疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。好みの奴隷は殺しても死なない奴。
カイ:助平おやぢ。好みの奴隷は豊満で気が弱くて細剣(レイピア)で切りかかってこない雌。

店主:奴隷商。好みの奴隷はすぐに買い手がつく奴。




第15話「疾風走破、下見する」

◇◆◇

 

 右手にそびえる大闘技場の壁を眺めながらクレマンティーヌは串焼きの肉を噛み千切った。

 

 帝都アーウィンタールの奴隷市場は大闘技場の近く、南西の区画に位置している。

 奴隷市場が大闘技場に近いのは、催しに出場させる闘奴を調達していた時代の名残だとクレマンティーヌは座学で知った。

 闘奴の供給は今も行われているが、その割合はかつてほど多くない。

 現在は農奴や商人の下働きなどの労働奴隷が殆どで、その身分と権利は帝国から保障されている。

 多くの労働奴隷はあくまで帝国民であり、まとまった金を手に入れるために一時の自由を売っているに過ぎないのだ。

 

「んでー。奴隷市場で何すんの?」

 

 クレマンティーヌはちらりと横目でカイを見ながらカイに聞いた。

 たとえ答えが予想できるとしても確認はしておく必要がある。

 

「そりゃあ奴隷を見るに決まってるだろうが」

「……見るだけ? 買わないの?」

「買うためには相場ってものを知らねえとなぁ。“うぃんどうしょっぴんぐ”は買い物上手の基本だぜぇ」

「ふーん。ちなみに探してんのは、どんな奴隷? まぁなんとなく想像はつくけど」

 

 クレマンティーヌは軽く()()をかける。

 カイが人を探しているのは明らかだが、本人はそれを明言することを避けている。

 そこに強者の弱みを嗅ぎ取ったクレマンティーヌの精一杯の嫌がらせだ。

 だがカイは特に慌てる様子もなく考える素振りを見せた。

 

「そうだなぁ……。クレマンだったらどんな奴隷が欲しいんだぁ?」

「それを私に聞くー? ……そーだなー。殺し甲斐のあるのが欲しいよねー。あ、でも、死んじゃったらお金がもったいないかー? 殺しても死なない奴隷なんていないかな?」

「ふん。謹慎して少しくらい殊勝に生きるかと思えば、まだ、そんなこと言ってんのか」

「だってだってー仕方ないじゃん。好きなんだからさ、殺すのが。……もしかして買ってくれんの? 私に?」

「買うか馬鹿野郎! ……ふん。まあいいや。お前ぇの意見も参考にはしてやるぜぇ」

「参考にすんの?」

 

 奴隷市場は中央市場のように買い物客でごった返すような場所ではない。

 それでも普通の大きさの通りの左右に奴隷商の店が並び、店先では力瘤を誇示したり鍬を振って見せたりする奴隷が買い手を待っていた。

 そんな奴隷を見定めようとする客はおろか、通りを行き交う通行人も少ない。

 例年であればリ・エスティーゼ王国との戦争準備で多くの労働者が必要になる時期なのにだ。

 

(今年は戦争はないのかもね……)

 

 帝国皇帝の考えは分からないが、どうやら今年は戦争を仕掛ける気がないのだろう。

 そうクレマンティーヌは推測する。

 店先の奴隷を指差しながらカイが話しかけてきた。

 

「あの首にぶら下げてんのがお値段かぁ?」

「そだねー。カイちゃん、やっと文字を覚えた? 感心かんしん」

「数字だけは、な」

 

 考えてみたらカイは毎日、市場へと足を運んで買い物をしていたのだ。

 値段くらいは覚えていて当たり前だろう。

 

「どいつもこいつも小洒落た格好してんな。ホントに奴隷かぁ?」

 

 カイの呟きにクレマンティーヌは店先で己の筋力をさかんに誇示している奴隷を見た。

 どの奴隷も髪型と着ている服は普通の帝国民と変わりなく特に着飾っている様子はない。

 

「んー。こんなもんじゃない? カイちゃんの国じゃ奴隷ってもっと酷い格好してた?」

 

