疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。健康体。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの中年親父。健康体。

オロフ:娼館の受付兼用心棒。喧嘩傷多数。


第7話「疾風走破、邂逅する」

 ■

 

 王都中央部から少し離れた狭い路地の奥に娼館はあった。

 店はクレマンティーヌが拍子抜けするほど簡単に見つかったが中には入れてもらえなかった。

 予定のない客を受け入れるのは日が暮れてからであり、それより前――いわゆる営業時間外――に入店できるのは予定を入れた者か予定を入れられるような強力なコネがある者だけだ。

 強面の大男からそう説明を受けたカイはいつものニヤニヤ顔を浮かべながら素直に引き下がった。

 

「あんなの押し入っちゃえばいいじゃん」

 

 狭い路地を進みながらクレマンティーヌは不満そうな顔でレイピアの柄をいじくっていた。

 

「お前ぇと違って切った張ったは御免なんだよ。俺が血ぃ見るのは処女か生理の女を犯すときだけで充分だぜぇ」

 

 クレマンティーヌは呆れ顔になる。

 そんなクレマンティーヌを尻目にカイは建物の壁に沿って時折、上を見ながら歩いている。

 

「なに? 店の大きさでも測ってんの?」

 

 クレマンティーヌの問いには答えず、カイは何かを考える素振りを見せた。

 

「娼館を調べてるってアダモちゃんはどっちの方だ?」

「たしか青いほうじゃなかったかな?」

 

 もはやカイのボケにクレマンティーヌは付き合わない。

 

「そんなかに忍者はいるか?」

「んー? 聞いた話じゃ蒼の薔薇の構成は魔法詠唱者(マジックキャスター)が二人に戦士が一人、あとは盗賊が二人だったかなー。その“にんじゃ”ってのは盗賊系? だったらその二人が怪しいんじゃない?」

 

 以前、風花聖典から聞いた情報を口にする。

 クレマンティーヌ個人に関わりのない情報であれば常識知らずに常識を教える(ガイド)くらいはしてやるのも悪くない。

 考えている様子のカイを見てクレマンティーヌはあることに気づいて周りに視線を走らせた。

 

「……もしかして誰か居た?」

 

 その問いには答えずカイはいつものニヤニヤ笑いに戻る。

 

「どうせ時間を潰さなきゃならねえんだ。せっかくだから、そのアダモちゃんに会ってみるとするか」

「あんれー? 厄介事は御免なんじゃないのー?」

 

 カイが少しだけ眉を上げる。

 

「ふん。ちょこっとお話をするだけだぁ。あちらさんがヒマしてりゃいいんだがな」

 

 ■

 

 アダマンタイト級冒険者チーム「蒼の薔薇」は「朱の雫」と並んでリ・エスティーゼ王国では群を抜いて有名な存在だ。

 通りを歩くだけで話題になり、何かアイテムを買えば使い道が取り沙汰され、あやかりたい者たちが同じアイテムを同じ店で買い求める。

 そんな彼女たちの居場所を探すのは実に簡単だった。

 彼女たちの定宿はあまねく人々に知られており、王城近く大通りの横手にある高級宿屋がそれだ。

 老女の行商人から聞いて辿り着いた宿屋を仰ぎ見てカイが呆れたように言う。

 

「こりゃまたお高そうなところに泊まってんなぁ、おい」

「そーだねー」

 

 クレマンティーヌは生返事だ。

 王都の上級宿屋と言われても、せいぜいエ・ランテルの「黄金の輝き亭」を連想するくらいでクレマンティーヌの興味を惹くものではない。

 そんな物を見る暇があれば隠れ外套(ステルス・マント)を使って通行人をからかうほうがまだ有意義だ。

 ただしその宿屋に泊まっている「蒼の薔薇」についてだったら興味がない訳ではない。

 

 なんといってもこのリ・エスティーゼ王国で自分と()()()らしい戦士ガガーランが所属するアダマンタイト級冒険者チームだ。

 おそらく自らを強者と自負し、戦士として自信を持っているであろうことが想像できる。

 そして、そんな者たちを弄び切り刻むことがクレマンティーヌの楽しみだ。

 ガガーランと直接対峙したことはないが、自分と()()()といってもそこまでだろう。

 集めた情報を総合してクレマンティーヌはそう結論付けていた。

 

