クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。主食は食えるもの。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。主食は白飯。
オリオーヌ:スレイン法国の狩人。主食は法国堅パン。
■
カイは庭園の壁沿いを歩き始めた。
扉がある場所に立ち止まると、しばらく扉を見つめている。
どうやら扉に書いてある謎の文字を読んでいるようだ。
クレマンティーヌがカイに話しかけた。
「何見てんのー?」
「お前の行き先を探してんだよ」
「ふーん」
ハーフエルフの狩人が言っていたことをクレマンティーヌは思い出す。
「ここの扉って開かないんじゃなかったっけ?」
カイはちらりとクレマンティーヌを見る。
「ああ。弱ぇ奴は開けられねぇ。それに開錠スキルも必要だしなぁ」
“弱い奴”という言葉がクレマンティーヌには気にかかる。
それは絶対的な弱さだろうか、それとも相対的な弱さか。
クレマンティーヌの疑問をよそにカイは次の扉に向かって歩き始めた。
いくつかの扉の前を「ここじゃ足りねえ……」「ここじゃ強すぎる……」と呟きながら通り過ぎる。
微妙に見くびられているような雰囲気にクレマンティーヌの機嫌が悪くなるが、判断しているのは己より圧倒的強者であるカイだ。
聞いていない振りをして我慢するしかない。
「“幾多の接吻を交せり”か……。この辺で様子を見るとするか。おい、クレマン」
「なーにー?」
不機嫌を悟られないようクレマンティーヌは軽く応じる。
「ここでお試しでもしてもらおうか。ま、松竹梅でいやー梅ってところだぁ」
カイの言葉は分かりにくいが侮っている雰囲気ははっきりとクレマンティーヌに伝わった。
「うんじゃ、かるーくやらせてもらいますかねー」
クレマンティーヌの挑発的な言葉にカイは口元を嫌な形に歪めた。
この嫌な笑い顔をいつか恐怖で歪ませてやると誓うクレマンティーヌの傍らで、カイが扉に触れる。
開かないはずの扉が石の擦れる音と共に簡単に開いた。
扉の先は真っ直ぐな通路だ。
まばらに配置している
外からは想像し難い距離を歩き突き当たったのは扉だ。
「また扉?」
「ここが目的地だぜ、と」
カイは扉をこんこんと叩くと扉を開けた。
その部屋の印象は貴族のベッドルームだ。
豪奢な作りの部屋の奥には
広い室内にはベッド以外の家具はない。
白いドレスを纏った女が二人、侵入者であるクレマンティーヌとカイを訝しげに見ていた。
「邪魔させてもらうぜぇ」
カイは知り合いにでも会ったかのように片手を上げて軽く挨拶し、クレマンティーヌはレイピアの柄に手を沿え臨戦態勢に入った。
白蝋のような肌と人とは思えない美貌、そして真紅の瞳。
思わずクレマンティーヌは視線を外し、ベッドから降りてゆっくりと近づいてくるその姿を視界の端で追うようにする。
「吸血鬼!? なんでこんなところに?」
「よく知ってるじゃねえか。
“れべる”という単位は分からないが、吸血鬼の難度ならある程度は理解できる。
吸血鬼の平均難度は55。
それなりに強力なモンスターであるが、クレマンティーヌが倒せない相手ではない。
かつての力があればだ。
だが吸血鬼も人間と同様に強さの幅がある。
クレマンティーヌは遭遇した経験がないが、100を超える難度の吸血鬼もいたと聞く。
吸血鬼が持つ能力で特に気をつけなければならないのは
吸血鬼が弱ければ気力で打ち消せるものだが、攻撃の隙を生むくらいの効果があるだけで危険度が跳ね上がる。
吸血鬼の女たちは鋭く響く声を上げ、しきりにカイを威嚇していた。
そこにある感情は怯えだ。
「こいつら、カイちゃんの知り合い?」
「ドロップアイテム狙いで
そう説明しながら吸血鬼の女たちの大きくあらわになった胸元を、カイは食い入るように見ている。
カイの言葉は理解不能だが、それはエ・ランテルのときからの常だ。
そんなことよりこの吸血鬼の怯え方が気に入らない。
恐怖を与えるのがこの小汚いおっさんだけでないことを、アンデッドの女たちに教えてやる必要がある。
「んー。この吸血鬼くらいだと私の訓練には足りないんじゃないかなー?」
その言葉の意味を理解したのであろう。
吸血鬼たちの意識がクレマンティーヌに向かった。
「だったら、さっさと倒すんだな。そしたら次の相手を用意してやるぜぇ」
