疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。海のバカンスは初めて。
カイ:助平おやぢ。海のバカンスに詳しい。
デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシュー:帝国出身でブルムラシュー侯爵の娘。海のバカンスでご機嫌ななめだわ。


第9話「疾風走破、挑発する」

◇◆◇

 

 朝焼けが街道を染める中、ぼんやりと巨大な門の影が見えてきた。

 リ・エスティーゼ王国の西、港湾都市リ・ロベルの北門だ。

 

「どうやら予定通りに到着したみてえだなぁ」

「……到着したのはいーけどさー。そろそろ手を離せよ、エロ親父」

 

 ゴーレムの馬に相乗りしているのはクレマンティーヌとカイ。

 そしてクレマンティーヌの胸はカイの両手にしっかりと掴まれている。

 

「そう邪険にすんじゃねえよ。落ちたら危ねえだろうがぁ」

「あーもー。……馬はここまでだよねー」

 

 セクハラは終わりとばかりにカイの手を振り切ると、クレマンティーヌはゴーレムの馬から降りる。

 馬から転げ落ちるように降りたカイがひらひらと手を振るとゴーレムの馬が消えた。

 このカイの魔法にだけはクレマンティーヌも感心する。

 

「いちおー念のために聞くけど、私らは田舎者の請負人(ワーカー)二人組……だよね?」

「ちったあ身元が知れてる方が目立っても問題ねえだろうからなぁ」

 

 目立つような何かをするのか気になったが、今更それをクレマンティーヌは確認しない。

 

「で、泊まんのは……えーっと浜辺に一番近い宿屋だね?」

「よく分かってるじゃねえか。お前ぇは肉壺ガイドなんだからよ。気配り心配りの行き届いたおもてなしの心で頼むぜぇ」

「はーいはい」

 

 カイの戯言(たわごと)を聞き流して、クレマンティーヌは門に向かって歩き出した。

 

◇◆◇

 

「おー。いい部屋じゃねえか。肉欲に溺れる午後を過ごすにはもってこいって感じだなぁ」

 

 クレマンティーヌが選んだのは、カイの要求に合わせたリ・ロベルで最も浜辺に近い高級宿屋だ。

 最初、宿泊を断った受付を軽く脅し、宿泊費の全額前払いでなんとか部屋を確保した。

 さすがに高級宿屋の一室とあって、巨大な二つのベッドも、部屋の中央にある丸いテーブルも、姿見がついた鏡台も、合理性とは無縁の豪奢で精緻な細工が施されている。

 

「さすがは俺様が選んだ肉壺ガイドだなぁ。今日ほどクレマンを雇って有難いと思った日はないぜ」

「そりゃどーも」

 

 物珍しそうに部屋のあちこちを触るカイを見て、クレマンティーヌは宿泊手続きの手間疲れにため息をつく。

 

「ロビーに居た奴ら、やたらジロジロと俺達を見てたなぁ。なんかあんのか?」

高級宿屋(こんなところ)に泊まるワーカーってのが珍しいんでしょー。宿泊に無駄金を使う請負人(ワーカー)なんてほとんど居ないしね」

 

 明日の仕事は勿論のこと、命さえも保障がないのが請負人(ワーカー)である。

 生存の可能性を高めるために、報酬の大部分は装備やマジックアイテムの確保に費やすのが当たり前だ。

 

「なるほどねぇ。苦労してんだなぁ請負人(ワーカー)さんってのはよ。それじゃあロビーに居たのはお金持ちサマか? どいつもこいつも高そうな服で着飾っていやがったなぁ」

「ここは受付がカフェを兼ねてるからね。王国の貴族の奴らが休憩してんでしょ。途中いくつかあったよね? 貴族の別荘が」

「ふん。人を珍獣のように見やがってよぉ。そのうちひぃひぃ言わせてやるぜ雌共限定でな。くっくっく」

 

 カイは窓を開けると身を乗り出した。

 

「あれがさっき見た浜辺だなぁ。雌どもの臭いが潮風に混じって漂ってくるぜ。おおっ! 早速ターゲットを発見っ! ……なんだぁ物売りの婆ぁか。紛らわしい格好しやがって……」

 

 窓辺ではしゃぐカイにクレマンティーヌはもう一度ため息をつく。

 

「おいクレマン。あのデカいお屋敷もお貴族サマの別荘か?」

 

