疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。欲しいものはマジックアイテム。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。欲しいものは情報?
ツアレ:娼館の娼婦。欲しいものは特に無し。


第8話「疾風走破、音読する」

◇◆◇

 

 ツアレを選んだ男はベッドに座っていた。

 ピアトリンゲンのカイと名乗る奇妙な服を着たその男は下品で、だらしない顔からは情欲が溢れている。

 故郷の村からツアレを連れ出した貴族と同じ顔だ。

 

 貴族の館での生活は確かにツアレの衣食住を満たした。

 だがツアレの心と身体は陵辱と暴力によって踏みにじられ、故郷の村で彼女が見せていた快活さは失われた。

 ツアレは主人である貴族の要求に応じる人形として生きるしかなかった。

 

 やがて貴族は新しい妾を手に入れ、ツアレを娼館に売り飛ばした。

 娼館での暮らしは貴族の館とほぼ同じだった。

 相手をする人間の数が多くなっただけだ。

 

 娼婦として生きていく中、空いた時間ができるとツアレは娼館の中を掃除するようになった。

 掃除をしていれば娼婦として選ばれないだろうという打算もあったが、何より掃除している間は自分の境遇を忘れられたからだ。

 ツアレの拙い目論見は何度も裏切られ、何度も客の相手をさせられた。

 それでもツアレは娼館の掃除をし続けた。

 掃除をし続けるしかなかった。

 

 今夜もツアレの思惑は外れ、娼婦としてこの下品な男に選ばれてしまった。

 選ばれた以上は娼婦として対応しなくてはならない。

 この男からの文句が店に伝われば、より酷い境遇に陥ることが分かっている。

 ツアレは床に跪き上目遣いで下品な男――カイに定型の口上を述べる。

 

「この度は私をお選びいただきありがとうございます。私は旦那様の全ての望みを叶えます」

 

 口上を聞いたカイはすぐには動かなかった。

 ツアレをじっと見つめながら何かを嗅ぎ取るように下品に鼻を鳴らす。

 やがてカイは眉を顰めると呆れたような表情を見せた。

 

「……俺ぁ孕み女をどうこうする趣味はねえんだよ」

 

 その言葉を聞いてツアレの瞳から涙が溢れてきた。

 床に手をついたまま身動きができない。

 少しでも動けば、涙を拭おうとすれば、それだけで泣き声を上げてしまいそうだった。

 カイが言うように自分が妊娠しているかどうかは判らない。

 だが心当たりはいくらでもあった。

 跪いて見上げた姿勢で涙を流し続けるツアレを見てカイが溜息をついた。

 

「まったく……泣きゃあ済むと思ってやがる」

 

 両方の(まなじり)から涙が流れ落ちるまま、ツアレはそうではないと言いたかった。

 力や金のない弱者は泣くしかないのだと。

 

「泣くってことは今の立場を楽しんでるワケじゃあなさそうだな、おい」

 

 ツアレは何も言葉に出来ず、ただカイの顔を見続けるだけだ。

 

「泣いてなんとかなるのは赤ん坊のうちだけだぜ。いや。赤ん坊だって時と場所を選ばずに泣きゃあ、ぶっ殺されるだろうなぁ」

 

 その通りだ。

 泣き叫ぶ赤子をあやすことができず、母子共々貴族から切り殺された話をツアレは聞いたことがあった。

 

「この先、お前ぇがどこで殺されようがの垂れ死のうがしっちゃこっちゃねえが――」

 

 カイはそう前置きする。

 

「ちぃっとでも変わるチャンスが見つかりゃあ、そいつにしがみつくこったな」

 

 そんな機会が来るのだろうか。

 少なくとも今までのツアレの人生においては皆無だった。

 カイは厚い唇を笑いの形に歪める。

 

「1分でも1秒でも長く生きれば、お前ぇを邪魔だと思う奴らへの仕返しになるからなぁ、くっくっく」

 

 その言葉の意味はツアレには分からなかった。

 仕返ししてどうなるというのか。

 長く生きたところでそれは苦しみが長引くだけではないのか。

 そう思ってカイの目を見る。

 だがツアレをからかうような雰囲気はなくその瞳は――濁ってはいたが――真剣に見えた。

 それはカイの――金や力を持つ者の信条なのだろう。

 ツアレはそう思うことにした。

 

