銀の明星   作:カンパチ郎

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いつも通り遅くなりましたが完成したので投稿します
それとタイトルが適当で味気ないので変更しました、よろしくお願いします!


犬の見分けがつかないって?あいつらからしても人間の顔なんかほとんど見わけついてねーよ

「蒼破ッ!」

 

(つんざ)く大声。

 放たれた蒼い波動がトカゲ型の魔物……バジリスクの五体に炸裂すれば、その強固な鱗をもたやすく砕き、たちどころに死屍(しし)へと変える。

 技の主は、もちろんユーリだ。

 雑木林を進み丘をのぼる彼らは、魔物との交戦を余儀なくされていた。と言っても、今しがた最後の一匹が始末され、終わったところではあるが。

 

 事を終え武器をしまう一行の辺りには、魔物の骸が多く横たわっている。

 どんな魔物が転がっているかと聞かれれば、先のバジリスクに、テントウ虫のような像を思わせるセブンスター、鳥類の魔物チュンチュンなどなど、ソレらは種々雑多。

 結界が消えてまだ日が浅いというのに、もうこれほどの魔物たちが丘に住み着いてしまっているのだ。ここが街だったら……と想像するだけで寒気が走ると言うもの……。

 

 一難乗り越えてカロルは深く息をつくと、残念そうな顔を覗かせた。

 

「やっぱり魔物との戦いは避けられないね……。結界さえあったら楽にここも通れたはずなんだけどなー……」

 

 存在したはずの結界を想起しながら、空を見上げる少年。

 その傍らで、リタは眉間にこれでもかとシワをよせ拳を握ると、小さな肩を震わせる。

 

「それもこれも全部、魔導器(ブラスティア)ぶっ壊した大バカのせいよ……!! 本当にムカつく……ッ!」

 

「なんで魔導器(ブラスティア)なんて壊して回ってんだろうな? イタズラにしちゃ度が過ぎてると思うが」

 

 そんなユーリのちょっとした問いかけに、カロルは顎に手を当てて、

 

「うーん、魔導器(ブラスティア)なんか壊しても特にメリットなんかないしなぁー……。でも、それなりの理由はあるんじゃない? 軽い気持ちで出来るような真似じゃないと思うんだ、今回の一件」

 

「カロルの言う通り大掛かりなものですし、なにか重大なわけがあるのかもしれませんね」

 

「どんな理由だろうが……! あたしは魔導器(ブラスティア)を壊すような奴は絶対に許さない! 見つけたら、この手で直接ぶん殴ってやるんだからっ!!」

 

 愛する魔導器(ブラスティア)を傷つけられる、それはリタにとってこの世で一番我慢ならぬことなのだろう。

 姦悪な竜使いの高慢ちきな下卑た笑顔を脳内で勝手に作りあげながら、憤怒の炎を燃え盛らせ、彼女は何故かカロルくんの襟を掴み、締め上げていく。首も絞まっていく。

 

「ちょ……ぢょっちょ、ぢょおッ……! リ、リタ……、ボク、ボク竜使いじゃない……! ユーリィ゛、だ、たぢげてぇぇ……!」

 

「……ん~、蚊がすごいなぁ、ここ」

 

 少年が助けを求めた。が、ユーリは飛び回る蚊がうっとうしいのか、目もくれず能天気に追い払っている。

 

「いや゛、蚊じゃなくて……! エズテル゛ぅ……!!」

 

「えと……。健闘を祈ります、カロル」

 

「ぞんな゛ぁぁッ…………!」

 

 てな具合で、頼みの綱のエステルにもフラれて。カロルくんは呻吟の叫びをただ上げるしかなかったのだった……。

 

 

 

 

「うう……、死ぬかと思った……」

 

 歩みを再開する中、やつれた様態で首を撫でるのはカロル。自慢のソフトリーゼントも少々乱れている。

 あの後、リタが我に帰りなんとか事なきを得たよう。彼女からのうす~い詫び言もあった。

 されど、こんなことを幾度と繰り返されては、少年の身の持ちようがない。

 カロルは疲れで淀んだ半目をリタへ向けると、言った。

 

「もぉ~リタぁ、その魔導器(ブラスティア)が絡むといろんな見境がなくなる癖、どうにかなんないの……?」

 

「うっさいわねぇ、悪かったって言ってるでしょ!」

 

「謝るなら反省してよ、リタ」

 

 と、至極まっとうな要求を飛ばすカロル。

 それに対し、リタは意に満たなそうな顔色を浮かべつつも、短く咳払いをし、

 

「…………誓えばいいんでしょ? 誓えば……。宣誓、わたくしリタ・モルディオは社会秩序とモラルにのっとり、いつ、いかなる時も冷静に頭を働かせ、断罪するバカを選び、血も涙もなく鏖殺することを、ここに誓います! どう? これで満足?」

 

「……最後の方に滲み出てる殺意が怖いけど、もうそれでいいや……」

 

 社会秩序、モラルという文言から始まり、最終的に鏖殺という言葉で締めくくる。ギャップを効かせた前衛的かつ威圧的な宣誓に大いに疑念を抱くカロルではあったが、下手に指摘をすると取って食われそうな気迫もあり、彼は虚ろげに受け入れるしかない……。

 

「これで安心できますね、カロル!」

 

「言うほど安心できるかなぁ……これ……」

 

 エステルは素直に喜んでいるようだが、暗影を示す宣誓がカロルの同調を阻む。

 

 その会話の直中(ただなか)でユーリも怪しむように目を細めていた。

 宣誓一つで人の(さが)が易々と変わるのか? そう思う彼は、試しにと呟く。

 

魔導器(ブラスティア)は役立たずのポンコツまみれー」

 

「ふん゛ッ!!」

 

「ぐへえッ!!」

 

 抜く手も見せず、リタの平手がカロルくんの頭に直撃。案の定である。

 

「だからなんでボクなの!!?」

 

「なんも直ってねえじゃねーか」

 

「リ、リタ……」

 

 呆れたジト目でツッコむユーリと当惑するエステル。

 だが、当のリタに動じる様子はなく。

 

「あ……、反射でつい……。あと四、五回チャンスちょうだい。その間に直すから」

 

「カロル先生の体が持たねえって」

 

「……ボク、リタの半径一メートル以内にはもう近づかないようにしとこ……」

 

 最低でもこれがあと四回は続く。

 これ以上はたまったものではないと少年は諦念の眼差しを覗かせつつ、リタの徒手の射程範囲から離れて、列の一番前へ出ていった。

 

「そこまで怖がらなくたっていいでしょうに……」

 

 怯えられるのは自業自得と承知しながらも不服そうに腕を組み、少年の背中に視線を刺すリタ。だが、それも束の間……。

 

「……?」

 

 彼女の意識は早々に別の物へと奪われた。それは獣道の脇の草藪に佇む巨大な花のつぼみ。

 草木のグリーン一色で染められた眼界に、大人の背丈ほどもあるハデな紅葉色のつぼみは、嫌でもリタの目を引く。

 

 最後尾にいた彼女は足を止めてそれに近づくと、

 

「変な花のつぼみ……。こんなん本に載ってたっけ?」

 

 花の得体も知れないまま、不用意に触ろうと手を伸ばす。……その間際、リタの腕を誰かが優しく掴んだ。

 

「……!?」

 

 突然のことに狼狽しつつ彼女が双眸を横にやると、そこにはエステルとユーリの姿が。

 

「エステリーゼ……」

 

「このつぼみには触っちゃダメ! リタ」

 

 注意を促し、エステルは制したリタの手を静かに下げさせると、言葉を継いで説明を行い始めた。

 

「この植物はビリバリハと言って、外部からの衝撃に反応して花粉を蒔くんです。吸い込んでしまうと激しい目眩と脱力感に教われ、最悪意識を失ってしまうと本に……」

 

「へぇ~、そうなんだ……」

 

 解説を聞くに、ビリバリハの花粉は非常に有害なものらしく……。

 毒性は直接的にこそ死に至らしめるものではないようだが、魔物ひしめく丘でこの花粉を吸引し倒れる事がどれほどの危険性を孕んでいるかは、そこらの子供でも想像に難くないだろう。

 

 説明を飲んだリタは、ビリバリハからおとなしく体を離した。

 

「こりゃ気をつけて進まねーとな。そこらにポンポン生えて――」

 

