P.D.324年の現在、火星には多くの企業が存在する。その中で今、もっとも名が売れている会社はどこか。普通ならば大手企業や老舗といった会社が真っ先に挙げられることだろう。
しかし街角で訊ねてみれば、おそらくは誰もが口をそろえてこう述べるはずだ。
──それは間違いなく『鉄華団』に他ならない、と。
鉄華団。それはここ半年ほどの間に大躍進を遂げた民間会社の名だ。構成員は驚くべきことにほとんどが少年兵たち。民間会社とは思えぬ武力を用いた護衛任務と、独自に利権を手に入れた希少鉱石関連が主な仕事である。
かつてはほんの小さな、吹けば飛ぶような会社に過ぎなかった鉄華団は、今や火星どころか地球ですら注目される新進気鋭の組織となったのだ。その目覚ましい事業拡大の裏には多くの困難があったし、実質巨大マフィアとも目される『テイワズ』の影響も確かにある。だがそれらを踏まえても、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げているのは間違いない。
もはや誰もが目を離せなくなっている民間会社『鉄華団』。そんな鉄華団の団長を務める男の名を、オルガ・イツカと言った。
◇
火星の荒野はどこまで行っても赤茶けた不毛の土地だ。例外はテラフォーミングされた大地だけ、それとて人口密集地と農業施設に限定される。故に火星のほとんどは似たような光景が広がっているのだが。
そんな荒野の一角に、巨大な採掘プラントがあった。入口に建てられた看板には、土地の権利者である『アドモス商会』の文字が白く輝く。
ここでは日夜多くの重機と人間が働いており、付近には倉庫や格納庫といった施設から、労働者の為の仮設住宅といった設備までより取り見取りだ。全部がこの半年ほどで用意されたものだからか、まだどこも小綺麗さが目立つ。
ここはアドモス商会が運営し鉄華団も関係するハーフメタル採掘プラント、その記念すべき第一号であった。
「で、こいつが例のガンダム・フレームか。なんつぅか……鳥か? こいつは」
連絡を受けて現場にやって来たオルガは、
格納庫には採掘で使う重機や、もしもの為に戦車に似た兵器である
しかし今、この格納庫の主役は彼らではない。それらより図抜けて背の高い、この場では異質な機体へと交代しているのだから。
これこそは
「だがなんにせよ、まさか三機目まで手に入れられるたぁ俺たちも運がいいぞ」
鉄華団の成長には、全部で七十二体しか生産されていないというガンダム・フレームが深く関わっている。保有する二機のガンダム──バルバトスとグシオンは鉄華団にとって大きな戦力であり、乗り手の実力も相まって内外から広く活躍を認知されるに至っているのだ。
そんな中で鉄華団は、火星の大地から三機目のガンダム・フレームを掘り起こすことに成功した。もともと火星の土の下には未発見のガンダム・フレームが埋まっている可能性があったとはいえ、その一つを手中に収められるのはかなりの儲けだ。これからは急成長企業へのやっかみも増えてくるだろう現状では、なおさらに。
自分たちの運と幸先の良さを確認したところで、オルガは目線を下ろした。
「んで、そっちの棺桶っぽいのはどうなんだいおやっさん?」
「ちょっと待ってろ、もうすぐ開くはずだぜ」
「おいおい、そいつそんなに面倒なやつなのか」
オルガのすぐ傍には、土埃の付着した黒い長方形の箱が置いてあった。誰が見ても棺桶としか思えないだろうそれに整備士たちが数人取りついて、どうにか開けようと試みている最中だ。
その中の一人、鉄華団員からはおやっさんと呼び慕われるナディ・雪之丞・カッサパは、持っていた工具で肩を叩いた。
「どうにもこの棺桶なんだが、機械的にロックされてんだよ。しかもかなり厳重かつ頑丈だから、強引に開けるわけにもいかん」
「……棺桶にんな馬鹿みたいな保護機能付ける必要あんのか?」
「普通はねぇわな。こいつはもしかしたら、タイムカプセルみたいなもんかもしんねぇぞ」
「へぇ、ガンダム・フレームと一緒に出てきたとなりゃ、多少は期待もできるってもんだが」
もしかすれば、三〇〇年前に起きたとてつもない規模の戦争、通称『厄祭戦』時の資料なり武器なりでも出てくるかもしれない。今では多くが紛失してしまったそれらなら、結構なお宝と言って差し支えないだろう。もちろん、肩透かしを食らう可能性も十二分にあるのだが。
