疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。一度死亡したので弱体化中。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。ヤるときはいつも絶好調。

オリオーヌ:スレイン法国の狩人。狩りの拠点を見つけてご満悦。



第4話「疾風走破、訪れる」

 ■

 

「こっちの方、あんまし行きたくないなー」

「ああ? お前がこっそりレベリングしてえって言うから、わざわざ予定を変更してるんじゃねえか」

「れべりんぐ? あー再訓練のこと? そりゃまあそうなんだけどさー」

 

 初夏の日差しの中、クレマンティーヌとカイはエ・ランテルの南門を出ると、そのまま街道に沿って南東へと向かった。

 カッツェ平野を左手に望みながら、水も飼葉も休息さえも不要なゴーレムの馬に相乗りして、である。

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルで鉄のプレートの冒険者を相手にして今の自分の力を確認した。

 あの程度の冒険者なら容易く屠れる腕は残っていたが、いくつかの武技が使えなくなっていることが分かった。

 あのアンデッドによって殺され蘇ったことで、生前に持っていた力の一部を失っていたのだ。

 

 漆黒聖典時代、死から復活したメンバーが力を取り戻せていないとぼやいていたことがある。

 そんなときにいつも嘲りからかっていたのはクレマンティーヌだ。

 それがいざ自分が同じ立場になると、肉体にまとわりつく倦怠感と、何かに追い立てられるような焦燥感に愚痴のひとつも言いたくなる。

 

 元の力を取り戻すためには木っ端の冒険者や、難度の低いモンスターを相手にしても埒が明かない。

 かつて法国の修練場で行ったような、クレマンティーヌと同等かあるいは彼女を上回る強者との訓練が望ましい。

 でなければ難度五十から百程度のモンスター討伐できる場所があればいい。

 

 そんな虫の良い要望をカイに振るとしばらく考えて「そんじゃちょっと寄り道してやるぜぇ」と王都に行く予定を変更した。

 行き先を聞いてもカイは具体的な地名を知らず、大雑把な方角を指差すだけだ。

 期待とそれ以上の不安を覚えながらクレマンティーヌはカイと共にエ・ランテルを後にした。

 

 エ・ランテルを出る際、空を覆っていた雨雲をカイは魔法で南に追いやった。

 「俺様の門出に雨は相応しくねえ」と言い放ち、部屋の隅に溜まっていたほこりを吹き飛ばすくらいの気安さで、黒々とした雨雲を南に追いやってしまったのだ。

 おそらくエ・ランテルの気象予測士は頭を抱えたであろう。

 死者再生(レイズデッド)を使えるカイにしてみれば困難な魔法ではないのかも知れない。

 それでも上空を渦巻き大粒の雨を降らせていた黒雲が、カイの手の動きに合わせて流されていく様子は壮大で驚くべき見世物だった。

 

 そんな心躍るような旅立ちの一方でクレマンティーヌにとって問題もある。

 カイが向かおうとしている方角には、クレマンティーヌが最も距離を置きたい場所であるスレイン法国の聖都があるからだ。

 そしてクレマンティーヌを煩わせる問題がもうひとつ――

 

「で。おっさん。いつまで私の胸を揉んでんの?」

「そりゃお前。俺が飽きるまでだよぉ」

 

 カイが召喚したゴーレムの馬に相乗りすると言い出したときに悪い予感はしていた。

 馬に乗るのが初めてだなんだと言いながら、カイは後ろからクレマンティーヌにしがみつくと、あらゆる場所を触りまくる。

 何度も肘鉄を食らわせ、その度事にカイは「ぐぇ」「ごふっ」とうめき声を上げるが、その手の動きを止める気配はない。

 

「俺様の肉壺にしちゃ、クレマンの胸はちょっと硬えな。鍛えすぎなんじゃねえか?」

「……文句があんなら揉むの止めたらー?」

「そうは行かないぜぇ。この肉体には俺様のテクニックを念入りに練り込んでやらねえとなぁ、くっくっく」

「はいはい、そーですか。うんじゃ、せっかく天気を良くしてもらったから飛ばすとしますかねー」

 

