ー皐月雨ー   作:土斑猫

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※この作品はライトノベル、「半分の月がのぼる空」・「しにがみのバラッド」・「シゴフミ」の三作品クロスオーバーとなっています。

その点をご理解の上で、ご利用される事をお願いいたします。



ー皐月雨ー・⑨

 

【挿絵表示】

 

 

                  ―文伽―

 

 

 一連の処置と診察を終えた先生達が、病室を出ていく。最後の看護師さんが出るのと同時に、扉がバンと開いた。

 「お静かに願います!!」

 そんな看護師さんの叱咤なんて何処吹く風と言った(てい)で、裕一が飛び込んできた。そのまま、あたしのベッドに飛びついてくる。走ってきたのだろう。肌がしっとりと湿っていて、微かに汗の匂いがした。視界の隅で、身を引いたママが苦笑する。ああ、いてくれたんだ。求める様に、左手を上げる。その手を、裕一の手が強く握った。力強い熱感。それを、生きてる感覚として感じられる事が嬉しかった。

 「里香、分かるか?オレだぞ!今度は、分かるか?」

 裕一が、そんな事を訊いてくる。でも、言ってる事がよく分からない。不思議そうな顔をしていると、横からママが教えてくれた。

 「里香。貴女、昨夜一度目を覚ましてるのよ。その時、裕一君の事呼んでるし、手も握ってるのに。覚えてないのね」

 全く。母親よりも男の方を先に呼ぶなんてね。そう言って、ママは笑った。

 それで事情を察したあたしは、裕一に「ごめんね」と言ってみた。思ったよりもかすれた声しか出なかったけれど、ちゃんと聞こえたらしい。裕一は、「おう」と嬉しそうに笑って、あたしを握る手に力を込めた。

 

 

 里香の意識は、二日目からハッキリしてきた。まだ、身体中に心電図のコードやら点滴のチューブやらが付いていて、自由には動けない。もっとも、絶対安静だから、それらがなくても動いちゃいけないんだけど。

 医者は、経過が良ければ一ヶ月ほどの入院で家に戻れると言っていた。もっとも、その後も同期間の自宅療養が必要らしい。

 ……長い。あまりにも、長かった。里香の時間は有限だ。その、決して長くはない時間の中で、二ヶ月もの空白は長過ぎた。いや。それで終わりじゃない。これからも、同じ様な事が起こらないとも限らない。その度に、里香の時間は削られていく。ひょっとしたら、全ての時間が一度に削り取られてしまう可能性だってある。あの時、夏目は言った。「五年は持つ」……と。でも、実際はそうじゃなかった。里香の時間は、虫にたかられた葉っぱも同然だった。日に日に齧られ、貪られ、その面積を減らしていく。木から落ちる時期が来る前に、全てを食い尽くされてしまうかもしれない。与えられた筈の、わずかな猶予。でも、それですら絶対ではなくて……。

 医者に退院までの期間を聞かされた時の、里香の顔が頭にちらつく。今までの長い入院生活に比べたら、一ヶ月なんてあっという間と強がっていた。でも、その顔に差していた影を、僕は見逃してはいなかった。本当は悲しいのだ。悔しいのだ。でも、その思いを顕にした所で、どうにもならない事を知っているのは他の誰でもない。里香自身だ。里香は、知っている。この虚しさを。この苛立ちを。表に出さない術を。全てに諦めという名の蓋を被せて、ただ飄々と佇む術を。それが、どんなに理不尽な事であろうとも。

 今、僕は里香と二人で病室にいた。里香はまだ絶対安静だけど、それでも意識が明確になった分退屈を感じる様になったらしい。時折、僕やおばさんと話をする様になってきていた。もう何処も痛くないのに、トイレくらい自分で行かせて欲しいものだとおばさんに不平を言ったり、本を自分で読めないから、読んで聞かせろと僕に命令したり。調子だけは、いつもの里香に戻りつつある様に思えた。

 だけど、そんな時間は本当に儚い。

 心室細動。数十秒の心停止が里香に与えたダメージは、決して軽くはない。その体力は著しく落ちていて、少し起きていたかと思っても、すぐに眠り込んでしまう。

 今もまた、里香は眠りに落ちていた。ほんの数分前までは、僕と話をしていたのに。おばさんはいない。所用で、今は席を外していた。と言うか、里香の意識が戻ってからはちょくちょく席を立って、僕と里香を二人だけにしてくれていた。そんなおばさんの心配りに感謝しながらも、里香が眠りに落ちている間、僕はどうしようもない無力感に襲われる様になっていた。