クレマンティーヌの思考が切り替わり、戦闘に特化したものになる。
吸血鬼を相手にするなら銀の武器か錬金術銀の使用が基本だ。
どちらも今は持っていないが、カイからもらったレイピアには炎の魔法が付与してあり吸血鬼への攻撃力としては充分だ。
あとは己の身体がどう動くか。
クレマンティーヌは極端な前傾姿勢をとると、力を溜めて獣のように走り出した
エ・ランテルで確認した使える武技を起動する。
<疾風走破><超回避><能力向上>。
かつて使いこなせていた武技が使えないことがもどかしい。
それでもこの程度の吸血鬼ならば、今の力とこのレイピアで倒せるはずだ。
二人の女吸血鬼の向かって右の吸血鬼に狙いを定め、大きく右に動いた。
<――流水加速>
吸血鬼は人間よりは素早く動けるが、武技を使っているクレマンティーヌには及ばない。 狙われた吸血鬼が
左の吸血鬼が
どちらも遅いし間に合わない。
レイピアを滑らせ吸血鬼のその白い首を――
<
大気の塊がクレマンティーヌを襲った。
力ずくで体勢を崩し、なんとか大気の塊を回避する
吸血鬼の首に刃を入れたが断ち切るには不十分だ。
「魔法?」
吸血鬼が魔法を使うとは知らなかった。
思わずカイを見るが、クレマンティーヌと吸血鬼の美女、そのどちらを見ているのかニヤニヤ笑いを浮かべているだけだ。
千切れ落ちそうになった吸血鬼の首からは血は流れず、その傷口は再生を始めている。
レイピアに付与されている炎属性が、その再生速度を鈍いものにしているようだ
「死にそうになったら助けてやるぜ。まぁ死んでもやりなおしできるけどなぁ、くっくっく」
カイのニヤニヤ笑いに憎しみの視線を叩きつけながらクレマンティーヌは吸血鬼の攻撃に備えた。
◆
妙な格好をした男――カイから借りた弓を手にオリオーヌは狩り場へと向かった。
自身の狩猟感覚が昨日とはまるで違う。
より遠くの獲物が見え、弓を構えると獲物の方から近づいてくる。
獲物の大まかな居場所や匂いが分かり、矢の飛ぶ距離も違う。
もしかすると自分の能力が上がったのかとも思って、それまで使っていた粗末な弓を試してみる。
さっきまで見えていた姿はぼやけ、こちらに気づいた獲物は逃げ、大きさも居場所も分からず、矢の飛距離は昨日と同じだった。
魔法の弓の凄さと自分自身の狩りの力の無さを認識し、がっくりと肩を落とす。
だが落ち込むのは一瞬だけだ。
カイから命令された、獲物を用意しなければならない。
魔法の弓に持ち直して、狩りを再開する。
半刻ほどでオリオーヌは鹿二匹とイノシシ二匹を射止め、そして我に返った。
「どうやって持って帰ろう……」
◆
疲れきったクレマンティーヌがなんとか庭園にたどりついた。
カイはニヤニヤ笑いではなく呆れ顔でその様子を見ている。
「だから俺が優しく運んでやるって言ってるだろうが」
「余計なこと……すんな。一人で……歩ける」
二体の吸血鬼との戦いは、クレマンティーヌを心身共に疲労させた。
そもそも吸血鬼というモンスターは隙を窺って討伐するものであり、正面きって戦う相手ではない。
一体であれば再生で弱体化したクレマンティーヌでも、ここまで疲れなかっただろう。
二体という数が吸血鬼の討伐難度を高め、クレマンティーヌを疲労困憊に追いやった。
庭園に戻るだけの体力を残せたのはクレマンティーヌの戦士としての実力と意地。
そして己の女を代価にカイから貰ったレイピアのおかげだ。
クレマンティーヌはかつて自身を強化させた法国の試練場を思い出した。
あのときクレマンティーヌを世話していたのは引退した漆黒聖典だった。
今思えば、あの年寄りの視線は慈愛に満ちた暖かいものだった。
吸血鬼の部屋でクレマンティーヌが受けたのは、情欲に満ちた生暖かいカイの視線だ。
カイの視線にもイライラさせられたが、吸血鬼を倒しきったクレマンティーヌに治癒魔法を施そうとしたときには本気で慌てた。
魔法での治癒がトレーニングの効果を打ち消すことをカイが知らなかったのだ。
すったもんだした挙句にようやくカイの魔法使用を止めさせた。
疲れた身体で他人に何かを説明するというのがこれほどの苦行とは思わなかった。
カイの常識知らずに呆れると同時に、カイという人間の存在に強い疑問が生じてくる。
自分たちとはかけ離れた力と知識、常識を持つ存在。
