ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。


―皐月雨ー・㉓

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―夜明け―

 

 

 雨が、降っていた。

 シトシトと。

 深々と。

 寒い雨が、降っていた。

 時間は、午前三時四十五分。

 場所は、屋上に出る階段の最後の踊り場。

 ドアを一枚隔てた外は、冷たい雨の落ちしきる夜闇の世界。

 そこから入り込む冷気が、僕の身体にジワリジワリと染み透ってくる。でも、そんな事は気にならない。気にならない程、心が冷えていた。竦み上がっていた。

 たった今、階段の手すりを乗り越えようとした身体。それが、ピシリと凍りついていた。

 手すりに添えていた手。それが、ガッチリと掴まれていた。掴んでいる手は、とても華奢で小さい。その気になれば、簡単に振りほどく事が出来る筈だ。だけど、それをする事は叶わない。それほどまでに、その手は強く固く、僕の身体を、心を、掴んでいた。

 「……何を、してるの……?」

 僕を掴む、彼女が言う。

 怖い。もの凄く怖い顔で

 「裕一……」

 里香が、言う。

 「……、何、してるの……?」

 「り、里香……どう、して……」

 寒いのに、ダラダラと汗が流れてくる。脂汗と言うか冷や汗と言うか、とにかく常時に出る汗じゃない。大ピンチの時に出てくる、気持ちの悪いあれだ。って言うか、ホントに何で里香がいるんだよ!!

 「どうしてじゃない!!」

 怒鳴り声と一緒に、里香が僕の手を引っ張った。

 「うわっ!!たたっ!!」

 バランスを崩す僕。そのまま、無様に手前の床に落っこちる。

 「い、いたた……って、うわぁ!?」

 「馬鹿!!この大馬鹿!!」

 床に伸びた僕に、馬乗りになってくる里香。首に巻きつけたままのザイルを掴んで、激しく上下に引っ張る。ガクンガクン。頭が揺れる。後頭部が床に打ち付けられるは、首が絞まるはで、痛いやら苦しいやら。

 「い、痛い痛い!!って言うか、苦しい!!死ぬ!!死ぬって!!」

 「勝手に死のうとしてたくせに!!今更何言ってるのよ!!」

 里香は怒っていた。本当に怒っていた。里香が怒るのはいつもの事だけど、ここまで本気で怒る里香を見るのは僕も初めてだった。目を吊り上げて、その目に涙をいっぱいに溜めて。雫をまき散らしながら、僕の頭を揺すり続けた。

 「待て!!待てってば!!お前、そんなに興奮しちゃ駄目だろ!?」

 「知らない!!」

 里香は言う。怒りながら。

 「死んじゃう奴の言う事なんて、知らない!!」

 里香は叫ぶ。泣きながら。

 「あたしを置いて行っちゃう裕一の言う事なんか、聞いてやらない!!」

 「!!」

 「裕一が置いてった世界でなんか、生きてやらない!!」

 「里香……」

 「裕一がいなかったら、生きてたって仕方ない!!」

 里香の言葉が、僕の心を打ちのめしていく。痛かった。鬼大仏の拳固を食らった時よりも。夏目にぶちのめされた時よりも。郵便配達に吹っ飛ばされた時よりも。モモに鎌で打たれた時よりも。ずっと、ずっと。比べ物にならないくらい、痛かった。

 「馬鹿……馬鹿……馬鹿……」

 いつしか、頭の揺れは止まっていた。里香は握っていたザイルを放して、僕の胸に顔を埋めていた。埋めて、しゃくり上げていた。里香の涙が、ジャケットに染みてくるのが分かる。ああ、手紙、インクが染みて読めないだろうな。里香の背に手を回しながら、僕はそんな事を思った。

 

 

 「どうやら、落ち着いたみたいね」

 『やれやれ。今のが続く様だったら、止めに入らなきゃいけない所だったよ』

 「無粋ね。馬に蹴られるわよ」

 『そう言う問題じゃないって』

 視界の外から、そんな会話が聞こえた。聞き覚えのある声。天井を見上げたまま、”そいつら”に向かって恨みがましげに言う。

 「……お前らかよ。里香を連れてきたの……」

 「まあね。間に合ってよかったわ」

 いけしゃあしゃあと、そんな言葉が返ってきた。あのツンと澄ました顔が、目に浮かぶ。

 「文伽さん。グッジョブ」

 モモの声も聞こえる。大方、サムズアップでもしてるんだろう。

 「モモこそ。時間稼ぎ、ご苦労様」

 「よくやったな。助かったぞ。ふん!」

 「そっちもね。お前にしちゃ、上出来な方だね。ふん!」

 四者四様に聞こえてくる声。結局、こいつらの掌の上か。癪に障る事この上ない。それに、言いたい事もある。僕はしゃくり上げる里香の背を撫でながら、そこにいるであろう”そいつ”に向かって言った。