「めそめそ泣くのが嫌だったら――」

 

 ふいに横から声をかけられツアレは驚き振り返る。

 

「いつでも言いなよー。泣かずに済むよう私が殺してあげる。ただし楽には死ねないかもねー」

 

 いつの間にか傍らにいた女がツアレの顔を覗き込んでいた。

 その金髪の女の笑顔は、自分を村から連れ出した貴族よりも邪悪で狂気に満ちている。

 

「あ……あなたは――」

 

 そこまで口にしたところでツアレの視界がぼやけ、やがて意識が闇に包まれた。

 

◇◆◇

 

「もしかして殺しちゃったー? んなワケないか。優しいもんねーカイちゃんは」

 

 クレマンティーヌは気を失ったツアレを指でつつきながらカイをからかう。

 

「なんで姿を見せやがった? ここじゃマントを被っとけって言ったろうが」

「だってだってー。あんまりこの女が私をイライラさせるからだよ。良くないよねー。やる気もないくせにめそめそ生きてるだけの人間なんてー」

「……ふん。この(アマ)くらいが普通なんだろ。ここじゃあよぉ」

「やけに肩を持つんだねー? もしかしてこの女に一目惚れしちゃったー? それで優しくアドバイス? 諦めが肝心だよ。特に弱っちいヤツらはねー」

 

 クレマンティーヌのからかい口調にカイはふいに神妙な面持ちになる。

 

「諦めが肝心ってか……。まぁそういうときも来るかもなぁ……」

 

 予想外の反応に訝るクレマンティーヌをよそにカイはツアレをベッドに運んだ。

 エ・ランテルの安宿でベッドに縛り付けられたときのことをクレマンティーヌは思い出す。

 

「カイちゃんやさしー。私のときと全然ちがーう」

「ふん。当たり前だ、馬鹿野郎」

 

 ベッドに横になったツアレの顔をクレマンティーヌがじっと見つめた。

 

「なんだぁ? この女になんかあんのか?」

「……別にー」

 

 ツアレと名乗ったこの女の顔に見覚えのあるような気がしたが勘違いだったようだ。

 クレマンティーヌはすぐに頭を切り替える。

 

「でー? ここで私は何をしたらいいのかなー? 人も殺せないところにいつまでも長居したくないんですけどー」

「まったく。口を開けば死ぬだの殺すだの……。まあいい。お前ぇのここでやるこたぁ簡単だ。まずはさっきの受付で台帳を借りて来い。バレないようになぁ」

 

 子供の使いのようなカイの命令に、かろうじて残っていたクレマンティーヌの緊張感が完全に抜け落ちた。

 

「なにそれ? そりゃ簡単だけどさ……。そんなのカイちゃんが自分でやったほうが早いんじゃない?」

「俺は他にやることがあるんだよぉ」

 

 気を失っているツアレを見てクレマンティーヌはぴくりと顔を顰める。

 

「やること、ねぇ……」

 

 別にカイがこの女をどうしようと関係ない。

 問題はクレマンティーヌがしたいことを我慢しなければならないことだ。

 

「借りて来いって……後で返すの? 持ってくるとき、あのデカブツ二人をぶっ殺しちゃダメ?」

「あったり前だぁ。ここじゃ騒ぎを起こすんじゃねえ。こちとら真っ当な客なんだからよ」

 

 真っ当な客が台帳を覗き見たりしないだろうと思うが、クレマンティーヌの問題はそこではない。

 

「やだなー殺しも出来ないなんてー。それってガイドの仕事じゃないよねー? 契約外任務かー。辛いわー」

 

 クレマンティーヌは棒読みで愚痴を言う。

 言葉は棒読みでもやる気のなさだけはカイにも伝わったようだ。

 

「わかったわかった。ここの仕事が終わったらアイテムをくれてやる」

「え? 本当(まじ)で? それってマジックアイテムだよねー?」

 

 装備している猫耳と尻尾を震わせクレマンティーヌは破顔した。

 あまりに露骨な変わりように、カイは何度目かの溜息をつく。

 

