ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。


ー皐月雨ー・㉑

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―冷夜―

 

 

 肌寒い夜だった。

 深々と、肌寒い日だった。

 キリキリと、身に喰い込むでもなく。

 キシキシと、骨を軋ませるでもなく。

 深々と。

 ただ、深々と肌寒い。

 そんな、五月の夜だった。

 

 

 その日の深夜、僕はこっそりと寝床を抜け出した。外着に着替えて、腰に用意していたウェストバックを括りつける。身支度をすませると、静かに部屋を出る。音を立てない様に階段を降りて、階下に着く。廊下を渡る途中で、そっと母親の寝室を覗いた。座敷に敷いた布団で、スヤスヤと寝息を立てる母親。その顔を、目に焼き付ける。多分……いや、これから僕がしようとしている事は、間違いなく最大級の親不孝だ。きっと、この(ひと)は泣くだろう。当然、怒るだろうし、絶望もしてしまうかもしれない。

 だけど。

 それでも。

 僕には、選択の余地はなかった。

 里香を失う事は出来ない。

 里香を、あの苦しみの中に置いておく事は出来ない。

 里香を、あの白い箱の束縛から開放しなきゃならない。

 そのためには、犠牲が必要だった。

 里香の命に代わる、犠牲が。

 その犠牲に、僕がなる。

 それだけの、話なのだ。

 僕の母親は、里香の事を気に入っている。それこそ、自分の子供の様に。そして、僕はいなくなるけれど、里香が残る。だから、僕の代わりは里香が十二分に埋めてくれる。何の心配もいらない。

 母親の寝室の戸を音が立たない様に閉めると、玄関に向かう。靴を履いて戸を開けると、外は雨が降っていた。本当に、しつこい雨だ。横の傘立てに掛けてあった合羽を取って、身体に羽織る。外に出ると、吐く息が薄白く染まった。季節外れの寒さも、相変わらずだ。無粋な空だと、つくづく思う。最期くらい、”あの時”みたいな月を見ながら逝きたかったのに。

 まあ、そんな事でブツブツ言ってもどうしようもないのだけれど。

 庇の下から出る前に、合羽の前がしっかり閉まっている事を確認する。この下に着込んでいるジャケットの胸ポケットには、先日書いた手紙が入っている。後に、僕の遺志を伝えるための大事な手紙だ。濡れたりしない様に、気をつけなきゃいけない。合羽の中に雨が入らない事を確認すると、僕は庭に止めてあった自転車に向かう。スタンドを上げて車輪を回すと、キィキィと錆びた音が鳴る。聞き慣れたこの音とも、今夜でお別れだ。こいつにも、随分世話になったっけ。もう一乗り、頼むぞ。濡れたサドルを持ってきたタオルで拭うと、僕はそれにまたがった。ペダルに足をかけて漕ぎ出ると、降り落ちる雨粒が身体に強く吹き付ける。まるで、行く手を押し止める様なそれを蹴散らすと、僕は一気に夜道へと走り出した。目的の場所、市立若葉病院に向かって。

 

 

 僕が、計画の実行場所を若葉病院に決めた理由はいくつかある。一つは、この病院がこの辺りで一番設備が整っている事。その信頼性は、里香の手術を成功させた前例で折り紙つきだ。加えて、里香の容態を一番把握している病院である事も外せない。患者のデータが揃っていれば、当然治療の成功率は上がる。

 そして、もう一つの理由は若葉病院に里香がいる事。から取り出した臓器の移動は、早ければ早いほどいい。僕が若葉病院で発見されれば、僕の心臓は里香へと直行する。時間ロスがない、最高の状態で。

 もちろん、懸念がない訳じゃない。それは、夏目の不在。癪に障るけど、里香の手術が成功したのはあいつの手腕による所が大きい事は間違いない。その夏目が、今の若葉病院にはいない。それは、間違いなくリスクだった。けれど、今度の手術は里香生来の脆い心臓にメスを入れるものじゃない。心臓そのものを、そっくり取り替える手術だ。基本メスを入れるのは、心臓につながる大動脈等の血管の類になる筈。それなら、夏目程じゃなくてもそれなりのレベルの医者なら出来る様な気がした。

 確かに、僕の計画なんて穴だらけに違いない。計画の発端になった本の内容だって、僕の頭じゃあろくに理解出来ていない。絡んでくる法律や決まり事に至っちゃあ、さっぱりだ。

 けど。

 それでも。

 今の僕には、確信があった。

 そして、その確信の根拠は確たるもの。

 決して、揺らぐ事はない。

 そう。計画は成功する。間違いなく。

 何の憂いもなく、未来を歩く里香の姿。それを胸に思いながら、僕は雨の中ペダルを漕いだ。

 

 

 しばらくの後、僕は若葉病院の敷地内に着いていた。自転車を駐車場に置くと、そのまま病院の建物に向かう。正面玄関を通り過ぎて、建物の右側へ。裏側に回り込むと、そこに茶色のドアが見えた。