 クレマンティーヌが窓に近づくと、浜辺と反対側に大きな屋敷が目に入った。

 

「そだねー。聞いた話じゃ、たしかブルムラシュー侯爵の別荘だったかな」

「来がけに見た王家の別荘よりデカいじゃねえか。大した金持ちなんだなぁ、そのブルセラ侯爵ってのはよ」

「……王国一番の金持ちって話だよー。まあ港やら貿易やらの利権もあるから、単なる見栄っ張りでデカい屋敷を構えたんじゃあないだろうけど」

「金を使って金を生むってか? ふん。どこの世界でも“ぶるじょわ”が考えることは同じだなぁ、おい」

 

 吐き捨てるようにカイが呟く。

 この口振りではカイの世界(くに)でも金持ちが、より多くの金を求めて動いているのだろうか。

 クレマンティーヌはこの情報も頭の隅に留めておく。

 

「ちなみに、この街はどこの貴族さんの土地なんだぁ?」

リ・ロベル(ここ)は王家の直轄地だね」

「ほう。国の港ってことか」

 

 カイの澱んだ目が光る。

 

「北にも港があるけど、そっちは辺境伯の領地だからね。王家がリ・ロベル(ここ)を手放すことはないっしょ?」

「さすがは俺の肉壺ガイド。よく調べてるじゃねえか」

「お前のためじゃねーよ!」

 

 クレマンティーヌは悪態をつき、しまったと思ったがカイは気にしていないようだ。

 浜辺と屋敷を見比べながら満足そうに頷いている。

 

「しっかし浜辺にゃあ誰もいねえなぁ。ここいらの人間は海水浴しねえのかぁ?」

「かいすいよく? んー。私も王国の娯楽は知らないねー」

 

 “かいすいよく”という行為をクレマンティーヌは知らなかったが、なんらかの娯楽であろうと判断して曖昧な返答をする。

 

 娯楽のために手間や金をかけられるのは限られた階級に所属する者達だけだ。

 それはリ・ロベル(ここ)に住んでいる人間であっても例外はない。

 

「それじゃあ、この俺様が夏のバカンスって奴を教えてやるぜぇ。ここに居る肉壺どもになぁ、くっくっく」

「夏のバカンスねぇ……」

 

 鼻息荒く妙なやる気を見せるカイを見て、クレマンティーヌは王国での取引を思い出した。

 

「そんなことよりさー。報酬のマジックアイテムはいつくれんの? 待ってるんですけどー」

「おーおーそうだったそうだった。海に着いたら渡すつもりだったのをすっかり忘れていたぜ」

 

 カイが懐に手を入れたのを見て、クレマンティーヌの期待値が上がる。

 マジックアイテムは貴重だ。

 入手する機会を逃す訳にはいかない。

 

「せっかくの海だ。俺様が厳選したエロ水着をひとつクレマンに進呈しようじゃねえか」

 

 “エロ水着”という言葉にクレマンティーヌの期待値ががくんと下がる。

 だらしなくニヤついたカイの顔を見るに、()()がまともな外見でないことは容易に想像がつく。

 

「効果はどんなもんなのー? 一番良い奴があるんならそれが欲しいんだけどー」

「どれも大した違いはねえ。ざっくりと言やぁ魅力増大がデカくて、素早さと物理ダメージ軽減がそこそこ。攻撃力上昇は気休め程度で、付与属性は水着次第ってとこだなぁ」

 

 本当にざっくりとした説明をしながら、カイは床の上に装備を並べていった。

 

「その程度のマジックアイテムじゃ、ただ働きと変わんないじゃん」

 

 そう文句を言いながらも、並べられていくマジックアイテムを前にクレマンティーヌは頬が緩むのを抑えられない。

 

 カイと出会ってから多少麻痺しているが、マジックアイテムの入手は困難である。

 漆黒聖典時代でもマジックアイテム――特に神器クラスともなれば任務の度毎に跪いて借り受けるものであって、好きなものを選ぶような真似はできなかった。

 カイが所持しているマジックアイテムは神器クラスとまではいかないものの、恒久的な魔法効果が付与されていることは魅力的だ。

 そんな魅力あるアイテムの中から自分が欲しいものを選べるという状況が、クレマンティーヌの心を浮かれさせていた。

 

 やがてマジックアイテムを並べ終え、やり遂げた感を漂わせたカイが装備をひとつ取り上げる。

 

