疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。水着の日焼け跡が気になる。
カイ:助平おやぢ。武器屋の女主人が気になる。



第14話「疾風走破、曝け出す」

◇◆◇

 

『――漆黒のモモンが来たぞ』

 

 その<伝言>(メッセージ)を受けたクレマンティーヌは跳ねるように寝台から立ち上がった。

 快適な気温に保たれたズーラーノーンの隠れ家の中を、闇雲に歩き回る彼女の頭の中にはただひとつの感情しかない。

 

 やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。

 

 そこには元漆黒聖典第9席次の威厳もズーラーノーン十二高弟の矜持もなかった。

 

 しばらく部屋の中を歩き回ると額に汗が滲み、ようやくクレマンティーヌの中に疑問が生じるだけの余裕が出来た。

 漆黒のモモンが、あのアンデッドが帝都(ここ)を訪れた理由はなんだろうか。

 

(モモンはアダマンタイト級冒険者になったって聞いたけど……)

 

 アダマンタイト級冒険者は貴重な存在である。

 それは所属している冒険者組合にとっては勿論、エ・ランテルという都市にとっても、そして王国にとってもだ。

 そんな一国の切り札と成り得る存在が他国を訪れることは稀なことだ。

 他国の冒険者組合、あるいは国そのものからより良い待遇を示され、河岸(ホームタウン)を移してしまう恐れを、国も冒険者組合も望まない。

 そんな危険(リスク)がある中で、アダマンタイト級冒険者が他国の大都市に姿を見せるにはそれなりの理由があるときだけだ。

 それは単なる高額な依頼ではありえない。

 都市や国に関わる危険な――たとえばあの“死の螺旋”のような――問題の解決を依頼されたときだ。

 

 エ・ランテルでカジットが起こした“死の螺旋”は首謀者であるカジットとクレマンティーヌの死によって解決したことになっている。

 だがカジットはズーラーノーンが、クレマンティーヌはカイが蘇らせた。

 その結果、二人の死体は死体安置所から消え失せてしまっている。

 表向きはどうあれエ・ランテルの為政者にとっては、まだ“死の螺旋”は解決していない。

 あの事件を完全解決するために、漆黒のモモンがカジットとクレマンティーヌの討伐を請け負ったということは充分に有り得る事態だ。

 

 エ・ランテルを出るとき偽の死体でも置いておけば、こんな事態にはならなかったのに、とカイの不手際を心の中でなじろうとして――。

 クレマンティーヌは前に思いつきながらも、努めて無視していたことを思い出した。

 それはカイとモモンの関係だ。

 

 エ・ランテルでカイはモモンとは無関係であるような素振りをし、実利を考えたクレマンティーヌはあの中年男を疑いながらも付き従って行動した。

 だが、よく考えたら無名でしかも桁外れの強者が同じ都市、同じ時期に現れたのだ。

 彼らが全くの無関係である可能性は極めて低いとクレマンティーヌは思う。

 では、どのような関係なのか。

 

 協力しているのか、それとも反目しているのか。

 利害関係があるのかないのか。

 そして、お互いを認識しているかどうか。

 

(ここは考えても仕方がない……)

 

 結論の出ない思索はクレマンティーヌが最も嫌うものだ。

 そして根拠こそないものの彼女が確信していることがある。

 

(カイは……あの男は私をすぐには殺さないはずだ)

 

 モモンの帝都訪問が伝えられたことで、その思いはさらに強まった。

 クレマンティーヌを殺すつもりであれば、何も伝えることなく隠れ家(ここ)に現れ、剣でも魔法でも使えばいい。

 モモンもカイも、労せずそれができるだろう。

 

 彼らが利害関係にあろうがなかろうが、クレマンティーヌの目的が変わることはない。

 スレイン法国と漆黒のモモンから逃れることだ。

 可能であればズーラーノーンからも逃れたいが、それは最後で良い。

 いずれにせよモモンが帝都(この地)に現れた以上、クレマンティーヌは帝都(ここ)から離れる必要がある。

 そのために邪魔なのが――。

 