「ああ。だからさっさと行ってこい」

「あとさー。お金は? 見つけたら取っていいのー?」

「バレなきゃな。いいか? 騒ぎは起こすな。殺しはすんな。急げ。分かったな?」

「はいよー」

 

 言うが早いかクレマンティーヌはさっさと部屋から出る。

 ベッドで気を失っているツアレに一度だけ鋭い視線を送りながら。

 

◇◆◇

 

 待機所から台帳を奪うのは簡単だった。

 マントの効果が絶大で隠し扉を開けても閉めても、受付ももうひとりの大男もクレマンティーヌを見ようともしない。

 クレマンティーヌが聞き耳――マジックアイテムではなく自前のほう――を立てると、受付の大男がカイを店を出た後に襲って金を奪う話をしていた。

 予想外の殺し(イベント)の予感にクレマンティーヌの機嫌が良くなった。

 

 鼻歌交じりに台帳を抜き取り羊皮紙の束をパラリと確認すると、中に一枚の羊皮紙が挟んであった。

 そこには娼館を取り仕切っている八本指の幹部コッコドールと王国貴族の名が記してある。

 貴族の来店を知らせる伝書で、よほど急ぎの案件だったのか回収を忘れて、そのままになっていたもののようだ。

 

 王国貴族と八本指の繋がりを示す王国腐敗の明確な証拠だがクレマンティーヌの興味を惹く物ではない。

 返却を前提にした現状維持の意識から伝書を挟んだまま羊皮紙の束を懐に入れると、クレマンティーヌは足早に地下室に戻った。

 

 クレマンティーヌが受付の懐にある金に目もくれず部屋に戻ったのには理由がある。

 自分が居ないときのカイの様子を探るためだ

 痩せっぽちのめそめそ女とよろしくやっていれば嫌がらせのひとつでもしてやろう。

 もしよろしくしてないとすれば、カイの行動が彼の正体を示すヒントになるだろう。

 決してあの女に嫉妬している訳ではない。

 

 部屋の前に戻るとクレマンティーヌは注意を払いながら扉をほんの少しだけ開けた。

 台帳を奪うときとは比べ物にならない用心深さを駆使する。

 多少抜けてはいるがカイという男は、その気になればクレマンティーヌの行動を簡単に把握するだろう。

 要はその気にさせなければいいのだ。

 

 僅かの隙間から見るカイはベッドの上で胡坐を書いていた。

 横にはあの女が静かに横たわっている。

 クレマンティーヌが部屋を出て行ったときと同じ状態だ。

 女に手を出していないカイに半ば安堵し半ば呆れながらその手元を見る。

 エ・ランテルの安宿で見た銀の板を手にしていた。

 カイの表情は真剣そのものだ。

 

 ふと思い出したようにカイは女をちらりと見て、服の裾を持ち上げ中身を覗き込む。

 そのまま行為に及ぶのかと思いきや、カイはそれ以上のことは何もせず、服の裾を戻して銀の板に視線を戻した。

 

 ――餓鬼の悪戯(いたずら)かよ。

 

 程度の低さに呆れるクレマンティーヌだったが、それからカイの行動には変化はない。

 しばらく待ってやがて面倒臭くなったクレマンティーヌは今、戻ってきた風を装って扉を開けた。

 

「たっだいまー」

「……おう。遅かったな」

 

 扉の外に居たクレマンティーヌに気づいていたのかいなかったのか、カイの反応は普通に待っていた者のそれだ。

 

「ちょっと探し物があってねー。ところでこの女には何もしなかったの?」

「孕み女にゃ興味ねえっていっただろうが」

「ふーん」

 

 意味深な笑みをクレマンティーヌは浮かべ、カイは少し慌てたような素振りを見せた。

 

「んなことはどうだっていいんだよ。で、台帳は?」

「はいよー」

 

 クレマンティーヌは羊皮紙の束をカイに手渡す。

 羊皮紙の束を奪い取ったカイは指に唾をつけてめくりだした。

 

「さっきデカいのが書いたのがここんとこか……。なんだミミズがのたくったような字だな、おい」

 

 入店したときには褒めていたことをカイはあっさりと覆す。

 

「おい。これが名前で、これが日付か?」

「みたいだねー。うわー。たしかにきったない字ー」

 