「クレマンにゃあ、こーゆーのが似合うんじゃねえか? んー?」

 

 ニヤニヤ笑いのカイが手に取ったのは赤いVの字の紐だ。

 

「……その紐、前に似たのを見たような気がするんですけどー」

 

 エ・ランテルの安宿で最初に見せられた装備に似ている。

 あのときは細剣(レイピア)の方を選んだのだが。

 

「だいたいそんな紐、どーやって装備すんの?」

 

 呆れ顔のクレマンティーヌに、カイは両手で紐を広げながら説明する。

 

「ここんとこを股にあてがって端を肩にかけるんだよ。そうすりゃ股座(またぐら)も胸の先っちょも少ない布地で隠せるって寸法だぁ」

「……そんな気の狂った装備、どこの馬鹿だよ、作ったのは」

「こんだけ素晴らしいデザインだぁ。さぞかしお偉いデザイナー先生だろうよ」

 

 目の前で紐を広げ、首をやや後ろに引きながら薄目になるカイ。

 どうやらクレマンティーヌが装備したところを頭に思い描いているらしい。

 

「あてがうな、馬鹿っ!」

 

 クレマンティーヌが払い退け、カイは残念そうに紐を懐に仕舞う。

 次にカイが薦めるのは紐がついた三枚の貝殻だ。

 

「……何、この貝殻?」

「三枚の貝が大事な大事な胸と股座(またぐら)を隠してくれんだよぉ。自然に配慮した実用的な装備だぜ。後ろは丸出しで暑さ対策もばっちりだぁ、くっくっく」

「却下だ、却下! お前が持ってる装備は紐しかねーのかよっ!!」

 

 カイは渋々と貝殻を懐に仕舞う。

 

「まったく贅沢な肉壺だぜぇ……。ほら。これだったら布で出来てるから多い日も安心でございますよぉ」

 

 カイが別の白い装備をクレマンティーヌに渡す。

 

「そうそう。そういうのを先に出して欲しいんだよね……ん?」

 

 カイから受け取ったその白い装備は、クレマンティーヌの(てのひら)が透けて見えた。

 

「これじゃ丸見えじゃねーかっ!!!」

 

 クレマンティーヌは思わず、透け透け装備をカイの顔に叩きつけた。

 顔に叩きつけられた装備をカイは名残惜しそうに懐に仕舞う。

 

「見られて恥じらう年齢(とし)でもねえだろうが……。まったくよぉ」

「なんか言ったー?」

「いえいえ。なんでもございませんですぅ」

「もういーよ。自分で選ぶから」

 

 いつの間にか商人風の口調になっているカイのお薦めを諦め、クレマンティーヌは自分で装備を選ぶことにする。

 クレマンティーヌはカイを押しのけ床に並べられた装備を物色し始めた。

 初めは不満そうに見ていたカイも、そのうちベッドに腰を下ろして様子を見守ることにしたようだ。

 

「それにしてもさー。もうちょっとマシな装備はないのー?」

「マシっちゃあなんだぁ。その水着は俺様が選びに選び抜いた珠玉の一品ばかりだぜ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは顔を顰める。

 

「カイちゃんが選ばなかった物はないのー? あればそっちの方が――」

 

 クレマンティーヌの視界にひとつの装備が入ってきた。

 カイのお勧め品より明らかに生地の量が多い。

 それを手に取って視線を向けると、カイは露骨に嫌そうな顔をしている。

 その表情にクレマンティーヌは賭けてみることにした。

 

「そんじゃ仕方ないねー。これにするよー」

「あのぉ……。お客様には、もっとお似合いの水着がございますが――」

「こ・れ・に・す・る・の」

 

 凄むクレマンティーヌにカイは渋々と引き下がった。

 ブツブツと文句を言いながら、カイは残りのマジックアイテムを懐に仕舞い込んでいる。

 惜しいと思う気持ちはあるが、まずは手に入れた装備の確認だ。

 

 それは胸と腰を別々に覆うもので、クレマンティーヌの好みよりはいささか装飾過多だ。

 それでも今、カイが拾い集めている他の装備に比べれば、遥かに()()()()()()()に優れていた。

 手にとって見ると生地も透けるような物でなく、胸と股の部分に柔らかな別の生地が縫い付けられており着心地は良さそうだ。

 そして何より装備の色が自分の瞳の色に近いということが心を惹き付けた。

 

