クレマンティーヌ:謎の男カイによって蘇ったズーラーノーンの高弟の一人。全裸マント。
カイ:クレマンティーヌを蘇らせたチンピラ風の男。ジャージにサンダル。
宿屋の主人:エ・ランテルで寂れた宿屋を営んでいる。木綿の服に前掛け。
漆黒聖典時代、座学と任務で詰め込まれた知識と照らし合わせても“カイ”という名の強者に覚えはなかった。
「カイちゃん、かー……聞いたことないなー。どこの生まれー?」
カマをかけるクレマンティーヌだが、小汚い男――カイは何も言わない。
軽く舌打ちをするがカイが気にする様子はなかった。
他人の言動に無頓着なのか、それとも侮られることに慣れているのか。
口調や所作に品がないところを見ると身分の高い人間ではなさそうだ。
それから何度か話しかけたがカイは返事をせず、じきにクレマンティーヌも無口になった。
クレマンティーヌもまたマントの裾の広がりに注意しながらカイについていった。
肌を晒すことへの心理的抵抗ではなく、ただ目立つことを避けるためだ。
この町のどこかに潜んでいるであろう風花聖典に見つかるわけにはいかない。
前を行くカイは行き先を示しておらず、時折、衛兵や冒険者が忙しそうに通り過ぎる道を、当てもなくフラフラと歩いているように見える。
後ろから見たカイの印象はただの貧相な男だ。
上背はあるが身体に厚みがなく、がに股で猫背で歩き方も洗練されていない。
紐もボタンもない薄汚い上着にだらしなく両手を差し入れていた。
足元はといえば底の厚いミュールを紐で縛るでもなく軽く引っ掛けぶらぶらさせている。
良く言えば盗賊の下働き、ぶっちゃけて言えば廃墟に住み着いた浮浪者だ。
クレマンティーヌは頭の中で情報を整理する。
だが
治療や回復を生業としている神殿勢力は、その力を地位の向上と維持にのみ使っていた。
信者でなければ治療や回復の魔法を覚えることは叶わず、魔法の行使には莫大な対価を要求する。
ときに貧しい民を救おうとした者が無償で治療行為を行い、神殿から破門されたりもしている。
この男はそんな野に下った献身の徒だろうか。
――それはない。
これはクレマンティーヌの確信である。
カイが並外れた信仰系
だが己の信仰や主義に殉じる者が持つ――まるで兄のような――頑迷さや狂気がこの男からは感じられない。
目的遂行のためにはどんな悪事でも行いそうだが、その所作には達観とも諦観ともつかない緩みが感じられる。
こういった傾向を持つ職業といえば
確かに渡されたこのマントは、潜伏型の任務に適したマジックアイテムだ。
どこかの大国から密命を帯びて偽名で王国に潜入中の
この男の正体はそんなところだろう。
後は、背後にあるのがどこの国かが分かればクレマンティーヌの身の振り方が見えてくる。
周辺国の事情を思い出そうとしたところで、前を歩いていたカイが立ち止まった。
表通りからは離れた場所にある宿屋の前だ。
時間が遅いせいなのか場所が悪いのか、宿屋の周りは静まり返っている。
カイはちらりとクレマンティーヌを見て軽く顎をしゃくった。
それから何も言わずに宿屋に入るカイにクレマンティーヌはついて行く。
宿屋の中は外と同様に静かだ。
夜の宿屋といえば一階で酒飲みがたむろしているのが常であるが、見たところ年寄りの主人以外に人影はない。
カイは黄昏ている主人の前に立つとテーブルを軽く叩いた。
「! ……なんだあんたか。いつも急だな。こんな宿屋に戻ってくる馬鹿がいるとは驚きだ」
「ボロ宿を冷やかすのが俺の趣味なんだよ」
宿屋の主人は嬉しそうにカイの憎まれ口を聞いている。
クレマンティーヌの方は見ようともしないのはマントの効果だろう。
カイは主人に何枚かの銅貨を渡した。
「今日は二人だ。飯はいらねえ」
「二人?」
手元の銅貨を確認しながら、宿屋の主人は今気がついたような素振りでマント姿のクレマンティーヌを見た。
「……女か?」
「さあな……くっくっく」
主人は日焼けした皺だらけの顔に察したようなイヤらしい笑みを浮かべる。
「あんな騒ぎの後にもう女か? あんたも好きだな」
「俺じゃねえ。女が俺を好きなんだよぉ」
「そんな面でよく言うぜ」
「男は顔じゃねえんだ」
ひらひらと手を振ってカイは階段を上り、その後ろを主人の好奇の視線を受けながらクレマンティーヌはついて行った。
部屋に入り後ろ手に扉を閉めたところで、クレマンティーヌは室内を見回す。
物入れ用の木箱と寝具が二つずつあるごく普通の二人用の安宿だ。
罠や待ち伏せをされている気配は感じられない。
カイの手が服の中でもぞりと動く。
とっさに身構えるクレマンティーヌは周囲の物音が遠くなるのを感じる。
「わざわざ魔法で音を消すなんて、カイちゃん贅沢だねー」
