先の大戦終結から10年。関係改善を図る当該国は集い交流を図る。
その場には結婚を機に、最前線から退いた「白銀」の姿もあった。

夜会に潜む魔の手を彼らは防げるのか?

* * * * *

終戦後も帝国が残った状況というIF線上のドタバタ話。
レルター、グラヴィシャそれぞれ結婚前提。
ちょっとだけレルター←ビアント風味。

勢いで書いたご都合主義のお話です。気楽に読んでください

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帝国狂騒夜話

 先の大戦で英雄的活躍をした『白銀』は結婚を機に惜しまれつつも最前線から退いた。現在は表に出てくることもほぼなく、生ける伝説として語られるのみである。

 

 

 * * * * *

 

 

 その日、帝国の空は暗雲垂れ込めていた。

 

 執務室の窓からその様子を見ていたレルゲン准将は重くため息をつく。まるで自分の心情のようだ。

 

 せめてもの息抜きにと煙草を燻らせていると、執務室のドアがノックされた。

 入室許可を出すと、今彼を悩ませている案件の担当官である。嫌な予感しかしない。胃がまたキリキリしてきた。

 

「件の話かね」

「はっ。帝室よりご夫人の同伴を希望する旨連絡が参りました」

 

 あぁ、思った通りだ。既定路線だとはわかっていたのだが、彼女を説得することを思えば既に気が重い。

 

「軍人としてではなく、夫人として、という返答だったのか?」

「はい、そのとおりです」

「……承知した。護衛の増員は受けていただけているのだろうな?」

「はい。ただ、夜会では裏に控えさせると渋られております」

 

 それではまったくもって意味が無い。なんのためにこちらが頭を抱えているかわからないではないか。言い方は悪いがお飾りになりつつある帝室の方々は現在の情勢をご理解していただけないようだ。

 

「その代わり、会場においてエレニウム式演算宝珠の持ち込みを許可するとのことです」

 

 そうきたか。

 

「それだけでは間に合わない可能性が高い。直前まで交渉を粘り、夜会の重警備をもぎ取ってこい。護衛候補の名簿も急ぎ上げろ」

「了解いたしました」

 

 担当官が出ていくと、レルゲンは副官に水の用意を頼む。今すぐ胃薬を飲まねば倒れてしまいそうだ。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 窓の外は雨が降り出していた。

 

 

 

 

 その夜。

 雨降る帝都で彼は帰途を急いでいた。早く戻らねば、規則正しい生活をしている彼女は話をする前に先に休んでしまうだろう。

 

 家の前に着けば、あたたかな光が零れ落ちている。それが嬉しくて目を細めながら玄関ポーチへ向かう。

 

「戻った」

「おかえりなさいませ」

 

 玄関を開けると、ドアの目の前に白いネグリジェの上に淡い水色のストールを羽織った彼女が出迎えてくれた。エンジン音を聞いて出てきてくれたようだ。

 

「今日も立て込んだようですね」

 

 レルゲンの上着を受け取りながら彼女はそう労う。

 

「あぁ、厄介事が舞い込んだ」

「相変わらずルーデルドルフ閣下もゼートゥーア閣下も人使いが荒いですね」

「まったくだ。だが、今回は私だけでも無くてな……」

 

 その呟きに彼女は眉をピクリと跳ね上げる。

 

 聡い妻を持つとこういうときは参ってしまう。勘付いて身構えられてしまった。

 

「先に夕食に致しましょう。すぐ準備します」

 

 彼女は早々に離脱を図る。その勘は正しい。彼とてそうしたいがそうもいかないのが辛いところだ。

 

「すまないが、今度の式典後の夜会にきみも参加してもらうことになった」

「その必要が感じられません」

 

 断固拒否といった様子に、レルゲンはやはりと頭を痛める。彼女はドレスやヒール、化粧など、夜会に必須な女性的装飾品を好まない。それは毛嫌いと言ってもいいレベルだ。

 

「それがそうもいかなくなった」

「なぜ私なのです?護衛ならばもっと適任を潜入させればよいでしょう」

 

 さすが話が早い。

 