 クレマンティーヌが背筋を伸ばし鐙と手綱を操作するとゴーレムの馬は脚を速めた。

 

「ば、馬鹿。落ちるだろ。やめろ」

「落ちても死なないよねー。カイちゃんならー」

「死ななくても痛えもんは痛えんだよぉ」

 

 カイの泣き言を聞きクレマンティーヌの嗜虐心がほんの少しだけ満たされた。

 

 ◆

 

 スレイン法国の聖都の北にある丘陵地帯。

 この地域は法国の警備隊や王国の冒険者によってモンスターや亜人の多くが駆逐されている。

 この一帯はオリオーヌの狩り場だった。

 

 オリオーヌは人間とダークエルフとのハーフだ。

 顔も知らない人間の父親とダークエルフの母親の間に生まれたオリオーヌは、生まれてすぐに母親の元から引き離され教会の施設に預けられる。

 母親から受け継いだ長い耳は、そのとき半分に切り落とされた。

 

 施設の生活はオリオーヌにとって楽しくもなく辛くもなかった。

 施設には法国の孤児が集められ、そこでオリオーヌは孤児たちと共に読み書きと人間の歴史を教わった。

 顔立ちが整っているほかは良くも悪くも目立たないオリオーヌであったが、切られた耳のことは人間の孤児たちに何度かからかわれた。

 

 月に一度面会を許されていた母親にそのことをいうと、母親はオリオーヌに帽子を編んでくれた。

 施設の担当官はオリオーヌの帽子には何も言わず、その後、オリオーヌも耳のことでからかわれることはなくなった。

 耳を帽子で隠したからというよりは、からかう孤児たちにとってオリオーヌの反応が地味で面白くなかったからだろう。

 オリオーヌは母親にもらった帽子を被り続け、それが個人的な特徴となった。

 

 オリオーヌにとって月に一度の母親との面会は楽しいものだった。

 母親はいつも自分の切られた耳に気にしていて、それ以上にオリオーヌの切られた耳のことを哀れんだ。

 母親の哀しそうな顔を見たくなかったオリオーヌは、母親の前でも緑の帽子を被って努めて明るく振舞った。

 

 面会のときに母親はオリオーヌによく狩りの話をしてくれた。

 かつては凄腕の狩人だった母親はイノシシや熊、ときにはモンスターや空を飛ぶカモも仕留めたらしい。

 施設では大人しいオリオーヌも母親の狩りの話には一喜一憂していた。

 

 そしてオリオーヌが施設で基礎学習を終えるのと示し合わせたように母親が死んだ。

 このときばかりはオリオーヌもひどく悲しみ母親を思い出すたびに泣いていた。

 施設の担当官はそんなオリオーヌに狩人の仕事を紹介した。

 

 ひとり立ちするにはまだ若年であったが、国から援助が受けられるほどの才能(タレント)を持ち合わせていないオリオーヌが生きていくためには仕事が必要だった。

 それに母親から話を聞いて狩りに心躍らせていたオリオーヌは、担当官の紹介を喜んで受け入れた。

 

 狩りを始めて施設に戻る機会が減ったが、特に親しい友人が居ないオリオーヌにとって、それは哀しいことではない。

 直接母親から技術を学ぶことはできなかったオリオーヌは、施設で基礎的な狩りの技術を学び、それ以外は実践して身に付けていくことにした。

 

 地形を読み、天気を読み、動物の生態を読んで、それに合わせて自分の技術と体力を高めていく。

 我流の歩みは遅々としたものであったが、それでも三年という月日がオリオーヌにウサギや小鹿といった小動物を狩る力を与えてくれた。

 母親のようにイノシシや熊を射止められるようになる日も近いと、オリオーヌは感じていた。

 

 ■

 