 クレマンティーヌが同意する中、挟んである伝書にカイが気づいた。

 

「んー? この紙はなんだ? 特売のチラシかぁ?」

「んなワケねーだろ! ……この国の貴族が来店するって伝達みたいだねー」

「……ほう」

 

 カイはしばらく羊皮紙を眺めると、そのまま自分の懐に仕舞い込んだ。

 バレないようにと念を押したわりに、その行動は雑に見えるがクレマンティーヌは言葉にしない。

 厄介事(イベント)が起これば自ずと殺しの機会も生まれるからだ。

 

 カイはクレマンティーヌに羊皮紙の束を返した。

 

「んー? もう返してくんの?」

「いんや。台帳の最初のほうから客の名前を読んでけ。声に出してな」

「えーなんでー? 自分で読めばいいじゃん」

「言っただろうが。俺は読み書きできないってよぉ」

「……あー。あれ本当(マジ)だったんだ?」

「いいからっさと声に出して読むんだよ。せっかくの若い(メス)の朗読だ。俺様が勃起するくらい色っぽい声で頼むぜぇ」

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは台帳に記された名前を読み上げていった。

 感情も何もない棒読みでだ。

 始めは文句を口にしたカイも今は腕を組んでクレマンティーヌが読み上げる名前を静かに聞いている。

 そんな二人の横では娼婦の女がこんこんと眠っている。

 

 時折、読み上げた名前に反応したカイが客の来店日を尋ねる。

 記載している日付か、その前後から予想される日付をクレマンティーヌが告げると、カイは例の銀板を見ては難しい顔をしながら板の表面を指でなぞっていた。

 ちらりと板を覗くと娼館の様子が映っているのが見える。

 

 ――遠隔視系のマジックアイテム?

 

 漆黒聖典時代に得た知識からクレマンティーヌが推測するが、それ以上のことは分からないし聞こうとも思わない。

 エ・ランテルの安宿でカイから受けた脅しは、未だクレマンティーヌの心に恐怖を呼び起こす。

 軽口を言い合えるようになったとはいえ、何がきっかけでこの中年男を豹変させるか分からない。

 自らの命を賭して好奇心を満たすつもりのないクレマンティーヌは、カイに言われるまま台帳に記してある客の名前を読み上げ続けた。

 

◇◆◇

 

 地下から床を叩く音が聞こえ、思わずオロフは身構える。

 やがてゆっくりと隠し扉が持ち上がると、扉の隙間から女を背負ったカイがニヤニヤ笑いを浮かべながら顔を覗かせた。

 オロフが呆然とする中、カイは隠し扉を持ち上げ待機室へと上がってきた。

 

「……こ、こっちに来たのか? 裏口じゃなくて?」

「はぁい。ワタクシはその裏口とやらを存じませんので、こちらに戻ってきた次第で。何かご都合が悪かったでしょうかぁ?」

「都合も何も……その女はどうした? 何か言わなかったのか?」

 

 いくら有名とはいえ娼館は裏の仕事だ。

 客は姿や身分を隠して入店し、出るときは裏口からというのが暗黙の了解である。

 

「こちらのお嬢さんは、この通り。よほどお疲れになったのかワタクシとの()()()が終わって直ぐにお眠りになってしまいましたぁ」

 

 なるほど女は規則正しい寝息を立てている。

 オロフは同僚のスタッファンと目配せをした。

 女が説明しなかったというのはオロフに都合がいい。

 客を誘導する口実ができたからだ。

 

「まったくしょうがねえな。表から出られると色々面倒だからよ。ついてきな。案内してやるぜ」

 

 眠っている女をスタッファンに預けると、オロフは自らカイを裏口へと誘導した。

 

◇◆◇

 

 オロフはカイと一緒にもう一度、地下に降りてから別の階段を登り裏口にたどり着く。

 そこにもまたオロフと同様に荒事を得意とする大男が待機していた。

 裏口からカイが出たときにオロフに知らせるよう頼んでいた男だ。

 

「あー。こっちが裏の出口だ。そのー。おっさんは王都には慣れてないんだろう。あんたが分かる場所までこの俺が案内してやるぜ」

 