「向こうがそれを許可すればそうするのだがね」

「私は良くも悪くも顔が知られすぎています」

「それはよくわかっているとも」

「ならば、なぜです?そもそもあんな長い裾のドレスなぞ着て、万が一の迅速な対応を求められても困ります。ヒールを履いているんですよ?」

 

 彼女がここまで言い募るのは珍しい。業務外の時間だからということも大きいだろうが、本当に嫌なのだろう。私としても彼女に無理強いしたくはないのだが……。

 

「レルゲン夫人としての参加要請だけでも向こうは妥協しているんだ。協力してくれないか」

「いやです。他を当たってください」

 

 予想通りの拒否に持病の胃痛が激しさを増してくる。

 

「ターニャ」

 

 名前を呼ぶと彼女がぴくりと反応する。

 

「頼むから駄々をこねないでくれ。軍令という形で従わせたくはないんだ」

 

 ターニャは眉根を寄せて黙り込む。拒否しないということは最終的には受けてくれるだろう。聡い彼女がわざわざ前線を引いた人間を指名するかわからないはずが無いのだ。

 

「……わかりました」

 

 あぁ、さすがだ。ターニャ。よくぞ理解してくれた。

 そう思っていたのだが。

 その日の夕食はいつもより品数が少ないような気がした。

 

 

 * * * * *

 

 

 先の大戦終結から10年が経った。

 終戦後は条約締結や保障で随分ともめたが、今では各国との連携も徐々にではあるがとれつつある。どの国も自らの国の被害があまりにも甚大で、これ以上の戦火拡大を望む余裕がなくなった結果であった。

 そして平和条約締結記念として終戦5年を機に毎年各国持ち回りで式典と交流と称した夜会を開くようになっていた。関係強化と当該国以外にもその関係をアピールすることが目的だ。

 その担当が今年は帝国なのである。

 

 

 * * * * *

 

 

 式典と同時並行で着々と夜会の準備は進んでいく。

 

 

 

 

 203大隊の詰め所ではグランツが一人式典服を着るのに手間取っていた。戦いばかりしてきたお陰でこういうことはすっかり不得手になっていた。

 

「おぅグランツ。お前ほんと役得だな」

 

 肩をバンと叩かれて思わずつんのめる彼は涙ながらに後ろを振り向く。

 

「ひどいじゃないですか、ノルマン大尉」

 

 後ろにいたのは、10年の時を経て203大隊の副隊長と大隊長副官に昇進したケーニッヒとノルマンの二人だ。今ではグランツも古参兵として中隊長を担っているが、この二人にいじられる関係性は未だ変わりない。

 

「あんな美人連れて夜会に出るくせに何言ってやがる」

「任務です!本来ならヴァイス大隊長殿が出席するはずじゃないですか……」

「お前、それ大隊長の前で言ったら殺されるぞ」

 

 酒癖の悪さが酷過ぎて、普段はあんなにも生真面目なヴァイスは未だに相方がいない。

 それをわかっていてのケーニッヒの茶化しにもグランツは余裕そうに笑ってみせる。

 

「中佐殿に比べれば怖くありませんよ」

「それは違い無い」

 

 中隊長組はそう言って笑い合う。

 

「悪かったな」

 

 その声にグランツは顔を強張らせる。噂の大隊長殿の登場だ。グランツとは対照的にケーニッヒとノイマンは我が意を得たりといった表情をしている。

 

「よかったなグランツ。地獄の訓練再びだぞ」

「お前だけいい思いはできないってことだ」

 

 そんな彼らをギロリとみるのはヴァイスだ。

 

「お前たちもに決まっているだろう」

 

 ええっという声が上がる。

 

「そりゃないですよぉ、大隊長殿」

「あんな美人の嫁さん連れて夜会に行くグランツをいじってだけじゃないすか」

 

 結婚していないだけで目当ての相手がいる奴が言うなと思いながら、ヴァイスはその美人の嫁を探して周囲を見渡す。

 

「ところでそのヴィーシャはどうした。彼女も既に到着しているならブリーフィングに参加してもらいたいのだが」

 

 グランツは肩を竦める。

 

「あいつなら今頃中佐殿の手伝いですよ」

 

