疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。酒はなんでも。
カイ:助平おやぢ。ビールは冷えたもの。

エルヤー・ウズルス:森妖精(エルフ)の奴隷を連れた請負人(ワーカー)。“天武”。大衆酒場では酒を飲まない。

パルブス、ベサール、モデラトス:弱小請負人(ワーカー)。大衆酒場でしか酒を飲まない。


第16話「疾風走破、陶酔する」

◇◆◇

 

「――あン?」

 

 金髪の偉丈夫――エルヤー・ウズルスの傲慢な物言いにクレマンティーヌは殺気立った。

 だが今の彼女は認識阻害の外套(ステルス・マント)を被った状態だ。

 まだ外套(マント)の効果を放棄するときではないと判断したクレマンティーヌは口を閉じる。

 

 後ろに大中小の三人の男を引き連れていたエルヤーを見て、カイがいつもの不愉快な愛想笑いを浮かべた。

 

「これはこれは失礼いたしましたぁ。これほど美しい奴隷を従えている方の才能と器量に感心していたところでございます、はぁい」

 

 ヘラヘラと笑いながらカイは何度も頭を下げる。

 よくもまあ、こうも簡単に(へつら)いの言葉を出せるものだとクレマンティーヌは半ば呆れ半ば感心した。

 カイの力であれば、金髪の高慢ちきはおろかこの宿屋に居るもの全てを容易く殲滅できるだろうに。

 

「なるほど。身なりは悪いが見る目はあるようですね。私が()()の主のエルヤー・ウズルスです。“天武”と聞けば分かるでしょう」

「そりゃあもちろん。エルヤー様の強さは世間知らずの私さえも存じております」

 

 カイの言葉にエルヤーは僅かに顔を顰めた。

 

「……ふん。それを知っているなら、お前のような者が私の名を気軽に呼んで良かろう筈もないことは分かりますね?」

「これはこれは失礼しましたウズルス様。よく耳にするお名前に勝手に親しいものと勘違いしておりました。お許しくださいませ、はぁい」

「いいでしょう。私たちは奥に行くのでもう近付かないでください。このあたりは埃っぽくて私には合いません」

 

 そう言ってエルヤーは通り過ぎ、森妖精(エルフ)奴隷がその後に続いた。

 だがエルヤーの後ろにいた最も小柄な男がカイの胸倉を掴む。

 

「おいこら! おっさんよぉ!」

 

 小男の怒鳴り声に三人の森妖精(エルフ)が身をすくめる。

 エルヤーは面倒臭そうにカイの胸倉を掴む小男を見た。

 小男は機嫌を窺うような媚びた表情で主人(エルヤー)の顔を見る。

 

「お邪魔でしたらこんな奴、宿屋(ここ)から叩き出しますよ、エルヤー様」

 

 クレマンティーヌよりも背が低いその男はカイの胸倉を引いて視線を下げようとしている。

 だがカイの身体は微動だにせず傍目には子供がじゃれているように見えた。

 

「こんなチンピラでもこの店の客です。宿屋(ここ)は皆の場所なのですから私たちが我慢することにしましょう」

「さすがはエルヤー様、お優しいぃ」

 

 ため息混じりのエルヤーの言葉を褒め称え小男は乱暴に手を離す。

 カイのニヤニヤ笑いは変わらない。

 

「エルヤー様に感謝するんだなぁ、おっさん!」

「次は気をつけろや、あぁん!」

「き、き、気をつけろ」

「へぇ。ありがとうございますです、くっくっく」

 

 大中小、三人の男がそれぞれ言葉を吐き捨て、カイは感謝の言葉を述べた。

 エルヤーはそんな男達を一瞥もせず、俯き加減の森妖精(エルフ)を引き連れて部屋の奥へと向かう。

 三人の取り巻きが慌ててその後ろをついていった。

 手をひらひらと振ってエルヤー達を見送るカイに、外套(マント)を被ったクレマンティーヌが訊ねる。

 

「カイちゃん、あいつのこと知ってんの?」

「あぁ。今しがた自己紹介してもらったからなぁ」

「……うわー。よくもまあ、あんな出任せが咄嗟に言えるもんだね」

 

 部屋の奥ではエルヤーの取り巻き三人組が、先客を追い払ってテーブルを確保していた。

 その様子をカイがニヤニヤと笑いながら見ている。

 

「でもさー――」

 

 クレマンティーヌは口元を笑いの形に歪めると、その紫の瞳を危険に輝かせる。

 

「なに我慢してんのー? アレくらいなら私でも勝てるっぽいよ?」

 

 クレマンティーヌは自分の力であればエルヤー・ウズルスに勝てると踏んだ。

 連れている森妖精(エルフ)の力は不明だが心の折れた者がまともに戦えないことは知っている。

 三人の提灯持ちはどう見ても雑魚だ。

 考える必要もない。

 

 クレマンティーヌを基準にしてこれなら、カイが手を下せばより明白な蹂躙劇が見られるだろう。

 そんなカイは侮られたことを気にする様子もなく、宿屋全体を見回して客全体の動向にだけ注意を払っていた。

 

 “牛頭人(ミノタウロス)の皿”は他の宿屋と同様に1階は酒場になっている。

 灯りを節約しているのか少し薄暗い1階はそこそこ広く、10卓ほどの大きな丸テーブルの間を給士の女がせわしなく動き回っている。

 テーブルはエルヤー達を含め3分の2ほどが埋まっており、夜になればさらに客の数は増えるだろう。

 宿屋として盛況であり、情報集めにはもってこいの状況と言えた。

 

