疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。人殺し大好き。
カイ:カルボマーラのパートナーNPC。カルボマーラ様と性行為大好き。

デミウルゴス:ナザリック地下大墳墓の階層守護者。アインズ様大好き。

カジット・バダンテール:ズーラーノーン十二高弟のひとり。お母さん大好き。


最終話「疾風走破、喪失する」

◇◆◇

 

 草原を照らしていた日は既に傾いていた。

 吹き抜ける風は季節通りの冷たさを帯びている。

 その冷たい風の中でカイ・キサクはひとり佇んでいた。

 

 カルボマーラはアインズ・ウール・ゴウンには居なかった。

 アインズ・ウール・ゴウンに()()()()()()()()()()()()()()

 この事実はカイを安堵させ、そして失望させた。

 

 ユグドラシルとは違うこの世界にカルボマーラの姿はなかった。

 言い伝えにも、娼館や奴隷商の()()()簿()にもカルボマーラを思わせる物はない。

 カイの<伝言(メッセージ)>もカルボマーラには一度も繋がらなかった。

 クレマンティーヌには<伝言(メッセージ)>が繋がった以上、原因は魔法が発動しなかったことではない。

 これらの状況から導き出される結論は、カイにとって酷く残酷なものだ。

 

 あの猫にも似た殺人狂の女(クレマンティーヌ)が言ったことは正しい。

 アインズ・ウール・ゴウンの部下になることの利点は承知している。

 だがそれは、カイには決してできないことだ。

 

(……クレマンか)

 

 クレマンティーヌは自分とは違う。

 あの女には目的があり、価値があり、何より居場所がある。

 カジットとかいう禿頭か、盟主とやらが適当に言いくるめるだろう。

 たとえ言いくるめられなかったとしても、もう会うことは無い。

 

「おや? まだ、こちらにいましたか?」

「……アンタかい」

 

 背後からかけられた声にカイは振り向くことなく返事をした。

 その耳当たりの良い声には聞き覚えがある。

 ナザリック地下大墳墓の玉座の間で聞いたスーツ姿の蛙頭の声だ。

 

 おもむろにカイが振り向くと、声の主は玉座の間で見たときとは違う人間の顔で笑みを浮かべていた。

 それは大昔の人間が想像した己を堕落させ地獄へと(いざな)う悪魔の微笑みだ。

 

「ちょっと見ねえうちに印象が変わったな。髪でも切ったかぁ?」

「いえ。私は変わっていませんよ」

 

 笑顔の悪魔の背後には複数の影が佇んでいた。

 それら殺気を帯びた影のいずれもがカイと互角以上に戦える者たちだ。

 

「ところで、こちらの判定が正しければ貴方は魔力をかなり消費しているようですね。何に使ったのですか?」

 

 悪魔は友人の体調を心配するような優しげな口調で問いかける。

 だが、その言葉に込められた真の意味は酷く危険だ。

 今のカイには転移魔法も上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)も唱えるだけの魔力はない。

 

「ああ。ちょっと記憶操作の魔法にな」

「記憶操作……ですか。それはご苦労様です」

 

 悪魔は納得したように頷いたが、その様子は大仰で芝居がかっていた。

 別に魔力の使い道を知りたかった訳ではなく、ただカイが魔力を失っていることを確認しただけなのだろう。

 

「貴方にお聞きしたいことがいくつかございます」

 

 カイは顎を動かして悪魔を促した。

 

「貴方がお持ちの品の中に、対象者の精神を支配する世界級(ワールド)アイテムはありませんか?」

 

 その問いは予想外のものだ。

 少し考えてカイは口を開く。

 

「そんな便利な代物がこの世界にはあんのか?」

「……なるほど。やはり一筋縄では行きませんか。セバスの資料にあった通りの人物のようですね」

 

 悪魔は笑みを深くして小さく頷いた。

 

「どうしたぁ? 勝手に納得されるとケツの穴がむずむずするぜぇ」

 

 ニヤニヤ笑いのカイに悪魔は首を小さく傾げる。

 説明をするつもりは無いようだ。

 

「それで俺に何の用だぁ? ナザリック地下大墳墓(あすこ)に忘れ物をした覚えはないぜぇ」

「勿論ですとも。聡明な貴方がナザリックに忘れ物などするはずがありません。こちらの監視にも気づいていたようですし」

「そんなにおだてんなよぉ。近頃は気疲れの所為(せい)か、アンタの顔だって覚えてなかったんだぜ、くっくっく」

「思い出していただいたようでなによりです」

 

