「来る日も来る日も、安月給で手のかかる幼児の世話ばかり………いい加減ノイローゼになりそうだ」
想像よりも遥かに過酷だった幼児保育に対する愚痴が口癖になりつつある、平凡な男・宇佐 義三(うさ よしみ)は、ひょんなことから夢枕に立つ謎の男『ラビーヤ』によって全く別の異世界へ引きずり込まれてしまう。
子供のおもりとはおさらばだ、と喜ぶ宇佐にラビーヤは「私に代わり、魔族の子供たちを育ててほしい」と懇願され、紆余曲折を経て四人の魔族の子供たちの面倒と未来を託される。果たして、宇佐に平穏は訪れるのか?



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初めましての方は初めまして、知っている方々は本当にすみません。
東方や仮面ライダーのSSを主に書かせていただいている、萃夢想天です。

ここ最近は異常に忙しく、その結果として文章を上手く書き起こせなくなり、
それに比例して(あってはならないことですが)やる気も乱高下してまして。
このままではマズイと一念発起し、せめて短編で感覚を取り戻してみようと
思い至った次第です。完全な思い付きクオリティなので、目を覆いたくなるほど
稚拙な文章力に知能の低い内容となっております。ご了承ください。


それでは、どうぞ!





1話「こんな異世界転生お断りだ」

「来る日も来る日も安月給で手のかかる幼児の世話ばかり、いい加減ノイローゼになりそうだ」

 

 

世界最大最深の海溝もかくやと言わんばかりの溜息を吐き、続けざまに同じ口から飛び出すのは

己の職務に対する愚痴。自分の言葉から、先ほどまで強いられていた勤務内容を思い出した男は

救いを求めるように視線を空へ向けるが、連日続く曇天模様に中てられたのか重く頭を垂らす。

灰色の頭上から鉛色のアスファルトへ視界が移り変わるが、男の気分を晴らしてくれそうなもの

などあるはずもなく、道端に転がる石ころを蹴り飛ばす気すら起きずにだらだらと歩を進める。

 

「はぁぁ……………やってられるかよ、クソ」

 

 

平日の夕方、指定の制服に身を包んだ若い学生や、スーツをぴっちり着こなす模範的社会人が

雑踏と化す時間帯。彼は無尽蔵にも思える人混みの中で、下を向きながら居心地の悪さを感じた。

男はいわゆるニートに類する、自堕落な暮らしをしているわけでもない。

むしろ、一社会人としてちゃんとした職について働いて給金を得ている、まっとうな人間だ。

だからと言って真人間というわけでもなければ、聖人君子というわけでもなかった。

当然だ。怒り、悲しみ、嘲り、蔑み、嘆くからこその人間である。清々しいほど彼は人間だ。

 

そんなごくごくありふれた人間である彼は、いつもと変わらない街並みと道のりを黙々と往き、

ようやく安住の地へと辿り着いた。何もない彼が唯一気兼ねなく過ごせる場所、自宅である。

とはいえ、実際は就職に合わせて親戚のツテで借り受けたアパートの一室なのだが、彼にとって

自分が好き勝手にできる独裁空間である以上、そこをオアシスと呼ばずして何と呼ぶのだろう。

 

 

「あ~あ、ったく。この歳で階段の上り下りが恐ろしいとか、もう労災認可有り得るよな」

 

 

己のせせこましい牙城まで何とかやってこれた彼は、鍵を差し込んで扉を開け、転がり込んだ。

玄関口を抱きしめるように突っ伏したまま、何に対してのものかも分からないまま溜息を吐く。

遅れて扉が閉まり、バタンと無遠慮な音を立てるも男は気にもせず、自宅到着と同時に手放した

書類の束へと目をやった。そこには「おゆうぎかい」や「懇親会」、「保育日誌」の文字が

記されており、いずれも明日までに清書を完成させて提出せねばならない重要なものである。

 

 

「クソだりぃぃ………やりたくねぇなぁ」

 

 

無論、泣こうが喚こうが期限がある以上はそれまでに納めねばならない。それが社会人としての

義務であり当然の責任なのだと、頭では分かっていても体が労働を拒む。圧政への反逆だった。

 

早朝から続く激動の職務を耐え抜いた肉体に、これ以上の負荷をかけたくないがやるしかない。

 

 

「こんな辛いとは思ってなかったんだよなぁ。なんでこんな仕事選んだんだろ、俺」

 

一人暮らしをしている彼の言葉に返事を返す者などいない。しかし人は耐えきれなくなった時、

見返りなど度外視して他者に縋りたくなる生き物である。要約すれば、独りは寂しいのだ。

当たり前だが返答は帰らず、何やってんだろうと形容しがたい虚しさに襲われ、溜息を一つ。

 

これこそが彼_____________宇佐(うさ) 義三(よしみ)という男の生き様であった。

 

 

 

 

 

生まれは平凡で、裕福とも貧乏ともつかない並の家庭の出身。小・中・高と無難に卒業する。

成績も人並にはあるというだけで、飛び抜けて優秀でもなく、ずば抜けて底辺でもなかった。

部活こそ『体育会系の華』と謳われる野球部や男子バレー部に所属していたものの、どちらも

強豪とも呼べぬ弱小校の部活だったため、公式戦では初戦敗退が常の日蔭街道を猛進する。

プレー自体も目を見張る才能があったわけでもないので、部への入部目的の七割を占めていた

「女子にモテたい」という願望も満たされる機会は巡らず。堂々巡りの変わらぬ日々であった。

 

そんな彼も成長し、いざ進学か就職かの瀬戸際に立たされた時、彼は決断を迫られる。

誰しも経験はあるだろう。「自分が何をやりたいのか」と、「自分にはこれしかない」との

異なる道筋を、選ばなくてはならない日のことを。その決断は、今後の人生を左右しかねない。

 

周囲では就職組と進学組で別れていく中、彼はとうとう最も愚かな行動を取ってしまった。

 

 

「それで、おまえはどうするつもりだ、宇佐?」

 

「あー、先生。俺に合いそうな就職先とか進学先とか、あります?」

 

 

この男、自分の人生を変える分かれ道で、進行方向を赤の他人に委ねやがったのだ。

 

 

「合いそうなって言ってもな」

 

「やりたい事もないし、コレをやれってのもないんで」

 

「先生にそんなこと言われてもなぁ」

 

 

心底困り果てた様子の担任教師に、彼は仕方がないとばかりに駄目押しを繰り出す。

 

 

「じゃあ、どこか人手の足りなそうな場所ってあります?」

 

 

これが、全ての始まりだった。

 

 

 

 

 

結論から言えば、宇佐に文句を口にする資格すら有りはしない。そもそもの責任自体を放棄

したのは、他ならぬ自分なのだから。けれど人間は自己中心、この現状を"理不尽"であると

思い込み、自分以外に目を向けて不当だ不平等だとのたまう。彼だけが特別下劣ではない。

 

自己批判をする気も起きない宇佐は、そのままだと玄関で爆睡するハメになると体に鞭を

打って起き上がり、散らばりかけた書類をかき集めて抱きかかえ、ようやく動き出した。

 

「あん時もーちょっと夢持ってたら、今頃どうなってたんだろーなー。もしかしたら、

大企業の重役とかになってたり…………するわけねぇか。だって俺会社勤め不向きだし」

 

 

くたびれた外着を脱ぎ、背負っていたリュックから激労の際に着込んでいた歴戦の戦装束、

即ち可愛らしいウサギなどのアップリケがついたエプロンを取り出し、洗濯機へ突っ込む。

給食の食べこぼしで汚れた靴下や、涎や鼻水を拭き取ったハンカチなども無造作に入れて、

粉末洗剤と液体洗剤(混ぜ合わせ可)をブレンドして蓋を閉める。あとは自分が入った後の

風呂の湯を使って洗濯をするだけ。一連の作業を終えた宇佐は、全裸で浴室へと向かった。

 

 

地獄を生き抜いた自分への褒美を堪能した彼は、Tシャツに短パンというラフな格好のまま

ガスコンロの前に立っている。左手には焼き音を響かすフライパン、右手にはフライ返しの

クッキングスタイルであった。何を隠そうこの男、自給自足と職業柄、料理は得意なのだ。

面倒くさがりな性格であるにもかかわらず、料理に関しては手を加えることを厭わないので、

食生活の一面だけを見れば、健全な生活をしている。栄養バランスなども無論ぬかりない。

 