宿屋(ここ)には殺しに来たんじゃねえんだ。余計な騒ぎを起こすなよ。いいな?」

「はいはーい」

 

 クレマンティーヌは頬を膨らませ不満げな様子を見せたが、ふいにニヤニヤ笑いを浮かべる。

 

「あのかわいそーな森妖精(エルフ)を助けようとか思わないのー?」

「……ふん。俺様は他人の肉壺には干渉しねえ」

 

 クレマンティーヌのニヤニヤ笑いがさらに意地悪いものになる。

 

「そんなこと言ったってカイちゃん優しいでしょ? 私、知ってるよー」

「うるせえぞ。声を小さくしろ、馬鹿野郎」

「あいよー」

 

 カイをからかうことでクレマンティーヌは溜飲を下げた。

 自分が侮られた訳ではないとはいえ、脆弱な奴らが我が物顔でうろつくことには腹が立つ。

 

「そんじゃ何か旨い話がねえか探るぞ。それと外套(マント)を脱ぐなよ」

「えーなんでー。暑いからそろそろ脱ぎたいなーって」

「お前ぇは色々と目立ち過ぎるんだよ」

「なにそれー? それって、もしかして私が可愛過ぎるとか?」

 

 クレマンティーヌは頬に手を添えると笑顔を浮かべる。

 殺人狂に見えない無垢な笑顔にカイが呆れ顔を浮かべた。

 

「……ふざけたこと言ってると犯すぞ、このアマ」

「いやーん。犯して犯してー」

 

 クレマンティーヌの戯言にカイがため息をつく。

 この中年男にはこういう接し方が良いとクレマンティーヌは学んでいた。

 怒りや恥じらいはこの男の好物だ。

 

「……ふん! サボっててきとーするんじゃねえぞ」

 

 カイが念を押すことで、なんとか体裁を繕う。

 クレマンティーヌは笑顔で手をひらひらと振って了解の意思を示した。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは認識阻害の外套(ステルス・マント)で気配を消したまま、酒を飲みながらくだを巻いてる請負人(ワーカー)達の会話を盗み聞くことに専念する。

 ふとカイを見るとカウンター越しに宿屋の主人と熱心に話し込んでいた。

 情報が集まる場所をよく心得ているものだとクレマンティーヌは感心する。

 

 リ・エスティーゼ王国なら都市周辺のモンスター討伐でそこそこの金が稼げた。

 だがバハルス帝国ではモンスターは帝国の警備兵が討伐している。

 だからこそ帝国内の都市を繋ぐ街道は王国のそれと比べると桁違いに安全だ。

 それはモンスターが関わる依頼で、冒険者や請負人(ワーカー)が必要とされないことを意味する。

 つまり帝国は王国に比べて冒険者や請負人(ワーカー)が選べる仕事が少ないのだ。

 

 それでも冒険者であれば組合を通せば腕前に合った依頼を紹介してもらうことができる。

 これが組合という互助組織に所属する強みだ。

 では組合や互助組織に所属しない請負人(ワーカー)はどのようにして仕事を見つけるのか。

 口利きや紹介や噂話から仕事を探すしかない。

 そんな情報を集めるのに最適な場所が宿屋であり酒場なのだ。

 

 酒で口が軽くなった客の間をすり抜けながらクレマンティーヌはいくつかの情報を得る。

 中でも最も大きな情報はフェメール伯爵という帝国貴族による遺跡調査の依頼だ。

 すでにいくつかの請負人(ワーカー)チームに話が流れているようで、高額の手付金も出ているという噂も聞いた。

 

 ここで得られる情報は拾い尽くしたと判断したクレマンティーヌは、カイが待つ入口に近いテーブルへと移動した。

 カイの手にはエール入りのカップがある。

 

「ひとりで飲んでんの? 私の分は?」

 

 そう言いながらクレマンティーヌはカイの横に座る。

 

「これは貰いもんだ。飲みたきゃ自分で買うんだな。まったく……。ここの主人は客商売のやり方も知らねえ。まさか接客の基礎をイチから“れくちゃー”することになるとは思わなかったぜぇ」

「私はカイちゃんがなんでそういうことに詳しいのかが不思議なんだけどー」

「詳しいもなにもそんなの常識じゃねえか。俺は常識のある鬼畜モンなんだぜぇ」

 

 クレマンティーヌはその童顔に呆れ顔を浮かべた。

 

「常識人は死者再生(レイズデッド)を使ったり、私の攻撃を無効化したりしませーん」

「けっ……。そんで旨い話はあったか?」

「なーんも」

 

 クレマンティーヌは両手をひらひらと振る

 そんな彼女を疑わしそうに一瞥して、カイがエールを一口飲んだ。

 

「なーんてウソウソ。そんながっかりした顔しないでよー。ひとつあったって飛びっきりのがー」

「伯爵んとこの墓荒らしかぁ? ……ぬるいなこれ」

 

 カイがカップをテーブルに置き、顰め面で奢られた酒に文句を言う。

 

「なーんだ聞いてたんだ。せっかくカイちゃんを喜ばそうと思ってたのに。つまんなーい。それ飲まないんだったらちょーだい」

 

 クレマンティーヌはエールのカップを奪い取る。

 

「おんなじ場所で話を聞いてりゃ情報が被って当たり前だぜぇ。で、他には?」

 

 クレマンティーヌはカップを傾けエールを盛大に喉に流し込んだ。

 アルコールの苦味が彼女の体内に染み渡る。

 

