とある冬の日。
 エ・ランテルで一人の老女が死を迎えようとしていた

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とある冬の日の話

 その部屋は白一色に包まれていた。

 

 天井から注がれる魔法の光。その下に照らしだされるのは、白を基調とした空間。

 壁や床などは一面、白い滑らかな大理石で作られている。壁際にかけられた垂れ布や所々に置かれた調度品などには、アクセントとして暗色をはじめとした他の色が用いられたりもしていたが、そういったひそやかな飾りの他は、基本的に全てのものが白色で統一されていた。

 

 ふと、窓の外に視線を転ずれば、眼下に広がる街並みもまた、この部屋と同様、はるか上空より降りしきる雪の白の中に沈んでいくよう。

 

 

 部屋の中に漂うのは、その部屋の主人の好みである蝋梅(ろうばい)の甘い芳香。

 だが、室内にはそれ以外にも、どのような香をもってしても隠し切れない匂いが混じっているのが感じ取れた。

 

 それは死の匂い。

 

 かぐわしい花の香りでも隠し切れないそれが、締め切られた室内によどんでいるようだった。

 

 

 今、部屋の中央に据えられた真白のベッドには、一人の老女が横たわっていた。

 どれほどの(よわい)を重ねてきたのだろうか、かつては瑞々しかったであろう肌には幾重にもしわが刻まれ、かつては美しかったであろう銀髪はすでに光を失い、くすんだ色をしていた。

 

 他に誰もいない広々とした部屋の中、彼女は独りであった。

 死を前にした者の孤独と寂寥。それが室内を満たし、その中に彼女はただ静かに浸っていた。

 

 

 

 その時、部屋の扉――白塗りの扉に金の装飾がほどこされた豪奢な作りの代物――が数度叩かれる。

 そして、入ってきたのは、ぴしりとした黒の執事服に身を包んだ老人。

 

 

 ナザリック地下大墳墓の執事、セバス・チャンである。

 

 

 彼はその手の中にある、銀製の盆の上に並べられた食器を大事そうに運び、老女が横たわるベッドの脇に置かれた椅子へと腰かけた。サイドテーブルに今、持ってきたものを丁寧に並べると、流れるような手慣れた動作で食事の用意を整える。

 そして、スプーンですくった、とろりとした汁物に幾度か息を吹きかけ冷ますと、「さあ、どうぞ」と彼女の口元へ運んだ。

 

 そのスプーンの先が横たわる老女の口元に押し当てられる。火傷せぬ温度まで十分に()まされた液体が、彼女のひび割れた唇の中へ、しみこむように消えていく。

 

 

 舌先に感じた味覚。

 口中に広がるそれに気づき、モゴモゴと口元がわずかに動く。

 固く閉じられていた瞼、その深い皺の奥から老女の青の瞳が顔をのぞかせた。

 

 

 彼女はぴくりと身体を震わせた。

 そして、柔らかなクッションマットの中に横たわる、その身を起こそうと試みる。

 

 上半身を起こす。

 たったそれだけの行為。

 若いころならばなんなく行う事ができたはずの行為に、彼女は総身をぶるぶると震わせるほどの力を込める。

 そんな彼女の背に、セバスはそっと手を添え、助けてやった。

 

 

 そうしてようやくベッドの上で上半身を起こした彼女は、大きく息を吐いた。その背面には座る老女に負担をかけぬよう、セバスの手によって幾個ものクッションが並べられる。

 

 ベッドの上に差しかかるよう動かされたサイドテーブル。その天板上に置かれた食器。そこから、彼女は震える手でスプーンを掴む。

 その手は細く、骨にかろうじて皮がついているだけのよう。

 ほんのわずかしかないスプーンの重さにすら、彼女の年老いた手は耐えかね、その先が震える。

 彼女はスプーンの方を動かすのではなく、持ち上げたスプーンの先に自分の口元を近づけるといったやり方で、なんとかすくい上げた液体を口の中にいれ、そして十分な時間をかけてから嚥下した。

 

 そうした、見る者に()()()()()すら感じさせるほどの緩慢な動きで――当然ながら、その様子を一人、目の前で見ているセバスはその表情をなんら変えることはなかった――なんとか料理を腹の奥へと納めた。

 

 

 

 部屋の中には、コトコトとサモワールが湯を沸かす音だけが響く。

 