クレマンティーヌの皮肉には取り合わずカイはベッドに腰を降ろした。
「で。俺に何が聞きてえんだ、クレマンちゃん?」
「まず座っていいかなー。私、歩きすぎて疲れちゃった」
「……ふん。床でも俺の股間でも好きなところに座りな」
カイの下品な冗談を聞き流しつつ、まだ信用しきれていないクレマンティーヌはマント姿のまま部屋の隅に持たれ掛けた。
マントの裾から白い膝と太腿がわずかにこぼれ出る。
「そんでさ。カイちゃんはどこの誰? 見たところけっこう大きい
「ほう。大きい
「
「その神殿にいる奴らってのは
「そーだねー。そーゆー治療行為は神殿が――」
クレマンティーヌは言葉を切る。
「ちょっとー。聞いてるのはこっちなんですけどー」
冗談めかして言うが、クレマンティーヌは警戒心を更に強くした。
わずかな問答で聞く立場が変わっている。
これがカイの性格によるものなのか魔術的な効果によるものなのかは分からない。
そもそも拷問という名の相手を傷つける交渉ばかりしてきたクレマンティーヌに、強者を油断させ足元を掬う話術が駆使できるとは言い難い。
話術訓練の不充分さを呪いつつ、とりあえずこの男の正体を探ることは難しいとクレマンティーヌは判断した。
「まーいいや。そんでカイちゃんはさー。私に何をして欲しいのかなーって」
無理に相手の正体を探ろうとしてこちらの情報を洩らすよりは、手を組むことで利があるのか、その利がどれほどのものなのかを確認するほうが話は早い。
元よりクレマンティーヌ自身、他者に興味があるほうではない。
カイは澱んだ眼差しでクレマンティーヌの顔から足先までを舐めるように見た。
「クレマンちゃんのお仕事は、この俺様の肉壺ガイドだぜぇ」
耳慣れない言葉を聞いてクレマンティーヌが眉を顰める。
「……なに? そのニクツボガイドって?」
「決まってるじゃねぇか。昼にはそこいらの名店や名所を俺に紹介してよぉ、夜には股を開いて秘所を俺に提供する女のことだよ、くっくっく」
「あん? 誰が股を開くって――」
クレマンティーヌは激昂しそうになり、すぐさま冷静さを取り戻す。
強者の足元を掬うためには行動と感情は切り分けなくてはいけない。
自らを弱者と認めるのは業腹ではあったが。
「あのさー……えっちなことはいいんだけど、それって私の得になるのかなー?」
「俺様の魔羅様で存分にアヘらせてやるぜぇ、くっくっく」
「あ。そーゆーお楽しみだけ? そんなんじゃやる気になんないねー」
「俺様にヤられたくて普通の女なら金を握り締めて並ぶんだぜぇ、それを提供しようってんだから有難い話じゃねえかぁ」
「あいにくと私は普通の女じゃねぇんだ――」
思わず語調が強くなりクレマンティーヌは噛み締めるように口を閉じた。
カイはとりたてて気にする様子もなくニヤニヤ笑いを浮かべている。
そんなカイを見て安心すると同時に、他人の顔色を窺う自分にクレマンティーヌは怒りを覚えた。
「……ふん。まったく贅沢な女だぜ」
そうぼやきながらカイは服の中に手を入れた。
身構えるクレマンティーヌの前にカイが右手を差し出す。
カイの手に握られていたのは、
カイの服には大きさ以上のアイテムが入るよう魔法がかけられているようだ。
自分が羽織っているマントの出現理由が分かると同時に、カイの手にあるアイテムから漂う雰囲気にクレマンティーヌは魅せられた。
「これくれんの!? 私に?」
「肉壺契約で渡すのはどっちかひとつだけだぜぇ」
「えー、ひとつだけー?」
ひとつだけと聞いて腹を立てるクレマンティーヌだが、それでもカイが差し出したアイテムの魅力は大きい。
ゆっくりと手を伸ばし、クレマンティーヌはそのふたつのアイテムを手に取った。
触れただけでアイテムの持つ力が分かる。
この感覚は漆黒聖典時代に培われたものだ。
神器とまでは行かないが
そして間違いなく漆黒聖典時代に与えられていた物より強い。
今、自分の肌を隠しているマントといいこの武具といい、どちらも国宝クラスのマジックアイテムだ。
そんな貴重な代物を眼前の愚かで小汚い男は大した代価も求めずに渡そうとする。
思わず口元が緩みそうになるのを抑え、クレマンティーヌは愚かで小汚い男――カイを見る。
カイはだらしない顔をさらに緩ませこちらを凝視していた。
マントの胸元、開かれた場所からクレマンティーヌの白い肌が覗いていた。
素早くマントを閉じ視線を遮ると、カイはあからさまにがっかりした顔を見せる。
あまりに俗物的なカイの様子にクレマンティーヌは怒りを覚えながら
「もしかしてさー。コレを使ったらカイちゃんを殺したりもできるんじゃないかなー?」
クレマンティーヌは耳まで裂けたような肉食獣の笑みを浮かべる。
