疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。不満は暴力と殺人で解消。
カイ:助平おやぢ。不満は性交で解消。



第17話「疾風走破、錯乱する」

◇◆◇

 

 バハルス帝国の帝都アーウィンタールの共同墓地の地下にあるズーラーノーンの隠れ家。

 粗末な木製寝台の上でクレマンティーヌは膝を抱えて怯えていた。

 こうして小娘のように震えるのは何度目だろうか。

 己の精神がこうも脆かったのかと改めて思い知らされた。

 

◇◆◇

 

 ――夜明け前。

 クレマンティーヌはカイと二人でフェメール伯爵の屋敷の敷地内に忍び込みその時を待っていた。

 遺跡調査に出発する請負人(ワーカー)達が伯爵の敷地に集合するという情報を得ていたのだ。

 

 二人は気配を消し木々の間から永続灯(コンティニュアル・ライト)に照らされた裏庭の開けた一角を覗き見ている。

 しばらくすると前情報通りに請負人(ワーカー)チームがひとつふたつとその姿を現し始めた。

 

 貴族である伯爵が世間体を考えるなら請負人(ワーカー)との取り引きを大っぴらにはしたくない筈だ。

 そう考えて正門ではなく裏門の近くを監視することを勧めたクレマンティーヌの読みが当たったと言える。

 

 集まった二十人弱の請負人(ワーカー)が屋敷の執事らしき男に導かれて正門の方に動き始めた。

 クレマンティーヌとカイも木々の陰に身を隠しながら、正門が見える位置へと移動する。

 正門の前では二頭立ての八足馬(スレイプニール)の幌馬車が二台あり冒険者と思しき男達が荷物を積み込んでいた。

 

八足馬(スレイプニール)とは奮発したねー。これってやっぱ依頼主には儲かる確信があるんじゃないの? あーあ。稼ぐ機会を逃がしちゃったなー」

 

 遺跡調査への参加を見送ったカイに聞こえるように小声で言う。

 決してクレマンティーヌとしては金が欲しい訳ではない。

 だが、それを得られる機会を逃したとなれば、その原因(カイ)に対して皮肉や愚痴が出てくるものだ。

 渋面を浮かべるカイを横目で見て微かな喜びに浸りつつ、クレマンティーヌは八足馬(スレイプニール)の幌馬車に視線を戻す。

 そこで彼女は見てしまった。

 

 黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士が、絶世の美女を伴って幌馬車から降りてきたのを。

 

「――おやぁ? こいつはキナ臭くなってきやがったぜぇ。漆黒のモモン様のご登場とはなぁ。……おい?」

 

 揶揄するようなカイの言葉はクレマンティーヌの耳には入らななかった。

 彼女の精神はただひとつの感情に支配されていたのだから。

 

 逃げろ!

 

 クレマンティーヌは踵を返すと走り出した。

 

 早く!

 早く!

 早く!

 出来るだけ早く!

 

 この場から、伯爵の敷地から、離れなければならない。

 

「おまっ……なに――」

 

 カイの言葉が遥か後ろに遠ざかるが、まだ足りない。

 もっとだ。

 もっと速度を上げなければ。

 

<疾風走破><流水加速><能力向上><能力超向上>

 

 武技を使い、更に加速しようとして――

 

 クレマンティーヌはカイに抱き止められた。

 

「なにやってんだぁ。この肉壺がっ」

 

 カイに小声で罵られ、それでも漆黒のモモンから逃れようとクレマンティーヌは力を振り絞ってもがいた。

 そんな彼女を戒める力がさらに強くなる。

 木々が、壁が、地面が入り乱れる中、次第にクレマンティーヌの視界が薄くぼやけていった。

 

 

 次に目に映った景色は、極々見慣れた薄暗い部屋だ。

 カイの転移魔法によってズーラーノーンの隠れ家に戻ったことをクレマンティーヌは理解する。

 そして自分がカイに抱きかかえられていることに気づいて、また暴れだした。

 

 カイが面倒臭そうに彼女を寝台に放り投げる。

 硬い木製の寝台に放り出されたクレマンティーヌはすぐに膝を抱えて顔を伏せた。

 

 驚愕、恐怖、悔恨、怒り、羞恥、安堵、等々。

 

