疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:カイによって蘇ったズーラーノーンの高弟。ナイスバディ。
クローゼット:エ・ランテルの女冒険者。ナイスバディ。
カイ:クレマンティーヌを蘇らせたチンピラ風の男。ヒョロガリ。


第3話「疾風走破、調達する」

 ■

 

 クレマンティーヌはベッドの上で白い肌を晒したまま手首をさすっている。

 彼女の仄白い手首と足首には縄の跡がついていた。

 

「確かに気持ち良かったけどさー。何も両手両足縛らなくてもいいんじゃないかなー?」

「お前がジタバタするからだろうが、馬鹿野郎」

 

 カイはクレマンティーヌの四肢をベッドに縛り付けて事に及んだ。

 並の縛めだったら容易く逃れたであろうクレマンティーヌも、カイの使う縄の力か縛り方の妙か、小娘のようにもがくことしか出来ず、カイの行為を受け入れるしかなかった。

 その行為は彼女の羞恥心を強く煽ることになったが、過去に受けた訓練や拷問のように肉体を損なうものでなかったことがクレマンティーヌにとっては意外だった。

 

「カイちゃん、すっごいねー。あんなに気持ち良いなんて知らなかったよ。まー人殺しほど楽しくはないけどね。けけっ」

 

 カイは慣れた手つきでクレマンティーヌをベッドに縛り付けていた縄を片付けている。

 

「ふん……新しい世界が開けたんなら良かったじゃねーか」

「それにしてもカイちゃんは優しいよね。もっと酷いことされるのかと思ってたよー。でもさすがに剃るのは変態っぽいなー」

「ごちゃごちゃうるせえ雌だな。鬼畜モンには鬼畜モンの伝統や巧みの技って物があるんだよぉ」

「巧みの技ねぇ……。あ、そうそう。ああいう変態チックな遊びだったら、この国の王都が盛んらしいよー」

「……ほう。そいつは面白そうだなぁ」

「できないことはないって評判だよー。薬はもちろん。刺したり叩いたり締めたりさ。相手だって老若男女よりどりみどりってね」

「お前は行ったことあんのか?」

「王都? 仕事で何回かね。遊ぶ暇はなかったなー。残念だけど」

 

 クレマンティーヌの話を聞き、カイはふいに顰め面になる。

 

「……どったのカイちゃん? ひょっとして気持ちよくなかったりした?」

「いいや。悪くなかったぜ。初心(うぶ)な反応が返ってきたときはな。くっくっく」

 

 カイの言葉に今度はクレマンティーヌは眉を顰めた。

 

「だがなぁ。雌を追い込むのが俺様に与えられた使命なんだよぉ。おめえみたいに喜んでやるヤツは肉壺の風上にも置けないぜ」

「えーそうなのー? やめてよして恥ずかしー、なんてのがいいの? 趣味わるーい」

「趣味が良かろうが悪かろうが関係ないんだよ。決めるのは俺なんだからなぁ」

「じゃあなに? もうしない?」

「さあな。俺はやりたいときにヤるだけだぜぇ。ヤって欲しけりゃせいぜい気に入られるこったな」

「えーやだー。めんどくさーい」

「俺とヤれないからといって勝手に手淫なんかするんじゃねえぞ。お前は俺の肉壺なんだからなぁ」

「はいはい。てゆーか、もうちょっと遠まわしな言い方はできないかな? 女の子相手に露骨すぎー」

「お前は俺の持ち物なんだよ。遠慮なんかする必要ねえんだよ、馬鹿野郎が」

「ふーん。……まあ、そういうのも楽かもね」

 

 物心ついてからクレマンティーヌは演技をし続けていた。

 面従腹背が常であり、そういう演技を楽しむ――楽しいと思い込むことで心の安寧を得ていた。

 思ったことや言いたいことをなんでも口にできたほうが楽なのかと考えることはある。

 ただ全てを口にして立場を、そして命を失うことは怖かった。

 

「ところでさー」

 