元漆黒聖典第九席次、そしてズーラーノーン十二高弟の笑みだ。
それを聞いたカイは目を伏せた。
自らの失態を察した助平親父にクレマンティーヌは引導を渡そうとして――
「くっくっく。そいつは面白え話だ。だが――」
助平親父――カイは顔を上げた。
ほんの少し前までしていた緩んだ顔からうって変わり、口だけに笑みを残して澱んだ目が鋭く光る。
「二度目は容赦しないぜぇ」
――ゾワリ。
クレマンティーヌの肌が粟立った。
この感覚は以前に味わったことがある。
ちょっとした挑発をして“先祖返りのアンチクショウ”から感じたアレと、エ・ランテルの墓地で
すぐさまクレマンティーヌは笑みを邪気のないものに切り替えた。
「冗談、冗談だってー。命の恩人にそんなことするワケないじゃん。あー。どっちかひとつなんだよねー? うーん。迷うなー」
クレマンティーヌは話題を変えて手にしたマジックアイテムの吟味を始めた。
ただの助平親父に戻ったカイの無遠慮な視線はこの際我慢する。
クレマンティーヌがまず調べるのは武器だ。
他のアイテムは武器があれば大抵の場合都合がつく。
その
軽く振るだけで空気を断ち火の粉が舞った。
桁外れの切れ味に加え、炎系魔法が付与されていることが解る。
それでいて腕に感じる重さは羽毛のように軽いあたり、肉体を強化する魔法が施されているのかも知れない。
近年、慣れ親しんだ
単純な攻撃力だけでもスティレットを凌ぐことは間違いないだろう。
――あの頃の武器と同じくらいの力、か……。
「これ……革の……鎧?」
「当ったり前じゃねえか。どこに出ても恥ずかしい正真正銘の
黒い革紐には繊細な模様が施され、それだけで美術品として優れた物であることが解った。
紐と紐を繋ぐ金具には流麗な細工が彫られてあり、その銀色の輝きには錆びた箇所は見られない。
複数の強化系補助魔法が付与されているのは明白だが、それらを探知する魔法が使えないクレマンティーヌが、その効果を実感するためには装備してみる他はない。
問題はこの革紐がクレマンティーヌの肌のどこを覆って、
軽くため息をつきながらクレマンティーヌはカイに聞く。
「さすがに防具は見るだけじゃ分かんないからさー。試しにこれ装備してみてもいいかなー?」
「あいにくと当店には試着室がございませんので、ここで着てもらいますがよろしいですかぁ?」
挑発的なカイの言葉にクレマンティーヌは何度目かの殺意を覚える。
それでも黒い革紐の塊を広げ、それを身に付けようとしたところでカイと目が合う。
マントの隙間から覗くクレマンティーヌの肌を、カイは澱んだ瞳で凝視していた。
「……カイちゃんさー。見てもいいけどもうちょっとさりげなくできないかなー?」
「こういうのはお客様の反応が大事なんでございますよぉ……くっくっく」
そう言いながらカイは涎を垂らさんばかりに口元をだらしなく歪ませる。
訓練や拷問で肌を見られる機会はあったが、こうもあからさまに情欲の視線を向けられたことはない。
かつて出遭った強者は皆、どこか浮世離れした雰囲気があった。
現実から離れることで神代の力を得たのだとクレマンティーヌは理解していたが、この男を見る限りその理解は間違っていたらしい。
「あーもう、やめやめ。鎧はいいから
「まあまあそう仰らず、一度くらいお召しになってみてはいかがでしょうかぁ? きっとお客様にお似合いでございますよぉ」
武具屋のセールストークのようなカイの言葉に、クレマンティーヌは手にしていた革鎧を投げつけた。
顔に革鎧を叩きつけられても気にする様子もなく、カイは助平親父の薄ら笑いを続けている。
「これはこれは……。残念無念ですぅ、はい」
ゆっくりした動作でカイは顔にひっかかった鎧を服の中に仕舞い込んだ。
「……でー? これをもらった私はこれから何をしたらいいのかなー?」
「そいつを受け取るってことは、クレマンちゃんは俺様と肉壺ガイド契約を結ぶってことでいいんだなぁ?」
「はいはい。ニクツボでもなんでもいいよ。この
「くっくっく。肉壺げっちゅ~」
親指を立て、ひとり満足そうにつぶやくカイに、クレマンティーヌは更なる怒りが湧いてくる。
「だーかーらー、ニクツボの私は何をしたらいいのかなー?」
「決まってるじゃねえか。まずは契約内容の確認だぜぇ。肉壺の具合を微に入り細に入り調べてやるからこっちに来るんだよぉ」
「はいはい……よっ!」
クレマンティーヌの
死体安置所での目潰しのときとは違う感触にクレマンティーヌは肉食獣の笑みを浮かべ、そしてその笑みを引きつらせる。
「二度目は容赦しねえって言ったよなぁ?」
カイは顔の真横にある
どれだけ抗おうとも逃れられない罠に、再び嵌まってしまったことをクレマンティーヌは悟った。