ブラック・ファック   作:ケツマン=コレット

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 それは第19次世界大戦が終わってからすぐのできごとだった。

 戦争に勝利した連合軍は、下北沢からGO、大阪からドラゴン田中、レスリング帝国からビリー・ヘリントンの三首相が、下北沢のガン掘リヤ宮殿に集い、戦後処理の取り決めを行う会談を開いた。

 結果、エンリョナクヤル♂タ協議を結び、敗戦国の各領地の振り分けが決められた。

 敗戦国であった岡山の県北が統治していた国、サムソンは、国土の中央付近である北緯19度線から北をレスリング帝国が、南を大阪が代わりに信託統治する事となった。

 別々の国から統治されることとなると、混乱は必然だ。

 南を統治するのは資本主義である大阪に対し、北はビリーの『ヘイ構わね、反逆者は殺すど♂』の元、住民を完全統治する独裁共産主義体制だった。

 しかも、レスリング帝国は北サムソンから、機械や重機など貴重な品を自国に輸送し続け、一気に経済は冷え込んだ。

 北から南へと、移住する人間が増えることは当然のことであった。

 無論、それを許すビリーではなく、そして、それは突然にあらわれた。

 ある朝のことである。今まで自由に行き来できていた北緯19度線上に、巨大な壁が出来上がっていたのだ。

 と同時に、ビリーヘリントンからドラゴン田中へと、北と南のサムソンを分断し、完全に行き来不可にすることを伝えられた。

 到底、聞き入れることができない話であったが、ビリーが強引に話を勧めたことと、ドラゴン田中が拒むことを知らない種壺野郎だったため、それは承諾された。

 その後、壁はさらにもう一枚作られ、二枚の長く強固な壁が、今も一つの国を二つに分けていた。

 そう、それがかの有名な――。

 

「こいつが、ケツピンの壁か」

 パラパラと雪がふり落ちる中、白い息を吐きながら、田所はコンクリートの壁を見上げてそういった。

 南サムソン政府から依頼が来たのは、3か4か日前のことだ。

 政府高官であるケツデカ課長が心臓疾患を患ったのだ。

 サムソンという国が分断され、30年余りが経過し、北南とも信託統治が解除され独立した国家となった現在、北と南は非常に危険な領域へと突入していた。

 数年前に起こった、北サムソンの誤射による、南サムソン兵士死亡事件。

 あわや戦争になりかけたこの事件により、両国の軍は高い緊張状態にあった。

 明日に戦争が始まっても不思議ではない状態だ。

 そんな中、南サムソンは次期総裁選挙がすぐそこまで迫っていた。

 ケツデカ課長は国民からの支持が厚く、次期総裁は彼であることは誰が見ても明らかであった。

 そんな人間が心臓疾患だと知ったとき、相手がどんな行動をしてくるかわからない。

 混乱を避けるため誰にも知られることなく、迅速かつ、それでいてミスをしない医者に手術を頼む必要があった。そこで、田所に白羽の矢が立ったのだ。

 田所はこの依頼をすぐに承諾した。大金が出ることもあったが、ケツピンの壁をこの目で一度、見ておきたかったのだ。

 北サムスンでは、その経済難を自国民に知られないため、外部からの情報を完全に遮断し、他国はより貧困であるという情報を信じ込ませている。

 それだけでは飽き足らず、大統領であるダディーを神格化し、幼児に対しては洗脳教育まで行っていた。

 同性婚の禁止や、罪人の公開処刑など、非人道的な行為も確認されており、国連から非難が集中している。

 そのため、北サムスンはほぼ周りの国と鎖国状態に陥っており、なおかつ信託統治していたレスリング帝国も、もはや北サムソンに構っていられないほど経済難で、支援も期待はできなかった。 

 崩壊はもう目の前まで迫っているというのが研究者たちの所見だ。

 ケツピンの壁が作られたのは、田所が生まれる前の話だ。

 テレビニュースでは、今でも定期的にこの壁が流れている。

 壊されるその前に一度、その壁を映像ではなくこの目で見てみたかったのだ。

 多くの人々を、傲慢によって分断したツケ。

 それを、いったい誰が払うのだろうか。

 そして、この壁が壊れたとき、人々は何を思うのか。

 想像の絶えぬまま、田所はその場を後にし、南サムソン軍本部へと向かった。

 

 