(……カイだ)

 

 快適な隠れ家で安穏としている自分。

 助けた娘とその母親に慕われている自分。

 肉体を求められ、微かな充足感を感じている自分。

 

 それらは全てカイという中年男に起因しているとクレマンティーヌは思った。

 

(あの助平なアンチクショウが、私を――このクレマンティーヌ様を縛ってる……)

 

 もしカイとモモンが協力関係にあった場合、逃げる困難は倍以上になるだろう。

 だとすれば両者を始末するか、それが不可能なら片方だけでも亡き者にしておきたい。

 

 モモンを殺すことは不可能だ。

 その正体が不死者(アンデッド)だから殺せないのではなく、圧倒的な力の差があるからだ。

 それは一度殺されたから判っている。

 

 だが、カイならば殺せるかも知れないとクレマンティーヌは考える。

 細剣(レイピア)による攻撃は致命傷にこそなっていないものの痛みは感じていた。

 あの防御が武技によるものなら発動させる前に首を落とせばいい。

 カイを殺せば自分は自由になり、彼の持つ大量のマジックアイテムはあらゆる束縛から逃れる手助けになるだろう。

 

 カイに武技を使わせないためには徹底的に油断させることだ。

 あの男を油断させる方法はひとつしかない。

 

 クレマンティーヌは着ていた革鎧(バンデッド・アーマー)に手をかけると、それをおもむろに脱ぎ始めた。

 

◇◆◇

 

「――なんで俺が肉や野菜を買ってきてんだよぉ。俺は専業主夫じゃねえんだぜぇ……」

 

 夕方になりカイが愚痴をこぼしながら隠れ家に入ってくる。

 カイがひとりだけなのは前もって確認していた。

 

「カイちゃ~ん。お疲れさまー」

「……んだぁ。その猫なで声は? なんか悪いモンでも食ったんじゃねえだろうなぁ?」

 

 憎まれ口を聞きながらもクレマンティーヌは作り笑顔を崩さない。

 カイは懐から市場で買ってきたであろう食料を取り出すと、次々に冷気の棚へと片付けている。

 羽織った認識阻害の外套(ステルス・マント)の隙間から腕を伸ばし、クレマンティーヌはゆっくりと冷気の棚にもたれかかった。

 そんなクレマンティーヌにカイが訝しげな視線を向ける。

 

「このクソ暑いのに、なんで外套(マント)なんか着てんだよぉ?」

「いやー。こんな暑い最中、私のために動き回っているカイちゃんを(ねぎら)ってやろうと思ってねー」

「別にお前ぇのために動いてんじゃねえよ」

「まったまたー。心にも無いこと言っちゃってー。素直じゃないんだからー」

 

 クレマンティーヌは身体をくねらせ外套(マント)を僅かに広げると、その奥を少しだけ見せる。

 

「心にも()えこと言ってんのはお前ぇのほうだろうが。大体、お前ぇが昼間に出歩かないからって……お、おろろ?」

 

 カイの視線が僅かに広がった外套(マント)の隙間に集中するのが分かった。

 クレマンティーヌの計画通りだ。

 

「私にできることって、こういうことしかないからさー」

 

 クレマンティーヌは胸と腰、そして脚を少しだけ肌蹴てみせる。

 目ざといカイなら外套(マント)に下に何も着ていないことにすぐ気づくだろう。

 

「エ・ランテルを思い出すよねー。カイちゃん、こーゆーのが好きなんでしょー?」

 

 カクカクと人形のように頷くカイの目は肉欲に濁り、その口はだらしなく開いていた。

 

 自ら肌を(さら)け出す羞恥心が多少はあった。

 だがこの男を殺せば、こんな真似事はこれっきりなのだとクレマンティーヌは演技をし続ける。

 

「やっぱ床より、こっちのがいいよねー?」

 