 クレマンティーヌは気になったことを聞いてみる。

 

「やってるときに聞いてきたアレなに?」

 

 カイの黒い瞳が鋭く光る。

 

「ほう。よく覚えてんなぁ? てっきりアヘって忘れてるかと思ってたぜぇ」

「……わりと物覚えは良い方なんだよねー」

 

 行為の最中にカイはクレマンティーヌに死んだときの状況を執拗に聞いてきた。

 それは辛い記憶であったが、そういった辛い感情を煽ることが目的なのだろうと思ったクレマンティーヌは、肉体の快楽に身を震わせながらカイに問われるままにエ・ランテル共同墓地での出来事を叫ぶように語った。

 

「お前の身体をグチャグチャに()し折ったのが誰だか調べんだよ」

「だーかーらーアンデッドだって。骸骨に黒マントの。死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)かと思ったんだけど、ありえないくらい力があって……」

 

 クレマンティーヌの言葉から力が抜けていく。

 あのアンデッドから受けた傷は肉体だけではない。

 

「そういうのは自分の目で確かめなくちゃなぁ」

「自分の目?」

 

 クレマンティーヌの問いには答えず、カイは懐から銀色の板を取り出した。

 

「場所は共同墓地の広場……突っ込んで行ったら捕まって抱き殺された、と」

 

 クレマンティーヌには目もくれず、カイは独り言を呟きながら板の上に指を滑らせる。

 

「時間は……まあ、これくらいでいいか……」

 

 カイは銀色の板を凝視していた。

 板に何が描かれているのかクレマンティーヌの位置からは見えない。

 指でとんとんと銀色の板を何度かノックして、やがてカイの指の動きが止まる。

 

「このアンデッドか……。こりゃオーバーロードじゃねぇか。ワイズマン? クロノスマスター? 装備が多くて判断つかねえな……」

 

 クレマンティーヌは裸のまま胸を押し付けるようにカイに抱きついた。

 一度結ばれた気安さである。

 

「ねー私にも見せてよ。これなんてアイテム?」

 

 クレマンティーヌはカイの持つ銀色の板に手を伸ばそうとして――

 

「触んじゃねぇ!」

 

 カイの手がクレマンティーヌの首を掴んだ。

 避けるどころかその手の動きさえ見えなかった。

 

「次、コレに触ったら殺すからな。よく覚えておくんだなぁ」

 

 先ほどまでとまるで違うカイの口調に、クレマンティーヌは無言で何度も頷く。

 そんなクレマンティーヌの首から手を離すと、カイはベッドに座り直して銀色の板に視線を戻した。

 クレマンティーヌはそんなカイの背中を無言で見つめるしかできない。

 

 そのままお互い無言のまま半刻ほどが過ぎた。

 

「おい。クレマン」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌはびくりと肩を竦める。

 

「……なに?」

エ・ランテル(ここ)を出るぜ」

「出るって……どっか行くの?」

「さっきお前が話してた王都だよ。ここにいると面倒ごとに巻き込まれそうだ」

 

 カイの語調に怒りの感情はない。

 とりあえずは元の調子で話しても良さそうだ。

 

「あー。それなら準備があるからちょっと出かけてきていいかなー?」

「まったく贅沢な肉壺だぜぇ。用事とションベンはさっさと済ましてきやがれ」

「はいはーい」

 

 クレマンティーヌは灰色のマントを羽織るとフードを目深に被って部屋を出た。

 宿屋の階段を降りながら豹変したカイについて考える。

 あの銀色の板にはカイの正体に繋がる何かが隠されているのであろう。

 あれを手に入れるか、あれが何かを知れば自分の価値は上がるだろうが、それをするのは今ではない。

 クレマンティーヌにはまだ必要なものがあるのだ。

 

 ◆

 

 クローゼットは冒険者チーム竜牙の実質的なリーダーだ。

 徴税と徴兵で疲弊していた農村から男友達三人と出奔し、エ・ランテルで冒険者になった。

 

「また警備かよ」

 