 クレマンティーヌの問いに何も言わず、カイはただキョロキョロと道の両側を見回している。

 

(この手の話になると口が重いねー。相変わらず慎重だこと……)

 

 奴隷の扱いが厳しいというのであれば、思ったより未開の国なのだろうか。

 クレマンティーヌが知る周辺国では、奴隷の扱いは似たり寄ったりだ。

 他国の人間や亜人種の奴隷の扱いが過酷になることはあるが、それでも売るときには見栄えを良くする筈だ。

 

「奴隷商だって商売だからねー。店先に(きったな)いのは置かないと思うよ」

「そりゃそうか」

 

 クレマンティーヌの説明に納得したのか、カイは店先でアピールする奴隷を見続ける。

 

「――それにしても野郎ばっかりだなぁ。ケツの穴がむずむずしてくるぜぇ」

「この辺りは労働奴隷だからね。カイちゃん向けの店はもっと先の方だよー」

「おぉ? 雌奴隷の専門店でもあんのか?」

 

 澱んだ目を輝かせるカイにクレマンティーヌは呆れた表情を浮かべる。

 

「専門って訳じゃないけど、そーゆー特別な奴隷()も取り扱ってるトコロだね」

「さすがは俺様の肉壺ガイドだなぁ。ちゃんと下調べができてるじゃねえか」

「前に野暮用で来ただけだよ。まぁ店が潰れてなけりゃいいけどねー。けけっ」

 

 スレイン法国に居た頃にクレマンティーヌは、森妖精(エルフ)の奴隷を何度か帝国の奴隷市場に連れてきたことがある。

 彼女の仕事は奴隷輸送用馬車の警護だった。

 警護といっても襲撃を警戒してのものではなく、森妖精(エルフ)の反乱と脱走を未然に防ぐためのものだった。

 耳を切り落とし、精神を打ち砕かれているとはいっても、森妖精(エルフ)が持つ特殊技術(スキル)は脅威だ。

 そんな森妖精(エルフ)達を監視しながら、クレマンティーヌは帝国の奴隷市場に何度か足を踏み入れた。

 直接、奴隷商に会ったことはないが、森妖精(エルフ)の奴隷を引き渡した店の場所はまだ覚えている。

 そしてクレマンティーヌが訪れた奴隷商はまだ店を構えていた。

 

「このあたりの奴隷商だったらカイちゃん好みの奴隷を扱ってるよー」

 

 その言葉にカイは目を輝かせると辺りを見回し、そして失望の声を上げる。

 

「おいクレマン! どの店にも雌奴隷が出てねえじゃねえか。今日は定休日って言うんじゃねえだろうな?」

 

 あまりに即物的なカイの反応にクレマンティーヌは何度目かの呆れ顔を浮かべた。

 

「……あのね。そーゆー特殊な奴隷は大っぴらに売り買いしないの。ここは金持ちや貴族がこっそり奴隷を買いに来る場所だよ」

「お、おろろ? ってぇことはエロ衣装で着飾った雌奴隷のおっぱい比べなんてできねえのか」

「当たり前じゃん。馬鹿じゃないの? まぁお得意さんにでもなれば、店の人間が色々と便宜を図ってくれるかもだけどね」

 

 両肩を落としてがっくりと落ち込んだカイの様子は、本当に裸の女を見たいだけで奴隷市場に来たのかと思わせるほどだった。

 

 この辺りの店は、その入口の横に必ず大きな馬車小屋がある。

 その馬車小屋は大きな扉で閉じられるようになっており、通りからは馬車の所有者は分からない。

 

「店の横にでけえ駐車場があるのはどういうワケなんだ?」

「……ん? ああ馬車小屋ね。貴族が乗りつけるためだよ。馬車を入れて、すぐに扉を閉めれば持ち主がバレにくいからね」

「おぉ、なるほど。ラブホテルみてえな作りしてんだなぁ」

 

 似た施設を知っているのか、よく分からない単語を口にしながらカイは何度も頷いた。

 