「うわあぁーーーーッッ!!!」

 

 ユーリが注意を呼びかけようとしたその矢先……。断末魔が三人へと飛んだ。

 何が起きたのか……。裂帛に引っ張られ、メンバーは視線を道の前方へ向ける。

 

 すると、そこには大の字にぶっ倒れたカロルがいた。しかも、そばの茂みには花弁を開かせたビリバリハが……。

 どうやらユーリたちが離れた合間に、彼がつぼみを刺激してしまったようで……。

 

「カロルッ!?」

 

 出し抜けの出来事にエステルは、泡を食った面持ちでカロルの(もと)へ駆け寄っていくと、彼の頬と手首を触りながら容体の確認を行う。

 顔色は優れず、花粉を吸引したせいで失神しているものの、呼吸や脈拍に異常はない。

 

「よかった……」

 

 ほっとした彼女は、強ばった口元を解いて詰めていた息を吐くと、少年に治癒術を施す。が、効果はまったく見られなかった……。

 エステルの治癒術は外傷の治癒や侵入した毒素の排出は可能でも、失った意識にまで及ぶものではないらしく。どうしたものかと弱るエステル。 

 そんな彼女のところへユーリとリタが歩み寄ってきた。 

 

 ユーリは片膝をついて、カロルの顔に視線を落とす。

 

「ビリバリハに触っちまったみたいだな。カロルの奴、大丈夫なのか?」

 

「命に別状はありませんが、気絶していて……。治癒術も意味がないようですし、自然に治るのを待つしか……」

 

「困ったね、そりゃあ」

 

「どうすんのよ? ガキんちょが起きるまで、ここで待つ?」

 

 リタがユーリへそう尋ねるも、彼は首肯しなかった。

 

「いや、倒した魔物の死骸もまだ近くにあっし、ここで待つのも危ねーだろ。もうちょい進んで適当に休める場所探したほうがいい、急ごうぜ」

 

 気を失ったカロルを背中に担ぐと、二人に出立を促したてるユーリ。

 彼の足を急かすのは、僅かながらに鼻につく独特な異臭であった。

 事の解決を時間に任せる他がない以上、待つしかないのは事実であるが、この獣道近辺は魔物の血液と臓物の臭いが漂い過ぎている……。

 人間の嗅覚では微小でも魔物たちからすれば強烈な誘引物質で、獲物まで導くガイド役としては不足のないもの。故にこの場所で留まるのは避けたいと、彼は考えたのだ。

 

 

 一同は西の方角を頼りに道の奥へ奥へ、黙々と足を運ぶ……。

 

 

 

 

 

 

 さて、あれから二十分ほど経った頃。

 鬱蒼とした道をとりあえず抜けて、ユーリたちは丘の中腹まで足を延ばしていた。

 中腹の一帯は行きに通った獣道とは違い、背丈の高い木々があまり密集しておらず、ポッカリと剥げた小さい野原で見通しのよい場所だった。

 

 彼らは今、そこにある木陰で身を潜めるように休息中。

 ユーリ、リタは魔物の気配に着意しつつ木に背を預けていて、エステルは未だに失神しているカロルに膝枕をし、その目覚めを待っている。

 いや……彼女が待ち望んでいるのは、それだけではない。ラピードの帰りもだ。

 

 彼の脚なら騎士隊を巻いて、もうこちらへ戻って来ていてもおかしくはない筈だが、以前姿を現さず……。道に迷っている可能性は低いので、やはり何かしらのトラブルが起きたと考えるのが自然だろうか……。

 銀時の安否も気がかりで、多くの懸念材料はエステルの胸中を酷く曇らせていた。

 

「ラピード、戻ってきませんね……。ギントキも無事でしょうか……何もなければいいんですけど……」

 

 胸に溜まった煩慮をユーリへと溢すエステル。対して彼も彼女と同様の所思を抱えているのか、その相貌には陰が落とされ、険相が垣間見えている。

 

 ユーリは浅く嘆息をつき、

 

「分からねえ……。けど、このままじゃ進むにも戻るにも雁字搦(がんじがら)めだな。……カロルの様子どうだ?」

 

 どうにも指針を決めあぐねている彼は、気を紛らす様にカロルの状態を尋ねる。しかし、エステルは無言で首を横に振るうだけだ……。

 

 ユーリはもう一度がっくりと息を吐いた。

 

「参ったぜ……。この状況で魔物や騎士に出くわしたりでもしたら、いよいよ――」

 

 なんて噂をすれば、呼ばれて飛び出てと言わんばかりに、離れた大きな茂みから激しい物音が!

 

「……!? ユ、ユーリ!」

 

「やベーな……。早速かよ」

 

「ちょ、あんたがそんなこと言うから……!」

 

 一瞬で張り詰める空気。強ばった表情を携えながら各々の武器に手を添える三人。

 草木の揺れる音はエスカレートし、こちらへ近づく気配は一層強まっていく。そして――。 

 

 バサッと茂みが裂かれて出てきたのは! なんと! 銀時であった。

 

「……!? おう、オメーらァ! ここにいたのかよ!」

 

「ギ、ギントキぃ!?」 

 

 エステルがたまげる。

 天が落とした僥倖か。まさかの人物に突っ張った顔つきが崩れ、唖然とするユーリたち。

 刺すような空気もどこへやら、白日夢の如く消え失せていた。

 

「あんた……、どうやってここまで!?」

 

「どうやってって、こんなもん勘以外になにがあんだ」

 

 リタの問いかけに“勘”とキッパリ返答する銀時。

 経緯(いきさつ)をもっと詳しく言えば、あの煙玉の騒ぎでユーリらとは全く違う、見当違いな方向へ逃げた銀時は、誰もいないことに気づかないまま林中の深奥まで迷い込んでしまっていた。

 ……事態を理解したときには戻ることもできず。彼は途方に暮れながらも、仕方なく先に進むことを決める。

 襲ってくる魔物を撫で斬りつつ、道に詰まれば洞爺湖を地面に立てそれが倒れた方向に針路を切り、あとは自分の山勘に身を託して丘をいい加減に登ること数十分、今に至ったのだ。

 

「勘って……。相変わらず適当すぎよ、あんた……」

 

「細けーことギャアギャア抜かすんじゃねーよ、ハゲるぞ、つーかハゲろ、猛烈にハゲろ。頭頂部から楕円(だえん)形にハゲ散らかせ」

 

「うっさい。あんたこそ斑目にハゲろ」 

 

 なーんて銀時とリタがお互いの毛根が死滅するよう符呪を掛け合っていると、一行にまたまたラッキーなことが起こった。

 

 二人の騒ぎ声のおかげかどうかは知らないが、今の今まで気を失っていたカロルの瞳がついに開かれたのだ。

 

「ん……。うっ、うーん……。……あれ……、みんな……?」

 

「……! カ、カロル! 目を覚ましたんです!?」

 

 エステルの喜びと一驚が混じった音吐。

 それを耳にしまいながら、少年は緩慢に上体を起こした。

 

「ここ……どこ? ボク、確か花のつぼみに触って……」

 

 彼の記憶はビリバリハのつぼみを興味本意に触った場面、そこを最後に断絶していた。

 意識を取り戻してみれば、視界に入るのは見知らぬ光景。

 置かれてる状況を掴めないカロルは辺りを見回す。すると、消息不明であった筈の銀時と目が合った。

 

「あれぇ、なんで銀さんいるの!? ていうかボク……、さっきまで寝てた!?」

 

「銀時の奴なら自力で戻ってきた。お前はお前で毒の花粉浴びちまって、さっきまで気ぃ失ってたんだぜ」

 

 うろたえるカロルにユーリがざっくりと状況説明。

 少年はいささか間延びした面持ちで目を見開く。

 

「ウソ……!?」

 

「本当ですよ、でも意識が戻ってよかった……! どこかまだ具合の悪い場所とかありません? カロル」

 

 エステルに問われ、カロルは自身の肩や頭を軽く撫でながら身体の異常を確かめた。

 少々鈍い倦怠感のようなものが残っているものの、気持ち悪さや痛みはなく。体を動かすのにこれと言った支障は無いように感じた彼は立ち上がって、

 

「うん……、体はちょっと重い感じがあるけど、大丈夫ぅ……かな!」

 

 そう難なく彼女へ答えた。

 一時はどうなるかと思われたが、元気そうな少年を見て口角を緩ませるユーリとエステル。

 