そんな存在について考えているうちに庭園に戻ってきたクレマンティーヌは、這うようにして手近な休息所で横になった。
獣と血の臭いに、吐き気を覚える。
「……臭い」
「ほう。あの餓鬼、食い物を用意できたみたいだなぁ」
カイは中央の休息所へと歩き出したが、起き上がるのも億劫なクレマンティーヌは横になったままだ。
カイとハーフエルフが話しているようだが、疲労は全ての興味を失わせる。
クレマンティーヌは目を閉じ、何かを考える間もなく意識が途絶えた。
■
空腹で眼が覚めた。
どうやら疲労で眠ってしまったらしい。
クレマンティーヌは自身の身体を意識する。
なんとか起き上がるだけの体力は回復しているようだ。
庭園中央にある休息所ではカイとオリオーヌが食事をしていた。
ナイフを片手にハーフエルフと和やかに会話をしているカイが癪に障る。
「――動物の捌き方……参考になりました。本だけじゃ分からなくて……」
「本でなんでもかんでも分かるんなら社会勉強はいらねえからなぁ。“ふぃーるどわーく”が大切だってことだぁ」
カイとオリオーヌがクレマンティーヌに気づいた。
「どしたぁ? 腹が減って眼が覚めたか?」
「そのナイフ。見覚えあるんですけどー」
「ああ。クレマンのマンマンをつるっつるに剃り上げた由緒正しいナイフだぜぇ。なあに。
カイが手を開くとナイフが消え、魔法で作った道具と知らなかったのかオリオーヌは驚きで目を丸くした。
クレマンティーヌはカイとオリオーヌの間にどかりと座る。
「食べるもの、あんの?」
「ああ、あるぜぇ。大量にな。まぁ碌な道具も調味料もねえから簡単お手軽な鬼畜くっきんぐだがなぁ」
妙に高級そうな大皿に、焼いた肉が工夫も飾り気もなく積み重なり、肉の横には山に登る途中に生えていた草を煮たものが盛りつけられている。
オリオーヌを見ると馴染みのある固くて不味いパンをかじっている。
そしてカイを見ると底の厚い器に盛られた白い塊を食べていた。
見たことの無い食べ物がクレマンティーヌの興味を引く。
「何それ? 粥にしちゃ水っぽくないけど」
「白飯だぁ。俺は飯じゃねえと力が出ねえからな。この小僧も知らねえとこ見るとスレイン法国とやらには白飯はないみてえだな」
水気のない粥風だが半透明の粒は高級パンのように白い。
「それ、ちょうだい」
「お前ぇ、食ったことねえだろうが」
「いいから」
見たことのない食べ物への不安はあるが、カイという強者が食べる物への興味が強い。
それにオリオーヌが食べている法国のパンの不味さも避けたかった。
手を出すクレマンティーヌにカイは渋々と器を渡した。
「分かってるな? 少しだけだからな」
何度も念を押すカイから器を受け取ったクレマンティーヌは匙で白い粒をすくい上げた。
恐る恐る口に運ぶと、口の中で粒がほろりとほぐれる。
パンとは違う粘り気のある食感はまあまあだが――
「……味がしない」
「あったり前だぁ、飯ってのは
カイの自慢話を聞き流したクレマンティーヌは、オリオーヌがおずおずと差し出した肉片を奪い取るようにして口に入れる。
野生動物の歯ごたえのある肉を噛み締めると、濃い味付けの肉汁と塩気が口の中に広がった。
水を飲もうとして止め、カイの言う“しろめし”を口にかき込んでみる。
肉と“しろめし”がクレマンティーヌの口の中で調和する。
なるほど“しろめし”にもしっかりとした味があることが分かった。
「そうやって食うもんなんだよ、飯ってやつは。分かったら残りを返せ……て、おい!」
器を片手にクレマンティーヌは肉と“しろめし”を交互に口にする
カイが叫びながらそれを止めようとするが、クレマンティーヌは聞く耳を持たない。
壁を作る煉瓦を積むときのように、休息の場所を得るために穴を掘るときのように、作業的に口に食べ物を入れる。
全ては己の身体を回復させるために必要なことだ。
やがて腹が膨れたクレマンティーヌは、カイの文句も聞き流し、もとの休息所に戻るとすぐに寝てしまった。
■
体内の感覚が朝になったことを告げ、クレマンティーヌは目を覚ます。
目覚めたクレマンティーヌにカイも気づいた。
「そろそろレベリングの時間だぜ」
「まだ身体が痛ーい。私、動けなーい」
甘えるように弱音を吐くクレマンティーヌをカイが疑わしそうな目で見る。
「ところでよぉ。その虫は毒持ちかぁ?」