 オリオーヌがその扉を見つけたのは偶然だった。

 突然の雨に襲われ少しでも雨露を凌ごうと山の壁面を移動していると、丘の中腹に苔むした岩に偽装された石の扉を見つけたのだ。

 地面には足跡らしきものがわずかに残されてあり、何者かがこの扉を使ったことは明らかだった。

 見たことのない文字が刻まれていた扉を開けるとすぐに階段があった。

 階段を下りるとそこは施設の離れにあったものを一回り巨大に、そして豪華にした庭園が広がっていた。

 

 強大な魔法使いかあるいは魔神が残した遺跡であろう地下の庭園。

 

 空がなく重苦しい雰囲気はあるが、数多くの永続灯(コンティニュアル・ライト)が設置されていて昼間と同じ明るさがある。

 美しく手入れされた草や木や花で小道が作られ、庭の四隅と真ん中にある石作りの休息所を結んでいた。

 壁面にはいくつもの扉があって、そのいずれにも見たことのない文字と精密なモンスターの彫刻が施されている。

 オリオーヌはその扉の奥に何があるのか気になったが、取っ手のない扉はどれも硬く閉ざされていて開く気配はなかった。

 

 スレイン法国の住人であれば、このような遺跡を発見したときすぐに国へ報告しなければならない。

 たとえばオリオーヌだったら施設の担当官に伝えるべき発見だ。

 だがオリオーヌが施設に戻る予定の日はまだ先で、何よりこの遺跡は、狩りの拠点に最適だった。

 この庭園は荷物置き場になり、休憩所になり、寝床になるだろう。

 

 自分の刈り場の近くに野生動物やモンスターから襲われない場所が確保できたことを、オリオーヌは地の神に感謝した。

 

 ◆

 

「塩? はい。宿屋の女将が高いって愚痴ってましたぁ。これは大きな商いのチャンスですねぇ、旦那ぁ」

「ええ。そこらじゅうアンデッドだらけで。メイスやハンマーの引き合いは多いと思いますよぉ。おや? 商材がメイス? それはそれは。エ・ランテルには旦那が救いの神に見えるでしょうねぇ、くっくっく」

 

 クレマンティーヌとカイは道中、何度かエ・ランテルに向かう商隊とすれ違った。

 商隊が近づく毎にカイは商人たちにエ・ランテルの様子をもっともらしく語り、商人の才覚や運の良さ、時には御者の腕前を褒め、それを聞いた商人から食べ物や銅貨を貰っていた。

 精神魔法で相手を操っているのかと思うほどのカイの交渉力に、クレマンティーヌは感心しつつも警戒を新たにする。

 

 クレマンティーヌの見立てではカイの知識は偏っている。

 交渉事や炊事洗濯といった市井(しせい)の生活力は驚くほど持っていた。

 そして魔法詠唱者(マジックキャスター)としての能力は驚くのも馬鹿馬鹿しくなるほどだ。

 その一方で言葉や地理についての知識は子供ほども持ち合わせていない。

 このアンバランスさを補うのがクレマンティーヌの役割であり、その役割があるうちは命は保障されていると言っていい。

 

 だが優れた洞察力を持つカイは、クレマンティーヌからはもちろんのこと、他の人間や道具、ときには地形からも知識を得ているように見える。

 もしカイが必要とする情報を得てしまったらどうなるだろうか。

 それはクレマンティーヌの蘇ることのない二度目の死となるかも知れない。

 慈悲や良心、そして肉欲をも信用しないクレマンティーヌは、カイがどんな知識を持っているのか、そしてどんな知識を持っていないのかに細心の注意を払う必要があった。

 

「あっちの方角は、ずーっと真っ赤で真っ平らだなぁ」

「カッツェ平野だねー。毎年、あそこで戦争やってるよー」

「そうかい。……あの霧がかかったところはなんだぁ?」

「あのへんはアンデッドの巣だったねー。噂じゃ幽霊船なんてのもいるらしいよー」

「幽霊船? お前は見たのか?」

「私は見たことはないかなー」

 

 アンデッドという言葉にクレマンティーヌは心がささくれ立つのを感じたが努めて冷静を装った。

 