 クレマンティーヌが知っているいくつかの店は奴隷市場の末端にあり、その先には道と壁だけである。

 つまり、二人は奴隷市場をひと通り見終わったことになる。

 クレマンティーヌはカイに聞いた。

 

「奴隷市場はここまでだよー。どーする? もう帰る?」

 

 カイは無言になった。

 どうするのか考えている様子だが、まさか本当に女奴隷を見ることしか考えてなかったのだろうか。

 

 そもそもカイに奴隷を買うつもりはないとクレマンティーヌは考えている。

 この中年男の目的は、あくまでも人探しの筈だ。

 

 薄汚れた上着の内側に貼り付けてあった肖像画の人物。

 あのカイが“お顔”と敬意を含めた呼び方をした()()

 とりたてて美しくもない素朴な容貌で黒い髪を持つ――幼女と言ってもいい――幼い少女。

 

 クレマンティーヌはカイと肖像画の幼女について話をしたことはない。

 探している理由を知らされてない上、下手に触れてカイの機嫌を損ねることを恐れたからだ。

 

 カイの探す黒髪の幼女がまだ幼いままであれば奴隷商で見つけることは難しい。

 それと言うのも帝国において歳若い奴隷が表立って取引されることはないからだ。

 仮に取引されたとしても表向きは養子縁組の体裁を取るだろう。

 リ・ロベルで出会った貴族の女のように。

 

 ときには生活に困窮した親が子供を売り払う場合もなくはない。

 そのような場合、奴隷商は買った子供を馴染みの施設や孤児院に預けて買い手がつくのを待つ。

 

 黒髪の幼女がすでに成長しているのであれば、奴隷商で取引された可能性はある。

 ただし異国の人間であるならば、その出身地や背後関係が洗われ面倒な取引になっただろうと予想できる。

 

 それほどまでに意思ある人間の売買は難しいということだ。

 

「横に駐車場のある店だったら雌奴隷を扱っているんだなぁ?」

 

 カイがクレマンティーヌに確認を取った。

 

「ん? まあそんなとこー」

 

 例外もあるが面倒なのでクレマンティーヌは詳しい説明はしない。

 

「じゃあ、この店にするか。お前ぇは外套(マント)を被ったままついて来い」

 

 躊躇うことなくカイが最も手近な店に入っていった。

 あっさりと店に入ったカイが何を考えているのか分からずクレマンティーヌは一瞬呆ける。

 慌てて認識阻害の外套(ステルス・マント)を被り直すと、カイの後に付いて行った。

 

 店に入ると入口の傍に受付担当と思われる使用人が座っていた。

 カイがヘラヘラと笑いながら大柄で強面(こわもて)の使用人に近付く。

 一言二言話すと強面の使用人は奥の部屋へと姿を消し、この店の主人であろう人物を呼んできた。

 初めて入った奴隷商の店で簡単に店主を呼び出せるカイの話術にクレマンティーヌは感心する。

 

 背が低く小太りの店主はじろりとカイを睨め付けるとカイを個室へと案内した。

 同じ作りの扉が三つ並んでおり、店主が案内したのはその一番手前の部屋だ。

 奴隷の取り引きにおいては買う側が公にしたくない場合が多い。

 そういった客のための商談室なのだろう。

 

 外套(マント)を被ったクレマンティーヌは店主が扉を開けている隙にするりと商談室に潜り込み、その後からゆっくりとカイが部屋へと入った。

 

 店主に勧められるままにカイが椅子に座る。

 クレマンティーヌは椅子には座らず、その後ろの壁にもたれかけた。

 せっかく認識阻害の外套(ステルス・マント)を被っているのに、その効果を自分から無駄にすることはない。

 テーブルを挟んだ真向かいで店主はカイの顔をじっと見た。

 

「カイさんは、何故私の店に来られたんですか?」

 

 店主の値踏みするような視線をカイがいつものヘラヘラ顔で受け止める。

 

「以前、オスク様とお話しする機会がありまして。そのときにこの店の話を伺ったんですよぉ」

「……ほお。オスクさんから? うちの話を? 一体どんな事をお聞きに?」

「いえいえ。ちょっとした雑談の中だったんですけどねぇ。はっきりと仰られた訳ではありませんが――」

 

