ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。



※医療系の描写等、一応該当資料を参考にしていますが、間違いなどがあった場合、指摘していただけると助かります。


ー皐月雨ー・⑤

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―雨夜―

 

 

 里香が診察を受けている間に、僕は家に連絡をした。薄々、何かを感じ取っていたの

かもしれない。母親は、「今夜は帰ってこなくてもいいよ」と言うと、最後に「気張んなさい」と言って電話を切った。

 この病棟の一般電話は、ディルームの中にある。昼間は見舞い客や気分転換に出てきた患者なんかでそれなりに賑わっているけれど、日も暮れた今となっては人影もまばらだった。テーブルに座ってテレビを見ていた幾人かに形ばかりのお辞儀をして、ディルームの出口に向かう。もう二、三歩で廊下に出ようとした時、ふと僕の目を捉えるものがあった。それは、ディルームの片隅に設置された本棚。面会や手術の終わりを待つ人達が、暇潰しをするための本が何冊か収められている。週刊誌や漫画なんかの軽い読み物に混じって、その本は置かれていた。背表紙の”心臓”と言う文字が妙に気になる。本棚に近づくと、件の本を手に取る。……返した表紙には、仰々しい文字で「心臓移植を考える」と言うタイトルが大きく印字されていた。

 

 

 病室に戻ると、まだ診察は終わっていなかった。どうやら何かの処置もやっているらしい。早く里香の元に戻りたかったけど、仕方がない。廊下に出て、診察が終わるのを待つ。ふと窓の外を見ると、暗く曇った夜空が見えた。何となく窓を開けると、ヒヤリと冷たい外気が流れ込んできた。シトシトと降る雨音が耳に入ってくる。目を凝らして空を見たけれど、見えるのは厚く重なる雨雲だけ。月は、見えなかった。

 しばしぼんやりと空を見ていると、突然窓がバチンと閉められた。危ないな。もう少しで鼻を挟む所だったぞ。誰だ、こんな面白くもない冗談かますのは。かなりムッとしながら横を見ると、一人の看護師が立っていた。

 「こんな日のこんな時間に、窓開けてんじゃないよ。寒気(かんき)が入ってくるだろ」

 懐かしくて、聞き慣れた声。ああ、そうか。来てくれたのか。

 「お久しぶりです。亜希子さん」

 そう言って、僕はその(ひと)に頭を下げた。

 

 

 「何とか、踏み止まってくれたみたいだね。良かったじゃないか」

 「ええ……。本当に……」

 亜希子さんから渡された缶コーヒーをすすりながら、僕はそう言って頷いた。考えてみたら、今日の昼から何も腹に入れてなかった。熱いコーヒーが胃袋に染みて、僕はハァ、と大きく息をついた。

 「その割には、シケた(ツラ)してるね。何か、思う所でもあったかい?」

 「………」

 「まさか、ここに来て怖気付いてんじゃないだろうね?全部、覚悟の上だった筈だろ?里香の事は」

 「……当たり前じゃないですか……。分かってますよ。全部……」

 答えた声は、自分でも驚く程弱々しかった。

 そう。全部は分かっていた事なんだ。おばさんからも、夏目からも、散々に言われていた事だった。僕自身、覚悟はしてた。してる、つもりだったんだ。だけど、今回の事は想像していたよりも強く痛く、僕を打ち据えていた。理由は分かってる。僕は、いつの間にか緩んでいた。里香が退院してからずっと、僕達は光の中にいた。もちろん、里香の病気の事を忘れていた訳じゃない。里香の様子にはいつも気をつけていたし、もしもの時の事を考えずにいた訳じゃない。だけど、楽しく穏やかに過ぎていく毎日の中で、僕の中で”もしも”は本当の意味で”もしも”になってしまっていた。いつの間にか、思っていたんだ。僕達はこのまま、歩いていけるんじゃないかって。踏み外す事も、落ちる事もなく。目の前の細い道を歩いていけるんじゃないかって。そう思い始めていたんだ。だけど、そんな思いは今回の事で完全に打ち砕かれた。里香に絡みついていた闇は、まだしっかりと里香を捕らえていた。隙があれば里香を引き込もうと手ぐすねを引いている事を、改めて思い知らされたんだ。