「そいやカイちゃん。エ・ランテルの情報、どこで集めてきたの?」

「エ・ランテルの情報ぉ? 俺ぁあんな街のことなんざ、これっぽっちも知らないぜぇ」

「えー。商人に色々喋ってたじゃん」

「あんなもん、でまかせに決まってるだろうが」

 

 クレマンティーヌは言葉を失う。

 

「テキトーに話を合わせてテキトーにおだてりゃ誰でも気分が良くなるもんなんだよ。お前も婆ぁになったときにゃ必要な“てくにっく”だから今のうちに覚えておくんだなぁ」

 

 ■

 

 街道から外れ丘陵地帯の森に入ったところでクレマンティーヌとカイは馬を降りた。

 カイが魔法で生み出したゴーレムの馬は煙のように消える。

 

 クレマンティーヌとカイは木々を掻き分けながら坂を上る。

 カイから貰ったマントのおかげで肌が傷だらけにならずに済んでいるが、マントのせいで汗はかく。

 

「けっこー登ったけどまだまだ暑いなー」

「まったくだぜぇ。こうも暑いんじゃ海にでも行きてえところだぁ」

「海?」

「“ばかんす”だよぉ。知らねえのか?」

「あーあーバカンスね。分かる。分かるよ」

 

 カイから振られる世俗的な話題にクレマンティーヌは戸惑った。

 死者を蘇らせ天候を操る魔人が、服を手ずから仕立て直し洗濯し避暑のための保養地の話をする。

 カイの力があれば暑さ寒さは魔法やアイテムでなんとかなるだろうにと、クレマンティーヌは思う。

 そんな魔法やアイテムがスレイン法国にいくつかあったことを思い出す。

 

「おいクレマン。あのデカい街、なんてとこだ?」

 

 この丘陵地はスレイン法国に近いのだ。

 クレマンティーヌは心の中で舌打ちをする。

 

「……スレイン法国の神都だよ。入国は面倒だし娯楽はないし。カイちゃん向きの街じゃないねー」

「ふん。そんじゃ、あっちの海はなんてとこだ? 泳げんのか?」

「アラフ湾だねー。あの海はきったねーから“ばかんす”には向いてないと思うよー」

 

 元漆黒聖典第九席次であり法国の裏切り者である身のクレマンティーヌだ。

 出来る限りスレイン法国には近づかずに済むよう虚実を交えてネガティブな故国の紹介をする。

 

「海だったら、王都の西か南ローブルがいいよー。有名な避暑地があるしね。今の時期ならカイちゃん好みの初心(うぶ)な貴族子女も来てるんじゃないかなー」

「ふん。……そうかい」

 

 言葉は冷静だがカイの目元と口元が明らかに緩んでいた。

 カイをコントロールする方法のひとつはこれかと、クレマンティーヌは心のメモに書き込んでおく。

 ふいにカイがしゃがみ込み、思わずクレマンティーヌは身構えた。

 

「おい、クレマン。この草は食えるのか?」

「……毒はないね。灰汁を抜けばいけるんじゃない。私は食べたことないけどー」

 

 カイは軽く頷きながら草を毟って懐にしまい込む。

 明らかに物見遊山のカイを見ると腹が立つ。

 

「急に変な動きしないでよ。敵でも出たかと思うからさー」

「なんだぁ。こっちで借金でもしてんのか?」

「まーそんなとこー。脅かしっこ無しだよ」

 

 お茶を濁すクレマンティーヌを、それ以上カイは追求しなかった。

 真実を話す必要はない。

 強いられれば語らざるを得ない力関係であるが、興味を持っていない相手に、わざわざ弱みを掴ませる必要はなかった。

 がさりと葉がこすれる音がして、身構えたクレマンティーヌの視界に野兎が入る。

 

「ありゃ兎か。まさか毒はねぇだろうな?」

「……あの大きさなら毒持ちはないんじゃないかなー」

「ん? 毒持ちの兎もいんのか?」

「場所によってはねー。このあたりそういうモンスターの類は少ないはずだよ。かなり退治されたからねー」

「退治って誰にだよ?」

「さーね」

 

