その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。
―優闇―
気が付けば、床に倒れたあたしを一人の少女が見下ろしていた。
古風な郵便配達夫の格好。手に持った、長い杖。その姿に、あたしは見覚えがあった。
「文伽……さん……?」
『ああ、良かった。間に合ったよ。越権した甲斐があったね』
あたしの呼びかけに答える様に、文伽さんの手の中の杖――マヤマ君が声を上げる。その横で、澄ました顔の文伽さんが言った。
「緊急事態だったから、相応の手段を取らせてもらったわ。まだ予定でもないのに、勝手に死なないでくれる?あなたの父親に合わせる顔がなくなるでしょう?」
相変わらずの、そっけない態度。でも、その言葉は何処か温かい。
「ありがとう……。助けてくれたんだね」
お礼を言うと、文伽さんはキュッと帽子を目深に被る。
「お礼ならいいわ。必要な時に必要な事をしたまでよ。それよりも……」
文伽さんが、病室の扉に目を向ける。
「動けるかしら?急がないと、あの子が一線を超えてしまうわ」
「!!、裕一!!」
反射的に飛び起きようとしたあたしを、マヤマ君が慌てて制止する。
『ああ、そんな急に動かないで!!また発作を起こしたらどうするのさ!?そう何度も越権行為は繰り返せないんだよ!!』
「でも、裕一が……」
「大丈夫よ。まだ、そんなに時間は経っていないわ」
そう言いながら、あたしに向かって身を屈める文伽さん。
「掴まりなさい。肩を貸すわ」
「ありがとう……」
あたしが細い肩に捕まると、文伽さんは少し力みながら立ち上がる。
「あなたが気を失っていたのは、ほんの一瞬よ。まだ、大丈夫。それに、”あの娘”も向かってるわ」
「あの娘……?」
「モモよ」
文伽さんの言葉に、ドキリと胸が鳴る。
「モモが……?」
「話は行きながらよ。時間がない事に、変わりはないのだから」
言いながら扉を開けると、文伽さんはあたしを支えたままスルスルと走り始める。人一人支えているのに、その足取りには乱れがない。見かけによらず、結構力持ちなのかもしれない。そんな事を考えていると、文伽さんがギロリとこっちを見た。
「言っておくけど、マヤマに手伝ってもらってるだけだから」
……読心術でも使えるのだろうか。無表情で言うから、結構怖い。
「くだらない事考えていないで、戎崎裕一を思い止まらせる言葉でも考えていなさい」
足音もなく走りながら、文伽さんは言う。
確かに。あたしの不安は別にある。
「あの……モモは、どうして……?」
「……心配なのね。あの娘が、戎崎裕一を連れて行ってしまわないか」
「………」
黙って、頷く。そう。あたしは、それを恐れていた。モモは死神だ。死した魂を送るのが役目。その予定に、裕一は入っているのだろうか。
「……大丈夫よ。戎崎裕一の死は、もっと先の話」
「!!」
その言葉に広がる、安堵の気持ち。でも、それを文伽さんの言葉が遮った。
「……予定ではね」
「……え……?」
言葉の意が掴めない。何の事だろう。怪訝な顔をするあたしの顔をチラリと見て、文伽さんは続ける。
「モモは先日、戎崎裕一に接触を図っているわ」
「モモが、裕一に!?」
この上なく真剣な顔で、文伽さんが頷く。
「当然、彼の計画を思い止まらせるためだったけど、それが裏目に出た」
「……どういう、事?」
「戎崎裕一が、あの娘の優しさに気づいてしまったわ」
「―――っ!!」
一瞬、呼吸が止まった。
「分かるでしょう?この意味が」
「………」
前を向いたまま、問う文伽さん。あたしは、無言で頷く。
そう。モモは、優しい。この上なく。そして、裕一の想いを知っている。もし、止める事が叶わずに、裕一が”それ”を成してしまったら?引き返す事が出来ない所まで、行ってしまったら?その時、彼女はどんな選択をするのか。
答えは、簡単だった。
「……随分と、狡猾なのね。あなたの想い人は」
文伽さんの言葉も、もう頭に入らない。
これだ。これだったのだ。あたしの心に、引っかかっていたもの。そして、見落としていたもの。それは、
――
音もなく、疾走する文伽さん。
薄暗い、病院の廊下。そこに、彼の姿はもう見えない。
お願い。モモ。どうか、どうか……。
祈りの言葉は、強まる雨音に削られ消える。
雨の降りしきる、暗い夜空。
月は、見えない。
まだ、見えない……。
続く