 「亜希子さん……」

 「うん?」

 知らずのうちに、僕は亜希子さんの事を呼んでいた。

 「里香はやっぱり、こうなんですよね……。こんな思いを、一生抱えて行かなきゃならないんですよね……」

 「今更だね。何だい?泣き言なら、聞かないよ」

 亜希子さんは、相変わらず手厳しかった。でも。それでも。今、僕はこの(ひと)に聞いてもらいたかった。

 「オレ……何も出来なかったんですよ……。里香があんなになっている間も、泣いたり喚いたりするだけで、本当に、何も出来なかったんですよ……」

 そう。僕は何も出来なかった。保険医の先生。鬼大仏達。病院の医者や看護師の人達。里香を助けたのは、そんな大人達の力。僕自身は、その周りで右往左往するだけ。それどころか、僕自身が助けられなきゃならない有様だった。

 「……決めたんですけどね……。決めてた筈だったんですけどね……。オレが里香を守るって……。守って生きていくんだって……」

 僕には分からなくなっていた。僕が、里香のそばにいる意味が。僕が、里香に何を出来るのか。全然、分からなくなっていた。

 「……何か、ないんですかね……。オレが、里香にやってやれる事……。里香のために、出来る事……」

 「……泣き言は聞かないって言ったろ」

 そう言って、亜希子さんは抱えていた何かを投げつけてきた。

 「うわっぷ!?」

 頭に被さったそれを取って見ると、フカフカの毛布だった。

 「仮眠室からくすねてきた。どうせ、今夜は泊まるつもりなんだろ?親族用の宿泊室が空いてるから、そこで寝な」

 ――本当は、駄目なんだけどね。

 少しドスを潜めた声で、亜希子さんが言う。

 「あんた、疲れてんだよ。ゆっくり寝て、正気に戻りな。里香なら心配しなくていいよ。院内(ここ)なら、何かあればすぐに対処出来る」

 「………」

 僕は答えず、ただ毛布を抱え込む。

 「じゃあね。あたしはそろそろ戻るよ。仕事があるからね」

 そう言って、亜希子さんが踵を返した。

 その背に、僕は声をかける。もう一つだけ、訊きたい事があったから。

 「……亜希子さん」

 「何だい?」

 「里香の病気って、心臓弁膜症ですよね」

 「そうだよ」

 「心臓が脆いから、手術が難しいんですよね」

 「らしいね」

 「……じゃあ、心臓そのものを取り替えたら、どうなんですか?」

 「………」

 少しの、間があった。

 「……何、言ってるんだい?」

 「脆い心臓そのものを健康なのに取り替えたら、治るんじゃないですか……?」

 亜希子さんが振り返った。とても、怖い顔をしていた。

 「素人考えで話すんじゃないよ。大体、代わりの心臓を何処から持ってくるのさ?」

 思った通りの言葉だった。だから、僕は”それ”を指差して、用意していた言葉を言った。

 「ここに、あるじゃないですか」

 「!!」

 亜希子さんが、息を呑むのが分かった。僕の指は、僕の左胸を指していた。

 「オレの心臓、里香の心臓の代わりになりませんか?歳も同じだし、合うんじゃないですか?」

 亜希子さんの顔から、表情が消えた。

 「………」

 「………」

 また、少しの間。その後、亜希子さんがツカツカと近づいてきた。そして、

 ゴキンッ

 「いって!!」

 思いっきり、グーで頭を殴られた。

 「おかしな妄想話してるんじゃないよ!!」

 囁く様な、けれど明確な怒りのこもった声だった。

 「心臓移植ってのはね、そんな軽いもんじゃないんだ!!何血迷ってんのか知らないけどね、ガキの戯言でも言って良い事と悪い事があるんだよ!!」

 「………」

 「いつまでも馬鹿面晒してないで、さっさと飯食って寝な!!」

 俯いたまま頭をさする僕に向かってそう言い捨てると、亜希子さんは肩を怒らせながら歩き去って行ってしまった。

 「………」

 亜希子さんの姿が廊下の向こうに消えるのを見届けると、僕は服の下に隠していた本を引っ張り出した。厚いハードカバーのその表紙には、「心臓移植を考える」の文字が、仰々しく印字されていた。