 幾多の感情がクレマンティーヌの精神を掻き乱す。

 

「なにトチ狂って暴れてんだぁ。モモン(あいつ)にバレて一番不味いのは、お前ぇだろうがクレマン。あぁ?」

 

 怒っているとも呆れているともつかないカイの言葉がクレマンティーヌに深く突き刺さる。

 

「……んだ」

「なんだ?」

「おっぱいつかんだ」

「……はぁ?」

「おしりもさわった」

 

 クレマンティーヌの言われなき非難にカイが戸惑う。

 

「なに生娘みてえなこと口走ってんだ。モモンを見たショックで幼児退行でもしちまったかぁ?」

「してないっ! おまえがわるい! おまえが!!」

 

 フェメール伯爵の屋敷を見張っていたのが悪い。

 遺跡調査の依頼をしなかったのも悪い。

 仕事を探すために宿屋に行ったのも、全部カイが悪いのだ。

 

 しばらくの沈黙の後、カイが深いため息をつく。

 

「……ったく。今は餓鬼のお守りしてる暇はねえんだ」

 

 カイが皮袋を放り投げた。

 寝台の上にじゃらりと落ちたそれはカイの所持金だろう。

 前にクレマンティーヌが渡した分も入っている筈だ。

 

「夜には戻るぜ。今日はそれで飯食ってろ。いいな」

「……しらない」

 

 もう一度、ため息をついたカイの姿がぼやけて消えた。

 おそらく不可視化の魔法で姿を消したのだ。

 やがて気配も消えて、ズーラーノーンの隠れ家が完全な沈黙で満ちる。

 

「……カイちゃん? もう……行った?」

 

 呟くようなクレマンティーヌの問いかけ。

 返事はない。

 既にここには居ないようだ。

 請負人(ワーカー)達を追うために伯爵の屋敷へと戻ったのだろう。

 

「……くそっ」

 

 一人残された隠れ家の中で、クレマンティーヌの不安と怒りが増大する。

 おもむろに立ち上がると、カイが使っている木製寝台に近付いた。

 

 使用者と同じく薄汚れた寝台と薄汚れた枕。

 無造作に置いてある掛け布もどことなく汚れた印象があった。

 クレマンティーヌは掛け布を持ち上げて顔に近づける。

 彼女の肉体を何度も弄んだ男の臭いがした。

 

 クレマンティーヌは掛け布から手を離すや否や細剣(レイピア)を抜き放ち、それをズタズタに切り裂いた。

 永続灯(コンティニュアル・ライト)の光に照らされた隠れ家に焼けた布の臭いが広がる。

 

「くそっ! くそっ!! くそおおおぉぉぉっ!!!」

 

 クレマンティーヌは細剣(レイピア)を振るい、カイの寝台と枕をも細切れにした。

 

 カイの寝具を破壊しただけでは怒りを発散しきるには不充分だ。

 だが、自らが使用する寝台と食料・水が入った冷蔵棚に手を出すほどクレマンティーヌは愚かではない。

 彼女は無事な自身の寝台に戻って膝を抱え込む。

 恐怖と不安、憎悪や自棄等、あらゆる負の感情が心の底にこびりついていた。

 

◇◆◇

 

 フェメール伯爵の屋敷でカイが取った行動は正しく適切だった。

 モモンの登場に動揺して、周囲の状況を省みずに脱走を計ったクレマンティーヌは下手をしたら発見される恐れがあった。

 そのことを思うと恐怖しかない。

 だが感謝すべきカイの行動が彼女の精神を追い詰めていた。

 床に散らばった木や布の破片を見ながらクレマンティーヌは考える。

 モモンがフェメール伯爵の屋敷に現れた理由はなんだろうか、と。

 

 遺跡を調査するメンバーの一員にしては妙な点が多い。

 モモンはリ・エスティーゼ王国の都市、エ・ランテルの冒険者組合に所属している。

 王国の冒険者が帝国の請負人(ワーカー)と組んで、王国の領土で遺跡探索をするだろうか。

 

(……ありえない)

 

