ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。



ー皐月雨ー・⑲

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―凶兆―

 

 

 雨が降る夜だった。

 シトシトと、雨が降る夜だった。

 激しく、荒ぶるでもなく。

 儚げに、霧と散るでもなく。

 シトシトと。

 ただ、シトシトと雨が降る。

 そんな、五月の夜だった。

 

 

 その夜、あたしは不意に目が覚めた。何かがあった訳じゃない。ただ唐突に、眠りから(うつつ)へと引き戻された。

 「ん……」

 そっと、身体を起こす。ベッドに馴染み過ぎた身体が、キシリと軋んだ。気づくと、胸がトカトカと鳴っていた。一瞬、ビクリと胸を押さえる。でも、違う。これは、病気がもたらす乱れじゃない。間違いはない。幾度か経験した事。身体が、覚えている。でも、それならこの動悸は何なのだろう。嫌だ。何か、凄く嫌な感じだ。酷く、不安を駆り立てる鼓動。まるで、これから何かが起ころうとしているかの様な焦燥感。人は、時として凶兆を察する時があると言う。”虫の知らせ”とかいうやつだ。後で思えば、これがそうだったのかもしれない。でも、この時はそんな事、知る由もない。あたしはただただ、戸惑うだけだった。

 病院の消灯時間はとうに過ぎていた。常夜灯だけの薄暗い病室。ママは、いない。あたしの病状が安定したから、夜には家に帰る様になっていた。若葉病院は完全介護制。余程の事がない限り、親族でも宿泊は出来ない。何の事はない。今までが特別だっただけ。看護体制が普通になったという事は、あたしの身体が一番危ない所を抜けたと言う事。それは、結構な事だと思う。

 先生は言っていた。本当は、心室細動の再発を防ぐために植え込み型除細動器(体内に植え込む、小型のAEDの様なもの)の採用が望ましい。けれど、あたしの心臓ではそれの植え込み手術でさえ、行うにはリスクが伴うと。今更だ。出来るものなら、とうの昔にやっている。そう。要するに、全ては今までと同じと言う事。何が変わる訳でもない。悲観する事は、何もない。あたしはあたしのまま。そういう事だ。

 ようやく、目が薄闇に慣れてきた。動悸はまだ、収まらない。閉められたカーテン。その向こうから聞こえるのは、微かな水音。相変わらず、雨が降っているらしい。もう、どれほどになるだろう。あたしが倒れた日から続く雨。もう何日も、月も太陽も見ていない。

 そして、見ていないのは裕一の顔も同じ。

 彼が風邪を引いて来れなくなってから、もう三日。その間、音沙汰は全くと言っていい程ない。便りがないのは良い便りと言うけれど、件の不安が消えた訳ではない。いや。むしろ様子が確認出来ない分、日々の不安は大きくなっている。三日も経っているのだ。風邪はもう治っている筈。なのに、何故彼は来てくれないのだろう。最後の日に見た裕一の顔が思い浮かぶ。貼り付けたような笑み。何かを思い詰めた様な顔。「ずっと一緒だろ」と繰り返した、あの顔。それに、”彼女”達の言葉が重なる。

 

 ――あなたの近くにはもう一つ、危うい魂がある――

 ――“死にそうにない人”なんて、いないよ――

 ――死は、全ての生命(いのち)に平等に訪れる。どんなに生気に溢れた人間でも、一秒後は分からない――

 

 亜希子さんの話が本当なら、裕一は、自分の心臓をあたしに移植させようとしている。そのためには、裕一は自分を脳死状態にしなければいけない。けれど、意図的に脳死になる方法なんて、ありはしない。それが、絶対の障壁になる。裕一は馬鹿だけど、そんな事に気づかない程の考えなしじゃない。重々、承知の筈だ。心配なんて、しなくていい。

 何度も、自分にそう言い聞かせた。

 だけど、渦巻く不安は消えない。何かが、引っかかる。何かの可能性を、見落としている。何だろう。あたしは、何を見落としているのだろう。

 凶兆を告げる動悸は止まらない。まるで、何かを急かす様に高まっていく。もう、我慢は出来なかった。時計を見ると、表示されている時間は午前二時十二分。流石に夜更かし好きな彼でも寝ているだろうけど、それなら叩き起せばいいだけ。ベッドの脇にあるテレビ台。それに手を伸ばすと、下に付いている引き出しから仕舞っていたバックを引っ張り出す。手元に引き寄せたそれから取り出すのは、携帯電話。

 本来、病院(ここ)では使ってはいけないもの。でも、万が一の時に自宅に連絡するために、常備だけはしていた。

 ごめんなさい。

 誰ともなしに謝って、携帯を操作する。電源を入れ、呼び出すのは裕一の携帯番号。それをタップして電話をかける。一拍の間。そして、鳴り始める呼び出し音。途端――

 ♪~♪♪~♪~♪~♪~♪♪~

 「!!」

 突然、扉の向こうから聞こえてくる着信音。聞き間違える筈もない。裕一の携帯の、着信音だ。

 「え!?」

 一瞬、頭の中が真っ白になる。どうして?どうして、彼の携帯が病院(ここ)で、あたしの病室の前で!?

 あたしが呆然とする間に、扉の向こうであたふたと慌てる気配がして、着信音がピタリと止まった。その瞬間、空回りしていた頭の中の歯車が噛み合う。そう。この事態の答えは一つしかない。

 いるのだ!!彼が!!裕一が、そこに!!