野菜炒めと僅かな米、コンビニで買った一品300円程度のレンジで解凍するタイプの副菜の

三本立てを夕食に並べた宇佐は、中学校の時から欠かさず飲んでいる烏龍茶をコップに注ぐ。

 

 

「今日もお疲れさんっした。んん、あぁ………明日も頑張ろう」

 

 

独りが寂しい独身男の寂しい独り言が、空しく部屋中に溶け込んでいく。にわかに羞恥心が

騒ぎ立てるのを察した宇佐は、つつがなく夕食を胃袋に納め、洗濯物をベランダへ干し出す。

空腹を満たしたことでやってくる睡魔をどうにか抑え込み、彼は書類の山にと手を伸ばし、

書き込むべきところは書き込み、変更点があった場合は自前のPCで作り直して印刷し直した。

保護者の方々へと配るプリントに不備が無いかを確かめ、最後に今日一日の保育士記録を

日誌に書き込み、自らの苗字である「宇佐」の印鑑を押し込んでページを閉じ、目をつぶる。

 

 

「くあぁぁあぁぁぁ~! 終わったぁぁ~!」

 

 

全身の細胞から絞り出したかのような声を上げ、凝り固まった指の関節をポキポキ鳴らし、

背伸びで肩周りの筋肉をほぐしつつ睡魔を呼び戻す。自然と漏れる欠伸も、今は微笑ましい。

 

「さてと、仕事も終わったしもう寝るか。どうせ明日も早いんだ」

 

 

体の底から沸き起こる睡眠衝動に身を任せたい、一刻も早く思考を封鎖して微睡みたいと

彼の脳が厳命を下す中、宇佐はベッドに突っ伏することなく腰を下ろし、思案し始める。

 

その内容は、自分のこれまでとこれから。それまでのことと、この先のことであった。

 

高校三年生当時、担任教師に言われるがまま、人手が不足していた保育関係の仕事に就く為、

四年制の大学への進学を目指した。専門学校ではないが、給費生制度と保育専攻のどちらも

努力次第で得られると評判がある大学があり、そこへ高校からの推薦によって入学できた。

もっとも、その後の給費制生徒試験にも挑戦し、例の如く平凡な彼は当たり障りなくクリア。

学費半額免除の給費生として大学生と成り、そこでの四年間を卒業論文と実習に全て費やし、

見事市内の保育園に就職が決まった。勤務初日から数えて、今日でおよそ十三年になる。

 

 

「このままで、いいのかねぇ」

 

 

限りある人生のうち、既に十三年もの月日をやんちゃな子供たちに捧げてきてしまった。

子供は嫌いではないしやりがいのある仕事だが、そこにつぎ込んだ途方もない年月のことを

考えてしまうと、これが正しかったのかと首を傾げてしまう。宇佐は、納得できないのだ。

 

一年目は激動の日々だったので、子供たちの無尽蔵なスタミナへの恐怖と、壊れゆく体、

覚えなければならない勤務内容などのことで、頭がいっぱいになっていた。

しかし二年、三年と仕事に慣れ始めると、今度は新職員や保育系学校からの実習生の指導、

果ては上司であるベテラン職員との人間関係に神経を削られるようになる。

 

仕事一筋の厳しい副園長や、外面だけは良いのに裏では本性を曝け出すがめつい園長。

人手が欲しい時に限ってきてくれない実習生や、ゆとり世代出身の役立たずな新入り。

数え上げればきりがないが、社会というのは人間関係の構築が最も神経をすり減らすのだ。

 

前に一人で着替えが出来ない女児を介助していた時のことだ。自分ではズボンとパンツが

脱げないため、放っておけば漏らして二次被害を生み出すことを知っていた彼は、女児を

連れてトイレへ駆け込んだ。手際よくズボンを脱がし、いざパンツを下ろそうと手をかけた

直後、その年に入ってきたばかりの女性職員に突き飛ばされたことがあった。当人曰く、

「幼子に欲情する変態かと思ってやった」とのこと。あの時の彼女の眼が忘れられない。

ではなく、男性職員だからという理由で色眼鏡にかけられたりなど、複雑な職場なのだ。

 

 

「………………はぁ」

 

 

似たような事件が何回かあったことを思い返してしまい、今まで以上に鬱屈とした表情を

宇佐は浮かべる。彼自身は内心不満が積もろうとも、仕事自体は実直にこなす真面目な男だ。

しかし、女児の未発達な肢体に欲情をぶつけた保育士の逮捕劇や、男児に性的興奮を覚えて

行為を強要した男性職員の告発など、世の中救いがたい変態が多いため、風評被害が起きる。

ニュースを見れば、どこもかしこも警察官の売春やら学園長の政治的癒着など、埃だらけの

汚い事件ばかりが報道されるのだ。教育者が教育対象と性行為など羨ま………けしからん。

そういった猜疑の視線によって針の筵にされたことなど、この十三年で数え切れないほどに

あったのだが、宇佐にしてみれば不愉快極まりない。彼にとって子供などただの保護対象で

あって、決して性的興奮を覚える相手ではないのだから。彼の好みはグラマラスな二十代、

つまりはピチピチの若さあふれるお年頃の娘であって、断じてぷにぷにのお子様ではない。

 

「……………いや違う違う」

 

 

変な方向へとずれ始めた思考を一時中断、最初の議題を見失わないように頭を何度か振る。

いくらかマシになった頭脳を落ち着かせるため、深呼吸を行う。大きく吸って、大きく吐く。

時計を見ればあと少しで十二時を回る頃合いなので、適当に折り合いをつけて寝るべきだ。

けれどクールダウンした思考とは裏腹に、彼の中で何かが熱く昂り、じんわりくすぶるのを

うっすらではあるが感じる。胸の高鳴りかと思ったが、感触を確かめれば尻あたりが暖かい。

え、人の感情って尻から来るの? などと変な勘違いを仕掛けたが、よくよく見ればベッドに

腰かけてからもう三十分も経っている。時の流れの速さと、体温の伝播速度に二度驚いた。

もういっそ考えることと寝ることを両立させてしまおうと、宇佐は背面からベッドに寝転ぶ。

大の字になってやや手狭な安息の地にて、考え疲れて熟睡する作戦を考案した彼は、ダランと

伸ばした足をそのままに、先程中断していた思考を再起動。最初の議題をもう一度考え直す。

 

「要するにさ、今の俺が"なりたい俺"なのか。それとも"ならざるを得なかった俺"なのか」

 

結局はそこが問題であった。自分の意志でなりたいと望んだ現状なのか、あるいは選択肢を

削ぎ落とされて最後に残されたものにとびついたのか。自分は今を、納得できているのか。

 

だが実際、納得できていなかったとしても、その後はどうするのか。今の職に不満はあれど、

そこから考えなしに飛び出していって、その先に何があるのか。おそらく、今以上の痛苦だ。

やりたいことはないが、やらなければならないことがる。もし今仕事を辞めてしまったなら、

その唯一残された人としての義務までも失ってしまう。急に出来た膨大な時間を何に使う?

