疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。2回目の王都に観光気分。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。初めての王都にウキウキ。

セバス・チャン:プレアデスのリーダー。初めての王都で緊張気味。


リ・エスティーゼ王国編
第6話「疾風走破、観光する」


 

 小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)、合わせて1ダースほどを前にしてレイピアを抜きクレマンティーヌは走り出した。

 

 <疾風走破><能力向上>。

 

 ()()()()()モンスターなら()()()()()武技を繰り出すだけで十分だろう。

 

 かつてのクレマンティーヌにとってモンスター狩りは専門任務だった。

 モンスター狩りの不満といえば表情が読み難いことだ。

 人間のように迫りくる死への恐怖に怯える表情が存分に楽しめない。

 それでも数日前までの強者に弄ばれる再訓練(パワー・レベリング)に比べたら驚くほどの開放感に満ちている。

 

 小鬼(ゴブリン)の放つ矢を避け、突き出してくる剣を避け、振り下ろされる人食い大鬼(オーガ)の棍棒をすんでのところでかわしながら、()()()()()()()()()()()レイピアを振る。

 攻撃が当たらないことに首をかしげ、手足が斬られた痛みに驚くものの、それでも小鬼(ゴブリン)達の戦闘意欲は失われない。

 それはクレマンティーヌが戦闘意欲を失わないよう仕向けているからであり、この戦場を支配しているからだ。

 これこそまさに英雄の力を取り戻したクレマンティーヌの妙技、そして得られる快楽であった。

 

 カイから半ば強引に貰った猫耳と尻尾の獣人風装備は、頭を冴えさせ戦場の支配をより容易いものにしてくれている。

 カイは今のクレマンティーヌには役に立っていないと言うが「可愛いからいいじゃん」とそのまま装備し続けている。

 心のどこかに人間原理主義のスレイン法国への()()()()があったとしても、そんな幼稚な理由をクレマンティーヌは認めない。

 

 丘陵地帯に比べると木々に囲まれていても低地の気温は高い。

 小鬼(ゴブリン)の悲鳴と人食い大鬼(オーガ)の咆哮を聞きながら血飛沫を掻い潜ると、腹や腿、むき出しの肌に風が触れ、クレマンティーヌは心地良い清涼感に満たされる。

 

 やがて数が半ダースほどになるころ、さすがの小鬼(ゴブリン)達も自軍の質的不利を理解し始めてきた。

 本能が暴力欲求から生存欲求に切り替わり、目の前のクレマンティーヌに怖気づきその行動が緩慢なものになる。

 クレマンティーヌは捕食者の笑顔を浮かべてカイを見た。

 

 カイもまた1ダースほどの小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)を受け持っており、3体居た人食い大鬼(オーガ)はすでに討伐されている。

 肉の焦げた臭いと立ち上る煙が、なんらかの魔法が使われたことを教えてくれる。

 残った小鬼(ゴブリン)は全て魔法で動きを封じられカイの尋問と身体検査を受けていた。

 

「それただの小鬼(ゴブリン)だよ。話なんか通じないから、さっさと殺っちゃいなよ」

 

 カイは淀んだ瞳でクレマンティーヌを見ると、それからやる気のなさそうに手を振り魔法の矢を放った。

 クレマンティーヌが今まで見た中で最も多い数の光の矢が、立ち尽くしていた小鬼(ゴブリン)達に降り注ぐ。

 激しい爆発音と断末魔の悲鳴が木々の間に響き渡り、小鬼(ゴブリン)達は伏して動かなくなった。

 

 クレマンティーヌの目前で逡巡していた小鬼(ゴブリン)達が慄き武器を捨てて逃げ出し始めた。

 獣の笑みをさらに醜く歪めながら、クレマンティーヌが走り出す。

 

 

 全てが終わって立っているのはクレマンティーヌとカイだけだ。

 殺した小鬼(ゴブリン)を検分しているカイにクレマンティーヌが話しかける。

 

「ここいらにはまずホブゴブリンはいないからねー。情報を引き出そうとしても時間の無駄じゃないかなー」

「……ホブゴブリンって奴らだったら話が通じるのか?」

「まぁただの小鬼(ゴブリン)よりは、だねー」

 