 「裕一!?」

 思わず、叫ぶ様に声がける。答えは、ない。ただ、走り去っていく音だけが扉越しに聞こえた。

 「待って!!裕一!!裕一なんでしょ!?」

 ビンッ

 ベッドから降りようとする身体を、腕から伸びる点滴の管が引き留める。

 「――っ!!この!!」

 ビッ

 点滴の針ごと、固定していたテープを引き剥がす。血の雫が散ってパジャマに赤い模様を残すけど、気にしている暇はない。

 「裕一!!」

 彼を追って、ベッドを降りる。けれど――

 ガクンッ

 「きゃっ!?」

 床についた両足に、力が入らない。膝がカクンと折れて、前のめりに倒れてしまう。かろうじて両手で支えたけれど、立とうとする足はカクカクと笑って、言う事を聞かない。

 一週間近く、ベッドの上だった身体。足の筋力が、衰えているのだ。

 「こんな……時に……!!」

 何とか、ベッドにすがって立ち上がる。けれど、それが限界。筋肉が落ちた足は物理的に動かない。こうしている間にも、裕一の足音はどんどん遠ざかっていく。

 「裕一……待って……!!」

 追おうとしたけれど、またカクリと膝が落ちる。使えないものに頼っても、時間の無駄だ。手と膝で身体を引っ張って、這う様に進む。

 あたしは確信していた。何故こんな時間、こんな所に裕一がいるのか。話は、簡単だ。人の気の薄いこの時間ならば、邪魔される可能性は低い。設備の整った病院(ここ)ならば、すぐに事態に対応してくれる。

 そう。彼は、裕一は今夜、病院(ここ)でやるつもりなのだ。計画を。あの間違いだらけの計画を、実行に移すつもりなのだ。

 間違いだらけ。

 その通り。間違いだらけだ。

 人なんて、そんな簡単に死ねるもんじゃない。

 人なんて、そんな簡単に死んでいいもんじゃない。

 命も、死も、そんな軽いものじゃない。

 簡単に、投げ出していいものじゃない。

 容易に、受け入れていいものじゃない。

 例え、それが誰かを生かすためだったとしても。

 それが他の人達の悲しみを考えない行為なら、そんなのは(てい)のいい自己満足に過ぎない。

 そして、何より。何よりも。

 あたしが、認めない。受け入れない。許さない。

 裕一を死なせて、あたしが生きる?冗談じゃない!!そんな生き方、あたしの方からお断りだ。あたし達の約束は、そんな爛れ切ったものじゃない。一緒に生きて、一緒に歩いていく。それが、あたし達だった筈。

 その事を、裕一に思い出させなきゃいけない。

 彼を、見ている悪い夢から目覚めさせなきゃいけない。

 一歩一歩が酷く遠い。筋力の落ちた身体は、鉛の様に重い。早く。早く行かなきゃならないのに。

 時間がない。間違いなく。

 裕一が、どんな手段を思いついたのかは分からない。だけど、何か考えがある事は間違いない。そして、それが決して準備に手間取る様な事ではないのも確か。

 病院の朝は早い。当直の看護師さん達は、午前四時くらいから本格的に仕事を始める。その時間帯までに、事を決める気に違いない。急がなきゃいけない。でないと、全ては手遅れになる。這いながら、伸ばす手。それが、何とか扉の取手に届いたその時――

 

 キリッ

 

 突然、胸に痛みが走った。

 「―――っ!!」

 思わず、胸を押さえる。

 ――しまった――

 そう思うと同時に、扉の取手を頼りに立ち上がろうとしていた身体が崩れ落ちた。そのまま、成す術なく床に転がる。

 ドッドドッドッドッドドドッ

 「あ……ああ……」

 押さえる胸の奥で、心臓が苦しげに呻く。今まで感じていた不安の動悸とは、まるで違う。瞬時に悟った。駄目だ!!これは、駄目だ!!

 「……う……あ……」

 もう、言葉を紡ぐ事もままならない。急激に暗くなっていく視界。意識が、消えかかっている。

 「ゆ……いち……」

 形にならない声で、彼を呼ぶ。どうして。どうして、今なのだろう。今でさえなければ、いつでも良かったのに。

 頬を、温かいものを伝う。苦痛の涙じゃない。悔しかった。ただ、悔しかった。彼を、止められない事が。彼の傍に、いれない事が。彼の目を、覚ましてあげられない事が。

 裕一は、きっとまだ走り続けている。間違った、破滅に向かって。もう、その意味すらもなくなるのに。

 そう。意味はない。あたしはきっと、これで終わる。そうなれば、もう裕一が死ぬ意味はないのだ。

 暗闇に落ちていく視界の向こうに、走っていく彼の後ろ姿が見えた。

 駄目。止まって。向こうに行っては、駄目。

 闇の中で、手を伸ばす。だけど、届かない。

 やめて。やめて。いいの。もう、いいの。あなたが死ななきゃいけない理由なんて、もう、何処にもないの。

 必死に叫ぶ声も、届かない。

 届かない。届かない。何も、届かない。

 彼は走る。真っ暗な、破滅に向かって。

 あたしは堕ちる。真っ暗な、絶望に向かって。

 そして、全てが闇色に染まって――

 

 「マヤマ。コードR9941。承認を」

 『了解。コードR9941、承認』

 

 遠くでそんな声が聞こえた。途端、

 ハアッ

 身体が、新しい空気で満たされる感覚。夜闇に朝日が差し込む様に、暗かった視界がパアッと晴れた。

 「う……」

 「気が付いた?」

 かけられた声に、胡乱だった思考が刺激される。ハッと上げた視線の先で、紺色の外套(マント)が舞った。

 

 

                                     続く

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