 やたらと勿体をつけながらカイは大闘技場の興行人の話を始めた。

 カイの話が出まかせであることをクレマンティーヌは知っている。

 たまたま入った店の主人相手に繰り出すお世辞を呆れながら聞いていた。

 目の前の奴隷商は、そんなカイの甘い囁きに警戒心を解いていく。

 

「――オスク様がこちらのお店の話をされる口振りには信頼というか信用というか、そういう落ち着いたものを感じたんですねぇ。それで、こうして私めがそこまでのお店ならと伺った次第でして、はい」

「そ、それはオスクさんがたまたまうちの名前を出しただけでしょう?」

「いえいえ。お噂が広がるには確かに運も必要です。ですが普段からきちんとした商いを行っているからこそ、ふとしたときに評判が広まるものでございますぅ」

 

 渋面だった店主の顔がすっかり柔和な笑顔へと変わっていた。

 

「おぉっとすいません。おしゃべりばかりで貴重なお時間を頂いてしまいました。真に申し訳ありませんです、はい」

「いやいや構いませんよ。それでカイさんは、どんな奴隷をお望みですか?」

 

 店主の問いにカイが難しい顔をする。

 カイがどんな奴隷を望むのかはクレマンティーヌも興味があった。

 

「……それなんですがねぇ。痛めつけたり殺したりしても角が立たない奴隷なんですけど……取り扱っておりますかぁ?」

 

 どこかで聞いたような奴隷の条件である。

 それまで笑み崩れていた店主の表情から笑顔が消えた。

 店主は眉を顰め小声でカイに話しかける。

 

「普通の奴隷では難しいですよ。私の親の時代ならいざ知らず、今は奴隷にも帝国民としての権利が保障されています。いくら持ち主だからって変な扱いをすると、こう、ですよ?」

 

 店主が右手で自分の首を刈る仕草をした。

 カイは店主の忠告に感じ入ったように何度も頷く。

 

「ええ、もちろん……。それは存じているのですがぁ――」

 

 それからカイは薄笑いを浮かべ認識阻害の外套(ステルス・マント)を纏うクレマンティーヌをちらりと見る。

 

「詳しくは申せませんが、私の女主人がですねぇ。ちょーっと癇癪持ちなもので。使用人の扱いが酷くて色々と困っているのでございますよぉ」

「……女主人……癇癪持ち。あ! ああ、ああ、なるほど!」

 

 そういう顧客か貴族に心当たりがあったのか、店主は納得の表情を浮かべて、何度も大きく頷いた。

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を被った本人の前で嫌味を語るカイ。

 それを勘違いして勝手にどこかの女貴族に悪印象を持つ店主。

 どちらにも物理的に突っ込みを入れたくて、クレマンティーヌは思わず細剣(レイピア)の柄を握り締めた。

 自分が生死の境に居るとは露知らず、店主はカイに同情的な言葉をかける。

 

「それはそれは……。苦労されているのですねぇ」

「そりゃあもう。使用人一同生傷が耐えない日々でございます。先日などはこの私をあわや斬首しようとする始末でして、はい」

 

 店主は目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、やがて諦めたように左右に首を振った。

 間違った同情心と怒りを抑える克己心で満たされた商談室が沈黙がする。

 

「あのぉ――」

 

 沈黙の元凶であるカイが口を開いた。

 

「ちなみにぃ他国の奴隷をお取り扱いはしておられませんかぁ?」

「他国の奴隷……ですか?」

「はぁい。帝国の臣民でなければ、少しは無理をしても大丈夫かと思いまして、はい」

 

 店主は腕を組んで難しい顔をした。

 

「他国の人間でも取り扱いが条約で決められているんですよ。例えば戦争でリ・エスティーゼ王国の人間を捕虜にしても、こちらで自由に売り買いはできません。まぁ国交の無い遠い国からの流れ者であれば話は別でしょうが、そんな奴隷は滅多に市場には流れませんしねぇ」

 

