ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。


ー皐月雨ー・⑭

 

【挿絵表示】

 

 

                 ―雨道―

 

 

 雨が降っていた。

 ずっと雨が降っていた。

 もう、いつから降っていたのかも覚えていない。濡れた自転車のハンドルを握りながら、僕は傘の隙間から夜空を覗いた。空を、厚く覆う雲。降りしきる雨の合間にも、当然の様に月は見えない。溜息を一つついて、また自転車を押し始める。ふと後ろを振り返ると、遠くに見える灯りの群れ。若葉病院から漏れる光が、雨の帳の向こうでユラユラと揺れている。もう、何をしても、何を思っても、里香に気取られる心配はない。フウ、と息をついて、傘を下ろす。途端、落ちてくる水滴が身体を打つ。けれど、それが妙に心地いい。この上なく里香の事を案じている筈なのに、今はその里香から離れられた事を安堵している。その矛盾が滑稽で、僕は少しククッと笑った。

 それにしても、さっきは危なかった。もう少しで、計画がばれてしまう所だった。いや、頭のいい里香の事だ。もう、勘付いてしまっているのかもしれない。計画を立てる前に、思った事を亜希子さんにこぼしたのもまずかった。意外とお喋りなんだな。亜希子さん。まあ、普通なら本気にする人はいないだろうけど、里香が周りの大人に相談する可能性はある。里香の事を良く知っている人間なら、彼女が妙な世迷言を言わない事を知っているだろう。そこから、話が広がる可能性もある。ひょっとしたら、計画の実行を急がなきゃいけないかもしれない。もっとも、その事自体はやぶさかじゃあない。里香の心臓は、いつどうなるか分からない。早ければ早いほど、里香をその苦しみから開放してやる事が出来る。計画実行後の事に関しては、あまり心配していない。周りの大人達がきっとしっかりやってくれる。そのためには、意思表示をしっかり遺しておかなけりゃいけない。馬鹿正直にドナー登録するのは駄目だ。手間がかかるし、事後に心臓がちゃんと里香に移植されるか分からない。見ず知らずの奴に回されちゃあ、意味がない。やっぱり、ここは遺書を遺して、それに里香に心臓を提供する旨を明記しておくのが賢明だろう。一番の問題は、僕を終わらせる方法だ。普通の自殺じゃいけない。心臓移植は、脳死者からの提供でないと、適応されないのだ。意図的に脳死になる方法。それが、分からない。少なくとも、件の本には書いてなかった。当たり前だけど。とりあえず、頭を打って脳を損傷するのが一番簡単そうだけど、それにしたって加減が難しい。控え過ぎたら痛いだけだし、やり過ぎたら完全に死んでしまう。さて、どうしたものか。それさえ分かれば、今すぐに実行してもいいのだけれど。

 ピシャリ

 考えながら歩いていたら、足が水溜りを踏み抜いた。冷たい感覚に下を見下ろす。ユラユラと揺れる水溜り。そう言えば、何かで言ってたな。脳は3分間酸素が供給されないと死ぬとか何とか。つまり、3分間息を止めればいい訳だ。何日か徹夜するなり、睡眠薬を飲むなりして、風呂で寝てみようか。上手くいけば、湯船で眠りこけて……ああ、でもなぁ。それでも、完全に溺死してしまう可能性はついてまわる。難しいな。本当に難しい。生命(いのち)のやり取りってのは、本当に難しい。

 そんな事を考えていたら、だんだん頭が加熱してきた。落ちる雨が当たる度、ジュウジュウと音と湯気が立ちそうだ。もういっそあれだ。死神みたいなのが出てきて、僕の魂を適度に引っ張り出してくれたりしないだろうか。事が済んだら、用済みの魂は差し上げても構わないから。

 

 「いらないよ。そんなもの」

 

 だよなぁ。そんなうまい話、ある訳が……ん?