「……ぷはぁー! あとは違法行為ばっかだねー。密輸密売暗殺。盗みもあったかな。楽そうだけどどれも報酬は墓荒らしの十分の一以下ってとこー」

「殺しが絡んで、すんなり金が貰えるとは思わねえな」

「そだねー。そんなんするくらいなら商隊でも襲ったほうが確実。私らくらいの力があるんならね」

 

 クレマンティーヌは笑顔でエールを傾け、カイは顰め面で何事かを考えていた。

 金が欲しいのも手段を選んでいるのもカイだ。

 クレマンティーヌが悩む必要はない。

 だが興味深い依頼を見過ごすこともない。

 

「でーどうすんの? 伯爵の件」

「……実入りはでかそうだな」

「それに貴族の依頼だよ。仕事が終われば大きいコネができるんじゃないかなー」

「聞いた話じゃあ請負人(ワーカー)のいくつかがもう引き受けてるみてえだなぁ。ヘビーなんとかっていう大所帯と、パルパルだかパイパンだかいう爺ぃがやってるチームがよ」

 

 その辺りの情報もクレマンティーヌがこの酒場で得たものと同じだ。

 ちなみに正確な名前は大所帯がヘビーマッシャーで、年寄りの請負人(ワーカー)がパルパトラ・オグリオンである。

 どちらも腕の立つ請負人(ワーカー)としてクレマンティーヌの頭の中には入っている。

 

「聞いたことのある名前だねー。そこそこデキるんじゃないかな。ま、私ほどじゃないけどねー。で、さっきの気障男は?」

「話は聞いてるみてえだが引き受けるつもりはないらしい。墓荒らしは小僧の好みじゃねぇんだろ」

「ふーん」

 

 ぞんざいな相槌を打ちながらクレマンティーヌはエールを飲み干した。

 

「まだ請負人(ワーカー)を探してるようだが無名なチームに話は行ってねえ。断られて愚痴ってるチームがいたぜ。っておい! このアマ、俺の酒を全部飲んじまいやがった!」

「……げふー。いーじゃん。ぬるいの嫌いなんでしょー。でもさー。その貴族って贅沢だねー。生意気ー」

 

 空のカップを振りながらクレマンティーヌは見たこともない貴族の悪口を言う。

 そんな彼女に文句を言うのを諦めたのか、カイは呆れた様子で言葉を続けた。

 

「バカ高え金を払ってそこそこの奴らを集めてんのはどういう理由(わけ)だろうな?」

「手早く荒らして根こそぎ持って行きたいんじゃない? 場所は王国領でしょ?」

「そういうのもあるか……」

 

 肯定しているのは言葉だけで、カイの口調は明らかに納得していない。

 

「んー? 別の理由がある?」

帝国(ここ)のお貴族サマは皇帝陛下に絞られ遊ばされておいでのようだからなぁ。そんな中でお宝があるとも分からねえ墓の調査に大金をぶっ込む理由が読めねえ」

 

 カイが言うようにバハルス帝国の貴族は皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスによって、その力を大幅に弱体化されている。

 フェメール伯爵がどの程度の権力を持っているかは不明だが、鮮血帝と渡り合えるほどの力を持ってはいないだろう。

 カイは続ける。

 

「いくら貴族サマでも表向きは皇帝の臣下だ。余所の国でオイタをすりゃあすぐに国際問題になるぜぇ。それが皇帝の命令だってんだったら話は早えけどな」

「魔法省や情報局が動いてるって話は聞かなかったねー」

「俺も聞いてねえ。帝国が関わっていない方が妙な話になるぜ、この件は」

 

 クレマンティーヌは漆黒聖典時代に基礎知識として周辺国の情勢を叩き込まれた。

 だが、それらの国々がどう行動するかを考えたことはない。

 特殊部隊は命令に従うのが任務であり、その理由を考える必要はなかったからだ

 

「そのフェメール伯爵ってのが勝手に動くことはありえない?」

「伯爵サマが王国(あちらさん)と内通してるってことも考えられるが、仮にそうだとしたら請負人(ワーカー)を向かわせる意味がねえ」

「だねー。いくら大金を積んだところで請負人(ワーカー)が国の争いで動くワケないし」

 

 請負人(ワーカー)は組織の頚木(くびき)を嫌う。

 その抵抗感や反発心は組合に所属している冒険者よりも強い。

 国の争いに力を使うのは請負人(ワーカー)という職業からは最も遠い行為だ。

 

「余所の国の遺跡に大金でかき集めた請負人(ワーカー)を送り込んで何をさせんだろーね? ひょっとして請負人(ワーカー)を見たいだけだったりして?」

 

 冗談めかして言ったクレマンティーヌをカイが睨みつける。

 

「何? なんか文句あんの?」

「……酔っ払いの思いつきにしちゃあ悪くねえな」

「このくらいじゃ酔ったうちに入りませーん。……なんか気になること、あった?」

請負人(ワーカー)そのものが目的ってのはありそうだ、と思っただけだぁ」

 

 頭の中を整理するためかカイが無言になる。

 クレマンティーヌは右手のカップを見るがエールは残っていない。

 彼女が近くの客の飲み物を物色し始めたところでカイが口を開いた。

 

「お貴族サマか、あるいはその上に鎮座まします皇帝陛下が、請負人(ワーカー)をご覧遊ばすために遺跡調査を餌におびき出す……それだったら筋は通るな」

 

 カイは納得しているようだがクレマンティーヌには筋が通ってるとは思えなかった。

 請負人(ワーカー)を集めるだけなら帝都(ここ)にはもっと最適な場所がある。

 