「っと、開きましたよおやっさん!」
「とうとう中身とご対面か。さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……」
整備士の号令で、ついに黒い箱の蓋が慎重に取り除かれて、
「なんだ、こいつは?」
「なんだ、こりゃあ……?」
その瞬間、中から白い煙があふれ出た。
似たような驚きの声と共に、全員が一歩後ずさる。
それでも段々と白煙は薄まり、うっすらと中身が明らかになり始めた。まず目に入るのは赤みがかかった銀髪、それは艶やかに白煙の中を躍っていて──
「女性の死体、でいいのか?」
「ってことはやっぱり棺桶かこいつは? にしてはこの煙はいったい……」
多くの者が訝しみながらも箱の中身に目を凝らした、その時だった。
「なっ、おい、動いてんぞ!」
「んな馬鹿な……ってマジかよ……!」
白煙の中から身を起こす影があった。それはゆっくりと機械的に首を振って、腕を上下させた。まるで自身の肉体の動作を再確認しているかのような、どこかぎこちない動き。
まさかの事態に呆気にとられる一同の目の前で、ついに人影は薄れた白煙を突き抜け箱の中から立ち上がった。
どこか夢見心地な金色の瞳が、オルガの鋭い視線と交錯する。
「おはようございます。早速ですが、ジゼル、お腹が空きました。激辛のご飯を所望します」
「……は?」
反射的に変な声がオルガの口から漏れた。
──いったいこの少女は何を言っているのだ。そもそも何者だ、どうして発掘品から当たり前のように出てきて、しかも生きているのだ。はっきり言って訳が分からない。
これだけの意味が瞬時に込められたオルガの一言は、この場の全員の総意に他ならないだろう。そうして誰もが正体不明の女に気を取られている間に、いつの間にか女は箱から出るとオルガの正面に立っていた。
「ご飯、無いのですか?」
「ちょ、ちょっと待て……」
改めて少女の容姿を確認すれば、見た目はどうにも若く、また整っている。ふんわりとした赤銀の髪は膝裏まで届くほどに長く、眠たげな金の瞳は神秘的な輝きを
「よーし……よく分からんが、まずは単刀直入に訊こうじゃないか。アンタ、何者だ?」
「ジゼルのことですか? ジゼルはガンダム・フェニクスのパイロットです。それで、ご飯はまだですか?」
どうにも感情の起伏を感じさせない、平坦な声色だ。しかも表情すらほとんど変わらないとあって、目の前の女が何を考えているのかまるで読み取れない。
淡々と機械的で、性質の悪いことにマイペースなヤツ。それがオルガの抱いた最初の印象であった。
「さっきからご飯ご飯ってアンタな……こっちは訊きたいことが山ほどあんだが──」
「ご飯」
「……わかったよ、ったく。ほら、こいつでも食うか?」
「いただきます」
このままでは埒が明かないと悟り、仕方なしにオルガは持っていた棒状の簡易食糧を手渡した。味はそこまで悪くなく、栄養価はかなり高い優れモノである。
食料を受け取った正体不明の少女──名乗りからしてジゼル──は、手慣れた手つきで袋を開けると物の数秒で食べきってしまった。それなりの量はあるというのに、大した食欲だ。
「お腹は膨れましたが、味が全然わかりません。もっと辛い物は無いのですか?」
そして貰っておいて堂々と文句を述べる面の皮の厚さもまた、大したものだった。
彼女は物欲しそうな目でオルガを見つめてくるが、いったん無視して相談と決め込むことにする。
「団長、このジゼルってお嬢さんどうするんですか? めっちゃ不思議系オーラ出してますけど……話通じるんすかねぇ?」
「つってもなぁ……それでもひとまずは話を訊くべきだろ。もしこいつが本当にあのガンダム・フレームのパイロットっていうなら、余計に慎重に対応すべきだ。違うか?」
「ならちょうど事務室が空いてますので、ひとまず話はそちらの方でどうでしょうか?」
「ああ、
小声でやり取りする整備班とオルガに、ぼんやりと周囲を眺めているジゼル。現状、存在が不審という以外はこれといって怪しい動きは無いのだが、かといって気を抜いてかかるのも違うだろう。
「とりあえずアンタには俺と──」
一緒に来てもらうぞ、と告げようとして、しかしその言葉は次の瞬間かき消された。
突如、大地を揺らす衝撃と、大気を震わす爆音が採掘プラント全体を席捲する。天井の照明が大きく揺れ、収納されていた器具がこぞって床に叩き落された。何事かと考える前に、間髪を入れず