 オロフの棒読みの口調に裏口の男が今にも笑い出しそうな表情をする。

 だがニヤニヤ笑いのカイにそんなオロフを怪しむ様子はない。

 

「はぁい。ワタクシ、田舎から出てきたばかりでこんなに大きな街は初めてでございます。大きな通りまで案内いただけると助かりますですぅ」

 

 裏口の男に目配せをしながらカイを連れて娼館の外に出る。

 企てが上手く進みすぎてオロフは笑いをかみ殺すのに必死だった。

 後ろから付いて来ているのちらちらと確認しながら、オロフはひと気のない通りへカイを誘導する。

 手ごろな路地に入ったところでカイを脅し、ごねるようなら殺してでも持ち物を奪う算段だ。

 

「なるほどぉ。ここは建て込んでいて分かりませんでしたぁ。こちらを通れば大通りに近かったんですねぇ、くっくっく」

「あ……ああ。そうだぜ。こっちの方が近道だ」

 

 夜の闇に包まれた王都のスラムを、カイは名所でも見ているかのように呑気に歩いている。

 オロフのような腕自慢が傍にいなければ、こんな貧相な中年男など、あっという間に殺されるか丸裸にされるような場所だというのに。

 そんな地域で自分を信じきってるカイにオロフはほくそ笑んだ。

 

 わずかに明かりが残る路地を抜け、少し広い場所に出る。

 左右に逃げ場所がある分、脅しがやり辛いと感じたオロフは、もうひとつ先の路地へとカイを誘導しようとした。

 

「もうちょっと先だぜ。もうちょっとだから心配すんな」

 

 そう言いながらオロフが振り返るとカイは立ち止まっている。

 先ほどと同じニヤニヤ笑いが何か別のものに見えた。

 

「おい。どうした? もうちょっとだぞ?」

「いえいえ。このあたりでようござんすよぉ」

 

 そう言いながらカイは懐に手を入れ、取り出したのは巨大な戦槌(ウォーハンマー)だった。

 服のどこにこれだけの大きさのものが入っていたのか見当もつかない。

 

「な、なんだぁそれは?」

「ご覧の通り戦槌(ウォーハンマー)ですよぉ。すこぉしだけ魔法が付与されておりますです、はい」

「そ、それをどうしようってんだ? ま、まさか、それで俺を殺すつもりじゃないだろうな?」

 

 武器を使われるとさすがの力自慢のオロフでも勝ち目が薄い。

 その武器がマジックアイテムとなれば尚更だ。

 

「お、俺はこう見えても八本指の部下だぞ! お、お、俺に手を出せば、裏の社会がだま、黙っちゃいねえからなっ!!」

「おやぁ? 何か勘違いをなさってるようですねぇ、くっくっく。これはわざわざ()()()()()()を案内してくれた貴方様への感謝の気持ちですよぉ」

「……か、感謝の……気持ちだとぉ?」

 

 カイはゆっくりと近づき戸惑うオロフに戦槌(ウォーハンマー)を差し出した。

 

 訝りながらもオロフは恐る恐る戦槌(ウォーハンマー)を受け取る。

 戦槌(ウォーハンマー)は大きさに比して重さを感じなかった。

 いや。

 戦槌(ウォーハンマー)から流れ込む力が重さを感じさせないのだ。

 

 オロフはマジックアイテムを手にするのが初めてだった

 なるほどこんな物を手にすれば、どんな相手も殺せる気になるだろう。

 

「こ、こいつは……すげえ……」

「気に入っていただけて光栄ですぅ、はい」

 

 戦槌(ウォーハンマー)を手にして強気になったオロフに新たな欲が出てきた。

 この中年男は他にも価値のあるマジックアイテムを持っているのではないだろうか。

 

「おい、おっさん。これだけか? 他にも凄えもん隠し持ってんじゃねえのか?」

 

 オロフの問いにカイはニヤリと笑った。

 それは脅されている男の笑いではない。

 

「いきなりあれもこれもとはいきませんよぉ。取りあえずはそいつをお使いくださいませぇ」

「……取りあえず?」

「コイツとの勝負に勝てば、それを差し上げますよぉ、くっくっく」

 