 

仕事を退職したらわずかながらの給金すらも無くなり、ここでの暮らしですらままならず、

最低限度の生活すら危うくなってしまう。実家に帰っても親の脛を齧ることに甘んじるか、

甘んじることすら許されず放逐されるか。最終的には、現状維持が最も安泰で最低だった。

 

 

「はっはっは、馬鹿らしくなってきたわ。やめやめ、こんなの意味ないだろ」

 

 

一等一億円の宝くじに当たったとして、その莫大な富の使い道に悩み、思い馳せる人間は

大勢いることだろう。ところが大半の人は、当たるか外れるか不明の宝くじを購入すら

していないわけだ。つまるところ、時間を浪費するだけの無意味な行為というだけのこと。

そんな夢想に時間を割くくらいなら、とっとと寝た方がまだ有益だと思考を打ち切った彼は、

ほんの一瞬だけ拗ねた子供のような表情を浮かべ、すぐに元に戻って瞳を閉じ、眠りにつく。

 

そうだ、明日もまた朝から重労働がある。元気いっぱいで育ち盛りのわんぱくっ子たちが、

大して広くもない園内や園庭を駆けずり回り、泣きわめいては困らせてくるのだから。

少しだけでも体を休ませて、備えておかなければ大変なことになる。いや割とマジで。

 

 

「…………あぁぁ………………もう、なんだかなぁ」

 

 

思考回路を凍結して考えることを止めたため、身を潜めていた睡魔たちが一斉に活動を開始。

瞬く間に全身の支配権を奪取していき、指先や膝あたりから力がすぅーっと抜け落ちるのが

感覚で理解できた。そうしていると感覚も鈍り出し、もう視界の上下が閉じようとしている。

 

今日はいつもより熟睡できるかも。

 

ふわふわした自分の意識が最後に感じた微睡みに、己の全てを預けようと宇佐は瞳を閉じた。

 

 

 

 

『いやぁー、良かった良かった! 一か八かだったけど、何とかなったみたいだ!』

 

 

なんだろう、何か聞こえた気がしたが。いや、気にすると眠気が覚める。忘れちまおう。

 

 

『コレが失敗したらいよいよ打つ手無しだったからなぁ。本当に成功して良かった!』

 

 

気のせいか、さっきよりもはっきり聞こえたような。いやいや駄目だ、考えたら負けだ。

 

 

『さて、喜んでる場合じゃなかった。事は一刻を争うんだ、良し! 早く探さなきゃ』

 

なんだ? すぐそばから声が聞こえた………待て、一人暮らしだぞ俺。シャレにならんわ。

 

 

『こちらの呼び掛けに応じてくれた者はどこに_____________ん?』

 

 

え、嘘、待って。今「ドタッ」って落としたよな? 誰かが無造作に立ち上がるような音が。

 

『んんー、おや? おやおや? おかしいな、召喚の承認をしてくれたはずなのに』

 

耳元! 耳元から声聞こえる! イヤー! 幽霊⁉ オカルト現象⁉ ホント止めろ頼むから!

 

 

『寝てるわけが………マジで寝てる。え、じゃあ承認は? 誰が僕の声に応えてくれたの?』

 

触られたぁ! 額を何かにつんつんされたぁぁ! は? 何? 商人がなんだって⁉

 

 

『マズイなぁ、困ったなぁ。 召喚自体は成功してるのに、相手がいないんじゃ意味が』

 

 

何を呟いてるか知らんが、困ってんのはコッチだバーロー‼ 帰ってぇ! 俺ホラー無理ぃ!

 

 

『んむぅ。寝てる相手を起こすのは気が引けるけど、魔族存亡の瀬戸際だし、ゴメンね!』

 

ロックオンされたぁぁ! マゾがどーたらは知らんが、ホントに止めてぇ!

 

 

『もしもし、そこな御人。少しお聞きしたい事が』

 

 

 

結論から言おう、俺は死ななかった。呪われたりも祟られたりもしてないで、生きている。

ああ、うん。生きてはいるよ、生きては。たださぁ、現在進行形で生きた心地はしてねぇな。

何故かって? 考えて物言えってんだ。さっきから聞こえてた声の主に叩き起こされたのよ。

 

それだけならいいさ。いや良くはないが。けど、これなら人間の強盗とか泥棒とかの方が

まだ歓迎できたってもんだろう。この言い回しで理解できた? そう、相手は人間じゃない。

 

今俺の目の前に正座しているのは、酷くファンシーな格好をした、異世界の化け物なのだ。

 

 

「いやぁ~、あっはっは! まさか僕がブン殴られる日が来るとは!」

 

「……………………あのさ」

 

「はー笑った笑った。あ、ハイハイ。何か言ったかい、ミスター?」

 

「いやホントに何なのお前」

 

 

頭部にある出来立てのたんこぶを撫で回しながら空笑いしてやがるのが、さっきまで寝ていた

俺を起こした張本人であり、どこからどう見ても不審人物といった体の奴は問いかけに答える。

 

 

「何なのと聞かれると、君たちの世界で言うところの『魔物』になるのかな?」

 

「ま、魔物ですか…………」

 

「おやおや、その目は信じられないって感じの目だね?」

 

「今のアンタみたいに"けったい"な恰好した魔物なんざ、いてほしくなかったわ」

 

「あはー。魔物相手に物怖じしないんだねぇ、ミスター」

 

「恐ろしさだとか薄気味悪さ云々よりも、胡散臭さが圧倒的に強いんだよ」

 

「えー? 僕のどこが?」

 

「百パー見た目だ‼」

 

 

自分の体を見まわしているようにみえる相手の仕草に、異常な外見がその理由なんだと口頭で

ハッキリ教えてやった。いやマジでコイツ、魔物だとか悪魔の類なんかに見えないんだって。

 

奴の手はやや丸みを帯びたモコモコ毛皮の手袋に覆われ、足も似たような靴を履いている。

着用している衣服は、アレだ。ファッションに疎いからよく分からないけど、なんつったかな、

オーバーオールだっけ? そんな感じの服の下、上半身は何故か糊の利いたTシャツである。

そこまでならまだコスプレで誤魔化せる範疇だが、一番目につく頭部、もとい顔面がアウトだ。

なにせ、首から上にあるはずの顔がまるで見えないからだ。そこにないのではなく、隠れている。

 

鮮やかなピンクが大半を占めた、赫いクリクリおめめのウサちゃんの御面がそこにはあった。

 

何なんだよお前は、テーマパークのマスコットキャラクターかってんだ。ファンシー路線は

敵が多いから止めとけ止めとけ、その先には業界最大手のネズ公がいらっしゃるからな。

まさかお前も高い金と引き換えに夢を売りつける『自称:夢の国の住人』とかじゃないよな?

あんなファッキンモンスターが支配する退廃の都に、ガキが夢中になる理由が全く分からんが、

向こうにケンカだけは売るなよ。「ウォ〇ト・デ〇ズニー流を見せてやる、ハハッ!」とか

なんとか言って金に物言わせた示談交渉持ち掛けられるから。骨の髄まで有料の夢に沈むぞ。

 

 

「なーんか僕のことを見ながら、失礼なこと考えてないかい?」

 

「…………か、関係ねぇよ。ってかちゃんと質問に答えろ、お前は誰なんだ?」

 

 

途中から私怨がダダ漏れになっちまったけど、ノーカンノーカン。触れなきゃいいだけさ。

見れば見るほど如何わしい怪しさが満点の男は(声からして男だと思うが)、再び投げ掛けられた

俺の質問に対して、今度こそ真面目に答える気になったのか、佇まいを整えて咳払いを一つ。

そこから、えらく小ぶりでチャーミーな赫い両眼をこちらに向けて、ゆっくり語り出した。

 

 

「先も言った通り、僕は魔物だ。正確に言えば、大きなくくりの『魔族』になるかな」

 

「大きなくくり?」

 

「詳しい説明は省くけど、要は多種多様な魔物たちの総称ってこと」

 

「はー、なるほど。そんで?」

 

「それから____________あ、まだ名乗ってませんでしたね。僕は『ラビーヤ』です」

 

 

魔族や魔物といった言葉とは裏腹に、軽い印象しか与えてこないこのラビーヤと名乗る男は、

御面に埋め込まれた赫い眼でこちらを的確に捉え、声色と雰囲気を正しながら言葉を発する。

 

 

「単刀直入に言います。召喚に応じ、我が声を聞き入れた貴方にしか頼めないことです」

 

「召喚がどーたらってのは身に覚えがないが…………頼みって、何させる気だよ?」

 

 

胡散臭いことこの上ない外見をしたラビーヤとやらの、御面の奥にある瞳が赫く煌いたように

見えたと思った直後、勢いよくその身を乗り出し、俺の顔に触れるか否かの距離で返答した。

 

 

 

 

 

 

「……………我々魔族を、存亡の危機から救っていただきたいのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人類暦1537年、セパナト王国・国領地 ナッバ丘陵

 

其処はかつての戦いにおいて、惰弱にして脆弱であった人類が初めて人外種の生息地から土地を

勝ち取ったと言われている、人類史に燦然と輝く勝利と栄華の代名詞である。

王国に古くから残されている文献によれば、この丘陵から勇者が生まれ、人外種の暴虐に晒された

母なる大地を穢された怒りと悲しみを胸に剣を取り、多くの盟友と共に解放戦線を築き上げたと

されている。その勇者の一族が二百年を掛けて安寧をもたらし、百年を掛けて国を建ち上げ、

三百年を掛けて繁栄を約束せしめたという歴史は、ほとんどの人類が物語として語り継いできた。

 