「あまりうろうろされては困る、貴様の存在を敵国に知られてはまずいのだ」

 南サムソン軍、中佐のテディは悪態をついた。

 でっぷりしたからだと、その薄いひげに似合わず、口調は厳しい。

 軍施設内部では書記官らしき軍人たちが、書類などを手にせわしなく廊下を歩いていた。

 その中を、田所はテディに続き歩いていく。

「私がどこに行こうが、私の勝手だろう。依頼内容にも行動の制限はなかったし、そんなものがあったなら、依頼を受けていない」

「慎んでくれといっているんだ。キミが原因で問題が起きたとき、責任はとれるのか、ブラック・ファック」

「私はいち医者として依頼をこなしにきただけだ。キミら軍の衛生兵じゃない。そっちの問題は、そっちで勝手にやってくれ。それと、私の名前は田所だ。ブラック・ファックなど一度たりとも名乗ったことはない」

「なるほど」

 テディは最奥の部屋まで来ると、そのドアノブを握っていう。「なら、神の手を持つというのも、ただの噂か」

「そちらも自称した覚えはない。ただ、患者からはよくいわれる」

 テディは、フンと鼻をならし「そうか」といって、ドアを開くと、その部屋の奥には南サムソン政府高官、ケツデカ課長が座っていた。

大きめの眼鏡に、それにはみ出ている太い眉と、大きな唇。

 ぐったりと眠っているかのように、でっぷりした体を椅子に沈めており、その目は、開いているのかしまっているのかよくわからない。

「初めまして、医者の田所浩二だ」

 名を名乗るも、ケツデカからは反応がない。

 もしかしたら、本当に眠っているのではないか。そう思っていた時、ケツデカの目がうっすらと開くと、

「おまんこ^~」

 突然、甲高い声でそういった。

 どうやら、心臓よりも先に頭をどうにかするべきのようだ。

「中佐、これは私に対するサプライズか? それとも、あまりのプレッシャーに君のところの次期首相候補は狂ったのか」

「口を慎め、田所」

 テディはその言葉の意味を説明する。「今の言葉は、我々サムソンの古来から伝えられる、神聖な挨拶だ。少々卑猥なものにも聞こえるが、それはあくまでも響きが似ているだけで、少しも淫猥な意味を持っていない。ちなみに、これにたいして返す言葉は、おちんぽ^~……だ」

「私を舐めているのか」

「確かに、貴様らの常識からみれば、ふざけているのかと考えたくなることは分かる。しかし、それは偶然にもそういった卑猥な言葉と非常に似通っただけで、これは相手を――田所、キミを最大限に敬った挨拶なんだ。郷に入ればGOに従えだ。黙ってそう返せ」

 テディのその真剣な表情を見て、ふざけているわけではないことを悟りながらも、田所は一つ舌打ちを挟み、

「おちんぽ^~」

 サムソン流の挨拶を返した。

「お~ほっほ! 気持ちい気持ちい」

 ケツデカは喜々として笑い、シンバルを持つ猿の人形のように手を叩いた。

「ケツデカ様はお喜びだ」

 その様子をテディが説明する。「非常に良い挨拶だとおっしゃっている」

「中佐、本当に彼は大丈夫なのか。言語能力も低そうだが」

「黙れ。そういうところも、この方の魅力なのだ」

 本当に大丈夫なのか、この国は。

 それを口には出さず心に納め、田所は聞く。

「で、彼の手術はいつにする。なんなら、いますぐでもいい。20分もかけない」

「我々としても、できるなら今すぐ行いたい」

 テディが返す。「だが、そうもいかない。知ってると思うが、彼は次期総裁候補。正直、こうやって顔を合わせる時間も惜しいお方だ。この後も、別の要件が入っている」

「ならいつにする」

「今日の19時。ここの地下室で開始だ」

「だったら、それまでに見せてほしいものがある」

「なんだ」

 テディがいうと、田所は黙って天井を指さした。

 

 

