ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。


ー皐月雨ー・⑩

 

 

【挿絵表示】

 

                   ―死後文―

 

 

 言われた事が、理解出来なかった。ただ呆然と、目の前に差し出された手紙を凝視する。風変わりな郵便配達夫の手の中にある封書。その宛名書きには、確かにあたしの名前が書き刻まれている。「里香へ」と。懐かしい、覚えのある筆跡で。

 「どうしたの?受け取りなさい」

 文伽と名乗った郵便配達夫がそう言う。酷く、淡々とした口調で。だけど、震える手がそれを受け取る事はない。出来る筈もない。

 「……ふざけないで……!!」

 「こっちは至って、真面目なつもりだけど?」

 少なからずの怒りが混じった声にも、文伽さんは飄々とした態度を崩さない。それが、あたしの苛立ちを煽る。

 「”秋庭玲二“って、誰だか分かってるの……?」

 「あなた……秋庭里香の父親ね。知ってるわよ」

 「だから、ふざけないでって言ってる!!」

 激高と共に払い落とそうとした手を、ヒラリと手紙がかわす。代わりに伸びてきた手が、あたしの唇にピタリと指を当てた。

 「う……」

 「落ち着きなさい。その激情は、今のあなたの身体には負担が過ぎるわ」

 澄んだ声が、あたしの激情を冷やす。だけど、沸き立つ怒りは収まらない。冗談にしても、世の中には許せるものと許せないものがある。

 「……落ち着いたかしら?」

 そんな言葉とともに、文伽さんはあたしの口から手を離す。ハァッ。止まっていた、呼吸が戻る。あたしは大きく息を吐いて、ベッドの上に突っ伏した。トクトクと速まる鼓動を抑えながら、ハッハッ、と喘ぐ。

 「だから、言ったでしょう?」

 言いながら、文伽さんがあたしの背に手を置いた。パジャマ越しに感じる、冷たい手の体温。それが、身体の乱れを吸い取る様に、動機は収まっていった。

 「全く。世話がかかるわね」

 手を戻しながら呟く文伽さんを、あたしは上目で睨む。

 『文伽が悪いんだよ。急にこんな事言われたら、吃驚するに決まってるじゃないか。まして、この娘にとっては父親は普通にもまして特別な存在なんだよ?知ってるくせに』

 ようやく立ち直ったらしい杖(マヤマ……とか呼ばれていただろうか?)が、そんな事を言ってあたしに声をかける。

 『ごめんね。文伽も悪気はないんだよ。ただちょっと、無愛想で非社交的でぶっきらぼうで……ギャフ!!』

 また壁に叩きつけられるマヤマ。再び沈黙してしまう。コホンと咳払いをした文伽さんが居住まいを正した。

 「ごめんなさい。確かに、話を急ぎ過ぎたわね。最初から説明するわ」

 「………」

 相変わらずのど突き漫才を続ける、一人と一本。これだけドタバタしてるのに、扉一枚向こうにいる筈の看護師さん達が気づく様子がまるでない。やっぱり、この娘達もモモと同じ。人間(ひと)ではないのだ。

 「あなたをからかうつもりはないわ。この手紙は紛う事なく、あなたの父親、秋庭玲二からのものよ」

 「でも……パパは……」

 「知ってるわ。あなたが幼い頃に、亡くなっているのでしょう」

 何でもないかの様に、さらりと言う。文伽さん。手に持っていた手紙を、宛名がよく見える様にピッと立てる。そこにあるのは、懐かしい筆跡で書かれた「里香へ」の文字。見間違える筈もない。でも、そんな筈もない。訳が分からない。心が、乱れる。

 「これはね、死後文よ」

 「しごふみ……?」

 聞きなれない言葉。眉を潜めるあたしに向かって、文伽さんは続ける。

 「死後文は、死した人が遺した人へと送る手紙……。モモが、言っていたでしょう。想いを残した魂は、その想いに縛られてしまう。そうならない様に、その魂達が残した想いを届けるのが、私の仕事」

 「……!!」

 普通に聞いたら、あまりに荒唐無稽な話。でも、今のあたしに笑い飛ばす事は出来ない。何故なら、あたしはもう会っているから。その話を証明する存在に。死神と名乗ったあの娘の、優しい微笑みが脳裏を過る。

