その内の一人、狩人の男が出会ったのは貴族から逃げ出した一匹の猫だった。
いつから、僕はこうなったのだろうか。
たった今狩った獲物にごつくて重い剥ぎ取りナイフを突き刺し、動かしながらいつもの如く考える。
多分、五週間前。それよりも前か。狩り初めたばかりの頃はまだ普通だった。……筈だ。
近くの木に獲物をブラ下げ、血抜きをする。血がだらだらと流れ、地を赤く染め上げる。
ざっくりと血を抜いた後は近くの川でしっかりと流さないと。
ガサガサッと背後から何かがやってくる。その音は徐々に近付いている。ズシッズシッと地面を踏み締める音も聴こえる事から、相当な大物なのだろう。
草木の向こうからこちらを見る目が光る。
「そこをどけ……」
唸るような声が届く。剥ぎ取り用のナイフをしまい、僕の武器である両手剣を構える。本当は銃の方が得意なのだけど、まぁどちらにせよこの距離まで近付かれたら使えない。
剣の鉄の臭いに恐れず、草木を掻き分け現れたのは筋肉的に良い体をした女性。
耳は二つ、黒い髪と同化していて見付けづらい。胸元と腰回りに同じ黒い毛皮を纏っているが、それ以外に何かを身に付けてはいない。
身体中に傷が付いており、手に着けた白っぽい鉤爪を見せ付けるように軽く振っている。
こいつはなかなか。強そうだ、全力を出そう。
「それを、渡せぇ!」
威嚇するように吠え、一瞬で距離を詰めてくる。
そして、一撃で切り裂こうと右手を大きく振ってきた。
あれに当たったら危ないだろう。それこそ一撃で首と体が離れる事になる。
左後ろに一歩、同時に剣を振り上げる。眼前で鉤爪が空気を裂く。
けれど、僕には当たっていない。
力を込めて剣を相手の首筋に叩き付ける。……しかし、ほとんど刃が通らない。
即座に背中に飛び乗る。直前まで僕が居た大地に、巨大な爪痕が着いた。
後少し動くのが遅かったらやられてた。まあいいや。
剣を放り投げ、ナイフを首もとに突き刺す。
「ぐゃあぁぁがっあぁぁっ!」
全身を震わせ、当然のように猛烈に暴れ始める。振り落とされないように必死にしがみつき、ナイフを捩じ込む。
木にぶつけられた。二回目。三回目。
痛い……が、その衝撃で少しずつナイフを動かしていく。
鮮血が飛び散る。
「ぐぃぁぁぁあっ、があぁっ……う……ぐ…………」
「―――ようやく、か」
首から大量の血を流しながら、この強い
念のため、もう一度しっかり喉元にナイフを突き刺す。
……長いようで短い激闘を終え、少し息を整える。
……流石にこれを持ち帰るのは骨が折れそうだ。しかしこの熊だけでしばらくは生活には十分。放っておいて他の獣に食べられるのは勿体無い。
先に狩った兎は……いや、やっぱり持ち帰るか。
両手剣を回収。熊の死体を背負い(大分重い)、兎の長い耳を掴んで川へ向けて歩く。
それにしても、この熊。喋ったな。そこまで知能が発達していたとしたら、或いはここらの主だったのかもしれない。
現に、近くに獣の……『
―――僕がこの世界に来たのは大体二ヶ月ほど前。きっかけは……あの兎なのだろう。
あの日、僕はいつも通り狩りをしていた。
そして、やけに目を引く兎を追い掛けて森の奥へ進んだ。
何故、あの時追い続けたのだろうか。『深追いをしない』というのは狩人となる時に真っ先に教わる事なのに。
まあ、とにかく。
兎は見失い、気付くと周りの木々が見たことの無い種類のものになっていた。慌てて戻ろうとしたけど、既に戻り方は分からなくなっていた。
泣きそうになっていた僕を助けてくれたのは、こっちでの師匠。こっちでの狩りの仕方を教えてくれた。
とはいえ元の世界との違いはあまり無かった。星の並びが変わっていたのと、
それと、僕のような人は多いと教わった。別の世界から来た人たちはその大半が『人獣愛好家』となるとも。
迷い混んだ人たちの量は『別の世界から来た人の国』があるほどだとか、中には元の世界ですら存在しなかった能力を持つ者も居るとか。
とまぁ、様々な事を教わった。
ところで、僕は狩人だ。獣を狩り、その毛皮を剥ぎ、肉を取り出し、それを売る。そんな生涯を過ごす。
しかし、この世界では、獣は人の姿だ。