「そんなメンド臭いことするかなー? 請負人(ワーカー)を見たいんなら大闘技場に呼べばいーじゃん?」

「金を出すから闘技場で戦えって言われて集まんのは、お前ぇみてえな殺人狂くらいだぜぇ」

 

 クレマンティーヌは不満で頬を膨らませた。

 

「誰も見たことねえ遺跡の探索のほうが“きゃっちー”なんだろ」

「ふん……。そーゆーもんかね?」

「ここらの請負人(ワーカー)サンに聞いた感じじゃあ、な」

 

 クレマンティーヌに請負人(ワーカー)心理は分からないが、カイの言い分はもっともらしく聞こえる。

 ではカイ本人は遺跡探索もどう考えているのだろうか。

 

「そーゆーカイちゃんは遺跡に興味あんの?」

「遺跡ねぇ……。気にならねえこともねえが……。ん? ちょっと待てよ? 調査する遺跡は最近見つかったって話だよなぁ?」

「だねー。墳墓って言ってたから旧王家の墓? それか大魔術師の墓とか?」

「そこらへんの歴史や言い伝えは聞いたことあるか?」

「聞いたことないねー。でも誰も知らない遺跡がふいに見つかることはあるらしーし。カイちゃんに連れて行かれた地下の修道院だっけ? あそこだって誰も知らないんじゃない? あの半森妖精(ハーフエルフ)の餓鬼を別にすれば」

 

 そこまで聞いてカイはまた無言になった。

 

 クレマンティーヌには未知の遺跡への不安は無い。

 自らの強さへの自信が最大の理由だが、目の前に居るカイという男の力が当てになることも大きい。

 ただし探索に積極的になるほどの興味はない。

 クレマンティーヌが欲しているのは、自信を持つ者を絶望で打ち砕くことであり、強者を暴力でねじ伏せることである。

 強弱がはっきりしない遺跡の主よりは、名の知れた強者――例えば闘技場の武王――などを倒すほうが好みだ。

 

「――とまあ、ここまで検討したところで、だ」

 

 考え込んでいたカイの口調が急に軽くなる。

 

「この伯爵サマの依頼については、引き受けたくても俺もクレマンも名前が知られてねえ。今のところは様子見だなぁ」

「はぁ?」

 

 クレマンティーヌの頭に血が上る。

 確かにチーム獣耳(けもみみ)は知る人ぞ知る請負人(ワーカー)だ。

 というか王都冒険者組合の受付嬢と()()()組合に居た冒険者にしか知られていない。

 遺跡調査には全く興味がないし、こちらが依頼を断っても当然といえる。

 だが実力を侮られて依頼が受けられないというのは癪に障る。

 

「そんなん、このあたりのワーカーチームを潰せば一発じゃん」

「ほぉ。そりゃいい手だなぁ」

「でっしょー。そんじゃさ、どれにする? 私はさっきの気障男がいいなー」

 

 アルコールで顔を上気させたクレマンティーヌは獣の笑みを浮かべた。

 

「あンの澄ましたツラを細かく切り刻んでやったら楽しーと思うんだよねー。けけっ」

「なるほど。そいつは面白いかもなぁ」

「でしょー。で、いつ殺んの? 殺るところを誰かに見せないとダメだよね? なんだったらここででもいいよー」

 

 身体を乗り出してカイの顔に近づけ舌なめずりをする。

 クレマンティーヌとしては今すぐにでも細剣(レイピア)を抜きたい気分だ。

 これはアルコールだけが理由ではない。

 そんな彼女にカイがきっぱりと言う。

 

「だがなぁ。この件は見送るぜぇ」

 

 クレマンティーヌの笑顔が一転、怒りの表情に変わる。

 

「あン? 何言ってんのおっさん?」

 

 カイの表情は変わらない。

 

「旨い話には理由があるんだよぉ。面倒事には首を突っ込まねえのが賢い生き方なんだぜぇ? 分かったか、クレマンマン」

「なにそれ? そーゆー一般人の感覚でせっかくの儲け話をふいにするってゆーの? あと、その呼び方は止めてくれないかなカイカイちんちん」

「……人をインキンみてえに呼ぶんじゃねえ」

 

 殺気立つクレマンティーヌは、もう一度カイに顔を近づけた。

 

「分かってないなら説明するよ。私は一般人じゃない。この酒場にいる全員の首を斬り飛ばすことだってできる。カイちゃんを除けばね」

 

 クレマンティーヌは少しだけ表情を和らげる。

 

「人を探してるんでしょ? だったら金とコネが要るじゃん? その両方が手に入るってのになに我慢してるのかなー、このおっさんは」

 

 カイはまた無言になる。

 言い過ぎたかとクレマンティーヌが不安になったところでカイが口を開いた。

 

「肉壺のくせに良い事を言うじゃねえか。確かに何もしなけりゃ何も手に入らねえ……」

 

 自慢げな表情のクレマンティーヌに今度はカイが顔を近づけた。

 

「……さっきの気障野郎だ」

本当(まじ)? 殺っちゃう? ここで?」

 

 クレマンティーヌは喜色満面の笑みを浮かべた。

 ボンヤスミやらなんやらで、ここしばらくはまともに殺しをしていない。

 手が震えるほどの禁断症状がある訳では無いが、なんとなく生活が落ち着かない。

 だがカイの提案はクレマンティーヌの思惑とは違っていた。

 

「いいや。あいつに墓荒らしをやらせんだよ」

「……なにそれ? どういうこと?」

 

 顔を引くとクレマンティーヌは顔を歪めて腕を組んだ。

 目前の殺しがなくなればどうしても不満が出る。

 

「依頼の胡散臭さは気に入らねえ。かといって報酬を見逃す手もねえ」

 