 蒼の薔薇の他のメンバーである魔法詠唱者(マジックキャスター)や盗賊に惹かれるものはなかった。

 スッといってドス! で済む話だと思っていたからだ。

 そう。

 黒の鎧で正体を隠していたアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)に出会うまでは。

 あの時以来、遭遇した魔法詠唱者(マジックキャスター)相手にスッといってドス! で済んでいないことが腹立たしくも憎らしい。

 今、宿屋の警備兵と話をしている猫背の男をクレマンティーヌは改めて睨みつけた。

 

 カイは警備兵を体よく丸め込んで宿屋に入っていく。

 クレマンティーヌは隠れ外套(ステルス・マント)を目深に被りカイの後を滑るように付いていった。

 

 宿屋の一階は酒場とラウンジを兼ねた作りになっている。

 部屋の広さに比して客の数が少ないのは、それだけ滞在費が高額であり利用者が少ないことの証左であろう。

 

 ぐるりとまわりを見渡すと蒼の薔薇の居場所は直ぐに分かった。

 部屋の一番奥のおそらく特等席であろう丸テーブル。

 そこに彼女たちは居た。

 席についているのは大きくて四角い女と小さくて仮面を被った人物、そして――。

 

「おいクレマン。ここじゃ何も(しゃべ)んじゃねえぞ。分かったな」

 

 カイが声を潜めてクレマンティーヌに釘を刺す。

 

「なんでー。あの有名な蒼の薔薇なんだよー? 話くらいしてもいいじゃん」

 

 隠れ外套(ステルス・マント)の奥でクレマンティーヌの笑顔が鋭く歪む。

 獲物を見つけ、今まさに襲い掛からんとする肉食獣の笑みだ。

 強者を蹂躙する快楽が蘇り、暴力への欲求が沸き立つが、そんなクレマンティーヌにカイが冷や水をかける。

 

「だから言っただろうが。揉め事を起こす気はねえんだよ。あと外套(マント)も脱いどけ、いいな」

「えー」

 

 肉食獣の笑みを止め、わざとらしく頬を膨らませクレマンティーヌはむくれた振りをする。

 だがカイの言葉には逆らわない。

 渋々と隠れ外套(ステルス・マント)を脱ぎ、腹と脚を露出した服と帯鎧(バンデッド・アーマー)の姿になる。

 レイピア、そして猫耳と尻尾は装備したままだ。

 酒場とラウンジにおぉと小さな感嘆の声が上がった。

 それを確認したカイが歩き出し、クレマンティーヌがその後をついていく。

 

 真っ直ぐに自分たちに向かってくる二人組に蒼の薔薇も気づいた。

 怪訝な面持ちでクレマンティーヌとカイを見ている。

 

 あの大きく四角い女がガガーランか。

 顔つきも体格も戦士としての自信に満ち溢れている。

 クレマンティーヌは頬が緩むのが抑えられない。

 その鍛えられた肉体を、揺るぎない自信を、寸刻みで切り裂けたら、どれだけ気持ちが良いだろう。

 

「どうもぉ、こんにちわぁ」

 

 国中に名が知れた英雄に対するものにしては、カイの挨拶はあまりに素朴だ。

 大きく四角い女――ガガーランが訝しげな表情のまま小さな仮面の――おそらく女であろう人物をちらりと見る。

 

「見ない顔だな?」

「はぁい。本日この街に来たばかりの田舎者で、ピアトリンゲンのカイと申します」

「そっちの女は?」

「こちらはただの肉壺ガイドですぅ。蒼の薔薇の皆さんの大ファンだというので連れてきただけなので、お気になさらずに」

 

 ガガーランと仮面の女が揃ってクレマンティーヌを見た。

 カイの紹介の仕方と二人の遠慮のない視線に怒りを覚えたが我慢して軽く会釈する。

 

「俺たちのファンにしちゃ、あんまり嬉しそうには見えないな」

「緊張してるんですよぉ。好きすぎて変なことを口走らないよう、さっき言い含めたばかりでして」

 

 蒼の薔薇の二人は明らかにカイの話を信じていない。

 当たり前だ。

 そんな馬鹿な話を誰が信じるものかとクレマンティーヌは思う。

 ヘラヘラと笑うカイの首をレイピアで切り落としたい衝動に駆られる。

 