 カイが滑るように横に移動する。

 いつの間にか目の前に外套(マント)を羽織った金髪の女が立っていた。

 

 初めて見るはずの女の姿に、なぜか既視感を感じオロフの脳は混乱する。

 

「お、お、お、おいこの(アマ)ぁ! ど、ど、どこにいやがった!」

「やだなー。ずーっと一緒に居たんだけどなー。気づかなかったー? 私そんなに存在感ないかな。ショックー」

 

 明らかにオロフをからかうような女の声。

 深夜の裏通りには似つかわしくない可愛らしさだ。

 

 女の整った顔は貴族の目に留まれば大金を払って囲うだろう。

 もし娼館に居れば数多くの客がこの女との一夜を選ぶだろう。

 そして同僚のスタッファンならこの女にどんな行為を望むだろう。

 しかし――

 

 オロフの巨体がぶるりと震える。

 頭ひとつ以上小さく体重は半分にも満たないような童顔の女をオロフの身体が恐れていた。

 

「あんたさぁ――」

 

 女が口を開くとオロフは巨大な肉食獣か(ドラゴン)が獲物を飲み込む様を幻視する。

 

「力自慢っぽいけど、蒼の薔薇のガガーランとどっちが強いかなーって?」

 

 ふざけた質問だった。

 いくら腕自慢で荒くれ者のオロフとはいえあくまでも一般人の話だ。

 アダマンタイト級冒険者は裏の世界でいえばトップの六腕に匹敵する。

 娼館の用心棒ごときが考える世界の話ではない。

 だが、この戦槌(ウォーハンマー)があればもしかしたら――

 

「まーいっか。そんじゃやりましょっかねー」

 

 金髪の女は外套(マント)の隙間から赤く輝く細剣(レイピア)を取り出した。

 細剣(レイピア)の優美さと華奢さがオロフに力を与える。

 あんな細さではこの戦槌(ウォーハンマー)を受けることなど出切る訳がない。

 オロフはただ戦槌(ウォーハンマー)を振り回しながら、女の細剣(レイピア)を避けることに専念すれば良いのだ。

 戦槌(ウォーハンマー)の柄を握り締め、オロフはようやく自分が手に汗をかいていることに気がついた。

 

「うおおおおぉぉぉぉぉーっっっ!!!」

 

 先手必勝とばかりにオロフは戦槌(ウォーハンマー)を振り下ろした。

 振り下ろした場所から女は消え、地面に叩きつけられた戦槌(ウォーハンマー)の衝撃は地響きとなり周囲の建物を震わせる。

 

 初手の振り下ろしは当たらなかったがオロフの自信はより強固になった。

 まるで木剣のように戦槌(ウォーハンマー)が軽いのだ。

 これならいくら振り回しても身体が流れてバランスを崩すことはなく、疲れでへばることもない。

 この武器が当たりさえすれば――いや。掠りでもすれば女の身体はバラバラになるだろう。

 オロフは思わず、この素晴らしい武器をくれた中年男を見た。

 

 カイは壁際で座り込んでオロフと女に興味無さそうにだらけていた。

 そんなカイの真意が読み取れず、オロフは女に視線を移す。

 女もまたカイを見ていた。

 

 それはそうだろう。

 こんな強力な武器を相手に渡せば、自分が不利になるのは明らかだ。

 女が口を開いた。

 

「カイちゃ~ん。もう騒いでもいーんだよねー?」

「ああ。いくら音を立てても聞こえねえからからよぉ。好きにやんな」

「りょーかーい」

 

 軽い調子で返事をした女はまるで知り合いを見つけたときのように真っ直ぐオロフに向かって歩いてきた。

 

「馬鹿がっ!」

 

 オロフは戦槌(ウォーハンマー)を横に薙いだ。

 女の姿が消えると同時に肉の焼ける臭いが広がる。

 軽い痛みを感じて慌てて自らの足に視線を落とすと、そこに女の笑顔があった。

 太腿に焼かれたような刀傷が出来ている。

 

「糞がっ!」

 

 足を蹴り出しながら、一度振り抜いた戦槌(ウォーハンマー)を手前に振り下ろす。

 魔法の付与による取り回しの軽さがなければ出来ない芸当だ。

 