 カイと悪魔は笑いあう。

 悪魔はカイを招くように両手を広げた。

 

「もう一度だけお聞きします。アインズ様の下僕(しもべ)になる気はありませんか?」

 

 悪魔の背後にいる影がざわりと揺らめいた。

 その動揺を制するように悪魔は軽く片手を上げる。

 

「貴方は私たちにはない力と感覚をお持ちです。それはアインズ・ウール・ゴウン魔導国の名を高めることに使えるでしょう」

 

 カイは悪魔の顔を静かに見つめた。

 

「その力をアインズ様のためにお使いいただけませんか?」

 

 それはまさしく悪魔の囁きだ。

 だが、その言葉には相手を誘惑しようとする意思がない。

 カイの返答を知った上で、あえて確認をするための手順でしかなかった。

 

「ありがてえ申し出だぁ。アンタと、そしてアンタの上司である魔導王陛下には感謝の言葉もねぇ」

 

 カイは首にかかった薄汚れたタオルで顔を拭う。

 

「だがなぁ。俺の主人(あるじ)は御一人だけなんだよぉ。陛下にはよろしく伝えといてくれ」

 

 悪魔は笑みを浮かべたまま小さく頷いた。

 優等生の模範解答を聞いた教師のようなその素振りは、拒絶されることを想定した上での問いかけだったのだろう。

 

「アインズ様は仰いました。何が最もナザリックの利益に繋がるか思案を巡らせよ、と。故に――」

 

 悪魔は心から――悪魔に心というものがあればだが――申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「――私達は貴方から世界級(ワールド)アイテムを奪い取り、そして貴方を殺めなければいけません」

「……そうかい」

 

 悪魔の処刑宣言を聞いてもカイに驚きはない。

 何時如何なる場所の出来事でも映し出すことのできる絶対写真機(ピーピング・トム)は誰にとっても重要であり、同時に誰にとっても危険なアイテムだ。

 今のカイ・キサクを除いては。

 

「そうそう。玉座の間で貴方に襲い掛かった守護者――シャルティア・ブラッドフォールンは連れてきておりません」

 

 感情的になりそうなのでね、と悪魔は付け加えた。

 

「それとご安心ください。()()人間の女には手を出しません。アインズ様がその御名を以って生命を保障したのですから」

「そいつは有(がて)えこった」

「ですが、貴方が持つそのタブレットは非常に危険です。そして貴方自身も」

「あんた達に迷惑をかけた覚えはねえがなぁ」

 

 カイの責めるような言葉に悪魔は苦笑いを浮かべる。

 

「勿論ですとも。賢明な貴方は我々と争うことなど考えないでしょう。ユグドラシルの名を示して、完璧な手順を以って我らがナザリックを訪れたように」

 

 草原は薄闇に包まれ、空にはいくつかの星が瞬いていた。

 

「ご存じだとは思いますが、世界級(ワールド)アイテムにはあらゆる阻害を無効にする力があります。たとえ貴方がそのアイテムを使用しなかったとしても、それを奪いナザリックに対して使用する存在がこの世界に現れないとは限りません」

 

 悪魔は人差し指をぴんと立てる。

 

「それと同時にナザリックに仇なす存在が、貴方の力を利用することも避けねばなりません。感情で動く貴方はナザリックにとって危険を常に(はら)んでいるのです」

 

 悪魔は手を後ろで組み、周囲に控える影にも言葉を聞かせるためかゆっくりと回るように歩いた。

 その背筋は真っ直ぐに伸び、自らの言葉への自信に満ち溢れている。

 猫背のカイとは対照的だ。

 

「貴方はアインズ様にタブレットを捧げようとしました。ですが、それは絶対的支配者であらせられるアインズ様への忠誠から来た行為ではありません。あれは――」

 

 悪魔はカイの顔を見つめた。

 

「――あの女への同情から、ですよね?」

「……ふん。さあな」

 

 悪魔はひとつ息を吐く。

 

「まあいいでしょう。そして、貴方の力とお持ちのアイテムがアインズ様のご憂慮にならないよう対応し処理するのが私達下僕(しもべ)の役割なのです」

 

 悪魔の背後の影が殺意で大きく膨らんだ。

 

「それにしても妙ですね。貴方ほどの知恵者ならば私達の襲撃など簡単に予想できたでしょう。このような襲撃され易い場所に来ることも、あの女から離れることも、そして魔力を消費することも、なかったのでは?」