「身体つきは戦士っぽいな」

「用心棒といったところか」

「あの耳と尻尾はなんだ? あんな獣人(ビーストマン)は知らねえぞ?」

「あれは飾りだな。なんらかのマジックアイテムっぽいが……」

「強さはどうだ? 分かるかイビルアイ?」

「感じない。だが分からんな。力を隠している可能性がないとは言い切れん」

 

 カイの紹介はどこへやら、蒼の薔薇はクレマンティーヌの正体について意見しあっている。

 本人を目の前にした人物評価にクレマンティーヌは(はらわた)が煮えくり返る思いだが、仮面の女――イビルアイが探知防御の可能性に言及しているのには感心した。

 この仮面の女もそういう装備を持っているのかも知れない。

 

「で? 今日この王都に来たばかりのカイさんが、俺たちに何の用だ?」

 

 蒼の薔薇の中での意見の一致は取れたらしく、改めて大女ガガーランが用件を聞いてきた。

 カイのニヤニヤ笑いは変わらない。

 

「失礼を承知で蒼の薔薇の皆さんにお聞かせしたい話がございます、はい」

「依頼なら組合を通してくれ。引き受けるという確約はできないがな」

「冒険者組合には話せない事情がございましてぇ、はい。実は例の娼館の話なんですよぉ」

 

 カイの言葉に場の雰囲気が剣呑なものに変わる。

 

「……ほう」

 

 イビルアイが呟くと同時に周囲の音が遠くなった。

 以前、カイが使った周囲の音を遮断する魔法が使われたようだ。

 アダマンタイト級の魔法詠唱者(マジックキャスター)ともなればこの程度の魔法は常備しているものなのだろう。

 

「ちょっと細工をさせてもらった。続けてくれ」

 

 仮面の女――イビルアイが促すがカイはすぐには話さない。

 何かを探すように周りをきょろきょろと見回す。

 

「蒼の薔薇は5人組とお聞きしましたが……他の皆さんはどちらに居られるのですかぁ?」

「さあな。いつも全員でつるんでるワケじゃないさ」

「なるほどぉ。皆さんそれぞれお一人でも動けるほど実力があるんですねぇ、くっくっく」

 

 カイの口振りに不穏なものを感じたのか、ガガーランの表情が険しくなる。

 

「気になる言い方をするな?」

「思ったことを口にしただけですぅ。お気に障ったのでしたら謝りますです、はい」

 

 カイが奥の壁、テーブルの陰に声をかける。

 

「ところで、そちらのお嬢さんもお座りになったらいかがですかぁ?」

 

 少し間を置いて、丸テーブルの陰から滲み出るように姿を現したのは黒い衣装の女だ。

 

「このおっさん、目ざとい」

 

 女が着ている黒い衣装は身体に張り付くようなもので、部分的にはカイの服にも似た雰囲気がある。

 この女が二人の盗賊の片割れだろう。

 クレマンティーヌも女盗賊の存在には気づいていた。

 話すなと言われたから口にしなかっただけだ。

 

「すまないな。職業柄、俺たちは誰が相手でも警戒しとくんだ」

「いえいえ。常在戦場。腸内洗浄。万事において用心深く準備万端整えるのは至極当然のことでございます、はい」

 

 そう言いながらカイはするりと椅子に座った女盗賊を見つめていた。

 

「はてぇ? お嬢さん。先ほど街でお会いしませんでしたかぁ?」

 

 ガガーランがちらりとイビルアイを見る。

 その様子に何か思い当たる節があるとクレマンティーヌは判断した。

 女盗賊の表情は変わらない。

 

「そういう声のかけ方は古い。それにおっさんは対象外」

「あらあらぁ。手厳しいですねぇ、くっくっく。ですがお嬢さんに似た方を見かけたのは本当ですよぉ。なるほど他人の空似というヤツですかぁ。世の中には似た人間が3人は居ると言いますからねぇ」

 

 そんな話をクレマンティーヌは聞いたことがない。

 こんな格好の女が二人といてたまるか、と中々本題に入らないカイにクレマンティーヌはいらいらする。

 そして、いらついていたのはクレマンティーヌだけではなかった。

 

「回りくどい男だな。私たちに何の情報(ネタ)を売りたいんだ?」

 