 聞いている側はみな納得の表情だ。旦那の用意も手伝わずに何をしているかと思っていたが、相手がターニャならば仕方が無い。

 

「あの御方を引っ張りだすのだから、上は相当気を揉んでいるだろうな」

「予備役に降りたヴィーシャに要請が行くのも納得ですよ。女同士のことになれば俺たちは何もできやしない」

「警護の対象が対象だからな」

 

 何事も無ければいいと思うと同時に、何か起きればいいと期待している自分もいる。ターニャのあの勇姿をもう一度目にしたいと思っているものは多いはずだ。今のあの美貌だから、もしそういうことになれば、当時を上回る神々しさを感じることだろう。

 

「当時から素質があるとは思っていたが、予想を超えて美しくお育ちになったからな……」

「あの中佐殿を同伴できるのだから尊敬するレルゲン准将閣下も今夜ばかりは憎たらしいですよ」

「ケーニッヒの言うとおりです。今日ばかりはレルゲン野郎と呼んでも許されませんかね?」

「お前たち、周りには気をつけろよ」

 

 諫めこそするものの否定しないあたり、ヴァイスの本音も漏れ出ていた。

 

 

 

 

 その宮殿は夜の帳に在って、ひと際輝いていた。

 

 夜会には帝国の名だたる貴族や各国の大使や名代が招待され、会場も帝国の威信をかけるように絢爛豪華なものであった。

 そんな光の下に集った人々の関心を集めていたのは一つの噂だ。

 

「ご存じですか?今日はあの『白銀』がいらっしゃるそうですよ」

「それはまさかかのレルゲン夫人ですか?」

「大戦終結以後そのお姿を表には出してこられなかったはずでは」

「今になって表舞台に出てくるなんて」

「今宵の出席を許された我々は何とも幸運だ」

 

 ざわざわとうるさいくらいだった会場が、彼女の登場で水を打ったようにしんと静かになる。多くの者は目を瞠り、多くの者はその目そのものを疑った。レルゲンに連れられていなければ別人だと思ったことだろう。

 

 そこには月華の女神かと見紛うばかりの美女が立っていた。

 

 彼女の髪は普段のまとめただけの髪型から、しっかりと編み込まれ要所要所にパールが光る。首元にレースでできた大輪の花がついたドレスは裾に近づくにつれ銀糸で細かく花が刺しゅうされていた。雪のように白い肌に淡く刺された紅のお陰で、その小さくも艶やかな唇は普段以上に蟲惑的だ。何より彼女のもっとも魅力的なその蒼穹の双眸は毛ぶるような金糸に彩られ、凛とした美しさを引き出している。

 

 これが最年少で銀翼突撃章を受け、先の大戦で公式スコア300以上を叩きだした帝国の生ける伝説『白銀』ターニャ・フォン・レルゲンだというのだ。

 

(私も他人なら信じられなかっただろうな……まったく見事なものだ…)

 

 これほど周りの注目を集める美女が自分の妻であるという事実が誇らしい。

 

 だが、何より見事なのは仕事に対するその対応だ。状況に合わせて仕草から言葉遣いまでありとあらゆるものを塗り替えてしまった。さっきまで不機嫌で、準備を手伝ってくれた彼女の元部下も冷や汗をかいていた人物とはとても思えない。

 

(美人な分、不機嫌になると迫力がいや増すというのもあるのだろうが)

 

 そんなことを考えていると、静まり返った会場の空気を切り裂き、腕を広げカツカツと靴音を立てて歩み寄る正装姿の軍人が視界に入る。

 

「マドモアゼル・ターニャ!」

 

 最初に声をかけてくるのがよりにもよってこいつかと、らしくもなく内心舌打ちするレルゲン。よく見ればターニャも口角がぴくぴく痙攣している。彼女も嫌がっていることになぜかほっとする。

 

「お久しぶりです。まるでミューズが降臨したのかと思いました。あなたはいつまでもお美しい」

「ありがとうございます。ご無沙汰しておりますわ、ビアント少将閣下」

 