 田所は、テディと共に、エレベーターで上にあがっていた。

 ドアが開くと、そこは8角形の部屋になっていた。

 全ての面にガラスの窓がはめ込まれてあり、望遠鏡片手に兵士が常に北サムソン側を見張っている。

 軍本部には監視塔があった。

 ケツピンの壁よりも2倍は高く、ここからは、下からでは見えなかったもう一枚の壁と、北サムソンの民家や、見張りの軍人が見える。

 田所は窓のそばまで歩くと、その惨状に息をのんだ。

 壁と壁の間は、突如として無理やり分断されたせいなのか、民家が数件と街灯がいくつか立っており、分断されたその瞬間のサムソンを、いまもその場に保存している。

 問題はそのさらに奥だ。もともとは一つの国であったはずだ。なのに、この壁二つによって隔たれた向こうは、同じ国だったとは思えぬほど荒廃していた。

 家々はどれもボロボロで、歩く人間たちはこの寒さだというのに服装は薄く、足取りはどれも弱弱しい。

「使うか」

 テディが望遠鏡を持ってきた。

 それを受け取り、のぞき込むと、その様子はさらに詳しく目に入ってきた。

 いまにも崩れ落ちそうな家に、住民たちの顔は色あせ、栄養失調が見てとれた。

 眉をひそめながらも、それらを観察していき、最後、おそらく死んでいるのであろう、道のわきに突っ伏している女のそばを、追いかけっこでもしているのか、笑っている裸足の子供が二人、駆けて行くのを見ると、田所は静かに望遠鏡を下した。

「見るに堪えないな」

 田所は振り返り、望遠鏡をテディに返す。「ありがとう……で、あんたはこれをいったいどうするつもりでいる、中佐」

 問いかけると、テディは田所の隣に立ち、北サムスンを眺めた。

「この壁ができたのは、私が二等兵だったときだ。それから、多くの人間がこの壁の破壊を試み、そして失敗してきた」

「だから、どうするつもりもないというのか」

「違う。これを放置しておくつもりは、毛頭ない。だが――」

 テディは窓枠に手を添え、目を凝らした。「南サムソンの国民は、やつれ、飢え、死んでいく同胞を少しも心配してはいない。いや、もはや一つの敵国として認識している。分断され、長く続いた時間は、壁の向こうの人間が同胞であるという認識すら消してしまった」

「現状の打開は難しいと」

「そうだ。だが、私はやって見せる」

 テディの目が、キッと鋭くとがる。「過去には何度かチャンスはあった。だが、そのたびにレスリング国などの横やりがあって、失敗に終わった。私はそんなことは許さない。邪魔をしようものなら、全力で排除し、この壁を破壊して見せる」

「なるほどな……あなたのような人間が軍の上部にいて安心する。しかし、その熱意、本物か」

 田所が問いかけると、テディは遠い目で北サムソンを眺め、ふうっと一息ついた。

「私の生まれは、北サムソンだ」

 それを聞いて、田所はテディが向ける視線の先を見た。

 テディは続ける。

「軍の仕事でこちらに来ていた。2日後には帰る予定だったが……幸運といっていいのだろうか、そんな時に国交断絶だ。帰ることは許されず……向こうにいた両親の顔は、その日から見れていない」

「そいつは残念だったな。ご両親の安否は」

 テディは首を横に振る。

「分からない。ただ、もし生きているのだとすれば、双方とも80は超えている」

 田所の脳裏に、やつれた北サムソン国民の姿が映る。

 おそらく、テディの両親はもう……。

「過ぎたことを悲しんでも仕方がない」

 デティはいった。「問題は、いまこの瞬間、目の前にある。それに集中しなくてはならない。たった一人の独裁者の傲慢のために、これ以上、犠牲者を増やしてはならない……迅速に壁を破壊し、そして、もう二度とこのようなことを……起こしてはいけない」

 戒めのように、力強くテディはそういった。「そのためには、いまこの重要な時に、相手に弱みを見せるようなことがあってはならない……頼むぞ田所……ケツデカ課長の手術、必ず成功させてくれ」

 

 

 

本部内の小さな一室で、田所は一人、時間になるのを待っていた。

 窓の外が微かに暗くなると、腕に巻かれた時計をのぞき込む。

 時刻は18時45分。もう少しで手術の時間だった。

 15分。なにかをしようにも短すぎるし、ただ待っているのは退屈極まりない、微妙な時間。

 田所のスマホは、先ほどからホモビを見すぎたことにより、高熱を発している。少し休ませておく必要がある。

 なんとなく、また北サムソンが見たくなった。

 手術が終わり次第、即日本に帰るのだ。その前にもう一度見ておこうと思った。

 監視塔までの道のりは覚えている。

 田所は部屋を出てすぐにエレベーターまで向かった。

 乗り込み、塔の上部に行くのを待っていると、

 ――ウーーーーー。

 突然、サイレンが鳴り響いた。

 なにが起きたのかと思う暇もなく、エレベーターが開く。

 すると、監視塔にいた兵士があわてて乗り込んできて、田所が反射的に出ると、すぐに下へと向かった。

 監視塔の中では、数人の兵士が顔を真っ青にしながら、大声で無線になにかを話している。

 田所はすぐに窓のそばへとよると、すぐに壁と壁の間で、南サムソン側から出る光によってライトアップされた場所が目に入った。

 目を凝らしてもよくわからず、床に落ちていた望遠鏡を拾う。

 奥の壁ではでは北サムソンの兵士が、手前の壁では南サムソンの兵士が、壁に沿うように並びお互い銃口を向けている。

 まだ発砲はしていない。しかし、一触即発の状況だ。いつ銃声が響き、戦争が起きてもおかしくない。

 その状況に、田所の額から汗が一筋伝ったそのとき、兵士たちと兵士たちの間、射線が交錯する中央では、ネクタイのデカい血まみれの男が倒れているのが目に入った。

 