 常識知らずに説明(ガイド)しながら、クレマンティーヌは小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の耳を切り取る。

 これがモンスター討伐の証になり、そして報奨金になるのだ。

 

「こんだけ耳があればそこそこの金になるだろうねー」

「ふん。まぁ路銀が多いに越したことはねえな」

 

 カイはクレマンティーヌの作業を興味深そうに見つめ、時折、しゃがみ込んでは地面を見つめている。

 

「んー。なんか面白いもんでも落ちてた?」

「うんにゃ。……雑魚モンスターは、ここでも大したもん持っていないみてえだなぁ」

 

 そんなこと当たり前だろ、とクレマンティーヌは思ったが口にはしなかった。

 

 ■

 

 クレマンティーヌとカイは遺跡からエ・ランテルを大きく迂回して直接王都に向かった。

 エ・ランテルに寄らなかったのはクレマンティーヌが強く嫌がったからだ。

 間違いなく潜んでいる風花聖典に加え、クレマンティーヌを殺したアンデッドが居る都市に戻るのは自殺行為に等しい。

 エ・ランテルに寄りたがったカイと交渉し、色々な性的行為を重ねることでなんとか翻意させた。

 

 カイが王都に向かう理由は娼館だという。

 以前、クレマンティーヌが話した娼館の話にカイは強く食いついた。

 ただし娼館を利用するにはそれなりの金が必要で、クレマンティーヌは商隊を襲って奪うことを勧めたがカイは却下する。

 

 カイほどの強者が略奪を行わないことがクレマンティーヌには理解できない。

 しかし無理強いできる立場にないクレマンティーヌは別の金策としてモンスターの討伐を提案した。

 エ・ランテルを迂回するルートは木々に覆われ、その大部分はモンスターの生活圏になっている。

 そんな地域で馬に乗った二人の人間は、虫にとっての甘い蜜のようなものだ。

 事実、襲撃してきたモンスターを容易く討伐して、クレマンティーヌとカイは充分すぎるほどの成果を得た。

 

 森を抜け王都に向かう街道に入るとモンスターの出現は極端に減った。

 後ろから身体をまさぐってくるカイを努めて無視しながら、ゴーレムの馬に乗ったクレマンティーヌは改めて自らの目的を考える。

 

 まず第一は、スレイン法国の諜報部隊、風花聖典からの完全逃亡だ。

 これはカイという小汚い助平親父を利用する方向で進めている。

 カイの持つ能力とアイテムは間違いなくクレマンティーヌの今後に役立つ。

 機嫌を取るためにクレマンティーヌの戦士としての力ではなく()を差し出さなければならないのは業腹であるが得られる物は大きい。

 

 そして第二は、自らが所属する組織ズーラーノーンをどうするかだ。

 このことについてクレマンティーヌはあまり深刻に受け止めてはいない。

 ズーラーノーンは元来、何かのために常時活動している組織ではない。

 盟主からの召集には従うが、ほとんどの高弟は自分の野望に向かって動いている。

 

 ズーラーノーンから召集が来る前に、ひとつでも多くのマジックアイテムをカイから巻き上げること。

 それがさしあたってのクレマンティーヌの目標となった。

 

 ■

 

 王都に入るときにさしたる問題はなかった。

 城壁で囲まれたエ・ランテルとは違い商人以外の審査はあってないようなもので、名前と出身地、王都に来た目的を審査官に説明するだけだ。

 審査官はそれらを何かに記している様子もない。

 クレマンティーヌは以前()()で使った偽装身分(アンダー・カバー)を用い、その関係者ということでカイを審査官に説明する。

 

 ピアトリンゲン伯爵領から仕事を探しに来たクレマンとカイの二人組。

 

 これが王都での二人の偽装身分(アンダー・カバー)になる。

 人の出入りでごった返す南門を抜け、クレマンティーヌとカイは通りの外れに出た。

 あまりにスムーズな王都訪問にむしろカイは不満顔である。

 