「ならいいさ。にしても、銀時が戻ってきたのは助かったぜ。あとはラピードさえ帰ってきてくれりゃあ、気兼ねなくこの丘を抜けれるんだけど……」

 

 なんて魔法のランプをこすりながら言ったわけではなかったが、ユーリがそう呟いてみれば、

 

「あ? ラピードならここに来る途中で拾ったけど」

 

 と、銀時から嬉しい予期せぬ言葉が。

 

「……! ラピードの奴、一緒なのかよ……!?」

 

「本当です!? ギントキ!」

 

「え……」

 

 揃って愕然と表情を固まらせるユーリ、エステル、カロル。

 拍子抜けしてしまうほどに、積み重なった厄介な問題がすべて勝手に捌けていく。……のはいいが、こちら側へあまりにも都合よく物事が転がり続きで、もはや気味の悪さと恐怖を覚える三人。

 これは大きな禍事の前触れ? それとも素直に福音として受け入れていいことなのか……。

 

 ユーリらがそうこう思考を稼働させてる間に草藪が揺れ騒ぎ、何かが出てこようとする。

 

「あー、きたきた」

 

 銀時含め、ユーリたちの視線が藪の方へ注がれる。

 最初に出てきたのは、太くしなやかで筋肉質な一対の犬の脚。

 その指先には横に厚く縦に鋭い強靭な黄色(おうしょく)の爪が三本生えていて、これまでに狩ってきたであろう獲物たちの乾いた血が滲むようにこびり付いていた……。

 

 見えたと同時。悪寒で目尻がヒクつくユーリたち。

 茂みが割れ、“ソレ”の全容が表となる。

 

 ……ラピードの三倍以上はあろうかという体躯。

 体を覆う荒々しい黒き剛毛と肩から後ろへ掛けて長く生えた特徴的な青藤色のたてがみ。

 大きく歪に横へ裂けた口、その上下にビッシリと生え揃った鋭利な牙。

 そして、理性を感じさせぬ鮮血のような赤い瞳。

 

 銀時(アホ)が連れてきたのはラピードなどではない――。

 

 この丘の上位捕食者、凶暴無比な大狼――ガットゥーゾであった。

 

 ――瞬間。戦慄で全身の毛が逆立ち、青く歪むユーリらの相貌。

 

「あっ、あんた……! そっ、それ……っ!」

 

 顔を引き攣らせ、声が詰まるリタを横目に、まるで子犬でも愛でるかのように化け犬の下顎をくすぐる銀時。

 片や、不快な感触を覚えてか、切歯しながら低く重い唸りを口から漏らすガットゥーゾ……。それにも気付かず、銀時はへらへらとした笑みを浮かべながら言う。

 

「いや~道中一緒にして、なんかラピード(コイツ)と少し親睦を深められた気がするよ。心なしか親しみの眼差しを感じるものな」

 

 ……殺意全開の目でメチャクチャ睨まれてますけど……。と、心中でツッコむユーリ一同。 

 

 この銀時(おとこ)の網膜が一体なにを映し出しているのかは不明だが、少なくとも横にいる“アレ”はラピードではないし、彼へ注がれる視線が懐いた温順なものでないことは明白だった。

 大狼の開き切った瞳孔。使い潰した折り紙を思わせる眉間のシワ。口から絶え間なく滴るヨダレが、それを雄弁に物語っている……。襲われずにここまで来れたのが不思議なくらいだ。

 

 事態は焦眉の急である。ユーリらが瞬きを挟む間に、銀時がガットゥーゾの三時のおやつになっていても何らおかしくはない。

 粟立つ肌を抑えられないままに、カロルは化け犬を指さし、

 

「ぎ、ぎ、銀さん……! それラピードじゃないっ……! ていうかっ、なに引き連れてきたのぉ……っ!?」

 

「アァ? なにってお前……、ラピードだろうが。他のなんに見えんだ?」

 

「犬っころに見えないことだけは確かよ! もう一度よく見なさいって! 体格からして別もんでしょーが!!」

 

 と、少年に続いてリタの激越なツッコミも飛ぶ。

 そうすると、さすがに仲間たちの鬼気迫るリアクションに銀時も状況を訝しんだのか、目をすぼめてガットゥーゾを一度見やった。

 

 ようやく彼は魔物の異様な様相に気づく……。

 

「――はっ!? ラピード、お前……っ!」

 

 動揺を孕んだ大きく剥いた(まなこ)で、銀時は一言、

 

「髪切った?」

 

「切ってないっつーのッ!! 早くこっち来なさい!!」

 

 即座にリタの大音声が駆けた。と同時! それは案の定である。

 バクッ! と。一呼吸終えるかどうかの間にガットゥーゾの大口が銀時の上半身を飲み込んでしまったのだ。

 

「あ…………」

 

 と、ユーリ達から抜けた声が漏れ出る。

 魔物の口からはみ出た銀時の下半身……。悽愴たるちぢれ毛捕食の瞬間を目の当たりにして、一同は二~三秒ほど固まっていたかと思えば、

 

「ギャア゛ア゛アア゛ァアアァーーーーーーーー!!!!」

 

 カロルの悲鳴をお供に、総員うしろへと振り返り、全力で逃走し始める。

 

「って、ど、どどうしましょうっ!!? ギントキ置いてきちゃいました!! 助けに戻らないと……!」

 

「よせエステル! ありゃもう手遅れだ!」

 

「バカは生き残れないッ! 自然の摂理よ!」

 

「みッ……! みんなで戻ろうよ!! みんなで戻って銀さんを助けに――――ひッ……」

 

 エステル同様、銀時の救助を提案するカロルだったが、吐く息も喉奥へと引っ込み、その面上は岩のように硬く強ばる。

 ふり向けば、背後にガットゥーゾが追走していたからだ。ちなみに銀時の両足は口からはみ出たまま。

 

「ギィィャアアアアアアアアァァァーーーーッッッ!!!」

 

 間髪いれず少年の絶叫が響き渡った、その刹那!

 

「ふんぬあ゛ァあ゛あ゛あ゛ァァァァァァァァッッ!!!!」

 

 獣のような喚声。

 銀時がガットゥーゾの上顎を両手で押し上げ、息災極まりない姿を表したではないか。脂汗と唾液と血で顔面はグジョグジョではあるが……。

 

「でぇえええあああ!!? やっぱ生きてたっ!! 普通に生きてたこの人!!」

 

「おいィィィィィィッ!! どうなってんだコレぇぇ!? いきなり噛みついてきたぞォ!? コイツもしかしてェ、ラピードじゃあねェのかあァァッ!!?」 

 

「最初っからラピードじゃないっつってんでしょッ!! バカよ! あんた本当にバカ!!」

 

 と、彼が人違い……もとい犬違いをしていたことに気づいたはいいが、その(かん)にもガットゥーゾの大顎は腕の力を押し返し、ゆっくりと閉じていく。

 

「……やべぇぇ、もう……両腕限界……っ! 誰か助けてぇぇ……!」

 

「助けてほしいのはこっちだっつーの!!」

 

「ヤバいッ、ヤバいッ! これ閉まるゥゥ! また顎閉まるってこれ!! ぬおぉぉ……ッ!!」

 

 事ここまでかと思われたその時だった、近くの繁茂を裂いて影が飛び出る。

 

「ガウゥ゛ッ!!」

 

 聞き慣れた短い吠え声。一変する皆の表情。そう、間違いはなかった。姿を表したのは正真正銘、今度こそラピードだった。

 

 ラピードは走る大狼の側面へ矢の如く詰めると、脇腹に空破特攻弾をブチかます!

