その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。
―歪願―
「……なぁ……」
大の字に倒れたまま、僕は”そいつ”に声がけた。
「……何?」
僕を見下ろしながら、
「お前、死神なんだろ……?」
黙って頷く、モモ。
「じゃあさ、魂とか好きに出来る訳?」
澄んだ瞳が、スゥと細まる。まるで、僕の心を見透かす様に。
「……”うん”と言ったら?」
曖昧だけど、概ね期待通りの答えが返ってきた。いけるかもしれない。
「それなら……」
雨が降っている。雨音に紛れない様にしないといけない。大きく口を開けて。出来るだけ、ハッキリと言葉にしよう。
「――オレの事、半分だけ殺してくれないか?」
「………」
少しの沈黙の後、モモが口を開いた。
「それって、”脳死”にしてくれって事?」
「分かんのか?話早いな」
ニッと笑ってそう言うと、モモは少し悲しそうな顔をした。何だろな。こいつ。しょっちゅう泣きそうな顔をする。死神のくせに。
「お前も、知ってんだろ?里香がさ、オレの大事な娘が、死にそうなんだ」
「……今死ぬ訳じゃないって、言ったよね」
「でも、いつか死ぬんだろ?」
僕の言葉に、口を噤むモモ。泣きそうな顔が、ますます泣きそうなるけど、構わず続ける。
「駄目なんだよな。それじゃ、駄目なんだよ。里香はさ、もっと生きなきゃ駄目なんだ。5年とか10年とか、そんな短い時間で終わっちゃ駄目なんだよ。あいつさ、小さい頃から心臓の病気で、ろくな思いしてないんだよ。色んなもの、なくしてるんだ。だからさ、見せてやりたいんだ。凄いものとか、綺麗なものとか、もっと、もっと」
僕の脳裏に浮かぶ、ある日の光景。僕と一緒に自転車に乗りながら、里香は空を見ていた。青い空のずっと遠くを見て言っていた。「綺麗」だと。「世界って、綺麗」だと。その時の里香の瞳を僕は忘れない。
「駄目だよな。生きなきゃ、駄目なんだよ。里香は」
何度も噛み締める様にそう言って、僕はモモを見る。モモは、いつしか泣いていた。黒真珠の様な瞳が潤んで、ポロポロと涙が溢れていた。あはは。何だ、こいつ。本当に、変な奴だな。
「心臓なんだよ」
自分の左胸を掴んで、言う。
「心臓さえ……まともな心臓さえあれば、里香は生きれるんだ。」
それは、僕の中で動いている。力強く、鼓動を打っている。
「だからさ、やりたいんだよ。オレの心臓、里香にやりたいんだ」
「………」
モモは、何も言わない。黙ったまま、僕を見つめている。
「オレの心臓を里香にやるにはさ、オレが死ななきゃいけないんだよ。それも、完全に死んじゃ、駄目なんだ。頭だけ、頭の中だけ、死ななきゃならないんだ」
……雨が、強くなってきた。強くなる雨音に負けない様に、声に力を入れる。
「だからさ、殺してくれよ。半分だけ、頭の中だけ、オレを殺してくれ。全部済んだら、魂はお前にやるからさ」
シトシト
シトシト
雨が降る。雨幕と夜闇で霞む視界。ずっと黙っていたモモが、ゆっくりと口を開く。
「言ったでしょ。そんな魂なんて、いらない」
涙に潤んだ、だけど強い、そんな声だった。
「……足りないのかよ?」
僕は訊く。
「
「君は、何も分かってない」
モモが、言った。強く、冷ややかに。
「
「そんなお決まりの言葉、聞きたくねぇよ」
僕はそう言って、目を逸らす。何だか、僕を見下ろすモモの瞳を、凄く怖く感じたから。でも、構う事なく彼女は続ける。
「続く事が叶わなくなった自分の命を、他人のために使う人は確かにいる。そして、それはとても気高くて尊い事。でも……」
見下ろすモモの眼差しが、強くなる。それは、とても綺麗で、僕は思わず息を呑んだ。
「自分の命が絶える事を、その人達が望んでいたと思う!?」
「!!」