死体を見て吐いたのは、初めて狩りをした時以来だった。
一匹目を狩り、吐いた。
二匹目を狩り、また吐いた。
三匹目を狩り、ふと気付いた。
「―――人獣は見た目こそ人だけど、中身は結局獣だ」
川で熊の血を抜きながら呟く。誰に聞かせる訳でも無いけれど。
「基本的に喋らない。肉の味も同じ。毛皮の質も変わらない。罠にかかっても外せない。そして勿論、人獣同士で食い合う」
だから罪悪感を捨てた。一緒に感情のほとんども無くなったのは誤算だったけれど、後悔は無い。そんな事を感じる情は無い。
「……ふぅ」
血が抜けて少しは軽くなった。ここから川を越え、少し歩けば家だ。今は師匠と共に住んでいる。早く独り立ちしたい。
「あのぅ」
とっさに銃を構える。銃口の先には一人の少女が居た。
腰まである長く白い髪、同じく白いドレスから見える足はスラリと伸びている。
「ひっ、ま、待ってください!」
「……」
あれは人獣だ。
言葉を使い、人の服を着ているが、特徴的な耳と尻尾を隠していないし、頬から髭が左右に三本ずつ生えている。あれは……猫か。
ならば狩らなくていい。
猫は筋肉はあれど肉付きが悪い。三味線職人が居ないから毛皮や髭を高く売れない。でなくとも、害獣である
ゆっくりと銃を下ろす。
「獲物を狙っているのなら諦めろ」
「は、はい! いえそうじゃなくて!」
警告だけはしておく。
……この猫は言葉を理解している。そもそもこの狩った熊と違い流暢に話していた。
猫、言語理解、人の服。この事から分かる事は一つ。
「お前、どこから逃げ出したペットだ?」
「えっと、それは……って何で分かるんですか!?」
「獣が話している、獣が人の服を着ている。なら人獣だ」
「あ、確かに」
猫は犬と並んで人間のペットとして優秀だ。先ほど上げた様に人間にとって害にならないからだ。
それに人型だから、そういう趣味の貴族たちが大量に買っている。ちなみにペットを飼っているのは他の世界の人間だけだ
「ここから先は森だ。ペットとして飼育された人獣だとすぐ食べられるのがオチだ。早めに戻った方が良い」
そう言っておく。
森には独自の生態系がある。それに外から割り込むのは命懸けだ。そんな危険な事を起こすのは、それこそ人間ぐらいしか居ない。
それに、外から手を加えると言うのはその生態系に影響を与える事だ。あまり変えられると困る。
……猫一匹程度ではそこまで変わるものでは無いけれど。
猫は少しうつむき、そして意を決したように口を開く。
「……ニャー。その、匿って欲しいのです」
その猫の言う事には飼い主が構ってくれなくなったとのこと。
その飼い主は外の人(他の世界の人間の事をこういう)である貴族で、この猫以外にも沢山のペットを飼っているらしい。
犬が八匹、猫が(この猫含めて)十匹、豚を三匹、鳥を二十匹。それに加えてワニにヒョウ、キリンまで居るらしい。餌代がかかりそうだ。
「……主人に私は…もう要らないのかと…それで、出てきたのです」
「そう」
「……」
「……」
「…フニャー」
血抜き、終了。後は家で解体するだけだ。熊を背負う。
「それじゃあ」
「えぇっ!? 匿ってくれるんじゃないんですか!?」
何でそうなるのだろうか。僕は一度も匿うなどと言ってないのに。
「お願いです! 匿ってください!」
「何故?」
「ニャ…」
「僕でなくても良いだろう?」
「いえ……なんだか、貴方が良いです! なんとなくですけど!」
「そうか」
『なんとなく』――― 一番どうしようもない言葉だ。僕としてはその『なんとなく』がどんな『なんとなく』なのか分からない。
しかし『なんとなく何かしたくなる』のは感情を捨てる前には何度かあったから、その感覚は分かる。
だから、
「そ、それで……匿ってくれるでしょうか……?」
「それは師匠次第だ。ただ、師匠が帰ってくるまではうちに居てもいい」
「ニャー! ありがとうございます!」
逃げたペットは保護して飼い主に渡す。そうすれば褒美が貰えるかもしれない。
「ただし僕の獲物を取ったら殺す」
「ヒニャアッ!? し、しませんよ!」
……しばらくはうるさくなりそうだ。