つまりセパナト王国にとってこのナッバ丘陵という場所は、絶対不変の伝説的聖地に他ならない。

 

本来であれば戴冠式や叙勲式などで、王家や貴族が豪奢に着飾り、管楽器などを用いたパレードを

行う為の神聖な場所でなければならない其処は今、輝かしい人類の歴史の欠片も残されていない。

 

〝残酷〟による〝暴虐〟と〝狂乱〟の〝殲滅〟が、人類の犯した罪を報わせるべく顕現した。

 

 

セパナト王国軍騎乗兵団団長である男は、つい三日前までは平和だった自分の人生を思い出さずに

いられなかった。そうしなければ、人としての死すら蹂躙されてしまうと本能で理解したからだ。

幼い頃は軍の人間として、人類を滅ぼしかけた人外種を逆に絶滅に追いやった王国の礎になろうと

固く心に誓い、そうあるべしと体を鍛えた。そして大人になり、武勲を上げ、団長の地位を得た。

 

その頃になると貴族から娘を紹介される機会が増えた。高い武力を持つ軍属を派閥に取り込もうと

画策する小狡い輩は、正直好むところではなかったが、相手の女性が好みだった為に婚姻を結ぶ。

契りを交わしてから早四年。一月後には二人目の子供が生まれると知った三日後に、滅びたはずの

魔族が大挙として王国領に攻め入り、次々と村や砦を陥落させ始めるなど誰が予想できただろう。

 

自らの半生をわずかな時間で振り返った男は、そこでようやく自分がどうなったかを思い出した。

 

 

「あああぁあああああッッ‼ いぎッ! ぎいいぃッッ、いだい"いだい"いだい"い"い"‼‼」

 

否、思い出さない方が良かった。その為だけに、男は過去を振り返って現実を忘れていたのに。

 

五体満足な健常者が今の彼を見たのなら、間違いなく悲鳴を上げるか耐え切れず嘔吐してしまう。

まさしく〝残酷〟の一言を体現させられたような男のそばには、やや奇妙な形の人影があった。

よくよく見ればそれは人ではないようで、明らかに人外のそれともいえる角や尻尾がはばからず

自己主張している。ゆらゆらと悩まし気に揺れる尻尾を振りつつ、ソレは男に近付き声を上げた。

 

 

「キハハハハハ! 最高よ下等生物(ニンゲン) ! もっと叫び、もっと苦しみ、もっと泣き喚きなさい!」

 

 

ソプラノボイスを声高に張り上げるソレは、かつて人類が追いやった悪魔(デビル)という魔族である。

 

全体的な輪郭は人間と変わらないが、両側頭部からは額に沿っていかにもな角が生えており、

臀部(お尻)の少し上の辺りからは艶やかにしなる悪魔的尻尾も備わっている。先端は鏃型だ。

魔族以外の全生命を見下すような残忍な瞳に、肉感の乗った色味ある唇の端からのぞく二つの牙、

それらに頭の角と尻尾を加えたこの四つは、ソレが確かに悪魔であることの証明となっている。

 

肌は人のような白や黒などとはかけ離れた、性あるものを堕とす蠱惑的な赤紫色をしていて、

目視した生殖機能を持つ生命を無条件で魅了する種族的特性を発現させている。

無論、この戦場で彼女の魅惑に惑わされた愚かな雄は、一切の例外なく非業の死を遂げたが。

 

 

「キハハハッ♪ たまらないわ、この感覚! 罪ある者を裁くこの快感!」

 

 

女性であることを前面に押し出すかのような過激な服装は、彼女の豊満な肉体と相俟ったことで

色香を振りまく高級娼婦に見えなくもないが、生憎と彼女が体を許すのはこの世でただ一人のみ。

それ以外は有象無象の愚物としか思えない彼女は、足下で地面に這いつくばる男を見て嘲笑する。

 

 

「楽しいわ! 嬉しいわ! 心地良(きもちい)いわ! でも__________まだ満足できない」

「んんーーッ! ん、んんんッ‼ んーーん!」

 

「キハハッ! なに? 悪いけどアタシ、ゴミムシの言語なんて分んないんですけど?」

 

「んんッ! んーんんーんん‼」

 

「え? 『もっとやって』? ヤダ、クズのくせに欲張りね。おかわりどーぞ♪」

 

 

既に見えなくなった(・・・・・・・・・)両目から涙を流し、鼻水を垂らしながら懇願する男の呻きを都合良く受け取る

彼女は、まさに天真爛漫な少女の如き笑みを咲かせてから、魔力で生成した茨の杭を突き刺した。

もう無事な部分は見当たらない男の体に、またしても鋭い凶器が肉を裂き骨を断ちながら侵入し、

血管という血管を容赦なく抉ることで痛覚神経をズタズタに引き裂き、悲鳴と慟哭を強制させる。

 

愛しい妻と子を暖かく見つめた両目も、抱き締める腕も、脚も、全てがこの凶器の餌食となった。

しかも彼女の使った茨は、『生物の血を養分に成長し、宿主を枯らし殺す』残忍な性質を持ち、

血液を吸い終わると周囲の肉に棘を刺して固定し、骨を添え木代わりに体の奥へ成長するのだ。

男は最初にこの杭を突き込まれてから一分で立てなくなり、三分で現在の有様になっている。

 

ザクザクと無遠慮に肉を裂き、ガリガリと無慈悲に骨に絡まり、ドクドクと血流を貪り尽くす。

男が戦場を共に生きてきた愛馬は、とっくに茨の塊となって事切れている。ぞわぞわと蠢く緑に

怒りと恐怖を混ぜ合わされていく感覚が、男に唯一許された「自由」であった。

 

 

「キハハハ! ほ~ら、ダメ押しにもぉ一本!」

 

 

ぐちゅっ、という不快な音を最後に、男の生涯は幕を閉ざされる。彼が最後に考えていたことは

愛する家族のことか、襲い来る魔族への命乞いの言葉か、今となってはもう誰にも分からない。

 

周囲に今しがた死んだ男と同じような状態になっている屍の群れを生み出した彼女は、その男が

遭遇したニンゲンの軍隊の中で一番偉い立場だったことを思い出し、趣味に没頭した己を恥じる。

 

 

「うあぁぁ………またやっちゃったわ。どうしよう、パパに怒られるかなぁ」

 

 

数秒前まで浮かべていた〝残酷〟な笑みはどこへやら、眉根を下げて瞳の端を潤ませる今の姿は、

言いつけを守らずに親に怒られることを不安がる少女そのものだった。そこからしばらく頭を

抱えていた彼女は、尻尾の先を尖らせて立ち上がり、またも悪魔じみた微笑を浮かべ独りごちる。

 

 

「キハハハ、そうよ。そうだわ。次またニンゲンにあったら、上手くやればいいのよ!」

 

 

なぁ~んだ簡単じゃない、とポジティブ思考で立ち直った彼女は、周囲を虹色の瞳で見回す。

自分と同じようなミスを彼女たちもしていれば、その時はヤジってやろうという低俗な考えで

あったが、そんな彼女の眼が捉えたのは、自分たち四人の中でも〝暴虐〟と呼ばれる存在。

 

 

「ま、あの子には尋問は無理よね! 溶かすか壊すか、それだけがあの子の取り柄だもの。

あっちの二人は、アタシほどじゃないけどそこそこやるし? ちょっと頑張ろっかなぁ~」

 

 

そう言って特徴的な笑い声を上げた彼女は、悪魔という種が特に秀でた魔法の力を使って中空へ

飛び上がり、丘陵を俯瞰できる場所からニンゲンの多く集まる場所を探し、目標を見定める。

やがてお気に召すところを発見したのか、血も凍るような笑みを一面に咲かせて飛び立っていく。

 

彼女が裁く原罪は、人の傲慢。

惰弱にして脆弱であると神が造りし生命が驕り果てた先に、強者である魔の生命は奪われた。

応報せよ。断罪せよ。

成し得るために冠するは、〝残酷〟の魔名。

 