 「おい、郵便配達」

 「何かしら?」

 「何で、里香を連れ歩いてんだよ。発作が起こったら、どうしてくれるつもりだったんだ?」

 少なからずの険を込めて、僕は言う。けれど、

 「君に言う資格はないね」

 僕の恨み節は、モモによってあっさりと否定された。

 「発作なら、とっくに起きてたよ。君が、ヘマをした時にね」

 「……っ!!」

 自分の心臓が止まるかと思った。何の事かは、容易に分かる。震える手で、里香の肩を掴む。

 「里香……。本当か……?」

 「………」

 里香は、何も言わない。そうだと、責める訳でもなく。そんな事はないと慰めるでもなく。ただ、黙って僕の胸に顔を埋めていた。その様が、全てを物語る。

 「そんな……。それじゃ、どうして……」

 「文伽さんが、助けてくれたんだよ」

 「え……?」

 唖然とする僕を、モモの言葉が打った。

 「聞こえなかった?文伽さんが、助けたの。規律を、破ってね」

 「まだ順番じゃない人間を、引き止めただけよ。大した問題じゃないわ」

 『いや、少しは問題意識持って欲しいなぁ……』

 飛び交う言葉が、僕から力を奪っていく。里香の背を摩っていた手から力が抜けて、パタリと床に落ちた。

 「……里香が……オレの、せいで……」

 自分の言葉が、胸を抉った。そう。誰のせいでもない。僕のせいだ。

 僕は一体、何をやっていたのだろう。何を、しようとしていたのだろう。里香を生かす。そのためだけに、行動していた筈なのに。その結果が、これ。里香を悩ませて。里香を苦しませて。挙げ句の果てに、死なせかけてしまった。本末転倒もいい所だ。馬鹿の所業、そのものだ。

 どうしようもない、脱力感。何も出来ず寝っ転がる僕の上で、里香がソっと身を起こした。泣いていたせいだろうか。僕を見下ろす眼差しは、幾分腫れぼったく見えた。そんな彼女に向かって、僕は言う。

 「里香……ごめん……」

 「何を、謝ってるの……?」

 里香の問いに、僕は答える。

 「オレさ、お前を生かしてやりたかったんだ……。オレの心臓、使ってさ。そしたら、お前、もっと生きれるかもしれないだろ?お前、言ってただろ?世界は、綺麗だって。だからさ、見て欲しかったんだ。もっと、いろんなもの。感じて欲しかったんだ。もっと、いろんな事……」

 「………」

 「思うんだよ。オレってさ、駄目なんだ。約束したのに。お前の事、守るって。なのに、出来なかったろ。何も、出来なかったんだ。お前が、大変な時に。だから。だから、せめて……せめてって、思ったのに……なのに……」

 ボグッ

 僕の泣き言は、途中で止められた。

 それは、衝撃だった。儚い程に軽い。だけど、とても痛い衝撃だった。

 「うわ……」

 『”グー”だ……』

 化け猫と杖が、怯え半分呆れ半分の声で呟く。

 「……っ!!いったい……」

 里香が僕の頬を殴った拳を押さえて、そう言った。

 「痛いじゃない!!手、痛めたらどうしてくれるのよ!?裕一の馬鹿!!」

 ひぃ!!すいません……って、そこで僕が怒られるのっておかしくないか!?