 組合で依頼を受け定宿に帰る道中、竜牙の表向きのリーダー、アルマリオが呟いた。

 

「そろそろ派手な依頼(クエスト)をやりてぇな。腕が鈍っちまう」

 

 アルマリオの弟テルセロが腕をぐるぐると回す。

 

「……警備だって、悪くないと思うけどなぁ」

「突っ立ってるだけだからフィデルは良いだろうよ」

「違えねえ」

 

 アルマリオ兄弟が笑う。

 フィデルはクローゼットと兄弟についてきたメンバーだ。

 男三人の中では大人しく荒事を好む方ではない。

 雑談のときにからかわれる役回りだ。

 

「なぁに? 私が受けた依頼に文句あんの?」

 

 冒険者チーム竜牙において、組合で依頼を見つけ、依頼人と交渉し、報奨金を管理しているのはクローゼットだ。

 実質的なリーダーと言われる所以である。

 そして今回の依頼である街道の警備を引き受けたのも彼女だ。

 

「そういうワケじゃないけどよぉ」

「もっと派手で儲かる依頼がやりてえんだよ、俺たちは」

「早く竜牙を有名にしたいしな」

 

 確かに有名になれば報酬がより高額の指名依頼も来るだろう。

 だがクローゼットは兄弟に現実を突きつける。

 

「そんなのがあったら真っ先に引き受けるさ。言っとくけどね、私たちは(アイアン)なんだよ、(アイアン)

 

 クローゼットは首のかけているプレートを何度も指差した。

 (アイアン)級のクローゼットたちが引き受けられる依頼は限られている。

 限られている依頼の中で、最も数が多いのが街道の警備だ。

 モンスターが出現したときには討伐する必要に迫られるが、何事も起こらず依頼が終了することがほとんどだ。

 そしてクローゼットはモンスターが出現しにくいエ・ランテル近郊の警備依頼を主に請け負っていた。

 理由は竜牙の実力不足である。

 

 アルマリオ兄弟もフィデルも、そしてクローゼットも使える武器といえば剣だ。

 村では剣の腕が立つ方だったアルマリオ兄弟だが、クローゼットの評価では彼らの自信ほどは高くない。

 そして何より剣士だけの竜牙では複雑な依頼に対応できない。

 そのことを強く感じていたクローゼットは低報酬でも安全確実な依頼を受けてマジックアイテムの購入資金を貯めていた。

 ポーションひとつ、魔法武器ひとつで、対応できる依頼が高度になることは冒険者なら誰でも知っていることだ。

 さしあたって人数分のポーションが準備できれば、遠方で高報酬の依頼を受けられるだろう。

 

「そういや前に組合で見た黒い鎧の男は(カッパー)だったぜ」

「ああ。連れがすっげー美人だった」

「あの美人、第三位階の魔法が使えるとか言ってなかったか」

「あの若さで第三位階とか嘘だろ? まあ嘘でもあれくらいの美人なら問題ないな」

「……あの黒い鎧、凄く高そうだった」

「どっかの貴族のガキじゃねえのか? 妾をお供に冒険者ごっこだよ」

「違えねえ」

 

 取り留めのない男達の話を聞きながら、クローゼットは思い出す。

 あの(カッパー)チームはあの後、(シルバー)チーム“漆黒の剣”に誘われていた。

 受付の話では“依頼”を問題なく終わらせ、その上トブの大森林に居た魔獣を従えて戻ってきたらしい。

 さらにはあのンフィーレア・バレアレとも親しく話していたという。

 それは(カッパー)級の冒険者ができることではない。

 おそらく力の持つ者がお忍びで冒険者の世界に身を投じたのだろう。

 持つ者はそれでいい。

 彼らは手順や規範を簡単に飛び越えていける。

 そして持たざる者は少しずつ堅実にやるしかないのだ。

 

 そんなことを考えていたクローゼットはふいに強い力で肩を引っ張られ、そのまま横道に引きずり込まれた。

 慌てて振り向くと頭をフードで覆った灰色のマントが見える。

 マントの隙間から伸びた白い腕が彼女の肩を掴んでいた。

 