寝床の脇を指差すカイに反応したクレマンティーヌは右腕を素早く動かし、
死ぬほどの毒は持っていないが、噛まれると痛みと腫れで後が面倒だ。
「動けるじゃねえか」
「ありゃ? バレちった」
カイは呆れ顔でクレマンティーヌを睨む。
「回復してなきゃ怒るところだぜぇ。俺様の飯を食い尽くしやがったんだからよぉ」
「いやー。身体が動けるか確認してたんだよー。ホントホント」
クレマンティーヌが身体の部位の各所を意識して確認をしていたのは事実だ。
昨日の訓練からの疲労を回復したことで武技がひとつ、また使えるようになっていることが分かる。
「昨日の吸血鬼討伐で、ちょっと戻せたっぽいよ。うん」
「てれってってって~」
カイが謎の言葉を呟く。
「なにそれ?」
「成長したら“ふぁんふぁーれ”が鳴るものなんだよぉ」
「知らなーい。どこの国の話?」
「ふん。まったく……。常識知らずと話をするのは疲れるぜぇ」
常識知らずはてめーだろ。とクレマンティーヌは思ったが口にはしない。
すぐに今日の訓練に頭を切り替える必要があるからだ。
吸血鬼との戦闘は死ぬほど辛いものだったが、食事をして休息を取ればこうして元の力を取り戻せることが分かった。
昨日と同程度の戦闘を行うなら、身体と武技の使い方を意識して変えないと成長が鈍る可能性がある。
新しい課題を考えていたクレマンティーヌにカイが声をかける。
「おいクレマン。その服、脱げ」
何を言われたのか理解するまでに時間がかかった。
そして理解したことで頭に血が上り、その感情をクレマンティーヌが抑えるまでが最近のカイとの会話のワンセットだ。
「えー? またー? 別にこの装備、どっこも破れてないよ?」
「あったり前だ、馬鹿野郎! 俺様が縫ったんだからなぁ」
疑問と不満で混乱するクレマンティーヌにカイが説明する。
「昨日みたいにちんたらせずに、もっと要領良くレベリングをやろうって言ってんだ」
そう言いながらカイは懐から、いくつかのアイテムを取り出した。
「防御力は殆どねえが経験値に色をつけてくれる装備だぜぇ」
攻撃や防御を魔法で補助することは理解していたが、訓練そのものを魔法で補助するという発想はクレマンティーヌの常識にはなかった。
クレマンティーヌの見立てでは、休息所のテーブルに並べられた装備は、どれも一級品のマジックアイテムだ。
だが中にはどこに装備するのか見ただけでは分からないものもある。
「この
「それは
「ふーん」
カイの説明には正直ピンと来るものを感じなかったクレマンティーヌだが、この耳と尻尾の雰囲気は気に入った。
何気なく手に取りふわふわの感触を確かめてから、猫の耳と尻尾を装備する。
頭の中が不思議と冴え渡り、自分の選択が間違ってなかったと理解できた。
耳と尻尾だけでこの
残る装備はどんなものなのだろうか。
「で、これは……前に見たあれ?」
「
カイの熱心な説明を聞き流し、クレマンティーヌはその装備を手に取って広げてみる。
確かにエ・ランテルの安宿で見せられた革紐とは作りも材質も大きく異なっている。
だが獣の物と思しき白い毛皮は細く小さく、今装備している
「この装備にその耳と尻尾がありゃあレベリングはすぐに終わるぜぇ。まあ、しばらくここに居て時間がかかっても俺様には問題はねえんだがなぁ、くっくっく」
ニヤニヤ顔のカイにクレマンティーヌは眉を顰める。
ここに来る前に弱みを見せたのが拙かった。
長居をすれば風花聖典に感づかれる可能性は高くなる。
スレイン法国の神都に近いこの場所への滞在を早く切り上げたいのはクレマンティーヌだ。
仕方なく装備を着替えようと立ち上がったところでオリオーヌと目が合う。
どうやら狩りに出る準備をしていたようだ。
カイのニヤニヤ笑いがさらに下品になる。
「せっかくだから小僧に着替えるところを見せてやったらどうだ? ん?」
「オリオーヌちゃーん」
クレマンティーヌは赤面して硬直しているオリオーヌに近づくと、その耳元で囁いた。
「さっさと狩りに行って来いっ! 糞餓鬼!」
「は、はいぃっ!」
狩りの道具と魔法の弓を握り締めてオリオーヌは走り出した。
「サービスの悪ぃ肉壺だなぁ。青い性の目覚めになったかもしれねえのによぉ、くっくっく」
「餓鬼が性に目覚めたって私は得しないね。で、これはブーツ……? やけに長いなー?」