 クレマンティーヌがマジックアイテムをどう持ち歩こうか考えていると、片づけが終わったカイが声をかけてくる。

 

「そんじゃすぐに出かけるぞ。さっさとそいつに着替えるんだな」

「えー。今から装備すんの? これを?」

「あったり前だぁ。海で着なくて、どこで水着を着るってんだよ馬鹿野郎!」

 

 それもそうかと着ている装備に手をかけたクレマンティーヌがカイを見る。

 だらしなく顔を緩ませた中年男が血走った目でクレマンティーヌを凝視していた。

 何を期待しているのかは一目瞭然だ。

 

「……糞が。<疾風走破><流水加速>」

 

 装備の着替えに武技を使うのは初めてだった。

 着替えを終えた後、満足そうにニヤついているカイを見るに、どれだけの効果があったか分からない。

 ほんの少しでもエロ親父の視線から逃れられたと思うしかない。

 

 カイの視線にはムカついたが、それでもクレマンティーヌは自分が選んだ装備に満足した。

 紫色の浜辺用装備(ビキニ)は着心地が良く、装備していることを忘れるほど軽い。

 念のため姿見で確認したが乱れた箇所はなく、お気に入りの耳と尻尾も調和して見えた。

 装備の効果で敏捷性が上がっているのか、ほんの僅か意識と動作に()()を感じる。

 

 ()()()の必要を感じたクレマンティーヌはベッドを挟んだカイの反対側、少し広い場所に移動した。

 そこで首や手足、腰を曲げて筋肉と腱を伸ばし軽く飛び跳ねたりする。

 これら一連の動作は漆黒聖典時代に学んだもので、肉体強化系の装備を身体に馴染ませるためのものだ。

 その様子をイヤらしく澱んだ目つきでカイが凝視しているが、とりあえず無視した。

 

 クレマンティーヌが準備運動(ルーティーン)を終えると、カイがベッドの上に装備をいくつか放り投げてきた。

 

「ん? 何これー?」

「夏のビーチの必需品ってヤツだ。麦藁帽子とパーカーとビーチサンダルの3点セットだぜぇ」

 

 麦藁帽子は分かるがそれ以外は聞いたことがないアイテムだ。

 それでもどんな風に身に付けるものなのかは分かる。

 

「これマジックアイテム? なんか効果あんのー?」

「強い日差しからお肌を守れるぜぇ。まあお前ぇは生っ(ちろ)いからちったあ日焼けしたほうがいいがなぁ」

「ほんっと。無駄なもん持ってんだね、カイちゃんは」

 

 文句を言いながらもクレマンティーヌは3点セットを身につけ、腰の適当な場所に細剣(レイピア)を引っ掛ける。

 

「武器を持ってくのかよ」

細剣(これ)がないと、いざってときにカイちゃんを殺せないじゃん」

 

 クレマンティーヌは歪んだ笑顔でカイの顔を覗き込んだ。

 カイもまたクレマンティーヌの殺意を剣呑な笑顔で受け止めた。

 

「そいつはおっかねえなぁ……」

 

 久しぶりのカイの残酷な笑顔に、クレマンティーヌの背筋に冷たいものが走る。

 だが、これくらいの緊張は必要だ。

 そう思いながらクレマンティーヌは細剣(レイピア)の柄を握り締めた。

 

「そんでー。海に行って何すんのー?」

 

 カイが真顔になった。

 

「そんなもん、遊ぶに決まってるだろ。馬鹿野郎」

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌとカイが受付に姿を現すと、それまで喧騒に満ちていた室内が静まり返った。

 

 静寂の原因はみすぼらしい中年男のカイではない。

 浜辺用装備(ビキニ)に身を包んだクレマンティーヌだ。

 

 整った顔と金髪は永続灯(コンティニュアル・ライト)を浴びて輝いていた。

 鍛えられ無駄を削ぎ落とした肢体は浜辺用装備(ビキニ)で惜しげもなく晒されていた。

 腰に細剣(レイピア)を下げ颯爽と歩く様子に、男は情欲を女は妬心を沸き立たせた。

 

 当のクレマンティーヌにしてみれば、恐怖以外の感情で人々から注目されることは初めてで、それは彼女の自尊心をほんの少しだけくすぐった。

 フロア全体に挑発的な視線を投げかけ、返ってくる劣情と嫉妬心を受け止める。

 人殺しほどではない緩やかな快感に浸りながらクレマンティーヌは上機嫌で浜辺まで歩いていった。

 