 優雅にターニャの手を掬い上げ、流れるような仕草で口づける。美しいターニャのドレス姿と彼の正装も合わさりそれが見事に様になっている。ターニャとの年の差に違和感も覚えないほどとはこれいかに。見ている周囲の女性たちからも黄色い歓声が聞こえる。

 

「帝国の女神が降臨されたというのに、花束の一つも用意することが許されないのが残念でなりませんよ」

「とんでもないことですわ」

「そんなご謙遜を。後日その左手に指輪を送らせていただいても?」

 

 彼はターニャの手を取ったまま、まっすぐにその瞳を見つめ褒め続ける。

 

 その間、ビアントは彼女の隣に立つレルゲンを一瞥もしていない。

 

 これだからフランソワ男は、とは思いつつもさすがに腹立たしくなって、レルゲンは後ろから彼女の腰に右手を回し、それをあからさまに邪魔する。

 

「いつまでもお変わりないようで何よりです。ようこそ帝国へ、ビアント少将閣下。あと彼女をもうマドモワゼルではありませんよ」

「これはレルゲン准将殿。ご無沙汰しております。貴官も変わりないようだ」

 

 職務中の夜会とは思えぬ冷たい声で挨拶をするレルゲン。対するビアントは堂々と、どころか煽るような笑みで応える。彼らの間で冷たい火花が散った。

 その状況にまたもや黄色い歓声が上がった気がしたが、聞かなかったことにする。

 

「相手はお客人だ。そこまでにしたまえ、レルゲン准将」

 

 呆れたように声をかけてきたのは、夫人を連れた帝国軍人だ。

 

「これはゼートゥーア閣下、ご無沙汰しております。変わらずご壮健で何よりです」

「ご無沙汰しているビアント少将。この老骨もまだできることがあるようでね」

 

 ゼートゥーアの登場でようやくターニャは解放される。既に疲れ果てたような彼女に、こちらもまた同伴で参加していたゼートゥーア夫人は困った男たちねぇと笑いかける。

 

「主賓の皇女殿下はもうすぐお見えになるそうよ。うまく抜け出して御前近くに行きなさいな」

 

 談笑の延長線でそういう夫人にターニャは一瞬鋭い目を向ける。軍人のそれを受けて、お茶目にウインクするのだから肝の据わった女性である。

 

「ありがとうございます。そうさせていただきます」

「それにしてもレルゲン准将も隅に置けないわねぇ。夫から話に聞いてはいたけど、これほど美しいお嬢さんと結婚できるなんて」

 

 結局その話題かとターニャはうんざりする。

 一片たりとて後悔はしていないが彼との年の差、孤児院生まれという事実に、ターニャを娼婦のようだという口さがないものも実際大勢いる。特にこういう場では下世話な好奇心とは切って切れないのだ。

 だが、ゼートゥーア夫人はそんなことは些細だと一笑に付した。

 

「私はあなた方を素敵だと思いますよ。あれほどのことがあったんですもの。それを乗り越えて結ばれた真実の愛は、どんな形であろうとも、本当に美しいわ」

 

 その言葉はターニャの胸の内に深く広がっていった。夫人が知るはずもないのに、この世界の現実だけでなく、前世からの矛盾すら許されたような気がしたのだ。

 

「あなたは幸せになる権利があるのですよ」

 

 そうなのだろうかとターニャは自問する。

 大戦以降、存在Xは一度も現れていない。それはもしかして、そう受け取ってもいいのだろうか。ようやく得たこの平穏がアレによって害されることはもうないのだろうか。

 

「ありがとうございます」

 

 たとえそれが気安めだとしても、今はそう信じたい。

 ターニャの澄ました外行きの表情が崩れ、心からの笑みが花開くようにほころぶ。どこか泣きだしそうにも見えるその表情にゼートゥーア夫人だけでなく、普段と違うターニャの様子に気がついた男性陣もほうと感嘆の息を吐く。

 

「本当に素敵よターニャさん。その笑顔があれば馬鹿な男どもには負けませんからね」

 

 ねぇ、あなた?と夫人はゼートゥーアを振り向く。

 彼は普段の学者然とした雰囲気のまま、ごほんとひとつ大きな咳をした。これにはビアントもレルゲンもあいまいな表情をしたまま同情の視線を送るしかない。いつの世もこういうときは女性の方が強いものだ。

