その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。
―百々―
「………」
「………」
たっぷりの沈黙の後、女の子が口を開く。
「それは、あるべき形じゃない」
想像通りの言葉。静かに。諭す様に。だけど、
「そんなの、知らない」
拒絶する。
「いつか壊れるって言った」
また言った。止める様に。思い直す様に。けれど、
「それでも、あたしはあたし」
どこまでも、拒絶する。
「あたしは、あたしでいたいから。それを選んで壊れるっていうなら、あたしはそれで構わない」
言いたい事は、それだけ。そしてあたしは言葉を終えた。終えようとした。
けれど。
だけど。
女の子が、ゆっくりと首を振った。
「……少し、違うね」
言葉と共に、全てを見通す様な黒い瞳があたしを射抜く。
「あなたは、自身の事なんてどうでもいい。忘れたくないのは、彼の事。彼の事だけを、想ってる」
見透かされてる。でも、それならそれでいい。あたしは薄く笑って、答える。
「……分かるんだ」
「分かるよ。考える程の事でもないから」
そう。あたしは失いたくなかった。裕一を。裕一への、今の想いを。それに比べたら、次の命に渡る事も、自分が壊れる事も、天秤の秤に乗りすらしなかった。だから、抗う。突き放す。
「分かっているなら、邪魔しないで。放って、おいて。あたしは、ここにいるから。裕一と、同じ所にいるから」
女の子の顔が変わった。今までの、優しい顔じゃない。冷たい、能面の様な顔だった。一瞬、ドキリとした。だけど、引く事なんて出来る筈もなかった。
「……変わらないんだね」
さっきまでとはガラリと変わった冷たい声で、女の子が言う。あたしも、負けずに返す。
「変わらないよ。何度も言わせないで。あたしは、裕一と一緒にいる」
バッサリと、切り捨てた。捨てた、つもりだった。
それは、一瞬だった。
ほんの一瞬だけ、泣きそうな顔をして。
だけどすぐに、冷たい顔に戻って。
女の子は、あたしを見つめた。
「おい、コラ」
突然、ダニエル君が割り込んできた。
蝙蝠の羽でパタパタと羽ばたきながら、あたしに食ってかかる。
「お前!!ちょっと我侭だぞ!!こっちは心配して言ってやってるのに!!何だよ!?その態度は!!」
ギャアギャアと憤るダニエル君。だけど、あたしはそっぽを向く。
「知らない。そっちが勝手に心配してるだけ。関係ない。大体、君達だってお化けじゃない。同じ事してるのに、どうこう言われる筋合いない」
「な、何だと―――!!」
憤慨極まると言った感じで、ダニエル君が尻尾を膨らませる。まるで、ブラシだ。
「お前、まだボク達の事幽霊だって思ってるのか!?」
「だって、お化けでしょ?君だって、話すし、空飛んでるし」
「違う!!そんな理由で幽霊扱いするな!!そもそも、九官鳥だって話すし飛ぶじゃないか!?」
「じゃあ君、九官鳥なんだ」
「ちーがーうー!!もう!!何て言ったら分かるんだよォオオオ―――ッ!!」
頭を抱えて空中を転げ回る、ダニエル君。あたしはツンとそっぽを向く。
その時、
急に伸びてきた手が、空中を転げまわるダニエル君の尻尾を捕まえた。「ふぎゃ!!」と言って宙吊りになるダニエル君。
手の主は、女の子だった。ダニエル君をぶら下げたまま、彼女はあたしに向かって言った。
「……自己紹介、まだだったよね」
「……え?」
急な言葉に、戸惑うあたし。一方、それを聞いたダニエル君が、ニュッと身体を起こした。
「やるの?やるんだね!?」
「やるけど、そんなに力まないでよ」
やる気満々のダニエル君に比べて、女の子は何か嫌そうだ。って言うか、何をやるつもりなのだろう。
ダニエル君は「いいか!!よく見てろよ!!」と言うと、クルリとその身を丸めた。尻尾を足元から前方に持ってきて、前足で器用にそこだけ白い尻尾の先端を掴んだ。丁度、ダニエル君の身体が輪を作る形になる。
「いいよ!!」
「うん」