 国交の無い遠い国という言葉に、思わずクレマンティーヌはカイの表情を窺う。

 だが、その表情に目立った変化は無く、店主の話にいちいち大きく頷いているだけだ。

 そんなカイの様子に気分を良くしたのか、店主の口が滑らかになる。

 

「人間ではなく亜人、例えば森妖精(エルフ)だったら、そんなに煩くは言われないと思いますよ。ただ、さすがに難しいでしょうがね」

森妖精(エルフ)に何か問題でもありますかぁ?」

「そりゃ高いからですよ。それこそ有名な請負人(ワーカー)さんとかアダマンタイト級の冒険者くらいじゃないと払える価格じゃありません。貴族の方だと買うときに皇帝の許可も要りますしね」

「相場はいかほどでしょうかぁ?」

 

 仕入れに時間がかかります、と前置きして店主は手持ちの金では到底手の届かない金額を告げた。

 カイは目を開いて驚いた表情を見せる。

 

「なるほどぉ。こちらの予算では無理なお値段ですねぇ」

「主人に逆らわないよう亜人を躾けるには手間がかかります。それと帝都の周辺には森妖精(エルフ)は居ませんからねぇ。輸送費だって馬鹿になりませんから」

「仕入先はどちらになりますかぁ?」

「勿論、スレイン法国ですよ。森妖精(エルフ)を捕まえたり躾けたりなんて、あそこ以外じゃできません」

 

 カイは腕を組んで考え込む振りをする。

 森妖精(エルフ)を買うつもりなどない筈のカイである。

 このポーズも単なる会話術のひとつだとクレマンティーヌは理解しているが、店主は別の意味に捉えたようだ。

 

「残念ですけど直接、法国から買い付けなんて出来ませんよ? うちは皇帝陛下のお墨付きを頂いて商売してるんですからね」

「滅相もない。こちらの商いを飛び越すような真似なぞ考えておりません、はぁい」

 

 少しばかり大仰な振りでカイが店主の疑念を否定する。

 そのとき商談室の扉がノックされ、受付をしていた強面の使用人がぬっと顔を出した。

 使用人の小さな手招きを見て店主が立ち上がる。

 

「……ちょっと失礼しますよ」

 

 そう言って商談室の外に出た店主は、扉の向こうで使用人と話をしている。

 漏れ聞こえる話から察するに、どうやらこの店の得意客が来店したようだ。

 商談室に店主が顔だけ出した。

 

「急ぎの用件が入りました。申し訳ありませんが少しお時間をいただけますか?」

「私は急いでおりませんです、はい。こちらで待たせていただきますよ」

 

 カイの言葉を聞いて、店主は商談室から出て行った。

 やがてカイが脱力すると、だらしなくテーブルに肘を着く。

 

「まったく。さっさと出て行きゃいいのに。余計な話で余計な知識が増えちまったぜぇ……。おい、クレマン」

「はいはい。何すりゃいいの?」

 

 話を振られるだろうと待ち構えていたクレマンティーヌは即答した。

 

「なかなか察しがいいじゃねえか。それでこそ謝罪の心が感じられるってもんだぁ」

 

 ニヤニヤ笑うカイをクレマンティーヌは睨みつける。

 

「取引台帳の()()を調べて来い」

「んー、()()? 持って来なくていーの?」

「前んときみてえに時間が無えからな。盗むための下調べってことだぁ」

「……それって盗むのは、私、なんだよね?」

「当ったり前じゃねえか。まだお前ぇは俺様殺し未遂の罪を償ってねえんだ。金のことはどうでもいいからよ。客と奴隷の名前が分かるブツだぜ。いいな」

 

 罪の償いでどのくらいの期間、ただ働きさせられるのかと気が滅入るが仕方がない。

 クレマンティーヌは認識阻害の外套(ステルス・マント)を頭から被るとするりと商談室の外に出た。

 

 一番奥の商談室から人が居る気配が感じ取れる。

 店主と得意客はそこで話をしているのだろう。

 入口を見ると受付担当の使用人が接客中とは違い呆けた顔で椅子に座っている。

 クレマンティーヌは使用人の横をすり抜け奥の部屋へと入った。

 