 「でも、パパが死んだのは、もう何年も前よ?それが、何で今になって……」

 「それが彼の……秋庭玲二の願いだったから」

 「え……?」

 問いかけの答えは、あっさりと返される。

 「彼から頼まれたのよ。里香(あなた)が、「恋を覚えたら渡してくれ」って」

 「!!」

 思いがけない言葉。顔を赤らめるあたしに、文伽さんは改めて手紙を差し出す。

 「受け取って。ここに、あなたの父親の”想い”があるわ」

 もう、拒む必要も憤る道理もなかった。恐る恐る手を伸ばし、手紙を受け取る。黒い切手の貼られた、一通の便箋。震える手で、封を切る。一瞬、懐かしい匂いが漂った様な気がした。

 

 

 授業時間が終わると同時に、僕は学校を飛び出した。自転車に飛びつき、そのまま全速力で若葉病院に向かう。何度も信号無視を繰り返しながら病院にたどり着くと、乱れる呼吸を整える間ももどかしく、里香のいる病室へと直行した。

 「里香!!」

 息せき切って病室に飛び込むと、里香とおばさんが驚いた顔でこっちを見た。里香はリクライニングベッドの半分を起こして、そこに身を委ねていた。身体に付けられていた器具も少し減って、顔色も幾分良い様だ。

 「吃驚させないでよ。馬鹿裕一」

 か細いけれど、しっかりした声。間違いなく、昨日よりも回復している。僕は、ホッと胸をなで下ろした。

 「いらっしゃい。裕一君。どうぞ、座って」

 おばさんがそう言って、自分の座っていた椅子を僕に進める。僕は「すいません」と言って、素直に勧められた椅子に座る。

 「それじゃあ、私、ちょっと用事を足して来るから。里香の事、お願いね」

 そんな言葉を残して、おばさんは部屋を出て行った。おばさんはたまに、こうやって気を使ってくれる。そんな時、僕達はその好意に存分に甘える事にしている。

 「裕一」

 さっそく、里香が呼ぶ。僕は席を立って、ベッドに近づく。

 僕が近づくと、里香が嬉しそうに微笑んだ。僕は、手を伸ばしてそのおでこを撫でた。里香は目を閉じると、黙って僕に身を委ねる。触った肌は少し火照っているけど、熱はない様だった。

 「昨夜、どうだった?ちゃんと眠れたか?何処かしんどかったり、痛かったりしなかったか?」

 「――――!」

 一瞬、里香が何か考える様な顔をした。何かあったのかと心配したけれど、里香はすぐに笑みを戻すと、こう言った。

 「うん。大丈夫だったよ」

 「……本当か?」

 「何よ。疑うつもり?」

 里香が、口を尖らせる。あんまり詮索して、機嫌を損ねるのも身体に障る気がした。僕は早々に、追求の手を引っ込める。

 「別に。そんなつもりねぇよ」

 「なら、よし」

 里香も簡単に納得して、矛を引く。里香も十分、自分の身を案じている。入院生活が長かった分、やせ我慢をすれば結果的に周りに迷惑がかかる事も重々に承知している。その事に関しては、僕はあまり心配してはいなかった。

 それでも、間近で見ると里香が衰えている事は明白だった。三日前までは、確かに僕らと一緒に日常生活を送っていた筈なのに。ほんの一分足らず、心臓が動く事をやめてしまっただけで全ては壊れてしまう。その儚さと理不尽さを、僕は心の底から怖いと思う。表に出しこそしないけど、患う里香の抱く恐怖はもっとだろう。