 クレマンティーヌは頭の中でその仮説を否定する。

 冒険者組合は国同士の争いに囚われない存在ではあるが、国の意向を無視できるほどではない。

 他国の集団が領土内の遺跡を調査すると知れば、冒険者組合はその依頼内容を間違いなく国に報告するだろう。

 組合とて他国からの侵略行為を見過ごすほどの独自性を有している訳ではないからだ。

 

 では遺跡調査の監視のために雇われたと考えるのはどうだろうか。

 それであればまだ納得が行く。

 あれだけの強さがあれば跳ねっ返りの多い請負人(ワーカー)に睨みを利かせられるだろう。

 野営地の警護など、あのモモン(アンデッド)なら片手間で出来る。

 

 それが納得できる理由だと判断しながらも、クレマンティーヌの中の恐怖は更なる疑問を投げかけてくる。

 漆黒のモモンを監視や護衛に使うのは馬鹿げている、と。

 

 アレは請負人(ワーカー)は勿論のことスレイン法国の特殊部隊、漆黒聖典さえも凌駕する力の持ち主だ。

 そんな存在を遺跡調査に使おうとせず留守番に使うというのは、世界最強の種族である(ドラゴン)に荷物運びをさせるようなものだ。

 あるいは漆黒聖典に買い物を任せるような――。

 そう考えてクレマンティーヌの頬に自嘲の笑みが浮かぶ。

 

 自分が笑うだけの余裕を取り戻したこと驚き、クレマンティーヌはひとつ息をつく。

 

 とりあえず遺跡探索のメンバーに参加しなかったのは正解だった。

 もし加わっていたら漆黒のモモンと鉢合わせになっていただろう。

 その先は考えたくない。

 そして今日、漆黒のモモンの居場所が判明したのは悪いことではない。

 モモンを避けたければ遺跡調査の一団にさえ近付かなければ良いのだ。

 夜に戻るであろうカイから調査団の話を聞けば安全度も高まるだろう。

 そこまで考えて、ようやくクレマンティーヌの精神が落ち着きを取り戻した。

 

 窮屈な姿勢を止めて寝台にゴロリと横になる。

 

 本来であれば今日から数日間、カイに付き添って請負人(ワーカー)達を追跡する筈だった。

 その予定が丸々無くなったクレマンティーヌは自由だ。

 カイから貰った金袋を見ながら何をしようかと考える。

 

 食事、買い物、人殺しと帝都(ここ)なら何でも出来るだろう。

 カイのお守りもしばらく必要ない。

 

「……ふわ」

 

 安心したせいかクレマンティーヌの口から欠伸が漏れた。

 伯爵の屋敷を見張るために早起きしたことを思い出す。

 睡眠不足は肌に悪い

 

 クレマンティーヌは横になると目を閉じることにした。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌが二度寝から目覚めたのは昼過ぎだ。

 視界の隅に寝台の残骸が入るが努めて無視をする。

 これはカイの自業自得だ。

 

 今日をどうやって潰すか考え、自分が酷く空腹だということに気がついた。

 それが分かれば判断は早い。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を羽織ると、クレマンティーヌは軽い足取りで隠れ家の外に出た。

 

 外は今日も快晴で日差しは強く気温も高い。

 外套(マント)に熱が篭るが肌のためにも直射日光は避けるべきだ。

 それに何より他人から見咎められない利点は捨てがたい。

 武器屋の娘のような生まれながらの異能(タレント)持ちの目には注意しなければならないが。

 

 中央市場はいつもと変わらぬ盛況ぶりだ。

 外套(マント)を被った自分に注意を払う人間が居ないことをクレマンティーヌは確認する。

 

 買い物客の間を縫うように移動して露店を物色した彼女が選んだのは腸詰の串焼きだ。

 店主が客と世間話をしている隙に、焼き網の上の串を二本摘み取る。

 手に入れた獲物に齧り付くと、ぱりっとした歯ごたえと共に熱々の肉汁がクレマンティーヌの口腔を満たす。

 

「……ほふ、ほふ」

 

 息を短く吐いて口の中を冷ましながら腸詰を飲み込んだ。

 腸詰の濃い味付けに“シロメシ”が食べたくなったが、さすがに売っている屋台は見つからない。

 仕方なく手頃な大きさのパンを掠め取って肉汁とのハーモニーを楽しむことにした。

 二本の腸詰を食べ切った後のデザートは八百屋の店先にあった果実だ。

 程よい酸味と甘味と水分がクレマンティーヌの気分を爽やかなものにしてくれた。

 