 

其の名は、【メフィネノ・アンス・フェレシア】

 

 

 

 

 

 

ナッバ丘陵南西に広がる名も無い平原。其処には一個大隊と呼べる量の人間が群がっている。

セパナト王国から見て丘陵は西にあるので、軍の演習や実地訓練以外でこんな何もない平原に

大勢の人がいること自体、おかしなことである。例外を上げるならば、丘陵での式典を開催する

際に必要な物資を運搬する人手の仮拠点設営時か、もしくは戦争時くらいだろう。

 

よもやその戦争の相手が、かつて滅ぼしたと日和っていた魔族だとは思わないだろうが。

 

さて、平原に鎧をまとった人間が陣形を組んで構えている理由についてだが、人類側は大雑把な

ものでしかなかった。王族を護衛する王国騎士団から命じられた任務は、『平原の防衛』のみ。

相手が遥か昔に人類が勝利していた魔族と聞いて、実戦が初めてな者も多い王国兵団第二大隊の

兵士たちは、ここで武功を挙げればひとッ飛びで上の階級にのし上がれると意気揚々としていた。

 

そして知る事になる。彼らの前に現れたのは、人の原罪を断ずるための〝暴虐〟であると。

 

 

「ひっ________」

 

「や、やだ。ヤダ、いヤダ、いやだいやだいやだぁぁッ‼」

 

「だずげで! おでがい"じま、あ、ああ! だれかああぁぁ‼」

 

 

規律正しく立ち塞がっていた人の隊列などどこにもなく、在るのはただの(イノチ)の群れ。

剣を持つ歴戦の兵は泣き叫び、弓を構える熟練の兵は手を震えさせ、槍を持つ新兵は狂乱の渦中。

誰一人として正常に機能している軍兵はいない。だが当然の結果だ。全て意味をなさないから。

 

 

『……………………?』

 

 

幾重もの恐怖と絶望が入り混じった視線をぶつけられたのは、青く瑞々しい体を持った人外種。

青い色という時点で目を引くものがあるが、何よりも人々が注目するのが、手と足の大きさだ。

 

人としての輪郭を留めているのは、ソレの頭部から胴体までであり、肩と太腿の先からはおよそ

直径が80センチちかくの極大な剛腕と豪脚が圧を放つ。その恐ろしい体の構成を完成せしめた

ことには無論理由がある。ソレの体は肉体ではなく、水体。つまるところ、全てが水分なのだ。

 

のっしのっしと厳かに歩みを進めるのは、かつて人類が追いやった怪水(スライム)という魔族である。

一般的な水ないし大抵の液体には表面張力という科学的な力が働いており、それによって水は

独特の丸みを保つことができている。勿論その力にも限度はあり、人型などの複雑な形状を常時

保ったままにすることなど理論上は不可能ではあるが、人外種の大半は魔法によってその不可を

補えることもある。ただ、99%が水分で構成される怪水に、魔法を使う知能があればの話だが。

 

加えてこの怪水という魔族は、あまりにも派生亜種の数が多過ぎることでも有名であった。

ただの水だけなら農民でも退治できるが、弱あるいは強酸性の液体で構成されている怪水もいる。

挙句の果てには燃える水や水銀、粘性の高い液体など、人類に残された英雄譚でも油断ならない

強敵であったと記されていた。中でも特に危険視されていたのは、知能を有する上位種である。

 

 

「_____ッ! __________ぁ‼」

『…………………み?』

 

 

ゴボゴボゴボ、と無数の泡沫の音が微かに弾ける。その音の発生源は、歩み寄る怪水の腹の中。

やや透明度が低い水性の体内から、白い泡の群れが浮かんでは消え、同時に苦悶に歪む人の顔も

現れては消えてゆくを繰り返していた。助けを呼んでも声は届かず、もがき動くも手は空を切る。

呼吸をしたくとも水の中ではそれすら叶わず、じわじわと死が近付くのを苦しみながら待つしか、

彼女の体内に取り込まれた人間の行く末は残されていない。だが、人外種(ひとならざるもの)はそれも許さない。

 

「________ッ‼」

 

「ぁぁ________________」

 

先程まで嘆きと恐れを混ぜた悲鳴に隠れていた泡沫の音が、シュウゥ、という耳慣れないものに

置き換わったのを近くに居た兵士が聞いていた。そして目を見開き、先にある地獄に発狂する。

彼の視線の先にいた助けを求めもがく人間は、今では霧散する血液に塗れて脈動する肉塊へと

成り果てていたのだ。生命の鼓動が筋繊維を動かし、未だ生きている痛苦を言葉なく表現する。

 

知能を有する上位の怪水は、同じ怪水を取り込んで吸収し、別の水質を得るという特性を持つ。

そして一度取り込んだ水質にいつでも変更することが可能で、さらにそれらが魔力を何らかの

影響で浴びるなり吸収するなりすると、結果として魔法を使える上級個体が誕生してしまう。

魔法の力を扱える怪水の大部分は、自らの形を巨大な水滴から様々に変化させられるようになり、

人型や獣型、果ては竜型など変幻自在の体を造り出す。要するに、上位の怪水は極めて厄介だ。

 

自身を形成する水質を「強酸」に変質させたことで、体内でしぶとく蠢いていたニンゲン共は

ものの十秒ほどでその形を失った。後に残った汚らしい血液も、怪水が持つ浄化作用によって

みるみるうちに元の色味を取り戻していき、三度ほど瞬きをすれば最初と同じ青に戻っていた。

 

「や、やだ。死にたくねぇ、死にたくねぇよぉ! あんな死に方なんていやだぁ‼」

 

『み、み…………つけ、た』

 

「ひっ⁉」

 

 

目の前で自分が生きていた痕跡すら、塵ほども残されない無情で無残な殺され方を垣間見た

新兵は、ガチガチと恐怖で歯をかち鳴らしてしまい、その音でソレの索敵に探知されてしまう。

怪水という種には、当然ながら目や口、肺や消化器官などの臓器は存在しない。

水だけで構成された体の中にあるのは、人間でいう脳と心臓を一つにした「核」のみである。

これを破壊される、あるいは体外へ引き出されてしまうと、魔力が行き届かなくなることで

体を形成する水の制御ができなくなり、何もできなくなる。つまるところ、事実上の死だ。

無論、自分自身とも言える核を容易く奪わせることはせずに抵抗するが、人間が人外種らを

根絶する過程で身につけた魔術に、もしくは進歩する科学により、核は奪われやすくなった。

元から酸性の怪水や魔法を使う上位個体なら話は別だが、大半の怪水はこうして人類に敗れた。

 

怪水が人類の前に姿を見せなくなってから幾年月、御伽噺の中で勇者に屠られるだけの雑魚と

記されていたはずのソレに、新兵は戦うという選択肢を即座に排し、意味も無いのに命を乞う。

 

 

「あ、あの、ごめ、ごめんなさい。たす、け………おねがいです! ころさないで‼」

 

王国民としての矜持で持っていた槍も、眼前に佇むソレの気を害するかもしれないと思い、

わずかな未練も後悔もなくあっさり捨てる。魔術でも武器でも傷つかぬ体には無用であろう。

そこから新兵は麻痺しかけの頭脳が思いつく限りの謝句を述べ挙げ、額を地へこすり付けた。

死にたくない。助かりたい。ただその一心で彼は行動し、こぼれる涙でにじむ母国の聖地を

見つめて動くことを止めた。人外種に通じるかも分からないが、見せつけられた死を自分も

体験することになるやもと考えた瞬間、生き恥だろうと何だろうと助かる為に言葉を紡いだ。

 

けれど、やはり、ヒトが崇め奉る神とやらは、今回も悲劇から彼らを救わない。

 

 

「え…………あ、ひ、や」

 

いわゆる土下座の姿勢で五体を晒していた新兵の頭を、ソレは剛腕の先にある巨大な掌で

鷲掴みにして持ち上げた。上位個体が魔法によって人型になった場合、人が持つ幾つかの

部位までも模倣することがある。例えば目や鼻、耳や口などの表面に現れている分かりやすい

ものを自身に反映させることが多く、眼前のソレも青い色と水の体、巨大な四肢を除けば

見目麗しい美少女にしか見えない。しかし新兵は迫りくる死の恐怖故、それどころではない。

 