「あいつの――」

 

 カイは一度目を伏せ、それから悪魔に視線を向ける。

 

「――クレマンの仕事は終わったんだよ。仕事が終わればお互い無関係になるのは鬼畜モンの規則(ルール)だぜぇ」

「……なるほど。では、そういうことにしておきましょう」

 

 悪魔が背後の仲間たちに指示を出した。

 数え切れないほどの支援魔法が唱えられ、悪魔とその仲間たちをより強くより素早くより強靭にする。

 

「私達は慎重を期さねばなりません。特に貴方のような強者を相手にするときは、ね。ただの一人も犠牲を出すわけにはいかないのです。それはアインズ様の望むところではありませんから」

 

 悪魔は主人(あるじ)の願いを理解し、その言葉に従うことを無上の喜びとしているようだ。

 そしてカイにはひとつ気になっていたことがあった。

 

「――なあ?」

 

 この世界を訪れて自らの中に生じなかった感覚を、この悪魔たちは感じたのだろうか、と。

 

「お前ぇさんたちは、今、幸せかい?」

 

 カイの問いに悪魔は一瞬だけ虚を突かれたような表情を見せた。

 それから満面の笑みを浮かべる。

 

「勿論ですとも。アインズ様のために働き忠義を尽くすことのできる喜び。我ら守護者は常に歓喜に満ち溢れています」

 

 その言葉には嘘偽りのない感情が込められていた。

 背後に居る化け物たちの態度や表情にも自信と満足感が窺える。

 それはカイの目に残酷なほど眩しく映った。

 

「そいつは何よりだ……」

「貴方との会話は楽しいのですが私達には時間がありません。そろそろ終わりにしましょう」

 

 周りを取り囲む悪魔たちをカイは羨ましそうに眺めていた。

 

◇◆◇

 

 半森妖精(ハーフエルフ)のオリオーヌは息を殺し木の上で待っていた。

 

 僅かに残った木の葉の向こうには大きな水溜りがある。

 そこに現れたのは大きな角を持つ牡鹿だ。

 鹿は注意深く周囲の様子を窺いながら、やがて首を大きく曲げて水面に口をつける。

 

 あらかじめ弦を引いていたオリオーヌは木の葉が音を立てないようゆっくりと、そして獲物が水を飲み終えるのに間に合うよう急いで狙いを定めた。

 樹上からの瞰射(かんしゃ)が有利に働くことをオリオーヌは知っている。

 

 引き絞った弦を離すと充分に力を蓄えた矢が、(あやま)たず鹿の首を貫いた。

 牡鹿は矢が刺さったまま二度三度と跳ね、やがて身体を横たえ動かなくなった。

 

 オリオーヌは素早く木から降りると、牡鹿の死を確認してから近付いた。

 獲物を大きさを調べながらオリオーヌは自身の狩猟技術について思いを馳せる。

 自分は死んだ母親に近づけたのだろうか、と。

 

 獲物に近付くことをオリオーヌに気づかせたのは、カイという奇妙な人物から借りた魔法の弓だ。

 その弓は装備していると獲物の方から近付いてくるマジックアイテムだった。

 オリオーヌは何度も獲物を仕留めることに失敗したが、魔法の弓の力によって次の機会がすぐに得られたのだ。

 そうして獲物の射るべき身体の部位をオリオーヌは理解していった。

 

 魔法の弓をカイに返却してからは、獲物に近付く方法を探した。

 オリオーヌは山の中、そして施設の書庫で獲物の習性を調べ、食べる餌、水を飲む場所、子供を生む時期、巣を作る場所などを覚えた。

 そうして牡鹿程度なら容易く狩れるだけの力を得たのだ。

 

 カイから借りた魔法の弓が、どれだけ役に立ったかは分からない。

 だが獲物を射る機会を増やして狩猟に必要な思考を促したのは間違いなくカイとクレマンティーヌだ。

 あの二人の人間にオリオーヌは今も感謝の気持ちを抱いている。

 

 狩猟以外でのオリオーヌの生活も、カイの助言によって変化した。

 ()()()()()()()干し肉を施設の担当官や同輩の孤児たちに渡すようにしたのだ。

 干し肉の効果は劇的で、施設内でのオリオーヌの扱いは大きく変わった。

 配られる食事の量は皆と同じになり、入浴の順番を飛ばされることもなくなった。

 以前は微に入り細に入り確認してきた行動報告も簡単になった。

 カイから教わった渡世術に、オリオーヌは改めて感心させられた。

 