 

 

 そこでは怒号が飛び交っていた。

 銃を構え合う兵士たちの間は36メートルほどしか離れていない。

 たった一発でも誰かが銃弾を放てば、即銃撃戦、殺し合いに発展する。

 それを分かってるため、双方とも簡単には引き金を引かなかった。

 なんとかして争いを起こすことなくこの場を収めたい。その思いはあるが、混乱している兵士たちは相手の話など聞かず、銃を下げろと叫びあっている。

 混乱は不安と恐怖を呼ぶ。いつ、誰が撃ってもおかしくはない状況だった。

 兵士たちの声がかすれ始めたそのとき、不意に北サムソン兵士たちの声が止まり、南サムソン兵士たちから目をそらす。

 その目線は、左の方に向いていた。

 南サムソン兵も黙り、視線を同じ方向に移すと、そこに見えたのは、この寒空の下、下着一枚の姿でアタッシュケースを持った田所だった。

 田所はゆっくりと南サムソン兵の隣まで歩くと、北サムソン兵の方を向いた。

「なんだ貴様は!」

 北サムソン兵の一人。服装から見て、周りより一つ位の高そうな男が、田所に銃口を向けて叫んだ。

「私は医者だ!」

 田所は倒れているネクタイのデカい男を指さす。「その男を治しにきた。ほっておくと死んでしまう。治療させてもらうぞ」

 そういって一歩前に踏み出そうとしたとき「止まれ! ブリーフの男!」と北サムソン兵が叫び、田所は足を止めた。

「貴様、本当に医者か! 偽装した南の兵だろう!」

 田所はばっと両手を広げる。

「この通り、私はボクサーパンツ一丁だ! 武器も持っていないし」

 アタッシュケースを開け、中を見せた。「中は医療用具しか入っていない」

「その灰色のブリーフの中に、なにかを隠し持っている!」

「この伸縮性のあるボクサー型の、ちょっとスパッツに近い感じパンツは、ぴっちりと皮膚に密着している。中になにも隠せない」

「黙れ! そのブリーフ、中央が膨らんでいるじゃないか」

「これは私の逸物と玉だ。このブリーフにも見えるボクサーパンツだけは、尊厳を守るものとして脱ぐことはできない」

「ブリーフの人」

 不意に、南サムソン兵が話しかけてきた。「いまは下がっていてください。どなたかは知りませんが、治療できるような状況じゃない」

「ダメだ。向こうにある医療施設は、程度の低いものしか期待できない。いますぐ止血だけでもしないと確実に死ぬ」

「しかし――」

「あそこで死にかかっているのは、あんたらと同じ場所で生まれた人間だぞ」

 田所は兵の言葉をさえぎっていった。「黙ってみているつもりか」

 その一声に、南サムソン兵は黙った。

「治療させてもらうぞ」

 そういって、田所は前へ歩いていくと、北サムソン兵は銃を構える。

「止まれ! ブリーフ!」

「撃ちたければ撃て!」

 田所は足を止めると、兵士の目を見ていった。「ただし……その弾丸、私にではなく、そこに倒れている貴様らの仲間に打つものと思え」

 そういって再度、歩を進めるも、兵士は銃を構えるだけで撃ってはこなかった。しかし、

 ――バン。

 突然、響いた銃声。

 それに反応し双方の兵は銃を構え、敵に向かって撃とうとしたが、田所が横に伸ばした腕を見て、寸前のところで止まった。

「やめろ! ……撃ったのは奴だ」

 田所がいった。

 撃ったのは、倒れ、血まみれとなったネクタイのデカい兵士だった。

 その手には自動小銃が握られ、銃口を田所へと向けていた。

「近づくな……」

 ネクタイのデカい男は、息も絶え絶えにいった。「……外の人間が……俺に……触るな」

「いいのか。このままでは、貴様は死ぬぞ」

 田所は問いかける。

「知るか……どうせ、医者っていうのも……嘘だろう」