兜を被った頭部を鷲掴んで余りある掌を引き剥がそうと手を伸ばすが、ついさっき仲間たちを

溶かし殺した酸がまだあるかもと躊躇してしまい、地につかない足をジタバタと揺らすばかり。

しきりに命乞いの言葉を狂ったように口にし続けるが、それを遮るように怪水が口を開く。

 

 

『おそうじ、しな、きゃ』

 

「ぁ、やめ」

 

ぐぢゅん、と水気のある何かが潰れたような音を最後に、ニンゲンの言葉は聞こえなくなった。

掌から感触が無くなった直後、ソレの眼下に赤黒い液体と白い破片がぼたぼたと零れ落ちて、

日差しを浴びて萌える平原の一点に汚れを描く。まだびくんびくんと震える塊から視線を

逸らしたソレは、真っ赤に染まった右手を一度握り、再び開いて青色に戻ったのを確認する。

 

周囲を見渡せば、そこかしこに散らばっている、ヒトの群れ。どれもこれも雑音を垂れ流す。

怪水に聴覚と呼べる器官はないが、水を伝わる振動と魔法の補助で外部の音を聞けるのだ。

同じ理由で視覚も人間とは異なるが存在し、ざっくばらんな行動を起こす虫けらを眺められる。

 

何より彼女は、彼女を育てた父譲りの、綺麗好きであった。

 

 

『お、そうじ、がんば、る。できたら、とと、ほめてく、れる、かな?』

 

 

彼女にも心があり、その一面の湖に心地良い波紋を生み出せるのは、(とと)だけだと彼女の知性が

結論付けた。自身に知を与え、心を教え、命を授けた愛すべき(とと)に、受けた以上の愛を返したいと

核の中で守られた心が叫ぶ。愛から愛へ愛されて愛まで、彼女の水面は彼のみが波立たせる。

 

どこまでも純真で、純粋で、真正の、献身的な愛。

捧げ尽くし、仕え扱われる、真性の、貧身的な愛。

 

自分の存在理由と行動理念を再確認した彼女は、重たげな両腕と両足を前後へ揺すりながら

動かして歩を進めていく。目指す目的地はなく、ただ視界に入った人間(ゴミ)鏖殺(そうじ)を繰り返せば良い。

求めるものは人類の絶滅であり、求めてやまないものは(とと)からの愛と(とと)への愛なのだから。

 

彼女の歩んだ道の後には、何も残されることはない。形あるものは溶け落ち、悉く消えゆく。

草も、花も、虫も、石も、そこにあった命ですらも、揺蕩う水面が一切の存在を拒絶する。

 

 

彼女が裁く原罪は、人の怠惰。

惰弱にして脆弱であると神が造りし生命が拒み滞った先に、強者である魔の生命は奪われた。

応報せよ。断罪せよ。

成し得るために冠するは、〝暴虐〟の魔名。

 

 

其の名は、【ラムィス】

 

 

 

 

 

 

 

セパナト王国の東から南にある平原までを染め上げるのは、春から冬で彩を変える森林の色。

若葉芽吹く春は美しい花々を、緑生い茂る夏は涼やかな木陰を、枯葉落ちる秋は豊かな実りを、

雪積もる冬は暖を取るための薪を。名も無い大森林は、王国民に取ってなくてはならぬ場所だ。

 

さらにここは自然発生する魔力が木々を育む為、その恩恵にあやかろうと多くの動物たちも

巣を造り命の循環を生み出すという、神秘あふれる土地でもある。当然、大熊や狼といった人に

危害を加える動物も縄張りを敷くこともあるが、森を抜けた先の乾いた大地にも国が存在する

以上、国境線として警備隊を常駐させなければならないので、腕の立つ尖兵も数名そこに居た。

 

王国にとっては国境線であり、防衛線であり、生命線の一つでもある大森林。

そんなところで日々、熊や狼と日頃から遭遇戦を繰り広げながら暮らしている屈強な男たちにも、

当然ながら火急の知らせは届いていた。王国領地に魔族が攻め入り、被害が拡大しているという

許しがたい一報は確かに届いていたのだ。けれど、そこから国へ戻ろうとする兵は誰もいない。

 

 

否、生きて帰ることが出来るニンゲンなど、一人もいなかった。

 

 

大森林の警備隊長を命ぜられて五年の無精髭を生やした大男は、言い知れぬ恐怖に身震いする。

樹齢百年を超す大木を、たった七回刃を入れただけで切り倒した、愛用の大斧を両手に握って

正面に構えたまま微動だにしない。男の後ろで陣形を組んで周囲を警戒する警備隊も同様だ。

ただ違いを挙げるとするなら、男は何とか平静を保てているが、残りは最早決壊寸前であった。

 

なぜ、こんなことになったのだろう。

 

切っ掛けはいつもと変わらない、ありふれた狼との遭遇戦だったはずだ。生まれたばかりで

弱い猪や熊、鹿の子供を狙っていたところに不幸にも空腹の狼と遭遇し、普段通りに行動した。

陣形を組み、武器を構え、作戦通りに獲物を狩る。今回もその例に漏れず、夜には狼の干し肉で

部下と一杯できるだろうと考えていたか。ところが事は上手く運ばず、意外にも狼たちは撤退。

おかしなこともあったものだと安堵したのも束の間、背後の茂みから二匹の狼に奇襲をかけられ

隊の一人が喉笛を喰いちぎられて死んだ。慌てて体勢を立て直すが、その隙にまた狼は姿を消し、

別の場所から同じように不意を突かれてまた一人減った。これを、そこから二度繰り返した。

 

いよいよ何かがおかしいと気付いた頃には、陣形が最も効果を発揮するために必要だった部下が

物言わぬ死体になって、血溜まりを広げていたのだ。そのため、下手に動けず森の中で立ち往生。

どこに居るかも分からない獣相手に精神を削り、少しずつ最悪の未来を想像し始め、かき消す。

木々の合間を滑るように一体となって動き、ようやく見晴らしの良い場所へ出て今に至る。

 

 

「くそ、くそ、くそ!」

 

「ザミーが、死んじまった…………なんでだよぉ」

「お、俺も、あんな風に殺されて喰われちまうのかな。あは、あはは」

 

 

獣の息遣いを聞き漏らすまいと聴覚を研ぎ澄ませるが、耳に届くのは部下たちの不安げな言葉。

最初こそ「どうにかして生きる、全員で生きて帰るぞ」と檄を飛ばしていたが、四人も仲間が

喰い殺される様を目の当たりにしたせいか、今となっては誰一人として希望を抱いていない。

怒鳴りつけて奮い立たせるか、優しく諭すかを男が迷っていると、正面の茂みが激しく揺れて

何かが飛び出してきた。引きつった悲鳴を無視して斧を振るうが、肉を断ち切る感触はしない。

攻撃が空振りに終わったと理解した男は、勢いそのままに右足を軸にして右回りに一回転し、

振り向きざまに目標もつけないまま大声をあげて斧を振り下ろす。これもまた不発に終わる。

妙だと顔を上げてみると、視線の先には低い唸り声をあげながらも、微動だにしない狼の姿が。

 

斧による二連撃を躱したなら、何故攻めてこないのか。そう不思議に思う男であったが、

彼の後ろに居た六名の警備隊のうち、半数が狼に臆して逃げ出し、半数が怒りで我を忘れて

無防備な状態の狼に斬りかかっていった。森の中でも扱いやすいようにと調整した長さの剣が、

どうしてか動く気配を見せない狼へと、吸い込まれるように向かっていく。男にはそう見えた。

 

そして、そこでようやく男は気付き、呼び戻そうと声を荒げる。

 

 

「馬鹿野郎! テメェら、ソイツは(オトリ)だ‼」

 

 

男がそう言い切るより一瞬速く、狼の両脇の茂みから新たに三匹の狼が現れ、隊員の首元へと

喰らいついて血飛沫を吹き上げさせた。男が唖然と瞬きをした後に、ドサッ、と三つの死体が

音を立てて崩れ落ちる。鋭い牙を血に濡らした四匹の狼を前にして、男の口から悪態が漏れ出る。

 

「何だってんだチクショウ! 狼が人間を罠に嵌めるだと⁉ そんな馬鹿な話があるか‼」

 

 

たかだか「狡猾」程度の知能しかない獣に、「知性」ある人間が面白いように踊らされるなど、

酒盛りの笑い話にもなりゃしねぇ。腕から滴る冷や汗で濡れる手が、愛用の斧を強く握った。

確かに狼は賢いし、群れで行動する生き物でもある。だからと言って、「策」を練るのか?