 だが女は足にも戦槌(ウォーハンマー)にも当たらず、細剣(レイピア)でオロフの左頬を切った。

 

(つう)っ!」

 

 頬の痛みに構わずオロフが戦槌(ウォーハンマー)を大きく左に引き抜くと、女は後ろに飛びすさってそれを避けた。

 

 オロフが戦槌(ウォーハンマー)で追い、女がそれを避けながら細剣(レイピア)を振るう。

 そんな攻防が数度続いた。

 

 戦槌(ウォーハンマー)は女に当たらず、自分の身体には細かい傷が増えているがオロフは勝利を確信しニヤリと笑う。

 

「手前ぇのスピードは大したもんだが、どうやら俺の勝ちだなぁ」

「……あん?」

 

 女は細剣(レイピア)を振るうのを止めて、その童顔を醜く歪めた。

 

 所詮は非力な女だ。

 自分の不利が理解できないのだろう。

 女が振り回している細剣(レイピア)はたしかに早く鋭くオロフの全身を傷つけている。

 だが、どれも軽傷で切られた箇所からは血が出ることもない。

 ダメージの少ないオロフの肉体には戦槌(ウォーハンマー)を振り降ろし、女を叩き潰す力が充分に残っていた。

 

「手前ぇは苦労して俺を傷を付けたつもりだろうが、俺はほぉら――」

 

 オロフは頭上で軽々と戦槌(ウォーハンマー)を振り回して見せる。

 

「まだまだ余裕でこれを振り回せるぜ」

 

 その言葉でようやく自らの攻撃が無意味だと理解した女は驚きの表情の浮かべ、やがて絶望のあまり俯いた。

 絶望に打ちひしがれ沈黙した女を眺めながら、オロフは最初に潰すのは手にするか足にするかを考える。

 女の端正な顔がどれだけ歪み、どれだけ哀れな命乞いをするだろうか。

 

「ぷっ……ぷはははっ!」

 

 しばらくの沈黙の後に聞こえたのは女の命乞いではなく笑い声だった。

 あまりの恐怖に気が触れてしまったのか。

 女は笑い続けている。

 

「――あはははっ。いやー本気(マジ)で笑っちゃった。ごめんねー。まさか私の攻撃を自分で避けてたとか思っちゃったー?」

「ん……ああ?」

 

 オロフは女の言葉が理解できなかった。

 

「動けるよう加減してたんだけど分かんなかったかなー? あんたの手足の腱が繋がってるのも、腕に傷がついてないのも、ぜーんぶ私がやったことー。相手の力が判んないって残酷だよねー」

 

 オロフの目に小さく映っていた女が金髪の肉食獣に変貌したように見えた。

 

「ちょっと強い武器を持って気持ちが大きくなるのは分かるよー」

 

 女はおもむろに外套(マント)を脱ぐ。

 外套(マント)の中は胸と股を覆っただけの下着のような猥雑な格好だ。

 頭につけた耳と腰から伸びた尻尾が女の獣性そのものに見える。

 

「でも、まー」

 

 女は足を曲げずに頭を下げ、異様な形に身体を折り曲げた。

 獣の笑みをオロフに向けたままで。

 

「ガガーランの代わりにはなんなかったねー」

 

 これははったりだ。

 特異な構えを取って、強者の名を出し、自分の不利を手加減だと偽って、こちらの士気を挫こうとしているだけだ。

 オロフは汗で滑る手で戦槌(ウォーハンマー)の柄を握り締め、自分の力の拠りどころである腕を見た。

 オロフの腕には女から付けられた細かな刀傷がいくつも並んでいた。

 

 ――傷が並んで……いる?

 

 ほぼ同じ大きさの傷が腕に同じ間隔でついていた。

 思わずオロフは自分の脚を見る。

 そこにも同じ大きさの傷が同じ間隔で並んでいた。

 

 オロフの背筋にぞわりとしたある感覚が這い登る。

 その感覚を否定するため、女とのほんの数歩の距離を詰めるため、オロフが前に出ようとした瞬間――

 女の笑みが目の前にあった。

 

「!?」

 

 驚愕と恐怖でオロフは戦槌(ウォーハンマー)で女を薙ぐ。

 

<――不落要塞>

 

 オロフの戦槌(ウォーハンマー)を女の細剣(レイピア)が受け止め大きく弾いた。

 振り回した速度と、それぞれの武器の重さを考えるとありえないことだ。

 

 ――武技!?