◇◆◇

 

 浜辺に到着したカイは砂浜を見るなり不満をこぼす。

 

「……ちきしょう。やっぱり誰もいないじゃねえか」

 

 改めてクレマンティーヌも砂浜を見回す。

 なるほど人影はまばらで散歩をしている家族連れくらいしか目に付かない。

 白い砂浜が左右に広がる様は、ある意味贅沢な光景だ。

 

「たまに見かける雌共もがっちり服を着込みやがって……。半裸で戯れてる初心な雌がどこに居るってんだよ、まったく……」

 

 文句を言いながら青い布を砂浜に広げているカイを、クレマンティーヌは注意深く観察する。

 戯言(たわごと)に耳を傾けるつもりはないが、カイがどんなマジックアイテム(もの)を取り出すかには興味があった。

 

「これが俺様のビーチマットだぜ。世間的にはブルーシートって言うがなぁ、くっくっく」

「ぶるーしーと? ゴワゴワして変な感触だねー」

 

 クレマンティーヌは青い布の感触を手で確かめるが、特に魔法の効果は感じられない。

 

「こいつはホームレスの必需品だぜぇ。水は弾くし砂も張り付かねえ。夏のバカンスにはもってこいって代物だぁ」

「……ふーん」

 

 空返事をするクレマンティーヌ。

 マジックアイテム以外に興味はない。

 

「そんじゃビーチパラソルをおっ()てるとするかぁ」

 

 カイは巨大な傘を取り出すと青い布の直ぐ横に刺した。

 ぶるーしーとが日陰に覆われたがそれ以外の効果はない。

 ただの大きな日傘のようだ。

 

「休憩用の椅子もあるぜぇ」

 

 カイが取り出したアイテムは、広げるとゆったりとした椅子になった。

 その構造には感心したが魔法の効果はないただの椅子だ。

 

「これで縄張りの完成だぜ」

 

 わざわざ浜辺で縄張りを確保してこの中年男は何をするつもりなのだろうか。

 気がつくとカイがクレマンティーヌの身体を舐めるように見ている。

 

「何?」

「やっぱり、お前ぇは生っ(ちろ)いなぁ。ちゃんと日に当たってんのか?」

「んー。あんまり真っ昼間に出歩くことはなかったねー」

 

 殺しが趣味であり仕事でもあったクレマンティーヌは陰を生き、夜を(しとね)としていた。

 それを後悔するつもりも改めるつもりもない。

 派手な格好で耳目を集めるのは楽しいが、それも命の保障があってのことだ。

 そもそも自分よりも不健康そうな肌の色をしたカイに言われたくない。

 

「俺が新しい肉壺と遊んでる間に、ここで寝っ転がって肌でも焼くんだな。そうすりゃ俺みてぇな本物の鬼畜モンにモテるぜぇ、くっくっく」

「はいはい」

 

 カイの戯言(たわごと)を聞き流して、クレマンティーヌは椅子に座ってみる。

 ゆったりとした椅子はベッドに近く、休憩用と言うだけあって寝心地はまあまあだ。

 

「ま、悪くないねー。……何それ?」

 

 より楽な姿勢を模索するクレマンティーヌの横で、カイが色鮮やかな道具をいくつも取り出していた。

 

「夏のバカンスの7つ道具って奴だぁ。まずはビーチボールだなぁ」

「びーちぼーる?」

 

◇◆◇

 

「ああ、もうっ!」

 

 デーンファレは別荘に戻るなり脱いだ上着を床に叩き付けた。

 窓近くの椅子に腰掛け深呼吸をしても、彼女の怒りは収まらない。

 脱いだ上着を使用人が拾い上げて片付けている姿さえも腹立たしい。

 

 苛立ちの原因は両親や弟と離れ、リ・ロベル(ここ)に一人で来ているからではない。

 そのことについては納得こそしていないものの、自分の中での結論は出ている。

 

 使用人に命じて夏用のドレスを全て持ってこさせた。

 この夏のリ・ロベルで過ごすために用意させた高価な品だ。

 昨日まであれだけ輝いて見えたドレスがどれもこれも田舎じみて見える。

 それもこれも全部あの金髪の女が悪いのだ。

 

 デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシューは、その名が示す通りリ・エスティーゼ王国のブルムラシュー侯爵の娘である。

 ただし血の繋がりはない。

 没落した貴族の娘が情に厚く裕福な侯爵に引き取られたという体だが、実のところは若い妾だ。

 

 デーンファレはバハルス帝国の貴族の娘として生まれた。

 裕福な両親の元、貴族としての振る舞いと知性を身につけた彼女はその容姿も際立っていた。

 その美貌はいずれ皇帝に嫁ぐのではと噂されたほどだ。

 

 だが皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスはデーンファレを娶るどころか、邪教信仰を理由に彼女の家を取り潰した。

 デーンファレの両親は身の潔白を訴えたが皇帝は取り合わず、家名の再建は絶望的であった。

 そのような状況の中、御用商人が王国貴族であるブルムラシュー侯爵への養子縁組の話を持ちかけてきた。

 御用商人の背後に帝国情報局が居ることを知った両親は、デーンファレを養子として送り出すことを決断した。

 帝国情報局、そして皇帝の指示に従うことで、奪われた家名が戻ることを願って。

 

 デーンファレの養子縁組は驚くべき早さで行われた。

 その段取りを進めていた人物はブルムラシュー侯爵と直接話をするようになり、やがて侯爵の娘になったデーンファレには帝国の情報が入らなくなった。

 

 それから数年、本当の両親が家名を再建できたかどうかデーンファレは知らないし知ろうとも思わない。

 貴族であることの価値を知り、貴族であり続けることの難しさを身を以って知ったデーンファレは、自身のこれからの地位を確実な物にするために努力した。

 美しくあり、貴族間の立ち回りを学び、義理の父親を相手に夜の手管も身に付け、そしてそれらは上手く出来ていると思っていた。

 この夏、侯爵の妻であり義理の母からリ・ロベルに行くよう告げられるまでは。

 

 表向きは勉学と他の貴族の子女との交友を深めるためである。

 確かに巨大な港のあるリ・ロベルは多種多様な文化が集るため見聞を広げるには良い街だろう。

 各種学校や図書館も多く暑い夏をこの地で過ごす子女も多い。

 しかし侯爵夫妻が実の子である長男を連れて王国の北、リ・ウロヴァールの別荘で過ごすと知れば、否が応でもデーンファレは自分の立場を理解せざるを得ない。

 血の繋がった両親とは連絡が取れず、義理の両親も自分と距離を置こうとしている。

 デーンファレはこのリ・ロベルで自らの立場を確保しなくてはならなくなった。

 

 デーンファレの武器は若さと美貌だ。

 黄金と称される第三王女相手だと分が悪いが、それでも自らの義母を含めた宮廷女子の中で上位に位置するという自負はある。

 その美貌を利用するために夏のリ・ロベルは最適な場所と言えた。

 

 帝国生まれのデーンファレにとって、王国の美は良く言えば伝統的、悪く言えば古臭く感じる。

 異国文化が集まるここリ・ロベルでもそれは同じで、貴族の子女は王国風の――デーンファレから見れば古臭い衣服に身を包んでいた。

 デーンファレは帝国仕込みの先進的で垢抜けた衣装に着こなし、かつて養父と共に出席した宮廷パーティのときと同じように賞賛され羨望された。

 だが、それも今朝までのことだ。

 

 今日の朝、宿屋のカフェに現れた男女二人が、デーンファレをリ・ロベルのトップレディの座から引き摺り下ろした。

 男の方はどうでも良い。

 奇妙な格好をしていたが、誰が見てもただの田舎者だ。

 問題は金髪の女だった。

 その装いが帝国でも見たことのないほど先進的なものだったからだ。

 

 大きく露出した肌に細剣(レイピア)と動物の尻尾という装飾品を組み合わせ、粗く編まれた田舎風の帽子で日差しを避ける。

 それは自由に空を羽ばたく鳥であり、伸びやかに獲物を狩らんとする肉食獣の姿だ。

 虹のように鮮やかな履物で颯爽と歩く女の姿に、貴族社会という()()()に囚われていたデーンファレは開放感を感じ、そして怒りを覚えた。

 生き残るための自らの努力を嘲笑された気がしたのだ。

 