「嘘じゃない」

「なんだっていい……外の奴にさわられるぐらいなら……死んだほうが……ましだ」

「死んだ方がましというが、お前さん、親はいるのか、兄弟はいるのか……自分が死んだときに悲しむ人間はいないのか」

 そう聞くと、男の瞳が揺れ「いない……そんなものは」と視線を横にした。

「そうか……なんだっていい、私は医者として、死にゆく人間をただ見ていることはできない」

 田所が近づくと「撃つぞ!」と男は銃を向けるも、その手は小さなそれを支えるのも困難なのか、銃口は左右へ揺れていた。

「そんな状態で私に当てられるのか」

「この距離なら十分当たるぞ! 止まれ!」

「だとしても無理だ。そもそもお前には、私は撃てない」

「なにを根拠に!」

 男がそういったときには、田所は目の前まで近づいてきていた。

 この距離なら、子供でも確実に当てられる。

 しかし、男は引き金を引かなかった。

「お前が生きたがってるからだ」

 田所はしっかりと男を見据え、そういった。

「なんでそんなことがわかる」

「私が医者だからだ」

 冷たい風が二人を撫でると、男は銃口を田所の顔に向けた。

 田所の目は依然、迷うことなくまっすぐ向いている。

「チクショウ……」

 男は睨みつけながら、食いしばった歯から声を漏らすと「チクショウ」もう一度そうつぶやいて、腕を下した。

「応急処置をする」

 そういってしゃがみ込む田所に「かってにしやがれ」と男は吐き捨てるようにいった。

 田所はすぐに男の全身を診る。

 右腕の損傷はかなり激しく、皮膚もかなりの部分が剥がれ落ち、どす黒い血であふれていた。

 これは肩から切ることになるだろう。

 他に出血の激しい部分は右腹部と左のふくらはぎ。

 服をめくり腹をみると、長ぼそい鉄の破片が突き刺さり、貫通していた。

 出血は多いが、もしこの破片が腹から抜けていたら、止血は困難を極め、出血多量で確実に死んでいただろう。

 左のふくらはぎは深めの切り傷だが、止血は難しくない。

「運が味方しているぞ。やはり、まだ死ぬべきではない人間のようだな」

 そう語りかけるも、男はなにも返さなかった。

 ともかく、田所は応急処置を開始した。

 その間、銃を両手に握るサムソン兵たちは、先ほど怒号をぶつけあっていたのが嘘かのように、なにも発さずにそれを見守っていた。

「いったい、なにをしていたらこんなふうになるんだ」

 田所は手を動かしながら聞くも、なにも返ってはこなかった。

「いいたくないか。まあ、誰も入ることができないはずの場所だ。やましいことをしていたんだろう」

「黙れ……」

 男はボソリといった。「治療に集中しろ」

 田所はふっと鼻で笑う。

「やはり、生きたいか」

「うるさい、お前が勝手に始めたんだろう、黙って治療だけしてろ」

「この出血だ、しっかり話をして生死を確認しておかないと、不安でな」

「へっ、ヤブが……そうやって事前に言い訳をして……患者が死んでも知らんぷり……てか。あくどいな」

「19人だ」

 不意に田所が発したその人数に、男は眉を寄せた。

「19人? ……なんだ、その人数は」

「私が救えなかった人数だ。19人が死んだ」

 その言葉に、男は息をのみ、固まった。

「一人は、単純な医療ミスだ。手術中、突然、強烈な便意に襲われた私は、その場の人間に執刀を任せて手術室を出た。帰ってくるころには患者は死んでいた。他には、誰かがメスを落として、内臓が傷ついたこともあった。あのとき、もっと私が冷静だったら患者は助かっていた……1から19で好きな数字をいってみろ、その人数目で死んだ患者が、どんな私のミスで死んだか教えてやる」