 食事を終え、再び横になった彼女。

 同室にいるセバスはてきぱきと、サイドテーブルを元の位置に戻し、食器を片づける。

 窓の外ではいよいよ吹雪がその勢いを増し、このエ・ランテルの全てを白で覆い尽くそうとしていた。 

 

 セバスは部屋に据え付けられている薪ストーブの火勢を強めた。

 窓際からひたひたと忍び寄る寒さに抗うかの如く、それは部屋中に暖気を振りまいた。

 

 その繰り広げられる寒さと暖かさの攻防の様子は、ベッドに横たわる彼女のかさついた肌でも感じ取れた。

 

 

 本来、この部屋の主である老女の、アインズ・ウール・ゴウン魔導国での地位、功績を勘案すれば、完全に冬の寒さ、夏の暑さを感じることもない部屋にしてしまう事も容易いのであるが、彼女の意思で、そういった処置はこの部屋には施されないでいた。

 

 彼女も若いころは、そうした完全な温度管理を好んだ。

 そんな彼女に、彼女の母は完全に魔法に頼り切るのではなく、自然の変化をその身で感じることも大切だと説いたものだ。

 だが当時、まだ若かった彼女は、なぜ好き好んで無駄な不快さを感じる必要があるのか、快適ならばそれでいいではないかと、母の(げん)を――顔には出さぬまでも――不満に思っていた。

 

 しかし、この年になると分かる。

 こうして、自然を肌で感じることの大切さが。

 暖かな春が過ぎ、灼熱の夏が来て、実りの秋が巡り、厳しい冬を越え、また春が来る。

 人生にはただ良い事、楽しい事だけがあればよいのではない。辛い事も苦しい事も必要であり、それに悩み、もがくこともまた楽し。

 全てが人生にとって祝福であり、大切な思い出となるのだ。

 

 

 今、彼女は死の(ふち)にある。

 彼女は半ば夢見るように、ぐるぐると脳裏をめぐる思い出の海に身を委ねていた。

 

 

 彼女はこのアインズ・ウール・ゴウン魔導国においても、十分すぎるほど裕福に育てられた。

 

 はるか昔、彼女が生まれる以前のことであるが、この魔導国の首都であるエ・ランテルは、現在は魔導国の保護対象となっている隣国、リ・エスティーゼ王国の領土だったという。

 当時のかの国は貴族同士の派閥争いが横行し、かつまた身分の上下による抑圧、暴虐、落花狼藉の振る舞いも日常茶飯事だったらしい。そこでは一般民衆の権利は大きく制限され、上位者――主に貴族は、いかなる横暴も不法行為も咎められることすらなく、驕傲(きょうごう)にして不遜な態度で横行闊歩していたのだという。

 

 だが、この地において民衆の虐げられている様子に心痛めた偉大なるアンデッド、アインズ・ウール・ゴウン魔導王は、人に代わってこの地を治め、そしてその偉大にして慈愛なる身心のままに、優れた統治を行った。

 

 その結果、魔導国の国民たちは飢えにも犯罪にも怯えることなく、幸福に暮らすことが出来るようになったのだ。

 

 

 彼女はそんな時代に生まれた。

 優しい父と母の下、四人の兄弟姉妹たちと一緒に、愛情をたっぷり注がれて幼年期を過ごした。

 もちろん甘やかされるだけではなく、一際(ひときわ)、やんちゃだった彼女は、ときにはこっぴどく叱られることも多々あった。

 

 やがて大人になり、思慮分別を身につけた彼女は、この魔導国の為に働くことを選んだ。

 そうして懸命に働く中、たまたま知り合った男性と恋に落ち、結婚。そして5人もの子宝に恵まれた。

 

 すくすくと育った彼女の子供たち。

 彼らもやがて大人になり、彼女の手を離れ、巣立っていった。

 今や、その子供たちも結婚して子をなし、さらにその子までもが連れ合いを見つけて、子供を作っていた。

 記憶の中で、数年前、彼女の誕生日に集まった家族たちは皆、笑って彼女の長寿を祝福していた。

 