 

「ありえねぇ‼」

 

そう、有り得ない。どれだけ知能が発達しようとも、彼らに許されるのは戦術までなのだ。

決して策でも戦略でもない。男はしきりに言い聞かせるように吠えるが、打って変わって先程は

竦ませるほどの殺気を放っていた狼たちは、唸り声一つすら上げずにそこにただいるだけだった。

冷静に、冷徹に、ただ獲物の行動を見つめて機会をうかがう狩人の如き、冷ややかな視線を

浴びせられているように感じられ、男は斧で戦意を見せつけながらもじりじりと後退していた。

 

背中を見せたら間違いなく牙を突きたてられる、だが動かなければ奇襲で喉を食い千切られる。

 

どう転んでも命を落とすことになると予測を立てた男は、それでも必死に生きようと心を保つ。

ここで折れたら本当に死ぬ。戦いの中で潔く散るなら良い、けれど誇りも無く惨めな死は嫌だ。

生まれは貧民層の農家だった彼は、武人としての才を見込まれて軍へ入り、上り詰めてついに

国境線の警備隊長を命ぜられるほどの地位に至ったのだ。王国には父も母も、兄妹たちもいる。

彼らに裕福な暮らしをさせるためにも、こんなところで死んでいいはずがないと奮起する男。

 

死ねない理由と生きる意味を見出し、この窮地を切り開こうと両手に力を込めたその時だった。

 

 

《キャアァアアァアアaaaAAAaAAアアアア‼‼》

 

 

どこからともなく、男の耳に断末魔のような女の悲鳴が飛び込んできたのは。

その強烈な悲鳴を聞いた途端、それまでに蓄積された小さな恐怖が突然爆発したかのように、

強固に立ち直されていたはずの男の心にヒビを入れ、死へ抗う熱意も投げ出し泣き喚いた。

脳裏にこびりついて離れない悲痛な絶叫が、何度も何度も耳の奥で鳴り響いて聞こえる男は、

とうとう最後の拠り所であった斧すら放り投げて、此処がどこかも分からぬままに逃走する。

嫌だ死にたくない怖い恐い帰りたい殺さないで喰われたくない恐い助けて__________。

 

無数の言葉が頭の中で、本当に考えるべきことを妨害しているかのように飛び交っては消え、

引っ掻き回しては次々に増えていく。その間も、考えることなく男の体は走り続けていた。

いや、肉体は走っているつもりなのだろう。必死に腕を振り、足を動かし、血を巡らせて。

生きようと、生き延びようと肉体が意思に関係なく行動していると、そう錯覚していた。

 

「どんな気分でありましょうな、夢と現実の狭間で喰い殺されるというのは」

 

「さぁねぇ? ボクはただ、こわ~い狼に睨まれて悲鳴を上げただけだよ?」

 

「貴女の場合、悲鳴(それ)自体が攻撃手段。小官にはお手上げであります」

「口を塞いでみるとか? それとも下顎を切り落とす?」

 

「どれも貴女を前にすると現実味に欠けるので、考えるだけ無駄でありますか」

 

 

狼の群れに血肉を蹂躙されている、男だった塊を大木の太い枝の上から見下ろす二人の人影。

片方は直立不動の構えのまま、もう片方は膝を折り曲げ肘を付けていて、どちらも眼下を

つまらなそうに見つめている。やがて獣たちが腹を満たしたのか、満足げな瞳を上に居る

ものたちへと送ると、二人が同時に地上へ降り立ち、血に汚れた口元を手で拭い取った。

 

 

「指示通りの働き、ご苦労。貴官らには、今後一層の活躍が見込まれますな」

 

「よぉしよし、いい子だねぇ!」

 

野生に生きる獣たちは、堅苦しい口調での労いと天真爛漫な抱擁を受けて、目を細める。

少し前まで血に塗れて、憎悪を剥き出しにしていたとは思えないほどの従順な態度をとる

狼たち。単なる人間相手にこのような姿を見せることはしない。二人もまた、人外種なのだ。

 

鋭く尖っているような冷たい印象を抱かせる白銀の短髪に、健康的に焼けた小麦色の肌。

丹念に梳かれた前髪の隙間からは、焼き打たれた鉄にもみえる赤銅色の瞳が煌々と輝き、

その険しさを助長するかの如く、深緑色の分厚いコートと濃い茶色のブーツを履きそろえる。

見るからにゴテゴテした服装はさながら、何処かの独裁国家の運用する軍属の証に酷似していた。

ここまでならば人間と大差はない。直立不動の姿勢を取るソレに、獣に似た耳と尾が無ければ。

 

一切隙も作らず厳粛な雰囲気を身に纏うのは、かつて人類が追いやった半狼人(ワーウルフ)という魔族である。

半狼人というのは、半獣人(ワービースト)という魔族の派生種族であり、生粋の戦闘民族として恐れられていた。

他の例を挙げるなら、半兎人(ワーラビット)半豹人(ワージャガー)など、半獣人はあまりにも派生種族が多すぎるために

一括りで半獣人と呼称される。どの種族も一様に身体能力が高く、集団戦では無類の強さを誇り、

御伽噺の中では森林や平原で度々勇者の行く手を阻む、難敵として語られるのが常であった。

 

しかし人類が他種族を制圧し、力をつけ始めると彼ら半獣人にも、その魔の手を伸ばし出した。

目を付けたのは彼らの身体能力。つまるところ、奴隷として飼い慣らそうと考えたからである。

当然、人間に家畜同然に扱われるのを拒んだ全半獣人は徹底抗戦を試みたが、魔族の象徴とも

言える悪魔やその近縁種すらも打ち取れるようになった人類相手には、数年も保てず終わった。

 

セパナト王国では人類種以外の入国を認めていないが、北の山脈沿いに国を構えている大国、

ルーダリア帝国においては人外種の奴隷制度を推奨している為、鎖に繋がれた姿は珍しくない。

雄の半獣人は労働力として、雌の半獣人は安い娼館で拷問紛いの性的虐待を行える娼婦として、

死ぬまで使い潰されていると王国でも耳にする。貴族に至っては、半獣人を獲物に狩りをする

など、およそ絶望と苦痛しか与えられぬ檻の中で、生まれてから死ぬまでを金で買われるのだ。

 

そんな同胞の姿を、彼女は幾度も見せつけられた。生傷と痣だらけで、ニンゲンに服従を強制

させられる哀れな同族の末路も、百を越した頃からは数えることすら止めてしまった。

本来、半獣人の中でも特に戦闘能力が高い種族は、死すらも臆さない強靭な心と矜持を抱いて

おり、力によって屈服させられても大人しく従属するような輩は、一人もいないはずである。

だというのに彼らは牙も爪も捥ぎ取られ、ただ所有物として理不尽に扱われることを良しとして、

現状を諦観してしまっているのだ。あれほどにやつれてしまえば、それも無理ないことだった。

だからこそ、許せない。許せるはずがない。

誇りある半狼人の最後の生き残りとして、唯一残された純血として、彼女は力を研ぎ澄ませる。

独りだけでは到底成し得なかったであろう、人類の絶滅。今まさに、それが叶おうとしていた。

ヒトに奪われた大地を着々と奪い返すこの現実に、帽子を目深に被り直した彼女は嘲笑する。

 

 

「無様だなニンゲン。この瞬間を以て、貴様らが世を統べる陳腐な幻は、終わりを告げるのだ」

 

 

釣り上げた口角の端には、獰猛な肉食獣さながらの犬歯が白く光っており、己の同族を業腹にも

狩り尽くしていった不埒な人類(けだもの)の血を浴びる刻を、今か今かと待ちわびてなおも鋭く尖る。

この爪で肉を千切り引き裂き、この牙で骨を断ち砕き、己が持つ全てを以てヒトの命を刈り取る。

じわじわと実感がこみ上げてくるのを体の奥で感じた彼女は、夢を実現させてくれた男を想う。

 