 きりもみ回転で飛び上がりながらの強烈な頭突きに濁った呻きを上げるガットゥーゾ。その巨体は地面を滑り転げ、咥えられていた銀時は仲間の足元へと放り出される。

 

「ラピードぉ……! よかったぁー無事で、とても心配したんですよ!!」

 

 エステルは満面の笑顔で両手を広げ、帰ってきたラピードを抱き迎えようとする。が、ラピード本人は彼女の抱擁をスルーしてユーリのところへ。

 

「少しは愛想よくしてやれって、ラピード。バチ当たんねえだろ?」

 

 笑顔のまま固まったエステルを見て、仁恕(じんじょ)の言葉を漏らすユーリだが、あっけらかんと足で顔をかくラピード。

 この塩っけな対応は今に始まったことではなく、前々からエステルから熱烈なラブコールを受けつつも、彼はその悉くを拒否してきた。どうにも迫られるのは好まない性分のよう。 

 

 そんなラピードの横で、九死に一生を得た銀時が体を起こす。

 

「いつつ……、なんかよくわかんねーけど助かった。お前ら怪我ねーか? 無事か?」

 

「銀さん、それこっちのセリフ……」

 

 血まみれの彼の顔を見ながらカロルが引き気味にツッコんだ――直後、獣の咆哮が轟く。

 

 眼前には怒り心頭のガットゥーゾが。

 少年の面上はあっという間に青く歪んだ。

 

「ヒィッ……!? そうだった……、まだ倒してないんだった……っ!」

 

「野郎……! まさかラピードに擬態して俺を騙すたァ……。気をつけろ、魔物ってのは案外知恵の回る生き物らしい……!」

 

「擬態じゃなくてあんたの知能指数が著しく低いだけよ、体の大きさからして違うのになんで気づけないわけ!?」

 

「むくんでるのかと思った」

 

「むくみであんなデカくなるかぁぁぁーッ!!」

 

 と、シャウトするリタだが、そんなツッコミを投げつけてる場合ではなかった。

 

「…………!?」

 

 ガットゥーゾの咆哮に呼応して、周囲の茂みから若い個体であるガットゥーゾ・ピコがろぞろと姿を現したのだ。

 ピコという名前の通りボスよりも大分小柄ではあるが、それでもラピードより一回りも体躯は大きく、脅威であることに変わりはない。

 それに森の一件でイヤと言うほど数の暴力を味わった一行からすれば、トラウマを呼び起こすに足る光景であろう。

 

「……ッ、またこのパターンかよ……! いい加減にしろって……!」

 

 うんざり極まりなくボヤくユーリ。……とは対照的に銀時はやる気フルスロットルで木刀を抜刀する。

 ……短期決戦。彼の腹積もりはすでに決まっていたのだ。

 

「まともに付き合わなきゃいいだけの話だァ! こういうのは数で押される前にィィ……!!」

 

「ちょっと待って銀さん!! その前に――」

 

 何故かカロルが制止の声をかけるが、彼の耳に入ることはない。

 親玉は目と鼻の先。プランダラーグラスの時のようにインチキバリアも二度はないと踏んだのだろう、ガットゥーゾの頭上へ飛び上がり。

 

「とっとと頭落とすに限るのォッ!!」

 

 銀時が落下の力と共に木刀を振り下ろし、ガットゥーゾの首を落とすッ!! ……段取りだったのだが、事態はうまく転ばない。

 

「……ゲボバァァァッッ!!」

 

 突如として盛大に吐血した銀時。

 白目を剥いて力なく下へ落ちていくと、そのままガットゥーゾが優しくお口でキャッチ。

 

「……ぐ……ぐえぇぇ……ぇ……」

 

「て、振り出しに戻っただけじゃないッ! なにしに行ったのよあんた!」

 

「あの魔物は体液や爪に毒があるからエステルに治してもらった方がいいよって言おうと思ったけど、遅かったよ……」

 

 唾液を介し、体内へと侵入した毒が銀時の体の自由を奪ったようで……。忠告を届けられず、少年の顔に薄い嘆きの色が浮かぶ。

 

 でもって、結局戦力の大部分である銀時を失ったまま魔物に包囲されるユーリたち。

 

「どどどど、どっどうしよう……!? 取り囲まれちゃったよぉ……!」

 

「なんとかしてもう一度ギントキを救出しましょう……! 協力すれば、きっと……!」 

 

「助けるっつってもな……今度こそ死んだだろ、あれ……」 

 

 そんなユーリの懸念を払うかのように銀時が屁をぶっこいて生存を主張する。

 

「……生きてるくせーな、つか屁もくせー! ……あっ! おい、しっかりしろラピード! 大丈夫か!?」

 

 強烈極まりないバッドスメルで昏倒するラピード。ユーリが慌てて彼を抱え起こすその横で、リタは頬に筋を浮かせながら鼻をつまむ。

 

「もう放置しておこうかしら、あのバカ……」

 

「リ、リタぁ、そんなこと言わずに……! 後生ですから!」

 

 屁の悪臭でイライラが頂点に達したのか早々(はやばや)と切り捨ての択が頭に浮かぶリタ。対し懸命に宥めるエステルだが、そんなことに労力を割いてる状況ではなかった。命のやり取りはとうに始まっているのだ。

 

 地面を蹴るガットゥーゾ、鈍重な音と共に跳ねる土くれ。エステルの頭上へと舞ったその巨体は直下の勢いで前脚の毒爪(どくヅメ)を振りかざすッ。

 ――強烈な金属音と火花が飛び散った。

 ガットゥーゾの右前脚の凶爪は阻まれる――割り込んだユーリのニバンボシに。

 

「ユーリッ!?」

 

「つッ……!!」

 

 頭頂に構えたニバンボシで受け止めたはいいが、全体重を乗せての落下攻撃は彼からしても軽いものではない、鍔迫り合いを嫌いユーリは受け反らしながら前脚を弾く。

 すかさず空いた左前脚で薙ごうとするガットゥーゾ、

 

「――クソっ!」

 

 即座にニバンボシを右肩側に(かざ)し回す彼は――猛烈なフックを防ぐッ! が、そのまま横へ吹き飛ばされてしまった。

 激しく転がりながらも受け身をとって体勢を戻すユーリ。ガットゥーゾの視線は再びエステルへと向けられていた。

 

「……チッ! エステル!!」

 

 険相を浮かべ盾を構える彼女に、ポイズンクロウを叩き込もうとする魔物。その間際、リタが腰の本を構えた、

 

∠=∞(ウォリス)!」

 

 声が響くと本の中から無数の紙片が出現する。ただの紙きれではない、魔力によって強化された対象を切り刻む紙片だ。

 

 ガットゥーゾ目掛けて猛速に飛んでゆく……ものの、一筋縄ではいかない。大狼は瞬時に翻身(ほんしん)し大きく飛び退くと、たやすくウォリスを避けてしまったではないか。

 

「なっ――!?」

 

 不意を突いての攻撃を()なされ、吃驚するリタ。……だが、ユーリが退()いたガットゥーゾの側面へとすでに回り込んでいた。

 ニバンボシの切っ先を地面ギリギリまで下げ、彼は奥義を放つ!

 

「義翔閃ッ!!!」

 

 衝撃波と共に振り上げられた刀の激甚たる一閃。相対すガットゥーゾは反射的にポイズンクロウで迎え撃つ――ッ。

 

 爪と刀身がカチ合い、荒れ狂う轟音が大気を波立たせた。

 ……ニバンボシの(やいば)はガットゥーゾの堅牢な爪にわずかなヒビを生じさせはした。が、敵ったのもそこまで。刃は完全に防ぎ止められてしまう……。

 

「コイツ……ッ!」

 

 容易には打ち崩せない魔物の膂力と敏捷性に奥歯を軋らせるユーリ。

 

「ユーリッ!!」

 

 切迫した様相を見てエステルがすぐさま援護へ向おうとした。されど、取り巻きのガットゥーゾピコたちがそれを許しはしない。

 

「――ッ!!?」

 

 前方へ立ち塞ぐは血に飢え、殺気に満ち満ちた狼の群れだ。止まらざるを得ないエステルの足。

 リタ、カロル、ラピードも同様、ガットゥーゾピコの包囲網の中……。ユーリは孤立、銀時はチュッパチャプス、パーティーは分断される形に……。

 

「くっ……」

 

「へ? えっと……っ、こっ……これ全部ボクらが相手する感じ……? もしかして……」

 

 歯を噛むエステルの横で不安と恐怖に染まるのはもちろんカロル先生。

 

「当たり前でしょ!」

 

「ワンっ!!」

 

 思わず漏れ出た問いには容赦ない即答が返る。いやカロル本人もわかりきった事ではあったが。

 ……しかしながら、まだ頼りはある。少年が戦って露骨に実力バレして魔狩りの剣のエース(笑)にならずに済む方法がある。

 

「ハハ……、だ、だよね! でも、別に頼るとかそういうわけじゃないんだけどさ、森で見せたリタとエステルの詠唱破棄での連携でチャチャッと片付けられたりしないかなーなんて……できない?」