 イビルアイも焦れていたのか語気を強めてカイに訊ねる。

 

「これはこれは話が早い」

 

 誰の許可も取らないままカイは椅子に腰を下ろした。

 

「実のところ、これからその情報(ネタ)を取りに娼館に赴くところでして」

 

 蒼の薔薇に困惑が広がった。

 無表情な女盗賊も仮面のイビルアイからも理解不能の雰囲気が漂う。

 

「……あの店に忍び込むのか?」

 

 岩のような顔に素直な戸惑いの表情を浮かべているガガーランがカイに確認した。

 

「いえいえ。お客として正々堂々とお邪魔するつもりです、はい」

 

 ガガーランは苦虫を噛み潰したような表情になった。

 その様子を気にすることなくカイは話を続ける。

 

「お店のサービスをたっぷりと堪能した上で、そのついでに蒼の薔薇の皆様がご所望している情報(ネタ)を集めてこようかと考えております、はい。どんな情報(ネタ)をお求めか教えていただければ、あの娼館の中にある範囲でならお持ちしますですよぉ」

 

 沈黙が丸テーブルを包んだ。

 そして沈黙を破るのは、沈黙の原因であるカイだ。

 

「いかがでしょう? さすがのワタクシもお店にない情報をお渡しすることはできませんから、御代は情報(ネタ)を見てからご判断いただくということで」

「つまり、これから現場に行くから、私たちが何の情報(ネタ)を求めているか教えてくれ、ということか?」

「はぁい。誰も欲しがらない(ニーズのない)情報を集めるよりは、お客様が欲する商品だけをご用意する方が効率的かと思った次第ですぅ」

「ふざけるな!」

 

 イビルアイがテーブルを叩いた。

 

「私たちが何を探っているか知って次はどうする? その情報を八本指にでも売るか? それを知れば情報を闇に葬るのも容易いだろうな」

「おや? ワタクシがその八本指とやらの仲間と仰いますかぁ?」

 

 イビルアイの怒気が膨れ上がる。

 

「当たり前だ! そんな露出狂じみた女の用心棒を連れて、私たちに交渉を持ちかける男がまともな人種の訳があるか。さしずめ警告にでも来たつもりだろう。もし私たちと事を構える気があるなら、そこの女だろうが六腕だろうがいつでも相手になるぞ!」

 

 イビルアイに指を指されクレマンティーヌは笑顔を邪悪に歪ませた。

 カイのニヤニヤ笑いは変わらない。

 

「落ち着けイビルアイ」

 

 ガガーランがイビルアイをたしなめる。

 だが、そんな彼女もカイに不信感を抱いていることを隠そうとはしない。

 

「あんたが何者かは知らんが俺たちから話すことはない」

「娼館に関して特に欲しい情報はないと仰るので?」

「それについても言うことは何もない。あんたの話はもちろん、あんた自身が信用できないからな」

 

 ガガーランからの明確な拒絶の言葉にカイは小さく頷いた。

 

「仰ることはよぉく分かります。どんな仕事でも信用がなくては大きな成果は生まれません。今回はワタクシめの言葉が足らず、蒼の薔薇の皆様に不愉快な思いをさせたこと、深くお詫び申し上げます、はい」

 

 カイが深く頭を下げ、それからゆっくりと立ち上がった。

 

「それでは、他のメンバーの方にもよろしくお伝えくださいませ」

「そちらも達者でな。まぁ、二度と会うことはないと思うが」

 

 怒りを抑えたイビルアイが皮肉混じりの返事をする。

 蒼の薔薇の不信感に満ちた視線を浴びながら、カイはいつものニヤニヤ笑いを見せつつ踵を返す。

 クレマンティーヌは三人のそれぞれの姿を改めて確認してからカイの後についていった。

 

 ■

 

「振られちゃったねー?」

「……うるっせぇなぁ」

 

 宿屋を出て直ぐに隠れ外套(ステルス・マント)を被ったクレマンティーヌがカイを茶化す。

 

「もうちょっと女の口説き方、考えたほうがいいんじゃないのー」

 

 クレマンティーヌの軽口を聞いている素振りも見せずカイは周囲に目を走らせていた。

 

「なんだったら私が教えてあげてもいいよー。マジックアイテムと交換でさ、けけっ」

 