 

 そんなことをしていると上座がざわめいた。いよいよ警護対象が現れた。

 軍人一同が緊張感を走らせる中、ゼートゥーア夫人はひとり不敵な表情でターニャの背をぽんと叩いた。

 

「さぁ、いってらっしゃい。無茶しないようにね」

 

 

 

 

 人込みを抜けて挨拶をしようと従者に声をかけると、彼らは優先して通される。

 

「お初お目にかかります殿下。本日の警護役を任されました、エーリッヒ・フォン・レルゲン准将と申します」

「ご挨拶申し上げます、皇女殿下。帝国軍にて魔導中佐を拝命しておりますターニャ・フォン・レルゲンです。今日は准将の妻として、微力ながらお力添えしようと参じました。どうぞお見知りおきを」

 

 二人の挨拶に皇女が表情をパアッと明るくする。

 

「あなた方がそうなのですね。お父様から話を聞いてお会いするのを楽しみにしておりましたの」

 そのまま皇女は二人を脇に控えさせたまま、如何に父たる皇帝から彼らについて聞かされていたかの楽しげに語る。

 

 

 それを壁際から見ている二人がいた。ヴィーシャとグランツだ。

 

 二人とも正装で周囲の動きに警戒をしている。

 

「おや。どこかで見かけた顔だな」

 

 そんな二人に声をかける者がいた。帝国軍人以外に彼らを知っている者はそういないはずなのだが…。そう思ってそちらを見た二人は同時にハッとして慌てたように礼をとる。

 

「ようこそ帝国へ、連合王国少将ドレイク閣下」

「貴官らは?」

「小官は帝国軍魔導中尉のグレンツであります。彼女は妻のヴィクトーリヤと申します」

 

 ドレイクはじーっと二人を見ていたが、途中で驚いたような表情になる。

 

「貴官らはラインの悪魔の……」

 

 無意識に零れたその言葉を彼は慌てて修正する。敵対国ならともかく、この場では極めて不適切な呼び方だ。

 

「いいえ、お気になさらず。我らが中佐殿の名誉ある呼び名の一つですので」

 

 グランツのそれにドレイクは助かると答える。そして訝しげな表情をする。

 

「それにしても中尉が参加しているとは」

 

 ドレイクのその反応に、グランツより先にヴィーシャが身を固まらせた。

 

「あの噂は本当ということでいいのかね?」

 

 周囲に聞こえぬよう声を抑えて投げかけられた問いに、ようやく理解したグランツが僅かに目を泳がせた。それだけでドレイクは理解し、その体に緊張感を漲らせた。

 

「ドレイク閣下」

 

 グランツが声を低く呼び掛ける。

 

「誤解しないでくれたまえ。微力ながら手伝おうというだけだ」

 

 

 ちょうどそのときだった。

 会場の数ヶ所で急激に魔導反応が膨らんだ。

 

 

 若い女の叫び声が会場を切り裂く。

 

 皇女に魔の手が及ぶのを防ごうとターニャとレルゲンがその身を挺した。

 ターニャのドレスが裂け、銃弾を受けた体に血花が咲く。レルゲンも左肩を負傷する。だが、痛みよりも先に声が出た。

 

「ターニャ!使えっ!」

 

 魔導の使用許可が下りる。ヴンッと音がして、ターニャの周囲に防膜術式が発動する。そのまま彼女は攻撃してきた者たちの魔導反応を特定しにかかる。

 

「殿下を頼みます、エーリッヒ!」

 

 そう言うとターニャはヒールを脱ぎ捨て、会場のどこかにいる優秀な副官を呼ぶ。

 

「ヴィーシャッッ!!」

 

 その叫びは確かに届いた。

 

「はいっ中佐!グランツは殿下の元へ!」

 

 ヴィーシャはターニャに続いて飛び出していく。

 会場全体が騒然とする中、グランツはヴァイスに連絡を取りつつ走る。

 

(なんで俺より先に行くんだよっ)

 

