ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。



ー皐月雨ー・⑱

 

【挿絵表示】

 

 

                 ―昏い熱―

 

 

 

 その頃、戎崎裕一は自宅の寝床で悶々としていた。

 ピピッピピッピピッ

 脇に挟んだ体温計が、計測終了のシグナルを鳴らす。抜き取って見てみると、表示されている数字は38度3分だった。

 「う~ん。これじゃ、明日も学校は休みね」

 体温計を確認した戎崎裕一の母親が、やれやれと言った調子でそう言った。

 「学校なんか、どうでもいいよ」

 熱で赤くなった顔で不貞腐れながら、戎崎裕一はゴロリと横を向く。

 「どうでもいいって事ないでしょう?あなた、留年してるのよ。ちゃんとしないと、またやっちゃうわよ?」

 母親の言葉にも、戎崎裕一は無言。顔は、実に不機嫌そうだ。その様子を見た母親が、大きく溜息をつく。

 「全く。どうせ里香ちゃんの事ばっかり考えてるんでしょう?」

 その言葉に、戎崎裕一の肩がピクリと動く。どうやら、図星の様だ。あまりに分かり易い息子の態度に、母親は苦笑いする。

 「駄目よ。学校にも行けないその有様じゃあ、今の里香ちゃんの所になんか、行ける筈ないでしょう」

 そう。秋庭里香のいる入院病棟には、彼女のみならず免疫力が落ちている患者が多くいる。その様な場所に、風邪引きの身で行くなど言語道断。風邪が治るまで、戎崎裕一は秋庭里香の元を訪れる事は出来ない。世間の常識である。

 「うるさいな。分かってるよ。そんな事」

 ぼやく言葉も、ガラガラの風邪声では迫力もない。まあ、元からそんなものはなきに等しいが。

 そんな彼を困り顔と笑い顔半々と言った様子で見ながら、母親は言う。

 「そんなに心配しなくても、大丈夫よ」

 「?」

 何の事かと顔を向ける息子に向かって、ニヤニヤと笑って見せる。

 「さっき、里香ちゃんのお母さんから電話があったわ」

 「ええ!?」

 ガバッと飛び起きる、戎崎裕一。そのまま、ニタニタしている母親に詰め寄る。

 「何で、教えてくれないんだよ!!」

 「何言ってんの。熱でフラフラのくせに。電話で立ち話なんか出来る訳ないでしょ?」

 言いながら、トンと戎崎裕一の額を押す。

 「うぁ……」

 ヘナヘナとベッドに沈む戎崎裕一。そんな彼の頭に絞ったタオルを乗せながら、彼の母親は相変わらずニタニタと笑っている。

 「里香ちゃんが言ったみたいよ。今日は来ないみたいだけど、どうしたのかって」

 「……里香が……」

 「相変わらず、熱いわね」

 言いながら、濡れタオルの乗った息子の頭をポンポンと叩く。

 「大丈夫よ。何かあったら、必ず連絡が入るから。あんたは、安心して休んでなさい」

 「でもさ……」

 「いいから。しっかり寝て、キチンと治しなさい。でないと、いつまでたっても里香ちゃんに会えないわよ」

 そして、「具合が悪くなったら呼びなさい」と戎崎裕一の枕の横に携帯をおいて、母親は部屋を出て行った。

 母親のいなくなった部屋。広くなった空間の中で、戎崎裕一は仰向けになったまま天井の電灯を見つめていた。熱に浮かされた視界で、チカリチカリと光が滲む。その光の中で、たった今まで自分を見下ろしていた母親の顔が残像の様に浮かんでは消える。

 戎崎裕一の今を案ずる顔。そして、彼の未来を信じる顔。子を想う、母の顔。

 幼い頃から、戎崎裕一が風邪を引くと彼女はこうやって仕事を休んで看病をしてくれた。優しく呼びかける声。額に置かれる、冷たい手の心地よい感触。作ってくれる、玉子粥の柔らかい味。それは、彼が成長した今になっても変わりはない。戎崎裕一にとって、世界でたった一人の血の繋がった肉親。飲んだくれの遊び人だった父親。それが亡くなった後。その穴の全てを埋めようと、懸命に育ててくれた母親。表に出す事すら少ないが、その愛情の深さは戎崎裕一も身に染みて知っている。だからこそ、そんな母親を幾度となく泣かせていた父親を彼は嫌悪していた。父親の様に、母親を泣かせる様な事はすまいと密かに心に決めていた。

 けど。

 だけど。

 今、戎崎裕一はその禁忌を犯す事を心に決めていた。

 彼がやろうとしている事は、間違いなく母親に対する最大の裏切りになる。それは、重々理解している。しているつもりである。しかし、今、戎崎裕一を突き動かしているのは、母親へのそれよりもさらに大きな想いであった。

 それは、他にあろう筈もない。秋庭里香への想いだった。

 今の戎崎裕一が考えられるのは、いかに彼女を永らえさせるか。その一点に集中されていた。

 それは、ある意味酷く独善的で、自己中心的な想いだった。

 そこには、母親への想いも、友人達への配慮も、そして秋庭里香への思いやりすらなかった。あるのはただ、秋庭里香を生かしたいと言う一方的な願いだけ。その結果が及ぼす事態を、彼は全く考慮に入れていなかった。否。あえて無視していた。そう。気づいていない訳ではない。知らずにいた訳ではない。

 何故なら、その事は既にある存在によって直言されていたのだから。

 それは、昨夜の出来事。秋庭里香の元から自宅へとつながる道程で起こった。

 暗く落ちた雨幕の中、戎崎裕一の前に現れた存在。

 ”彼女”は、彼に向かって言い放った。

 

 お前がそんな事になって、誰が喜ぶのか?

