ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。





ー皐月雨ー・⑥

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―白夢―

 

 

 ――リン――

 澄んだ鈴の音が、朦朧としていたあたしの意識を覚醒させた。もっとも、こんな状態が覚醒なんて言えるかは疑問符がつく所だろうけど。とにかく、その時、あたしが”あたし”という存在を明確に認識した事は確かだった。

 「ここは……?」

 自分の置かれた状況が分からずに、周りを見回す。でも、その混乱はすぐに収まった。周りを囲んでいたのは、白い壁に白い天井。ピッピッと光を刻む機械。シューシューと呼気を漏らす酸素吸入器。ポツポツと雫を落とす、点滴。そして、白いシーツに冷たいステンレスのベッド。あまりにも、見慣れた光景。

 ――病院――

 そうだった。あたしはあの時、学校で美術室に向かう途中だった。その階段の踊り場で、引き攣れる様な胸の痛みに襲われてそのまま……。

 ベッドの上を見ると、そこにはもう一人のあたしが横たわっていた。沢山のコードや、チューブにつながれて。この姿も、あたしには見慣れたもの。もっとも、こんな客観的な視点で見た事はなかったけど。ふと、こっちの自分の手を見る。うっすらと、透けて見えた。思わず、笑いが漏れる。なるほど、そういう事か。空想の描写だとばかり思っていたけれど、どうしてどうして。人の想像力とは、侮れないものだ。

 ……そう……。

 あたしは、理解した。あの後、自分がどうなったのかを。冷静に理解できる程に、心は凪いでいた。何故なら、これはずっと前から分かっていた事だから。いつかは来ると、覚悟していた事だから。そう。それがちょっと。そう。ほんのちょっとだけ、思っていたより早かっただけの事だから。

 ベッドの傍らには、椅子に座ったママが俯いて目を閉じている。腰を屈めて耳を寄せると、静かな寝息が聞こえた。多分、疲れて眠ってしまったのだろう。ご苦労様。長い間、支えてくれて、ありがとう。苦しむ様を見せずに逝けるのが、せめてもの救い。どうか、母親(このひと)の残りの人生(時間)が、安らかなものであります様に。ママの頬にキスをして、身を起こす。ピッピッピッ。心電図の機械は、まだあたしの鼓動を刻んでいる。本当の”その時”が訪れるのには、もう少し間があると言う事なのだろう。

 「ちょっと、ごめんね」

 横たわる自分にそう言うと、あたしはベッドの端に腰を下ろした。

 ハァ……

 一息、息をつく。カーテンの隙間に目をやると、窓を滴る水滴が見えた。朝降っていた雨は、今も振り続けているらしい。出来れば最期に、綺麗な月でも見たかったんだけど。

 心残りがないと言えば、嘘になる。もっと語り合いたい、友達がいた。もっと見たい、世界があった。もっと感じていたい、光があった。”あの頃”のあたしなら、こんな思いは抱かなかっただろう。白い病室と、本。それだけが、世界の全てだったあの頃だったなら。でも、今のあたしにはあまりにも大事なものが多過ぎた。あまりにも多過ぎて、素直に成仏出来る自信がないくらいだ。全く、なんて事だろう。本当なら、立つ鳥は何とやら。何の未練も残さず、スッキリと逝く予定だったのに。これは一体、どういう事だ?誰のせいだ?誰のせい?そんなの、決まってる。あいつだ。あいつのせいだ。馬鹿で間抜けで三枚目でヘタレのくせにいいカッコしいで。従順で犬みたいで臆病なくせに無茶ばっかりして。心配性で、口煩くて、優しくて、温かい、あいつ。あいつが、あたしに教えたのだ。世界の美しさも。光の眩さも。人の、温かさも。そう言えば、ここにはあいつがいない。どう言う了見なのだろう。あたしがこんな事になっているのに、側にいないなんて。まぁ、確かにここの病院は基本余程の事がない限り親族でも宿泊出来ない事になってるけど。そんなの関係ない。あいつは、ここにいなきゃいけないのだ。いるべきなのだ。でないと、最後に我侭の一つも言えない。さようならも出来ない。ありがとうも言えない。抱き締めてもらう事も、出来ない。

 ……そう。あたしは、抱き締めて欲しかった。抱きしめられて、逝きたかった。彼の、腕の中で終わりたかった。

 「裕……一……」

 知らずのうちに、彼の名が口をつく。

 「裕一……」

 彼の名を呼ぶうちに、乾いた笑いがこみ上げてきた。

 もうどうしようもないのに、諦めきれない自分。

 そんな自分が滑稽で、ただ笑い続けた。

 どうしてなのだろう。ずっと。ずっと、こうだった。あたしの大切なものは、みんなあたしの腕の中をすり抜けていく。それでも、ずっと我慢してきた。仕方ないのだと。どうしようもない事なのだと、自分に言い聞かせてきた。なのに。なのに。神様というのは、つくづく酷いヤツだ。きっと、どうしようもないロクデナシに違いない。どうして、最期の願いくらい聞いてくれないのか。分らず屋のひとでなしめ。こんな事を思ったら、天国じゃなくて地獄に蹴落とされてしまうかもしれない。けれど、構うものか。どうせ、彼のいない世界なんて、地獄と大差ありゃしない。覚悟しろ。神様。もっと毒づいてやる。もっと悪口を言ってやる。せいぜい、辟易するがいい。