あまりに脈絡のない急激な世界の変化。誰も彼もが状況の変化に付いていけない中で、一つ確かに言えることがあるとするならば、
「まさか敵襲だと!?」
「そんな、嘘だろ!」
「どうしてこんなところに!?」
悪意ある第三者の襲撃に曝されているのは間違いなかった。
採掘プラント全体がにわかに騒然とし、次の瞬間には皆が悲鳴と共に逃げまどい始めた。ここで働いているのは多くが戦いとは縁のない一従業員であり、むしろオルガのような武闘派の人間の方がよほど少ない。その証拠にこの場で落ち着いているのは、オルガ達鉄華団に由来する少数のメンバーだけだ。
「……戦い、ですか」
否、もう一人いた。ジゼルだ、彼女はこの状況を全く意に関していない。むしろ眠たげな瞳を鋭く細めた彼女は、それまでの無表情が嘘のようにニタリと笑った。どこまでも純粋で美しく、だが見る者を不安にさせるような、そんな笑みである。
彼女は即座に避難誘導を始めようとしているオルガ達に向き直ると、ほんの微かに楽しそうな声音で訊ねてきた。
「ジゼルのフェニクス、何か弄ったりしましたか?」
「い、いや、まだほとんどなんもしてねぇが……それがどうした嬢ちゃん」
「不味かったとはいえご飯のお礼もあるので、ここは恩返しでもしようかと」
雪之丞の問いに答えるや否や、ジゼルは背を向けて走り出した。華奢な見た目にそぐわぬかなりの速さだ。整備員の制止を振り切り走るその先には、鎮座しているガンダム・フェニクスの姿がある。
「おいアンタ、何をするつもりだ!?」
「訊きますけど、外のは間違いなく敵なのですか?」
「質問に質問で返すなよ……ああそうだ! ここに攻撃仕掛けてくる馬鹿なんざ
「つまりどれだけ殺しても良いのですね。それだけ分かれば十分ですよ」
既にジゼルはフェニクスのコクピットに飛び乗るところだった。赤銀の髪が鮮やかに翻る。その刹那、髪に隠れていた背中に、阿頼耶識システムが埋め込まれているのが確かに見て取れた。
勝手知ったるとばかりにフェニクスに乗り込んだジゼルは、手際よく機体を起動させていく。三百年のブランクがあるはずの機体なのに、全く年月を感じさせないスムーズさだ。
「だ、団長! どうすればいいんですかこれは!?」
「泣き言喚いても仕方ないだろ! MWの準備は出来てるか!? 動かせる奴らはすぐに外の奴らの救援と、本部からの応援が来るまで襲撃者の足止めをさせろ! それ以外の非戦闘員はこっちに避難だ!」
「フェ、フェニクスは──」
「もうパイロットが乗っちまったんだからどうしようもねぇよ! 後はあのよく分からん奴が、俺たちの味方をしてくれるのを祈るばかりだ」
団長として矢継ぎ早に指示を出しながら、どうしてこうなったとオルガは胸中で吐き捨てる。
きっかけは発掘されたガンダム・フレームの連絡を受け、スーツのままここへ視察に来たことだった。
それが妙な棺桶を開けたらおかしな少女が出てきて、訳の分からない会話をいくつか交わして、ようやく落ち着いて話を出来ると思った矢先にこの襲撃だ。事態があまりに急転直下すぎて、様々な修羅場を潜り抜けたオルガでも心労が溜まるほど。
ともかくこの状況はまずい。MWではMSと正面切って戦うなど不可能に近く、このままでは敵も分からぬまま嬲り殺しだ。かといってMSはこの場に一つしかなく、しかもそれに搭乗しているのはまだ知り合って数分と経っていない謎が多すぎる少女なのだ。
だけどそれでも、全滅を避けるためには残された道は一つしかなかった。
「おい! もっかい聞くが何するつもりだ!」
『外の敵を全員殺してきます』
「アンタを信用していいのか!?」
『少なくとも今は』
「……そうかよ!」
スピーカー越しに聞こえてくる言葉に、半ば以上やけくそ気味な返事をした。
信頼も何もない相手に命を預けるなど甚だ不本意ではある。だが鉄華団の団長として筋を通すならば、言うべき言葉はこれしかないだろう。
「俺は鉄華団団長オルガ・イツカだ! 臨時ではあるがアンタの手を借りたい! 頼めるか!?」
『──もちろん』
返答とばかりに、息を吹き返した悪魔の瞳に力強い緑光が灯る。
『ジゼル・アルムフェルトです。ガンダム・フェニクス、目標を殺戮してきます』
宣言と共にフェニクスの駆動音がいっそう高まる。そして、格納庫から勢いよくフェニクスが飛び出した。解き放たれた
──それは三百年の過去より蘇った鋼の