 カイがエルヤー達を見た。

 

「だったら俺らより弱いあいつにやらせりゃいい。あの気障男が成功して報酬を貰ったときに奪うんだよ」

「……ずいぶん回りくどいこと考えるねー。さっさとあいつを殺して、調査隊(パーティ)に潜り込むほうが楽じゃない?」

「俺は用心深い鬼畜モンなんだよ。それに殺すんなら金を持ってるときの方が確実だろうが」

 

 クレマンティーヌがニヤリと笑う。

 多少遅れても()()()()の予定が立つのは良いことだ。

 

「それはそうかもね。ところでカイちゃん。“殺し”は嫌いなんじゃないの?」

「必要となりゃなんでもするさ。特にあの小僧はここいらじゃ嫌われてるみてえだからなぁ、くっくっく」

 

 エルヤー・ウズルスが嫌われていることはクレマンティーヌも耳にしている。

 傲慢な物言いと美しい森妖精(エルフ)への扱いの悪さは見る者全ての反感を買っていた。

 エルヤーが無事で済んでいるのは、ひとえに本人の強さの賜物だ。

 だからこそ彼が居なくなることを歓迎するものは多いだろう。

 

「最後に質問(しつもーん)エルヤー(あいつ)請負人(ワーカー)達が全滅したらどうすんの?」

 

 クレマンティーヌはあの地下の修道院のことを思い出す。

 もし目的地の遺跡があれと同じくらいの難易度だとしたら、少々腕の立つ請負人(ワーカー)を集めたとしても全滅の憂き目に遭うのは間違いない。

 

「そんときは俺達が墓荒らしをするんだよ」

 

 そう言ってカイは立ち上がるとエルヤー達が座るテーブルへと向かった。

 クレマンティーヌは少し時間をおいてフードを被り直してカイの後を追う。

 カイは揉み手をしながらエルヤー達に話しかけようとしていた。

 

「ちょいとウズルス様、よろしいですかぁ?」

「……来るなと言ったことを覚えていないようですね。いくら物乞いをしてもお前に渡す銅貨はありませんよ」

 

 エルヤーはカイを見て心底うんざりした口調で吐き捨てる。

 彼の左手には帝国銀行の金券板があり、まだ正式には遺跡探索の依頼を断っていないようだ。

 三人の男は敵意丸出しで今にも殴りかかってきそうな雰囲気だがカイが動じることはない。

 

「お邪魔をしていることは承知で少々お聞きしたいことがございますぅ。先ほど小耳に挟んだ話ですがね。なんでもウズルス様はフェメール伯爵様のご依頼をお断りになったとか?」

「……その話ですか。当たり前です。薄汚い遺跡などに行くつもりはありません。あるとも知れない宝のために無駄にこの身を汚したくはありませんからね」

 

 エルヤーは金券板を懐に仕舞う。

 カイに対する警戒感がそうさせたのかも知れない。

 

「なるほどぉ。深いお考えがあっての判断なのですねぇ。ちなみに(わたくし)めが聞いたところによりますと、パルパトラ・オグリオン様は参加なさるとか」

「……まあ、老い先短いご老人には金が必要なのでしょう」

「あと、ヘビーマッシャーとフォーサイトといった有名請負人(ワーカー)チームも参加すると聞き及んでおりますです、はぁい」

「それは……初耳ですね」

 

 カイの言葉にエルヤーが食いつく。

 エルヤーが話を聞き始めたことで、三人組はカイを追い払うタイミングを見失った。

 

 クレマンティーヌの得た情報では“フォーサイト”はまだ参加を決めていないはずだ。

 相手を煽るためのカイお得意の嘘だろう。

 

「名だたる請負人(ワーカー)チームが一堂に会して遺跡探検とは壮観でしょうなぁ。なんでもその墳墓は人類未踏の地だとか。誰も見たことのない遺跡を探索し未知を既知へと塗りつぶす。その冒険心は長く人々から称えられることになるでしょうなぁ、くっくっく」

「……何が言いたいのですか、お前は?」

「名声というものは利益のありなしだけでは語れないものです、はぁい。大金を稼いでいる大商人オスク様は人々からどう思われていますかねぇ? リ・エスティーゼ王国のガゼフ・ストロノーフ様は大金をお持ちでしょうか?」

 

 エルヤーはその整った眉を僅かに寄せて思案顔になった。

 その様子に気づかない振りをしながらカイは言葉を続ける。

 

「利のないところに向かう勇気。未知なる物を証明せんとする探究心。それこそが人々の心を打つと私は思いますねぇ、くっくっく」

「そんなこと――」

「あーもちろん知っておりますとも。ウズルス様にとって遺跡探索なぞ容易い依頼だということは。ただ――」

 

 カイが少し間を置いて言葉に()()を作る。

 次の言葉をエルヤーが待ち構えているのがクレマンティーヌにも見て取れた。

 こういう物言いをこの中年男はどこで覚えたのだろうか、と毎度クレマンティーヌは感心する。

 

「私たちのような下々の人間は、これを恐ろしい大冒険だと感じているのです。そして、こんな大冒険を容易くこなす英雄の出現を願っているんですよぉ」

 

 思案顔が消えてエルヤーの傲慢な目に決意の光が見えた。

 これでこの男が伯爵の依頼を引き受けることは間違いない。

 

「そのことをお伝えしたくてウズルス様に無礼を承知をお話した次第です、はぁい」

「天賦の才に恵まれないお前たちの気持ちはよく分かりました。そもそも私は金が欲しいのではありません。ただ、この身を汚したくないだけなのです。話は終わりですか? では銀貨(これ)を渡しますから離れてください。お前が私の知人と思われたくはありません」