 部屋には大きな机とこしらえの良い椅子があり、机の上には羊皮紙や生活紙の束と計算尺が煩雑に積み重ねられている。

 おそらくここが店主の仕事部屋だろう。

 さらに奥へとつながる扉があったがクレマンティーヌは興味を示さない。

 探していた取引台帳は紙の束の中に簡単に見つかった。

 労働奴隷も特殊な奴隷もまとめて記しているのは、国へ取引の詳細を報告するためだろう。

 他に隠し台帳でもないかと部屋を探ろうとしてクレマンティーヌは手を止める。

 

 果たしてカイのためにそこまでしてやる必要があるのだろうか。

 そもそもカイの探している人物が見つかった方が良いのか見つからない方が良いのか。

 見つかればカイとの二人旅は終わり、クレマンティーヌは新しい逃げ場所を探すことになる。

 見つからなければあの助平で嫌みったらしい中年男との二人旅は続くだろう。

 

 どちらが良いのか結論が出ないままクレマンティーヌは店主の部屋から出た。

 客が来なくて暇な使用人は大きな欠伸をしている。

 その横をすり抜けクレマンティーヌはカイが待つ商談室まで戻ろうとして足を止めた。

 この店の得意客はどんな奴隷を買いに来ているのだろうか。

 滑るように一番奥の商談室の前まで行くと声が漏れ聞こえる扉に聞き耳を立てる。

 

 店主と話しているのは若い男の声だ。

 良く通る涼やかな声だがその声に含まれる傲慢さ横暴さは、部屋の外で聞くクレマンティーヌにも感じ取れた。

 男はこの店で買ったと思しき奴隷森妖精(エルフ)の不満を店主に語っている。

 その不満は外見や性格など森妖精(エルフ)生来の性質によるもので、店主としては責められても対処しようのない類のものだ。

 そんな理不尽な恨み言を店主は文句も言わずに聞いている。

 

(こんなのを聞くのが仕事だっていうんなら、生まれ変わっても私は商売人にはならないね)

 

 縁もゆかりも無い奴隷商の店主にクレマンティーヌは同情した。

 客の男は不満を言い尽くしたのか、次に買う森妖精(エルフ)奴隷を店主に注文する。

 もっと胸が豊かな森妖精(エルフ)が欲しいと。

 

(まったく男ってのは、どいつもこいつも同じ事ばかりいいやがる……)

 

 時間と金がかかるため正確なものではないと前置きしてから、店主は大まかな見積もりを男に告げた。

 その見積もりに納得したのか男が席を立ったようだ。

 

 この尊大で理不尽な客がどんな顔をしているのかクレマンティーヌは興味を覚える。

 彼女が扉と反対側に身を隠すと商談室の扉が開き、切れ長の目をした偉丈夫が姿を現した。

 端正な顔立ちには己が栄光を掴むと信じ切った自信が浮かんでいる。

 扉の陰に隠れていたクレマンティーヌに気づくことなく男は横柄な態度のまま店を出た。

 店主は男の名を呼びお世辞を言いながら、その後ろをついていく。

 

(あーゆー自信満々の顔とプライドをズタズタに切り刻むのが楽しいんだけどねー)

 

 店主が男を見送るために店外に出たことを確認して、クレマンティーヌはカイの待つ商談室へと戻った。

 

 カイは戻ってきた店主と軽く世間話をしてから、具体的な商談には至らず店を出る。

 元より奴隷を買うつもりはないのだからクレマンティーヌとしては無駄に時間を過ごしているように思える。

 それからクレマンティーヌとカイはいくつかの奴隷商の店を巡り、いずれの店でもクレマンティーヌが台帳の場所を確認して店を出た。

 

 やがて夜になって店が閉まった頃にクレマンティーヌが台帳を盗み出し、隠れ家に戻って台帳の洗い出しを行う。

 全ての取引台帳の洗い出しを終えカイが難しい顔をしていたので探し人は見つからなかったのだろう。

 カイはクレマンティーヌに取引台帳を店に戻すよう命令し、クレマンティーヌは文句を言いながらもその命令に従った。

 