 外套(マント)が広がらないよう注意しながらクレマンティーヌはゆっくりと寝台(ベッド)に腰を降ろした。

 それから両脚をゆっくりと広げつつ、外套(マント)が辛うじてその奥が隠れるくらいに留める。

 外套(マント)の奥を覗こうとカイは這うように近付いてきた。

 自分の裸なら何度も見ている筈の中年男が、こんな単純な色仕掛けに引っかかることをクレマンティーヌは哀れに思い、そして満足する。

 

「カイちゃん、どう? 見える? もうちょっと近づくと、もーっと見えるんじゃないかなー」

 

 外套(マント)を少し広げると、カイのだらしなく緩んだ顔がさらに近付いてきた。

 クレマンティーヌの視線の先にあるのは、自らの両脚の奥に近付くカイの薄汚れた首筋だ。

 外套(マント)を被せ背中に隠していた細剣(レイピア)の柄をクレマンティーヌは握りしめる。

 

(そう……もっと……もう少し……)

 

 確実にカイの首を断てる距離まであと少し。

 

(……<疾風走破><超回避><能力向上><能力超向上>)

 

 クレマンティーヌは密かに武技を発動して、カイの頭があと少し近付くのを待った。

 

◇◆◇

 

 寝台(ベッド)に脚を組んで座ったカイが首筋を手で揉んでいる。

 その前でクレマンティーヌは外套(マント)姿で正座していた。

 外套(マント)の下は素裸のままだ。

 

「――ったく、お前ぇが色仕掛けなんておかしいと思ったんだよぉ。俺でなけりゃあ騙されるところだったぜぇ」

 

 完全に騙されてただろ、と思ったがクレマンティーヌは口にしない。

 

 無防備にさらけ出されたカイの首筋に、クレマンティーヌは渾身の力と技をもって細剣(レイピア)を振り下ろした。

 だが炎をまとった刃はいとも容易く弾き返され、カイに大声で怒鳴りつけられ、正座をさせられて、事情を説明して現在に至る。

 

「で、ナニかぁ? モモンから逃げたくて俺を殺そうとした、と」

「……はい」

「モモンから逃げたきゃ勝手に逃げりゃいいじゃねえか。なんで俺を殺すって発想が出てくるんだよぉ」

「殺さなきゃ……カイちゃん追ってくるし……」

 

 マジックアイテムを根こそぎ奪うつもりだったことは口にしない。

 

「当たり前だ、馬鹿野郎! アイテムを渡して契約した肉壺ガイドをそう易々と逃がすかよぉ!」

 

 カイは手にした細剣(レイピア)をクレマンティーヌに突きつけた。

 

「この武器だってなぁ、俺と契約したからお前ぇのモンになったんじゃねえか。それを破棄してぇんだったら、武器も外套(マント)も全部置いて素っ裸で出ていきやがれ」

 

 自分で手に入れた革鎧(バンデッド・アーマー)があるから素っ裸にはならないよ、と思ったがそれも口にしない。

 今のクレマンティーヌは強者の処刑を待つ罪人なのだ。

 

「大体、お前ぇの発想はイカれてんだよぉ。面白いから殺すとか、邪魔だから殺すとか、とりあえず殺すとか……」

「殺さなきゃ……殺されるし……」

「はん?」

「モモンだってそう。カイちゃんだって殺そうと思えば簡単に殺せんだろ、私を?」

「そりゃそうだ。それがレベル差ってやつだからなぁ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは沈黙する。

 レベルとはなんだろう。

 難度のようなものか。

 漆黒聖典時代、同僚のひとりに生まれながらの異能(タレント)によって相手の強さが判る者がいた。

 彼に聞いたクレマンティーヌの強さを難度に照らし合わせると百くらいだった。

 そして漆黒聖典には自らの兄を含め、より強い者が何人もいた。

 そんな彼らに追いつき追い越すべく訓練を重ねたもののクレマンティーヌの強さはそれ以上に上がることはなかった。

 だからこそ彼女は法国の頸木(くびき)から逃れようとしたのだ。

 強き者がいつかクレマンティーヌを殺すことを恐れて。

 