 牡鹿の後ろ足を縄で縛り木に吊るして固定すると、鹿の首にナイフを入れ血抜きを始める。

 手とナイフについた汚れを沢で洗い流し、オリオーヌは緑色の帽子を被り直した。

 

 そんなとき、ふと半森妖精(ハーフエルフ)の少年はカイとした約束を思い出す。

 

「“雌の肉壺”ってどうやって手に入れるんだろう?」

 

 次にあの二人に会ったときは、そのことを聞こうとオリオーヌは考えた。

 

◇◆◇

 

「いいこと? お義母(かあ)様と義弟(エリック)への取り次ぎは全て断りなさい。手紙も全部こっちに回して。元の使用人には暇を出して、世話は貴女の部下にやらせなさい」

 

 デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシューは自身の使用人の長、カミエに強い口調で指示を出した。

 カミエは鋭く整った眉を僅かに顰める。

 

「それではお嬢様のお世話が不充分になりますが……よろしいのですか?」

「お義父(とう)様がお亡くなりになったのです。事態が落ち着くまで私の世話は最低限で構いません」

 

 リ・ブルムラシュールにあるブルムラシュー侯爵の館は混乱していた。

 リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国との戦争に於いて、領主であるブルムラシュー侯爵が戦死したとの知らせを受けたからだ。

 

 知らせを聞いた義母は部屋に閉じ篭もり、遠くを見つめながら果実酒を舐めるように飲み続けているという。

 幼い義弟もまた父親の死に衝撃を受け、今はデーンファレの後ろでちょこんと椅子に座り、不安そうな顔で姉の背中を見つめている。

 

「お義姉(ねえ)様……」

 

 消え入りそうな義弟――エリックの声に、デーンファレは強い表情を向ける。

 

「弱々しい顔を見せてはいけません。お義父(とう)様がお亡くなりになったということは、今は貴方がこのリ・ブルムラシュールの領主なのです。使用人や領民の前では毅然とした態度を示しなさい」

「で、ですが、僕はお義姉(ねえ)様みたいに領地のことを知りません。領地どころかこの館のことだって……」

 

 俯くエリックの顔をデーンファレは膝を突いて覗き込んだ。

 

「大丈夫です。私が力になります。お義父(とう)様が残したこの地はエリック、貴方だけの物なのですよ」

「僕だけ……お義姉(ねえ)様と、お母様は?」

 

 エリックの優しい目に、デーンファレは思わず微笑んでしまう。

 

「勿論、お義母(かあ)様と私はいつでもエリックの(そば)に居ます。貴方が立派な侯爵となって、リ・ブルムラシュール(ここ)を治められるようにね」

 

 これはデーンファレの本心だった。

 

 これまでデーンファレは王国での立場を確固たるものにするため義母とは何度も鍔迫り合いを行った。

 呪わしいリ・ロベルへの遊学においては義母を強く恨んだこともあった。

 だがそれもブルムラシュー侯爵の死によって大きく変化した。

 義父の死を嘆き悲しむ義母はあまりに儚く、か弱い人間としか思えなかったからだ。

 

 跡継ぎである義弟(エリック)はまだ幼く、義母もまた領地を維持しようとする意思がない。

 であればこそ養女であるデーンファレがリ・ブルムシュラールを支えなければならない。

 これは義理の家族のためだけでなくデーンファレ自身の居場所を確立するためでもあった。

 

 デーンファレは、まず義弟と義母に近付く者を全て遮ることにした。

 義父や義母の縁者は勿論のこと、御用商人や使用人も全てを追い返した。

 

 リ・ブルムラシュールの領地が抱える財は莫大で、それを狙う者は多い。

 神妙な顔をして近付いてくる者たちには注意を払わなくてはいけない。

 今は全ての人間が敵だと思って行動するときだとデーンファレは考える。

 

 戦争に大敗した王国は未だ安定しておらず、後ろ盾となるような有力貴族もまた被害からの建て直しに忙しい。

 女の自分が領地や爵位を継げないことは知っている。

 だからこそ義弟のエリックを侯爵として確たる人物に成さねばならない。

 

 まずは食料に関する支払いと戦時徴用された領民への保障を最優先とし、領民の不安と不満を抑えるようにする。

 これには義父の残した財が役に立つ筈だ。

 

 戦死した義父、ブルムラシュー侯爵は領内の経営をほぼひとりで行っていた。

 山小人(ドワーフ)との取引履歴が見つかったときは、流石のデーンファレも驚いた。

 そんな義父の有能さは残された財の莫大さが物語っているが、その中には国を裏切って得た物もある。

 