 不意に入れられた相の手。驚いて上げた視線の先で、白いワンピースが揺れた。

 

 

 ――リン――

 澄んだ鈴の音が、降りしきる雨音に混じって聞こえる。

 呆然と立ち尽くす僕の前に、いつの間に現れたのだろう。女の子が一人、佇んでいた。酷く、風変わりな女の子だ。見た感じ、歳は僕よりも数歳下。だけど、その顔は幼いくせに妙に大人びている。長い髪も、肌も、着ているワンピースも真っ白で、ただ一つ真っ赤なシューズが強く目に焼き付いた。でも、一番奇異だったのはその右手にあったもの。鎌だった。女の子の身長の倍はある、長くて大きな首刈り鎌。それはまるで……。

 「モモ……あいつ、やっぱり見えてるよ」

 急に、もう一つの声が聞こえた。驚いて下を見ると、女の子の足元にチョコンと座る黒猫が一匹。赤い首輪をして、大きな鈴をぶら下げている。少し動くと、その鈴がリリンと鳴る。さっきの鈴の音はこれらしい。それにしても、今聞こえた声の主がいない。男の子の声らしかったけど、何処にいるのだろう。まさか、この猫が喋ったなんて馬鹿な事は……。

 途端、その猫が金色の目でこっちを見た。そして――

 

 「おい!何ジロジロ見てるんだよ!?」

 

 喋った。

 「う、うわぁあああ!?」

 思わず、腰を抜かしてしまった。手から離れた自転車が、ガシャンッと大きな音を立てて倒れる。それに吃驚したのか、黒猫が尻尾をブワワッと広げて飛び上がる。その拍子に、

 バサリッ

 背中から、蝙蝠のそれの様な翼が伸びた。飛び上がった黒猫は、そのまま空中で静止。パタパタと羽ばたいて宙に浮かぶ。

 「おい、急に大きな音立てるなよ!!吃驚するだろ!!」

 浮かびながら喚く黒猫。もう、訳が分からない。

 「な、何だよ!?それ!!猫じゃないのか!?」

 驚きと恐怖でろくに呂律も回らない。そんな僕を冷ややかな目で見ていた女の子が、ハァ、と溜息をつく。

 「そんなに喚かないで。話も出来ない」

 そう言いながら、僕に向かって歩いてくる。長い雨降りで水の溜まった道。その中を歩いてくるのに、水音がしない。泥が跳ねる様子もない。赤いシューズは、綺麗なままだ。そう言えば、この雨の中に傘もなしでいるのに濡れている様子もない。その事に気づいて、冷えた身体にますます怖気が走る。脳裏に浮かぶ言葉は、ただ一つ。

 「ゆ……幽霊……?」

 「お――ま――え――も――か――!!」

 思わず呟いた言葉に、空飛ぶ黒猫が噛み付いてきた。

 「全く、この間からモモの事、幽霊だのお化けだのって!!モモは”死神”だってーの!!」

 「!!」

 その言葉に、心臓が飛び跳ねた。

 ”死神”?今、”死神”って言ったか?

 僕は、近づいてくる女の子を凝視する。

 真っ白い姿は、僕の思い描く死神のイメージとは程遠い。けれど、言われてみれば、肩に担がれた大鎌はまさに死神のそれで……。

 ゴクリ

 カラカラの喉が鳴る。頬伝う雫が、雨なのか汗なのか分からない。呆然と見つめる僕を、女の子の黒真珠の様な瞳が見下ろしてくる。

 「お前……死神って、本当(マジ)か……」

 「……この(なり)だけど、幽霊やお化けじゃないのは、確かかな」

 そう言って、女の子は宙を舞っていた黒猫を招いた。

 「やるの?」

 「やなんだけどね」

 溜息つきつき、頷く女の子。それに応じる様に、黒猫がクルリと身を丸める。尻尾の先を器用に掴んで形作るのは、黒い輪っか。その穴の中に、女の子がズボリと手を突っ込んだ。黒猫が「ひぁあ!!」とか何か卑猥な声を上げたけど、気にしてる余裕はない。穴に突っ込まれた女の子の腕が反対側から出てこない。猫の輪っかを境目に、虚空に消えている。目の前で繰り広げられる異端事。思わず後ずさる僕を一瞥すると、女の子は悶える猫の輪っかから腕を引き抜いた。

 引き抜いたその手に握られていたのは、一つのカードケース。それを開けると、中のカードを一枚、僕に差し出す。

 「どうぞ」

 恐る恐る受け取ると、それは身分証明書の様だった。

 

