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タルトは走っていた。
10歳の少年が持つには少し大きめのアタッシュケースを両手に抱え、一目散に家に向かう。
じっと見ていた。
高そうな車から出てきた、うんこ色した顔がツギハギまみれの日本人。その手に握られた太陽の光を反射させる、ギラギラしたアタッシュケースを。
価値のあるものだ。
義務許育を満足に受けられていないタルトにもわかった。
ボッタクリの店主と口論しているスキにそれをかすめとった。
家と家の間の細い道を抜け、林の少し向こうに家が見えてきた。
タダでさえ簡素な作りの家しかないこの村の中でも、さらに作りが荒い。ほんの少し力が加わっただけで崩れ落ちそうな家に、タルトは駆け込む。
「お母さん!」
叫ぶとすぐに膝を合わせて座っている母と目が合う。「母さん!これそこで拾ったんだ!きっと高い―」
「なるほど。そいつをどのあたりで拾ったんだ」
母の奥、ちょうど暗がりの位置にツギハギの日本人が壁にもたれかかって立っていた。
「え!?あっ…いや」
言葉がしどろもどろになり、アタッシュケースを下に落とすと、蓋が開き、中にあったメスが床に落ちた。
「こんな小さい村さ。誰がどこに住んでいるかなんて、皆知っている。ちょっと金を払ったら教えてくれたさ。まったく、やってくれたな」
田所はゆっくりとタルトのもとに近づくと、足元のアタッシュケースを拾って、土を払った。「さあ、どう落とし前をつけようか」
「ま、待ってください!」
田所の言葉に、母は膝をついたまますり寄って懇願した。「この子はまだ子供で…あの、償いでしたら私がしますから」
いかにも惨めなその様を、田所は昏睡レイパーのような汚い眼差しで眺めた。
「子供…ねぇ。大人の目を欺いて盗むような人間を、俺は子供とは思わない…おい、そこのガキ」
タルトははっとして顔を上げた。
「な、なんだよ」
「名前。それと年は」
「タルト…10歳」
「10歳。十分に分別がつく年だろう。お前が判断しろ、どう落とし前をつける。母親に肩代わりしてもらうのも、お前が償うのも自由だ」
タルトの視線が、田所と狼狽している母を往復する。
考える。母に迷惑はかけたくない。しかし、自分に支払い能力がないことはわかっている。
今にも涙が溢れそうな心境の中、不意に地面に落ちていたメスに目がいった。
とっさにそれを拾い上げ、見せつけるようにむき出すと田所はフッと鼻で笑ってみせた。
「何だそれは。そんな小さな刃物で反抗でもするつもりか? それはそんなことのために使う道具じゃない。返せ」
「違う!」
タルトは首を強く横に振る。「僕は医者になるんだ!」
母は驚き、田所は、ほうと顎に手を乗せる。
タルトは続ける。
「僕のお父さんはレスリング国ってとこから来た医者だった! 死んじゃって、もういないけど…。けど! 本をいっぱい持ってて、毎日それを読んでる! 英語だってちょっとわかる。医者になって、いっぱい稼いで…それで、お母さんの足も治すんだ!」
「足?」
田所は総口にして母親を見る。「あなた、足が?」
ええ、と言って母は足を隠すように膝を曲げた。
「あんた、お医者さんなんでしょ」
タルトは聞いた。「この…メスってやつ持ってるってことは医者なんでしょ!」
「だったら何だ」
「教えてよ、お医者さんを」
田所は目を丸くすると、高らかに笑ってみせた。
「医者を教えろだって? 笑わせる、危うく大事な商売道具を盗まれそうになった子供に、なんで俺が教えなきゃなならんのだ」
「お金はいくらだって払う! お医者さんって、いっぱいお金を稼げるんだ、それで―」
「2億だ」
突然の田所の言葉に、タルトは言葉を失った。「おっと、子供相手に2億は流石に言い過ぎたか。そうだな、特別に1000万ポジまけて1億9000万ポジでどうだ? それで今回の件はなかったことにして、なおかつお前に医術を教えてやろう」
2億。
あまりにも莫大かつ、想像できない金額にタルトはうまく思考ができなかった。だが―
「やるよ!」
次の瞬間にはタルトは叫んでいた。「2億だって、3億だって払ってやる! 僕は医者になって母さんみたいな困ってる人をなおして、お金を稼ぐんだ!」
田所はニヤッっと笑う。
「契約成立だ。じゃあ早速、お前のお母さんの足を治そうか」
タルトは母と全く同じタイミングで田所を見上げる。
「な、治してくれるの?」
「1億9000ポジも貰うんだ、サービスしといてやる。それに、医術の勉強にもなるだろ。もちろん、ちゃんと見てくんだよな…2億も稼ぐんだ、ちんたらしてもらったら困る」
目を輝かせたタルトがうん、と言って力強くうなずいたのを見て田所を笑った。
田所には目の前の懸命に医者を目指す少年の姿が、昔の自分に重なって見えていた。