 蒼の薔薇との邂逅はクレマンティーヌの気分を少しだけ高揚させていた。

 情報でしか知らなかったガガーランをこの目で確認し、全員ではないがアダマンタイト級冒険者「蒼の薔薇」を見定めることが出来た。

 仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)イビルアイの強さが読めなかったのが気がかりだが、あれだけ感情的な性格ならば付け入る隙はいくらでもあるだろう。

 あとはこの高揚感を発散できるような切り殺し甲斐のある人間がどこかにいればいいのだが――。

 

「おいクレマン」

 

 通りを歩いている中から犠牲者を物色していたクレマンティーヌにカイが話しかけた。

 

「なーにー? 私の教えを請う気になったかなー?」

「八本指ってなんだ?」

「……何? カイちゃん、八本指を知らないのぉ?」

 

 クレマンティーヌは素で驚きの声を上げた。

 

「ああ。あのチビにテキトーに話を合わせただけだぁ」

「じゃあ、もしかして六腕のことも?」

「聞いたこともねえ」

 

 先ほどまでの高揚感が消え失せ、倦怠感がどっと肩にのしかかった。

 八本指と六腕についてクレマンティーヌはカイに説明する。

 

「あっきれた。娼館を取り仕切ってる組織も知らないでよくもまあ蒼の薔薇と取引しようなんて考えたね」

「別にいいだろうが。こっちが店に行くことは教えたんだしよぉ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは真顔になる。

 

「なに? 取引なんてどうでも良かったっての?」

「顔見せだよ顔見せ。営業の第一歩だぜぇ。あいつらの仲間が建物のまわりをウロチョロしてやがったしな。いきなり店内で出くわして大立ち回りなんてことになったらメンドくせえからなぁ」

 

 これから娼館に行くことをカイは蒼の薔薇に話した。

 そしてカイが油断できない相手だということも伝わったはずだ。

 蒼の薔薇が娼館を探っているなら、たとえ店内で遭遇したとしてもカイの様子を見るだろう。

 しかしそれはクレマンティーヌからすれば手間をかけ過ぎているようにも思える。

 

「回りくどいことするねー。邪魔するなって言えば一発じゃん」

「それじゃあ小遣い稼ぎもできないだろうが」

「あー。金は欲しかったんだ?」

「だから、うるせえって言ってるだろうがぁ」

 

 気づけば二人は上級宿屋から大きく離れ、各種店舗が立ち並ぶ王都の目抜き通りに立っていた。

 

「それじゃ娼館が開くまで“でえと”と洒落込もうじゃねえか。クレマンの奢りでなぁ」

「えー? 私お金持ってないよー」

 

 クレマンティーヌは両手をひらひらさせる。

 

「しらばっくれるんじゃねえ。さっき善良な市民の懐から掏ってただろうが。俺様の外套(マント)を使ってよぉ」

 

 嫌らしい笑いを浮かべて勝ち誇るカイにクレマンティーヌはため息をついた。

 

「ほんっと。目ざといおっさんだねーカイちゃんは」

 

 ■

 

「おい。そろそろだぜ」

「ああ」

 

 強面の大男がテーブルの前を通り過ぎ、食事をしていた大男が立ち上がる。

 肉をかじり取った骨を投げ捨て、酒精混じりのげっぷを漏らした。

 床に落ちた骨は部屋を掃除している暗い顔の痩せた女が拾って片付ける。

 大男はゆっくりと歩いて扉の横に立った。

 

 オロフ・オルフソンは娼館の受付だ。

 受付といっても看板を出したり客引きをしたりする必要はない。

 ここに来る客は皆、ここが何の店かを知っている。

 オロフがするのは入口に立ち訪れた者の相手をするだけだ。

 そしてこういう仕事の場合、受付というのは用心棒も兼ねている。

 今の時間に待機室に居る受付はオロフと同僚の二人だ。

 そして廊下に立つのは今の時間からオロフの番だった。

 

 オロフがこの仕事に就いて、そろそろ1年になる。

 この仕事の前は父親の跡を継いで貴族の御者をしていた。

 他の貴族の御者と馬車を停める位置で揉めて暴力沙汰を起こし暇を出された。

 ただし暇を出されたと言っても儀礼的なものに過ぎない。

 主人同士の仲が良かったため、あくまでお互いの体面上の措置だ。

 主である貴族も時が経てば元の御者に戻すと話していた。

 