 今は混乱していて不問とされている事も、国勢が落ち着けば疑う者が出てくるだろう。

 これらを上手く処理してブルムラシュー家を存続させなければならない。

 場合によっては口封じをせねばならず、義父の直接の部下などは最も注意すべき粛清対象だ。

 暗殺であれば使用人リーダーのカミエが、処刑であれば護衛人の隊長ドルネイが上手くやってくれるだろう。

 

 デーンファレにとって幸いだったのは、義父が用意してくれた直属の使用人が有能だったことだ。

 カミエは才気に富み、その上多少の荒事も厭わずやってくれる。

 ドルネイは数の少ない護衛人を上手く率いて動いてくれる。

 そして何より、二人の忠誠を疑う要素は今のところ無い。

 

 義弟は幸いにして、デーンファレに懐いている。

 これからは彼がブルムラシュー侯爵であり、彼の意思決定が重要な意味を持つようになる。

 ブルムラシュー家を存続させる方向へと義弟を導かねばならない。

 そのためにデーンファレはどんなことでもするつもりだ。

 

 自分に色目を使ってきた貴族たちの能力を見極める必要がある。

 己の女をも存分に利用してやろうと心に誓う。

 やるべき事は多いが、デーンファレは諦めるつもりはない

 

 リ・ロベルで受けた恥辱をデーンファレは忘れていなかった。

 ブルムラシューの力をより強固なものにして、ピアトリンゲンの請負人(ワーカー)、カイとクレマンに復讐しなければならない。

 

 俯くエリックの頭を撫でながら、デーンファレは静かに復讐の炎を燃やすのだった。

 

◇◆◇

 

「クーデリカ、ウレイリカ、もう遅いから寝なさい」

 

 店内を走り回っていた娘たちに、ムーレアナは声をかけた。

 武器やアイテムが並んだ武器屋の店内は遊び場所としては魅力的だろうが、既に夜は更けており何より売り物で怪我をする恐れがある。

 

「私、眠くない」

「私も眠くなーい」

 

 双子は声を揃えて母親代わりのムーレアナに異議を唱える。

 まだまだ遊び盛りだし元の暮らしの中では、おそらく灯りを節約することなど考えたこともなかっただろう。

 武器屋の女主人は少し考えて、双子を脅かすであろう言葉を選んだ。

 

「あんまり遅くまで起きてると、また人攫いのおじさんが来ますよ?」

 

 その言葉を聞いて、双子の表情がこの家に初めて来たときのように強張る。

 マヤを助け出し、それにまつわる全ての問題を解決してくれたカイとクレマンにはどれだけ感謝しても感謝し切れていない。

 そんな恩人でもある人物を、子供の躾けのためとはいえ悪人扱いするのは忍びなかった。

 ムーレアナは申し訳ない気持ちを胸の内に隠しながらもうひとりの娘、マヤに言う。

 

「マヤ、クーデとウレイを寝室に連れて行って」

「はーい。クーデもウレイも、行こ?」

 

 マヤの手を二人がぎゅっと握った。

 自分たちより年長者にすがることで恐怖を紛らわしているのだろう。

 マヤもまた双子の気持ちを察してか、その手を強く握っていた。

 年齢がひとつかふたつしか違わないであろうマヤが、双子相手に年長者として振舞う姿は嬉しい反面、申し訳ない気持ちにもなる。

 まだまだ遊びたい盛りだろうにと。

 

「お仕事が終わったら私もすぐに行くからね」

 

 三人は本当の姉妹のように仲良く連れ立って、二階の寝室へと上がっていった。

 階段を見つめながらムーレアナは思いを馳せる。

 

 カイとクレマンティーヌに頼まれて、引き取った双子は貴族の娘であったらしい。

 金色の髪は綺麗に整っていて、着ていた服も良い仕立ての物だった。

 最初は貴族の娘が武器屋の貧しい生活に馴染めるか不安だったが、子供ならではの素直さと、マヤの優しさもあって、生活にも慣れて食事も好き嫌いなく食べてくれる。

 

 娘が三人に増えたことでムーレアナの苦労は増えた。

 武器屋が繁盛しだしたことも重なって、いよいよ手が回らなくなったとき、大商人であるオスクから店の手伝いを紹介してもらった。

 