 空腹が満たされたクレマンティーヌは中央市場を抜けて北市場へと足を向けた。

 あの武器屋が近いので、中央市場よりも周囲に気を配る。

 できることなら武器屋にもその娘にも会いたくはない。

 

 帝都北市場は賑わっていたが、前に来たときよりは落ち着いた雰囲気だ。

 大物請負人(ワーカー)達が遺跡調査に向かった影響だろうかとクレマンティーヌは考える。

 露店に並ぶアイテムをただ眺めているが店主を冷やかす気分ではない。

 足の向くまま気の向くまま、目的もなくぶらぶらと歩いているだけだ。

 

 ただ皇城方面には向かわない程の気は使っていた。

 帝国宮廷最高魔術師のフールーダ・パラダインにはまだまだ注意が必要だ。

 北市場から見える豪奢な壁面の大闘技場にも足を向けなかった。

 身動きが取り辛い場所で厄介な生まれながらの異能(タレント)持ちに出くわしたくはない。

 

 することが思いつかないまま、ぶらついていたクレマンティーヌは見覚えのある通りに出た。

 あの日、三人のチンピラを葬った路地裏へと繋がる横道がある通りだ。

 

 路地裏に入ると既に死体は残っておらず血の跡も綺麗に処理されている。

 数日でここまで対処が出来る帝国と皇帝に何となく感心した。

 そんな場所で数人の子供達が遊んでいるのを目にする。

 武器屋の娘の生まれながらの異能(タレント)を思い出し身構えたが、誰も外套(マント)を被った大人の女には気づく素振りは見せない。

 クレマンティーヌは安心して遊戯に興じる子供達を眺めることにした。

 

 クレマンティーヌは好んで子供を殺すことはしない。

 自信や経験といった背景(バックボーン)がない存在を殺しても面白くないからだ。

 子供達は走ったり石を積んだり、時折、叩き合ったりしながら全力で遊んでいる。

 その頭髪はいずれもクレマンティーヌと同じ金髪だ。

 カイが捜している少女のような黒髪は居ない。

 

(……大体、餓鬼を捜すんなら孤児院か施設だろうに)

 

 この場に居ないカイの察しの悪さを鼻で笑った。

 

(用心深い癖に妙に抜けてんのが……待てよ?)

 

 ふとクレマンティーヌは思いつく。

 あの黒髪の少女を先に見つければ貸しになるのではないか、と。

 

 姿絵を見て顔は知っている。

 この周辺地域で黒髪は目立つし、素朴な容貌も少しくらい成長したところで間違えようがない。

 確信が持てなければ本人に聞けばいいのだ。

 重要人物に先に接触して懇意になれば、カイに対して強く出ることも可能になるだろう。

 そうなれば今後のクレマンティーヌの行動は大いに楽なものになる。

 

 そこまで考え、あまりに楽天的な自分の思いつきに笑みが浮かぶ。

 物事がそう都合良く行く訳がないのは充分承知しているが、どうせ義務も任務もないのだ。

 だったら孤児院や養護施設を見て回って暇な時間を過ごすのもいいだろう。

 

 では、この帝都アーウィンタールに孤児院はいくつ、そしてどこにあるのだろうか。

 帝国にある主要施設は把握していたクレマンティーヌだが孤児院の場所までは知らない。

 住んでいる人間に聞くのが一番早いが、武器屋の女(ムーレアナ)に聞くのは躊躇われた。

 

 孤児院の場所を聞けば、その理由を聞かれるだろう。

 正直に話せばどうなるか。

 武器屋の女主人の性格ならば快く教えてくれるだろう。

 だが人捜しはカイの秘密であり急所だ。

 捜している人物を見つける前にカイに知られたら機嫌を損なうだろう。

 それに情報というものは持っている者が少ないほど価値があるのだ。

 自らが持つ情報の価値を下げる真似はしたくない。

 