 あたしが、笑いながらそう思ったその時――

 ――リン――

 また、あの鈴の音が響いた。そして、

 「大丈夫だよ」

 その声が、聞こえた。

 思わず上げた、視線の先。そこに、”彼女”はいた。

 

 

 最初に目に入ったのは、白。粉雪の様に白い髪と肌。そして服。

 次に目に入ったのは、赤。雪原に咲く薔薇の様に真っ赤なシューズ。

 そして、最後に気づいたのは黒。”彼女”の肩に乗る、一匹の黒猫。その首にかけられた、大きな赤い首輪。それに下げられた大きな鈴が揺れる度、澄んだ音色がリンリンと鳴った。

 いつの間にか、あたしの前に真っ白な女の子が立っていた。

 「大丈夫だよ」

 幼いけれど、妙に大人びた声で彼女は言った。

 「彼はちゃんと病院(ここ)にいるから。ちょっと違う場所にいるけれど。あなたに何かあれば、すぐに飛んでくると思うよ」

 女の子の声は、ひどく優しくあたしの鼓膜を震わせる。

 「……裕一の事、知ってるの?って言うか、あたしが、見えるの……?」

 そう。だって、今のあたしは……。

 「う~ん。その認識は、ちょっと違うかな?」

 あたしの問いに、女の子はそう答える。

 「正確には、あなたがあたしを見える様になったの。今のあなたは、あたしと近い存在だから」

 「近い存在……?」

 そこまで言って、あたしはある事に思い当たる。そう。巷ではよくある話。

 「ああ、そういう事……」

 「?」

 妙に納得した様なあたしの顔を見て、女の子が小首を傾げる。そんな彼女を、しげしげと眺める。そうと思えば、薄闇に浮かび上がる白い姿は、まさしく”それ”のイメージにピッタリだ。思わず、フフッと乾いた笑いが漏れる。

 「なるほど。病院には多いって言うもんね。新しい”お仲間”に会いに来たんだ」

 アハハ。

 そうかそうか。あたしもとうとう、”そっち”の仲間入りか。でも、それもいいかもしれない。神様なんかの元なんて、最初っからごめんだし。このままお化けになるのも、一興かもしれない。どうだろう。折角だし、この娘(先輩)にこれからの心構えでも指導してもらおうか。

 そんな事を考える自分が馬鹿らしくて、ますます笑いがこみ上げてきた。目からは、相変わらず涙がこぼれている。それを拭いながら、あたしはアハハと声を上げて笑った。

 「……ねえ。この娘、何か勘違いしてない?」

 不意に、そんな声が響いた。聞いた事のない、男の子の声。目の前から聞こえてきたけど、白い女の子の声じゃない。当然、あたしの声でもない。

 笑うのをやめて目を向けると、あたしを見つめる金色の瞳と視線が合った。それは、女の子の肩に乗っていた黒猫。そこだけ白い尻尾の先端を振りながら、その子は口を開いた。

 「おい、お前。僕らの事、幽霊か何かだと思っていないだろうな。だったら、凄い間違いだぞ。それ」

 猫が喋った。ちょっと驚いたけれど、まあお化けの飼い猫だし。それくらい、アリなのかもしれない。

 「……その子、喋るんだ」

 そう訊くと、白い女の子はニコリと微笑んで応じる。

 「うん。ほら、ダニエル。挨拶しなさい」

 ダニエル、と言うのが黒猫の名前らしい。なかなか、洒落ている。

 「へえ。ダニエルって言うんだ。よろしく。ダンちゃん」

 「あ、どうもよろしく……じゃなぁああああい!!」

 一度頭を下げてから叫ぶダニエル君。なかなかのノリツッコミだ。

 「ダンちゃんって呼ぶな!!ボクは天上に名だたる仕え魔を輩出した名家、「アラーラ家」のダニエル・ド・アラーラだ!!大体仲間友人にならまだしも、お前みたいな赤の他人にそんな呼び方される筋合いはないぞ!!」

 ギャアギャアと喚きながら憤慨する、ダニエル君。どうやら、なかなかの出自らしい。不用意な発言で、プライドを傷つけてしまったのかもしれない。ちなみに、さっきから背中に蝙蝠みたいな翼を生やして飛び回っている。でも、もう驚く事ではない。お化けの飼い猫だし、そんな事もあるだろう。

 「ほらほら、騒がないの。落ち着いて。”ダンちゃん”」

 飛び回るダニエル君を捕まえた女の子がそう言ってあやすけど、ダニエル君は「だからダンちゃんて呼ぶなぁああああ!!」と叫んでますますヒートアップしている。多分、いや、絶対わざとだろう。