「ザルみてえな審査だなぁ」

「夜になればほぼ素通りだしねー。こんなんだから犯罪者が増え続けているんじゃないかなー、けけっ」

「犯罪者って、お前ぇみたいなのがかぁ?」

「失礼だなー。私はピアトリンゲンの村娘クレマンだよ。ねえ。ピアトリンゲンのカイちゃん?」

「だいたいピアト……なんとかってどこだ? ホントにそんな場所があんのか?」

「あるよー。アーグランド評議国の近く、だね。他にもビョルケンヘイムとかもあるけど、あそこは領地が狭すぎでねー。出身者とかち合うと不味いと思って使わなかったけど」

「ほう。肉壺なりに考えてるじゃねえか」

 

 リ・エスティーゼ王国の地域の情報を流してみるが、カイはあまり関心を示さない。

 クレマンティーヌは別の話題を振ってみることにした。

 

「ピアトリンゲンには王の関係者が嫁いだけど大した名産がないからねー。()()()()()()王都やエ・ランテルに出稼ぎに出る人間が多いんだよ」

「……そんなしけた場所に王家が嫁ぐってのはどういうこった? 国境近くだからか?」

「まぁそんなとこ。上級貴族は国境維持なんかで力を使いたくないからね。そういうのは王派閥に任せちゃう」

「この国は王と貴族の仲が悪いってことか」

「国の歴史が長いからねー。代替わりしていくうちに支えがなくなって危ういバランスになってるんじゃないかな」

「ふん。メンドくせえ話だ」

 

 リ・エスティーゼの国情にもカイは興味がないようだ。

 

「おいクレマン。お前が言ってたできないことはないって娼館ってどこにあるんだぁ?」

「んー。知らなーい」

「使えねえ肉壺だな、おい」

「だーかーらー。前に来たのは仕事だったから私は遊んでないって」

「ふん。仕方ねえ。王都の観光がてら娼館でも探すとするか」

 

 不満げに通りを見回すカイの袖をクレマンティーヌが掴む。

 

「まずは冒険者組合っしょー。あれを金に換えないと娼館を見つけても遊べないよ」

 

 ■

 

 クレマンティーヌは冒険者組合に赴くと、慣れた様子でモンスター討伐の申請を行う。

 持ち込んだモンスターの耳や角の数に驚いた受付嬢は、クレマンティーヌとカイに冒険者への登録を強く勧めてきた。

 

「この冒険者組合は素晴らしいところですよ。なんといっても王国のアダマンタイト級が2組とも登録しておられるんです」

「あー。朱の雫と蒼の薔薇だね。知ってるよー。凄いよねー」

「おいクレマン。何者(なにもん)だ、そりゃ? ……ぐえっ」

 

 受付嬢の表情が強張り、クレマンティーヌの肘がカイの脇腹に突き刺さった。

 

「カイおじさん、長く引きこもってたしねー。あんまし世間の事、知らないのも仕方ないよねー」

「てめ……う……」

 

 文句を言おうとしたカイはクレマンティーヌの「話を合わせろ」的な表情を見て口ごもる。

 

「そ、そうだな……」

「色々と勉強しなくちゃだよー。だからお姉さーん。冒険者登録はもう少し落ち着いてからにするね」

「……は、はい。お待ちしています」

 

 クレマンティーヌはカイの腕を引きずりながら冒険者組合の外に出た。

 

 特にチーム名を名乗ったわけではなかったが、クレマンティーヌの姿を見た者たちから二人が「チーム獣耳(ケモミミ)」と呼ばれるようになったが、それはまた別の話である。

 

 ■

 

「てめー何しやがんだ!」

 

 組合の建物から離れ、人気のない路地まで移動したところでカイはクレマンティーヌに詰め寄った。

 当のクレマンティーヌは呆れ顔だ。

 

「カイちゃん。常識知らずはしょうがないけどさー。人の多い場所でアダマンタイトを馬鹿にするのは厳禁だよー」

「あー? そんなに人気者なのかよ、そのアダモちゃんは」

「アダマンタイト! そうだね……。英雄。生ける伝説。人類の守り手。冒険者の頂点ってとこ」

「ほう。そいつぁすげえじゃねえか」

 

 クレマンティーヌはため息をつく。

 