「おう。しあわせのニーハイブーツだぜぇ。この踝んとこの羽根がチャームポイントで、歩くだけでちょびっとずつ経験値が――」
■
クレマンティーヌとカイが入ったのは昨日の吸血鬼の部屋への扉ではなく“愛に囚わるるなかれ”と書いてる別の扉だ。
ただし庭園の扉からモンスターの部屋までの廊下は同じつくりだった。
「こっちは何が居んの?」
ぴよぴよぴよぴよ。
「そいつは着いてのお楽しみだぁ」
「昨日の吸血鬼よりは強いんだよね?」
ぴよぴよぴよぴよ。
「レベルでいやー倍の40だなぁ」
「倍って、昨日の吸血鬼の?」
ぴよぴよぴよぴよ。
「ああ。その通りだぜ」
「そんなん、私に倒せるわけないじゃん!」
ぴよぴよぴよぴよ。
「別に倒せねえでも訓練にはなるだろがぁ」
「そりゃそうだけどさー」
ぴよぴよぴよぴよ。
「なんかこのブーツ、すっげームカつくー」
クレマンティーヌは自分が装備しているブーツを睨みつけた。
白くて踝に小さな羽根の付いた膝上まであるブーツは歩くたびにぴよぴよと音が鳴った。
緊張感のないぴよぴよ音が、忍耐を養う装備かと思うほどにクレマンティーヌの癇に障る。
「歩くだけで経験値が入るんだだぜぇ。早く終わらせたきゃ我慢しろや」
クレマンティーヌがぴよぴよ音を我慢して、たどり着いたのは昨日と同じ作りの扉だ。
カイは昨日と同じようにノックしてから扉を開け、中に入る。
恐る恐るクレマンティーヌも後に続いた。
この部屋は吸血鬼のベッドルームと違い、地下にあっても違和感のない洞窟だ。
洞窟のいたるところに蜘蛛の巣が張っている
クレマンティーヌが蜘蛛の巣を手で払おうとすると――
「うかつに触るんじゃねえぞ。そこらへん剣で払って動ける場所を作っとけ」
カイの忠告にいつもの軽薄さはない。
クレマンティーヌはレイピアを抜き蜘蛛の巣を切り払った。
ちっと音を立てて巣が焼き切れ、焦げた匂いがあたりに漂う。
巣には触れないよう気をつけながら、クレマンティーヌは自分が動けるだけの範囲を確保した。
蜘蛛の巣が炎に弱いことは助かるが、問題は今のクレマンティーヌも炎耐性が低いことだ。
レイピアから生じる熱気で汗だくになる。
自分の汗と緊張感のないぴよぴよ音で戦う前から疲れてくる。
やがて、しゅーしゅーという息とも声とも判断がつかぬ音が上のほうから聞こえてきた。
上を見ると何重も張り巡らされた蜘蛛の巣の奥で影が動いているのが見える。
蜘蛛の巣を巧みに押し分け、大きな黒い影がすうーっと降りてきた。
それは女の上半身に巨大蜘蛛の下半身を持つ化け物だった。
「
だらしない顔でそういうとカイは
唸り声を上げ露骨に警戒する
しばらく話しているうちに
カイが時折、振り向いては指を差し何かを説明していたが、
交渉は終わりカイはそのまま、
後方で親指を立て自慢げな表情のカイに不信感を抱くが、とりあえずクレマンティーヌはレイピアを抜いて
◆
クレマンティーヌは休息所で横になっていた。
オリオーヌが口に運ぶ肉と白飯を黙々と食べている。
時折、目だけを動かしカイを睨みつけるが、視線の先の男はクレマンティーヌに目を合わせようとしない。
「あの
「……ああ。ちょっと勘違いがあったみてえだな」
「勘違いで毒針を打ち込まれたんですけどー」
「た、助かったんだからいいじゃねえか。戦闘経験値だってはいっただろうが。ほら、飯食え、飯」
「もうちょっとで、こっちが
接近戦では炎属性のレイピアが効果的で、クレマンティーヌと
そのうち
初めの数発は避けたクレマンティーヌだったが、蜘蛛の巣に足を取られた所で毒針を食らい、
それを笑いながら見ていたカイも、やがて
慌てて
食料を奪われた
カイはいつになく殊勝な様子で肉を齧っている。
「そういや
「ちょっと気になったんだけど」
「……な、なんだぁ?」
「ここって、ああいうモンスターばっかり?」
「んー? ああいうモンスターってどういうモンスターだよ?」
「裸の女みたいなモンスターってこと」
「……ああ。そうだぜ。ここはエロ系モンスターの狩り場ってヤツだぁ」
カイが自慢げに説明する。
この庭園が意図して造られたものだというのは分かる。
だが、あれほどの強さのモンスターを集めることは、兄クラスの
そこまで考えて、この庭園にまだ入ったことのない扉があることを思い出した。
まさか、扉の数だけ怪物の種族が居るなんてことは――
「もしかして……ここって、もっと強いモンスターが居たり……する?」