 彼女が倒れたと聞いたとき、そんな彼女の血を引く家族たちが代わる代わる見舞いに訪れた。

 だが、彼らと会うのは楽しいが、それにはかなりの体力を使う

 そして、すでに彼女の身体からは、再会を喜ぶほどの精気も失われていた。

 そのため、皆、彼女の事を心配しつつも、今は彼女の世話をするセバスのみが、その居室を訪れるようになっていた。

 

 

 

 外はますます風が強くなってきた。

 吹き付ける雪は数センチほどの塊となって、幾度も窓に叩きつけられる。

 だが、優秀な職人の手になる立てつけのいい窓は、いかな暴風にさらされても音を立てることすらしない。

 

 そんな部屋の中に聞こえる微かな風の音。

 その発する(みなもと)

 それは老女の喉である。

 

 彼女が呼吸するたび、コヒューコヒューとかすれたような音が響く。

 

 長い人生において、これまで呼吸をすることなど意識すらしなかった。まだ若い時分、川や湖で泳いだときくらいだ。

 だが、年老いた彼女にはとっては、生きるために必要な呼吸すらも責め苦と言えるものとなっていた。

 息を吸い、喉から肺にかけて空気が通るだけで、大きく力を使う。

 そして、その逆に肺から喉、そして口から呼気が吐き出されるたびに、一呼吸一呼吸ごとに、彼女の生命もまた、その体から吐き出されていく。

 

 彼女の命の灯火は今しも消え去ろうとしていた。

 

  

 死。

 

 そのあらゆる生物に訪れる最後に、彼女は恐怖し、(おのの)いた。

 不意に、足元の全て、今横たわっているベッドの底が抜けたかのような奇妙な浮遊感が彼女を襲った。

 水の中で上下が分からなくなったような眩暈にも似た感覚と、確としたものがなくなり寄る辺を失った不安の感情が次々と彼女を襲い、その残された理性を千々に掻き乱した。

 パクパクと口を開け閉めし、空気を求めてあえぐが、いくら呼吸しても、いっこうにその肺に酸素が満たされようとしない。

 

 見当識を失い、混濁した意識の中、彼女は彼女自身すらも分からぬ何かに助けを求めるかのように、震える手を虚空へと伸ばした。

 

 

 そんな彼女の手が温かいものに包まれる。

 

 枯れ枝のような、生命の残滓とでも言えそうな彼女の手。

 その手を包み込むのはとても懐かしい、かすれかけた記憶の縁にあるものとまったく変わらぬ優しい感触の(たくま)しい手。

 

 

 彼女の細い手を、白い布手袋を外したセバスの手がしっかりと包み込んでいた。

 

 

 彼女の顔に浮かんでいた恐怖の表情が和らぐ。

 老女の閉じられた瞼から熱いものが溢れだす。深い目じりを伝って、顔の横へと涙がこぼれた。

 

 (おこり)のように震えていたその体は落ち着きを取り戻し、静かにベッドに身を委ねながら、老女は口の中でつぶやいた。

 

 

 

 ――ありがとう……お父さん。

 

 

 

 そして、彼女は死んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「失礼いたします」

 

 

 その言葉と共に書類を(たずさ)え、執務室に入ってきたセバスの姿に、アインズは驚いた。

 

「む? どうしたのだ、セバス。お前にはしばしの間……」

 

 そこまで口にしたところでアインズは気がついた。

 

 

 セバスと、この地において保護したツアレの間には、四人の子供が出来た。

 その子らのうち、すでに三人は鬼籍に入ってしまっており、最近、残る最後の娘もまたその寿命を迎えようとしていた。

 そのため、セバスには魔導国の国王として政務に励むアインズに仕える執事という任を一時的に解き、娘の看病をするという『仕事』を与えていたのだ。

 

 そのセバスが、自分のもとに戻ってきた。

 それはつまり……。

 

 

 

 アインズは手にしていた羽ペンを卓上に置き、水龍の皮で(しつら)えられたしっかりとした造りの背もたれに、深く体重を預けた。

 そして、机上で組んだ、自分の細く白い骨の指を眺めながら言った。

 

「セバス。……彼女の遺骸は、ツアレの墓の横に葬ってやるがよい」

 

 主の言葉に、セバスは深く腰を折り、感謝の意を伝えた。

 

 

 

 アインズは、そんなセバスに背を向け立ち上がると、背後の窓から外を眺めた。

 先ほどまで荒れ狂っていた冬の嵐は小康状態を迎え、今はただ()()()()と粉雪が降り積もっていく。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 アインズがこの地に来てから、幾年月、幾星霜が過ぎた。