 女の顔立ちはそこそこ整ってはいたものの表情に品がなく幼く見えた。

 その美を冷静に比べれば気品と優雅さを併せ持つ自分が勝つだろう。

 だが周囲の低俗な人間――主にカフェに居た男達――は、そんなデーンファレの美しさには目もくれず露わになっている女の肌を凝視し賞賛した。

 

「なんなの! なんなの! なんなの! あの女は!?」

 

 部屋を歩き回るデーンファレの口から出るのは怒りの感情であり、呪詛の言葉だけだ。

 

「あんな破廉恥な格好をするなんて信じられない。娼婦? 奴隷? 奴隷でももう少し慎みのある格好をしているわ。いったい、どこの恥知らずかしら?」

 

 ドアの横に控える使用人は何も答えない。

 怒り狂う主人の自問自答に返答するほど愚かな者はここには居ない。

 だが、そんな当たり前の事にも腹が立つ。

 

「カミエはまだ? どこで道草を食っているのかしら」

 

 目を伏せ首を横に振る使用人の背後から、ノックの音が聞こえた。

 使用人の誰何の後、ドアが開いてデーンファレ付きの使用人リーダー、カミエが姿を見せた。

 

「遅かったわね。待ちくたびれたわ」

「申し訳ありません」

 

 カミエは頭を下げる。

 

「で? どこの誰なの?」

「女の名前はクレマン。男の名前はカイ。その名で北門から入城していました。出身はピアトリンゲン。今朝方、リ・ロベルを訪れた請負人(ワーカー)とのことです」

請負人(ワーカー)風情が何をしにリ・ロベル(ここ)へ?」

 

 情報が入ったことでデーンファレの気持ちが少しだけ落ち着いた。

 

「聞いた話では二人の目的は観光と買い物。直近のモンスター討伐で稼いだそうで、しばらくリ・ロベルに滞在するつもりだとか」

 

 “しばらく”という曖昧な期間がデーンファレには気に入らない。

 あの女の噂が都市全体に広がるには“しばらく”の滞在で充分だ。

 デーンファレに反感を持っている貴族の子女は多い。

 請負人(ワーカー)の女にトップレディの地位を奪われた者として、デーンファレを面白おかしく噂するだろう。

 トップになるための努力すらしない自分達を棚に上げて。

 

「ピアトリンゲンって、たしか伯爵領だったかしら?」

「はい。評議国近くの小都市で、周辺では牧畜が盛んと聞いています」

 

 つまりは田舎だ。

 自分の力を過信した田舎者が、それまでの仕事を放り出し請負人(ワーカー)になったのだろう。

 そう考えたところで別の可能性を思いつく。

 

「……もしかしてその二人は貴族なのかしら?」

「北門では証明書や印章の提示はなかったそうです」

「あらそう。だったら出稼ぎの平民で間違いなさそうね」

 

 デーンファレの言葉にカミエがゆっくり頭を下げる。

 

 貴族か元貴族であったなら入城の際に、それを証明し忘れることはない。

 問題は平民の請負人(ワーカー)である金髪の女――クレマンが、あの服をどこで手に入れたのかだ。

 かつて宮廷のパーティで見かけたピアトリンゲン伯爵夫人のドレスは、王国の中においても特に古風なスタイルだった。

 それともピアトリンゲンには宮廷とは別に服飾文化があったりするのか。

 やはり着ている本人から聞き出すのが手っ取り早い。

 その上で――

 

「……始末しましょう」

 

 デーンファレの呟きにカミエが僅かに目を伏せる。

 あの女が姿を消し、その上でデーンファレがより洗練された美を見せれば良いのだ。

 それもなるべく早く。

 

「カミエ。商人に言って、あの女が着ていたような服を取り寄せなさい。今すぐに」

「かしこまりました」

「それから、お前たちは男をあの女から引き離しなさい。できるわよね?」

「……かしこまりました」

 

 使用人であるカミエにとってデーンファレの命令は絶対だ。

 

「女は、そうね……。後でドルネイ達に任せましょう」

 

 デーンファレは自らの護衛人隊長の顔を思い出す。

 養父から護衛をつけるという話を聞いたとき、見た目の良い者を要求したのがここにきて幸いした。

 

 カミエが部屋から出て行くと、デーンファレは窓辺に立って海岸を見つめる。

 

「……平民ならすぐに片付きそうね」

 

 デーンファレはその美貌に冷たい笑顔を浮かべた。

 


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