「ちょ、何……?」

 

 突然のことに誰何することもできず、クローゼットは引きずられるまま裏道を進んでいく。

 

「どうした? クローゼット?」

 

 遠くの方から聞こえる仲間の問いかけに応じる暇もない。

 貧民街に近い路地まで来て、ようやく壁に叩きつけられるようにして解放された。

 昼が近いというのにこのあたりは薄暗く人の気配はまるでない。

 

「この辺でいいかなー」

 

 灰色マントの奥からくぐもった声が聞こえた。

 若い女の声だ。

 

 強く意識しないと見失いそうなその女は、フードの奥からクローゼットを見つめている。

 それは大型の肉食獣が獲物のどの部位を食べようかと吟味しているようだ。

 

「地味だけど贅沢は言ってらんないよねー。そう思わない?」

 

 訳の分からない問いかけに混乱するクローゼットの耳に足音が聞こえた。

 マントの女の背後、竜牙の仲間が追いついてきたのだ。

 

「急にどうしたクローゼット? ……なんだお前は!?」

 

 マントの女に気づいたアルマリオが誰何する。

 その言葉には強い自信と決意が含まれていた。

 

 クローゼットを含め村では乱暴者として恐れられていた四人だ。

 冒険者になり未熟さを思い知らされたが、それでも街角のごろつきよりは腕が立つ。

 

「あらーお友達? 穏便に済ませたかったけど仕方がないなー」

 

 感情の篭っていない棒読みの言葉がやけに耳に響く。

 

 ――これは不味い。

 

 クローゼットの直感である。

 自分を易々と引きずり回した力に加えて、四対一という不利さに全く動じていない。

 

 竜牙はクローゼットの指示で人食い大鬼(オーガ)を二匹倒したことがあった。

 そういった戦術眼もまたクローゼットを竜牙の実質的リーダー足らしめている。

 だが、その彼女をしてこのマントの女には勝ち筋が全く見えなかった。

 自分を見捨てて逃げろとクローゼットは口にすることが出来ないまま、マントの女がゆっくりと三人の方を向くのを黙って見る。

 

「用があるのはこの子だけなんだよねー。だーかーらー見逃してくんない?」

 

 女は目深に被っていたフードを下げ頭部を晒した。

 クローゼットから見えるのは柔らかそうな短い金髪だけだ。

 

「なんだこの女? 知り合いか、クローゼット?」

 

 アルマリオの問いにクローゼットは頭を振って否定する。

 

「おい、可愛い子ちゃん。クローゼットは俺たちの仲間(ダチ)なんだ。変な真似すんならただじゃおかねえぞ」

 

 アルマリオとテルセロ、そしてフィデルの真剣な表情がクローゼットの心を打つ。

 だが違うのだ。

 彼らがすべきことはこの女を見逃すことではなく、自分を見捨てて逃げることだ。

 それを伝える言葉がクローゼットの口から出てこない。

 

 三人の男からの殺気を浴びながら金髪の女はふうとため息をついた。

 

「しょーがないなー」

 

 女の身を包んでいたマントが僅かに開き、中から一糸まとわぬ白い肌と赤みを帯びた銀のレイピアが見えた。

 

「裸!? 痴女か?」

 

 アルマリオが思わず叫び、そしてそれが最期の言葉になった。

 レイピアがアルマリオの喉に吸い込まれ、彼は何も出来ないまま膝から崩れ落ちる。

 肉の焼ける臭いが周囲に広がった。

 あのレイピアは炎の魔法が付与されたマジックアイテムなのだろう。

 クローゼットの頭の隅の冷静な部分がそれを気づかせてくれる。

 

「っそおぉがあああああっ!!」

 

 兄の死に弟テルセロが雄たけびを上げ、ブロードソードを抜こうとしたがそこまでだ。

 ブロードソードを抜こうとした腕が切り離され、柄を掴んだままぶら下がっている。

 