 誰が、褒めると思うのか?

 否。

 泣くだけ。

 皆、泣くだけ。

 母親も。

 友人達も。

 そして、生かされる秋庭里香さえも。

 等しいのだから。

 命の重さは、等しいのだから。

 

 ――と。

 

 それは、重い言葉だった。

 正しく、正論だった。

 反論など、叶わない程に。

 だけど。

 それでも。

 戎崎裕一は、それを無視した。

 敢えて、届かぬふりをした。

 何故なら、それを認めてしまえば。

 受け止めてしまえば。

 術が、なくなるから。

 成す術が、なくなるから。

 秋庭里香を、生かすための術が。

 そう。

 全てはそのため。

 秋庭里香を生かし続けるため。

 ”彼女”の言葉も。周囲の想いも。秋庭里香本人の願いすらも。

 今の戎崎裕一には関係なかった。

 何も、関係なかった。

 

 

 フラリ

 戎崎裕一の身体が、ベッドから抜け出る。そのまま、フラフラと彷徨う様に歩く。歩きゆく先にあるのは、勉強机。揺れる身体を椅子に収めると、机の上に放り出していた鞄を開ける。中から引っ張り出すのは、一冊の大学ノート。その中から白紙のページを選ぶと、ビリッと破りとる。そして、机の上に転がっていたシャープペンを手に取ると、その紙に何やらカリカリと書き始める。何度も文面を確かめては、消しゴムで消し、また書き直す。何度も何度も。納得がいくまで。それは、彼の計画の要となるもの。些細な誤字も脱字も、意味の取り違えも許されない。丁寧に丁重に。そして、慎重に。何度も推敲し、書き上げていく。そうやって、戎崎裕一がペンを走らせ始めて数十分が経った頃――

 ――リン――

 静かだった部屋の中に、鈴の音が響いた。

 けれど、戎崎裕一は気にもしない。顔を上げる事もなく、”それ”を書き続けていく。

 「……寝てなくていいの?」

 不意に、声が響いた。母親の声ではない。幼いのに大人びた、不思議な声。

 けれど、戎崎裕一に動揺はない。知らない声ではなかった。知らない気配でもなかった。初めて会った時こそ恐れ慄いたが、今はその時間すら惜しい。

 「やる事は、やらなきゃいけないからな」

 書き綴る文面から目を逸らす事もなく、答える。

 「……やらなきゃならない事って、何?」

 「分かってんだろ?」

 やはり、目は逸らさない。ひたすらに、書き続ける。

 「言ったよね。あたしは、手を貸さないよ」

 「そうか?」

 声だけで、答える。

 「……何が、言いたいの?」

 背後の声が、微かに揺れた。言葉を、続ける。

 「オレが実際に行動に移したら、お前はどうすんの?」

 「……!!」

 動揺の気配。戎崎裕一は、微かに口角を上げる。

 「何だかんだで、オレの頼み聞いてくれんじゃないか?死を無駄には出来ないとか言って」

 「………」

 答えはない。肯定と受け取る。

 「はは、図星かよ」

 嘲る様に、笑う。

 「じゃあ、頼むよ。オレの命、預けるからさ。なあ、”死神”」

 ――リリン――

 その言葉に反応する様に、乱れた鈴の音が響いた。

 「お前、何言ってるんだよ!!」

 それまで聞こえていたものとは違う、少年の声が響く。

 「モモは、お前のためを思って言ったんだぞ!!それを……それを……!!」

 その声は、怒っていた。とても怒っていた。だけど、今の戎崎裕一には、その怒りすらも届かない。

 「そうだよな。そういう事だよな」

 戎崎裕一は言う。無意識の、悪意を込めて。

 「お前が言ったんだもんな。”優しい”って」

 「――!!」

 答えに詰まる気配。怒りに身体を震わせる気配も感じる。

 リンッ

 弾ける鈴の音。飛びかかって来たのだろう。空気が揺れる。けれど――

 パシッ

 それを抱き留める音が響いた。少年の声が、喚く。

 「放して!!モモ!!こいつ……こいつ!!」

 「いいよ、ダニエル。そんな事、しなくていい……」

 悲しげな声が、少年の声をなだめる。

 「いいのか?じゃあ、行ってくれよ。気が散るからさ」

 突き放す様に、言った。

 「………」

 「………」

 場に流れる、しばしの沈黙。そして、

「……届かないね……」

 涙で潤む様な声。答えは、返さない。返す必要もない。

 ――リン――

 また、鈴の音が一つ。悲しげな響きを残し、気配が消えた。

 構う程の事じゃない。最後の一文を書き上げる。

 ペンを置き、丁寧に読み返す。間違いはない。遺志は、明確に伝わるだろう。

 フウ……

 大きく息をして、脱力した様に身体を椅子の上に伸ばす。

 少しの間。やがて――

 「ク……ククク……」

 知らずのうちに漏れ出す、笑い。

 「アハ、アハハハハハハ……」

 戎崎裕一は笑う。自分の計画の成功。それを、確信して。

 「ハハハハハハハ……」

 笑う。笑う。壊れた、様に。

 震えるその手元には、書き終えられた手紙が一通。長く書き綴られた文章の、最後の一文はたった一言。

 

 ――僕の心臓を、里香にあげてください――

 

 その文字を確かめる様に指先でなぞり、戎崎裕一はさらに笑った。

 雨の降る夜。

 壊れた少年の笑い声は、雨音と夜闇の中に溶けては消えた。

 

 

                                     続く

 

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