 ジェスト・デセオの一件もあって、新しい手伝いを入れることに最初は抵抗があった。

 取引先でもあるオスクの薦めに押され、雇い入れたのは宮廷魔法学校の女学生だ。

 接客は苦手そうだが宮廷魔法学校で学んでいるだけあって数字に強く、マジックアイテムの鑑定ができるので、今では居なくてはならない存在になっている。

 オスクからの紹介の背後に、カイの後押しがあったのだろうとムーレアナは思っている。

 そうでなければこんな小さな武器屋に大商人のオスクが眼をかけるわけがない。

 

 実は二人を引き取るときに、カイから養育費として金貨とマジックアイテムを預かっていた。

 だが、今のところは手をつける必要もなく、出来ることならこのまま返却したい。

 ムーレアナはそう考えていた。

 

(それにしても……)

 

 双子が待っているという姉の行方について、ムーレアナは不安を感じていた。

 冒険者組合や市場で聞いた噂話では、どうも請負人(ワーカー)をやっていたらしい。

 大きな遺跡の調査に向かったというところまでは分かったが、そこから帰還したという話は聞いていない。

 家族が待つ家に戻ってこない者の運命は往々にして決まっている。

 

 頭に浮かんだ最悪の考えをムーレアナは打ち消す。

 

(……駄目ね。はっきりとした答えが出るまでは諦めるものじゃない)

 

 戻らないのはムーレアナの良人(おっと)も同じだ。

 双子の姉の帰還を、そして自分の良人(おっと)の帰還を信じて待ち続けるしかない。

 

 次にクレマンかカイが訪ねてきたときに相談してみようとムーレアナは考える。

 請負人(ワーカー)や冒険者に関することなら、彼らにこそ情報が集まるだろう。

 そう考えると少しだけムーレアナの気持ちが楽になる。

 

 やがて今日の売上確認を終えたムーレアナは店の灯りを消すと、三人の娘が待つ寝室へと向かった。

 

◇◆◇

 

 デミウルゴスは敵が消滅した場所を見つめていた。

 

 敵が落と(ドロップ)したアーティファクトとユグドラシル金貨、データクリスタルは闇妖精(ダークエルフ)の双子が全て回収した。

 アーティファクトはその殆どが取るに足りないものだが、あの世界級(ワールド)アイテムだけは別だ。

 闇妖精(ダークエルフ)の二人が持ってきた銀のタブレットを受け取るとデミウルゴスは安堵の表情を浮かべる。

 

「これはしかるべき時にアインズ様にお渡しすることにしましょう」

「あいつ、レベルのわりに大したことなかったね」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の双子の姉は言った。

 

「それは私達の“チームとしての戦い”が上手く行ったからですよ」

「そっか。あの“樹”で練習した成果だね」

 

 双子の姉はデミウルゴスの言葉に納得したように頷いた。

 味方の損害が皆無だったのは、なんといっても闇妖精(ダークエルフ)の双子の力だ。

 多くの支援魔法(バフ)で同胞を強化してくれた。

 

「こ、これで良かったんですよね? デミウルゴスさん」

「そうですよ。これでアインズ様とナザリックに害が及ぶ可能性をひとつ潰すことができました。このことはアインズ様も大そうお喜びになるでしょう」

「そ、それは良かったです。えへへ」

 

 双子の弟が気弱そうに微笑み、デミウルゴスもまた微笑を返した。

 そこに冷気をまとった巨大な蟲人が、不機嫌そうにガチガチと威嚇音を立てながら近付いてくる。

 

「……早ク、戻ルベキデハナイカ?」

「その通りですね。階層守護者がナザリックを留守にする時間はなるべく少なくしましょう」

 

 武人気質の同僚には気の毒をしたとデミウルゴスは思う。

 満足に力を出せない相手をただ切り裂くだけの役割を与えたのだから。

 だが、ナザリックの被害を最小とすべきことは主人(あるじ)の願いであり、それはナザリック全ての下僕(しもべ)の感情に優先される。

 彼にはどこか別のところで満足できる戦いを用意してやろうと考える。

 

「戻りましょう。私達のナザリックへ」

 

 その言葉に3人は踵を返す。

 

 デミウルゴスはもう一度だけ敵が消滅した場所を見て、それから3人の後に続いた。

 自らの主人(あるじ)が勧誘した者への嫉妬の炎を心の中でかき消しながら。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは闇の中に居た。

 闇の向こうに薄汚い(もや)があり、(もや)の先には髑髏があった。

 眼窩に血色の輝きが灯ると、髑髏は大きく口を開け笑いだした。

 髑髏の笑い声が闇をかき消し、あたりは輝きと安堵に満たされた。

 やがて(もや)も髑髏も消え、クレマンティーヌだけが残された。

 

 

 クレマンティーヌは寝台(ベッド)に横になっていた。

 意識が次第に明瞭になり、薄暗い室内が見えてくる。

 ゆっくりと身体を起こすと、それに合わせて二つの人影が動くのが見えた。

 ひとつはクレマンティーヌの見覚えのある顔だった。

 

(……カジット・バダンテール?)