「う、腕が……」

「諦めちゃダメだよー。まだ左手があるじゃん」

 

 からかうような女の声。

 テルセロは慌てて左手でブロードソードを抜こうとするが、柄を握っている右手がなかなか外れない。

 

「はーい。ざーんねん。そこまでー」

 

 時間切れを告げる無情の声と共にレイピアが煌めき、テルセロの首が夢の中のようにゆっくりと落ちた。

 

「逃げろっ! クローゼット!」

 

 フィデルがクローゼットと金髪の女の間に立った。

 ブロードソードを構えてはいるものの、その剣先は小刻みに震えている。

 

「んー? 私相手に時間稼ぎ出来ると思ってるー? お姉さんちょっとムカついちゃったなー」

「早くっ!」

 

 後ろを見ずにフィデルが叫び続ける。

 クローゼットは這いずりながら立ち上がると大通りに向かって走り出し――

 

「クローゼットぉぉ!!」

 

 背中からフィデルの叫びが聞こえたのとクローゼットが転倒したのは同時だった。

 突然、動かなくなった自分の両脚から薄く煙が立ち上っている。

 膝の裏を、膝の裏だけをレイピアで断たれたことを知った。

 

「だーかーらー」

 

 女は肉食獣の笑みをクローゼットに近づけた。

 

「出来ないことを見極めるのは大切なんだよねぇ」

 

 その言葉だけは妙に現実感があった。

 

「ああああああぁぁぁーっ!!」

 

 上段から振り下ろされるフィデルのブロードソードを女は振り返りもせずにかわす。

 地面に剣が当たりフィデルはたたらを踏んだ。

 そんなフィデルの様子を女は楽しそうに眺めている。

 

「若いのに頑張るねー。お姉さん応援したくなっちゃうよー」

「逃げろっ! 逃げろっ! 逃げろっ! 逃げろっ!」

 

 フィデルは滅茶苦茶にブロードソードを振り回し、クローゼットをなんとしても逃がそうとする。

 だが両脚の腱を断たれたクローゼットに逃げる術はない。

 

「逃げ――なっ?」

 

 フィデルが振り回すブロードソードを女のレイピアが受け止める。

 刃幅で倍以上、重さでいえば三倍を超えるであろう剣がぴたりと動きを止めた。

 

「世の中にはこういう技術もあるから覚えとくといいよー」

 

 驚愕した表情のままフィデルの首が落ちた。

 

「それじゃ覚えてらんないかな? んー。ひょっとしたら親切なおっさんが助けてくれるかも知れないから諦めないでねー」

 

 その戯言に応じる者はなく、周囲にはただ肉の焼けた臭いと血の臭いが漂うだけだ。

 女がクローゼットに向き直った。

 

「私はねー。物乞いなんだよー」

 

 女は可愛らしく作った声で言う。

 

「おうちが貧しくて服も着せてくれないんだよー。酷いよねー。ほらぁ」

 

 マントを広げて見せた。

 何も身に付けていない白い肌の肉体と右手に握られた銀のレイピア。

 どちらもドワーフが作る美術品のようだ。

 改めて見た女の顔は童顔で愛らしく、大きな紫の瞳も相まって自分よりも年下に見える。

 だが浮かべた表情からは魂の邪悪さがにじみ出ていた。

 

「食べるものも無くてママは出て行っちゃうし、パパは私を縛って犯すし、もー大変なんだー」

「そ、それは大変……だ……ね」

「それで相談なんだけどさー。あんたのその服と帯鎧(バンデッド・アーマー)もらえないかなー?」

 

 女は耳元まで裂けたような笑みを浮かべる。

 笑みの向こうには立身出世を目指して共に村を出た仲間だった物が、物言わぬ肉の塊に成り果てていた。

 

 彼らは助かるのだろうか。

 神殿に出向いて大金を収めれば魔法で蘇らせてもらえるらしい。

 彼らに大金を払って復活させる価値があるのだろうか。

 クローゼットの頭の中は妙に冷静だ。

 だがその唇と声はそうではない。

 