 当初は警戒していたものの、この地においてナザリックが警戒せねばならぬ相手――すなわち他のプレイヤーの存在は発見できなかった。

 はるか以前は訪れていたであろうという痕跡は多く見つかったものの、現在も生存している者は確認できなかった。

 

 そして、現地において他に警戒せねばならない強者――ツァインドルクス=ヴァルシオンを始めとした竜王(ドラゴンロード)らとは、平穏無事に和平を結ぶことができた。

 その際、彼らから得た情報で、この世界にワールドアイテムが存在することを知ったナザリックは、その後、多少の紆余曲折はあったものの、最終的にそれらすべての回収を無事達成した。

 

 かくしてアインズは、ナザリック地下大墳墓の完全なる安全を確保することに成功したのである。

 

 

 その後、アインズは自らの国、かつてのギルドの名を冠したアインズ・ウール・ゴウン魔導国の繁栄に邁進した。

 アンデッドによる治安維持、単純労働力の貸与を始めとした各種政策を推進し、住人たちが平和で安全、そして幸福に生きることが出来る国を目指した。

 

 かつてアインズの生きたリアルにおいて、いわゆるブラックな労働環境が横行していた。

 アインズは自らが治めることになった国の国民たちに、そんな生活をさせたくなかった。

 日々の生活に疲れたギルメンたちが、ナザリックにおいて理想の環境を追い求めたように、理想の国を作りたかったのだ。 

 

 ナザリックの(しもべ)たちには、なぜそれほどまで、下等生物に過ぎぬ人間の待遇などに心を砕くのかと首をひねる者も少なからずいたが、彼らの主にはきっと自分たちの想像もつかぬ深淵なるお考えがあるのだろうと、ただ忠実にその命に従った。

 

 

 そして、それはついに実現した。

 今や、魔導国の国民は明日の食事を心配することなく、突然、暴漢に襲われることを危惧する必要もない。不意に襲いくる病や怪物(モンスター)、さらには人知を超えて荒れ狂う大自然の猛威にすら怯えることもなくなった。

 誰もが昨日から続く今日、今日から続く明日のことを考え、生活することが出来るようになったのだ。

 

 

 だが、それを為しえるまでには長い時がかかった。

 光陰、矢のごとしという表現のままに、時が過ぎていった。

 

 そして気がついた時――皆、死んでしまっていた。

 

 

 エンリ、ンフィーリア、リイジー、アインザック、ラケシル、ジルクニフ、ラナー、クライム、ラキュース、ザリュース、クルシュ……。 

 

 この地にやって来て知己となったこの地の者たち、そのほとんどが魔導国の安定を築き上げた頃には、死に絶えてしまっていたのだ。

 その頃からの知り合いといえば、ツアーやヘジンマール、後で吸血鬼(ヴァンパイア)だと知ったイビルアイなど、長寿もしくは寿命の無い者ら程度であり、それらごく例外を除いた他の者たちは、もはやいなくなってしまっていた。

 

 

 

 かつて、アインズは幸運だと思った。

 ゲーム中の姿、能力のまま、自らのギルド拠点であるナザリック地下大墳墓と共に、この世界にやって来たことである。

 

 アインズはリアルに未練はない。

 待っている人もいなければ、惜しむものもなかった。

 ユグドラシルだけが、このゲーム中で共に過ごした仲間たちとの日々こそが、心の支えであった。

 

 そんな仲間たちもすべて去っていった。

 そして誰もいなくなった玉座において、このゲームが終了する最後の瞬間を、絶望と諦観と共に迎えようとしていた。

 

 

 だが、そこでゲームは終わらなかった。

 かつて友人たちと創った、このナザリックのNPCたちがまるで生きているかのように動きだした。そして、アインズはゲームでの力を持ったまま、まったく見知らぬ土地へとやって来ていたのだ。

 

 やがて、これが現実であると認識した(のち)、この世界について調べを進めていったアインズは、()()()と思った。

 

 ユグドラシルというゲーム中には人間種から亜人種、そして異形種まで、それこそ700もの種族が存在した。

 そんな中、アインズが自らのアバターとして選んでいたのは死の支配者(オーバーロード)。異形種のアンデッドである。

 