 とはいうもののオロフ自身、娼館の受付の仕事に不満はなかった。

 仕事は交代制で食事は好きなときに食べられるし酒も飲める。

 御者のときのように身なりに気を使わなくてもいい。

 特に有難いのは客への対応がほぼオロフに一任されていることだ。

 馴染みでない客に対しては、恫喝や暴力行為で追い払うことも許されている。

 気に入らない客を恫喝して金だけを巻き上げ店から叩き出したことも数知れない。

 それがオロフの懐と暴力欲求を満たし仕事への情熱となっていた。

 

 オロフが受付の場に立ってすぐ荒々しく4回、入口の扉を叩く音が聞こえた。

 店の客という合図だ。

 扉に近づいて覗き窓を開けると、そこには昼間に追い払った小汚い中年親父のニヤニヤ笑いがあった。

 

「そろそろお時間ですが、こちらやってますかぁ?」

「ふん。手前ぇか……入んな」

 

 鍵を開け扉を開けるとニヤニヤ親父はするりと足音も立てずに入ってきた。

 ドアを閉めようとしてオロフはふと違和感を感じ周りを見回すが特に変わったことはない。

 気のせいだと思い直して扉を閉め鍵を掛ける。

 

「金はあんだろうな?」

「もちろんですよぉ、くっくっく」

 

 男は懐から皮袋を取り出し昼間に伝えた金額をオロフに手渡した。

 手に伝わる上品な重さが金貨が偽物でないことを示している。

 吹っかけたつもりだったが、このみすぼらしい中年親父は簡単に大金を出してきた。

 どこの田舎者かは知らないが、この様子ならまだまだ金を隠し持っているに違いない。

 

「ずいぶん羽振りがいいじゃねえか。どこで盗んできたんだ? ん?」

「盗むなんて人聞きの悪い。親切な紳士から謝罪でいただいた大事なお金ですよぉ」

「そうかい。今度、その親切な紳士を俺にも紹介してくれよ」

「はぁい。ここでヤることをヤればワタクシめもそのくらいの余裕ができますです、はい」

 

 軽く脅したつもりだったが男は白を切ってるのか鈍いのか気づかない振りをする。

 それなら遊びが終わったときに脅せばいい、とオロフは頭を切り替えた。

 

「選ぶのは女でいいんだな?」

「はぁい。ちなみにそこの女性は使えますでしょうかねぇ?」

 

 男は待機部屋の隅で掃除をしている金髪の女を指差した。

 

「こいつかぁ? こいつも女っていやあ女だが……」

 

 掃除の手を止めた女はオロフと中年の男を見つめおどおどしている。

 待機部屋に居たオロフの同僚も少し戸惑っていた。

 

「おっさんよぉ。奥にもっとましな女はいるぜ?」

 

 肌も露わに着飾ったオロフ好みの女が数人いたことを思い出す。

 

「お気遣いありがとうございますぅ。なんといいますか、その女性の身なりや仕草になにやら輝くものを感じましてぇ。彼女ならワタクシを満足させてくれる、そんな気がしたのですよぉ。なるほど、これが運命というものかも知れませんねぇ、くっくっく」

 

 男はオロフの提案をやんわりと断った。

 

「この店に来て運命とは笑わせるな、おい。どうせヤることをヤるだけだろうが」

 

 オロフと同僚が大笑いしたが、親父はニヤニヤと笑いながらも口振りは真剣だった。

 

「はぁい。ヤるにしても、そういう閃きやときめきが大切だと思っているんですよぉワタクシは。ですが先ほどお渡しした料金を割り引いていただけるのであれば、ぐっと我慢をして別の女性にお願いしても構わないのですがぁ?」

 

 妙にこだわる男の言葉をオロフは聞き飛ばした。

 客への助言はオロフの仕事ではない。

 

「わかったわかった。そんじゃここに名前を書け」

 

 羊皮紙を束ねた台帳を取り出してオロフは親父に記名するよう促した。

 だが親父はペンを取ろうとしない。

 