 

 エルヤーが1枚の銀貨を投げると、床に落ちる寸前にカイが器用に受け取った。

 真顔になったエルヤーにカイがニヤニヤ顔を向ける。

 

「ありがとうございます、エルヤー・ウズルス様。栄光の銀がウズルス様にもたらされることをお祈りします」

「ふん。私が手に入れるのは銀ではなく黄金の栄光ですよ」

「それは失礼しました、くっくっく」

 

 カイは深く頭を下げると、エルヤー達のテーブルから離れた。

 クレマンティーヌは素早くカイの後ろにつくと小声で話しかける。

 

「よくもまあ、あんな事が抜け抜けと言えるね」

「“せぇるすとおく”ってヤツだよ。……ここを出るぞ」

「なんで――あー。はいはーい」

 

 クレマンティーヌはすぐに状況を理解する。

 エルヤーと共に席に居た三人組がカイから目を離さずに席を立つのを見たからだ。

 思わず笑顔を浮かべて、クレマンティーヌはカイについて酒場を出た。

 

 クレマンティーヌとカイはそのまま人目を避けるように裏道へと入っていく。

 そんな二人を追って三人の男たちが裏道へと続いた。

 

◇◆◇

 

 パルブスは小柄だが気の強い男だ。

 同郷のモデラトス、ベサールを率いて請負人(ワーカー)をやっている。

 しかし難易度の高い依頼を受けるだけの腕はなく、パルブスも他のメンバーも名を知られるような存在ではない。

 凡百の請負人(ワーカー)と同様に、密輸などの裏取引の警護やゴブリンのような弱いモンスター討伐といった小さな仕事で生計を立てていた。

 

 パルブス達の楽しみは酒と女と、あとは大闘技場での賭けだ。

 仕事で得たわずかな報酬で安酒を飲み、女を買い、闘技場で掛け金を失う。

 そんな毎日を三人は送っていた。

 

 今日も大闘技場で報酬のほとんどをスってしまったパルブスは、見るとは無しに見ていた試合でエルヤー・ウズルスの勝利を目撃した。

 

 それまで“天武”エルヤーの噂は聞いていたが、その力に関してはパルブスは半信半疑だった。

 その剣技を目の当たりにして、その力を利用することを思いついた。

 あの力を味方に出来れば、どれだけの利が得られるだろうか、と。

 

 実力のある請負人(ワーカー)チームのいくつかに大きな依頼が来ていることをパルブスは聞いていた。

 当然のことながら、無名のパルブスのチームにはその依頼は届いていなかった。

 それは当たり前のことだ。

 実力も名声も持ち合わせていない請負人(ワーカー)に誰が仕事を頼むだろう。

 

 だがエルヤー・ウズルスと組めば、“天武”の名声と力を借りることができれば、こんな依頼でも受けられる。

 

 そう考えたパルブスは大闘技場からエルヤーが出てくるのを待って、彼に話しかけた。

 彼が引き連れていた三人の森妖精(エルフ)の美しさに圧倒されながら、パルブスはひたすらにエルヤーの機嫌を取った。

 初めは相手にされなかったパルブスだが、エルヤーの剣技を褒め、従者である森妖精(エルフ)の美しさを称え、どうにかこうにか馴染みの宿屋にウズルスを連れてくることに成功したのだ。

 

 このまま気に入られればエルヤーのチームに入れてもらえるだろう。

 そのうち連れている森妖精(エルフ)を貸してくれることだってあるかも知れない。

 そう考えたパルブスはモデラトスやベサールと共にエルヤーを褒め称えた。

 

 だがエルヤーはパルブス達の賞賛の言葉を受け取りはするが、彼らを仲間にする素振りを見せなかった。

 それどころか森妖精(エルフ)に話しかけようとするパルブス達を制するほどだ。

 

 パルブスとて愚かではない。

 利益の無い賞賛を続けることを諦め、エルヤー達と別れようとした矢先、話しかけてきたのが小汚い中年男だった。

 男は言葉巧みにエルヤーを持ち上げると、伯爵の依頼を受けるつもりが無かった彼を翻意させ、あまつさえ小遣いまで貰って引き上げていった。

 面子を潰されたパルブスはすぐにエルヤーと別れると、モデラトスとベサールを連れて中年男の後を追った。

 

 もはやエルヤー“天武”ウズルスと組むことは不可能。

 であれば、あの小汚い中年男から銀貨と、持ち物を奪って今日の稼ぎにすればいい。

 それで今日の働きは僅かでも実りのあるものになるだろう。

 

 都合よく中年男が裏道に入ったのを見て、パルブスはほくそえんだ。

 モデラトスとベサールに小声で指示を出す。

 

「今のうちに武器を抜いとけ。音を立てんじゃねえぞ」

「あいよ。……おい。ベサールはそっちだ」

「わ、わ、わかった」

 

 パルブスの指示でモデラトスとベサールが静かに剣を抜き、左右に位置を取る。

 最も背の低いパルブスが中央に立ち、その左右でモデラトスとベサールが構える

 パルブス達のいつもの戦闘隊列だ。

 

 パルブスは殺しの依頼を受けたことがある。

 報酬を値切ろうとした依頼者を殺したこともある。

 決して凄腕の請負人(ワーカー)とは言えないが、それでもいくつもの修羅場を経験していた。

 