 こんなに里香が苦しんでいるのに。こんなに里香が悲しんでいるのに。今の僕には、何もしてやる事が出来ない。「里香を、守る」。心に決めた筈のあの誓いが、ちゃんちゃら可笑しいものに思えてくる。「守る」?どうやって守るって言うんだ。僕には、夏目の様な医学的な知識も技術もない。里香の治療を支える、財力もない。今までは、早く大人になってその為の力をつけよう。漠然と、そう思っていた。だけど、今度の事で思い知らされた。甘かったんだ。あの決意をもってなお、僕は甘かった。里香の病気は、そんなガキの思惑に従ってくれる程、悠長じゃない。優しくもない。まるで、真綿で首を絞める様に、キリキリ里香を苛んでいく。里香が生きている限り、それを続けていく。

 僕は座っていた椅子を立って、眠る里香の傍らに立った。静かに眠る彼女の顔を、そっと撫でる。

 「ん……」

 小さな声を上げて、里香が身動ぎする。その頬は、この短い時間で少し痩けた様に見えた。

 里香の身体には、沢山のコードやチューブが繋がれている。心電図、フットポンプ、カテーテル、点滴。それらはまるで、里香の命を縛り付ける拘束具に見える。僕は、この拘束から里香を開放したかった。永遠に。ずっと。この苦しみから、里香を解き放ちたかった。せめて、生きてる間だけでも。

 僕は、里香の左胸に目をやる。微かに上下するその奥で、全ての元凶が息づいてる筈だった。そう。全ては、この心臓のせい。あるべき形を取らずに生まれてきた、このたった一つの、ちっぽけな存在が里香を苦しめる。これまでも。今も。そして、これからも。話は簡単なのだ。これさえ。この、心臓さえ正しくあれば。

 僕は、自分の左胸に手をやる。トクン。トクン。強く、正しく脈打つ、命の塊。そう。あるのだ。求めるものは、ここにある。これが、里香の中にあれば……。

 僕は、椅子の上に置いた一冊の本に目をやる。

 ……やるべき事は、見え始めていた。

 

 

 夜中に、ふと目が覚めた。

 周りを見回す。

 誰もいない。

 ママも。

 裕一も。

 ママは多分、親族用の宿泊室。

 裕一は、流石に二日間の宿泊は認められなかった。

 そもそも、裕一には学校がある。あたしにだけ、かかずらわっている暇はない。二人共、同じ病院(ここ)に入院していた時とは違うのだ。裕一には、未来がある。あたしのために彼の時間まで止まって欲しくはなかった。

 あたしと、裕一の生きる時間は違う。いつの日か止まるあたしと、歩き続ける裕一。「ずっと一緒に」。約束した、あの誓い。違えるつもりはない。それでも、現実はそれを許してくれない。それを、今度の事は文字通り痛みをもってあたしに思い出させていた。いつまでも、夢を見ているんじゃないと。そう。所詮は束の間の日常の中で、見ていた夢。裕一は、いずれ現実の世界へ戻っていく。あたしを置いて。

 分かっていた。

 理解していた。

 だけど、忘れていたかった。

 夢を、見ていたかった。

 もっと。裕一と一緒に。

 少し、眦に温かいものを感じた。

 ああ、嫌だ。嫌だ。

 腕を上げて、目を擦る。点滴の管が張って、微かな痛みを感じたけど構わない。色んなものを誤魔化す様に、ゴシゴシと擦る。

 その時、

 ニャーン

 遠くで、猫の声が聞こえた。

 猫。

 不意に、昨夜見た夢が思い出された。

 お喋りな黒猫を抱いた、真っ白い女の子。

 死神と名乗った彼女は、あたしに言っていた。

 「生きなくちゃね」と。

 ”こっち”と”向こう”の狭間で見た、胡乱な夢。だけど、その言葉は不思議と強く心を波立てる。死神が言ったのだ。「今は生きろ」と。なら、あたしはまだ、生きれるのだろうか。まだ、このと言う夢を見続ける事が出来るのだろうか。裕一と一緒に、いる事が出来るのだろうか。

 「……生きなくちゃ」

 ポソリ

 あの娘の言葉を繰り返す。

 「生きるんだ」

 何か、熱いものが胸に灯った。

 「ん……」

 横たわっている身体に、力を込めてみる。筋肉が軋んで、血液が流れる感覚がした。心臓は変わらずに動いている。静かに。だけど確実に。

 「……頑張って」

 健気に動く心臓を、鼓舞する。そう。あなたはあたし。ずっと、共に生きてきた。これまでも。今も。そして、きっとこれからも。

 点滴が固定された腕に、力を込める。刺さった針が揺れて、疼く様な疼痛が走る。痛みは生きている証。あたしは生きている。そして、生きていく。明日も。その先も。”彼”と、一緒に。

 横たわっていた、身体を起こす。表示される心電図が、僅かに乱れる。それさえも、生きている証。もうちょっと。もう少し。

 ギシ……

 小さく軋むベッド。

 そしてあたしは、身体を上げた。

 「はぁ……」

 全てを終えて、小さく息を吐く。

 ベッドの上で、身を起こした。ただ、それだけの事。だけどそれは、大事な一歩。あの光の元へ。彼の隣へ。戻るための歩み。胸に手をやる。トクントクンと、確かな鼓動。ありがとう。頑張ってくれて。そう労いながら、ゆっくりと呼吸をする。少しだけ高みで吸った空気は、微かに外の世界の匂いがした。