「……ねぇ」

 

 恐怖に怯えたか弱い声だとクレマンティーヌは自分を嘲笑う。

 

「私って弱いかなぁ?」

「あん? あー、弱い弱い」

「……慰めてくれたっていいじゃん」

「なんで俺を殺そうとした肉壺の機嫌を取らなきゃいけねえんだ。メンドくせえ」

 

 顰め面のカイが吐き捨てる。

 その表情が何を考えているかクレマンティーヌには判らない。

 だが、こうして話をしているうちは殺されないはずだ。

 

「カイちゃんはどうよ? 自分が一番強いとか思ってんでしょ?」

「んなこと、考えたこともねえ」

「嘘だ。いつもへらへら女の尻ばっかり追いかけてさ。自分が殺されるなんてこれっぽっちも思ってないだろうが!」

 

 思わず言葉が強くなった自分に気づき、思わずクレマンティーヌは身をすくめる。

 だがカイの表情に変化はない。

 

「俺は……強い奴とは喧嘩しねえだけだぁ」

「……向こうから殺しに来たらどうすんの?」

「テキトーにヨイショしてお友達になりゃいいだろ」

「……おだてても殺されたら?」

「そりゃヨイショ(ぢから)が足りねえんだよ。力が足りなきゃ殺されるのは剣だって魔法だってヨイショだって同じだぜぇ」

 

 強者であり出来る者の上から理論がクレマンティーヌの癪に障る。

 

「やっぱり強くもなくて道化もできなきゃ死ぬしかないじゃん……」

「力じゃ敵わねえ、ヨイショも効かねえっていうんなら、あとは役に立って見せるんだよぉ」

「……役に立つ?」

「お前ぇだって使える部下は生かしとくだろうが?」

「私、部下なんか持ったことないし……」

 

 カイが間の抜けた呆れ顔を浮かべた。

 クレマンティーヌだってカイの言葉の意味は分かっている。

 誰かの役に立つという考えが気に入らないから言い返しただけだ。

 そんなクレマンティーヌの思いを知ってか知らずかカイがため息をついた。

 

「よーするに強い奴には言うこと聞いて仲良くしとくんだよ。それくらい殺しのクレマンさんにだって分かるだろうが」

 

 不快感に顔を歪めるクレマンティーヌ。

 カイが言葉を続ける。

 

「それにヨイショしてりゃ、おこぼれに預かることだってあるしなぁ」

「ビビりながらコソコソ生きろっていうの!? このクレマンティーヌ様が?」

「人間なんてのはビクビクしながらコソコソ生きるモンなんだよ。それとも何か? お前ぇはこの世で一番強いとでも思ってたのかぁ?」

 

 顔を歪めたままクレマンティーヌはうなだれる。

 今までであれば弱者は殺し、強者からは逃げるだけで良かった。

 逃げるだけならスレイン法国の風花聖典だって訳はない。

 あのときまではそう思っていた。

 あの鎧の男がエ・ランテルの隠れ家に現れるときまでは。

 

「クレマンより強い奴はいくらでもいるし、俺より強い奴らだっているかもしれねえ。漆黒のモモンみてえになぁ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌの身体がぶるりと震えた。

 それは気温が下がったためではない。

 

「お前ぇがズーなんとかっていう組織に入ったのはそんな理由じゃなかったのかぁ?」

「あそこは……あそこだったら、もっと殺せると思っただけだよ」

「趣味を仕事にしようってか? お気楽な人生設計だなぁ」

 

 揶揄するカイをクレマンティーヌは睨み付けた。

 

「……じゃあカイちゃんはどうよ?」

「あん?」

「何のために生きてんのかって聞いてんの」

 

 カイはクレマンティーヌから視線を逸らした。

 それは痛いところをつかれたようであり、何かを考えているようでもある。

 やがてカイが口を開いた。

 