 道をよく知らないのか、中年男は辺りを見回しながら奥へ奥へと歩いていった。

 帝都(アーウィンタール)には多くの警備兵が常駐しているため強盗や傷害などの事件は起き難い。

 だがそれは決してゼロではない。

 警備兵の目の届く場所なら安全だが、そうでない場所ではそれなりに事件が起こる。

 中年男は自らの足で“そうでない場所”へと向かっている。

 

 永続灯(コンティニュアル・ライト)が届かぬ路地裏まで中年男が入り込んだ。

 最大のチャンスが訪れたと感じたパルブスは、左右の二人に手で合図をする。

 話しかけるのはパルブス、仕留めるのは三人で、だ。

 

「おい! おっさん!」

「……はぁい。なんでしょう?」

 

 中年男はパルブスの声に驚くことはなかった。

 まるで知り合いにでも会ったかように気軽に立ち止まり、ゆっくりとパルブスを見る。

 エルヤーに話しかけていたときと同じ、人を小馬鹿にしたような表情だ。

 

「さっきエルヤーさんから預かった銀貨(もん)があるだろ。それを返してもらおうか」

 

 そう言ってパルブスは短剣を突き出した。

 両側でモデラトスとベサールが長剣を構える。

 だが中年男は恐れる様子も見せず、ただ不思議そうな顔をパルブスに向けた。

 

「さて? “返す”とはなんでしょうかぁ? 銀貨はウズルス様から(わたくし)めが頂いたものですが?」

「エルヤーさんは銀貨を“渡した”だけだ。お前の物になったワケじゃねえ」

 

 パルブスは下品に笑い、モデラトスとベサールも彼に習って笑う。

 三人に笑われていることを男は気にしていないようだ。

 ただパルブスの言葉の意味を噛み締めるよう何度も頷いていた。

 

「それはそれは。どうもアナタと私の間には認識の齟齬(そご)があるようですねぇ」

 

 中年男は薄笑いを浮かべると、パルブス達を上目遣いで見る。

 その馬鹿にするような視線がパルブスの神経を逆撫でする。

 

「あぁん? ごちゃごちゃ言ってんじゃねえぞ。痛い目を見たくなけりゃさっさとこっちに渡すんだな」

 

 パルブスの短剣、そしてベサールとモデラトスの長剣は魔法武器などではない。

 だが貧相な中年男を脅し、仕留めるだけなら充分な代物だ。

 

 男はパルブス達三人を順番に見てもう一度小さく頷いた。

 

「痛いのは嫌ですねぇ、くっくっく」

 

 落ち着いているように見えるが、この男が何かを出来る訳ではない。

 己の立場を理解した人間によくある諦めの境地だろうとパルブスは踏んだ。

 だが中年男はパルブス達とは別の方向に視線を向けると、小さく顎をしゃくって見せる。

 その行為の意味するところが分からないまま短剣の柄を握り締めたパルブスの目の前に、外套(マント)をまとった影が姿を現した。

 フードを下ろし露わになったのは路地裏に光が射したような金髪に獣のような大きな耳飾り。

 その顔は幽鬼のように白く整っていた。

 

 獣耳の女は中年男に尋ねる。

 

「でーどうすんのー? この人たちー」

 

 パルブス達は幼さの残る女の声と容姿に釘付けとなった。

 エルヤーが連れていた奴隷の森妖精(エルフ)とは違う、路地裏にあり血と肉を持つ生々しくも猥雑な美だ。

 森妖精(エルフ)に情欲をそそられつつも、何も得られることの無かった三人の情欲に火が灯る。

 

「……お、女ぁ?」

「けっこうイケてんじゃね?」

「お、お、俺。こ、こ、こっちもいい」

 

 突然、目の前に現れた不自然さなどどうでも良かった。

 三人は情欲を隠すことなく舐めるように女を見つめた。

 だが、そんな視線を浴びても金髪獣耳の女は動じた様子はない。

 面白そうにパルブス達を眺めているだけだ。

 

 もはや銀貨も中年男もどうでも良かった。

 パルブス達は慌てて武器を仕舞うと女に話しかける。

 

「ね、姉ちゃん。こんなおっさんじゃなくてよ。俺たちと遊ぼうぜ」

「そうそう。俺達のほうが若いしイケてるし、ぜってー面白いって」

「あ、あ、遊ぼう」

 

 パルブス達の欲望を理解しているだろう女は笑顔を浮かべた。

 

「えーなにー? 楽しませてくれんのー?」

 

 女の返事は軽く、それでいて隠せぬ欲望が滲んでいた。

 これは最後まで行ける女だ、とパルブスは確信する。

 

「お、おう。もちろんだとも」

「ひぃひぃ言わせてやるぜ」

「ぐ、ぐふ、ぐふふ」

 

 女は首を大きく傾けて、中年男に笑顔で尋ねる。

 

「カイちゃーん。私、遊んじゃっていいかなー?」

 

 その女の言葉と同時にパルブスの耳に夜の町の喧騒と虫の声が入ってこなくなる。

 屋外なのに部屋の中に居るような不自然さがあたりを覆っていた。

 中年男がゆっくりと懐から手を出して、首にかかった濁った黄色の布で顔をごしごしと拭う。

 

「ああ。音は切ったぜぇ。通りからも見えねえ。好きにしな」

「はいよー」

 

 獣耳の女は短い返事と共に外套(マント)を脱いで足元に落とした。

 下着のような上下に革鎧(バンデッドアーマー)を装備し、腰には尻尾のような飾りをつけている。

 この路地裏で獣人の格好をして男と情を交わすのが、この女の好みなのだろうか。

 

「こ、ここでか?」

 