そう声をかけられると、女の子は猫の輪の中に手を突っ込んだ。それを見たあたしは、思わず息を呑む。
ダニエル君が作った猫の輪。その中に差し入れられた女の子の腕が、こちら側に突き抜けてこない。当惑するあたしの前で、女の子は輪の中をまさぐる様な仕草を見せる。
「えっと……。どこだっけ?」
「ひゃっ……!ちょっ、激しすぎ!!あふっ!!」
「……こんな時にまで、リアクション取らなくていいってば」
「ふひゃあぁあああああああ」
変な声を出して身をよじるダニエル君にブツブツ言いながら、女の子は輪の中を探る。その間、ずっと喘ぎ続けるダニエル君。なるほど、これは嫌かもしれない。
「ああ、あったあった」
そう言うと、女の子は輪の中から手を引き抜いた。
「ひぁあ!!」
断末魔の叫びを上げたダニエル君が、ヘロヘロと床に落ちる。
床で伸びるダニエル君を無視して、自分の手を見やる女の子。その手には、白いカードケースの様なものが持たれていた。華奢な手が、ケースの蓋をパカリと開ける。
「はい」
そう言って、取り出したカードを一枚こっちに飛ばしてきた。思わず受けとると、床の上で硬直していたダニエル君が、「いいか~。目ぇ開いてよく読めよ~」などと呪詛を唱える様に言ってきた。言われるままに、手の中のカードを見る。それには大きめの女の子の写真と、何やら文字が印刷されていた。身分証明書だと気づくのに、時間はかからない。印字された文字に、目を走らせる。
『死神「A」の100100号』
そこには、そんな文字が書き込まれていた。
一瞬、呼吸が止まった。
「しに……がみ……?」
「100100号が呼びにくいなら、モモって呼んでいいよ。100と100だから」
呆然と呟いたあたしに、女の子――モモが言う。その声に顔を上げたあたしは、凍りついた。
いつの間にか、モモの右手に一本の棒が握られていた。彼女の背丈の倍はある、長い棒。その先端で、大きな逆L字型の刃が不気味な鈍色に光っていた。
それは、巨大な首狩り鎌。死を、象徴するもの。
ガタッ
思わず立ち上がったあたしを、モモの視線が追う。ようやく立ち直ったらしいダニエル君が、「どうだ~!!これで分かっただろ~!!」と勝ち誇る様に言った。
「死神……?あなたが……?」
「
後ずさるあたしに、モモが淡々とした口調で話す。さっきまでとはまるで、別人の様だ。
「……騙してたの?」
「騙してないよ。あなたが、勝手に勘違いしてただけ」
言いながら、大鎌をブンと振る。鈍い光が、あたしの喉元に突きつけられた。
幽かに感じる冷気に、背筋が総毛立つ。
「あたしを、連れていくつもり……?」
乾いた喉から、絞り出す言葉。冷えた声で、モモが答える。
「そうだね。あなたがそんな事を望むなら、あたしはあなたを連れて行かなきゃならない」
壊れると分かってる魂を、放っておく事は出来ないから。
優しく、だけど冷たくそう言って、モモは鎌を持つ手に力を込めた。
「―――っ!!」
死神の大鎌が、天井近くまで振り上げられる。その切っ先が狙うのは、違う事なくあたしの脳天。
「怖がらなくていいよ。痛くはないから」
そんな言葉、何の慰めにもなりゃしない。
「……言ったでしょ。あたしは、逝かない」
せめてもの抵抗の様に、あたしは訴える。
「無理。あなたは死ぬんでしょ。それなら早く、行くべき場所に行った方が楽になれる」
「裕一のいない場所なんて、行ったって意味ない!!」
必死の叫びも、もう届かない。
「それは、執着だよ。あなたの魂を、縛り付ける。そんなのは、ただ不幸なだけ」
抑揚のない声で、モモが言う。無慈悲に。切り捨てる様に。
「うるさい!!」
叫ぶ。振り払う様に、喚き散らす。
「縛られたっていい!!不幸だって言うなら、言えばいい!!それでもあたしはいたいの!!裕一と一緒にいたいの!!」
「エゴだね。そんな想いは、彼も不幸にする」
「!!」
その言葉が、加熱した頭に冷水をかけた。
「裕一を……不幸にする?」
「そう」
見つめてくる、モモの目。それが、一瞬悲しげに揺らいだ。
