきたクレマンティーヌにとっては実に甘美だった。

 

 甘美な生活にクレマンティーヌが(ひた)る一方で、カイはムーレアナの武器屋に足繁く通っているようだ。

 武器屋の女主人はカイに感謝はしているようだが、身を許すような話にはなっていない。

 クレマンティーヌが伸びた髪を、不本意ながらムーレアナに切ってもらった時に本人から聞いた話によればだ。

 そのとき、娘――マヤがはしゃぎながらクレマンティーヌの周りをぐるぐる回っていて、実に居心地が悪い思いをした。

 以来、クレマンティーヌはムーレアナ親子に会うことを避けている。

 

 武器屋の女主人が思い通りにならないためか、カイの肉体要求の頻度が増したことはあまりクレマンティーヌにとって好ましいことではなかった。

 だがカイの性行為はクレマンティーヌにとって苦痛ではない。

 自らを鬼畜と称するカイだが肉体を損傷する行為をしないと知れば快楽を受け入れるのはむしろ容易だった。

 そんなクレマンティーヌが不満だったのだろう。

 カイは精神的にクレマンティーヌを犯そうと試みる。

 裸のまま<伝言>(メッセージ)の指示通りに夜の帝都を歩かせたり、性器に張型を入れて一日過ごさせたりと、クレマンティーヌの羞恥心を煽ろうとした。

 それらの行為のほとんどは漆黒聖典時代に受けた訓練や拷問に比べたら楽なものだ。

 だが、裏道で遊んでいた子供達の前で性行為をさせられたときだけは、さすがのクレマンティーヌも動揺した。

 コトが終わった後に精神魔法で記憶を消したらしいが、カイに止められなければ子供達を皆殺しにするつもりだった。

 ただし、精神魔法による記憶の消去はカイの方に問題が生じたようで――

 

「記憶をちょっといじるだけで、ごっそり魔力が減りやがる。この遊びは滅多に出来ねえなぁ」

「……ふーん。そりゃざんねんだねー」

 

 軽い口調で返事をしたものの、クレマンティーヌは内心ほっとした。

 自らの手で口封じのできない相手を増やしたくはない。

 そして精神魔法を含む全ての魔法をクレマンティーヌは信じていないからだ。

 

 そんな平和な数日が過ぎた昼下がり、隠れ家でくつろいでいたクレマンティーヌの頭に、外出していたカイからの<伝言>(メッセージ)が届いた

 

『――漆黒のモモンが来たぞ』

 

◇◆◇




今回のムーレアナ親子の元ネタはアレのアレです。
筆者の作劇の都合に合わせてアレしていることをご容赦ください。

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