 

 フォースフィールドを長時間張ってのリタの詠唱破棄による上級魔術超連打。確かにあれならばこの状況もたやすく突破できる、だが、

 

「無理よ! あんな無茶な芸当、ロクな日数も置かずに連発なんかできるわけないでしょ!」

 

「ごめんなさい、カロル……」

 

 二人から提案を一蹴されてしまう……。オーバーリミッツによるあの技は身体(しんたい)魔導器(ブラスティア)に莫大な負荷をかけるもので、実はそれで消耗した体力もまだ尾を引いているのだ。長期のインターバルを置かなければ同じ真似はできない。

 となれば、この戦闘におけるカロルの責任の比重が大きくなることは避けれなかった。

 

 少年の額から脂汗が滲み出れば……全身が小刻みに震え始めた。けれども……ここで強がってしまうのが男の子である。

 

「だ、だだだっ、だよねぇ~! ま、まあ心配しなくても大丈夫! 魔狩りの剣のエースのボクが全部片づけるから! ハっ、アハ……」

 

「ワー、すごーい、タヨリになるー」

 

 態度は猛将、心は羊ハト。そんな少年に心はいずこへな声音でリタが返答した。刹那――、事態は動く。

 ガットゥーゾピコが一匹、カロルへと飛びかかった。

 嚙み砕こうと顎を開き、牙を剥き出しにするピコ。ガットゥーゾに比べれば小ぶりで毒もないが、ナイフのように鋭い。噛みつかれれば人間の皮膚や肉などたやすく裂けてしまうだろうが、鳴り響くのは肉の裂ける音でも悲鳴でもない。

 

 ガキンッと硬質な音が走った。獣の牙は……カバーに入ったエステルの盾に突き刺さったのだ。

 

「へ……?」

 

 すっとんきょんな声を出すカロル。の横でリタがすぐさま反応、両手で持った本を前方に翳し、

 

∠=(x,y,z)(デカルト)!!」

 

 そう技名を叫べば、魔術本から巨大な猫?の手のようなものが飛び出す――。

 ∠=(x,y,z)(デカルト)による猫?フックがピコの胴体側面を見事にとらえた! 弾き飛ばされ、エステルの盾から魔物の牙が外れる。

 

「ハァ……っ。リタ、ありがとう! 助かりました……!」

 

「お礼なんかいいから、敵の方に意識向けなさい!」

 

「は、はい!」

 

「あ、あれ、なんか置いてかれてる……? ボクの出る幕……ない感じ?」

 

 と、カロルくんが若干状況についていけてないことは置いといて。

 リタの言う通り、気を抜くのはご法度。ピコの群れが包囲し、獲物を狩るためにそのすべてが臨戦態勢に入っているのだから……。

 

 緊張が一同を刺す中……、群れの一匹が唸り吼えた――。

 

「……!!?」

 

 瞬間、それを皮切りに敵が一斉に動き出し、襲いかかってきたではないか。

 当然リタたちも応戦に打って出ると、本格的な戦闘へと発展し始めていくのだった。

 

 

 一方――

 ユーリとガットゥーゾも熾烈な攻防、押し引きを繰り広げる。鋼の刃と剛爪は風を薙ぎ、幾たびとぶつかり合い、叫び吼えて火の粉を撒き散らす。

 ガットゥーゾから左右交互に繰り出されるフックも、強靭な筋繊維の塊である尾から生まれる槍の如き突きも、ユーリは受け弾く、避ける等、適切に対応しそれらを処理していく。

 ……なれども、優勢かと問われれば首肯できない。同時に彼の得物も魔物の首元へは一切近づけていないからだ……。それにガットゥーゾの立ち回りに彼は異様なものを感じ始めていた。攻撃の手のぬるさ、奇襲以外では深く踏み込んでの攻めを避けたがる相手の確かな傾向に一つの懸念が生じていた。

 

 そして、それはガットゥーゾだけでなくピコも同様。相手取り始めたリタたちにも多大な違和感をもたらす。

 

「はぁっ、はぁ……! な、なんか妙だよ。こいつら……!」

 

 不気味な敵の様相を見て疑念を口にするカロル。

 

 リタらを小出しに襲っては距離を取り、周囲で立ち位置を変えながらまた攻撃に転じる。牽制と揺さぶりの連続、襲ってくる方向も死角をついたものが多く彼女らの神経を着実に削ぎ、ポジションを崩してくるものだ

 プランダラ―グラスより数も力も劣るピコたちだが、群体による統率の精度は前者よりも遙かに抜きん出ていた。戦いの感覚も全く違う。

 

 そんな群れの攻めをなんとか捌き続けるメンバーたち。最中(さなか)、リタは敵の厄介な習性を捉え始めていた。

 

「くっ……! なるほど……ッ、ね! これがこいつらのやり方ってわけか……」

 

「え……!?」

 

「どういう……っ! ことですかッ!? リタ……!」

 

「目的はあたしたちの消耗……! 持ち前のスタミナと手数で少しづつ獲物を弱らせて、仕留めるのがこいつらの狩りの仕方よ!」

 

「ええ!!?」

 

「そんな……」

 

 ご明察通り。攻撃に遊びを持たしつつ、わずかでも手傷を負わせていき、精神も肉体もまともに休む隙を与えず獲物を衰弱させる……。それがこの一連の行動の正体である。

 小型の獲物では通常この方法は取らないが、武装した人間や難敵と判断するとこの方法をとるのだ。

 ガットゥーゾという種が過酷な生存競争を生き抜いた果てに身に着けた狩りの形態……。猛毒を持つガットゥーゾが出張れば、時に何倍もの体躯を持つ強大な魔物を狩ることさえあった。

 持久力に関してはガットゥーゾ側にアドバンテージがある。前の戦いで失った体力を取り戻し切っていない一行が早くバテるのは火を見るより明らかだろう。

 かといって今のメンバーに力押しの打開策を取る余力はない……。気がかりな銀時の問題もある。懊悩の極み、天を仰ぎたくなる状況だった。

 

 しかしだ、ブレイクスルーの糸口というのは意外なところに潜んでいるもの。リタの視界には、すでにそれが映り込んでいた。

 

「……! ビリバリハ……。……いや、使えるかも……!」

 

 周囲に群生するビリバリハに気づいた彼女。カロルを昏睡させた神経毒の花粉を保有する植物だ。その存在が一つの策をリタにもたらす。

 

「聞いてあんたたち!! 周りのビリバリハでこいつらの陣形を攪乱する!! 態勢を崩して一気に攻め潰すのよ!!」

 

 散らした大声は離れているユーリの耳にも伝播する。

 

「えっ!? ビ、ビリバリハっ!? ……て、なに?」

 

 伝播はしたが、まず名称を知らないし、ビリバリハがなんなのかも把握できていないカロルくん。とは対照的に他二人と一匹は彼女の意図を掴んだようで。

 

「ビリバリハ……、もしかしてあの花粉を利用するんです!?」

 

「察しがいいじゃない。……カロル! 煙玉ッ!!」

 

「煙玉ってッ、この系統の魔物に煙玉は――」

 

「いいから早く!!」

 

「ああ、もうっ!!」

 

 リタに気圧され、意味もわからないままカロルは煙玉を大地に叩きつけた。

 

 飛び出た煙幕はまたたく間に広がり、視界を奪っていく。が、少年が言おうとした通り、狼系統の魔物は嗅覚が鋭い。目路を塞いだところでアドバンテージは見込めないばかりか、この択は自分たちを不利に追いやるだけだ。

 そんな不可解な要求に問いを挿す暇もなく、カロルの手はリタに掴まれる。いや彼だけではない、エステルも同様に。

 

「ちょちょッ、ちょ!! どこ行くんだってばリタ!?」

 

 煙霧を裂き、二人の手を引いて走るリタ。

 逃げた獲物をほっぽるわけもなく、ピコたちが鼻を頼りに追走し始める。

 眼界が灰色に染まろうと、獲物がどれだけ逃げ惑おうと、優れた鼻と脚を持つ魔物からすれば取るに足らぬ些事でしかなかった。

 ターゲットとの距離が縮まっていくのを匂いで感じながら、ピコたちは煙幕の切れ目を抜ける。

 そこで待っていたのは獲物の無防備な背中――などではない、見えたのは正面を向き迎撃の態勢を取るエステルとリタの姿だ。

 