「壊れた魂は、もう自分を止められない。想いのままに暴走して、周りを巻き込んでいく。思う相手も、それに関わる人も、果ては行きずりの人までも、全部全部、不幸にしていく」
「あたしは……あたしは、そんな事……」
言い訳を探す。でも、そんなものは見つからなくて。
「無理だよ。どんなに頑張っても、行き場をなくした魂はいずれそうなる。理屈じゃない。そう言う、ものだから」
最後の宣告。足から、力が抜けた。カクリと膝が折れて、座り込む。抗う言葉も、術も、道理さえもが、もうなかった。それでも、最後の足掻きの様に呟く。
「……どうして……どうして……?裕一だけなのに……あたしは、裕一と一緒にいたいだけなのに……」
「それは、あなたが死んでしまうから」
透麗な声が、言った。俯いていた目を上げる。鈍色に光る、死の象徴。それを掲げたモモが、あたしを見つめていた。その眼差しが、とても辛そうに見えたのは気のせいだろうか。
「人は死んでしまったら、それで終わり。その人と言う存在は、終わり。次の命へ渡るか。それとも、彷徨って壊れるか。二つに一つ。それだけの話」
さっきまでの、冷淡な囁きとは違う。何か、今にも泣き出しそうな、そんな声だった。
「人は、死ぬ事では何も得る事は出来ない。死んだ人が輝いて見えるのは、その人が一生懸命に生き抜いて、その果てに”遺す”ものが出来るから。遺したものが輝いて、その人が生きた証になる。全部、生きたからこそ、生き抜いたからこそ、出来る事。死の向こうで手に入るものは何もない。例え、その想いがどんなに純粋で気高くても。死んでしまえば、全ては終わりになるの」
そして、モモは口を噤む。
あたしは、言うべき言葉を失う。
一時、深い沈黙があたし達を包んだ。
キリリ……
その中で、冷たい音が耳に響く。
見上げると、掲げられた鎌が傾ぎ初めていた。あたしに向かって。ゆっくりと。色のない声で、モモが言う。
「……もう、いいね」
「………」
抗うべき言葉はなかった。見つからなかった。
けど。だけど――
――終わりになるの――。その言葉が、心を貫いていた。痛く、冷たく、貫いていた。痛みは疼きとなって。疼きは滾りとなって。そして――
「……たくなかった……」
知らずのうちに、口が言葉を紡いだ。
鎌が、落ちてくる。その前に、せめて叫びたかった。
「死にたくなんて、なかったわよ!!」
ガツッ
逸れた刃が、鈍い音を立てて床を突いた。でも、それにも気づかなかった。あたしは、叫び続ける。
「死にたいなんて、思ってなかった!!死にたくなかった!!」
喉が壊れるんじゃないかと思った。自分の中に、こんなにも激しい感情があるなんて知らなかった。自分でも、怖いくらいの激情。でも、止めようとは思わなかった。ただ。ただ。最後にこの思いを。本当の自分を。さらけ出したかった。
「生きたかった!!もっとあそこにいたかった!!裕一の傍に、いたかった!!」
叫びと共に、目から雫が落ちる。目を拭うけど、溢れ出したそれは止まらない。白い床に。それを掴む両手に。ポタポタ。ポタポタ。雫が落ちる。
「死にたくない……死にたくないよ……嫌だ……やだよ……」
もう、恥も外聞もなかった。ただ、泣いた。泣きじゃくった。いつか、彼の胸でそうした様に。
……ずっと、モモの視線を感じていた。彼女は、子供の様に泣きじゃくるあたしを、
黙って見つめていた。床に当たった鎌は、動かない。まるで、その役目を終えた様に。
「ねえ、モモ。もう、いいんじゃない?」
そんな、ダニエル君の言葉が聞こえた。
「そうだね。ダニエル。もう、大丈夫みたい」
答える、モモの声が聞こえた。
その声が、そのままあたしに向かう。
「ねえ。生きたい?」
問いかけてくる、声。
考えるよりも早く、身体が動いた。頷く、あたし。
「そう」
何処か嬉しそうな声で、モモが言った。
「じゃあ、生きなくちゃね」
「……!!」
思わず上げる視線。涙に潤む視界の中で、白い死神が優しく微笑んでいた。
続く