「全部、覚えてるのか」

「まあな」

 男は4と5の数字をいうと、田所はケツを拳銃で撃たれたヤクザと、拷問で椅子に括り付けられプールに落とされた男が、治療をするもあと一歩およばず死んだ話を語った。

「それは……お前のせいじゃないだろう」

 固唾をのんで話を聞いていた男は、ふとそういった。「他人のミスだったり……そもそも、どれだけ頑張っても無理な患者だっただけじゃねぇか」

「でも、患者は死んだ。その事実は変わらない」

 田所の一言に、男は口をつぐむ。

「私は、自分がやったことについて言い訳は絶対にしない……それが、医者としての、私のプライドだ」

 応急処置も半分が終わろうとしていた。

 痛み止めが効いてきたのか、男は楽に呼吸をするようになると「なあ、ヤブ医者。あんた鍛えてんのか」そういった。

「まあな」

 本当はステロイドで作った偽りの筋肉なのだが、そこは伏せておく。

「だったらよ、よく筋肉の大きさとか測ってるだろ。オレの胸囲、どんぐらいだとおもう。だいたいでいい」

「そうだな」

 応急処置を行いつつ、横目で胸板を見たところ、大体90~80といったところだったが「……100ピッタリぐらいはあるんじゃないか」と少しもって答える。

「ああ、落ちた……落ちたねぇ」

 男は寂しそうにいった。

「昔はもっとあったのか」

「115ぐらいはあったんだ……最近、ろくなもん食ってなくてな。自慢だったんだ、胸囲は。友達によく見せびらかしてたよ。それが最近、しぼんだ気がしてよ……怖くて測ろうともしなかったんだ。案の定このざまだ」

「食事は、筋肉維持には欠かせないからな。食わなきゃかってにしぼむ。だが安心しろ。一度大きくなった筋肉は、小さくなっても、再度鍛えればすぐに元の大きさに戻る」

 田所がそういうと、男はフフっと笑った。

「そうなのか、そりゃよかった。あんた名前は」

「田所だ」

「俺の名前はネクタイ・デカスギだ。なあ田所、外では飯がたらふく食えるっていうのは本当か。誰かから聞いたんだ。北サムソン政府がいってる、外では大飢饉で多くの人間が飢え死んでるって……俺たちは、ダディー総書記に守られ、安全に生きられている幸せな民衆だって……あれは嘘なのか……俺たちは、騙されてるのか」

「食い物に困ったことはない……といったところで、ネクタイ、お前は信じるのか」

 ネクタイは考えるように眉を寄せるだけで、言葉を返さなかった。

「結局、私が口からなにかをいったところで、事実かどうかはその目で見なければわからない。なら、お前さん自身が信じたいものを信じ、行動するしかない。違うか?」

 田所がそう問うと、ネクタイは薄暗い空へと目をやった。真っすぐに向かうその瞳の奥には、別のなにかを映しているようだった。

「田所。お前、死んで悲しむ人間はいないのかと。そう聞いたな」

「ああ。いるのか」

「妹が一人」

「なるほどな」

 田所は笑みを作る。「お前さんが死んだら、その子は独りぼっちだ」

「医者を目指してるんだよ。でもよ、こんな世の中じゃ、勉強もままならねーし。女ってのも工場で働かされる。下着だってそうだ。オレたちみんなよ、後ろの部分が破けて、ケツが丸出しのこの世の終わりみたいなパンツはかされてんだ」

 ネクタイの目に涙がにじんだ。

「オレは……オレはガキのときからアメフト選手になりたかった。でもよ、徴兵で無理やり軍に入れられた……だからせめて、妹には夢をあきらめてほしくないんだ。医者になってほしいんだ……もしそれがかなうってんなら……オレは……」