∠=∞(ウォリス)!!」

 

「スターストローク!!」

 

 敵の飛び出しに合わせて、二人の技が同時に飛ぶ。幾数の刃の紙片と地を這う衝撃波。しかし、強力ではあるものの軌道は単調で攻撃範囲も魔術に劣る。

 ピコたちからすれば不意を突かれたとはいえ避けられぬものではなかった。……そう、あくまでピコたちからすれば。周囲のビリバリハは訳が違う。

 二人が狙いを定めたのは、飛び出し場所付近に生えるビリバリハの蕾。魔物を捕らえるのは困難でも動かぬ物体に技を当てるのは造作もないことだった。

 

 紙片と衝撃波は複数の蕾を切り刻み、吹き飛ばし、ショックを与える。花弁からたちまちに毒の花粉が拡散すれば、ピコたちはその毒の吸引を防ぐことはできない。

 マヒを起こし、転がり倒れる魔物の群。崩れた先頭に、後続の集団も雪崩れ込むように衝突した。遅れて花粉を吸い込み、横たわる仲間に足を取られ、魔物たちの陣形は大きく歪む――刹那ッ、ラピードが上空へと舞い上がる。

 

 炎塊(えんかい)を身に纏い〝天狼迅牙・狂炎〟を繰り出すラピード。

 渦巻く火球となって敵陣の中心へと降り立てば、四方を灰へと還すのだった。

 

 

 ――リタたち側の戦況が傾く中。

 刃風と火花が治まることはなく、依然としてユーリとガットゥーゾの戦いに終わりの兆しは訪れない。

 彼も彼女らと同様の方法でガットゥーゾを仕留める算段ではあったが、ガットゥーゾの身体能力はピコの比ではない上、単騎での戦い。先の戦いで調子も万全ではなく、銀時ごと巻き込みかねない大技も撃てないとなるとスムーズに事を運ぶことは難しい様子。

 

「絶風刃ッ!!」

 

 ほぼ同時に幾重の剣閃を重ね真空の衝撃波を生み出す技、絶風刃を放つユーリ。草を薙ぐ風の刃は大地を這うように走り、大狼の脚目掛けて飛んでいく。

 素直に受けるわけもないガットゥーゾは四肢を跳ね、易々と宙へ逃れた。のを見て、

 

「蒼破ッ!」

 

 即座に空中の魔物へ蒼破刃を打ち出したユーリ。絶風刃自体は身動きを縛る空中へ誘うための餌で、これが本命だった。

 が、ガットゥーゾは下半身を捻りつつ尻尾を大きく動かす。尾の先から遠心力が生まれ、それを起点に体勢を大きく反らすガットゥーゾ。蒼破刃は胴体をかすめるも、虚空へと消え失せた。

 

「クソ!!」

 

 ならばと、ユーリは前へ大きく跳躍。ガットゥーゾの着地を狩るため真下で剣を構え、

 

「竜刃翔ッ!!」

 

 跳びながら剣を振り上げ抜くユーリ。受けるガットゥーゾはポイズンクロウを振り下ろすッ!

 ――交差した刃と爪は叫号を上げ、大きく反発し合う。白刃を弾いた毒爪の一本はとうとうへし折れ、ユーリの腕にも強烈な負荷と衝撃が。

 

 互いに身を翻しながら地面へと両者は着地する。

 

「……ハァー――」

 

 両腕に痺れを覚えつつ、ユーリは大きく息を吐いた。

 にらみ合いの中、戦いはこのまま平行線を辿り続けるものばかりと思われた。しかし次の瞬間、目を見開いて険相を一変させるユーリ。

 

 それは突如のこと。対峙していたガットゥーゾが頭を震わせ、激しく呻き始めたではないか。それだけではない、銀時を咥えていたあの大顎も徐々に開き始めていく。

 

 

 ようやく目覚めたのだ、あの男が。銀時が。

 

 

「おい……! こんの……ッ、くそ犬ゥ……ッ! いつまで――」

 

 左腕で口蓋を押し上げ、右腕で牙を掴み、強引に上顎を持ち上げていく銀時。その相貌は煮え立ち憤怒に染まっていた。

 

「人の体チュパチュパチュパチュパァァ!! しゃぶってるつもりだァァァァ!!!」

 

 怒声を放ち、銀時は一気に上部の顎を押し広げるッ。甲高い乾いた摩擦音が弾け、盛大に砕け散るのはガットゥーゾの顎関節だ。

 

「グルッ、ガァアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 さすがのガットゥーゾもこれには(こた)えたのか、絶叫して激しくのたうつ。そして、この大きな隙をユーリが逃すはずもなかった。

 

 気づけば彼はガットゥーゾの懐へ潜り込み、闘気を纏った拳の奥義を撃ち放つッ!

 

「戦迅ッ! 狼破ァァ!!!」

 

 魔物の胴体へ剛拳が打ち込まれると同時、狼の姿を(かたど)った闘気が炸裂! ガットゥーゾの脇腹に炙られたかのような熱と衝撃が襲う。

 浮き上がる巨躯、軋み折れる肋骨。されど――この古狼も数多くの狩場を超えてきた歴戦の猛者だ。やられっぱなしなどでは終わらない。

 吹き飛ばされる直前、尻尾を鞭の様に振るいユーリの体を薙いだ。

 

「ぐ――ッッ!!」

 

 辛うじてニバンボシで防ぐも後ろへ大きく吹き飛び、大木へ体を打ちつけるユーリ。ガットゥーゾも紙切れの如く数十メートル程ふっ飛び、銀時は勢いに押され上空へと舞い上がった。

 

 大狼がぶっ飛んだ先にはビリバリハの蕾が。そのまま突っ込んでくれればこの戦いにピリオドが打たれるが、そうたやすくも行かなかった。

 ガットゥーゾは地面に体を何度も打ちつけながらも頑強な爪で大地を掴み、勢いを殺して体勢を持ち直す。蕾まで一メートルちょっと間近、すんでの所で踏みとどまってしまった。

 

「くっ……!!」

 

 ユーリは急いで追撃へ向おうとするものの、間に合うはずもない。

 

 ――だが、しかし! もう一足の靴が土を踏み鳴らす。

 この戦場に介入する者が現われたのだ。宙へ放られ落下する銀時はその姿を目にする。

 

 揺れる栗毛、腰には本を携え、右手にはサッシュを握る……リタのその姿を――。

 

 ちょうどよく銀時の落下先に陣する彼女の表情には、普段のすげない振る舞いからは想像もできないほど穏やかな笑みが浮かんでいた。

 ゾクリと背筋に寒気が走る銀時。嫌な予感しかしなかったが、彼に為す術はない。

 

「ちょ、ちょちょちょぢょッ!!? おまッ――」

 

 リタは目の前に銀時が落ちてきたと同時にサッシュの帯先を前方へ伸ばし、銀時の背中にぶつける。そして、

 

「いィィ゛っ!!?」

 

 帯先から魔力が流し込まれ、技は無慈悲にも発動したのだった。

 

(δ/χ)λ=ι(イデアル)!! いっけぇーーーーーッ!!」

 

「えェェェ!? 俺が逝くのォォォォォォォォォォォ!!!?」

 

 圧縮した魔力に押し出され、銃弾の如くぶっ飛ぶ銀時。猛烈な速度。突き進む先にはビリバリハの蕾があった。

 銀時砲はあっという間にビリバリハへ着弾し、開いた蕾は花粉を撒き散らす。

 離れようとするガットゥーゾだったが、散布された花粉の速度には敵わず大量に吸引してしまう。

 

 すぐに訪れる眩暈と虚脱症状。大狼は歩行すら儘ならなくなり膝を落とした。そして――その頭上で刃が光る。

 上空へと上がったユーリはニバンボシを上段に構え、すでに全ての準備を終えていた。

 もう逃げ場はない。降下しながら振り下ろされる白刃。銀色の剣閃がその眼に映した最期の光景だった。

 

 風を裂くニバンボシ。一閃の(のち)、ガットゥーゾの頭は縦に両断され、血しぶきが盛大に吹き散る。巨体は鈍重な音を鳴らし大地に伏せると、もう動くことはなかった……。

 

 

 

「ふぅー…………」

 

 敵が消沈したのを見て、ユーリはゆっくりと残心を解く。そんな彼にリタが声をかけてきた

 