 

 それはオロフも聞いたことがあった。

 一流の戦士や冒険者たちが使う特殊技能。

 酒場や娼館で暴れていただけのオロフが見ることがなかったもの。

 では、それを使うこの女は一体何者なのか。

 そこまで考えたオロフの身体から突然、力が抜け落ちた。

 

「……な、なんだ? どうしたっ!?」

 

 オロフは膝から崩れ落ち、力の(あかし)である戦槌(ウォーハンマー)もその手から零れ落ちた。

 両腕が上がらないオロフの眼前に女が立っている。

 

「手足の腱を切ってあげたよー。よかったじゃん。これでもう重い物を持たされることがなくなったねー」

 

 女は細剣(レイピア)を肩に担いで、にっこりと笑った。

 下から見上げた女の笑顔が、なんと凶悪なことか。

 

「ひいっ!」

 

 オロフは仰向けに倒れ、カイがいる方向に芋虫のように這いずって行こうとする。

 

「お、お、お、おいっ! おっさん! おっさんよぉ! こ、こ、こ、こいつをなんとかしてくれぇっ!!」

 

 声をかけられたカイは面倒臭そうにオロフを見て、それからこれ見よがしにあくびをした。

 助けがないことを察したオロフは、今度は自分を見下ろす金髪の獣に向かって叫ぶ。

 

「さ、さ、さっきも言っただろ? 俺は八本指の部下だぞ。お、お、俺を殺したら、ろ、ろ、ろく、六腕が出てくるぞっ! それでもいいのかっ?」

 

 搾り出すようなオロフの言葉に女の目が大きく開いた。

 そして紫の瞳がぐにゃりと三日月の形に歪む。

 

「なるほどー。あんたを殺せばもっと強い奴が出てくるんだー? そんじゃ、なるったけ残酷に殺した方が相手もやる気が出るってもんだよねー。けけっ」

 

 女の口もまた三日月の形に大きく開き、血色の舌が唇をちろりと舐める。

 

「あ……う、嘘だ、嘘です! 俺を、こ、ころ、殺して、も、だ、だ、誰も出ません!! 何もないです。ど、どうか、い、い、命だけは!!!」

 

 

◇◆◇

 

 大男の死体には目もくれず、クレマンティーヌは手にした戦槌(ウォーハンマー)を不満そうに見ていた。

 

「このハンマーが今回の駄賃? 軽いけど私の趣味じゃないかなー」

「ふん。お前ぇのは後でくれてやる。心配すんな」

「えー。直ぐくれるんじゃないのー?」

 

 クレマンティーヌから戦槌(ウォーハンマー)を受け取ったカイが、その巨大な武器をするりと懐に仕舞った。

 それから路地のひとつをちらりと見る。

 

「……ふん」

 

 次に懐から羊皮紙を取り出すと、カイは大男の死体の上に放り投げた。

 クレマンティーヌはそんなカイと羊皮紙、そして路地の奥の闇を見て呆れたような表情を浮かべた。

 

「んじゃ行くぜぇ」

 

 カイが来た路地に向かおうとする。

 

「行くって、今度はどこよ?」

「海だよ、海。もう、この街にゃ用はねえ」

 

 クレマンティーヌは顎で死体の上の羊皮紙を示す。

 

「あれはロハでくれてやんの? やけに気前いいじゃん」

「……まあな。手出ししなかったからなぁ」

「ふーん」

「まったく……ややこしい場所まで連れて来やがってよぉ」

 

 死体になった大男への愚痴をいいながらカイが歩き出した。

 そんなカイの後をクレマンティーヌは追う。

 

 少し離れてから、クレマンティーヌは背後をちらりと見ると、死体の傍に高級宿屋で見た蒼の薔薇の盗賊が立っていた。

 羊皮紙を確認している者と、クレマンティーヌ達の様子を窺っている者、どちらも同じ姿だ。

 思わずクレマンティーヌは呟いた。

 

「……あんな格好が二人も居んのかよ」


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