 クレマンティーヌはとぼけてみせる。

 詰問でもされたら答えざるを得ないところだが、ここでもカイはそれ以上クレマンティーヌを追求しなかった。

 

 やがてクレマンティーヌとカイは山の中腹にある苔むした岩の前にたどり着く。

 岩には縦横に僅かな隙間が見え、それが偽装された扉であることが分かった。

 

「扉? こんなところに? 念入りに偽装されてるけど、ここがカイちゃんの目的地?」

「んんっ?」

 

 問いには応えずカイは周りをキョロキョロと見回し始めた。

 

 何を探しているのか気になるが、それより石の扉の表面に刻まれた文字がクレマンティーヌの注意を惹く。

 かつて任務で使用した六大神の遺産に似た文字が記されていたからだ。

 

 扉の文字をなんとか読み解こうとしたクレマンティーヌだが、その目的を果たす前にカイが話しかけてきた。

 

「さてと。ここが今回の目的地。ダッシュウッドの修道院(アビー)だぜぇ」

「……変な名前。なんか意味あんのー?」

「さあな。どっかのダッシュウッドさんが作ったんだろうよ」

 

 てめーも知らねえのかよ――という言葉を飲み込み、クレマンティーヌはもう一度カイに聞く。

 

「ところでこれ、どこの文字? なんて書いてあんの?」

 

 クレマンティーヌが指差した場所をカイは目で追った。

 

「……“汝の欲するところを成せ”だぜぇ。お前にぴったりの文言じゃねえか、くっくっく」

「そうなの? よく分かんないなー」

 

 クレマンティーヌは冷ややかに対応したが、カイはどことなく機嫌が良さそうに見える。

 この扉の奥に何があるのだろうか。

 

「そんじゃま観音開きでご開帳ーっとくらぁ」

 

 カイが扉を開くと階段があり、階段を降りるとそこには永続灯(コンティニュアル・ライト)で明るく彩られた地下とは思えない庭園があった。

 

修道院(アビー)って言うだけあって教会っぽいねー」

「……ああ」

 

 空返事のカイは何かを探すようにキョロキョロとあたりを見回している。

 クレマンティーヌはあえて詮索をせず、ゆっくりと歩きながら地下の庭園を観察する。

 壁面や柱の作りは教会風だが、よく見ると女体とモンスターの彫刻が随所に施されている。

 園内にある休息所には椅子やテーブルだけでなくベッドのような場所もあった。

 

「そこで寝ることもできるぜ。……んんっ?」

 

 ふいにカイが立ち止まる。

 クレマンティーヌも立ち止まった理由が分かった。

 カイの表情が俄然険しいものになる。

 

「おい、クレマン」

「誰か居るねー。どうする? 殺っちゃう?」

 

 クレマンティーヌはレイピアの柄に手をかける。

 口元が緩むのを抑えきれない。

 

「捕まえろ。殺すんじゃねぇぞ」

「……はいよー」

 

 殺しが出来ないことに不満を感じながら、クレマンティーヌはレイピアに手をかけつつ走りだした。

 間違って殺したと言えばカイは自分を許すだろうか。

 そしてクレマンティーヌの追跡はすぐに終わった。

 

「なんだ。餓鬼じゃん」

 

 クレマンティーヌの足元で幼く美しい顔立ちの狩人が恐怖に震えている。

 この美しく怯える顔をレイピアで切り刻んだら、どれだけ楽しいだろう。

 表情が緩みそうになったクレマンティーヌの背後にカイが立った。

 

「ちっ」

 

 クレマンティーヌが舌打ちをする横から腕が伸びた。

 

「おい餓鬼ぃ!」

 

 カイが幼い狩人の胸倉を掴んだ。

 