 「何よ!?文句あるの!?」

 ……ごめんなさい。

 「うわぁ……」

 『怖ぁ……』

 ヒソヒソと囁き合う化け猫と杖。おい、見てないで何とかしてくれよ。助けを求めて視線を巡らすけれど、モモも郵便配達も素知らぬ顔。まさに、孤立無援というやつだ。

 「何、キョロキョロしてるの……?」

 怯える僕を、里香がジロリと睨む。

 「怒られてる時は、人の顔をちゃんと見なさい!!」

 そして、両手で僕の顔を挟むと強引に前に向けた。勢いで首がグキリと悲鳴を上げたけど、怖くてそれどころじゃない。

 そんな僕を見下ろしながら、里香が口を開く。

 「分かってない……」

 「……え?」

 「裕一、何も分かってない……」

 言いながら、グイっと顔を寄せてきた。久しぶりに間近で見る里香の顔は、とても真剣で、とても綺麗だった。

 「あたしは、ただ生きたい訳じゃない。一人で、世界を感じたい訳じゃない」

 「………」

 「あたしは、裕一と生きたい。裕一と一緒に、世界を感じたい。だから、裕一はいなくなっちゃ駄目」

 「里香……でも……」

 僕は、何とか反論しようとする。けれど、その声はか細くて、自分で聞いても酷く情けなかった。そんな僕に向かって、里香は言う。とても。とても意地悪げに

 「そう。あたしは裕一よりも先にいなくなる。必ず。絶対に。でも、それはあたしの特権」

 「特権……?」

 「そう。特権」

 何の事か、訳が分からない。戸惑う僕。里香は続ける。あいも変わらず、悪意たっぷりの顔で。

 「大切な人を、送らなくていい。それが、神様があたしにくれたたった一つの特権」

 「――――っ!!」

 目を見開く僕に、里香はニコリと笑いかける。

 「譲らないからね。絶対に」

 僕の心に、その言葉が刻まれる。酷く、痛く。酷く、切なく。酷く、残酷に。絶対の、響きを持って。

 思わず、その”神”の方を見る。

 救いを求める様に見つめられた、白い死神。彼女は、ほんのちょっとためらった。ためらって、そして微笑んだ。とても優しく、とても悲しく、泣きそうな顔で、微笑んだ。

 ああ、そうか。そう言う、事か……。

 身体中から、力が抜けるのが分かった。脱力した顔に、ポタポタと温かい雫が落ちる。里香が。僕に馬乗りになった里香が、目から雫を零しながら笑っていた。

 「ごめんね。裕一」

 彼女が言う。泣きながら。笑いながら。

 「本当に、ごめんね」

 ああ、謝るなよ。お前が、謝る事じゃないだろ。僕は手を伸ばして、里香の涙を拭う。

 「こっちこそ、ゴメンな……」

 「謝らなくて、いい」

 涙を拭う僕の手を、里香の両手が包む。

 「その代わり、約束して。もう一度」

 僕の手に頬を寄せながら、里香は言う。

 「……一緒にいて」

 僕は答える。迷う事なく。

 「ああ」

 答える声が、震えてる。いつの間にか、僕も泣いていた。

 「短くはないけど。長くもないけど」

 「分かってる」

 「あたしの、隣にいて」

 「ああ」

 「一緒に、いて……」

 「ああ。いるよ。ずっと。ずっと、一緒に」

 僕の答えを聞いた里香が、最高の笑みを浮かべる。頬を濡らすのが、彼女の涙なのか。それとも、自分のなのか。もう、分からない。だけど、僕は笑った。里香に向かって、精一杯の笑みを返した。

 「あはは、裕一、変なの。泣いてるのに、笑ってる」

 里香が笑う。

 「何言ってんだよ。お前もだろ」

 僕も笑う。

 里香が背を屈めて、僕の頬に自分の頬を寄せる。僕は、そんな里香をギュッと抱きしめる。そのまま、僕達は笑い転げた。

 あはは。

 うはは。

 白い天井に、僕らの笑い声が響く。

 気づくと、モモが泣いていた。溢れる涙を拭いもせずに、僕達を見つめながら。

 郵便配達は、ただ黙って俯いていた。帽子を目深に被って、静かに佇んでいた。

 ああ、何やってんだよ。お前ら。お前らも笑えよ。求めてたのは、お前らだろ。導いてくれたのは、お前らだろ。ほら、笑え。笑えってば。

 あはは。

 うはは。

 僕達は笑う。いつまでも。一緒に。どこまでも。

 下の階が騒がしくなってきた。世界が、目覚め始める。響いてくる、生命(いのち)のざわめき。

 屋上の窓から、光が差し込んでくる。眩く暖かい、朝の輝き。

 

 いつしか、雨は止んでいた。

 

 

                                     続く

 

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