「特に組合なんてどの(クラス)の冒険者が居るかで格が決まるからね。自分のとこに箔つけてくれてるアダマンタイトにケチつけられたらいい顔しないよー」

「なるほどねぇ……クレマンもそういう気の遣い方ができんだなぁ」

「あん? それがカイちゃんが言ってた“てくにっく”だろ」

 

 不満げな顔で腕を組んだクレマンティーヌにカイが聞く。

 

「そういやモンスターを殺った金はどうなった? まさか独り占めしたんじゃねえだろうなぁ?」

「独り占めできるもんならしたいけどねー。査定があるから支払いは明日だよ」

「お、おろろ? それじゃ今日は娼館で遊べねえってことか?」

「そーゆーことだねー。まぁ今日のところは手持ちの金で慎ましく王都観光でいいんじゃない? じっくり娼館を探しながらさ」

 

 ■

 

 まずクレマンティーヌが向かったのは裏通りのさらに奥、真っ当な住民なら訪れる機会もない薄汚れた宿屋だ。

 こういう宿屋はワーカーへの依頼仲介を行っており、必然的に裏の情報が集まってくる。

 そこでクレマンティーヌは娼館の場所を聞き出した。

 

 それからクレマンティーヌとカイが表通りに出る。

 観光で見る王都は古都然としておりエ・ランテルに比べて歴史を感じさせる街並みだった。

 ただし歴史に興味のないクレマンティーヌにとっては、年代物の建築物よりその間から滲み出る猥雑さの方が好みだ。

 年代物の建築物や規範なら、スレイン法国で嫌というほど味わっている。

 

「王城の近くだと、歩いて行くのはメンド臭いなー」

「ホントにそのひとつしかねえのかぁ?」

「昔はいっぱいあったらしいけどねー。奴隷売買が禁止になってほとんどの店が商売替えしたってさー」

 

 カイが難しい顔になった。

 

「ふん。潔癖症の王様が浄化作戦でもしたかぁ?」

「そこんとこ事情がややこしくてねー。奴隷禁止を打ち出したのは第二王子とまだ子供だった王女。王様と第一王子は奴隷禁止には及び腰だったみたい」

「奴隷で金儲けでもしてたかぁ」

「んー。当たりじゃないけど外れでもないなー。奴隷で儲けてたのは貴族だよ。それを仲介していたのが裏の人間。貴族の儲け口を潰す事になるから、事なかれ主義の王様と貴族派閥寄りの第一王子は見過ごしたかったみたい」

「そんじゃ第二王子が潔癖症のやり手だったってか?」

「それは外れー。それがなんと王女様だね。“黄金”って言われるくらい綺麗で国民に人気なんだよー。王位を争ってる王子二人よりもね」

「お前ぇは、その王女様とやらを見たことあんのか?」

「うんにゃ。話だけー。で、大人気の王女様が公の場で奴隷廃止を口にしちゃったもんだから騒ぎになってね。この国にしちゃ異例の早さで制定執行されちゃったワケ」

 

 クレマンティーヌはカイの顔を覗き込むが何を考えているかは読み取れない。

 しゃべりすぎたかと思ったがクレマンティーヌ個人に関わることでなければ大丈夫だろう。

 もう少し情報を出してカイの様子を見ることにする。

 

「そういえばさ。さっきのモンスター討伐の報奨金だって、その黄金の王女様のアイディアが元になっているらしいよー。すっごいよねー。王族で美人で頭がいいなんてね」

「ふん。持ってる奴は生まれながらに持ってるってことか……」

「なに黄昏てんのさー? 初心(うぶ)で綺麗な王女様だよー。カイちゃん狙わないの?」

 

 クレマンティーヌは挑発的な笑顔を見せ、カイの顔は険しいままだ。

 

「貴族と争ってるような王族が初心(うぶ)なワケねえだろうが。今頃愛人とよろしくやってるぜぇ」

「んー。そこには私もさんせー。そんで、愛人とよろしくやってる初心(うぶ)な王女様の尽力で、この街に残ってる娼館はひとつだけになりましたーと」

「ふん。そのことだけは初心(うぶ)だろうがなんだろうが王女様に感謝しなくちゃならねえなぁ」

「?」

 