「お前ぇ、いつからここに居るんだ? ええ?」

「あ……」

「他に誰か居んのか?」

「あ、あぁ……」

「誰か来なかったかって聞いてんだよ。さっさと言え。でないと俺様がお前の子供ちんちんをしゃぶりたおすぞ? いいのか、ああ?」

 

 いつになく激昂しているカイを見て、クレマンティーヌが冷静になる。

 恐怖で言葉が出せない幼い狩人に助け舟を出す。

 自分が手を下さない脅しは楽しいものではない。

 

「カイちゃん。この子、狩人だよー」

「ああ? それがなんだってんだぁ?」

「狩人ってさ。一人でやってると他人としゃべる機会がなくなるんだよねー。急にはしゃべれないって」

「……ほう。よく知ってるじゃねえか」

「まあねー。……だよね?」

 

 粗末な帽子を深く被った狩人はなんども頷いた。

 

「そんじゃ、ゆっくりでいいから答えろ。お前はここにいつから居る? あとお前のほかに誰か居んのかぁ?」

「だーかーらー。カイちゃん、焦っちゃダメだってー。ここは私に任せてもらえないかなー」

 

 カイの返事を待たずにクレマンティーヌは幼い狩人に向き直った。

 

「んー。ちょっとは落ち着いたかなー?」

 

 クレマンティーヌは笑顔を見せる。

 

「まずは君の名前が知りたいなー、お姉さんは」

「お、おり、オリオーヌ、です」

「オリオーヌちゃんかー。んーん。綺麗な名前だねー。それじゃあ、ここに入った経緯(いきさつ)を教えてもらえると、お姉さん嬉しいなー」

 

 クレマンティーヌの()()()質問に少年――オリオーヌはぽつりぽつりと語り始めた。

 オリオーヌがこの場所を見つけたのは三日前で、その日からここで野営しながら狩りをしていたらしい。

 そして、この三日間は地下の庭園はもちろん、地上の狩場でも自分以外の他人は見てないと語った。

 

「本当に誰も来てないんだろうなぁ?」

「ほ、本当です。誰も来てません!」

 

 オリオーヌに顔を近づけてカイは凄む。

 

「なーにー? カイちゃん、誰かと待ち合わせでもしてんの?」

 

 クレマンティーヌの問いには応えず、カイはただ険しい表情のままだ。

 殺しの予感にクレマンティーヌは笑顔が邪悪な物に変わっていくのを感じる。

 

「おいっ!」

 

 オリオーヌと、そしてクレマンティーヌはびくりと肩を竦める。

 カイは壁面の扉を指差した。

 

「どれか、あの扉に入ったか?」

「……ない、です。開かなかったから……」

「ふん。良かったな。どれかに入っていたら今頃お前はカラッカラの干物になってたぜぇ」

「何が居るの?」

「お前の目的だよ」

「んー?」

 

 腑に落ちない答えだが、カイはそれ以上説明しない。

 そして逆にクレマンティーヌに質問をしてきた。

 

「その餓鬼の服はここらの狩人の格好かぁ?」

「どーかなー? まあ標準的な格好じゃない? 粗末なものだけどねー」

「その帽子もかぁ?」

「これはファッションでしょ?」

 

 クレマンティーヌが素早くオリオーヌの帽子を取りあげた。

 

「この耳を隠してただけなんじゃないかなー?」

「か、返して、ください」

 

 帽子を取り返そうと手を伸ばすオリオーヌだが、クレマンティーヌは素早く動いて帽子を触らせない。

 

「スレイン法国のエルフは、こんな風に耳を切り落とされるんだよー」

「何? エルフだとぉ?」

「どったのー? エルフに知り合いでもいるー?」

「……いや。なんか引っかかった気がしただけだ」

「ふーん」

「なんでエルフの耳を切るんだぁ?」

「そりゃ法国はエルフが嫌いだからだよー。他にもドワーフも嫌いだし、ゴブリンも獣人も嫌いだけどね、けけっ」

 

 懸命に帽子を取り返そうとするオリオーヌだが、クレマンティーヌの動きにはついていけない。

 今にも泣き出しそうな顔はクレマンティーヌの好物だった。

 