 勝手知ったる他人の家と言った所か。懐かしい思いが、頭を過る。

 あの頃。里香と出会う、ちょっと前。A型肝炎で入院していた僕は、しょっちゅう病院を抜け出して遊び歩いては、このドアを通って病室に帰っていた。

 あの頃は、亜希子さんの目を警戒しておっかなびっくりドアを潜ったものだけど、とりあえず今回に至ってはその心配はない。とっくに退院した僕が、こんな時間にこんな所から入ってくるなんて、誰も思わないだろう。

 それでも、油断は出来ない。うっかりして夜間スタッフに見咎められれば、僕の計画は失敗に終わる。そうなっては、話にならない。慎重には、慎重を重ねる。ドアを開ける前に、雨に濡れた合羽を脱ぎ捨てる。持ってきたタオルを使って、身体の濡れた箇所や靴を拭う。歩いた後に、水跡を残さないためだ。全身の水気をすっかり拭い取ると、水を吸ったタオルを近くの茂みに放る。もう一度、自分の身体を確かめてから、僕はそっとドアを開けた。

 息を殺して進んだ先。整然と並ぶ長椅子。見慣れたロビーの光景。薄闇の中で、身を固める。人がいないか、気配を探る。あの頃、何回も繰り返した事。感覚は、鈍っていない。何度か巡回のスタッフに行き合いそうになったけど、物陰に隠れたりしてやり過ごした。少しずつ、だけど順調に夜の院内を進む。近づいてくる、目的の場所。だけど、僕は途中でルートを外れた。

 そう。僕が、若葉病院(ここ)を選んだ最後の理由。

 それは、里香に会うため。

 もちろん、この時間だ。里香は寝ているだろうし、起こすつもりもない。ただ、里香の顔を見ておきたかった。最期に。向こうに行く前に、里香の顔を目に焼き付けておきたかった。

 足音を忍ばせて、里香の病室に向かう。一歩。もう一歩。確実に。この時間、このフロアの巡回はない。誰にも、見咎められる筈はなかった。一番の難関。ナースステーションも、慎重に通り過ぎた。そして、見えてくるのは目的の病室。当然、部屋の照明は落ちている。この中で、里香が眠っている筈だった。

 息を殺して、病室の前に立つ。

 この扉の向こうに、里香がいる。眠っている。今、その眠りは穏やかだろうか。安らかに、休めているだろうか。

 里香は眠る時、いつも思っていた筈だ。次に目覚める時、自分は生きているだろうか。この世界を、もう一度見る事が出来るだろうか、と。

 でも、もうそんな憂いに悩まされる心配はなくなる。何の不安もなく、眠れる時が来る。きっと。いや、必ず。僕が、その時を里香に渡す。渡して、繋げる。

 だから。だから、最後に一目だけ。

 静かに、病室の扉に手をかける。音を立てない様に、開けようとしたその時――

 ――リン――

 微かに。だけど確かに。

 響く、鈴の音。

 そして、

 「……駄目だよ……」

 そんな声が、聞こえた。

 途端、

 ♪~♪♪~♪~♪~♪~♪♪~

 「!!」

 突然、ポケットの中の携帯が鳴り始めた。

 「――――っ!?」

 思わず漏らしかけた声を飲み込み、あたふたと携帯を取り出す。

 液晶の画面に表示された文字は、「秋庭里香」。それを見た瞬間、空回りしていた頭の中の歯車が噛み合う。そう。この事態の答えは一つしかない。

 里香だ。里香が起きていて、今まさに電話をかけてきたのだ。思いがけない事態に混乱しながらも、何とか携帯を止める。

 「裕一!?」

 扉の向こうから、里香の声が聞こえた。思わず、走り出す。

 「待って!!裕一!!裕一なんでしょ!?」

 叫ぶ様にかけられる声を後ろに、僕は必死に走る。

 全くの誤算だった。こんな時間に里香が起きていて、しかも電話をかけてくるなんて。里香に気付かれた。一番、気付かれちゃいけない相手に。里香は、追ってこない。それだけの体力は、戻っていない筈だ。けれど、ナースコールで夜勤の看護師達を呼ばれる可能性は十分にあった。もう、一刻の猶予もない。

 走る間、誰にも気付かれなかったのが不幸中の幸いだった。僕は暗い廊下と階段を一気に駆け抜けて、屋上に通じる階段の一番上の踊り場まできた。

 そこでようやく足を止めると、壁に手をついて乱れた呼吸を整える。ここなら、見つかるにしても多少の時間がかかるだろう。今のうちに、事を成せれば。

 僕は、腰につけていたウェストバックから用意していたザイルを引っ張り出した。それで輪を作り、階段の手すりに結び付ける。何度か引っ張って、しっかりと結びついた事を確認した。

 「……よし!!」

 そのまま、ザイルの輪を首に括り付けようとしたその時――

 ――リン――

 響く鈴の音。そして聞こえる、声。

 

 「言ったでしょ。駄目だって」

 

 「……やっぱり、来たんだな」

 そう独り言の様に呟いて、振り向いた。

 振り向いたその先。屋上に通じるドアの前に、白い死神が立っていた。

 

 

 

                                     続く

 

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