◇◆◇

 

 奴隷市場の調査を終えた翌朝――といっても限りなく昼に近い時間にクレマンティーヌは目を覚ました。

 彼女が目を覚ます頃にはいつも姿を消しているカイが、今日に限っては寝台の上でごろごろしている。

 昨晩遅くまで取引台帳を調べながら何の成果もなかった。

 さしものカイも肉体的な眠気と精神的な疲労が残っているのだろうとクレマンティーヌは考える。

 台帳に記している名前を全部読み上げたのは彼女ではあったが。

 

 クレマンティーヌが目を覚ましたことにカイが気づいた。

 

「おいクレマン」

「ふぁ~あ……なにー?」

 

 わざとらしく大きく口を開けクレマンティーヌは欠伸をしてみせる。

 昨夜遅くまで仕事をさせたカイへの精一杯の嫌味だ。

 

「お前ぇは今、いくら持ってる?」

「ほいよー」

 

 貨幣入りの皮袋をカイに投げ渡した。

 皮袋を開いてカイが確認する。

 銀貨と銅貨がそれぞれ10枚ずつくらい入っていたはずだ。

 

「なんだぁ? たったこれっぽっちかぁ?」

「ボンヤスミで働けなかったからねー。そんなもんだよ」

 

 そう言いながらもクレマンティーヌは他に10枚ほどの金貨を隠し持っている。

 勿論、大事なへそくりを馬鹿正直に渡す気はない。

 そんな彼女の言葉を信用したのか、カイはそれ以上追及しなかった。

 

「どったのー? 金欠?」

「……まあな。そろそろ金を稼がなくちゃいけねえ。新しい肉壺をげっとするためには資金が必要だからなぁ」

「隠し持ってるアイテムを売ればいいじゃん」

 

 カイの持つマジックアイテムはそのデザインこそ猥雑であるが、一時的ではない恒久効果を持つものばかりだ。

 気の利いた道具屋か魔術師組合にでも持っていけば、どれだけ買い叩かれようとも数百枚ほどの金貨は得られるだろう。

 

「なんだったら私が換金してきてあげるよー?」

 

 金貨が何枚くらい掠め取れるだろうかと頭の中で算段するクレマンティーヌの申し出をカイはあっさりと断る。

 

「そういう考え無しの金策が若者を自己破産へと導くんだぜぇ」

「あっそ」

 

 若者って歳かよという言葉をクレマンティーヌは飲み込む。

 

「俺みてえな本物の鬼畜モンは社会に借りを作らねえんだよ。踏み倒しばかりのお前ぇには分からねえだろうがなぁ」

 

 何を言ってるのかは理解できないが、要するにカイがマジックアイテムを売る気がないことだけは理解した。

 

「そんじゃ日雇いでもすんの? 私はしないからねー。こっちはいざとなったら盗みでも殺しでもするし」

 

 これまでの付き合いでカイが強盗の(たぐい)をするつもりがないことは知っている。

 強い者が弱い者から奪うのは当然だと思っているクレマンティーヌとは相容れない考え方だ。

 

「そういや帝国(ここ)には魔法学院があるって言ってたな? 職員募集の案内はどこに行きゃ見られるんだぁ?」

「魔法学院って……カイちゃん、先生にでもなるの?」

 

 確かにカイには魔法学院で教員ができるだけの力はあるだろう。

 女生徒や女職員が巻き込まれる被害を考えなければだが。

 

「不自由な教師なんざあ俺様の方から願い下げだぁ。用務員みてえに学院の中を自由にうろつける仕事が好みなんだよ」

「そーゆーのは縁故採用ばっかりだから(おおやけ)に募集なんかしないよー。なにせ貴族にしてみれば大きなコネを作る機会だしね。それに帝国魔法省が田舎者の請負人(ワーカー)なんか雇うとは思えないけどー」

 