「ふん。それほどでもねえよ」
クレマンティーヌは安心するが、続くカイの言葉に驚愕する。
「
「なんで……なんでそんな遺跡がこんなところにあんの!?」
「そんなこと俺が知る訳ないだろうが。俺は連れてこられただけだからなぁ」
「連れてこられた? 誰に?」
「……さあな」
間違いない。
クレマンティーヌは確信した。
カイは誰かを探している。
その情報は今のクレマンティーヌの立場を大きく変えるだろう。
情報を得るためには、まず元の力を取り戻さなくてはならず、そして
クレマンティーヌはオリオーヌが口へと運ぶ飯と肉を食べることに専念した。
■
翌朝、目を覚ますとクレマンティーヌの体内からは嘘のように毒が抜けていた。
体力も昨日以上に回復しているようで、自分の肉体と才能に改めて自信を持つ。
カイが準備した食事とオリオーヌの給仕については考慮しない。
朝食の肉を齧っているとカイが庭園に戻ってきた。
カイに話を聞くと
強者は奪うことが許されると思っているクレマンティーヌには、こういうカイの生真面目さが理解できない。
その生真面目さのおかげでクレマンティーヌ自身が生き長らえていたとしてもだ。
カイは訓練相手として
だが、次にカイが連れて行った場所には
すぐさまクレマンティーヌは
この遺跡の中で最強ではないが、それでも
カイの説明では頭が良く魔法が使え、移動速度は速くて、炎耐性があり、皮膚――特に鱗に覆われた下半身は斬撃や刺突攻撃に強いという。
要するにクレマンティーヌが絶対に勝てない相手なのだ。
カイが今度は折り合いをつけたと強く念を押したことと、なにより
いざとなれば
まだクレマンティーヌは元の力を取り戻していないのだ。
あらゆる攻撃が効かず、そして相手の攻撃がどれも致命傷という
何度も死を覚悟し、何度となく心が折れた。
だらしない顔で
■
「思ったんだけどさー」
オリオーヌの給仕を受けながらクレマンティーヌはカイに話しかけた。
今晩、身体が動かないのは毒ではなく、純粋な疲労だ。
どうにかして一泡ふかそうと体力と知恵と使える武技を総動員したが、
全てを使い尽くした疲労で手足を動かすことはおろか食べるのも億劫だが、訓練における食事の重要さをクレマンティーヌは知っている。
どこを切り刻むか考えながら、少年狩人の美しい顔を見るのも悪くない。
「どうせ相手を殺せないんなら、カイちゃん相手に訓練したほうが早いんじゃない?」
飯の器を持ったカイとクレマンティーヌの目が合う。
それからカイは大きなため息をついた。
「それじゃ俺が疲れるじゃねえか、馬鹿野郎」
クレマンティーヌはため息をつくと、心配そうに見つめるオリオーヌの顔に視線を戻し、顎をしゃくって次の肉を要求した。
■
「んー? どっか行くのー?」
クレマンティーヌが目を覚ますと、カイがオリオーヌを連れて休息所を出て行こうとするのが目に入った。
「クレマン、お前は寝てろ」
訓練を始める時間にはまだ早いことを体内感覚が教えてくれる。
「獲物が要るんだよ。あの
「生餌だったら、そこにひとりいるよー?」
カイの横に立つオリオーヌを見る。
ハーフエルフの狩人の怯えた顔が疲れた身体に心地よい。
「こんな痩せっぽちの餓鬼じゃ前菜にもなりゃしねえ」
「あの
「な? この女は俺と違って人格が破綻してんだからよ。同情するだけ損だぜぇ」
カイはクレマンティーヌではなくオリオーヌに話しかける。
クレマンティーヌとカイを見てハーフエルフはただ戸惑っていた。
「そんじゃ行ってくるからよ。俺たちがいないからって手淫なんかすんじゃねえぞ」
クレマンティーヌはひらひらと手を振り、庭園を出る二人を見送った。
「さてと」
二人が外に出たことを確認したクレマンティーヌはゆっくりと立ち上がる。
「男二人……何を話すか気になるよねぇ?」
誰に聞かせるともなくクレマンティーヌはひとり呟いた。
身体の確認をしながら階段の上り口まで歩く。
まだ痛みは残っているが追跡くらいなら問題はなさそうだ。
外はまだ暗かったが夜目の利くクレマンティーヌは容易に二人を見つけることができた。
獲物を探すというよりは目的地に向かっているだけのようで、周囲に気を配っている様子はない。
おそらくあのハーフエルフは獲物の居場所を知っているのだろう。
とりあえずクレマンティーヌとしては声が聞こえるところまで近づきたい。