「あ、あげるっ! あげますから!」

「それじゃあさ。ちゃっちゃと脱いでもらえるかなー? もう、それ以上汚したくないんだよねー」

「は、はいぃっ!」

「そうそう。ブーツと手袋も、だよー」

 

 女に言われるままに装備を、服を脱ぎ、そして最後の下穿きを脱ぐときに、ようやく自分が失禁していたことに気がついた。

 眼前の女もその臭いに気づいたようだ。

 

「あぁん? もしかしてーお漏らししちゃったー?」

「あ、ああっ。ごめん、ごめんなさい! あ、あら、洗って……洗いますから」

 

 クローゼットはひたすら女に謝った。

 他にできることは思いつかなかった。

 

「んー」

 

 女は指を口に当てて考える素振りをする。

 

「組合で何か飲んでたのかなー? まー仕方ないよねー」

「はい……あ、ありがとう……ござい、ます……」

「脱いだ装備はそこに置いてもらえるかなー?」

 

 両脚を引きずりながらクローゼットは装備と服をまとめた。

 それを見て、女は満足そうにうんうんと頷く。

 女は笑顔でクローゼットに話しかけた。

 

「それでせっかくだからさー。もうちょっと付き合ってもらうよ。色々と聞きたいことと試したいことがあるんだよねー」

 

 それはクローゼットが生涯見た中で最も邪悪な笑みだった。

 

 ◆

 

 頭までフードで覆った灰色のマント姿がエ・ランテルの本通りに姿を現した。

 だが、マントに付与された魔法のために注意を払う者はない。

 

「……元通りじゃないね。どっかでやり直ししなくちゃ」

 

 ――チャリ

 

 マントの中で小さな金属のすれる音がした。

 クレマンティーヌの左手には四枚の鉄のプレートが握られている。

 四人の冒険者から服のついでに奪った狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)だ。

 クレマンティーヌは四枚のプレートをしばらく見つめる。

 かつて嬉々として集めていたそれが、今は妙に薄気味悪く見えた。

 思わずプレートを通りの奥に投げ捨てた。

 

「ふん」

 

 来た通りを見ることなくクレマンティーヌは歩き出した。

 

「それにしても――」

 

 我が身に纏いつく臭気が気にかかる。

 

「やっぱ臭うか。どっかで洗わないと」

 

 ◆

 

 クレマンティーヌはカイの居る宿屋に入った。

 客の姿はおろかカウンターには主人の姿もない。

 たとえ主人が居てもマントで気づかれないだろうとクレマンティーヌはそのまま階段を上った。

 階段を上りきったところで、カイの部屋から半裸の女が服をかき抱いて出てきた。

 女といっても既に老年に差し掛かったその肌は数多くの皺で覆われている。

 もはや顔も思い出せない自分の母親をクレマンティーヌは思い出す。

 女はマントを羽織ったクレマンティーヌには気づかずに、肉体の年齢にそぐわぬ艶っぽい雰囲気を漂わせ階段を静かに降りていった。

 気配が完全に消えたところで、クレマンティーヌはカイの部屋の扉を開けた。

 

「たっだいまー」

 

 ベッドの上には半裸のカイが満足そうな表情で横になっている。

 

「そのままトンズラしたかとヒヤヒヤしたぜぇ。くっくっく」

 

 言葉ではそう言っているが、その表情には余裕がある。

 クレマンティーヌが寄る辺無き立場であることを分かっている顔だ。

 腹が立ったが顔には出さず、クレマンティーヌは軽く対応する。

 

「まー契約だからねー。ところで今の婆さん誰よ?」

「んん? ああ。ここの主人のカミさんだぜぇ」

「カイちゃん、あんなのともヤんの?」

「俺は肉壺差別をしない博愛主義の鬼畜モンなんだ。大きいのも小さいのも若いのも年寄りも正々堂々平等に追い込むぜぇ。まあ、あんまりガキ過ぎるのは御免だがなぁ、くっくっく」