 カイの言葉の意図が掴めなかったがクレマンティーヌは疑問を口にはしない。

 

「そういや、さっき聞いた話だとアダマンタイト級冒険者が娼館について調べているらしいねー」

「アダモちゃんが? なんでだぁ?」

「……知んなーい。なんたって英雄だからねー。悪い商売を叩き潰す準備だったりして」

 

 カイの表情に焦りが見えたことにクレマンティーヌは喜びを見出す。

 キョロキョロと通りを落ち着きなく見回し、やがてカイの視線が止まった。

 

「そんじゃこっちも急ぐとするか」

 

 そう言うとカイは馬車が集まっている広場に向かって歩いていった。

 

 ■

 

 カイは商人と交渉して王城付近まで荷馬車に乗せてもらえることになった。

 そしてクレマンティーヌもカイから貰った外套(マント)を被って同じ荷馬車に乗り込んだ。

 クレマンティーヌは商人が運んでいる荷物を物色しながら、カイは荷馬車の見張りと世間話をしながら、王城までの時間を過ごした。

 やがて馬車が王都の本通りに差し掛かり、そこでクレマンティーヌは荷馬車から飛び降り、カイもまた商人に別れを告げて降りた。

 

 多くの馬車と人々が行き交う王都の本通りをクレマンティーヌとカイは歩いていた。

 カイは王城付近の地理を暗記でもするかのように、建築物と脇道を入念に見回している。

 そしてクレマンティーヌは外套(マント)の効果で荷馬車に乗っても気づかれなかったことに味を占め、すれ違う人々の足を引っ掛けたり懐から金の入った袋を掏り取ったりしている。

 していることの悪辣さを考えなければその様子は童女のようだ。

 

「おおっと!」

 

 掏り取った皮袋の重さに浮かれたクレマンティーヌを掠めるようにして4頭立ての馬車が通り過ぎた。

 

「何をやってんだ、この肉壺はぁ」

「だーいじょうぶ。馬車に轢かれるなんてドジは踏まないよー。それにこの外套(マント)なら向こうも気づかないっしょ?」

 

 そう言ったクレマンティーヌの先で馬車が止まった。

 クレマンティーヌとカイは無言で顔を見合わせる。

 馬車から降りてきたのは白髪を綺麗に切り揃えたひとりの老紳士だった。

 

「私どもの馬車がご迷惑をお掛けしました。お怪我はありませんでしたか?」

 

 身長はカイと同じくらいだが、真っ直ぐ背筋を伸ばして立っている分、顔の位置が高い。

 紳士が物腰柔らかく下手に出てきたので、クレマンティーヌは落ち着きを取り戻し、生来の悪戯心が顔を覗かせた。

 

「ほんと、そーだよー。危うく死ぬところ――」

 

 軽く言いがかりをつけようとしたところで何かが胸に当たる。

 カイの手だった。

 

「こら! どこを触って――」

「いえいえ、こちらこそ。連れが年甲斐もなく道端ではしゃいでいたのを止めもせず申し訳ありませんです」

 

 クレマンティーヌを一瞥もせずカイは丁寧な謝罪を返して頭を下げた。

 

「私はピアトリンゲンのカイと申します。この連れと一緒に仕事を求めて、この街にやってきたばかりの田舎者ですぅ、はい」

 

 カイの自己紹介に感銘を受けたのか老紳士も深く頭を下げた。

 

「私はセバス・チャンと申します。セバスと呼んでもらえば幸いです」

 

 いきなり名前で呼んでくれと語る老紳士にクレマンティーヌは戸惑った。

 何か言い返そうとしたが、カイから腕を強く掴まれ言葉が出せない。

 言外にカイはクレマンティーヌに緊急事態を告げていた。

 

「ここは大きな街で人や建物にも趣きがございます。見るところも多く楽しい気持ちになるのは仕方ありませんね」

「セバス様のような立派な方にそう仰っていただけると田舎者の私もほっとしますですぅ」

 

 セバスは懐に手を入れるとカイに皮袋を差し出した。

 