 

「それもこれも、何もかもが父上のおかげ……………改めて、永劫の忠誠を誓わせて頂きます」

 

 

自分たちを一から育て上げ、ニンゲンに虐げられてきた魔族を復興し、ソレらをまとめ上げて

再び魔の生命が溢れ返る楽園を甦らせようとする、尊大にして偉大なる父親への敬意が咲き誇る。

世界すらも手中に収めんとする勢いの彼に育てられた、その事実がどうしようもなく誇らしい。

厳格な態度と凍てつく眼差しをそのままに、ブンブンと尻尾を振って喜びを表す半狼人の彼女。

 

奪われたものを返してもらう。そう心に誓った彼女は、微動する肉塊をブーツの底で踏み抜いた。

 

「牙ある獣よ、爪研ぐ獣よ! 力こそが至上にして絶対であると示すは、今である‼」

 

彼女が裁く原罪は、人の憤怒。

惰弱にして脆弱であると神が造りし生命が分を弁えぬ為に、強者である魔の生命は奪われた。

応報せよ。断罪せよ。

成し得るために冠するは、〝殲滅〟の魔名。

 

 

其の名は、【ロゥ・ナチスタチア】

 

 

 

 

 

 

 

森中に轟くような雄叫びをあげる様を、もう一人の少女は面白みに欠けると言いたげな表情で

見つめていたが、それすらも飽きたように頬杖をついて木の枝に腰を下ろす。

眼下では、共に育てられた半狼人の少女が猛り勇んでいるようだが、彼女にその熱は無かった。

視界に映る全てに価値を見出せず、何もかもが無価値に見えてしまう彼女は、ただ息を吐く。

 

無造作にボサボサと伸ばされた煤けた黒の長髪を揺らす、悩まし気な顔色を浮かべているソレ。

同じ環境で育った悪魔や半狼人とは違い、平原と同等なほど平らな胸部は確かに悩みの種では

あるのだが、今の彼女が考えているのはそう言ったことではない(怪水は形が変わる為枠外)。

プラプラと所在なさげに足をばたつかせる度、緑色の古いワンピースと灰色の外套が揺れる。

目元を隠すかのように深く被ったフードの奥で、半狼人の赤銅より濃い緋の瞳が淡く光った。

 

あやふやな印象を醸し出す不可思議な彼女は、かつて人類が追いやった死告精(バンシィ)という魔族である。

 

その身長は人間の子供より少し高い程度でしかないが、白濁とした楕円形の羽が時折パタパタと

音を立てるため、一目で人外種だと判別が可能。けれど、羽以外はさして人間との違いがなく、

彼女の種族としての特性が発揮される瞬間まで、人間であると勘違いされることもあったという。

 

死告精とは、読んで字の如く『死を告げる精霊(妖精)』として、人類に認知されている。

ソレらは広く告妖精(フェアリー)という魔族の一種であるとされており、人類が残した勇者の伝説に幾度となく

姿を見せては、時に勇者を助け、時に勇者を試し、時に勇者を騙すなど、行動に一貫性がないのが

特徴と記されていた。だが実際、告妖精にも怪水並の派生種族が存在する為、同じ告妖精でも

行動理念や存在理由が異なる場合が多いのだ。人類がそれに気付くのは、勇者の没した後だが。

人間に友好的であるとされるのは、春を告げる春告精(スプリング)や夏を知らせる夏告精(サマー)といった、

戦闘能力自体が欠如している下級の告妖精ばかり。逆に言えば、力を持つ告妖精の大半は敵だ。

 

数多くいる敵対種の中でも、人類が特に恐れ忌み嫌ったのが、死告精と呼ばれる種族であった。

死告精には女性しかおらず(告妖精のほとんどがそうだが)、滅多に姿を現さなかった為に文献には

さほど記載されてはいない。しかし、勇者たちの前にふらりと現れて仲間の死を告げた次の日に、

予言通りの事が起きたという伝承だけは今も残されており、為政者は危険性を理解していた。

 

どこからともなく現れて、姿を見せた相手かその近縁者の死を告げて、またどこかへ消えていく。

そんな不気味な種族の存在を貴族が放置するはずもなく、見つけ次第何をおいても優先して攻撃、

討ち取った者には報酬を出すという御触れまで出される始末となり、多くの人間が武器を取った。

結果として死告精はその数を徐々に減らされていき、十年以上人類の前に現れなくなったという

報告を受けた王国が、彼女らの絶滅を声高に宣言した。それは今から百と十七年前のことである。

 

火から生まれた妖精は火を司り、春に産み落とされた妖精は春を告げる。それが告妖精という種の

定義であり理念、根幹にして証明なのだ。死によって形作られた死告精が、死を告げて何が悪い。

己が生まれた時より定められた使命を、血に刻まれた宿命を辿り、何故滅ばなければならない。

 

「………………バッカみたい」

 

 

人は死ぬ。動物は死ぬ。植物も死ぬ。この世にある命の総ては、いずれ等しく死を迎えるのだ。

それを告げることに何の罪があるというのか。告げたから死ぬのではなく、死ぬからこそ告げた。

何度声を張り上げて叫ぼうとニンゲンには届くことはなく、同種族の仲間は殺され尽くしたとだけ

聞かされたのだが、そんなことなど最早どうでもよい。今の彼女には、よほど価値ある者がいる。

 

 

「どうせみ~んな、お父様(アダルベート)に殺されるのにね~」

 

 

自分を育ててくれた恩人にして、何者からも疎まれ蔑まれた死告精(じぶん)をどこまでも愛してくれた男。

時にその手で頭を撫で、時にその腕で抱きしめ、時にその背中に甘えさせてくれた、愛おしい彼。

彼だけは自分を受け入れてくれる。彼だけは、どんな時でも自分を守り支えてくれるのだ。

呪いのような因果を刻まれて生まれた自分には、愛しいお父様(アダルベート)さえいてくれれば何も要らない。

その為に人類が邪魔なら、その悉くに死を告げてやろう。殺す事を躊躇わず、死を振りかざそう。

絶望だろうが悲劇だろうが、彼が魔族を統べる父である以上、それ以外の存在は一切許さない。

ああ、お父様(アダルベート)。大好きなお父様(アダルベート)、貴方の為ならば、世界すらも〝狂乱〟の渦へ誘いましょう。

 

「風が吹いたら花は散る。それと同じなのよ、ニンゲンが死ぬのなんて」

 

 

彼女が裁く原罪は、人の強欲。

惰弱にして脆弱であると神が造りし生命が貪り求めた為に、強者である魔の生命は奪われた。

応報せよ。断罪せよ。

成し得るために冠するは、〝狂乱〟の魔名。

 

 

其の名は、【リュプレ・クライ】

 

 

 

 

 

これは、かつて人間にすべてを奪われた魔族の少女たちが、誇りを取り戻す戦いの伝奇。

 

 

「ねぇパパ~、アタシ頑張ったんだよぉ?」

 

「ん………とと、もっと、なで、て」

 

「父上、本日もブラッシングをお願いするであります」

 

お父様(アダルベート)お父様(アダルベート)。ボクは何をしたらいいかな?」

 

というわけではなく、たった独りで異世界に迷い込み、魔族の未来を託された男の物語。

 

 

「________________なんでこんなことになったんだろ」

 

 

宇佐 義三の、宇佐 義三による、魔族の子供たちのための、育児奮闘記である。

 




短編とは何だったのか(顔面蒼白

他のメインSSほっぽり出して、おまえは何を書いてるんだよ…………。
書くのが楽しくて楽しくて、オーバーロードとゴブリンスレイヤーを
参考にしながら書き始めたらあら不思議、後半だけで一万半を超える!

もう二度とこんなバカなことはしないと誓う作者でした。

この作品は作者のリハビリを兼ねて、将来的に小説を書こうと案を出した
中で没案としてお蔵入りさせたものを、どうせだからと再構成したものです。
なので、矛盾点やら意味不明な点やらが入り乱れることになると思いますが、
広い心で見逃してやってくれると助かります。

あ、誤字脱字やその他のミスは、見逃さずに叱りつけてください。


それでは皆様、またいつかの更新で。
ご意見ご感想、ならびに質問や批評など大募集しております。

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