 このコンビ、見ていると心が和む。さっきまで胸を満たしていた悲しさや虚しさが、少しだけ収まった。お化けと言ったら、もっと湿っぽくて陰気なものを想像していたのだけれど、実際に会ってみないと分からないものだ。でも、いつまでも見ている訳にも行かないのかもしれない。多分。きっと。

 だから、あたしは問う。

 「ねえ」

 「ん?」

 「あたしは、これからどうしたらいいの?どうなれば、いいの?」

 その言葉に、ダニエル君を弄っていた女の子がこっちを見た。黒目がちな眼差しが、あたしを見つめる。その綺麗さが怖くて、あたしは少し視線を逸らした。

 「……あなたは、どうしたいのかな?」

 白い女の子が訊き返してくる。でも、あたしに答える術はない。そもそも、こんな身になった自分に、何が出来るかなんて分からない。でも、ちょっとだけ思う所はあった。

 「……あたしは……」

 言うより先に、女の子の口が動いた。

 「……”彼”の傍に、いたい?」

 「……!!」

 まるで、あたしの思考を読む様な言葉だった。

 そう。この期に至っても、あたしはまだ彼の事を諦めていなかった。諦められて、いなかった。もしも。もしも、叶うならば……。

 あたしは、ゆっくり頷いた。

 それを見た女の子は、目を閉じて大きく息をついた。とても。とても悲しそうに。

 「……彼の事、大事?」

 「……うん。大事」

 ほんのちょっと躊躇してから、しっかりと言葉にする。それを聞いた女の子が、少し目を細めた。

 「強い、想いだね」

 「そうかな?」

 「強いよ。あなたを迷わせるくらいに」

 「迷わせる?」

 小首を傾げると、女の子は黒い瞳であたしを真正面から見た。

 「人の強い想いは、時として魂を迷わせる。迷わせて、魂を地上に縛ってしまう」

 物凄く、真剣な表情。さっきまでダニエル君とじゃれていた、女の子相応のそれとはまるで違う。凄く大事な話をしているんだという事が、如実に分かった。だから、あたしも真剣に訊く。

 「そうなると、どうなるの?」

 「永遠に、彷徨う事になる」

黒い瞳を揺らしながら、女の子は静かに話す。

 「想いに縛られた魂は、道を失う。天に昇る事も、次の生を受ける事も出来なくなる。想いに引きずられて、彷徨って、いつか壊れる」

 ……壊れる。その言葉に少し心がゾクリとした。

 「壊れた魂は、違うモノになる。”違う存在”になって、未来永劫、泣き続ける」

 「……それって、悪霊とか怨霊とか……そういうのになるって言う事?」

 「人間(あなた達)の認識で言うなら、そういう事かな」

 そう言う女の子顔は、少し悲しそうだった。ひょっとして、過去にそうなってしまった魂達を悼んでいるのだろうか。優しいんだ。素直に、そう思った。思いながら、今聞いたばかりの話を反芻する。

 「……今のままだと、あたしもそうなるの?」

 「そうだね。可能性は、強いと思う」

 あたしが悪霊に?考えた事もなかった。そもそも、死んだ後の自分なんて、気にした事もなかったし。人にとっては、生きている時間だけが全て。それが終われば、後は消えてなくなるだけ。ずっと、そう思っていた。実際、パパは消えた。残ったのは、小さな欠片だけ。会いに来てくれた事も、声を届けてくれる事もなかった。幼いあたしが、どんなにそれを望んでも。

 「それは、あなたのお父さんが何の想いも残さずに散華したから」

 女の子が言う。まただ。たまにこの娘は、心を先取る。でも、今回はそれが少し癇に障った。

 「……パパが、ママやあたしの事を気にしてなかったって言うの?」

 「そうじゃない」

 少なからずの憤りを込めた言葉を、だけど女の子は静かに受け止める。

 「あなたのお父さんが想いを残さなかったのは、あなたのお母さんと、あなたの未来を信じていたから。決して、あなた達を軽んじていたからじゃない」

 「どうして、あなたに分かるの?」

 「そういう、ものだから」

 よく分からない答え。でも、その前に分かった事が一つ。それを確かめるために、あたしは女の子に言った。

 「……想いが残らなければ、魂は消えちゃうんだね」

 「消える訳じゃないよ。次の命へ、渡るだけ」

 意味のない答え。あたしは続ける。

 「同じ事じゃない。今のあたしは、いなくなる」

 「………」

 否定がない。肯定と受け取る。

 「でも、想いを持ち続ければ、あたしはあたしでいられる」

 「………」

 無言。肯定。だから、続ける。

 「あたしでいられるなら、あたしは今の想いを忘れない。忘れないでいられる」

 「………」

 また無言。肯定。それなら、次の言葉は決まってる。

 「――なら――」

 「駄目」

 あたしの言葉を先取る様に、女の子が言った。でも、止まらない。

 

 「――あたしは、このままでいい。このまま、ここにいる」

 

 女の子の顔から、表情が消えた。でも、構わない。

 そう。それが、あたしの選ぶ道――

 

 

                                   続く

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