「まことにすみませんがぁ。ワタクシ、読み書きができないのでございますよぉ。そちらの台帳にはピアトリンゲンのカイと記していただけないでしょうかぁ?」

「そうかい。なら代筆は別料金だぜ?」

「わかってますよぉ。こちらでお願いします」

 

 ニヤニヤ笑いの中年男――カイから銀貨を受け取りオロフは台帳に名前を書く。

 農村の出身で読み書きができない者は珍しくない。

 オロフは父親の代から貴族に仕えていたので読み書きは習っていた。

 いつのまにか興味深そうにカイが台帳を覗き込んでいる。

 

「なんだ? 俺の字に文句でもあんのか?」

「いえいえ。なかなかの達筆ですよぉ。なるほどぉワタクシの名はそういう文字なんですねぇ、くっくっく」

 

 カイの口調にいらつきながら貰うものを貰ったオロフは未だ戸惑っている女に命令する。

 

「おい。旦那のご指名だぞ。下の部屋へ案内してやれ」

「あ、あの……まだ……掃除が」

「掃除なんか後だ。旦那が呼んでいるんだ。さっさとついて行きやがれ!」

 

 オロフが髪を掴んで女を引っ立てようとすると、いつのまにか親父の顔がオロフの眼前にある。

 思わずオロフは顔を引いてのけぞった。

 

「おおぉっ!」

「あのぉ……」

「な、なんだっ?」

「どうして乱暴なさっているので?」

「いや……その……こいつがグズグズしてるから……」

「この女とヤるために大金を払ったのはワタクシですが? それとも女が傷ついた分は割り引いて返金いだけるのですかぁ?」

 

 カイの不気味な剣幕に圧されてオロフは手を離した。

 解放された女がカイに気遣われている。

 

「だぁいじょうぶですか? お怪我はありませんかぁ?」

 

 女は自分の頭を押さえながら大丈夫という仕草を見せる。

 

「困りますねぇ。あわや代金支払い済みの商品を使う前にお店の人間に傷物にされるところでしたぁ」

 

 口調こそ丁寧だが、その言葉が自分への厭味であることは分かる。

 オロフは自分の顔が怒りで紅潮するのを感じた。

 そんなオロフを気にすることなく、カイが女の説明を聞きながら隠し扉を開く。

 

「なるほどぉ。こんなところに隠し扉があったんですねぇ。それじゃあお嬢さん。部屋に案内してもらいましょうかねぇ」

 

 地下への入り口に先に女を行かせると、怒りのあまり今にも殴りかからんとしているオロフにカイが話しかける。

 

「お店の人間なら商品を大事にするものですよぉ。ワタクシが心のひろーいお客で、よおございましたねぇ、くっくっく」

 

 カイは片目を瞑ると隠し扉を閉め地下へと消えた。

 

 怒りのあまりオロフは隠し扉にその拳を叩き付ける。

 大きな音が待機部室全体に響いたが、丈夫な扉は微動だにしなかった。

 

 ■

 

 女の案内でカイは部屋に入った。

 もちろん娼館に入るときから隠れ外套(ステルス・マント)を纏ってついてきたクレマンティーヌも一緒だ。

 部屋に入ったカイは、すぐさまベッドに腰を下ろした。

 

「さっすが裏のサービスだ。ベッドもでかい。部屋も立派なもんだ」

 

 カイは身体を弾ませてベッドの感触を確かめる。

 

「この部屋は音が漏れないようになってるんだろ? ねぇちゃん」

 

 待機部屋とは違うカイのくだけた口調に女は戸惑っていた。

 

「は、はい……。どんな大声を上げても別の部屋にも外にも声は聞こえません」

「ここだったら何をしても金さえ払えば問題なしってことだなぁ、くっくっく」

 

 女が陰のある顔をさらに不安げな表情にする。

 

 気づかれることなくその表情を間近で見ているクレマンティーヌの嗜虐心がくすぐられる。

 隠れ外套(ステルス・マント)を脱いで姿を見せたらどれだけ驚くだろうか。

 その痩せこけた身体をレイピアで切り刻んだとき、弱者はどんな反応を見せてくれるのか。

 

「ねぇちゃん。名前は何てんだ?」

 

 藁ではない正真正銘のマットレスベッドに横になったカイが女に尋ねた。

 女は口を開いては閉じ、何度かの逡巡を経てからようやくその名を口にした。

 

「私の名は……ツアレです」


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