 嘘を()いて聞くのはどうだろうか。

 例えば子供が欲しくなったとか。

 産めばいいと言われたらどういう言い訳をするか。

 実は子供が埋めない身体で、と嘘に嘘を重ねるのか。

 武器屋が余計な気を回して、自分がイラつくのがクレマンティーヌに容易に想像できた。

 生殺与奪を握った相手を煙に巻くのは楽しいが、殺せない――カイに手出しを禁じられている――相手に嘘をつき続ける面倒は避けたい。

 

 クレマンティーヌは武器屋の女主人(ムーレアナ)に聞くことを止める。

 それでなくても武器屋に行って、あの娘にまとわりつかれるのは色々と面倒臭い。

 

 結局、孤児院ではなく養護施設に行くことにクレマンティーヌは決めた。

 養護施設ならば大抵の場合、神殿の中にあるからだ。

 帝都の神殿に知り合いが居るわけではないが、場所は知っている上に認識阻害の外套(ステルス・マント)があれば探れることもあるだろう。

 子供を保護する施設つながりで孤児院についての情報が掴めたりするかも知れない。

 漆黒聖典を脱して以来、クレマンティーヌは久しぶりに神殿の門をくぐることにした。

 

◇◆◇

 

 繊細な装飾に彩られた神殿の石門が厳かにクレマンティーヌを迎え入れる。

 中央神殿は数多くの参拝者と神官に代表される内部関係者が行き交い、人の多さは北市場にも負けていない。

 市場と違うのは全ての人が口を閉じ、俯き加減で静かに歩を進めていることだ。

 

 帝都の神殿は四大神信仰で法国の国教たる六大神信仰から派生したものであり、両者の関係は決して良好ではない。

 クレマンティーヌは法国の生まれであるが元より六大神への信仰は薄く、ズーラーノーンの高弟となった今では洗礼名すら捨てている。

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)があると言っても生まれながらの異能(タレント)持ちがどこに居るか分からない。

 目立たないように周りに居る人間に埋もれる地味な動きを心がける必要がある。

 どうせ任務ではなく暇つぶしだ。

 ブラブラと歩き回って時間をかけても問題はない。

 そのうちに養護施設のひとつやふたつは見つかるだろう。

 人の流れに任せて進むと正面奥に大きな階段が見えた。

 

 そのまま正面の大階段を上ると、豪奢な扉の前で高位の神官と笑顔で話をしている男を見かけた。

 クレマンティーヌはその男の顔に見覚えがある。

 ズーラーノーンが帝都で立ち上げた宗教団体(サークル)で神官役を担っていた男だ。

 かなり裕福な帝国貴族だとクレマンティーヌは記憶している。

 そんな恵まれた立場の男がどうして異端の宗教に走ったかは知らないし興味はない。

 

 神官との話を終えた男は認識阻害の外套(ステルス・マント)を被ったクレマンティーヌの存在に気づくことなく大階段の方へと歩いてくる。

 神官と会話していたときの笑顔は消え、男は眉を顰め険しい表情を浮かべていた。

 

 この男にはズーラーノーンのメンバーとして手を貸したことがある。

 その過去は何かのときに利用できるだろう。

 そう考え、自分らしくない後先を気にした発想にクレマンティーヌは苦笑する。

 

(私も随分とまあ、あの助平親父に毒されたもんだ……)

 

 階段を降りていく男の後姿を見送ったクレマンティーヌは、軽く頭を振って神殿探索を続けることにした。

 

◇◆◇

 

「それでは大神官様によろしくお伝えください」

「本当に、直接お話にならなくてよろしいのですか?」

「私とて四大神の教えを学んだ身です。大神官様たちのお忙しさは存じております。たとえ僅かな額でもそのお手伝いが出来るだけで幸いです」

 

 事務方の神官の引き止めを辞して、帝国侯爵のハイドニヒは部屋を出た。

 ハイドニヒは笑顔を消し、険しい表情で大階段を降りる。

 