 そこから先を、ネクタイは語らなかった。

 いって、北国民の誰かに聞かれでもしたら、国家反逆罪に問われ処刑されるからだ。

 北サムソンはそれほど言論に厳しかった。

 しみついた習慣。決して口を滑らせないようにしていた日々は、例え田所が相手だったとしても、簡単には本音を口に出さなかった。

 それを察したとき、ふとネクタイが身に着けていた肩掛けカバンに目がいった。

 触ってみると布越しに鉄の感触があり、ボタンをはずして中を見ると、小さな地雷がいくつかはいっていた。

「こいつは」

 つぶやく田所に、ネクタイはなにも語らず目をそらす。

 周囲を見渡してみると、その地雷がいくつか見えた。

 そこで、やっとネクタイの目的が分かった。

 北からは、今でも定期的に壁を越え、南へと亡命するものがいた。

 北サムソンは、それらをよしとせず、亡命者を反逆者とし、射殺した兵士に勲章を渡すほどだった。

 それでも、亡命する人間は年々増えていく一方の状態だった。

 この地雷はその対策。

 夜な夜な逃げ出そうとする亡命者を殺すためのもの。それをネクタイが、一人こっそりとしかけていたのだ。

 だが、その一つが不良品だったのか、それともネクタイが扱いを間違えたのか、爆発。いまに至るというわけだ。

 地雷を見られたネクタイは、申し訳なさそうに目線を下にしていた。

 国家に対して不満がありながら、やっていたことは亡命者への妨害行為だ。

 自分がやっていたことに罪の意識があったのだろう。

「お前が自主的にやったんじゃないんだろう」

 田所がそういうと「え?」とネクタイは顔を上げる。

「さしずめ、お偉いさんに命令されて地雷を仕掛けにきた。でなきゃ一兵卒ごときがやることじゃない。地雷だって、個人で勝手に持ち出していいわけがないからな」

 図星だったのかネクタイは唇を噛むと、

「出世したかったんだ」

 そう語る。「階級が上がれば、妹にもうちょっと楽がさせられるって……ハっ、だからってよ、こんなこと……いわれたからってよ、やってる時点で最低だけどよ」

「お前さんの国じゃ、上司の命令は絶対だろ。気に病むことはない、私だってお前の立場ならそうしてる」

 ネクタイは驚いたように田所の顔を見て、

「そうだな」

 と口角を微かに緩ませ、小さな声でつぶやいた「……ありがとよ」

「よし、これで終わりだ。立てるか」

 田所は最後、足の包帯を巻き終わると、立ち上がって手を伸ばしたが、ネクタイはその手をはじいた。

「やめろよ。外の人間の手なんて……借りるかよ」

 ネクタイは周りに聞こえるような声でそういった。

 北の兵士の手前、これ以上は下手なことを見せるわけにはいかないのだろう。

「ああ……そうだったな。なら一人で立て」

「いわれなくても――うぐっ」

 立ち上がろうと、ネクタイが腰を上げた瞬間、腹から血が噴き出す。

 ネクタイは苦悶の表情を浮かべるも、田所は手を貸さない。

「へ、へへ」

 ネクタイは強がり、笑って見せた。「見ろよこの……生の、血しぶき感覚……ヤブ医者が、しっかり止血しやがれ」

「下らんことをいってる場合か、さっさと帰れ」

「いわれなくてもよ……帰るぜ」

 ネクタイは踵を返し、一呼吸おいた後、二人にしか聞こえない小さな声で「じゃあな……先生」といって、自国の壁へと歩き出した。

 先生……か。

「妹さんによろしくな」

 田所も小さな声でそう答えた。

 それが届いたのかどうか、定かではないが、ネクタイはさっと右手を上げた。

「外で待ってるぞ……ネクタイ」

 田所は一人つぶやくと、南の兵とその場を後にした。

 

 

「おまんこ^~」

 野獣邸のリビングのテレビでは、サムソン国大統領、ケツデカ課長の演説が映されていた。

 その後ろでは、テディ中佐の姿もある。

 サムソンが統一されて、初めての大統領演説である。これは、自国に向けたものではなく、全国の国々に向けたものでもあった。

 ケツピンの壁が崩壊し、2ヶ月。

 その間に、2国の統合から北国民の精査と支援、北官僚の処罰は急ピッチでおこなわれた。

 特に、北の三大官僚であったダディー、島田部長、コブラの三人は、下北裁判所の判決により下北沢で公開処刑されることとなった。

 様々な非人道的な行為。主に同性愛の禁止が世界の反感をかったのだ。

 ダディーは車から伸びる紐に括り付けられ、下北沢中、引き回しの刑に処され「ぷももえんぐえげぎおんもえちょっちょっちゃっさっ!」という断末魔を残して死亡した。

 島田部長は海流しの刑に処される前「あー、涙がよう染みる」と一言だけ言い残し、亀甲縛りにされたまま、イカダで海に放流された。

 コブラは、人間は異性愛こそが本来の形であり、同性愛を基本だとしているこの世界は狂っている、と意味不明なことを最後の最後までのたまい。爆破刑に処され死亡した。

 そのさい、ニコニコ本社もついでに爆発させた。

 様々な悲劇を生んだツケは、主にその三人の命によってはらわれた。

「これで終わりか。あっけないもんだ」

 そんなことをつぶやきながら、田所は一人、アイスティーを飲む。

 すると、遠野が郵便物を片手に部屋に入ってきた。

「せんぱーい。一つ先輩に手紙がきてますよ」

 田所の前にピンク色の封筒を置いて、隣の部屋へと歩いていった。

「おお、ありがとう」

 それを手に取り宛先を見ると、サムソン、と書かれてあった。

 田所はアイスティーを素早く一口含むと、すぐにそれを開き、中の便箋を取り出す。

 そこには、つたない日本語でこう書かれてあった。

 

 田所先生へ。

 初めまして。

 私はネクタイ・デカスギの妹、リボン・デカスギと申します。

 前々からあなたの話はお伺いしています。

 病院で入院する兄から、あそこで素晴らしい医者にあった、先生のおかげで助かったと、なんどもいっていました。

 