 言うまでも無い。彼よりヴィーシャの方が信頼を勝ち得ているからだ。

 それが悔しい。ようやく中隊長まで上り詰めたのに。彼女は守られてくれず、我らが中佐殿の傍らに行ってしまう。

 罵ったって彼女は戻らない。雑念を振り払い、彼は軍務へ向かう。

 

 

 

 

 ターニャは敵魔導士をできるだけ上空に上げようと、その白い足で敵を蹴り上げる。彼女が得意とする術式を使うにはここは余りにも人が多すぎた。少しでも無関係の人々から離そうとヴィーシャの援護を受けながら徐々に窓際へと追い込んでいく。万が一の時は宮殿の修繕保障は気にせずやれと言質をとっていてよかった。ゼートゥーアに心から感謝である。

 

 そんな派手な攻防が自らの上空で行われているのである。恐怖に固まる人々は自らのすぐそばから、皇女やターニャを狙う者が複数いることに気がつかない。

 

 その、はずだった。

 

「が…っ、は……」

 

 同時に幾人かが崩れ落ちる。それぞれの周囲から新たに悲鳴が上がる。

 崩れ落ちた者たちの背後にはいずれもドレイク、ビアント、グランツらいち早く状況を理解した軍人たちの姿があった。

 

「ここまで来るのに苦労したのだ」

「この程度の輩に無に帰させられるのは腹立たしい」

 

 それを為した軍人らはいずれも実際にかの大戦の最前線を生き残った者ばかりだった。

 それぞれが互いの仲間を殺し殺され、それでも自らの後ろに立つ国民の為にそれらすべてを呑みこんでこの場に集っている。平和記念行事による皇帝に連なる者の死がどういう意味を持つかもよくわかっている。当然この状況に腸が煮えくりかえっているのだ。

 

「――――っ!」

 

 味方がやられたことに動揺した主犯格が天井近くでバランスを崩した。それを見逃す彼女ではない。

 バリンッと大きな音がして敵が外に弾き飛ばされる。

 

「く、そっ…ラインの悪魔め……」

 

 宮殿の庭に叩きだされた主犯格が呻き声をあげながら受け身をとる。そのわずかな間に、大隊の面々はその不埒者を囲む。

 

「中佐殿こちらですっ!」

「援護急げっ」

 

 主犯格を追って、同じように窓から外へ飛び出したターニャはその声に安心感を覚える。彼女の育て上げた大隊ならば、もう問題無いだろう。そのまま彼女は高らかに謳いあげる。

 

「主よ」

 

 その大戦において誰よりも勇名を上げたその女性は、往時を彷彿とさせる凶悪な笑みを浮かべる。彼女の瞳が金色に輝いた。

 

「私の平穏によくも土足で踏み入ってくれたな。覚悟はできていよう?」

 

 敵の断末魔が響いた。

 

 

 

「あれが前線を引いた魔導士とは、いやはや……」

 

 ざわめきやまぬ宮殿から不埒者が連れだされるのを睥睨しながらドレイクはそう呟いた。

 

「私も悪い夢を見ているようですよ」

 

 思ってもいなかった相手からの返答にドレイクは彼らを見据えたまま「まったくです」と答える。彼女のまったく衰えぬその技量を目の当たりにした連合王国とフランソワの将軍は共に冷や汗をかいていた。

 

「彼女は今、軍大学勤務らしいですね」

「そちらでも噂になっておりましたか」

「あれを見せられれば、まったく信じられませんよ。帝国はブラックジョークも真面目が過ぎるようだ。ちっとも笑えない」

「確かに。あれが引退した姿なら、我が方の教錬も考え直さねばなりません」

「……まだ現役であると確認できただけでもいいことにするしかありませんな」

 

 抜き身の刃を思わせる視線を向けながら彼らは気持を分かち合う。彼女と戦場で相対したことがある身としては、それが未だ有効であるとわかったことは今後の為の重要なカードだ。

 

 だが、真に恐ろしいのはやはりあのゼートゥーアかもしれない。

 最強の手札たる彼女の存在を見せつけておいて飄々としている。あの軍人ならば更なる手札を隠していても不思議ではないのだ。

 

「恐ろしいことです」

「まったくそのとおりです。そのぶん貴国とは仲良くさせていただきたいものですな」

 