「……俺にはヤることがあるんだよ」

 

 クレマンティーヌは何かの目的に向かって生きたことは無い。

 兄を憎んで殺したいと思っていても、それを目指して動いている訳ではなかった。

 今、殺したいから殺し、今、窮屈だったから逃げただけだ。

 

「出来なかったらどうすんの?」

「ヤり続けるだけだぁ」

 

 カイは強くはっきりと言った。

 だが、そこに漂う諦観をクレマンティーヌは嗅ぎつける。

 

「途中で死んだら?」

「どーせ人間、死ぬまでしか生きられねぇんだ。だったらそれまでヤることをヤるだけだぜぇ」

 

 今度はカイの言葉にクレマンティーヌが驚いた。

 そして自分自身の望みをはっきりと理解して目を伏せる。

 

「私は……殺されたく……ない……」

 

 嘘偽りのない心からの言葉だった。

 澱んだカイの目が少しだけ驚いたように開く。

 

「……ふん。手前ぇは弱い奴らをコロコロ殺しておいて、自分は殺されるのは嫌だってのかぁ? 随分と虫のいい話だな、おい」

 

 その皮肉に腹を立てるが、俯いたクレマンティーヌには返す言葉がない。

 カイがもう一度ため息をつく。

 そのため息にはほんの少しだけ優しさが含まれていた。

 

「――ま、そういう自分勝手も人生って奴だなぁ」

 

 組んでいた脚をおろしたカイがクレマンティーヌの顔を覗き込んだ。

 

「一度()られた相手の名前を聞いてパニくっただけってんなら、クレマンの殺人未遂については被害者の俺様が情状酌量ってやつで見逃してやろうじゃねえか」

 

 クレマンティーヌは顔を上げた。

 殺されずに済む喜びに頬が緩みそうになるが、別の不安が頭をもたげてくる。

 だが、その不安の解決策もカイは用意していた。

 

「それともうひとつ。モモンが帝都(アーウィンタール)をうろついてる間は、お前ぇは隠れ家(ここ)で引きこもってろ」

「……いいの?」

「モモンの名前を聞いてパニくるんだったらガイドになんねえからなぁ。ちょっと(おせ)えが“盆休み”ってことにしといてやる。まあ、モモンが不死者(アンデッド)だって言うんならまるっきり無関係って訳でもねえしなぁ、くっくっく」

 

 言葉の意味は理解できなかったが、とりあえず殺されることなく出歩く必要もなくなったことは有難かった。

 目下の心配がなくなり表情が緩むクレマンティーヌにカイがニヤニヤ笑いで話しかける。

 

「その代わり隠れ家(ここ)に引きこもっている間は服を着るんじゃねえぞ。外套(マント)も無しだ。いいな」

「え?……えー!?」

「命の恩人を殺そうとしたんだ。それくらいは当たり前ってもんだろうが。ガイドの代わりの肉壺接待して、裏切られて傷ついた俺の心を癒してもらわないとなぁ」

 

◇◆◇

 

 それからクレマンティーヌはズーラーノーンの隠れ家の中を裸で過ごした。

 外套(マント)革鎧(バンデッド・アーマー)も装備することを許されず、その身を覆うのはお気に入りの猫耳と尻尾だけだ。

 

 裸であることにクレマンティーヌはすぐに慣れた。

 隠れ家に居るときはカイ以外の視線がない。

 そのカイも喜ぶのはクレマンティーヌが羞恥心を見せ、胸や股間を隠そうとするときだけだ。

 それならばと彼女は胸を張り、裸が当たり前であるように振舞った。

 好色中年男を楽しませるつもりはなかった。

 

 クレマンティーヌが引きこもっても、カイの行動に変化はなかった。

 朝、市場が開く時間になると隠れ家から出ていき、夕方に食料を抱えて戻ってくる。

 あの武器屋には日参しているようだが、本人の言葉を信じるなら大した成果は無いらしい。

 