 

 

 『大丈夫?あんまり無理、しないでよ』

 唐突に、聞きなれない男の声が耳を打った。

 「!?」

 驚いて顔を上げると、薄暗い部屋の端。カーテンの閉まった窓際に、幽鬼の様に立つ人影があった。

 いつの間に入ったのか。確かにたった今まで、この病室にはあたししかいなかったのに。咄嗟に、枕元に置いてあったナースコールに手を伸ばす。

 『ああ、ちょっと待って!!』

 そんな声が聞こえた瞬間、

 パツン

 「―――っ!!」

 空気が揺れて、ナースコールが弾かれた。

 『ちょっと文伽、あんまり手荒な事しないでよ!!何かあったらどうするのさ!?』

 「大丈夫。今のこの娘は、この程度で手折れたりしないわ」

 それまで聞こえていたのとは、別な声が聞こえた。もう一人いる?目の前の人影は、一つだけなのに。

 「驚かせてごめんなさい。でも、警戒はしなくていいわ。害意はないから」

 そんな言葉と共に、人影が進み出て来る。

 視界に入ってきたのは、一人の少女だった。年格好はあたしと同じくらい。とても綺麗な顔をしている。でも、その容姿に反してとても奇妙な格好をしていた。

 紺色のに格式張った制服。肩に下げているのは、がま口の大きな鞄。頭に被るのは、少し大きめで頭頂部が平らになった鍔付きの帽子。確か、ケピとか言う代物だ。その姿は、まるで昔の小説に出てくる郵便配達夫の様。

 でも、一番変わっているのはその右手に握られたもの。それは、彼女の背丈よりもさらに長い杖。複雑な形状に刻み込まれたその先端には、アナログの時計が嵌め込まれて、カチカチと時を刻んでいた。

 総じて言えば、とても場違いな格好。コスプレか何かだろうか。ハロウィンには、大分季節が早い様に思えるのだけど。

 それでも。相手が同性と分かって少し警戒感は薄れた。でも、まだ油断は出来ない。最初に聞こえた、男の声の主がいる筈。

 「……警戒してるわよ。あなたのせいじゃない?マヤマ」

 『ええ?僕のせいなの!?そりゃないよ文伽!!』

 ……一瞬、耳を疑った。唐突に響いた、男の子の声。それが、少女の持つ杖から聞こえた様な気がしたのだ。

 目を丸くするあたしに向かって、彼女”達”は言う。

 「無理もないけど、本当に怖がらなくていいわ。私は文伽。見ての通りの郵便配達。そして、こっちの杖は相棒のマヤマ。マジックアイテムだから、喋るのも気にしなくていいわ」

 『そういう事。よろしく』

 ……間違いなかった。杖が喋ってる。マジックアイテム?何そのファンタジーな世界。訳が分からない。

 混乱しているあたしに向かって、杖が慌てた様に言う。

 『ああ、あんまり悩まないで。身体に障るから。そういうもんだと納得して。OK?』

 そんな事言われても……

 「そうよ。今のあなたなら、受け入れられる筈。喋る杖なんて、話す猫と大差ないでしょ?」

 『ちょ、ちょっと文伽!!大差ないって何さ!?あんな奴と一緒にしないでよ!!』

 「マヤマ、ちょっと黙ってて」

 『だって……ギャフン!!』

 文伽と呼ばれた少女が、杖を壁に叩きつけた。踏んづけられた食用ガエルみたいな声を上げて沈黙する杖。でも、そんなど突き漫才に構う余裕はあたしにはなかった。

 話す猫……?ひょっとして……!!

 「あなた……ダニエル君を、モモを、知ってるの……?」

 「知ってるわ。同業……という訳じゃないけど、同じ様な存在よ」

 ……夢じゃ、なかった。広がる動揺は、胡乱だった夢が現実となった驚きだろうか。それとも、あの優しい死神が幻でなかった喜びだろうか。

 戦慄きながら、あたしは文伽に問う。

 「それじゃあ、あなたも、死神なの……?」

 でも、文伽は首を振って否定する。

 「同業じゃないと言ったでしょう?私は、郵便配達夫……」

 言いながら、肩から下げた鞄の口をパクリと開ける。取り出されるのは、一通の手紙。

 「役目は一つ。便りを、想いを届ける事……」

 そして、彼女は手にした手紙をあたしに差し出す。

 「秋庭里香。あなたに手紙よ」

 「え……?」

 

 「”秋庭玲二“からね」

 

 告げられた名前に、一際大きく鼓動が鳴った。

 

 

                                  続く

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