 彼らは国を超えた同士を見つけたように心の中で強く握手を交わした。

 

 その目の先には、件の女性が皇女に頭を下げている。

 

「御前をお騒がせして申し訳ありませんでした。お怪我はございませんか、殿下」

 

 部下に侵入者の連行と後処理を任せた二人は皇女の前に参じていた。

 

「え、ええ……」

 

 皇女は頬を赤らめ、ぽーっとした表情でターニャとレルゲンを見つめる。

 

「ご無事で何よりです」

「あ、あのターニャ様…ドレスが……足を怪我しておいでだわ」

 

 破れた裾から見える赤く染まった足をターニャは慌てて隠す。皇女にこんなものを見せたと知られたら、取り巻きたちがあとあと騒ぎ立ててしまう。

 

「みっともないものをお見せいたしました。どうぞお気になさらず」

「そんな、すぐ手当てをしないと……」

「大したことはございません」

 

 彼女はそう言い張ったが、皇女は頑なに手当てをと言い募った。

 皇女に重ねてそう言われて従わないわけにもいかず、レルゲンから目線で許可を得てターニャは退室の意を告げる。

 

「ええ、ぜひそうしてください。新しいドレスも用意させますから」

 

 立ち去ろうとする間際、皇女は憧れを目の前にしたかのように頬を染めたまま感謝を伝えた。

 

「ありがとう。あなた方はまるで騎士のようでした」

「過ぎたお言葉です、殿下」

 

 結局ターニャだけでなくレルゲンも傷の手当てをと押し切られているようだ。

 遠くからそれをグランツは見ていた。

 

 レルゲン夫妻が一度御前から下がったあともずっと遠目から皇女周辺に警戒の目をやっていた彼は、しばらくして自然と並び立った彼女にほっと胸を撫で下ろした。

 互いに顔を見合せず、周辺の警戒に入ったまま声をかける。

 

「もう大丈夫なのか?」

「中佐殿は今傷の手当てをなさっています。会場の人員が減りすぎるから私は先に戻れと、ヴァイス大隊長が」

 

 隣から呆れたような雰囲気を感じ取って、ヴィーシャは少しだけ彼の方を見る。

 

「俺が言ったのはきみのことだったんだが……」

 

 あら、とヴィーシャは目を丸くし、次いで嬉しそうに笑う。

 

「私は大丈夫です。心配かけてごめんなさい」

「無茶しないでくれよ……」

「それは私より魔術の腕前を上げてから言ってくださいね?」

 

 グランツは渋面になるしかない。大戦時、既にターニャの副官として辣腕を奮っていた彼女は最前線から身を引き予備役に降りた今なおグランツを超える技量を持ち続けている。先ほどの一件でターニャが自分の補佐として咄嗟に呼んだ名前がヴィーシャだということが何よりの証左だ。203大隊の指揮継承権を持ち得るとはそういうことなのだ。

 

 黙り込んでしまったグランツに彼女らしい優しい頬笑みを湛えながら、彼女は彼の腕に自らの腕をからめる。

 

「冗談です。あなたもかっこよかったですよ」

 

 ターニャの次に、という言葉が付くのだろうな。そう気付いていたがグランツはもう何も言わなかった。ターニャを敬愛しているのは自分も同じだ。それに彼女が自分を選んでくれたから、グランツはそれでいいのだ。

 

 ようやく落ち着きを取り戻しつつある会場で、二人は静かに寄り添った。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 治癒術式による傷の手当てと着替えを終え、ターニャは改めて用意された会場へ一人入る。もう自分の役目の大部分は終わっているので、壁の花にでもなるつもりだったのだが、目敏いビアントにすぐ捕まってしまった。

 

「お怪我は大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありませんよ。お気遣いありがとうございます」

 

 何食わぬ顔をして近づいてくるビアントにターニャはいっそ感動を覚える。先ほどドレイクとふたりして殺気を放っていたとは思えない変わり身の早さだ。

 

「それは何よりです」

 

 そう返した彼は、お茶目に笑いながら彼女を誘う。

 