「クレマン。帽子を餓鬼に返せ」

「あん? ……はいよー」

 

 不服なクレマンティーヌはオリオーヌに帽子を乱暴に被せた。

 ゆがんで被せられた帽子をオリオーヌは両手で整える。

 

「おい餓鬼。これからお前の仕事は留守番だぁ」

「留守番って?」

 

 聞いたのはクレマンティーヌだがカイは応えない。

 

「狩った獲物はあんのか?」

 

 オリオーヌが野営していた休息所に案内する。

 獲物は野兎が二羽あるだけだ。

 

「これっぽっちじゃ腹が膨れねえだろうが。他にはないのか? 隠すと――」

「これ、これだけです……。僕は……母さんみたいにすごくないから……」

「あーもう。メンドくせえ餓鬼だな」

 

 カイはオリオーヌに顔を近づけた。

 

「俺たちはここの奥に用があるんだ。ちょっと時間がかかるからよ。俺たちがいねえ間、お前は食い物の準備をしとけ。いいな」

 

 オリオーヌは不安そうに頷いた。

 彼には頷く以外に助かる道はないのだ。

 カイは懐に手を入れる。

 

「ヘボ狩人のお前には、これを貸してやるぜ」

 

 カイが取り出したのは大仰で派手なつくりの弓だ。

 オリオーヌと、そしてクレマンティーヌの動きが止まる。

 

「名前は愛神の弓(ボウ・オブ・エロース)とかいったなぁ。威力はそこそこで魅了(チャーム)の効果が付いてるぜぇ。距離と命中にプラス補正がつくから、下手糞なお前でも鹿くらい狩れるだろ」

 

 思わずクレマンティーヌとオリオーヌは顔を見合わせる。

 カイは着古した服を貸すような気安さで、国宝クラスのマジックアイテムを出してきた。

 それなりに知っているクレマンティーヌにはもちろんのこと、生まれて一度もマジックアイテムに触れたことがないであろうオリオーヌにもその価値は感じられたようだ。

 恐る恐る弓を手に取ったオリオーヌが自分が捕まえたときと別人になったような印象をクレマンティーヌは受ける。

 

「言っておくが貸すだけだぜぇ」

 

 カイが念を押すように凄んだ。

 だがクレマンティーヌにはそれがただの照れ隠しに見える。

 

「パクって逃げようものならこの世の果てまで追い込むからなぁ。分かったなぁ」

 

 オリオーヌは何度も首を縦に振った。

 

「で、狩りはいつから始めんだぁ?」

「は、はい?」

「今日はいつから狩りに出かけるのかって聞いてるんだよぉ」

「す、すぐに行くつもりでした。行こうとしてたらおじさんたちが入ってきたんで……」

「そんじゃ、行って来い。俺が食う分を忘れんじゃねえぞ、いいな」

 

 オリオーヌは矢筒と狩りの道具が入った袋を背負うと、魔法の弓を手に階段を上っていった。

 地下の庭園に残ったのはクレマンティーヌとカイだ。

 クレマンティーヌがカイに話しかける。

 

「カイちゃん、よくあの子が男って分かったねー?」

「そうか?」

「あんな綺麗な顔立ちだしさ。それに女の名だから騙されると思ったんだけどねー」

「あんな餓鬼の精子臭さが分かんねえようじゃあ鬼畜モン失格だぜぇ」

「あー」

 

 クレマンティーヌは呆れ顔になる。

 

「一瞬とはいえカイちゃんを見直して損したよ」

 

 構わず庭園の壁に向かって歩き出したカイをクレマンティーヌが追う。

 

「ねーカイちゃん?」

「なんだぁ?」

「ここでやること終わったらさ――」

 

 クレマンティーヌが邪悪な笑顔を浮かべている。

 

「あの餓鬼、始末すんの?」

「……さあな」

「そんときは私が殺るよー。あの餓鬼、綺麗だから殺し甲斐がありそうなんだよね、けけっ」


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