 ハイドニヒ家はかつて四大神の神官長を輩出したことのある帝国貴族だ。

 その名誉を誇りとした一族は家の掟として神官の作法をその教育の中に取り入れた。

 結果、ハイドニヒ家は長らく神殿との強い繋がりを維持するに至り、豊かな領地と相まって帝国でも有数の貴族へと成り上がった。

 現ハイドニヒ侯爵もまた家の掟に従って、幼い頃から貴族としての教育とは別に神官の作法を学んだ人物だ。

 彼は信仰系魔法の才には恵まれなかったが経営の才があり、父から受け継いだ侯爵領をより豊かな物にした。

 恵まれていたハイドニヒであるが、決して慢心することはなかった。

 それは貴族への圧力を強くした先代皇帝と大粛清を行った現皇帝ジルクニフへの恐怖のためである。

 

 幸いにしてハイドニヒ家には豊かな領地があった。

 ハイドニヒの代になってから農地の拡充をより進め、多くの商人を招致し富国に努めた。

 政策の大半は帝都周辺で行われたものの模倣であったが、それらはハイドニヒ領においても充分な成果を出した。

 

 領内を土地開発と商取引で潤した一方で、ハイドニヒは金融にも手をつけた。

 元は農地拡張や取引支援のための貸付政策であったが、拡大した領内の経済規模に対応するべく御用商人に命じて両替商を立ち上げたのだ。

 両替商はハイドニヒ領経済の大きな手助けとなり税収をさらに伸ばしてくれた。

 次にハイドニヒは帝都において自領民への融資を行うために両替商の支店を置いた。

 帝国銀行と提携し、その業務を補う目的だった両替商は、やがて他の貴族への融資を行うようになった。

 融資を受け辛い立場の貴族や元貴族は多く、そんな相手にも資産があるようならば無担保で金を貸した。

 

 ハイドニヒはそうして得られた財の多くを神殿へと寄進する一方で、皇帝への支援も充分過ぎるほど行った。

 寄付や招致の要請に積極的に応じ、治水工事や道路整備といった国の事業にも取り組んだ。

 金を出し渋れば背信行為として取り潰しの憂き目に遭うのは明白だったからだ。

 

 そんな鮮血帝の恐怖から逃れるためのハイドニヒの拠り所は信仰であった。

 領内の神殿の数を増やし、帝都の神殿へ寄進を行って四大神への感謝を表した。

 それでもハイドニヒの不安が完全に拭い去られることはなかった。

 

 ハイドニヒを含めた帝国貴族が恐怖と不安を抱えていたときにひとつの事件が起きた。

 とある貴族家が異端の教えを信仰した罪で帝国から訴えられたのだ。

 

 その貴族は覚えがないと冤罪を主張したが帝国――皇帝は納得しなかった

 結局、訴えられた貴族は一人娘をリ・エスティーゼ王国の貴族に養子として差し出すことで粛清を逃れた。

 おそらく皇帝の密命を帯びたのであろうとハイドニヒは推測している。

 それを行って尚、元貴族は未だ家名を取り戻すに至っていない。

 

 縁遠い貴族家であったため、帝国の査問がハイドニヒ家に及ぶことはなかった。

 だがこの事件に恐れを感じたハイドニヒは異端信仰について調べ始めた。

 訴えられるきっかけが何なのかを知る必要があったからだ。

 

 自衛のために始めた異端信仰調査の中でハイドニヒはひとりの信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)と懇意になった。

 領内の神殿に食客として滞在していたその男をハイドニヒは自らの屋敷に招き入れた。

 スレイン法国の出身だというその男は言った。

 四大神の上に生死を司る光と闇の神がいる、と。

 

「バハルス帝国にとっては邪神、ということになるのでしょうが」

 

 男はそう言って小さく笑った。

 四大神神官としての教えを受けたハイドニヒとしては確かに受け入れがたい話だ。

 治療や祝福、不死者(アンデッド)討伐など帝国神殿が行う信仰系魔法には感謝の気持ちしかない。

 しかし、国内において復活魔法を持ち合わせていないバハルス帝国の神殿と、死者を蘇らせることのできるスレイン法国とでは、どちらの神官の力が上なのかは明白であった。

 法国だけならまだ良い。

 あのいずれ滅び行くであろうリ・エスティーゼ王国に復活魔法が使える神官戦士が現れたことはハイドニヒの信仰心を大きく揺らがせる衝撃だった。

 復活魔法は粛清を恐れるハイドニヒ達帝国貴族にとって究極の願いである。

 