カイに気づかれる可能性は高いが、そのときは適当に誤魔化そう。
「――この弓は凄いです」
「そうかい。俺は使ったことがねえ」
カイの言葉にはいつもの調子の良さがない。
照れ隠しだろうかとクレマンティーヌは思う。
「僕、もっと狩りが上手くなりたいです。この弓がなくても母みたいに大きな動物や飛んでる鳥を狩れるようになりたいんです」
「目指すのはご自由にどうぞだ。まぁ、そんなに都合良く行くわきゃねえがな、くっくっく」
オリオーヌは口を閉じ、カイもそれ以上何も言わない。
焦れたクレマンティーヌが二人との距離を詰めようとしたところでカイがぽつりと言った。
「それがお前のしたいことならやりゃあいいさ。どの道、苦労や絶望は、ほっといても向こうからやってくるからよぉ」
顔を上げたオリオーヌは不思議そうな顔をする。
「カイさんのしたいことってなんですか?」
「俺とお前はそんな話をする仲だったか、ええ?」
「す、すいません……」
カイに凄まれオリオーヌはうなだれる。
「……ふん。俺ぁ面白おかしく性行為をしてえだけだぁ。その合間合間にちょっと探しものをしてるんだよ。分かったか」
探しているものが何なのかオリオーヌに聞いて欲しかったクレマンティーヌだが、カイが話題を変えた。
「そういや、お前は、ここを縄張りにしてるって言ってたなぁ?」
「縄張りというか……はい。狩りの場所です」
「あそこの穴倉も使うんだよなぁ?」
「は、はい。カイ……さんが許してくれたら、ですけど……」
「知らねえよ。使いたきゃ勝手に使ってろ」
自分の家でもないのに何を偉そうに許可をしているだろうかと考え、それからクレマンティーヌはひとつの可能性に気がついた。
あの遺跡がカイの
「それじゃあ、穴倉を使うお前に宿題を出してやるぜぇ」
クレマンティーヌが耳を澄ます。
誰かへの言伝だろうか。
「若くて生きの良い雌の肉壺を“げっと”しておくんだな、いいな」
「クレマンティーヌさんみたいな、ですか?」
「馬鹿野郎! あんな女が二人も要るか」
怒りのあまりクレマンティーヌはレイピアの柄に手をかける。
「お前は世間知らずだから言っておくが、ああいうのは俺様みてーな本物の鬼畜モンだからなんとかなってんだ。俺様の性欲を“こんびにえんす”に満たせて、ついでにここいらの観光ガイドができるから連れてるだけだぁ。分かるだろぉ?」
「は、はい。なんとなく」
何、納得してるんだこの糞餓鬼。
レイピアで突っ込みたい衝動をクレマンティーヌは辛うじて抑えた。
「お前ぇも立派な鬼畜モンになりてーんだったら、ああいうのじゃねえ、もっと大人しい恥じらいのある肉壺の5人や10人は確保しとくんだ、いいな」
「“きちくもん”じゃなくて狩人になりたいんですけど……」
「獲物にぶっ刺すことには変わりねえよ」
わざわざ腹を立てるために盗み聞きをするのは馬鹿馬鹿しい。
クレマンティーヌは庭園に戻って寝ることにした。
◆
それからの数日間、クレマンティーヌは
寝ているクレマンティーヌの横でカイが自慰行為に耽ったり、履いていたブーツの匂いをカイが嗅ぎながら自慰行為に耽ったり、それに気づいたクレマンティーヌがカイを怒鳴りつけたり、そんな様子をオリオーヌが見て見ぬ振りをしたりしたが、概ね静かに時が流れた。
そんな規則正しい生活の末、クレマンティーヌはかつて使っていた全ての武技を再会得した。
元の力を取り戻した以上、クレマンティーヌがこの場所に――スレイン法国の近くに居る必要はない。
カイもまたリ・エスティーゼ王国の王都に目的があるようで、この庭園を去ることになった。
◆
「ほんじゃ俺たちは行くぜぇ。お前はこの辺でてきとーにやってろ」
朝靄の中、カイはオリオーヌに別れを告げた。
興味の無いクレマンティーヌは手触りの良い耳と尻尾をいじってる。
暑い皮衣とやかましいブーツはカイに叩き返したが、耳と尻尾は気に入ったので装備したままだ。
カイがしばらくオリオーヌを見つめている。
「カル……いや、なんでもねえ。あばよ」
「あ、あの……」
魔法の弓を差し出すオリオーヌをカイは無視して歩き出した。
その後ろをクレマンティーヌは笑顔でついていく。
山を降りきる前にクレマンティーヌがカイに話しかけた。
「カイちゃんさー」
「なんだぁ?」
「弓、忘れてるよー?」
「……ふん。そういやそうだな。戻るのもめんど臭え」