「母親も娘もクレマンのことばかり聞きやがる。お前ぇ、こうなると知ってて助けに行ったんじゃねえだろうなぁ?」

「そんなこと考えてなかったってー。カイちゃんの追い込みが足りないんじゃないの?」

 

 冷えた果物で喉を潤しながら、クレマンティーヌはひらひらと手を振る。

 引きこもりのクレマンティーヌが隠れ家ですることは昼間は食料で自分の腹を満たし、夜はカイの性欲を満たすことくらいだ。

 なにしろ帝都(アーウィンタール)に漆黒のモモンが居る間、彼女は“ボンヤスミ”なのだから。

 

 だが“ボンヤスミ”であってもカイにモモンの動向は聞いておく。

 これだけは欠かすことの出来ないクレマンティーヌの日課だ。

 

モモン(あいつ)はまだ帝都(ここ)に居んのー?」

「ああ。北市場で熱心にマジックアイテムを見てたってよ」

「ふーん」

「あとは、帝都(ここ)の冒険者組合になかなか来ねえから、組合の人間がえらく焦れてるらしいぜ」

「そりゃそうだ」

 

 漆黒のモモンは王国のアダマンタイト級冒険者だ。

 初めて他国を訪れるときは、まず冒険者組合に顔を出すのが筋というものだろう。

 それから必要に応じて組合に宿泊場所を紹介してもらったり、都市長に会ったり、皇帝に謁見したりという流れになる。

 だが初めてバハルス帝国を訪れた漆黒のモモンが向かったのは別の場所だ。

 

帝都(ここ)に来て最初に帝国魔法省に行ったんだっけ?」

「聞いた限りじゃあな。さぞかし魔法に興味シンシンだったんだろうよ」

 

 帝国魔法省は逸脱者フールーダ・パラダインを中心としたバハルス帝国の力の象徴にして帝国魔法界の源である。

 魔法の調査や研究、そして新たな魔法の開発においてはスレイン法国を凌ぐとも言われる場所をモモン――アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が何のために訪れたのだろう。

 

 たしかにフールーダは強力な魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。

 その力は周辺国家で最強のスレイン法国から見てもうかつに手を出せない戦力だ。

 かつて耳にしたフールーダについての情報を思い出しながら、クレマンティーヌの頭にはひとつの考えが浮かんでいた。

 

 モモンはフールーダが魔法によって作り出したアンデッドではないか。

 

 フールーダの意のままに動くアンデッドを戦士に偽装させて重要都市に送り込み、そこで高ランクの冒険者へと成り上がらせる。

 アダマンタイト級冒険者にでもなれば都市に住む人間の心を掴むのは容易い。

 王国併呑を目論むバハルス帝国であれば進めてもおかしくない計画だ。

 

 カジットの儀式の邪魔をしたことも、後に支配するであろう都市の被害を抑えるためだったと思えば腑に落ちる。

 強大な吸血鬼を倒したのも、その地位を高めるために帝国もしくはフールーダによる自作自演ではないか。

 事実、その依頼の後にモモンはアダマンタイト級の冒険者へと成り上がった。

 

 今回、帝都を訪れたのは新たな任務を受け取るためか、あるいはアンデッドを使役する魔法の制約ではないだろうか。

 そう考えればモモンの行動の全てに辻褄が合う。

 

 ただし疑問も残る。

 モモンの強さがクレマンティーヌをして勝負を諦めるほど桁外れであることだ。

 即ち使役するフールーダはモモンよりもさらに強いということになる。

 それはクレマンティーヌが風花聖典から聞いていた情報とは大きく異なっていた。

 

(帝国が虚偽の情報を流していた? それとも風花の情報収集能力が大したこと無いってこと……?)