「これはそちらのお嬢さんを危ない目に合わせた私どもからの心ばかりの謝罪です」

「これはこれは。ご丁寧にありがとうございます。ここでお断りするのも失礼ですので、ありがたく頂戴いたします」

 

 カイは皮袋を受け取って握り締める。

 擦れる硬貨の音が、袋に入っている金がはした金ではないことをクレマンティーヌに教えてくれた。

 

「ところでセバス様のお住まいはこの近くですかぁ?」

「はい。この通りの先にある館をお借りしました。私ではなく私が仕えるご主人様が、ですが。私は一介の執事に過ぎません」

 

 王城に近いその一帯は高級住宅街だ。

 そんな場所にある館を借りることができるこの男の主人はかなりの資産家なのだろう。

 

「セバス様がお仕えするご主人様がお借りになったところですかぁ。さぞや立派なお屋敷なんでしょうなぁ」

 

 クレマンティーヌさえも好感を持ってしまうような笑顔をセバスは浮かべる。

 

「そう望んでいます。実は今日初めて中に入るのですよ」

「おろろ。そんな目出度い日を私めがお邪魔立てして申し訳ありません」

「いえいえ。このような良き出会いがあったのも、その館が持つ運なのかも知れませんね」

 

 セバスが笑みを浮かべ、カイもまた笑みを浮かべる。

 だがクレマンティーヌの腕は強く掴まれたままだ。

 

「セバス様はこの王都にしばらく居られるのですかぁ?」

「仕事の都合もありますが……問題がなければしばらく滞在しようかと思っています」

「それはありがたい。私も仕事が見つかった折には、ご挨拶にお伺いしたいものですねぇ」

「ええ。いつでもいらしてください。歓迎させていただきますよ」

 

 セバスの言葉に嘘やお為ごかしは感じられない。

 カイはもう一度頭を深く下げた。

 

「それでは、ご主人様によろしくお伝えくださいませ、はい」

 

 ■

 

 走り去る馬車に向かってカイは何度もお辞儀をした。

 馬車が角を曲がって見えなくなると、すぐにクレマンティーヌの腕を掴んで人気のないわき道に入る。

 

「……誰、あの爺さん? 知ってんの?」

 

 クレマンティーヌはカイの手を振り解きながら聞く。

 

「いや。初めてだ。あの爺ぃ恐ろしく強えぞ」

 

 いつもへらへらと嫌らしい笑みを浮かべているカイの顔は真剣そのものだった。

 血色の悪そうな色の額にうっすらと汗まで浮かべている。

 

「おい、クレマン」

 

 大通りの様子を窺いながらカイが何かを放り投げる。

 クレマンティーヌが受け取ったのは美しい彫刻が施された指輪だ。

 

「それを付けとけ。どんなことがあっても外すんじゃねえぞ、いいな」

「……なにこれ?」

「お前ぇは色々と見せすぎなんだよ。慎みってモンを理解しろ、馬鹿野郎」

 

 カイの説明では、この指輪を装備することで能力の隠蔽ができるらしい。

 

「ふーん。この指輪がねー」

 

 左手の薬指につけた指輪をクレマンティーヌはしげしげと眺める。

 周囲が薄暗い中、僅かな光を集めた指輪は煌めいて見えた。

 

「んー。自分じゃ効果の実感はないなー。カイちゃんもこの指輪を装備してんのー?」

「俺はお前ぇと違って、正体がバレない技術(テク)があんだよ」

 

 確かにエ・ランテルの死体安置所で初めて会ったときから今まで、カイから強者の殺気を感じたのは銀の板に触れたときの()()だけだ。

 だが口調は自慢げでもカイの表情に余裕はない。

 

「……さっきの爺ぃ相手に隠しきれたかどうかは知らねえけどなぁ」

 

 カイの言葉には明らかな不安と恐れがあった。

 

「ともかく娼館に乗り込めそうなくらいの金は入ったんだ。さっさと娼館を見つけるぞ」

「んじゃ、それが終わったら、あの爺さんのところに挨拶に行く?」

「馬鹿野郎。死ぬほど危ねえ場所が分かったんだ。さっさと用事を済ませて、この古臭い街からずらかるぞ」


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