 

 向こうも様子を窺っていたのだろう。

 目覚めたクレマンティーヌを見て、カジットはどこか怪しむような奇妙な表情を浮かべていた。

 

「……気がついたか」

 

 もうひとりはズーラーノーンの従者だ。

 自分が組織(ズーラーノーン)の高弟であることをクレマンティーヌは改めて思い出す。

 

「……ここは?」

我ら(ズーラーノーン)の隠れ家よ。バハルス帝国の、な」

 

 薄暗い室内を見渡すと、その壁や装飾には確かに覚えがある。

 帝都(アーウィンタール)にあった隠れ家だ。

 帝国でズーラーノーンの仕事を手伝ったときに何度か訪れたことがあった。

 居場所が判った事は良しとして、()()()()()()()()()()()が何故帝都(アーウィンタール)にいるのかが判らない。

 カジットがクレマンティーヌに声をかけた。

 

「……おぬし、どこまで覚えておる?」

 

 なんとも奇妙な問いだ。

 クレマンティーヌは顔を顰める。

 

「何、カジっちゃん? それ、どーゆー意味?」

「……言葉通りよ。おぬしが最後に見たものは何だ?」

 

 そう言われてクレマンティーヌは自らの記憶を探る。

 

 風花聖典の目を避け、リ・エスティーゼ王国の城塞都市エ・ランテルに逃げ込んで眼前に居る魔法詠唱者(マジック・キャスター)、カジット・バダンテールに共闘を申し出た。

 冒険者を拷問惨殺して、生まれながらの異能(タレント)持ちの少年を拉致した。

 そして――、

 

「……エ・ランテルの墓場でモモンとかいう糞ったれと殺し合ったことかなー?」

 

 クレマンティーヌは言葉を選びながら思い出したことを口にした。

 別に秘密にすることは何もないが、カジットの問いただすような物言いが気に入らない。

 そして、その後のことは口にしないし、したくもない。

 モモンは髑髏の顔を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)の正体を見せ、クレマンティーヌを捕らえて背骨を圧し折ったことは。

 

 クレマンティーヌが覚えているのはそこまでだ。

 時折、薄汚い(もや)が記憶の中を()ぎるが、それは具体的な形にはならなかった。

 

「モモンの正体は覚えておるか?」

 

 カジットの奇妙な問いは続いた。

 

「正体……とか言うってことは、そっちでも分かってんじゃない?」

(おおよ)そのところは、な」

 

 クレマンティーヌは大げさに溜息を吐いてみせる。

 

「まっさか、鎧の中身が不死者(アンデッド)だったなんてねー。……あれ? もしかして、それも知ってた?」

「……知っておる」

 

 カジットの顔に驚きは無かった。

 フードの従者はもとより表情が判らない。

 

「あーあ。せっかく重要な情報を持ってきたと思ったのになー。ヤられ損かー」

 

 そう愚痴りながらクレマンティーヌは自分の腹に視線を落とす。

 そこには血も傷もない滑らかな自慢の肌があるだけだ。

 触っても痛みはなく、あの苦しみが嘘のようだ。

 

「もしかして……私、死ななかったとか? 死ぬ前に助けて貰っちゃったりした?」

「いや。おぬしは死んだ」

「……あ、そ」

 

 カジットの身も蓋もない回答に気落ちしながらも、クレマンティーヌは頭の中を整理する。

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの墓地でモモンによって殺され、そして何らかの手段で蘇った。

 今はバハルス帝国の帝都(アーウィンタール)にあるズーラーノーンの隠れ家に居る。

 

 そこまでは理解したが、それ以上のことが分からない。

 

 覚えの無い装備に身を包まれていることも、覚えの無い袋が自分の荷物のように寝台(ベッド)の傍らに置いてあることも気になるが、それらを表に出すことはしない。

 自分のものにしてから確認すれば良いからだ。

 

「そういえばカジっちゃん、なんか()()ねー? もしかしてカジっちゃんも死んじゃったー?」

 