 ハイドニヒは法国出身の男の語る“邪教”と“邪神”に心惹かれ、ついには極々親しい貴族を集めて教団を帝国に作り上げた。

 いずれの貴族達も容易に信徒になったのはハイドニヒと懇意だったことに加え、それだけ皇帝からの圧力に不安を感じていたからだろう。

 四大神の神官としての知識を持つハイドニヒが教団における代表者――神官になり、初めて行った儀式では兎などの小動物を殺め(にえ)とした。

 (にえ)はすぐに中型の獣になり、亜人(ゴブリン)になり、やがて人間になった。

 

 

 教団を立ち上げてしばらくした頃、ハイドニヒの両替商で、とある貴族への貸付が焦げ付いたことがあった。

 貴族は大闘技場で実績のある屈強な戦士を抱えており、その武力を盾に両替商への返済を先送りにしていたのだ。

 貸し付けていた金額はそう大きなものではなかったが、悪い先例を作ると他の貸付金の回収が滞る。

 その問題の解決に頭を悩ませていたときに、(くだん)の魔法使いがひとりの女を連れてハイドニヒの前に現れた。

 話を聞いた男は、先に世話になった代わりとして貸付金回収を約束した。

 

「あーはいはい。この貴族からこんだけ貰ってくればいーんだね」

 

 男が連れていた短い金髪の女は証文の写しに目を通すと軽い口調で引き受けた。

 余りの調子の良さに不安を覚えたハイドニヒだったが、心配は杞憂だった。

 その日の午後には貸付金が全額返済されたと両替商の責任者から連絡が入った。

 なんでも貴族お抱えの戦士が泣いて命乞いをしたらしいと聞き、その力にハイドニヒは邪神と盟主への崇拝をより強いものとした。

 

 ハイドニヒは貴族の地位と豊富な財産を活かして、祖先の眠る墓地の地下に神殿を建造した。

 顔が利くことを利用して、神殿が管理している養護施設や孤児院から幼子を集め、無垢なる(にえ)とした。

 信徒は髑髏の仮面を被り、素肌を晒して邪神と盟主への崇拝と服従を示した。

 

 そして中央神殿に寄進を終えたハイドニヒは焦燥感に包まれていた。

 

(随分と長い間、儀式を行っていない……)

 

 信徒からは次の儀式を求める声が届いている。

 皆、ハイドニヒと同様に不安を抱えているのだ。

 だが、信徒である貴族が集まるにもそれなりの理由が必要だ。

 理由なく帝都に集まれば帝国に――鮮血帝に嗅ぎつけられ、集った貴族は例外なく粛清されてしまうだろう。

 

 例年であればリ・エスティーゼ王国との戦争が行われる時期に儀式を執り行えた。

 皇帝が戦費を調達するために、主だった貴族を帝都に集めるからだ。

 今年は戦争が行われないという噂もあり、怪しまれないよう貴族が集まれる機会がない。

 早急に儀式を執り行い邪神と盟主への崇拝と忠誠を捧げたかった。

 

 ハイドニヒは自らの馬車に乗り込もうとして、扉を開けて(あるじ)を待つ御者の姿が目に留まる。

 このハイドニヒ家に仕える御者には小さな娘がいたとハイドニヒは記憶していた。

 

「娘は息災か? 怪我や病気はしていないか?」

 

 御者は苦笑いを浮かべる。

 

「それが、その、外で走り回ってばかりでして生傷が絶えません。ですが幸いにして大怪我や大病とは無縁でございます」

「それは良いことだな。いくつになった?」

「5つでございます」

「そうか。可愛い盛りだな」

 

 御者は黙って頭を下げた。

 笑み崩れた子煩悩な顔を主人に見せるのを遠慮したのだろう。

 

「事故や流行り(やまい)は突然襲ってくるもの。困り事があればすぐに私に伝えなさい。良いな?」

 

 御者がもう一度深く頭を下げるのを見ながらハイドニヒは馬車へと乗り込んだ。

 座りなれた座席にその身を沈める。

 頭の中には御者とその娘のことはすでに無い。

 ハイドニヒを乗せた馬車がゆっくりと動き出した。

 

(早急に儀式を執り行わなければならん。そのためには(にえ)が必要だ。平民などではない。高位の(にえ)が……)

 

◇◆◇


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