「倒せたみたいね。これで全部始末できたはずよ」

 

「ああ、まあ……尊い犠牲が出たけどな」

 

 ユーリのやる目線の先には、ダーツの様に木に突き刺さった銀時の哀れな姿が……。蕾に当たったあと、そのまま突き抜けて木にぶち当たったのだろう。

 

「大丈夫ですか!? ギントキ、しっかりしてください!」

 

 すでにエステルとカロル、ラピードが引き抜き作業と治療に取りかかっていた。

 彼はリタの方へ視線を戻し、

 

「つーか、お前らの方は大丈夫だったんだな。早く終わらせて助けに行こうと思ってたけど、いらねえ心配だったか」

 

「まぁね。にしてもあんたの方は随分と苦戦してたみたいじゃない、あたしの助力には感謝しないとねー」

 

「ヘイヘイ」

 

 と、リタの軽口をユーリが適当に受け流していると、彼女のすぐそばに人影が寄る。リタの胸倉が掴まれ、

 

「いやー助けてくれて本当にありがとうリタちゃん! お礼に楽に殺してあげるね!! どんな殺され方がいい?」

 

「あー銀時、よかった元気みたいで」

 

 こめかみに血管を浮き立たせ、血走った目で詰め寄ったのはもちろん銀時だった。

 最低限の治癒術だけ受けると、怒りに身を任せすっ飛んできたのだ。

 そんな彼とは対照的に、和やかな笑顔で言葉を返すリタに反省の色は特にない。

 

「なァァにが元気だ!! 人のこと砲弾代わりにしやがって! 今度はてめェが太平洋沖まで飛ぶ番だ!」

 

「あーもう仕方ないでしょ。魔術唱える時間もなかったし、他の技じゃ射程が足りなかったのよ。そしたら俺を使えと言わんばかりにあんたが降ってきたから……」

 

「頭カチ割ってひゃらァ……!」

 

 シャクれる顎と脈打つ額の血管に鼻筋と眉間に皺という皺を寄せ、腰の洞爺湖へ手を伸ばす銀時。そんな彼を宥めるのはユーリだ。

 

「落ち着けよ、銀時。リタとお前の強力な必殺技もできたことだし、ここは大目に見てやれって」

 

「必殺技じゃねーよ、あんなん! つーかなに次も使う感じの(てい)で話し進めてんの? 使わねーよ、使うとしてもお前をインド洋沖まで飛ばすわ!」

 

 ……宥めるというより煮えたぎるマグマにガソリンを注ぐユーリ。完全に話の収集がつかなくなる前兆だった。

 で、頬に冷や汗を浮かべ、仕方なくここはカロルがカバーに入る。

 

「ま、ままぁ、銀さん的には複雑極まりないだろうけどさ、今回ばかりはリタの人を人とも思わない所業に助けられたのも事実だしぃー……、ね、ユーリ」

 

「ああ、リタが人でなしのゴミクズで助かったぜ!」

 

「あんたらねぇ……、そんなに褒めちぎったってなにも出ないわよ」

 

「リ、リタ……褒められてないと思いますよ、多分……」

 

 と、リタへ困惑気味にツッコミつつ、エステルはこのカオスめいた方向へ進む会話を修正するため、話の腰をあえて折った。

 

「そ、それにしてもびっくりしましたよね、丘の林でこんな魔物と遭遇するなんて……」

 

 そうエステルがなにげなく言葉を漏らすと、カロルが言った。

 

「この魔物、ハルルを襲った奴らだよ。ハルルの樹はこの魔物の毒にやられたんだ……」

 

「え、そうなんです? この魔物がハルルを!?」

 

「うん。こいつらここら一帯で見境なく暴れ回ってたからみんな迷惑してたと思うよ。ま、ボクらの前では大したことなかったけどねぇ~」

 

 なんて片手を腰に当て得意げな表情を取るカロル先生だが、隣にいる銀時は糸のように細くした(まなこ)で少年を刺してくる。

 

「ちょ、な、なに? 銀さん」

 

「大したことないってお前ェ、コイツらとちゃんと戦ったの?」

 

「え? あ、いやぁそれは…………、ていうか! 銀さんだって今回はあんまり活躍できてないじゃん! こんな魔物まで引き連れてくるしさ!」

 

 内実を見れば今回に限ってはほぼ慌てふためいていただけの少年。痛いところを突かれてか、咄嗟的に銀時の方へ話を濁した。まぁ確かに銀時も今回は魔物を連れてきてしまった上、ガットゥーゾのレロレロキャンディーになっていた時間が大半だ。人のことは言えない。

 ……が、彼はふてぶてしいウザ顔で自信ありげに言う。

 

「おいおい! カロルきゅんよォー! 俺は今回飛び道具としてリタに数十メートルぶっ飛ばされて、ウンコ漏れそうになりながらデカ犬の動きを食い止めたわけだけどもォ~~んぅ、これってどう思う?」

 

「ただただ情けないと思う……」

 

 と、虚無声でカロルが事実を伝えると「んだとゴラァ!! 人がこんだけ体張ってその感想はないんじゃないの!?」とか「いや事実じゃん! うんこ漏れそうになってるじゃん!」とか「くぎゅうううううううううううう!!」とか「領域展開……!」だとか「簡易領域!」だとか両者の罵声が飛び始めた。

 このままだと死滅回遊に発展しかねないので、ユーリがそろそろといった具合でストップをかける。

 

「あーあー喧嘩すんなよ、お前ら。ハルルを襲った魔物も退治できたんだしそれでいいじゃねえか。騎士隊の奴らも迫ってきてるかもしれねえ、早くこの丘を出ようぜ。喧嘩はその後だ」

 

「あー、そういえばなんか騎士隊に追い回されてたわね、あたしたち」

 

「リタ……他人(ひと)事だね……」

 

 発端の人であるリタだが、事もなげな雰囲気の彼女。カロルは呆れ気味に言葉を漏らすしかない。

 

「ユーリの言う通り問題はまだありますし、先へ進むのが得策でしょう。ね? ギントキ」

 

「わーってるよ。こんな所で屯ってても嫌なことしか思い出さねェしな。行くか」

 

 エステルに促された銀時は、髪を揉み不機嫌そうにしながらも彼女の言葉に素直に従った。彼からしても騎士たちにケツをつつかれるのは鬱陶しいのだろう。

 

 一行は丘の林を後にすると、北西の海崖まで向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 海へと続いているであろう細い丘の坂道を歩く銀時たち。上からはもうすでに風を伝って潮の独特な香りが流れ込んできている。

 一同が坂を登り切ると眼界に広がったのは――

 

「うわあ……! これが……」

 

 息を吞むエステル。彼女は逸る気持ちに背中を押されたのか、珍しく少年のように小走りで駆け出していった。

 

「――! これ……って……」

 

 後ろにいたリタもだ。初めて目にしたその光景に頬を少し紅潮させ、素のあどけない少女の顔を覗かせていた。

 

 ここは海崖の先端。彼女らの前には、どこまでも続く広大な、母なる海があったのだ。

 

 降り注ぐ日差し。浴びた熱を包む涼しい潮風。断崖に打ち付ける波の音。そして海の先はずっとずっと限りなく続いているのではないのかと思えてしまう程に広漠で、水平線の向こうを見ることは叶わない。海面に反射する光の粒は空に浮かぶ星のように消えてはまた現れ、燦然と輝いていた。

 

 エステルは無邪気な笑顔で指を差して、興奮気味に伝える。

 

「ユーリ! みんな! 海ですよ! 海!」

 

「ああ、見えてるよ。それにしても風が気持ちいいな」

 

 幼子の様にはしゃぐ彼女へそう応えつつ、海から吹く清涼な風に相好を崩すユーリ。

 

「本で読んだことはありましたけど……まさか本物をこの目で見れる日が訪れるなんて……!」

 

「普通は結界の外を旅することなんてないもんね」

 

 と、カロルが言う。彼の言う通り大半の一般人は一生を結界の中で終えることが普通で、海を目にすることなど滅多にない。

 ほんの少し前まで彼女もそんな人間たちの一人だった。外の世界を歩き、旅をすることになるなど、彼女自身思いもしていなかっただろう。

 だが、こうして遠方の地まで自らの脚で赴き、自分の夢をひとつ確かに叶えることができている。エステルにとってそれは得難い喜びだった。

 