 ペラ……ペラ……

 無言でページをめくる。内容は難しかったけれど、そこは一般書。僕でも、何とか理解出来るレベルだ。それを少しずつ咀嚼しながら、頭に刻み込んでいく。しばらく読んだ所で、里香の病室の扉がカチャリと音を立てた。どうやら、診察が終わったらしい。僕は本を閉じると、急いで腰を上げた。

 

 

 夜中に、ふと目が覚めた。ぼんやりとした視界に、白い天井が映る。ほんの少し前まで、いつも見ていた光景。耳に聞こえるのは、ピッピッと言う電子音。機械が心電図を刻む音。これも、昔から聞き慣れた音。身体が重い。動かない。全身の筋肉が、動く事を拒否している。この感覚も、懐かしいと言うにはまだ日が浅い。ああ……戻って来ちゃったんだな……。おぼろげな思考で、思う。分かってはいた。いつかは、戻ってこなければいけないのだと。けれど。だけど。いたかった。もう少し。ほんの少し。あの青空の下に。降り注ぐ、光の下に。

 「……ゆう、いち……」

 かすれる声で、彼の名を呼ぶ。あたしを、あの光の下へと連れ出してくれた男性(ひと)。何もなかったあたしに、沢山のものをくれた男性(ひと)。まるで、あの世界との繋がりを求める様に、彼の名を呼ぶ。

 だけど、返事はない。いないのだろうか。あたしの声が小さくて、聞こえないのだろうか。それとも、全ては夢でしかなかったのだろうか。

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 胡乱だった思考が、かすみ始める。ゆっくりと襲ってくる、睡魔。この眠りの後、また目覚める事は出来るのだろうか。あの世界を見る事は、出来るのだろうか。そして、彼に会う事は、出来るのだろうか。

 辛うじて動く視線を、横に流す。彼の姿が、ないだろうかと。けど、望む姿は見つからない。代わりに視界に入ったのは、クリーム色のカーテンと、その隙間から覗く外の色。雨が、降っているのだろうか。外は、深い闇に満ちていた。月も、見えない程に。闇が迫る。あたしを、連れに来る。意識が途切れる寸前、頬を温かいものが流れる。こぼれたそれが枕に染みる様に、あたしの意識は滲んで消えた。

 

 

 シトシトと、雨が降っていた。深々と、寒い夜だった。その冷たい闇の中で、”彼女達”は見つめていた。

 『文伽、今が機会(チャンス)だよ?手紙、渡さないのかい?』

 右手に持った相方の問いに、郵便配達の少女――文伽はゆっくりと首を振る。

 『どうしてだい?』

 「今渡しても、送り主の思いはあの子に届かない。それじゃ、意味がないわ」

 その言葉に、右手の相方は溜息をつく。

 『やれやれ。スケジュールが詰まってるんだけどなぁ』

 「上手く調整しておいてちょうだい」

 そう言うと、文伽はクルリと踵を返す。

 フワリ

 闇の中でひるがえる、紺色の外套(マント)

 「おやすみなさい。せめて、良い夢を……」

 そんな言葉を残し、少女の姿は闇の向こうに溶けて消えた。

 

 

 その頃、戎崎裕一は宿泊室の一角にいた。

 本当は秋庭里香の側にいたかったのだが、病院のルールに逆らう事は出来なかった。と言うか、本来部外者である彼が泊まり込む事自体、本来はルール違反である。秋庭里香の母親の申請があって、特別に許可を貰っているのだ。これ以上、我侭を言う事は出来ない。とりあえず、秋庭里香の病室には、彼女の母親が詰めている。看護師が短い間隔で見回りに来るし、何かあれば、夜勤の医者が飛んでくる。大丈夫。心配する事は何もない。自分で自分に言い聞かせ、彼は今ここにいる。

 自分が秋庭里香に出来る事は何もない。だから、戎崎裕一は今出来る事をしていた。

 彼は、本を読んでいた。

 灯りの落ちた宿泊室の片隅で毛布にくるまり、携帯のライトで手元を照らし。

 彼は、本を読んでいた。

 いつまでも。いつまでも。飽くる事なく。まるで、それが自分に与えられた使命であると言わんばかりに。

 彼は、その本を読み続けた。

 

 シトシトと雨の降る、深々と寒い夜だった。

 

 

                                  続く

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