 

「そういやモモン様は()()王都でも英雄級の活躍をしなすったらしいぜぇ」

 

 慇懃無礼なカイの物言いに、クレマンティーヌは猥雑で魅力に満ちた王都を思い出す。

 あの都市には彼女が恋して愛している血と闇と、そして死があった。

 

 カイが得た情報によれば王都で悪魔の大群が暴れ、その首魁をモモンが撃退したらしい。

 悪魔の首魁の名はヤルダバオト。

 クレマンティーヌの知識にはない名称だ。

 

 悪魔の大群が暴れたときに王都が大きな被害にあったということをカイは面白くもなさそうに話した。

 クレマンティーヌも王都が受けた被害の多寡など興味はない。

 気になるのはそれが帝国――フールーダによる王国併呑のための策略なのか、ということだけだ。

 とりあえずカイから得た情報を元にクレマンティーヌは今後の方針を決めた。

 

 モモンが帝都に長居するようであるなら、すぐに別の国か都市に移動する。

 逆にモモンがすぐに帝都を離れるようなら、しばらく滞在して、それから時機を見て移動する。

 帝国魔法省とは距離を取り、国の動きには注意する。

 

 自分から動き出せないのは癪だが、強者を相手にするには仕方がない。

 

(行くなら帝国と法国の力が及ばない場所にしよう。ローブル聖王国あたりならしばらくのんびりできるかなー……)

 

 ねっとりとまとわりつくようなカイの視線を無視しながら、裸のクレマンティーヌは次の行き先へ思いを馳せた。

 

◇◆◇

 

「んーん。やっぱ、外に出るのはいーね。生き返った気がするー」

 

 帝都アーウィンタールからモモンが去ったと聞いて、クレマンティーヌは7日ぶりに隠れ家の外に出た。

 もちろん革鎧(バンデッド・アーマー)の上下を装備し、認識阻害の外套(ステルス・マント)を頭から被っている。

 まだ日は高かったが、久しぶりの着衣と久しぶりの外出は、引きこもりの“ボンヤスミ”に飽き飽きとしていたクレマンティーヌの気分を大いに盛り上げた。

 

「宿屋と門兵に聞いただけで確認してないんだぜぇ。そんなに浮かれて大丈夫かぁ?」

「ねー、どこに行くの? 例の武器屋? 途中で屋台に寄っていい?」

「……ふん。俺の話なんか聞いちゃいねえか」

 

 カイが買ってきた食料で腹は満たされていたが、別に美味(うま)かった訳ではない。

 隠れ家の閉塞感と素裸という羞恥心が不味(まず)くしたのかもしれないが、それでも屋台に並ぶ焼きたて出来たての料理を自分で選んで食べる美味(うま)さは格別だ。

 

「……行くのは武器屋じゃねえぞ」

「なにー? あの女を追い込むの諦めたー?」

 

 胸のつかえが取れて開放的になったクレマンティーヌは言葉も身体も軽い。

 

「本物の鬼畜モンは諦めねえんだよぉ。あの女は時間をかけてじっくり追い込んでやるぜぇ」

「いーねいーね。やる気は大事だよねー。お姉さんも応援するよ、武器屋には行かないけどねー」

 

 そう言って笑顔で舌を出すクレマンティーヌに、カイはわずかに片眉を上げて彼女を睨み付けた。

「んでー。どこ行くのー? そうそう。私は魔法省にも行かないよー。カイちゃんがそっちに行くんなら別行動するからね」

 

 カイが呆れ顔になっても、クレマンティーヌの上機嫌は変わらない。

 

「NGありとか清純派の“えーぶい女優”かよ、お前ぇは? ……まぁいいや。今日()くのはあの女の武器屋でも魔法省でもねえ」

 

 カイはちらりと周囲を見回す。

 大通りまではまだ距離があり、共同墓地に来るような人影はない。

 

「今日、お前ぇにガイドしてもらうのは、この清潔廉直な帝国サマが誇る奴隷市場だぜ、くっくっく」

 

 カイの皮肉めいた物言いにクレマンティーヌの笑顔が冷ややかなものになった。

 

「なるほど……奴隷市場ね。分かった。案内するよー」

 

◇◆◇

 


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