 『死神「A」の100100号』

 

 そこに書き込まれていたのは、紛う事なく死神の二文字。

 ゴクリ。また喉が動くけど、飲み込む唾はもう出なかった。

 「100100号。呼びにくいなら、モモって呼んで。100と100だから」

 表情のない顔で、白い死神がそう言った。

 

 

 しばらくの間、沈黙が降りた。僕も、モモと名乗った死神も、そして得体の知れない黒猫も、誰も何も言わない。

 シトシトと雨の降る音だけが、辺りに満ちる。

 「………」

 「………」

 「………」

 最初に耐え切れなくなったのは、僕だった。搾り出す様に、声を出す。

 「……死神……。本当に、死神なのか……?」

 「何度も言わせないで。身分証明書(そこ)に書いてある通りよ」

 そう肯定の言葉を繰り返すモモ。少し不機嫌そうな顔の彼女と、手の中の身分証明書を代わる代わるに見る。雨は降り続けている。僕はもうびしょ濡れだ。だけど、彼女は濡れない。サラサラと流れる雪色の髪の横で、蝙蝠の翼を生やした黒猫が舞っている。その身体が揺れる度、首輪の鈴がリンリンと鳴る。その音を聞いている内に、何かが身体の内からこみ上げてきた。それは見る見る喉まで登ってくると、口から外へと漏れ始めた。

 「く……くく……はは、あはははは……」

 溢れ出る、乾いた笑い。モモは何も言わない。黙って、笑う僕を見ている。

 「あはは……死神だって?本気(マジ)かよ……とんでもねぇ……あはははは……」

 笑いながら、地面を叩く。泥が跳ねて、顔を汚したけれど、気にする余裕なんてなかった。怖い。酷く、怖かった。だけど、笑いは止まらない。まるで、何かのたがが外れてしまった様に感じた。

 座り込んだまま笑い続ける僕を見下ろして、飛んでいた黒猫が心配そうに言う。

 「ねえ、モモ。大丈夫?壊れちゃったんじゃない?」

 「大丈夫だよ。ダニエル。今は少し、混乱してるだけ」

 そう言って、モモは僕を見つめ続ける。その視線の中で、僕は笑い続けた。声が枯れ尽きるまで、笑い続けた。

 

 

 数分後、ようやく笑いが尽きた僕は、はぁ、と大きく息を吐いた。

 「落ち着いた?」

 黙って見守っていたモモが、そう声をかけてくる。

 「……覚めないトコ見ると、夢じゃないんだな……」

 枯れた声でそう答えると、モモは黙って頷く。

 「お前、死神なの?」

 「しつこいね。やっぱり、壊れたかな」

 呆れた様な声音。でも、しかたないじゃないか。こんな状況でまともでいられる奴がいたら、そいつこそ異常者ってものじゃなかろうか。

 と、そんな僕を見ながらモモが言った。

 「”あの娘”は、すぐに受け入れてくれたんだけど」

 ん?

 妙に気になる言葉が、耳に触った。

 ”あの娘”?”あの娘”って誰だ。

 麻痺しかけていた思考が、ある可能性に気が付いた。気が付いた途端、急激に胸の中が冷えていく。そして、に湧いてくるのは、黒い、黒い、ドス黒い感情。

 「……おい……」

 声に険がこもるのが、自分でも分かった。

 「……誰だよ……?」

 モモはすぐには答えない。ただ、妙に覚めた眼差しで僕をを見下ろしている。そんな彼女を、威圧する様に睨む。

 「誰だよ?”あの娘”って……」

 口から吐き出される、暗い声。けれど、モモは動じない。

 「誰だよ……?」

 もう一度、言う。答えは半分、分かっていたけれど。

 と、モモが動いた。ゆっくりと手を上げて、僕の後ろを指差す。その先にあるもの。振り向かなくても分かる。分かっていたけど、心がざわめいた。

 「知ってるでしょ?」

 モモは言う。

 「”あの娘”だよ」

 「――!!――」

 次の瞬間、僕は飛び起きてモモの胸倉を掴んでいた。

 

 

                                     続く

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