その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。
※医療系の描写等、一応該当資料を参考にしていますが、間違いなどがあった場合、指摘していただけると助かります。
―虚帰―
「『
おばさんが、医者に告げられた病名を繰り返す。
医者は「はい」と言って、説明を始めた。
「心臓は、電気刺激が順番に伝わる事によって規則的に収縮を繰り返しています。心室細動とは、この電気刺激が上手く伝わらなくなり、心筋……心臓の筋肉が無秩序な収縮を繰り返す……つまり痙攣状態になってしまっている事を言います。これが起こると、心臓は正常なポンプとしての役割を果たせなくなり、全身に血液を送る事が出来なくなります」
手にしたメモ帳に簡単な心臓の図を描きながら、医者は淡々と説明する。その態度があまりにも冷静なので、僕は軽い苛立ちすら覚えた。僕は、直ぐにでも里香に会いたかった。近くに寄って、その手を握り締めたかった。正直、何度目の前の扉を蹴破って中に飛び込もうと思ったか知れない。けど、そんな事をしても何の役にも立たない事もまた、確かな事だった。病気と言う災厄を前にした時、僕達はあまりに無力だ。その事を、僕は痛い程に分かっていた。結局、目の前の医者の意向に従うしか術はない。自分の苛立ちを理不尽なものと飲み込んで、僕は医者の説明に意識を集中させた。
「……この疾病の症状としてあげられるのは、脈拍の喪失や痙攣、意識の消失です。里香さんの現在の状態は、これにあたります。痙攣が4~5秒続くと、3~5分程度で脳に不可逆的な障害が残り、心臓停止後は約3分で50%が死亡する非常に危険な病態です」
ゴクリ……
小さく、喉が鳴る音がした。それが自分なのか、それとも他の誰かなのかは分からなかったけど。
「里香さんは、先天性の心臓弁膜症をお持ちになっています。おそらくは、これが原因で副次的に起こったものと言うのが、私の見解です。問題は、これが心不全等の重篤な発作によって生じたものである可能性ですが……」
……おばさんの顔が、目に見えて強ばった。きっと、僕も同じ顔をしていたと思う。医者の次の言葉を待つ時間が、途方もなく長く感じられた。そして、永遠とも思える様な感覚の果てに、医者はこう二の句を継いだ。
「幸い、そう言った致命的な病変の兆候は見られませんでした。一連の処置の結果、現在は心拍も正常値に戻っています。まだ、予断は許せませんが、とりあえず、直近の危機は脱したと見て良いでしょう」
「「「――――!!」」」
皆の顔が、一気に綻んだ。鬼大仏が大きく息を吐き、おばさんが両手で顔を覆う。僕ときたら、一気に全身の力が抜けてヘナヘナと椅子に座り込んだ。そんな僕達の様子を見て、医者は初めて笑みを見せた。
「発症の直後に、迅速な心肺蘇生とAEDを使用して除細動を行ったのが功を奏した様です。先にも言いました通り、心室細動は発症後2~3分で処置を行わければ、救命率が極端に下がりますから。優秀な保険医が在籍なさっている様で、喜ばしい限りです」
僕の脳裏に、苦しい息の下で優しく声をかけてくる保険の先生の顔が浮かんだ。次に会った時には、大きな声でお礼を言おう。そう僕は心に決めた。
「――それで、今後の事ですが……」
緩んだ僕達の気持ちを引き締める様に、医者が真顔に戻る。
「今回は、あくまで運が良かっただけです。処置が迅速かつ外部的処置で対応出来るものであったため、辛うじて最悪のパターンは避けられました。しかし、ご理解しておられるとは思いますが、里香さんの病気は完治するものではありません。それが起因とされる以上、今後も、この様な事態が起こる事は十二分に考えられます。その時、今回の様に万事が上手くいく可能性は低いと言わざるを得ません」
――その事だけは、肝に銘じておいてください――
そう言って、医者は説明を終えた。
一番の危機は脱したものの、まだ油断は出来ない。里香はしばらく、入院する事になった。当たり前と言えば当たり前だろう。
救急処置室から個室に移された時、里香はまだ眠っていた。身体中に色んな機械のケーブルや点滴の管がつながれたその姿は、まるであの頃の様に……いや、あの頃よりももっと痛々しく見えた。
「それでは、何か異常がありましたらすぐに呼んでください」
機械や点滴の調整を終えた看護師さんは、そう言って出て行った。
鬼大仏はもういない。里香の状態が安定したのを見届けると、学校に戻っていった。
「担任にはわしから言っておく。お前は秋庭についていてやれ。明日も、休んで構わん」
去り際に、そんな粋な言葉を残して。
おばさんもいない。入院に必要なものを取りに、家へと戻っていた。僕に「里香をお願いね」と託して。
病室には、僕と里香の二人だけだった。
ピッピッピッ……
静かな部屋の中に、心電図の機械がリズムを刻む音だけが淡々と響く。気が付くと、窓の外はもう夜闇に満ちていた。雨は、まだ降っているらしい。細い水の筋が、病室から漏れる光に当たって、時折キラリキラリと閃いた。時が経つにつれて、外の闇はどんどん濃くなっていく。それはまるで、里香を呑み込もうと迫る魔物の様に見えた。
「……!!」
馬鹿げた妄想を振り払う様に、立ち上がる。そのまま窓に近づくと、外の闇を遮る様に力いっぱいカーテンを引いた。
シャッ
小気味よい音といっしょに、カーテンが閉まる。照明の光が部屋にこもって、ほんの少し明るさが増した様に思えた。そう言えば、家に連絡をしてなかったな。どこかぼんやりとした頭で、そんな事を考えた時――
「……ん……」
微かな声が聞こえた。
「!!」
思わず振り返ると、それまでピクリとも動かなかった里香の身体が身動(みじろ)ぎするのが見えた。そして……
「……ゆう……いち……」
聞こえた。確かに、聞こえた。名前を。僕の名前を、呼ぶ声が。
急いでベッドに駆け寄ると、里香に向かって声がけた。
「里香!?気づいたのか!?里香!?里香!!」
僕の声に反応する様に、閉じていた里香の眼差しが微かに開く。
「ゆうい……ち……?」
「ああ!!分かるか!?オレだよ!!ここにいるぞ!!ここにいるからな!!」
おばさんよりも誰よりも、僕の名前を真っ先に呼んだ。その事に、胸の中がカーッと熱くなる。里香が、求める様に手を伸ばしてきた。掴んだその手が、温かい。里香の命を確かに感じる。いつの間にか、僕は泣いていた。みっともないと思ったけど、止める事は出来なかった。ボロボロと涙をこぼし、鼻をズルズルとすすりながら、僕は里香の手を握り続けた。滲む視界の中で、里香が微かに微笑んだ様に見えた。
少しして我に返った僕は、急いでナースコールを押した。すぐに医者と数人の看護師が駆けつけてきて、里香を診始めた。病室の中が騒がしくなる中、おばさんが戻ってきた。里香の意識が戻った事を知ったおばさんは、「ありがとう」と言って僕を抱き締めた。
続く