「こんなに広かったんですね、海は……。波の音も、吹く潮風も本で想像していたものとこんなに違うなんて……」

 

 ゆっくりと目を閉じて、波の音に聞き耽るエステル。

 そんな姿を見て、カロルはまだまだと言わんばかりに意気揚々と二の句を継ぐ。

 

「旅を続けていけばもっとすごいものが見れるよ、氷の海や砂の海、炎の海だってあるんだから!」

 

「お前、んなところまで旅してたのか」

 

 そう銀時が呟く。すると少年の口が気まずそうに一瞬止まり、

 

「あー……、ってギルドの仲間たちが言ってた」

 

「行ったことねーのかよ!」

 

「こ、これから行く予定なんだって!」

 

 まるで行ったことがあるかのような口ぶりだったが、少年も実際に目にした訳ではなく予定表に書きとめる段階で止まってるらしい。

 しかし、この大きな海がエステルに確信させる。本に載っていることも、カロルの言ってることも決して嘘ではないと。ここにいる皆も含めてまだ目にしていない物が、光景が、想像を超えたことが、この世界には数多く存在しているのだと。

 

「氷の海……砂の海、世界は本当に広いんですね。この海からすれば、わたしたちなんてちっぽけな存在なんでしょうね」

 

「そうだな……オレの見てきた世界も随分と窮屈なもんだったのかも……」

 

 帝国の貴族たちに虐げられることもあった下町での長い生活や騎士の時分に目にした不条理な人と世界……。騎士をやめてからの鬱屈としたどうにもならない日常……。

 エステルの言葉と共に、ユーリは誰にも知られないよう静かに過去を想起する。

 

「リタも海は初めて?」

 

 今度は、少し後ろで離れ独り海を眺めるリタへカロルが質問を(ほう)った。

 眉根を少しばかり寄せるリタ。

 

「……そうだけど、なに?」

 

「そっかぁ、研究ばっかりでずっと洞窟で寂しい人生を送ってきたんだもんね……。いい機会だからどんどん見てってよ! ほらほら!」

 

「……あんたなんでそんなハイになってるわけ? てか、あんたに同情されると死にたくなるんだけど……」

 

 自慢のコレクションを見せびらかす成金コレクターのようなダル絡みをしてくるカロル先生。リタは疲れた表情で体を傾け、眉を重く垂らす他ない。

 

「きっと、この水たちは世界の海を渡って世界のすべてを見てきているんですよね。この海を通じて世界中が繋がっている……」

 

「また大げさね。たかだか水たまりのひとつよ?」

 

 照れくさい誇大な言い方というか、エステルは少しロマンチシズムが過ぎるのではないのかと。傾けた体を戻し、困ったように微かに笑むリタ。すると、ここでダル絡み二号が続けざまに乱入。銀時だ。

 彼はニタリ顔で彼女に近づき、からかう。

 

「なに言ってやがる、お前も『これ……って……』とか言って感動してたくせによ。なんだ、海のどこが気に入った? 平面なところか? 平面なところだろ?お前とそっくりだもんなァァ!! 平面なところがァ!」

 

 打撃音が複数回、それと岩の砕ける音が一回鳴り響いた。近くの岩壁(がんぺき)に頭から突き刺さる銀時。おまけと言わんばかりにケツにもソードウィップがぶっ刺されている。()ること()って手をはたくと、リタは海の方へ視線を戻していた。それはもう穏やかに。

 

「む、むごい……」

 

 自業自得とはいえ凄惨な有様に青くひきつるカロルの顔。そんな殺害現場を背にしながらも、ユーリとエステルは海を見て会話を続けていた。

 

「これが“あいつ”の見てる世界なんだよな……」

 

「ユーリ?」

 

「もっと前にフレンはこの景色を見たんだろうなって思ってよ」

 

「そうですね、任務で各地を回っていますから」

 

「追いついてこい……か。簡単に言いやがってよ……」

 

 騎士であることを辞め停滞し続ける自分と、騎士として前に進み続ける親友、フレン。幼少の頃から感じていた親友との差、その距離は……気づけばこの海の水平線の向こう側と同じほどになっているように彼は思えた。我ながら情けないと感じつつも、この距離を縮める術を今のユーリに見つけることはできない。

 どこか寂しそうに言葉を漏らしたそんなユーリを見てか、カロルは心配などないといった雰囲気で言葉をかける。

 

「ここの海崖を抜けて元の街道に出れさえすれば、ノール港まですぐだよ! 十分追いつけるから焦る必要ないって」

 

「いや、そういう意味じゃねーよ……」

 

「え!? ど、どういうこと?」

 

 いまいち話の本質が掴めないカロル。だが、それでいいのだ。無用なことで他の仲間の気がかりを増やす必要はないのだから。

 ユーリは気を取り直して出立を促した。

 

「さあて、ルブランたちに追いつかれる前に丘を抜けちまおうぜ。捕まると面倒だ」

 

「う、うん。ノール港はここを出て海沿いの街道を西だよ。もう目の前だから」

 

「そうか。おい、銀時! 岩に顔うずめるのもそこらへんにしとけ、置いてっちまうぞ!」

 

 ユーリがそう言葉を投げると、平然とした様相で銀時は岩壁から顔を引っこ抜いて見せた。

 

「なんだよ、もう海はいいのか? お前らからしたら滅多に拝めるもんじゃねーんだろ?」

 

「海ならまた見れるさ。旅だっていくらでもできる。そうだろ? エステル」

 

 磁石のように引っ付いた両目を海から離さないエステルへユーリが優しげに言った。

 すると、彼女はようやく海から目を外し、

 

「ユーリ……」

 

「お前がその気になりゃな。今だってその結果だろ?」

 

「……そう……ですね。また来ましょうね、ここに!」

 

「ああ」

 

 彼女にも、ユーリにも、まだまだやるべきことが残っているのだ。名残惜しくも、エステルは歩みを前へと向けたようだった。

 そして、全員の決心がついたのなら後は足を動かす、それだけのこと。いの一番にカロルが走り出した。

 

「ほら、みんな! のろのろしてたら先に行っちゃうよ!」

 

「慌てんなって、崖から落ちるぞ」

 

「大丈夫だって!」

 

 振り返りつつ元気よくユーリに返答するカロルだが、案の定前を見ていない。舌の根も乾かぬうちに崖から足を踏み外しそうになる。

 

「うわぁぁッ!! わわわわわわっ!!」

 

「なにやってんのお前!? 言わんこっちゃねェェ!!」

 

 すかさずカロルの片手を掴む銀時。踏ん張る少年と引っ張る銀時は入れ替わるように回転する。カロルは何とか崖の内側へと戻った。

 

「ハァ……ハァ……。あ、危なかったぁー……! 銀さんありがとう、助かっ――」

 

 肝っ玉を冷やしながらカロルは顔を上げて銀時に礼を述べようとする。しかし、彼の姿がそこにない。

 

「あれ? 銀さんは?」

 

「……今、絶叫しながら落ちてったぞ……」

 

「えっ……!?」

 

「ギントキーーーー!!」

 

「バカっぽい……」

 

 一行の長い旅はこんな具合で続いていく。多分。




騎士たちの結末

ラピード「ワン! ワンワンワゥ! ワン!」

ユーリ「そうか、ならいい。お前には随分と苦労かけさせちまったな……お疲れ様」

エステル「なにを話してるんです?」

ユーリ「ん? ああ、いや……ほらラピードに囮になってもらっただろ? その件でな」

エステル「あ! そういえばあの騎士の人は大丈夫だったんです!? 気を失ってたはず……」

ラピード「ワン! ワン! バウゥッ!」

ユーリ「心配ないってよ。ちゃんと隊に回収されてるのを確認してからその場を離れたってさ。それで合流には時間かかっちまったらしいけど」

エステル「はぁ~よかった……。ユーリもこれで一安心ですね」

ユーリ「あ? なんでオレが安心すんだ?」

エステル「だってユーリは人が命を落として平気でいられる人ではないですから、罪のない人なら特に。違います?」

ユーリ「……旅に出てからずっと思ってたがよ、エステルはオレを買い被りすぎなんじゃねーの?」

エステル「そんなことないですよ! 一応これでも人を見る目には自信があるんです! 犬を見る目もありますよ!」

ユーリ「はぁ~。馬鹿言ってないで行くぞ」

エステル「フフ、はい!」

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