足を止めないカイにクレマンティーヌは笑顔で提案した。
「んじゃ、私が取ってくるよー」
「ほお。肉壺の立場をよく分かってるじゃねえか」
「そりゃあ、元通りになったのは全部カイちゃんのおかげだからねー」
■
戻ってきたクレマンティーヌの姿を見たオリオーヌは安堵の表情を浮かべた。
「オリちゃ~ん」
「く、クレマンティーヌ……さん。あの……これ……」
オリオーヌが魔法の弓をおずおずとクレマンティーヌに差し出す。
公金貨で1千枚以上の価値があるだろう弓がわずかに揺れていた。
受け取ったクレマンティーヌは、その弓の軽さに驚く。
何かを言いたそうにしているオリオーヌを見ながら、クレマンティーヌは考える。
この一帯はスレイン法国の安定した支配地域である。
調査によってあの遺跡が見つかるのは、少年の情報さえなければかなり先のことになるだろう。
「あとは遺跡と私たちの秘密が洩れないようにするだけだねー」
オリオーヌはすぐに言われた言葉の意味が分からなかったのか、不思議そうな顔でクレマンティーヌを見つめた。
クレマンティーヌの顔が邪悪そのものに変貌する。
頭に立つ耳が猫科の肉食獣を髣髴させる。
「あれー? もしかして……私を忘れ物を取りに来ただけの優しいお姉さんだと思ってたぁ?」
クレマンティーヌはゆっくりとレイピアを抜いた。
オリオーヌびくっと怯え肩を竦ませる。
「オリちゃんが死んじゃえば遺跡と私たちの秘密はしばらく洩れないよねー」
「……僕、誰にも言いません」
「おめでたいねー。そんな言葉を私が信用すると思ってる?」
オリオーヌは怯えているが、その表情には強い意志が浮かんでいた。
かつてのクレマンティーヌなら喜んで切り刻んだその表情が、今はやけに眩しく映る。
クレマンティーヌは口元を大きく歪ませ、大きく振りかぶってレイピアを突き刺した。
「!」
レイピアの刃の先で
「噛まれたら痛いよねー、この虫」
怯えた表情は変わらないもののオリオーヌは幾らかは安心した様子になった。
そんなオリオーヌに顔を寄せてクレマンティーヌは童女のような笑顔を見せる。
この表情なら頭に立つ耳は
「そ。私は優しいんだからねー。だからここでのことはぜーんぶ内緒だよー」
オリオーヌは無言で何度も頷いた。
クレマンティーヌはレイピアを振り、落ちた
「あ、あのっ」
クレマンティーヌがオリオーヌを見た。
「カイ……さんに、ありがとうございますと伝えてください」
クレマンティーヌの笑顔がまた邪悪なものに変わった。
「あん? このクレマンティーヌ様を伝令に使おうっての?」
「そ、そういう訳じゃなくて……あの……その……」
怯えるオリオーヌの顔をしばらく見つめ、やがてクレマンティーヌは背を向けた。
「いーよ。伝えてあげる。その帽子、大切にしなよー」
「……あ、ありがとうございます。クレマンティーヌさん」
オリオーヌの感謝の言葉を背中で聞きながら、クレマンティーヌはひらひらと手だけで返事をした。
■
「ほら。弓を取り返してきたよー。力ずくでねー」
笑顔のクレマンティーヌが放り投げた弓をカイが受け取る。
「……ふん」
カイは弓を懐に仕舞い込みながら鼻を鳴らす。
「力ずくにしちゃあ血の臭いがしねえなぁ?」
クレマンティーヌは悪戯がばれた子供の笑顔で舌を出す。
「えーなにー? 私がオリちゃんを殺すとでも思った? 心外だなー。私は気さくで優しいお姉さんだよー」
「肉壺風情がずいぶんご機嫌な口の利き方じゃねえか」
脅すような言葉だが、カイのニヤニヤ笑いにはどこか安心した雰囲気がある。
この雰囲気があるうちはクレマンティーヌが殺されることはないだろう。
「そうそう。カイちゃんにオリちゃんから伝言だよー」
「……なんだぁ?」
クレマンティーヌを見ずにカイは声だけで応対した。
「大嫌いだってー。二度と会いたくないって」
「ふん。そうかい」
嘘の伝言を聞いたカイの反応は、クレマンティーヌが期待したものより薄い。
「あれー? 怒らないのー? 坊やにあんだけ優しくしたのにー?」
「そのくらいで怒るかよ。だいたい雄餓鬼なんぞに懐かれちゃあ鬼畜モンの名折れだぜ、まったく」
「ふーん。だったら良かったねー。嫌われて」
「……いくぜ」
朝日を浴びるカイの横顔に寂しげな陰が落ちたように見える。
それを見てクレマンティーヌは少しだけ溜飲を下げた。