 そう口にしたクレマンティーヌだが本気で言っている訳ではない。

 むしろ徹底した合理主義者と聞く皇帝ジルクニフなら、カイの力を知ればすぐに帝国内部に取り込もうとすることが容易に想像できる。

 これは帝国魔法省に、ひいてはフールーダ・パラダインにカイが近付くことを良しとしないクレマンティーヌなりの嘘だ。

 

「ちっ。ここでも縁故エンコかよ。車検切れの中古車じゃあるまいし……。それじゃあ田舎者の請負人(ワーカー)サマにはどんな仕事があるんだぁ?」

「知らなーい。冒険者と似たようなもんじゃないの? でも組合なんてないからね。他の請負人(ワーカー)に直接聞いてみたら?」

「ふん。そりゃ正論だな」

 

 それからクレマンティーヌとカイは隠れ家でだらだら過ごし、夕方になって請負人(ワーカー)が集まる宿屋へと出かけることにした。

 

 請負人(ワーカー)が集まる宿屋としてクレマンティーヌは“歌う林檎亭”を勧めたが、カイはその提案に難色を示す。

 

手練(てだ)れの請負人(ワーカー)がよく使ってるって聞いたよー? 仕事を探すんならそーゆー店の方が良いんじゃない?」

「常連が集まる店ってのは大体排他的なものなんだよぉ」

 

 紛れ込むのも面倒だしなと続けるカイに、そういうものかとクレマンティーヌは口を閉じる。

 真っ当な仕事と金を必要としているのはカイでありクレマンティーヌではない。

 気が向けば盗みも殺しもできる彼女にとっては宿屋選びも仕事探しもどうでもいいことだ。

 

 夕食の支度でごった返す中央市場を抜け、宿屋街へと向かう道すがらクレマンティーヌは尋ねた。

 

「そいやカイちゃん」

「……なんだぁ?」

「施設とか孤児院とかには行ったの?」

「なんで俺がそんな場所に行かなくちゃならねえんだ?」

「んー。別にー」

 

 クレマンティーヌは曖昧な返事を返す。

 カイはしばらく彼女を睨み付け、すぐに無言に戻った。

 この問いかけの意味にカイが気づいたかどうかは読み取れない。

 もし気がつかないのならそれまでだし、詳しく説明する気もない。

 クレマンティーヌはそこまでお人よしではないのだ。

 

 

 カイが選んだ宿屋“牛頭人(ミノタウロス)の皿”の入り口には痩せぎすの女が三人立っていた。

 三人はいずれも不安そうに辺り見回しながら身を寄せ合っている。

 

「なんだぁ、この女は? ここで“立ちんぼ”でもやってんのかぁ?」

 

 カイの言葉に女達はびくりと身を竦ませたがそれ以上の反応はない。

 ただ無言で身を寄せ合っているだけだ。

 

「奴隷の森妖精(エルフ)だね。ほら。耳を切られてるー」

 

 クレマンティーヌは半分に切られた女――森妖精(エルフ)の耳を無遠慮に指差した。

 森妖精(エルフ)は恨みがましい視線を二人に向ける。

 

「……ふん。あの狩人の餓鬼とおんなじってことかぁ」

 

 カイの呟きにクレマンティーヌは、かつて殺し損ねた緑帽子の若い森妖精(エルフ)の美しい顔を思い出す。

 

「そだねー。帝都(ここ)でも同じ決まりなんでしょ。趣味悪いよねー。けけっ」

「お前ぇがよく言うぜ。切られた耳は治んねえのか?」

「んー。どうだろ? 自然に治ったって話は聞かないね。治癒魔法でも無理なんじゃない。簡単に治ったら印になんないしね」

「まるで家畜みてえだな。顔はまあまあだが、こう身体が貧相じゃあ俺様の肉壺には向かねえなぁ」

 

 自分勝手に森妖精(エルフ)奴隷を品評するカイに良く通る涼やかで傲慢な声がかけられる。

 

「そこの汚いの。私の持ち物に触れないでいただきたいですね」

 

 それはクレマンティーヌが奴隷商の店で見た男――エルヤー・ウズルスだった。

 

◇◆◇


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