 カジットはエ・ランテルに居たときに比べると覇気が無く、その存在もどことなく薄く感じる。

 クレマンティーヌの挑発にカジットは口惜しげに顔を歪めた。

 

「すぐに元の力を取り戻してみせるわ」

「……ふーん」

 

 カジットの強がりを聞き流して、クレマンティーヌは自身の次の行動を考える。

 

 生き返らせて貰ったことには感謝するが、彼女の本来の目的はスレイン法国の追手から逃れることだ。

 ズーラーノーンの頚木(くびき)が目的を妨げるようなら、クレマンティーヌは何時でも組織から抜け出すつもりだった。

 

 身体の調子は悪くない。

 覚えの無い装備は違和感なく身体に馴染んでいる。

 カジットと従者を殺して、このまま逃げることもできるだろう。

 そう考える一方で、クレマンティーヌは違和感を感じていた。

 

 死から復活は生命力を激しく消費させ、持っていた能力を失うものだ。

 それは漆黒聖典時代の同僚の様子でクレマンティーヌは知っていた。

 だが、今の彼女にはそんな自覚症状が無い。

 倦怠感も焦燥感も無く、試してはいないが覚えていた武技も普通に使えそうだった。

 

「私も死んだんだよねー? 別に死ぬ前と変わった感じしないんだけど?」

 

 カジットはちらりと従者に視線を向けた。

 その視線の意味がクレマンティーヌには分からない。

 

「ふん。天使とでも踊った(運が良かった)のだろう」

 

 忌々しげにカジットが口にしたのは、スレイン法国風の慣用句だ。

 

「……なにそれ?」

 

 クレマンティーヌは聞き返したが、それ以上説明する気はないのかカジットは無言になった。

 

 どうにもカジットの態度は、何かを知っていて説明しない様子に見える。

 それでいてクレマンティーヌの扱いに困惑している節もある。

 

 怒りに任せて従者諸共殺してしまいたくなるが、今の彼女には情報がない。

 しばらく二人に付き合って情報を集めてから身の振り方を考えた方が良いように思えた。

 それに、腰に下がった細剣(レイピア)の性能確認や、どうやら自分の物らしい袋の中身など、後のお楽しみはいくらでもある。

 

「そんでさー。これからどうすんの?」

 

 組織(ズーラーノーン)が動いていることには間違いはない。

 そうでなければわざわざクレマンティーヌを蘇らせたりはしないだろう。

 

「盟主からの召集があった。世界に少しばかり動きがあったのでな」

「世界の動きねぇ……」

 

 思ったよりも規模の大きな話を聞いて少し戸惑った。

 だが、自分に出来ることは所詮殺しであり、その才能を以って組織に誘われた以上、わざわざ別の任務や行動を強いることは無い筈だ。

 

「生き返ったばかりで、ちょっと体調が悪いんだよねー。だからお休みできないかな?」

 

 クレマンティーヌの冗談にカジットは素気無く首を横に振った。

 

此度(こたび)は十二高弟全員への召集だ。例外はないわ」

「はーん、そりゃ残念。私がなんか失敗したら助けてよね。死んだ者同士なんだしさ」

 

 そうカジットに皮肉を言いながらもクレマンティーヌは召集に応じる気になっていた。

 まだ見たことの無い同僚と世界の動きとやらに興味が湧いたからだ。

 

 そして言いたいことがもうひとつあった。

 

「ところでさ。さっきカジっちゃん、私が天使と踊った(運が良かった)って言ったよね?」

 

 下らない話は聞きたくないとばかりにカジットは胡散臭そうな表情を浮かべる。

 

「私と踊るような天使なんているかなー? 法国を捨てた人間だよ?」

 

 スレイン法国を裏切りズーラーノーンに与したクレマンティーヌである。

 法国で召喚され使役されるような天使共から加護を与えられる気はしない。

 カジットはしばらく沈黙した後に口を開いた。

 

「ならば()()とでも踊ったのだろう」

 

 クレマンティーヌは驚いた。

 朴念仁の魔法詠唱者(マジック・キャスター)からこんな気の利いた言葉が返ってくると思わなかったからだ。

 

「……鬼畜と踊った、か。けけっ。そりゃいーね。天使よりも話が通じそうだ」

 

 クレマンティーヌはけらけらと笑った。

 

 そんなに大笑いした訳でもないのに涙が滲んでくるのが不思議だった。




『疾風走破は鬼畜と踊る』(終)



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