「今宵のこれも何かのご縁でしょう。私と一曲お相手願えませんか」

 

 げっと思いながら、彼女はすぐさま周りに視線を走らせるが、レルゲンはまだ会場に戻らず、助けを請えそうな相手も近くにいない。ターニャは嫌悪感が顔に出ないよう必死にこらえながら考える。

 この夜会の目的の一つは交流。そして自分は帝国将軍の妻という公務同然でここに来ている。ならば招待国の客人をもてなすのも務めの内。これも仕事だ。自分を殺せ。

 

「私でよろしければ。一曲だけですよ?」

 

 次の曲が始まり、二人は互いに手を取り合って音楽に身を委ねる。

 

 広間の中心でくるくると踊りながら、残党がいないかと周囲に目を向けていると、誰にも聞こえないくらいの小さな笑い声が聞こえた。ターニャが怪訝そうにビアントに顔を向けるとにやりと笑った顔が見える。

 

「やはりあなたは魔導士の顔をしているときが一番美しい」

 

 その言葉にターニャは内心がどうあろうとも苦笑するしかない。先の大戦で彼女の戦闘中の苛烈さを彼らは実感している。それを隠し通す彼女の姿は実に滑稽に見えたことだろう。

 

 音楽に隠すような彼の独白は止まらない。

 

「以前あなたと紅く焼ける空で踊ったことがありましたが、あれが忘れられずにいるのです」

「先ほどので鮮烈に思い出しましたよ。あなたと踊って生き残れた私は大変に幸運だ」

「それは連合王国のドレイク少将もでしょう。あなたは我々の目を惹きつけてやまない」

 

「願わくば、その翼を手折るのは私の役目でありたいと願ったものですが」

 

 ビアントは笑みを消して真摯な瞳で彼女にそれを伝えた。

 

 彼女がそれをどう受け取ったかは彼にはわからない。しかし、それを受けて彼女は今宵一の表情で笑った。鮮やかなそれは恋する女の顔で、彼の脳裏に焼きつく。

 

「手折ろうとするから逃げるのですよ」

 

 彼はその言葉に納得してしまった。あの生真面目で融通が利かなさそうな男がこの少女をどのように手に入れたかと思っていたが、そういうことか。なるほど私にはできそうにない。

 

 そんなことを思っていると、そこで曲が終わった。

 

 名残惜しいビアントと対照的に彼女はそそくさと彼から離れようとする。

 

「ありがとうございました」

 

 内心の寂しさは覆い隠して、彼もターニャに感謝を伝える。

 

「こちらこそ。今日のことは本国でも自慢できるでしょう」

 

 それにターニャは微笑んで踵を返してしまった。

 

 彼女の後ろ姿の奥に、ターニャを探すあの男の姿が見えた。ビアントはそれを受けて、すぐに彼女を離す気にならなくなり、彼女を留めようと更に声をかける。

 

「次お会いする機会があれば、そのときも私と踊っていただけますか」

 

 ターニャは半身だけビアントに向けて告げる。

 

「地上の踊りなら喜んで」

 

 そう言って、今度こそ振り返らずにレルゲンの元へと歩いて行く。

 人々の波に呑まれ彼女の姿が小さくなる中、最後に見えたのは、想い人の傍に寄り添い凛とした表情が和らぐターニャの姿だった。

 

 そのまま消えた彼女の姿に思いを馳せながら、やれやれと首を振るビアント。彼女にこれほど信頼されているとは何とも羨ましい。それがわかっていながらあの男はあれだけ嫉妬する。だから、年甲斐も無くついついいじりたくなってしまうのだ。

 

 機会があればそのまま本国へさらってしまおうかと考えているのもまた本心だが。

 

 しかし、彼女自身にああも言われてはどうしようもない。

 今宵ばかりは抱えた思いも忘れてしまおう。

 今日は大戦を乗り越えた先にあるものだ。

 無粋なことはするまい。機会は別に今宵だけではないのだ。

 

 

 そうして、彼も煌めく人々の渦の中に消えていった。

 

 




オールキャラもので書こうと始めたのに、いつのまにかビアント氏が出張って来てました。
この色男、書きやす過ぎて逆に困る……


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