 「きゃ!?」

 里香が小さく声を上げた。知らずのうちに、僕が抱き締めていたのだ。

 「裕一……どうしたの……?」

 蚊の鳴く様な声で、里香が訊く。でも、僕は答えずに抱き締める。

 彼女の鼓動を確かめる様に。だけど、壊してしまわない様に。優しく、強く力を込める。数日前から比べて、確実に華奢になった身体。その奥に感じる鼓動に、僕の鼓動を合わせる。トクントクン。ドクンドクン。二つの心臓が奏でるデュエット。それはいつしか同調して、一つの心音となって僕に届く。頭に描く、イメージ。里香の中で息づく、僕の心臓。弱くもなく、脆くもない、あるべき形の心臓。そう。僕の考えが現実になれば、里香は生きれる。まとわりつく病魔に、日々を脅かされる事もなく。五年や十年なんて短い時間じゃなく。里香は、生きていく事が出来る。いや。里香だけじゃない。そして僕もまた、彼女と共に生きていく事が出来る。約束も、誓いも違う事なく。里香を。里香だけを守って生きていける。

 ……決意は、固まりつつあった。

 「裕一……苦しい……」

 腕の中で、里香が呻いた。僕は慌てて腕を引く。

 「わ、悪ぃ!!大丈夫か!!」

 「うん……大丈夫……」

 軽く咳をしながら、里香は言う。

 「ごめん……。ちょっと夢中になった……」

 「………」

 と、気がついた。

 謝る僕を、里香が見つめていた。

 何を言うでもなく、まるで僕の内を探る様に。じっと僕を見つめていた。

 「な、何だ?どうした?」

 戸惑いながらそう訊くと、僕の目をその黒い眼差しで見ながら里香は言った。

 「……裕一、何かあたしに隠してない……?」

 ドキリ

 心臓が、飛び跳ねた。何で、急にそんな事を訊いてきたんだ?あまりに突然すぎて、訳が分からない。

 「ねえ……。隠してない……?」

 続けて、里香が問う。まるで、心の中を見透かされている様な気がする。答えを求めるその瞳が、僕の胸の内をかき乱す。いっそ、思いを全部ぶちまけてしまおうか。けれど、理性がその衝動を押し止める。今、僕の計画はまだしっかりした形を成していない。里香に話しても、否定されてしまうに決まっている。いや、それ以前に里香は絶対了承しないだろう。彼女に拒絶されたら、この計画自体が頓挫してしまう。悟られる、訳にはいかない。僕は、作り笑いを顔に貼り付けて、里香の問いを否定する。

 「な、何言ってるんだよ?そんなの、ある訳無いだろ?」

 「……裕一、おかしい……」

 それでも里香は、納得しない。

 グイッ

 不意に身体が引かれた。里香が、僕の胸倉を掴んで引き寄せたのだ。弱っているとは思えないくらいの、力だった。引き寄せた僕の額に、里香の額がぶつかる。鈍い痛みが広がったけど、それでも里香は僕を放さなかった。

 「……何、隠してるの……?あたしにも、言えない事……?」

 そう。言えないのだ。絶対に、言う訳にはいかない。里香だけじゃない。この計画は、きっと周りの人間全てに否定される。だから、知られる訳にはいかない。まして、里香が知るのは全てが終わった後でいい。だから。だから今は。僕は意を決して、里香の手を振り払った。

 「ないって、言ってるだろ!!」

 振り払うと同時に、語気を強めて言う。里香が、驚いた様に手を引っ込めた。でも、構う暇はない。今は、誤魔化すだけの時間を稼がなきゃいけない。僕は、急いで踵を返す。

 「悪ぃ。ちょっと頭冷やしてくる」

 突き放す様にそう言って、僕は病室を飛び出した。背中に、取り残された里香の視線を感じながら。

 

 

 「裕一……」

 部屋から飛び出していく裕一の背中を、あたしは成す術なく見送るしかなかった。後を追いかけたかったけど、今のあたしには無理な話だった。遠ざかっていく彼の足音を聞きながら、あたしは枕の下に手を入れた。

 取り出したのは、一通の手紙。黒い切手が貼られたそれの宛名は、あたし。差出人は秋庭玲二。あたしのパパ。もういない人からの手紙。「死後文」と言うらしい。昨夜、文伽と名乗る配達夫によって、あたしの元に届けられた。

 「パパ……」

 一度開けた便箋をもう一度開いて、中の手紙を取り出す。開いたその中には、懐かしい匂いと共に懐かしい文字が眠っていた。それを、大事に、大事に、胸に抱く。閉じた目の奥で昨夜の事が思い出された。

 

 

                                     続く

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