 ごくりとつばを飲み込んだパルブスの右、モデラトスの懐に女が滑るように入り込んだ。

 モデラトスはパルブスとベサールに視線を投げかける。

 自分が最初に女に選ばれたという自負の視線だ。

 

「おいおい。そんなにがっつくなよ姉ちゃん」

 

 やせぎすのモデラトスの手が伸びて女を抱きしめようとしたとき火花にも似た閃光が走った。

 

「へ?」

 

 女が手にした細剣(レイピア)がモデラトスの左目に深々と突き刺さっている。

 パルブスから見える女の横顔は美しく、その笑顔は邪悪だった。

 

「お触りはちょっとねー」

 

 肉の焼ける音と匂いが周囲に広がる中、女の手首がくるりと返る。

 モデラトスは自分の目に細剣(レイピア)が刺さったことにようやく気がついた。

 

「……ぎっ、ぎゃっあああぁぁぁーーーっ!!!」

「うるっさいなー」

 

 女は細剣(レイピア)を引き抜くと、もう一度軽く振るった。

 モデラトスの頭が転がり落ち、首から笛のような音と共に鮮血が噴き出す。

 パルブスとベサールがそれぞれの武器を抜いた。

 

「な、な、なんだこの――」

 

 ベサールが長剣を振りかぶった。

 言葉こそたどたどしいが三人の中では最も腕力に優れた男だ。

 だが、そんなベサールの豪腕による振り下ろしも獣耳の女には当たらなかった。

 長剣が地面に突き刺さり、その柄をベサールが握り締めている。

 ベサールの手にはいつの間にか女の手が添えられていた。

 

(おっそ)ーい」

 

 がちゃりと長剣が落ちた。

 剣の柄には両手がついたままだ。

 それと同時にベサールが膝を突く。

 ベサールの目の高さがパルブスと同じになった。

 戦う両手と逃げる手段を失ったベサールがすがるような目でパルブスを見る。

 赤い軌跡が縦に走ると恐怖に慄く顔が()()()()()()()ずるりと横にずれた。

 

「あーあ。ズレちゃった。ちゃーんと正面向いとかないから綺麗に斬れなかったでしょーがー」

 

 粗相をした子供を相手にするように軽い口調で女はベサールを(とが)める。

 小山のようなベサールの身体は頭長から股間まで一直線に断たれていた。

 

 周囲には肉の焼ける臭いが充満していた。

 そしてモデラトスとベサールが流した血が路地裏を赤く染めている。

 獣耳の女は一人残ったパルブスを眺めていた。

 

「どったのー? もう遊ばない?」

 

 パルブスは女の持つ細剣(レイピア)を、そして自分が手にする短剣を見た。

 血溜まりがパルブスの足元を濡らしているが、女の足には血がついていない。

 二人の男を斬り殺してなお、流れる血を避けるだけの余裕を女は持っていた。

 

(殺される!)

 

 絶対的な力の差を感じ取ったパルブスは、即座に振り返ると表通りに向かって走り出す。

 仲間のことも銀貨のことも頭からとうに消え失せていた。

 

「ありゃ? 逃げるんだー」

 

 そんな女の呟きから逃れようと表通りに輝く永続灯(コンティニュアル・ライト)を目指しもがいて――革鎧(バンデッドアーマー)の胸にぶつかった。

 尻餅をついたパルブスに女は一瞬だけ驚きの表情を見せ、すぐに肉食獣の笑顔に変える。

 

「いやん。積極的ー」

「な……? あ、あぁ。いやっ! い、い、命だけはっ!」

 

 尻を付いたまま後ずさりするパルブスを見て、紫の瞳が怪しく微笑んだ。

 

◇◆◇

 

「――もう満足だろぉ? そろそろ引き上げるぜぇ」

 

 クレマンティーヌの足元には血溜まりが広がり、いくつもの細かい肉片が散らばっていた。

 小男の死体からは耳や鼻が失せ、手足は末端から細かく切り刻まれ短くなっている。

 血溜まりが表通りに向かって長く伸びているのは、小男が生きながらに手足を切り取られていった証だ。

 

「手間隙かけて切り刻みやがって……。ハンバーグでも作るつもりかよぉ」

「久しぶりだったからね。ちょっと張り切っちゃったー。そんなことより……あれ、何?」

「んん? 何の話だぁ?」

「こいつ、急に向きを変えたでしょ?」

 

 ()()はクレマンティーヌを驚かせたが、小男自身も自分の動きに驚いていた。

 だとすれば、あの現象の原因はカイに違いない。

 

「あぁ。時間を止めて向きを変えてやっただけだ。時間対策は必須と聞いていたが、こいつは違ったようだなぁ」

「……うへー。とんでもないことを平気で言うねー。このおっさん」

 

 常識外れのカイの言葉に驚きながらも、クレマンティーヌは満足感に包まれていた。

 弱かろうが少人数だろうが、久しぶりに人を殺せたのだ。

 

 カイが小男の死体を裏返して懐を探っている。

 先の二人からはすでに回収済みらしい。

 

「けっ。大したモン持ってねえな……。どっかで晩飯でも買って帰るか」

「そだねー。私、肉がいいな、ニクー。あと、カイちゃんが食べてた“シロメシ”っての? また食べたいなー」

 

 機嫌良く話すクレマンティーヌに、カイは呆れ顔でため息をつく。

 

「……まだやってる店を探さねえとな」

 

 少し遅い時間であるが中央市場なら開いている店も屋台もあるだろう。

 転移魔法を使おうとするカイに寄り添いながら、今夜はぐっすり眠れそうだとクレマンティーヌは思った。

 

◇◆◇


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