 アンデッドである死の支配者(オーバーロード)は、種族として飲食や睡眠などを必要とはしない。

 それはそれで惜しいと思ったのであるが、それよりなにより、彼が特に目を輝かせたのは、寿命がない点である。

 

 人間を始めとした通常の種族の場合、寿命が存在するため、どれだけ強大な力を有しようとも、老いによる能力の低下、そして加齢による老衰からは逃れられないはずだ。

 だが、死の支配者(オーバーロード)である今の自分は、そんな寿命の制約から解き放たれたのだ。

 

 

 自分は友人たちが作ったナザリック、そしてナザリックの者たちと共に、ずっと歩んでいける。

 

 そう思った。

 

 

 だが、その結果、アインズは数限りない死別を体験しなくてはならなくなったのだ。

 

 

 アンデッドの身体になったことにより、精神が変化していた事は幸いだっただろう。

 それがなくては、いつしか発狂していたかもしれない。

 今のアインズの感覚からすれば、魔導国を作り上げてから、それほど長い時が経ったようには感じていなかった。かつての人間としての感覚で例えるならば、およそ二月(ふたつき)三月(みつき)ほども過ぎたかな、という程度だ。

 しかし、その間に親しかった人間たちは見る見るうちに老いさらばえ、そして死んでいった。

 まるで早回しで人間の顔が老化していく、ホラー画像でも見ているかのような気分であった。

 

 

 あたかもアインズを始めとしたナザリックの者たちだけが、早瀬の如き時間(とき)の流れから取り残されているようだった。

 

 

 もし、アインズが一人であったのならば、もはやありとあらゆる全てを捨てて、世界のどこかへと旅立っていったかもしれない。

 人との交わりを断てば、人の身の上に流れる時の流れの速さを目にすることもないだろう。誰もいない深海やはるか天上の山脈などに身をおこうか、とも考えた。

 

 

 だが、そんな選択をすることは出来なかった。

 

 今のアインズは一人ではない。

 この地には、かつての友人たちが残していった忘れ形見、ナザリックの者たちがいるのだ。

 

 アインズは彼らを見捨てることは出来ない。

 そして、同時に彼らは最後に残った、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーであるアインズの下を離れることは出来ない。

 

 両者は互いを拘束し、その自由を奪い合う枷であった。

 

 

 アインズの脳裏に浮かんできたのは、はるか昔の歌にあったというワンフレーズ。

 

 『極上の終身刑』

 

 そう、終身刑。

 それこそ自分の今を指し示す言葉はあるまい。

 寿命などなく、ワールドアイテムを常に身に着けている圧倒的強者たるアインズは、他者に倒されることもない。

 アインズはかつての友人たちの残滓と共に、永遠にあり続けるのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

「……セバスよ」

「はっ」

 

 窓の外を眺めたまま、アインズがつぶやいた。

 

「……我々は……どこまで行くのだろうな……」

 

 その問いに、セバスは沈黙を保った。

 主は自分に答えを求めたわけではないと、分かっていたためだ。

 

 

 

 ――自分は、自分たちは、この先どうしていくのだろうか?

 

 これからも、果てなき時の先まで、このアインズ・ウール・ゴウン魔導国という理想郷――箱庭を維持し続けていくのだろうか?

 それともいつの日か、後を託せると判断した者に国を譲り渡して、あの懐かしいナザリック地下大墳墓に戻り、自分たちだけで永遠に終わらない日々を過ごすのだろうか?

 あるいは全てに()み疲れ、なにもかもを滅ぼしつくすのだろうか?

 

 これからも未来永劫、生きとし生けるすべての者に、置いていかれるのだろうか?

 久遠の時の果てるまで、精神の擦り切れるまで、数限りない生命の誕生、新たなる出会い、そして知己となった者たちとの別れを繰り返し続けなくてはならないのだろうか?

 

 

 ――それか……いつか自分たちにも終わりは来るのだろうか?

 

 

 アインズは、自らの治める城下を眺め続ける。

 その眼下の奥に灯る赤黒い光が揺らめいた。

 彼の視線の先で、繁栄をつづけるアインズ・ウール・ゴウン魔導国の首都エ・ランテルは、降りしきる雪の中、無彩色の濃淡の中に沈んでいった。

 

 



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