「うん、おいしい!」

 遠野は、スープの味見をおえると、後ろを振り返った。

「先輩、ご飯が……でき」

 先ほどまでそこにいたはずの田所が、姿を消していた。

「あれ? どこにいったんだろ」

 

 

 本当は、すぐにお手紙を出したかったのですが。

 いま北サムソンは復興の真っ最中で、色々なことにてんやわんやの状態で、そんな暇もありませんでした。

 北サムソンは、2ヶ月前に起きた壁崩壊から、少しずつよくなっていっています。

 私の手元には医療について書かれた本があり、学校にも通えるようになりました。

 お腹いっぱいに料理を食べれて、パンツに穴もありません。

 

 

「せんぱーい、どこですかー」

 田所の部屋や、トイレを調べるも姿はない。

「どこにいるんだろ」

 

 

 そして、兄についてなのですが。

 実は、先生に助けていただいて一命をとりとめた後すぐ、兄は軍法会議にかけられました。

 罪状は、外の人間に機密をばらした罪。地雷を勝手に持ち出した罪。命令なく壁に侵入し地雷を設置した罪でした。

 

 

「ここかなぁ」

 遠野は地下室の扉を開けるも、ここにも姿はなかった。

「ここにも……じゃあ」

 遠野は天井を見上げた。

「屋上?」

 

 

 兄はそんなことはないと反論をしました。

 機密をばらしてなんていないし、地雷を設置したのも、上官からの命令だと。

 しかし、それは聞き入れられませんでした。

 兄の有罪は、最初から確定していたんです。

 一週間後、民衆の前で絞首刑に処されました。

 その刑の前、兄と最後の面会したとき、私にいいました。

 生きろ。生きて夢を叶えてくれ。立派な、田所先生のような医者になってくれ、と。

 

 

「ハア……ハア」

 遠野は息を切らしながら、階段を上る。

「なんでこんな大きい家に住んでるだろう。もうちょっと小さいのに住めばいいのに」

 

 

 田所先生。

 兄を治療していただき、本当にありがとうございました。

 私は自分の夢を、兄の願いを叶えるために、絶対に立派な、あなたのような医者になります。

 同じ医者として、いつかあなたに会えるのを楽しみにしています。

 リボン・デカスギより。

 

 

 屋上のドアを開くと、手すりにもたれかかり、薄暗い空を見上げる田所の背中が見えた。

「先輩、こんなところにいたんですか」

 声をかけると、田所は振り返った。

「あ……ああ。ちょっと空の様子をみたくてな」

 その手には、さっき渡した封筒があり、田所は胸ポケットへと納めた。

「手紙ですか。なんですか、こんな夜空で見ちゃって。恋人からですか」

「そんなんじゃない」

 田所はいって、遠野のほうへと歩いてくる。「ただ……友人からさ。それより、メシができてるんだろう。早く食わせてくれよな」

「ふーん、友達ですか」

「なに勘ぐってるんだよ。そんなんじゃないぞ。ほら、さっさと部屋に戻れ」

「はーい」

 リビングに入ると、テレビではサムソンのニュースを取り扱っていた。

「あ、ケツピンの壁ですか。いまだにこの話でもちきりですね」

「ああ、そうだな」

 田所は茫然と、そのニュースを眺めていた。

 そこには、処刑された北サムソンの三大官僚の映像が流れている。

「しかし、公開処刑とは思い切ったことしましたよね、下北裁判所も」

 遠野はいいながら、皿に料理をよそう。「まあ、死んで当然といえば当然ですけど」

「確かにな」

 椅子に座った田所はぽつりとつぶやいた後、続けていう。「でも……こいつらのせいで死んだ人間たちは、戻っては来ない」

 遠野は田所の前に料理を置くと、その言葉で一瞬固まる。

「まあ……そうですね」

 依然、田所の顔はテレビに向いている。

「怒りは消えても、悲しみや虚しさは、一生消えることはない。それでも、前に進まなきゃならない……希望っていうのは、歩き続けた先にしかないからな」

「そうですね。でも、きっと大丈夫ですよ。強い意志があれば、きっと悲しみも乗り越えられます」

 遠野がそういうと、田所は微かに頬を緩ませた。

「ああ……そうさ。きっと乗り越えられる、彼らなら」

 真っすぐテレビへと向かう田所の目。

 その瞳の奥には、最後に見た、ネクタイの背中が映っていた。

 


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