「生きたかったに決まってるじゃない!!生きていたかったに、決まっているじゃない!!君は言ったよね!?あの娘に、もっと綺麗なものを見せたいって!!でもね、そんなのは皆同じ!!命を渡した人!!その家族!!友達!!想う人達、皆、皆そう思ってる!!思って、願って、それでも叶わなくて、だから、せめてもの願いを込めて命の欠片を託すの!!生かすために死ぬんじゃない!!生きるために、生き続けるために、生かすの!!」
強い言葉だった。頭が、ガンガンと殴られる様だった。だけど、僕も引く事は出来なかった。倒れていた身を起こし、しぼみかけていた肺に力を込める。
「何が、悪いんだよ!!」
喉が裂けんばかりに、喚く。
「オレは里香を助けたいんだ!!生きていて欲しいんだ!!だから、オレの命をやるんだ!!オレは死ぬ訳じゃないぞ!!生きるんだ!!里香の中で、ずっと一緒に生きるんだ!!里香を守って、ずっと守って生きるんだ!!それの、何が悪いってんだよ!?」
全てを吐き出した。胸に溜まっていた思いの全部を吐き出した。ぶつけて、なぎ倒すつもりだった。だけど、
「そんなのは、ただの自己満足!!」
全ては、その一言で粉砕された。
「君がそんな事になって、誰が喜ぶの!?誰が褒めてくれると思うの!?君の母親!?友達!?学校の先生達!?違うね!!皆、皆泣くだけ!!そう!!君の言った通りだよ!!命の重さは、同じなんだから!!」
「……っ!!」
「そして、誰よりも――」
言葉に詰まる僕の耳で、モモの声が彼女の声と重なった。
「――君の勝手な思いで、たった一人生かされる、あの娘はどうなるの?」
「う……」
返す言葉は、ない。術なく、黙りこくる。そんな僕に、モモは最後の言葉を投げかけた。
「……君の考えは、望んだ命が叶わなかった人達と、それを譲り受けた人達に対する冒涜。そんな軽い魂なんて、あたしはいらない。天上になんか、導かない。勝手に、彷徨えばいい」
そして、モモは濡れていた眼差しをグイッと拭う。散った涙が、雨に混じって僕に降った。
「あたしの言いたかった事は、それだけ。後は、勝手にして」
クルリと踵を返すモモ。その背中を呆然と見つめる僕に、近寄ってきた黒猫が言う。
「……お前、モモはな、殺し屋じゃないんだ!!勝手に人を殺したりしないし、魂を奪ったりもしない。いつも、泣きながら魂を送ってる。優しいからな。そこんとこ、よく覚えとけ!!」
そう言い捨てて、去っていくモモの後ろを追っていく。やがて、彼女達の姿は雨幕の向こうに消えていった。
「……私達も、行きましょうか」
『そうだね。文伽』
聞こえた声に視線を向けると、杖を持った郵便配達が去ろうとしている所だった。去り際に、彼女がチラリとこっちを見て言った。
「……やっぱり、あなたにはまだ渡せないわね」
意味の分からない言葉に混じって、杖が『やれやれ』とぼやくのが聞こえた。
そして、彼女の姿も夜闇の中に消えていった。後に残されたのは、僕一人だけ。
降りしきる雨。
その中で、昏い宙を見上げる。月は見えないけれど、今は火照った身体に満ちる冷気が心地いい。
身を雨に晒しながら、する事は一つ。
考える事。
今、起こった事を反芻する。
何度も。
何度も何度も何度も。
そして、行き着いたのは一つの結論。
……ああ、そういう事か……。
「ククッ……ハハハ……」
笑いがこみ上げてきた。虚空に漏らす声。こんな喜びを感じたのは、いつぶりだろう。声を上げて笑おうとしたら、開けた大口に雨水が入った。
「ゲホッゴホッゴホッ!!」
思いっ切りむせて、地面を転がる。笑いながら、転げ回った。濁った雨水が、怯える様に宙に散った。
その晩、遅くに泥まみれになって帰った僕は、母親にこっぴどく叱られた。
雨は結局、その日も止む事はなかった。
続く