「ほんっと。カイちゃんって趣味悪いよね」

「なんだぁ? 肉壺がいっちょ前に嫉妬するんじゃねえぞ」

「嫉妬なんかするかバーカ」

「俺様に犯して欲しけりゃ、そのマントを色っぽく広げて誘って……お、おろろ?」

 

 カイは驚愕の表情を、そしてクレマンティーヌはしてやったりの表情を浮かべた。

 

「クレマン。お前、そ、そ、その服はどうした!?」

「はーい。お外で服を調達してきましたー」

 

 クレマンティーヌはマントを広げてカイに見せる。

 女冒険者から奪った服と帯鎧(バンデッド・アーマー)である。

 身体の動きを妨げないよう上着は丈を短く切り、ズボンも腰の部分だけを残して脚を晒すようにカットしている。

 以前のものに比べ能力は落ちるが、当座の装備としては悪くないだろう。

 

「カイちゃんが服をくれないからだよ。仕方ないよねー」

 

 クレマンティーヌはくるりと回って、あんぐりと口を開いたカイに新しい服を見せつける。

 自慢げなクレマンティーヌとその装備をしばらく見つめ、やがてカイが口を開いた。

 

「……脱げ」

「ええ?」

「いいから脱げってんだよぉ!」

 

 カイの強い口調に促されクレマンティーヌは渋々上着を脱ぐ。

 今の彼女は強者に従うしか生きる道がないのだ。

 カイはひったくるようにして上着を奪い取った。

 この装備の元の持ち主である女冒険者の死に様を思い出しながら、クレマンティーヌは下も脱ごうとしたところで――

 

「下は後だぁ」

「……え?」

 

 クレマンティーヌは脱ぎかけた手を止めカイを見る。

 

「お前みたいなだらしない雌が裁縫道具を持ってないのはお見通しなんだよぉ」

 

 カイは懐から小さな袋を取り出すと、その中から針と糸を出しクレマンティーヌの上着を縫い始めた。

 床に正座したカイは、慣れた手つきで布の端に糸を通していく。

 

「切っただけじゃ端からほつれるだろうが。ちゃんと断ち目をかがってやるんだよぉ」

「あー。はい。すいません」

 

 クレマンティーヌも床に座り腕で胸を隠しながらカイの説教を聞く。

 他人の忠告をまともに聞くのはいつ以来だろうか。

 クレマンティーヌはそんなことを考えながら、カイが手際よく裁縫する様子を見つめていた。

 やがてカイが手を止めてぽつりと洩らす。

 

「……臭えな」

 

 その言葉にクレマンティーヌは我に返った。

 

「えーマジ? まだ臭う?」

「あー臭え臭え。ぷんぷん臭うぜ。血としょんべんの臭いがなぁ」

「いちおー洗ったんだけどねー」

「近頃の雌は洗濯もできねぇのか。お前の親は何を教えてやがんだ」

「……親はねー。兄の世話ばっかりしてた、かなー」

 

 カイの手が止まる。

 

「お前、兄貴が居んのか?」

「まーね。もう縁は切ったけど」

「……ふん。そうかい」

 

 再びカイが上着を縫い始め、クレマンティーヌがそれを黙って見ている。

 

「しょうがねえ。後で洗濯の仕方も教えてやるから、今後、俺様に血やしょんべんの臭いをかがすんじゃねえぞ」

「……はーい」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは微笑みながら返事をする。

 

 自分でも驚くほど素直な返事に、居心地の悪くなったクレマンティーヌは立ち上がるとベッドに腰掛けた。

 カイは上着を縫い終わると、針と糸を取り替えて帯鎧(バンデッド・アーマー)を縫い始める。

 革の端を綺麗に縫われていく帯鎧(バンデッド・アーマー)を見て、クレマンティーヌはあることを思い出した。

 

「そうそうカイちゃんさー。ちょっとお願いがあるんだけど――」


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